最近の関心事・思う事
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
最近チェッカーズのことで頭がいっぱいになってきて苦しいので文章に残すことで気持ちを軽くすることにした。何で最近チェッカーズにハマったのかというと、全くの偶然だ。ここ数年は実生活では資産形成のことばかり考えていた。でも最近は投資は不調傾向(少なくとも自分は)。YOUTUBE(ユーチューブ)も資産形成・投資関連・ポイ活動画ばかり見ていたが自分の投資成績が不調のため最近はあまり観ていなかった。少し前は国内の失踪者関連の動画を見ていた。「何故この国は最近もこんなに失踪者が多い上に、全く発見されないのか?このままだと死ぬまで見つかる気がしない」と思っていた。そして季節が暑くなってくると、YOUTUBEで「日航ジャンボ機墜落事故(123便)」関連の動画をよく見ていた。事故当時、ニュースでアナウンサーが「レーダーから機影が消えました」と言っていたり、乗客名簿がカタカナで読み上げられるのを見て、ひどく恐怖に感じたのを覚えている。事故が事故なだけに鬱々とした気分になった。「1985年はこんなに恐ろしい年だったのか?」と。動画を漁る中で、関連動画として「THE CHECKERS CHRONICLE 1985 I Typhoon' TOUR」が上がっていた。このツアー動画は「あの娘とスキャンダル」を聞くため時々見ていたが、この西武球場でのコンサート最中に近くを墜落前の日航機が通ったのでは?という検証動画だった。4人いた生存者の内の一人がチェッカーズのファンということで、メンバーからお見舞いでサインを貰ったというのを当時何かの雑誌で見たことを、初期チェッカーズに関する遠い記憶として思い出しながら、チェッカーズと墜落事故の関連した部分について思いを馳せた。あのコンサートは日航機が墜落した日に行われたのか、御巣鷹山に墜落したのはコンサートの真っ最中の時なのかと。で、「本当に1985年は恐ろしい年だったのか?あの事故は恐ろしかったが、楽しいことも沢山あった時代なのではないか?」という思いから1985年の全盛期と、ブレイクした1984年のチェッカーズ歌番組動画を捜して見始めた。チェッカーズがブレイクした1984年~1985年当時、私は小学校1~2年生だった(デビューは1983年)。年少だったので熱狂的なファンではなかったが、有名な曲(涙のリクエスト、ギザギザハートの子守歌、ジュリアに傷心、星屑のステージ)やメンバーの名前位は知っていた。この時代に生まれていて、当時の記憶がある人なら年少から中年までほぼ誰でもこの位は知っていた。その位認知されていたグループだ(それだけ歌番組に出ていた)。リードボーカルの藤井フミヤ(ここ最近ハマってから知ったが、当時の表記は「 藤井 郁弥 」)は知ってて当然として(この人を知らない=チェッカーズを知らないとなる)、サイドボーカルの2人(モクとマサハル)、個性的な髪形&名前でドラムのクロベエ位は誰でも知っていた。あと、フミヤの弟もチェッカーズでサックス(当時この楽器名を知っていたかは不明。「ラッパ」と思っていたかも)を吹いているということも皆知っていた(名前を最近まで忘れていた。兄よりも背が高くて、見た目はあまり似ていないと当時思っていた。割とカッコいい)。で、最近ハマるまでは残り2人の名前(ベースのユウジとギターのトオル)を完全に忘れていた。でもチェッカーズが7人なのは今でも覚えていたし、ブレイク当時は7人全員の名前をファンでない小学生でも空で言えた。トオルがリーダーだったんだ。今思うとトオルはリーダーとして適任だと思う。性格も冷静で安定しているし、経営者としての視点も持っている。高校卒業後、楽器のセールスマンとして社会人経験があることも大きいと思う。こういう人間的にバランスの取れた人がリーダーだったから、チェッカーズは活動していた約10年の間、人気が大きく低迷したりバッシングされることが無かった。