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「日本一の準備をした」と自負した仙台育英は、なぜ県 4 回戦で敗れたのか? 須江監督「バッドエンドかどうかは分かりませんよ」
7 月下旬の練習試合、 5 回終了後のグラウンド整備時にはセンバツ甲子園の大会歌『今ありて』が流れる。
宮城大会 4 回戦で仙台商に敗れ、早すぎる夏の終わりを迎えた仙台育英では、すでに新チームが始動し、次の目標に向けて動き始めていた。
それでも監督就任 4 年目の須江航からは敗戦の悔しさは未だ消えていないようだ。それどころか日々、その悔しさは増している。
「毎晩寝る前に涙が出てしまうくらい今も悔しい。集大成として位置づけて、日本一を目指していたチームを甲子園にすら行かせてあげられなかったんですから」
今年の 3 年生は、須江が仙台育英の系列校である秀光中学の監督として指導していた選手が 10 人も在籍する。高校に異動して 4 年目となる今春のセンバツでは、彼らと 8 強入りを果たした。今夏はかねてからスローガンに掲げる『日本一からの招待』の通り、全国制覇にふさわしいチーム作りを洗練させていた。
自信を持っていたチームの成熟
たとえば、 1 年生から 3 年生の全 90 選手の能力を細かく項目分けして数値化し、それによりレギュラーやベンチ入り選手を決めるシステムが定着。全部員がいかにチャンスを掴むかを考え、切磋琢磨してきた。夏の県大会のベンチを外れた選手も「甲子園ではベンチに入る!」と、ひたむきに練習に取り組み続けた。
そんなチームをまとめ上げる主将の島貫丞も秀光中時代から知る 1 人。須江はこのキャプテンに全幅の信頼を置く。
「日本一になってから言えよって話なんですが」と前置きしながらも、選手たちとともに揺るぎない自信と成果を積み上げてきた手応えがあった。だからこそ、悔しさの滲む言葉は決して負け犬の遠吠えではない。
「子どもたちの自信と成熟具合は、少なくとも僕が監督をしてきた 4 年間でも一番でした。そして、いち野球ファンとして高校野球を長年観てきた人間としても、ここまで地に足をつけて、一つひとつのプレーが整理されていて、野球の本質に向き合ってきたチームは、高校野球の歴史上、僕はないと思うんです」
準備に不足はなかったか。須江は、この 1 年間、 1 カ月前、前々日、前日の取り組みをすべて紙に書き出してみた。それを見ても油断や隙は見当たらない。
県大会初戦から決勝戦までの先発投手のローテーションも決め、仙台商戦に照準を合わせて、そこからコンディションが上がっていくように調整していた。相手の分析も十分にだった。仙台商が右打者 8 人ということで、対右打者の被打率が低い伊藤樹を先発にし、状態の良い吉野蓮は三塁手として出場させてリリーフ待機。仙台商の継投を予測し、早いイニングから登板してくるサイドスロー右腕を想定した打線を組んだ。実際、その投手は 5 回から登板している。
しかし、試合は思い通りに進まなかった。
試合は、相手の粘り強い打撃に加え、先発した伊藤の制球が定まらなかったことで、 3 回に押し出し四球とタイムリーで 2 点を失う。 5 回にも併殺崩れでピンチを招き、吉野に交代。捕手も小野天之介から木村航大に代え、 3 点目を防ぎにいった。だが、レフト前安打の後の三塁への返球が大きく逸れてしまい 3 点目が相手に入った。
「バックアップ、カバーリングが甘くて失点を許したことなんて 3 年間で一度もなかったのに、それがこの場面で出てしまいました」と、須江は結果的には命取りとなった失点を悔やんだ。
それでも試合中の選手たちを頼もしく感じていた。
「こんなにも上手くいかないプレーが続いて、 3 点のビハインドになっても、選手たちは試合を楽しんでいた。声かけなどを聞いていても、精神論に頼るのではなく、ちゃんと分析できている。“作りたいチームができたな”とさえ思いました。だから僕からも指示していません。島貫たちが“その通りだよ”という声かけや動きをしていましたから」
