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よく、感覚を信じる、と言われていますが
要は、自分から学べる、という事だと思うんです。
例えば、私は、早口ですよね。
何かを問われたら、返事が早いかもしれませんし
反応速度は速いほうだと思います。
またたぶんにせっかちな面持ち合わせています。しかし
内面に、非常に静かなところがあり、ここに合わせているほうが
楽だし、成功をしていきます。
そして、同様に、興味があることは、怖くなくて飛び込む冒険性、というのは
高いほうなのですが、このやりたいことをやってしまうと
うまくいく、ということもあります。
つまり、かなり仕事の速度は遅い(!!!) とうことなんですね。
表面では動いているように見えても、
かなりゆっくり進めて、しかし、着実な部分は
頭では私はできないんです。
そしてまた、何かのきっかけは、「焦って作る」のではなくて
「これだ^やるぞぉ」というときに、うまくいっているということなのでしょう。
考えではなくて、こっちのほうだなーというのに従っている
そんな面もあります。
ずっとずっと人生で、私は行動が早いほうなんだ、なんでも
と思っていました。一つ学んで、それが好きなことであれば、
早くに色々できてしまうし、
けれども、本当の自分のリズムや、自分がうまくいく方向を学ぶこととなりました。
さまざま経験をして、なにかうまくいかないときと
うまくいくとき、それらの双方の経験を通して、だと思います。
でもどうでしょうか。もし私が、「早くしないと」
「すぐにしないとおいていかれる」といった信じ込みに操られたら
この表面上の、せっかちな部分を自分だと信じていたでしょう。
そうして、いつもせっかちにしていて、
冒険をしたいと思って成功をしているのも、早くやっているからだ、と誤解をしていた
でしょうし、常に焦っている癖は直っていないかもしれません。
大事な、私の成功の法則、「こういうやりたい気持ちの時には続く続けてしまう」ということが
わからずに無理に頑張ったり、
早くしたらなんでも成功をすると勘違いをしていたかもしれません。
あるいは、どうでしょうか。もし私が、失敗したときにも
何かを学べずにいて、同じ方法を使っていたらどうでしょうか。
「次も同じ方法で、やっぱり焦って
チャンスをのがさずに頑張るんだ」としていたら、
わたしは苦しいまま頑張る、という本来の自分とかけ離れたところで
生きていたでしょうし、
そこには成功はあったかもしれませんが、今のように
自分に納得をした生き方はできていないでしょう。
わたしの中で助けてくれる資質、それはゆったりとしたリズムに
乗っていくことと、また
理由なくちょっと無茶をしたりするのに
成功をしたりする、その力を使うことが適切なのかもしれません。
そういった資質は必ず人には隠れています。
それは幼少期を聞けばわかります。
例えばわたしであれば、高いところから飛び降りつという馬鹿な遊びに
男の子の友達たちと凝ったことがあり。
その凝っているときの感覚は、成功をしているときの感覚と似ています。
さて、変な話なんですが、例えば、ゲームでも、キャラみたいなのが
あるとしたら、
「みんながいいと言われてるし、得点が稼げるもの」と
「でも自分にとっては、扱いやすくて、そちらのほうを
育てたほうがいいもの」みたいなのは、ないのでしょうか?
それと同じだと思うんです。皆さんが、もし、
「だって、自分に合うキャラよりも、一般的に良いと言われているほうが
いいに決まっている」と決めつけていたら、
じっさいにはあうキャラのほうが得点を伸ばせたり
成功をしても、なかなかそれはわからないと
思うんです。
そうしたら、
自分の中の成功法則は探せないかもしれません。
時として人は、一つの良いと思う方法dけを続けようとします。
そこに見直しができる、としたら、見直しをしないとならない、としたら、
起きている出来事がうまくいっているかどうかや、
本当にやりやすい方法なのか、気力が出ればやれるはず、という
幻想で何年も待ってしまうのではなくて、やらないものはやらずにほかの方法で
できないかを考えたりしてもいいでしょうし、
ほかの第三者の意見、あるいは、違う種類の成功をしている方々を参考にしたり、
気持がそれでほっとしている方向なのか、
納得がいく方向なのか、などを見直す時ということも、あるでしょう。
人の中には、まるできれいにおられた生地のように、複雑で
繊細で美しい、縦糸と横糸があります。それらを読み取るためには、
その人自身を深く見つめる必要があるように思います。
そうして初めて、布のおられた各々の価値と、意味が分かります。
そうです、それら一枚一枚が全然違う意味を持っているのですから。
そしてそういった活動は、
人生でも最も美しい感動的な、創作活動なのだと思うのです。