休みなく働かされている状態&自作の曲を出せないイライラがブレイク当時、メンバー全員にあったらしいが、テレビ出演の際の受け答えにそれを出さず、世渡りうまく対応出来ていたのは恐らく経営者視点を持つトオルの功績が大きかったのではないかと思う。当時の映像を見ると、トオルはリーダーだけあって存在感あるし、常にその場に適した受け答えをしている。そして一緒にチェッカーズを結成したフミヤとは仲が良かったのだと思った。フミヤも高校卒業後、1年位国鉄勤務の社会人経験がある&デビュー時の年齢が21歳で当時のアイドルとしては年長だったせいか常識がある方だと思う。歌う前のトーク場面を今見ると、時々若さが見え隠れするも受け答えは割ときちんとしていた。デビュー前の社会人経験は大事だと思った。あとチェッカーズの結成に携わっただけあって、どう振舞えばチェッカーズの人気を維持出来るか、そして今後、移り変わりの激しい芸能界で自身の目標を達成するにはどうしたらいいのか?を常に意識していたと思う。トオルほどのリーダーシップは無かったかもしれないけど、長男&年長組ということもあり責任感が強いのだと思った。チェッカーズ以外の男性アイドルに対しても常に友好的な態度なのも年長&責任感からくるのだろう。ベースのユウジとサイドボーカルのマサハルはチェッカーズがブレイクしたため大学を中退したらしい(ウィキ参照)。大学に入れるくらいの能力を有していたから、チェッカーズ解散後も細々とでも食べていくのに困らない活動が出来ているのだと思う。他のメンバーとあまり衝突しないのもある程度学があって落ち着いているからなのだろう。ナオユキ(フミヤの弟)とクロベエとマサハルはメンバーの中で一番年下だから(※マサハルは他の2人より1コ上だが、フミヤたちより1コ下)、年上メンバーよりも一歩下がって(遠慮して)いることが多く衝突もしない。年上メンバーから何か言われれば場を盛り上げることもあった(動画を見る限りで感じたこと)。ここ最近、気が付けば「チェッカーズチェッカーズ、フミヤ」でいっぱいになった。チェッカーズや藤井フミヤがゲスト出演したトーク動画も見たりして、会場の大歓声のシャワーを浴びる全盛期のチェッカーズを見て、当時の音楽番組の熱気を感じて、私自身その熱気に酔ってしまった。チェッカーズに関して、小学〇年生辺りの雑誌に「涙のリクエスト」「ギザギザハートの子守歌」「ジュリアに傷心」の歌詞が載っていたと思う。この時代に買ってもらえた雑誌というと小学〇年生位だから多分そうだと思う。初めて見た小学〇年生が記憶に間違いがなければ「わらべ」の二人が表紙のものだった。それ以後「わらべ」は衰退の一途をたどったのか目にすることは無かった。漫画は上原きみこのバレエ漫画(まりちゃんシリーズ)を見ていた。少年隊やシブがき隊のブロマイドとかシールとかついていた。↓以下、よく知られている曲を聴いて感じたことと、その曲のおすすめ動画のリンクも貼っておきます↓ギザギザハートの子守歌「ちっちゃな頃から悪ガキで15で不良と呼ばれたよ~♪あーわかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか ララバイララバイおやすみよ ギザギザハートの子守歌~♪」https://www.youtube.com/watch?v=VC1bHHHil48&ab_channel=boobooboo上記動画のフミヤの古着ファッションが好き。今でも古くない。何故この場所から中継したのか謎だが。https://www.youtube.com/watch?v=WZN1Dq95wGo&ab_channel=20121313zプロモーションビデオ?https://www.youtube.com/watch?v=rgqPmSsS12g&ab_channel=FukuraYuza超初期のおはようスタジオの動画https://www.bilibili.com/video/BV14K4y177RE/?spm_id_from=333.337.search-card.all.click新宿住友ビルの広場でやっていた「おはようスタジオ」のイベントに参加する、売れる前のチェッカーズ。