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昨日は、久しぶりに東工大の頃の研究室の学生たちに会って、食事をしながらおしゃべりをしてきました。皆、いまは大学にいたり会社の研究所などで働いている研究者なのです。 半年前にも同じような、別のグループの人達に会ったとき、誰もが博士(PhD)の肩書を持っているのですが、将来、仕事を離れたら博士の肩書では食べていけない、PhDなんて生きていくのには立たない、PhDを離れて、この先どうやって人生百年を生きていこうかなんて話を一緒にしました。 昨日会った人たちは現役の研究者として、コンピュータがどんどん進歩して、研究の背景を調べるのに大いに役立つどころか、いまやAIに進化してそのAIに研究が支配される時代になってきたというのです。 「どういう病気のどういうところが治療研究の良い対象になりますか」と訊くと「これこれです」と答え、「そのように研究を進めたら良いですか」と尋ねると「ここを、こうやって攻めると良いです」と教えてくれる時代になったということです。 AIが研究のターゲットを指示しても、AI自身はそれを確かめる実験はできないので、研究の仕方を研究者に指令して研究者はその下請けになってしまう時代が近いみたいです。 以前わたしは「研究者ほど素敵な商売はない」と若い人たちに向かって言い続けていました。例えばいい例として、音楽で一流になる(あるいは人並みになるのでも)毎日の長時間の鍛錬を重ねないといけないことを例に挙げることができます。私自身、クラリネットを吹いて大学のオーケストラにいましたし、その後アメリカにいたときはフレンチホルンを習いました、オペラを聴いているうちに大好きになりとうとう自分でも先生について習って歌うようになりました。それでも、もちろん私を含めて、ほとんどの人は一流にはとてもなれません。 一方研究者には、その研究領域に入ると決めた瞬間、すべての先人の業績はその人の目の前にすべてが揃っているのです(つまり研究は論文という形で出版されて、誰でもそれにアクセスすることができます)。これには先輩、後輩の区別はないのですよ。もちろん初心者には最初は大変ですが数ヶ月で同じ土俵に立っているのです。そして、研究の成果をインターナショナルの雑誌に投稿して採用されるというのは、その仕事が新しいものであることですから、その人はその分野では最先端の研究者なのですよ。つまり研究者は誰でもいとも簡単に、研究の第一線に立つことができるのです。他のところでは、こうはいきませんよね。 でも、それらの先人たちの研究成果の資料がコンピュータの進歩のおかげで使いやすくなるどころか、AIが「あれをこうしろ」と研究者に指示を出すような時代になったら、研究者が一番いいなんて言えなくなりますね。私は自分が集めて読んだ文献の整理にいつも悩まされていたので、PCの発達のおかげでそれが整理できるようになり、さらに全てがインターネットで検索できる時代の良さのおかげで、私自身は研究者生命を77歳まで長引かせることができたと思っていますが、時代の進歩は、もうその研究者の良き時代にも幕を引こうとしているのが驚きです。 昨日は、皆といろいろと話しをしながら、AIに人生を支配されないようベストな解をどうか見つけてほしいと、彼らを励ますことしかできませんでした。研究者は気楽で良い商売という良い時代は去ってしまったのですね。激動の時代を生きてきたのだということを、しみじみと感じました
2019.01.15
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さえ:中川さんを覚えているでしょ?高橋さんにくっついていた?ミツカンにいた頃は、本当に可愛い青年でしたね。中川さんは高橋禮子さんのN-グリカンの分析法に魅せられてしまい、その道にどっぷりとはまり込んで、ミツカンを辞めて、それからしばらくしてラホヤのBuhrnam Instituteに行きました。そのあと、北大の西村さんのところに紹介したら、そこに8年いて、西村研究室の発展に大いに貢献しました。