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1つ前のブログで、最近観た映画の個人ランキングと、☆4のレビューを書いた。今回は☆4.5の作品のレビューを書く。まずはランキングのおさらい。
アマデウス>>>ある公爵夫人の生涯>クロムウェル(1970年)>>>マリー・アントワネットの首飾り=仮面の男(1998年)=モリエール 恋こそ喜劇=ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路=君の名は>危険なプロット=危険な関係>ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い=宮廷画家ゴヤは見た>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>花咲ける騎士道
☆5:アマデウス
☆4.5:ある公爵夫人の生涯、クロムウェル(1970年)
☆4:マリー・アントワネットの首飾り 、仮面の男(1998年)、モリエール 恋こそ喜劇 、ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路、君の名は、危険なプロット、危険な関係、ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い、宮廷画家ゴヤは見た
☆3:花咲ける騎士道
・「 ある公爵夫人の生涯 」
個人的に大満足。映画「アマデウス」のすぐ後ろに迫る☆4.5の評価。
映画の宣伝動画も観たことあるし、ヤフー映画レビューも読んだ。
ストーリーを簡単にまとめると・・「故ダイアナ妃の祖先にあたる女性の実話。スペンサー家の一人娘・ジョージアナが、イギリスでも指折りの資産家・デヴォンシャー公爵の元に嫁いだ。幸福を夢見ていたが、公爵は世継ぎを望んでばかりで、夫婦らしい交流も無い。社交的で美しいジョージアナはすぐさま社交界の華になるが、政治や社交行事に無関心な夫とは楽しみを共有することも出来ない。世継ぎの男子に中々恵まれず、結婚前からメイドなどと関係を繰り返していた公爵は、わけあって同居していたジョージアナの友人・エリザベスとも浮気をする。傍から見ると幸福な公爵夫人だったが、女性の価値・地位の低い当時の社会において苦しみもがいていた・・」
映画の宣伝は、やたら当時の女性の地位の低さを強調しており、女性と思われるレビューを見ても、「妻の浮気は許さないのに、自分は妻を顧みず、妻の友人と浮気をし、一緒に同居も我慢しろ、なんて有り得ない!」「当時の女性は世継ぎを産むことが務めで、どんなに頑張っても世継ぎが生まれなければ妻としての務めを果たしていないと見なされるなんて嫌な時代だ」「夫である公爵サイテー。友人のエリザベスも、いくら子供と会うための便宜を図ってもらうためとはいえ、ジョージアナの夫と浮気して同居するなんて信じられない!」「母は強し!ジョージアナが男前だった」等々・・日本の宣伝サイドが期待していた反応をする単純な視聴者が多い。
この映画を3回視聴した。上記の感想も多少はあるが、そんなにデヴォンシャー公爵を悪く感じない。隣国のフランスでは、1789年に革命が勃発し、多くの名門貴族が身の危険を感じて国外亡命を余儀なくされた。そんな当時の不安定な世の中にあって、比較的国内情勢が安定していたイギリスの公爵家に嫁げて、かなり幸福だと思う。暴力夫だったら確かに最悪だが、デヴォンシャー公爵は務めに忠実、社交的ではなく、女性を気遣うのが上手くないだけで、暴力を振るったりはしない。友人・エリザベスの暴力夫や、映画「タイタニック」の暴力夫を考えると、ジョージアナは恵まれている。公爵は若くはないが、顔も(脱いでも)悪くないし、選挙活動や賭け事をしても何も言わない。
「愛の無い結婚生活」とジョージアナも周囲の人も思っていたが、公爵は彼なりに妻を愛していたと思う。
ジョージアナが、「夫とエリザベスの仲を公認するから、自分とグレイ(幼馴染の政治家でジョージアナとは両思い)の仲を認めて」と言った際、公爵としての世間体もあったと思うが、本当にジョージアナを邪魔に感じていたなら、「周囲に気付かれないように」という条件でグレイとの仲を認めていただろう。しかしグレイと決闘すると怒ったり、自分と離婚するなら、グレイが政治活動を出来ないようにし、子供とも会わせないという言動は、「妻を絶対に取られてなるものか」と思っていないと言わないだろう。