ギザギザハートの子守歌は曲のはいりの感じが好き。尚之のサックスも効いている。涙のリクエスト「トランジスタのヴォリューム上げて初めて二人~♪踊った曲さ サヨナラなんて 冷たすぎるねヒドイ仕打ちさ~♪オレの送った銀のロケット~♪今では違う誰かの写真~♪もしもあいつにふられた時は同じ歌を ダイヤルしろよ~♪夜中の街を おまえをむかえに駆けて行くから~♪涙のリクエスト~♪」チェッカーズと言えば、この曲。チェッカーズを最初に知った曲。ラジオで聞くと心に染みる。曲のはいりのクロベエのドラムがいい。https://www.bilibili.com/video/BV1ny4y1B7NM/?spm_id_from=333.337.search-card.all.clickレコーディング合宿中のベストテン中継 7週連続第1位https://www.bilibili.com/video/BV1gt4y1i7R4/?spm_id_from=333.337.search-card.all.clickファンと一緒に、ベストテン6週連続第1位をお祝いhttps://www.bilibili.com/video/BV16b4y1W7EX/?spm_id_from=333.337.search-card.all.click5週連続第1位。ゴジラがお祝いに。ゴジラ演出の中で歌う「涙のリクエスト」https://www.bilibili.com/video/BV19M411P7em/?spm_id_from=333.337.search-card.all.click4週連続第1位。ファンへ感謝を伝えるため、スタジオからTBSラジオへ移動し、ベストテン生中継https://www.youtube.com/watch?v=wAx2l4AKnzE&ab_channel=bennySalcedo涙のリクエスト ベストテン初の第1位 フミヤとマサハルの出身高校からの中継https://www.bilibili.com/video/BV1zZ4y1w7Dg/?spm_id_from=333.337.search-card.all.click「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」「ギザギザハートの子守歌」3曲同時ベストテン入り。チェッカーズ全盛期。チェッカーズの髪形・ファッションを真似する原宿の若者映像や、にぎやかなセットと演出の中で歌うチェッカーズ。ハワイに行ったり、クロベエの誕生祝演出の中で歌うチェッカーズなど。https://www.bilibili.com/video/BV1tR4y1V71u/?spm_id_from=333.337.search-card.all.click上の動画を見て思ったんだけど、フミヤはデビュー前から現在の奥さんと交際していて、遠距離恋愛やすれ違いの生活していただろうから、その様子をイメージしたフミヤのプロモーションビデオを涙のリクエストで作ったら良かったのに。フミヤが公衆電話をかけるシーンを見て思い浮かんだ。久留米にいた頃はトランジスタ・ラジオのヴォリュームを上げて恋人と踊っていたかもしれないし、銀のロケットを恋人に送ったかもしれない。そういう雰囲気のプロモーションビデオを見てみたいと思った。https://www.youtube.com/watch?v=algPYi-yvIk&ab_channel=%E6%98%A5%E9%87%8E%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89短めのプロモーションビデオ。