二年前、寄付講座の解消に伴い、誘われてHitachi High Technologiesに移って、いまはグローバウアプリケーションセンターという名前の組織にいてマネジメントをしています。彼が北大を去るときに調べたのですが、北大にいた8年の間に30報以上の(今回、訊いたら35-36報だろうと言っていました)論文を出したのですよ。糖の合成屋で畑違いの西村さんにとっては、幸福の女神が、鴨ネギと一緒に舞い降りたようなものでしたね。高橋さんの分析法で、彼が一歩進めたところは、オリゴ糖鎖の構造分析だけではなく、オリゴ糖がペプチドに付いたままの糖ペプチド(の糖鎖そしてペプチド配列も)を分析することを可能にしたことでしょうね。これは凄い情報量の増加を意味します。これからどんどん糖鎖を持つ糖タンパク質の分析が為されると良いのですよね。時代はそれを待っていますけれど、やりたがる人が少ないのが難点ですね。ですから、ぼくは彼がHitachiでマネージメントに精を出すのは、もちろんそれはそれでよいけれど、同時に、この薬科大学に講座を持って学生を育てながら、そこで生薬の糖ペプチド分析をしたら、世の中に素晴らしい貢献をすることになるんじゃないかと思いますね。だって、中川さんはどちらかというと外連味のない真っ正直な性格の人なので、研究者には向いているけれど、ちょっと風呂敷を広げて夢をも正夢と思わせる仕事には向いていないんじゃないかと思うのですよ。これは彼をけなしているのではありませんし、ビジネスを軽んじているわけではありません。あくまで、言葉の綾です。真意を間違えないでね。その中川さんが、Hitachiが大連にこの6月からApplication Centerを作ったそうですが、そこを監督かたがた瀋陽まで足を伸ばして訪ねてくれたのでした。この薬科大学出身の素敵な女性が、仕事のパートナーとして採用されていて、彼と一緒に訪ねてきました。今、彼女はもちろん大連に住んでいるそうです。陳陽の同級生ですって。と言うか、ぼくが分子生物学を教えたのですって。中薬を教えたときの最初の学生だったのですね。昨日の土曜日の、ちょうど僕たちのセミナーが終わる頃でしたので、学生共々、唐萱閣の食事に誘いました。楽しく食べて、談笑して、さて支払と言うとき、結局、ご馳走になってしまいました。そのあと部屋に戻ってから二時間半、彼の以前の研究の話、今の仕事の話、人生経験、色々と聞かせて貰って、ぼくも学生も感心することしきりでした。こういう、多彩な人生を送っている人の話を聴くのはとても良いことですね。もっと付き合ってお喋りをしたかったのですが、例の採点、3年生60人、4年生90人の答案を抱えていて、明日昼までに採点を終えなくてはならず、6時に送り出しました。そのあと試験の採点をしていてうちには9時半に帰ったのですが、ずっと朝の3時まで全く寝られませんでした。つまり、久しぶりに日本語を話したのと、糖の構造の話を聞くことが出来たこと、それと信頼できる友人と久しぶりに心を開いて話が出来て、かなり興奮したのですね。
2011.07.10
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『後生畏るべし』 この頃は「後生畏るべし」というフレーズはあまり聞きませんけれど、自分の人生を振り返ってみると「後生畏るべし」の連続でした。最初は東大大学院にいて二年後輩を見たときです。次は、名古屋大学に助手の職を得て卒業実験で配属された学生の一人に接した時。三度目は三菱化成生命科学研究所にいた時、伊東信さん(以下、伊東先生)がわたしの研究室にポスドクとしてやってきたときです。 九州大学大学院の北御門先生の門下生として海産微生物由来の酵素を用いたケラタン硫酸の研究が伊東先生の博士論文でした。それで、その昔コンドロイチン硫酸分解酵素を研究したわたしと学問の接点があったからでしょう。New OrleansのTulane大学のYT Li教授のところで一年間ポスドクをしたあとやってきた彼は気持ちが真っ直ぐな若者で、温厚な人柄ながら研究意欲に満ち満ちてはち切れそうでした。 一年後には所員として伊東先生をためらうことなく採用しました。伊東先生は研究室として拠って立つ技術を持たないといけないと私を説得して、複合糖質を分解する酵素探しを始めました。