チームは敗れた。 8 回裏に 2 点こそ返したものの、あと 1 点及ばなかった。
「絶対に負けないと思って僕らはやってきました。相手の分析もしているし、チームとしてやるべきこともやって一抹の不安もありませんでした。だから、足りなかったのは恐怖心だったんです。これを慢心と呼ぶのか、自信と呼ぶのか。結果でしかモノは語れないので、それは慢心だったということですね」
4 回戦敗退という結果を「慢心」と須江は表現した。だが、精神面だけを敗因にするつもりは一切ない。野球面から敗因を徹底的に分析する。
「足りなかったのはフィジカルとスキルです。気持ちが足りなかったとは絶対言いたくない。劣勢な展開で正確に安打を打ったり、守ったりするスキルが足りませんでした。そして仙台商さんは“当たって砕けろ”な野球ではなく、深めに守ったり、どちらかに寄ったりするシフトを敷くなどしっかりと対策をしてきて凄くリスペクトしています。その中でそれを打破するフィジカルが僕らにはありませんでした。もう 1 つ、打球の速さだとか押し込める力が必要でした」
監督としての反省も大きい。
「僕がもっとゲームコントロールをすべきでした。選手たちを信用していたつもりが信頼してしまった。頼ってしまった。輪の中に入って“分かっているとは思うけど、この展開をどう見てる? ”、“やっぱりそうだよね”、“こういう見方もあるよ”、と言ってあげれば良かったんです」
試合前日には必ず伝えている「明日負けて最後になってもいいように心を整理をしてから戦おう」「負けてもグッドルーザーになろう」という話も、今回の試合前には母の通院の付き添いがあってしなかった。だが「僕が言わなくても島貫が同じ話をしているんです」。
須江が言う通り、このチームは成熟していた。
それでも負けた。あらためて勝負の厳しさを痛感する試合だった。
だからこそ、須江はポジティブな言葉を並べる。
「この話の結論から言うと、僕らはきっと強くなります。『絶対』なんてことはないんだと身をもって知ることができましたから。今、 1 、 2 年生が取り組んでいることは、最後の夏前のように研ぎ澄まされ、“こうやって戦おう”というのが明確になっています」
大会後、 3 年生たちは後輩たちの指導役を務めていた。取材日の練習試合でも小まめにアドバイスを送る姿はあちこちで見かけた。夢破れた 3 年生にとっても、この敗戦は成長の大きな糧になると須江は信じている。
「到達しようとしていた未来とは全然違う場所に来ちゃいました。ただバッドエンドかどうかは分かりませんよ」
ニヤッと笑った。須江の目線の先には、 3 年生たちが後輩の居残り練習でノックを打っている。仙台育英の野球部に「引退」という言葉はない。卒業後に野球を続ける選手の進路は全員決まっており、一度帰省はするものの、新学期が始まれば次のステージに向けて練習に励む日々が始まる。
「上手くいかなかったプレーに対する改善策について、“教育”を混ぜたら言い訳になって競技者としての成長につながらない」。須江はそう考えているからこそ、仙台商戦で敗戦投手となった伊藤に「頑張ったねというのは現役引退する時に言うよ。なぜ 17 日に合わせろと言われて、これくらいのパフォーマンスしか出せなかったのか」と配球やコンディショニングなど“野球”の中での改善点を細かく 1 つずつ伝えたという。
選手の能力を数値化し、「日本一の競争」と誇れるシステムを作って成長を促した。結果を出すために最大限の努力をしてきた。だから、仙台育英に残る者たち、仙台育英から巣立つ者たちには大きな伸びしろがある。そう思える誇りや自信は、きっと慢心ではないだろう。
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