どうやら、神宮の絵画館といちょう並木、代々木公園付近で撮影したらしいが、チェッカーズが海外製レトロバスに乗っているシーンがどこなのかグーグルマップで探してもよく分からない。約40年で道路も周辺の景色も激変してしまったのか?道路の植え込みとか、今と大分違うような気がする。曲の終わりの「最後のリクエスト for you~♪」の所でいちょう並木の中をジャンプしながら駆け抜ける若い頃のフミヤとメンバーたちの姿にしんみりきた。哀しくてジェラシー「濡れた髪を ah han han ふいてやるさ ah han han 虚しさを消してくれ Jealousy~♪男と女で見る夢は いつでも裏切り背中合わせ~♪男と女はすれ違い 初めて本気で愛したのに 男と女は哀しいね 二つの淋しさ重ねたらWow Wow Jealousy~♪」子供の頃、聴いた記憶が無い。この曲もかなり売れたらしいのに。ずっと昔、歌の大辞典という番組で初めて聴いたと思うけど、フルコーラスで見せてくれないとこの曲の良さは分からないでしょう。https://www.bilibili.com/video/BV1qa4118761/?spm_id_from=333.337.search-card.all.clickフミヤが神輿の上に乗っかって「哀しくてジェラシー」を歌う、ベストテン映像https://www.tiktok.com/@90s_238/video/7121745618858462466水族館から生中継で「哀しくてジェラシー」を歌うhttps://www.bilibili.com/video/BV19t41167H6/?spm_id_from=333.337.search-card.all.clickシャンプーハットの青い衣装で歌う「哀しくてジェラシー」。前髪を断髪。https://www.youtube.com/watch?v=zYoYmeRcPJY洋楽を歌うフミヤ。フミヤの甘い声は洋楽によく合う。動画には西城秀樹も・・「哀しくてジェラシー」は振り付けと歌詞を意識して見るとドキドキする。「男と」で男を現す親指を出して、「女は」で女を現す小指を出して、「すれ違い」の所で両手をクロスさせる。「二つの淋しさ重ねたら」の所は、広げた左右の腕はそれぞれ男性と女性を表現、「二つの淋しさ重ねたら」と歌いながら広げた腕を中央に持ってきて両手を組む・・男女の意味を表現してるね。動画のバージョンによって、左右の手を組むパターンと、左右の指をくっつけるパターンがあるようだ。星屑のステージ「流星が綺麗だね お前流した涙のようさ 口笛で答えなよ あの頃のように~♪星空で手をたたく お前の拍手だけ聴こえない 想い出は夏のまま 時をとめたね~♪」「うちの子にかぎって」というドラマの主題歌で、ヒットしたらしいし、チェッカーズが歌っていることは昔から知っていたけど、元々ゆっくりした曲調の歌はあまり聞かないので、そこまで好きではないが、上記に書いた歌詞の部分のメロディは好き。こうしてみると、本当にチェッカーズは社会現象になってたんだね。ちょっとドラマも見てみたい気がする。ジュリアに傷心(ハートブレイク)「キャンドル~♪ライトが~ガラスのピアスに弾けてにじむ~♪」確かにこの曲もかなり有名だけど、チェッカーズ最大のヒット曲だったんだ。少しだけ意外。ずっと涙のリクエストが最大のヒット曲だと思っていた。冒頭の尚之のサックスで曲が盛り上がっていく感じがいい。この歌のメイン衣装は青のチェックで、チェッカーズの特徴であるチェックの衣装は実質これが最後だったようだ。しかし「昔」も今もチェッカーズの曲で一番好きなのは・・あの娘とスキャンダル「危険な恋をウォウ ウォウ ウォ しちゃいけないぜスキャンダル~♪愛さずにいられない たとえ禁じられても あきらめができれば お前苦しめないね 悪いのは俺の方さ この愛・・切ないスキャンダル~♪夜汽車の窓にウォウ ウォウ ウォ 指で書いたねI love you~♪ガラス窓叩いて 名前さけんでいるよ 悲しいね俺たち サヨナラが最後の優しさになるなんて この愛・・切ないスキャンダル~♪」https://www.youtube.com/watch?v=QzuKC24ul24&t=1113s&ab_channel=SunChainBoy1985夕焼けニャンニャンでチェッカーズがゲスト出演した回。