その当時、名古屋市立大学の高橋禮子先生が糖タンパク質のNグリコシド結合を切る酵素をアーモンドから見つけていましたが、Oグリコシド結合を切る酵素も、糖脂質をセラミドとオリゴ糖に切り離す酵素も知られていませんでした。伊東先生は大学院時代に身に付けた、必要な酵素を持つ菌探しという得意の技術を発揮し、1年足らずのうちに糖脂質をセラミドとオリゴ糖に切り離す酵素を見つけました。 言うまでもなく複合糖質研究史上の大発見です。のちにエンドグリコセラミダーゼと名付けられた酵素の発見は、三菱化成生命科学研究所に11年間所属したあと1993年に九大の助教授・教授になった伊東先生のその後の26年間の研究方向を決定するものでしたし、私もこのために糖脂質が興味の対象となって2014年まで糖脂質の機能の研究を続けることになりました。 この酵素の発見とその性質の論文は1986年にJ Biol Chemから出版されましたが、採用までにかなりの時間が掛かりました。後に明らかになったことですが、JBCに送ったときのReviewerからその情報を得たUniversity of TulaneのYT Li教授は同じ性質を持つ酵素を大急ぎで探してヒルから見つけて速報を書き、その速報と並べられてこの論文はJBCに載ったのです。この経緯はその当時YT Li教授の研究室にいたポスドクの女性がわたしたちの研究室を訪ねてきて滞在したとき詳しく話して聞かせてくれました。 この論文がJ Biol Chemから出版されると同時に、YT Li教授は「この糖脂質をセラミドとオリゴ糖に切り離す酵素を探すアイデアは、Itoが自分の研究室にポスドクでいる間に自分から盗んだものだ、この業績は自分のものであってItoのものではない」と私たちに激しく言ってきました。 思うに、YT Li教授が折に触れて自分の研究室の人たちに自分の研究の方向、抱負を語るのは当然のことでしょう。Mentor・研究指導者はこういう夢を語って研究者を育てるのですから。伊東先生たちを前にして、Oグリコシドを切る酵素や、糖脂質をセラミドとオリゴ糖に切り離す酵素をいつか探してみたいねとも言ったかもしれないし、言わなかったかもしれません。真相は藪の中です。 しかし、YT Li教授が近々自分自身で探すのだと宣言していたらなともかく、自分が考えていたことを(知ってか知らずか)ポスドクだった伊東先生が実際に自分の時間と手を使って実現したなら、俺のアイデアを盗んだのだと叫ぶのではなく、学問の発展という見地に立って弟子による発見を喜び祝福すべきことではないでしょうか。実際、それまで知られていない性質の酵素を探そうというのは、アイデアなんてものではありません。YT Li教授の激しい抗議の態度に、そのときはこちらも驚き、怒り、反撃しようと身構えました。実際、次の国際学会に出席した時の自分自身の緊張振りをよく覚えています。 「後生畏るべし」のあとには「四十、五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦畏るるに足らざるのみ」が続きます。『自分より後に生まれた者・若者は将来に無限の可能性を秘めているので侮ってはいけない「畏るべし」だ。しかし、その人が40や50歳になっても、良い評判が立たないようだったら、その人物はもう先が知れている』というところでしょうか。「後生畏るべし」を言われながら、私自身を含めて社会に碌な貢献をしないで人生を終わる人が大勢います。 伊東先生は40歳になる前に九大に研究室を持って、見事な業績を挙げ、沖野望先生をはじめ多くの後生を育ててきました。伊東先生は今年の春、九大で定年を迎えて、26年間の研究室で築いた栄光の時代を閉じようとしています。 人の持つ時間には限りがあり、何にでも終わりが訪れるのは悲しいことですが、終りがあるからこそ、それまでの時間に意味が与えられて輝くのですよね。見事な業績を挙げられた伊東先生を私は心から誇りに思っています。2019年3月1日瀋陽薬科大学栄誉教授山形 達也
2019.04.06
