
今日の写真:「一の御柱/諏訪大社上社本宮」
170105-DSC_1755-4d
NIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR
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龍安寺の石庭を見るときと同様に風景はそこには無い。風景は偶然そこにあってわれわれを待っているわけではない。そこには「見る」という行為が必要なのだ。
私の見る風景はあなたの見る風景とは異なるかも知れない。なぜならこれは「私の風景」でありそれは「あなたの風景」だからだ。風景とは個人的なものなのだ。
この風景はわたし自身の反映でありわたし自身を投影したなにかあるいは私の心に現前するなにかである。それは偶然であるかのように私が望む時、望むとおりに現れる。
風景と呼ばれるものにレンズを向けシャッターを切るだけでは風景を捉えることは出来ない。そのようなとき映し出されるのは単なる事象であり現象にすぎないだろう。
わたしたちが風景を「発見」する以前にそこにあるのは「空(くう)」あるいは「カオス」である。風景を「発見」するというのは風景を構成し創造するということだからだ。
※過去記事(アーカイヴ)より再掲載。
from 蓼科高原ペンション・サンセット
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岡田@隊長さん