歌は無いけどフミヤがカッコいい。https://www.bilibili.com/video/BV1yb411m79Z/?spm_id_from=333.337.search-card.all.click「あの娘とスキャンダル」がリリースされた頃の全盛期のチェッカーズ。https://www.youtube.com/watch?v=TtRqImT9n-U&ab_channel=20121313zこの映像のフミヤの髪形と衣装が好き。この時期までは良かったんだけど・・「昔」も今も「あの娘とスキャンダル」が一番好きと書いたが、「昔」がいつを指しているのか明確でない。少なくとも1992年以降は間違いなく「あの娘とスキャンダル」が一番好きだった。いつからこの曲が好きだったのだろう?思い出してみた。1992年というと中学三年生の時。今の私では考えられないが、子供の頃~20代までは季節の中で気分が盛り上がる夏が一番好きだった。しかしこの頃は夏!な名曲の「シーズン・イン・ザ・サン」を歌うTUBEが好き以外には音楽には特別関心を持っていたわけではなかった。(良い曲とタイアップしたCMを見るのは好きだったが)「アニメ」にドハマりした高校時代よりも前なので記憶している出来事も少ない。中学生なので、雑誌「りぼん」を自分で買うのは卒業していたけど、妹が買ったものをぶんどって読んでいた。水沢めぐみの作品が好きという関係で、この頃は水沢めぐみ作品を後追いしてりぼんマスコットコミックスを買っていた。雑誌「りぼん」の購読を始めたのが1988年4月号~なので、1985年8月号から連載開始した「ポニーテール白書」を現役で読んでいなかったことを後悔していた時期でもあった。水沢めぐみ作品を現役で読み始めたのは「空色のメロディ」からなので。(1992年にこういう後悔の念を抱いているから、翌年以降、「美少女戦士セーラームーン」のテレビ放送を現役でほとんど見ていなかったことと「幽遊白書」の暗黒武術会編をジャンプで読んでいなかったことを猛烈に後悔することになるのだが・・)で、ポニーテール白書が連載されていた1985年という年に思いを馳せることも多かった(中3で「思いを馳せる」とか「懐かしむ」とか、我ながら大分頭が沸いている)。そして当時は全く記憶にないが、1992年というとチェッカーズが解散した年。多分、解散に向けて過去のヒット曲がガンガンテレビに流れていたのではないかと予想する。そこで1985年のヒット曲である「あの娘とスキャンダル」が目に留まったのではないかと。1985年に思いを巡らせていたくらいだからその年のヒット曲は他の年の曲よりも目に留まっていたはず。「あの娘とスキャンダル」は1985年の空気をふんだんに含んだ曲調と歌詞。「ポニーテール白書」の時代に思いを巡らせやすい。でもこの曲を認識したのは1992年だったか?少なくとも1985年放送開始の夕焼けニャンニャンはよく見ていたし、近所の子供たちと「おぴょんこクラブ」なんてものを作って、紙の人形?だったか、自分たちが「ゴッコ遊び」で演じていたのかはよく覚えていないが、おニャン子クラブの真似事をしておニャン子やメンバーのソロ曲をよく歌っていた。「セーラー服を脱がさないで」「うしろゆびさされ組」「バナナの涙」「渚の『・・・・・』」といったおニャン子の曲から、「冬のオペラグラス」「青いスタスィオン」「バレンタイン・キッス」「瞳に約束」といったメンバーソロ曲も歌っていた。最近知ったが、チェッカーズの「あの娘とスキャンダル」はおニャン子クラブが歌手デビューする前の、初期夕焼けニャンニャンの主題歌だった。