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| 以前、ADHDという障害について少し書きました。 もしかして・・・我が子はそうなのかもしれない。 そう、考えられるような出来事は本当に多々起きます。 そういう障害ならそれはそれで対処があるだろうと、支援センターに相談してみようとすれば 自分の育て方や子供の環境を悪くしていることを 子供の障害にしようとしたてる『母親失格』と責められ また、子供に注意すれば“叱りすぎ”と責められ まったくの親としての自信を失くしますよ!! でもね、私はいつも思うことがあります。 私が子供たちに対して悪いと思うこと、それは 親が私一人であるということ。 父親という存在を経験させずにいるということ。 これだけは、どんな理由にしても子供に対して申し訳ないな~って思うんです。 でもね けれどね 私は子供を愛しています。みんな親ならきっと一緒でしょ 誰よりも子供の将来を考え、子供の幸せを考え 惜しみなく、見返りを求めない愛をもっているのは 私(親)なのです。 子供ってなんでこういうことが分からないんだろう。 私も、子供の時は分からなかった。 ブチブチと起こってばかりの親に なんでこんなに怒るんだろう? ここで、(私が間違っているのかな?)なんて思わず 自己中心的に考え、(もしかして、本当の親じゃないのかも) なんて思ったことが何度かありました。 子供は分かってくれてると思う事事態が 自分の物差しで考える私自身のエゴなんでしょうね。 子供が分かってくれないのも きっと自分のせいなんでしょうね。 さてさて 書くのも虚しい事件は続きました。 ・・・ ふぅ~。本当に悲しいです。 |
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| * | 学校から一度呼び戻した私は、子供がダラダラと部屋の掃除をしていたのを 無視して様子をそっと伺い、時間も給食の前となったので もう一度、学校に行くように言いました。 体操服のまま、カバンももたずに帰ってきましたからね。 4時間目の楽しみにしていた水泳の授業を受けれなくなっただけで この事の重大さを分からせるのは十分だろうと。 息子は家にいても重い空気だし 食事を捨てたとなると昼ごはんも頼みにくいだろうと 私なりに息子に気配りをしたつもりでした。 ここが・・・・息子のことを理解していなかった私と 親の気持ちを分からない子供の考えの違いで 大きな大事件となったのです。 普段、3時半にはどんなに遅くでも帰ってくる息子が 40分になっても帰ってこない。 ましてや、あんなことがあったから、まさかまさか 寄り道はしないでしょ。 学校で残されたのだろうか?それとも帰りにくいのだろうかと 学校に電話しました。 【事件発生】 息子は学校に行っていませんでした。 先生の話では、私が呼び戻した一時間目の途中依頼 学校には姿を見せていないということ。 着替えもカバンもそのまま置いてあるということ。 この時点で、学校にも行きづらくなり 家にも帰れなくなった息子が出来上がったわけです。 小学生の事件の多い世の中です。 朝ご飯も捨てて食べず、給食も食べていない息子は きっとお腹もすいおているだろうし いろいろと心配になり、娘と一緒に自転車に乗って あちこちと、探しました。 学校の先生も子供たちの遊ぶ場所を何箇所か回ってくれるとのことで 探し始めました。 夜も暗くなり、怖がりの息子は絶対に外にはいられないはずと 建物の明るいところも何度も探して 娘も疲れてしまい、いったん家に帰ったのが7時。 それでもまったく帰ってきませんでした。 いつもなら、どんなに怒られてもお腹が空くと 「ごめんなさい。何か食べさせてください」と帰ってくるのに そんな時間はとっくに過ぎてとうとう、私が会社に行かなければいけない 時間になりました。 11時半。会社も休めず、息子も心配で警察に捜索願を出しました。 いったん、会社の駐車場まで行きましたが どうにもこうにも心配で、駐車場で仮病を使い、お腹がいたくなったことにして 引きかえらせてもらいました。 1時半、警察の人と共に寝ぼけ顔の息子が帰ってきました。 「ごめんなさい。学校の飼育小屋に隠れててそのまま寝てしまって・・・」 これが帰れなくなった理由でした。 寝て目が覚めたら外は真っ暗で、飼育小屋から出ることも怖くなり どうしたものかとじっとそのままで トイレに行きたくなって、飼育小屋から出たところを警察に保護されたのです。 警察の人に聞かれました。 「お子さんは自閉症ですか?」 私は答えました「いいえ」 人は子供の行動をこういう風に思うんですよね。 ADHDかもしれない。検査しようと思う私の気持ちは 決して自分の育て方のせいを子供のせいにしようとしているわけではないって 自分で自分に納得しました。 そりゃ、違うかもしれない。 とっても複雑な環境で育てた息子ですからね。 未婚で産んで、二人でずっと暮らしてきて 息子をとても可愛がってくれる旦那と結婚しましたが 息子は私をつなぎとめるための道具。 物を買い与え、一緒に遊び 息子にとってはいいパパだったのかもしれない。 でも、 仕事には行かず、パチンコ三昧で負けると帰ってきてから奴当たりに 私を殴り続け そんなのを見てきましたからね~。 大人ってものを信じること、尊敬すること、敬うことを 教えられなかったかもしれません。 だから、こんな行動を平気でとるような子になっているのかもしれない。 でも、万が一、ADHDという病気だったら、違う対応をしてあげなければいけない。 どちらにしても 子供をちゃんと理解してあげることが 分かってもらおうと思うより先でしょうね。 息子をすぐにお風呂に入れ、食事の用意だけして 私は大はば遅刻になりましたが会社に行きました。 会社では散々、お局さまたちにイヤミや意地悪されましたけどね こんな風に働いて、どんな状況でも会社に行って そうやって食っていくんだ!ってところも 背中を見せなきゃね。 仕事に行った私をどう思ったんだろう。 そう思いながら、これはまた、自己満足かもしれないと思いながら 親って こうやって何度も悩んで迷って 子育てしていくんですよね。 私は迷いながら、探しながら それでも前を見て子供と接して行きますよ。 これが愛情だからね。 |
息子とすれ違っていった1週間 2006年10月19日 コメント(62)
記憶を辿って記録を残す 2006年09月12日 コメント(3)
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