なので、公爵は社交的で活動的な若い妻とどう接していいか分からなかったから放置していだだけと思われる。影のあるエリザベスの方が打ち解けやすかったのだろう。
しかし、男の子3人(エリザベスの子供)に銃の操作方法を教えている場面では、世継ぎが生まれないジョージアナがのけ者にされている感じでさすがにあんまりだとは思ったが。
まあ他国の状況や自分と違う立場の人間を見る機会も無いので、恵まれた立場を自覚出来ないのも無理はないか。
映画を観て、公爵の言動に不快感を持った人もいるようだが、私は18世紀のイギリス・上流貴族の生活をしっかり見せてくれて大満足だ。この時代の貴族文化を学ぶ資料としての価値もある。同時代のフランスを舞台にした映画では何故かこういうのが無い。「モリエール 恋こそ喜劇」や「ポンパドゥール夫人」、「マリー・アントワネット」も当時の貴族・ブルジョワの華やかな装飾を見せてくれるが、あくまでもストーリー重視で文化・装飾は脇役。「ある公爵夫人の生涯」は、当時の上流貴族の文化・装飾がメインで、ストーリーが脇役だ。
しかし映画を見ていると、フランスと違うと感じる。まず風景が全然違う。映画の冒頭の、紳士の徒競走を若い娘達が賭けるシーンの風景も、ひたすらだだっ広い草原が広がり山が無い。うまく言えないがイギリスらしい。ジョージアナがグレイとの間に生まれた子供をグレイ家に託すシーンの風景や断崖絶壁の風景も含めてイギリスの地形らしい。断崖絶壁の平地が広がり、山や森が少ないイメージ。
グレイと逢引した公園は森の中にあるようだったが、同じ森でも草木の色が暗く、天気もあまり良くない。
フランスの風景に見える草木はもっと明るく、空も晴れている。そして森の中を抜けると貴族の屋敷があるイメージ。
貴族のファッションの流行はフランスと同じだが、子供の服装が少し違うように感じた。女の子の帽子とか。
そして18世紀を舞台にした映画で、フランスとの大きな違いは、政治家の存在感が強いこと。フランスは三部会の頃までは政治家なんて無いに等しく、あらゆる決定は国王のいる宮殿から発信された。それは「絶対王政」の社会だったから。文化にしても戦争にしても、この時代の映画に国王の存在は欠かせない。ゴシップネタも王族。
ところがイギリスはこの映画を観ても分かる通り、国王が出てこなくてもストーリーが成り立つ。ゴシップ記事も華やかな公爵夫人で彩られる。それは「立憲王政」の社会だから。選挙演説のシーンなんて革命前のフランスではあり得ない。フランスは3部会でも貴族と平民は完全に「分離」されていたが、イギリスは政治家が公爵のような金持ちと積極的に交流を持ち、政党の基盤を強くする。だから「恐怖政治」のようなことはまず起こらない。
話は全く変わるが最後に・・イギリスの貴族は民衆とあまり亀裂を起こしていないんだな。結婚したジョージアナが初めてデヴォンシャー公爵の屋敷に向かう際、公爵領の民衆が手を振って歓迎。デカイ屋敷には多くの従僕と召使い。その生活は王族のようだ。
公爵や夫人が出入りするドアにも従僕がいて、持っている長い棒?を突いて合図することで、向うにいる従僕がドアを開ける。
どの部屋にも従僕が立っているので、ただでさえスキャンダラスな公爵夫人の屋敷においては、従僕はあらゆるプライベートシーンを覗きまくり、聞き耳を立てまくりだな。公爵のだらしない性生活、ジョージアナの屈辱的なシーンでも音が漏れまくりだったけど、聞いてた従僕はどう思っていたのだろう。
ジョージアナが親しくなったエリザベスは、日本人から見るとえらいハッキリと物を言う女性だ。
ジョージアナに男の子が生まれないことや、一番上の女の子(公爵がメイドとの間に作った子供。メイドが亡くなったため、公爵が引き取り、ジョージアナに育てさせる)が似ていないことなど。
イギリス人の間では普通なのだろうか。しかし彼女が悪い人間ではなかったのでこれ以上関係は悪化せず、最終的にはジョージアナは奇妙な三角関係を受け入れ、エリザベスとも仲直りする。
ジョージアナと恋中になった幼馴染で議員のグレイは、後のイギリス首相で、「アールグレイ」という紅茶の名前になった人とのこと。