この番組を見ていたのであれば、発売当時から既にこの曲を見知っていたのではないか?とも考えられる。結局「あの娘とスキャンダル」をいつから知っていて、いつから好きだったのか分からなかった。1985年に思いを馳せてみる・・チェッカーズ(フミヤ)の遠い記憶については・・「男が髪を縛っている?」「男がピアス?」「(多分)男がスカート?」とテレビを見ながら家族で言っていた気がする。今見ると斬新で好きだが、当時の価値観だと変に見えたのだろう。「最近チェックの服を着なくなったな」とも思っていた。でも少なくとも「あの娘とスキャンダル」の頃まではチェッカーズが好きだったと思う。当時のフミヤはサラサラヘアーをしていたと記憶している。それから少ししてフミヤがパーマをかけたが、これが子供心に理解出来なかった。で、その後は小学生向けの雑誌であまりチェッカーズを眼にしなくなった気がする(これは単に私が見向きしなくなって目に入らなかっただけかもしれないが)。最近知ったが、チェッカーズもファンの低年齢化を懸念していた時期であり、今後の自分たちの方向性を模索していた転換期であったようだ。だから子供向け雑誌への露出も実際に減っていたのではないかと思う。思うが、今は1年前程度だと(下手したら3年位は)流行もそんなに変わらないし、つい最近という感覚がある。しかしこの当時(1984年~1985年)の1年はものすごく変化が大きく激しかったのだとチェッカーズの動画を見て感じた。何というか、1985年のクリスマス時期のチェッカーズ(パーマをかけたフミヤ)はもはや涙のリクエストを歌っていた頃とは別物。それどころか、1985年夏頃までのチェッカーズ(あの娘とスキャンダルを歌っていた頃まで)とも完全に切り離されている気がする。1985年秋~冬にかけて、今までのチェッカーズと世界線を変えてしまったように思う。フミヤの流行のアンテナが敏感すぎるのかもしれないし、実際、1984年と1985年では髪形と服装の流行も大きく変わったのかもしれない。何か1985年てバブル前夜の空気感満載だし。(四捨五入すると1984年は1980年、1985年は1990年。昭和50年代と昭和60年代。こう書くと84年までと85年以降では余計に違って感じる。)しかしそれにしたって同じ1985年なのに、前半と後半でこうも風貌が変わるものなのか・・パーマをかけたフミヤを見ると、「あの娘とスキャンダル」の頃が何年も昔の出来事のように感じる。その位面影が無い・・「面影が無い」はさすがに大げさか?パーマをかけていても、フミヤの顔だけ見れば、涙のリクエストやジュリアに傷心の頃と変わっていないとは思った。しかしパーマのフミヤが、キラキラ爽やかでポップなアイドルソング「あの娘とスキャンダル」を歌うのを見て、遠い過去の作品になってしまったのだと寂しく感じた。(「あの娘とスキャンダル」を売り出し中の頃は、フミヤが歌の中でちょくちょく”ウォウ!”と叫んでいたが、パーマのフミヤは叫ばない・・)今1985年のチェッカーズ動画を見ても上記のように感じるくらいなので、当時は尚更チェッカーズはどこいった?どこへ消えた?という感じで忘れていった。それからかなりたった頃、「I Love you, SAYONARA」を聞いて、「今は自分たちで曲を作っているんだ、今でも曲が売れているんだ」と思った。その後もチェッカーズ自作の曲で「ONENIGHT GIGOLO」は覚えているし、「ミセス マーメイド」も何となく記憶している。「ミセス マーメイド」は曲調が1991年の流行をモロに反映していると思う。この頃は「涙のリクエスト」を歌っていたバンドとは完全に別物だ。「涙のリクエスト」は歌詞からして1983年~1984年の世界観だし。何度も言うようだが、この2曲は本当に同じバンドが歌っていたのかな?と思える。1985年のパーマはファンを減らすハイリスクを犯したと思うが、今思えば、パーマにしたといってもたかが次の曲までの数か月程度の話であり、今の価値観で言えば、「失敗せずして成功なし」だ。