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ぼくは子供のときから朝日新聞で育ってきた。名古屋に就職して中日新聞を読むようになってみて、朝日新聞の校正が如何にしっかりしているかを強く認識した。朝日新聞を読んでいて、この漢字や表現はおかしいんじゃないの、と思うのは数年に一度くらいなのに、中日新聞では誤字や、間違いが頻繁に出てくるのである。その後に読んだ毎日新聞、読売新聞はこれほどのことはないけれど、それでも朝日新聞に遠く及ばない。朝日新聞は岩波書店と同じように特別の思想で主導されていることをぼくがやっと認識するころ、ぼくたちは中国に行って日本の新聞を読むことがなくなった。そのころ、慰安婦問題で誤った事象を世界中に印象づけたといって朝日新聞は人々から叩かれるようになったのだった。中国に滞在していた後半は日経新聞を電子版で読むようになったが、時々中国政府が妨害するので読めない時期があり、解約、再購読を何度か繰り返したものだ。今は紙面版も含めて日経新聞を読んでいる。さて、今のぼくは放送大学の学生をやっている。放送大学の勉強はTVあるいはラジオ放送で送られてくる授業を観る、聴く、ことが主体となっていて、これらはインターネットで随時アクセスできるという便利さに満足している。これらの授業にはテキストがある。試験勉強をするにはこれらのテキストを読むことになるが、時々誤字があるし、わけの分からない言い回しが出てくる。最初に面食らったのは「発達心理学概論」で、テニヲハの使い方がおかしいし、受け身でなくてはいけないの能動態で書いてあったりする。日本語は主語を省略することが多いが、それは主語がすぐに分かるからであり、わからないのに省略したら悪文でしかない。それでも、悪口をいいながも読んで、講師の言いたいことを理解することは出来るが、「錯覚の科学」の80ページでは、理解できない言葉が出てきて、ただ呻吟するだけだった。フランチェスコ・デル・コッサの「受胎告知」という絵画についての解説である。『つまり、このコッサの絵では、マリアとガブリエルはお互いの姿に目を向けているようで、実際には、円柱を、そこに暗示されたる受難の相とともに、まなざしているのである』この「まなざしている」というがわからない。「まなざす」という動詞の活用形として使っていると推定できるが、こんな「まなざす」という動詞は今まで見たことがない。「眼差し(まなざし)」という名詞があって、「優しい眼差しを注ぐ」みたいに目付き(それもかなり抽象的な)を意味している。この「まなざし」を動詞にしたのだろうか?「微笑み」と「微笑む」の関係のように。「殺し」と「殺す」や、「伸ばし」と「伸ばす」の関係のように。でも、これらは動詞が先にあってその連用形がそのまま名詞になったのだと思う。「目指す」という動詞と混用して、「まなざす」という動詞が誕生したのだろうか?でも、何を意味しているか、全くぴんとこないのである。それでインターネットで調べてみた。「まなざす」については結構投稿がある。そのひとつによると広辞苑第6版には、「まなざ・す【眼差す】(マナザシの動詞化)視線を向ける。見る対象とする。指向する。」と載っていると指摘されている。しかし、辞書にその言葉を扱っているのは広辞苑第6版だけであって、「そんな日本語はない」という意見が圧倒的だったので、ぼくが認知症になったわけではないと納得した。では、『マリアとガブリエルは、(そこに暗示されたる受難の相とともに)円柱に目を向けている』ということになる。()内を除けば理解できるが、()内は何だろう。マリアとガブリエルは受難の相をもって円柱を見ているということだろうか。受胎が受難だというのだろうか。理解できない文章は悪文でしかない。言葉は変化する。誤用だってそれを使う人が多ければ、いずれ大衆化してその言葉に置き換えられてしまう。その発展途上だといえば、そういうことかも知れないが、お尻を後ろから誰かに触られたみたいで、不愉快で飛びあがってしまう。実に落ち着かないのだ。放送大学のテキストを、偉いと思われている先生たちの書きっぱなしではなく、ちゃんと校正しろよ、ということを言いたい。こんなことを書くと、高齢になって寛容性のない保守的な性格がでているのだ、と言われてしまうのだろうか。
2017.02.15
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