結果的にはジョージアナと別れて正解だったと思われる。別れなかったら、公爵によって議員として活躍する道を絶たれただろうから。政治活動をしてこそ輝く人物なのだろうし、ジョージアナと結婚しても上手く行かなかった可能性がある。
しかしジョージアナが、久しぶりに会ったグレイの口から婚約したことを聞かされるシーンはさすがに悲しかった。でも、引き取ったジョージアナとの間に生まれた女の子を、彼女の伝言通りの名前を付け、子供(姪ということにしている)が皆から愛されていることを伝えるシーンは良かった。
後述談では、ジョージアナはちょくちょく娘に会いに行き、大人になった娘が、自分の子供を「ジョージアナ」と名付けたとのこと。
・「 クロムウェル(1970年) 」
1970年制作のイギリス映画。17世紀の清教徒革命を題材にしている。
現在、この映画のDVDレンタルは無い。amazonの有料動画で視聴するしかないが、契約しているモバイルWi-Fiの1か月の使用量が5GBを超えると速度が遅くなるので厳しい。これでは繰り返しの視聴が出来ない。
話を戻す。当時のイギリスは「絶対王政」。王家の浪費が問題になっていた。チャールズ1世は戦費を捻出するため、11年ぶりに議会を招集するも上手く行かない。反王党派の議員を逮捕しようとして失敗、王党派と議会派の内戦が勃発する。当初は訓練を受けていない民衆が中心の議会軍は劣勢だったが、クロムウェルによる訓練と作戦により、次第に王党派を窮地に追い込む。ついに国王は捕えられ、国民を裏切った罪で処刑(斬首)される。その後の6年間、クロムウェルは国の運営を議会に任せていたが、議会はすっかり腐敗していた。腐敗した議員を追い払ったクロムウェルは自身の統治を神に誓う所で映画は終わる。
「11年ぶりの議会」とのことだが、この時代からイギリスは政治家が強い権限を持っていたんだな。絶対王政が傾いていた時代とはいえ、国王を悪い方に後押しした伯爵に対して、議会で多数決を取って処刑するだけの権限を持っていた。議会で決定したことに対して、国王も署名を拒否出来ないようだし。
クロムウェルと議会の様子に、勤める会社を重ねて見た人も多いだろう。働く日本人なら思うところがありそうだ。
映画「アマデウス(後日レビュー予定)」もそうだが、親近感がわくシーンがあると引き込まれやすい。
当時の王家による統治には無駄がはびこり、召集された議員もリーダーシップを取れる人物がいなかった。英国の状況に呆れたクロムウェルが立ちあがって指揮を執ることになるが、クロムウェルは今でいうベンチャー企業の社長で、現代的な価値観を持っており、企業のあらゆる無駄を省いて会社を成長させる人物のようだ。
チャールズ一世は、昔ながらの大企業の社長。父から会社を引き継いだが、時代の変化に追いつかず業績は傾いている。
議員は従業員。社長に不満があるも、状況を改善出来るだけの技量と行動力を持った人物がいない。
王党派の劣勢を決定付けた戦いの指揮者が、国王に非難された際、自分の失敗を恥じて殺してくれるよう国王に懇願する姿もどことなく日本人の気質と重なる。
私が見る映画は、ここ最近、特にフランスの歴史映画を中心としたものに偏っているため、17、18世紀を舞台にした映画はフランスが標準になっている。
だからイギリスを舞台にした映画を観ると、フランスとの違いを感じる。王家も議員もバカばっかりだから、腐った国を立て直すには自分が指揮を執るしかないと立ちあがる、クロムウェルのような人物はフランスにはいないタイプだ。
しかしクロムウェルは過激な人物ではない。「国王」は必要だという立場を取っていた。王族の浪費はチャールズ1世の責任ではなく、王妃や貴族など、国王をけしかける人間を問題視した。だから議会が国王を非難しても擁護し、国王をけしかけた貴族を処刑した。しかし国王は議員の言うことに聞く耳を持たず、民衆を裏切る行動に出たため見限られる。
この時代のファッションも、フランスとは違う。フランスの貴族やブルジョワは羽飾りの着いた帽子と、レースの付いた襟、ズボンにブーツといった、典型的な三銃士時代のファッションだ。
イギリスは、チャールズ一世を始めとした王族や、議会でも貴族は上記ファッションをしているが、一般的な議員は地味で黒っぽい服装と帽子を身に付けている(帽子は何ていうんだろうね)。上手く言えないけど、軍服含めてフランスとは違う。
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