色々模索し、時代の変化に合わせてきたことでチェッカーズは解散まで人気を保った。デビュー当時からフミヤはちょくちょく髪型を変えている。有名な チェッカーズカット 別名 フミヤカット (ギザギザハートの子守歌~哀しくてジェラシー途中)、前髪の長い一房を切ってからは髪の上半分をハードワックスで立ち上げたような髪形(哀しくてジェラシー途中~ジュリアに傷心)、サイドを刈り上げて後ろに髪を縛る(あの娘とスキャンダル)、おかっぱもしくは坊ちゃん刈り(俺たちロカビリーナイト)、神様ヘルプ!辺りであのパーマ・その後は86年~87年は何となく”男”を強調したような短髪&メイク(この頃から徐々に男の子風の風貌からシュッと洗練された風貌に)、88年は長めのスパイラル?パーマ、89年はまた87年頃に近い短髪(ちょっとリーゼントに近い?)、90年~91年はナチュラルなすっきり短髪、解散直前はやや長めストレートヘア、その後も短髪やロン毛(一房メッシュ)、リーゼント風、パーマなど・・髪型の流行は一巡するので、これだけ髪型を変えていれば髪型の流行が変化しても、どこかの時代の藤井フミヤの髪型と合ってくる。だからどの人が見ても自分の好みの髪型をしている藤井フミヤにぶつかる。最近の男子学生の髪型を見ると、1985年頃のフミヤの髪型に似ていると感じる。初期のチェックの衣装やキャッチーな曲が好きではあるが、時代は確実に変化する。デビュー当時の衣装と髪型がチェッカーズらしくて人気だからといってずっと変わらないでいたら、時代の変化に乗れずチェッカーズはもっと早くに解散していたかもしれない。カメレオンのようにその時々の流行をうまく汲み取って、時代に合わせてチェッカーズを変化させていったから1992年まで人気バンド(アイドル)でいられた。歌番組(ベストテンなど)の視聴率が低下した80年代末期は高視聴率番組「とんねるずのみなさんのおかげです」に準レギュラーで出演したことも時代の流れに乗ることに成功した要因だと思う。視聴率の高い番組への露出が多ければチェッカーズや曲が大きく認知されるからね。とんねるずとのコントは巨人の星の花形フミヤが似合っていたし、巨人の星のコント自体も面白かった。90年代迄は夕方に再放送もしていたような・・個人的には最近知ったけど、中学校が舞台で、ノリ男と不良(チェッカーズ)のコントが、内容も面白いし、不良フミヤがリアリティがあって、カッコ良くて好きだった。弟・尚之と共に不良スタイルが様になっていた。「いじめを助長~」という声も言いたいことは分かる。私も中高生の時はいじめられた経験があるので。でもチェッカーズのコントは似合っているからいいのではと思う。YOUTUBEで「とんねるず チェッカーズ」で検索すると見られる。チェッカーズやフミヤのことを書いていると「チェッカーズの全盛期は私は幼少すぎた。もっと色々理解できる年齢であってほしかった。そうすればデビュー前後からチェッカーズの動向を追ったり、当時の芸能界や流行をもっと語ることが出来た」と感じてしまうが、実際は大部分の人は厳しい現実に飲まれてしまい、芸能界の動向を思う存分追える人なんてごく一部だったと思う。ファンの中心だった中高生にしたって、比較的校則が自由で、両親も感覚が若いか、音楽に明るく理解ある家庭でないとちょくちょく歌番組の公開録画に行ったり追っかけなんて出来なかっただろう。しかも学校生活が楽しくないと厳しい。友達がいないいじめられっ子だったら芸能人に夢中になる精神的余裕なんて無いはず。田舎に住んでいたら尚更芸能界とは縁が無い生活となる。チェッカーズが全国ツアーをしてるのでない限り、東京近辺に住んでいないと芸能人漬けの生活なんて無理でしょう。運よく首都圏在住であっても、多くの人は高校を出たら就職するか大学・短大に進学するので、仕事や勉強が忙しくて高校までのように歌番組を見て芸能人にうつつを抜かす人は当時はもっと少なかったのでは?