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わたしという意識は何のために産まれてきたのだろうか、この茶色の薄いフェルトの布地として。わたしがわたしを感じたのは、座っていた男があわてて地下鉄の列車から降りようとしたときに、男のひざからするりと落ちたときだ。
男は駅に降りて、自分が乗り越したことを後悔し、反対側のホームに向けて歩き始めたときに、初めて通勤かばんと膝の間に敷いていたマフラーがないことに気づいた。先ほど乗っていた地下鉄がその終着駅に行けば、駅員が回収してくれると思った。他人が使用していたマフラーを誰も自分で使おうとは思わないだろう。それほど高価なものでもない。
ただ、列車の床に落ちているマフラーは通勤客に無頓着に踏みつけられてしまうような気がした。同時にもしかすると心ある人が拾いあげて網棚にでも置いてくれるかもしれないと淡い希望も抱いた。
そのとき、マフラーを落とした男にとって重要なことはマフラーではなく、急いでオフィスに行くことだった。誰からも何時までに来いとは言われていなかった。しかし、朝早くいくことが彼にとっては重要なことと信じていた。彼はそんなサラリーマンだった。
わたしという意識はこのマフラーがちょうど男の膝から落ちた瞬間に芽生え、同時にわたしはすぐに消えてしまうという予感があった。おそらく、マフラーがその列車の床にぺしゃんと落ちてしまうまでのおそらく1秒にも満たない時間にわたしは産まれて消えていくのだろう。
マフラーの一端が少しでも列車の床に触れてしまえば、わたしという意識は、ちょうど帯電した静電気が大地でアースされて消失してしまうように、地面に引き釣りこまれて、無限の空間に飲み込まれて霧散しまうのにちがいない。
しかし、それは幸福なことかもしれない。わたしというマフラーが心無い通勤客にぐじゃぐじゃに踏みつけられる惨めなありさまをわたしは感じなくて済むからだ。
マフラーを落とした男は、膝のひどい冷感に苦しんでいた。通勤かばんを膝の上に置いていると、そのかばんが冷たくて仕方なかった。このかばんが膝から男の体熱を急激に奪っているように感じられた。だから、膝の上にマフラーを敷いてその上に通勤かばんを置いて、居眠りをしていたわけだ。
眼を開けるといつも降りる駅に着いていることがわかって、膝の上のかばんを手に持って駅のホームに飛び出した。かばんと膝の間にあったマフラーにまでは注意が回らなくて、落としたことに気づかなかったというわけだ。
脳からの命令に従って、急いで列車から降りようと手足が全力で動いている瞬間、その男の意識は働いていなかった。それは男の体から振り落とされて、たまたま、落下直前のマフラーに取り付いたのかもしれない。
ともあれ、わたしと言う意識は男の膝からずり落ちるや茶色のフェルトの布地に宿り、その物理的な形状を知って、未来を認識したのである。わたしの存在はわずかな自然落下の時間だけであることも理解したのである。
意識は時間に従属しない。30年間のサラリーマンの生活を一瞬の内に想起することもできるだろう。しかし、過去を振りかえって苦痛を繰り返したくなかった。これがさらに延長されていくのも辛かった。 未来が途切れていることにわたしは安堵した。過去にも未来にも煩わされない瞬間を喜んだ。