と思う。しかも1985年で芸能人にうつつを抜かす45歳独身・非正規雇用・一人暮らしの女がいたら化石扱いされそう。寧ろ現在の方が私のようなスペックの人も堂々としていられるし、YOUTUBEで昔の音楽動画を見ることも出来る。先ほども書いたように、私は中学高校時代にいじめられたことがあったので、他の人よりも学校生活に思い入れは無い。チェッカーズ全盛期の動画を見るとその時代がうらやましく感じる一方で今の時代にありがたみを感じている。だから昔に戻りたいという感覚は無い。女性なんて特に今より人生の選択肢が少なかっただろうし。話は変わるが・・チェッカーズ解散後も「タイムマシーン」という曲は好きだったし、一番近年では「GIRIGIRIナイト」が好きだった。しかし長いこと動く本人を見ることが無かったので、かなり久しぶりに見たフミヤが60歳を超えていることに驚いたし、最近は度の高そうなメガネをかけていて、記憶しているフミヤの顔と大分変わって見えた。「メガネを外した顔をみたい」と思うが、外したくても外せない理由があるんだろうな(詳しい事情は調べていないので分からないが、きっと視力が関係しているのだろう)。フミヤはおしゃれメガネ以外は外した方がカッコいいとほとんどの人が思っているだろうが。改めて藤井フミヤ、今年61歳。私が小学校低学年のひよっこの時に社会人1年生、18歳の高校3年生の時に33歳。こうして見ると、15歳の年齢差は想像以上に大きく感じてゾッとする。今こそ男性であれば40代になってもアイドルは珍しくないが、当時のアイドルというと10代~せいぜい20歳位の感覚だったので、デビュー初期の頃、フミヤの年齢(21歳~23歳)を聞いて意外に年がいっていると思ったものだ。更に話は変わるが・・今年の残りと来年にかけてはやりたかった事を有言実行していきたい。チェッカーズ、フミヤ、フミヤといいながら、藤井フミヤのコンサートに行ったことが無いのは説得力がないし、実際に本人や本人の声を聴いてみたくなった。思い立ったが吉日で、早速10月のコンサートのチケットを取った。いつも「投資で利益が出たら、好きなことに使う」と思っていたけど、投資が順調になるまで待っていたら行けずじまいになる可能性もある。40周年がキリがいいのと、藤井フミヤが還暦過ぎている点で、このツアーが終わったらしばらくコンサートが無いかも分からないし、突然「引退する」と言い出したり、体の不調でツアーが出来なくなる可能性だってある。あまりうかうかしていられない気がした。気になる人が現役の内に生の本人を見てみたい。実際どんな感じの人なんだろう?気になる。チェッカーズ時代のゲスト動画や、歌う前のインタビュー動画を見てみたが、その頃と変わっているのか、根本的な考えは変わらないのか。デビュー当時から今日まで何を考えてきたのかなど、コンサートを通じて人柄を知ることが出来たらいいな。私は特定の人物に入れ込むのは好きでない。過去にゾイサイト(セーラームーン)、鴉(幽遊白書)、バトルフランス(バトルフィーバーJ)、アルトワ伯爵(ルイ16世の弟)、フランス(これは永遠に最強の国だと思うけど)とハマってきたが、ハマると、自分の好きなものを悪く言う人間や、障害になりえるものに対して強い拒絶感が出てきて、結局ドハマりすることに疲れてリタイアしてしまう。チェッカーズの動画も、不愉快なコメントを目にして気分が悪くなることがある。しかしせっかくここまで毎日チェッカーズ(フミヤ)の事を考えているのだから、旅行する時までこの気持ちは意味のあるものだと思ってとどめておきたい。チェッカーズにハマる前から、母方のおばあちゃんが暮らしていた長崎や、九州最大の都市・福岡を一人旅したいと思っていたので、それに久留米を追加しようかと思っている。その頃までは「チェッカーズ、フミヤ、フミヤ」と言っていてもいいのではないかと思う。
2023.08.15
コメント(0)