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ホイットニー・ヒューストンの訃報には、なんとも言えない後味の悪さと、「やはり」という諦念が去来した。 ホイットニーの鮮烈なデビューを今でも忘れられない。まだ中高生だった頃だと記憶しているが、その後自分が原稿を書くことになるとも知らず、なけなしの小遣いで購読していた憧れの某音楽誌で、これからの活躍が期待される若手の特集に、ジョニー・ギルらとともにイラストと評が紹介されていた(当時の某誌は、まだ写真が少なかったのだ)。 その後の活躍は周知のところで、それほどコアなファンでなかった私よりも詳しいリスナーが大勢いるはずだが、彼女の才能は、単に「歌姫どまり」でない稀有なものであったことは間違いない。 ポップにクロスオーバーしても転ばなかったのは、先天的な才能と、後天的なプモロモーションが奇跡的に共存できるだけの、圧倒的な歌唱力という土俵があったからに相違ない。 ありきたりなラブストーリーを大ヒットさせ、およそメジャーシーンで聴かれることなどありえないカントリーミュージックの流行歌(ドリー・パートンのヒット曲である)をカバーして、世界中を―ポップに過ぎると否定したがるR&B原理主義者をも―唸らせてみせた。 母にシシー・ヒューストン、従妹にディオンヌ・ワーウィックらが名を連ね、音楽一家という陳腐な表現では物足りない、まさにサラブレッド。彼女は、ディーヴァを超えた「レジェンド」にふさわしい歌手であったはずである。言うなれば、ホイットニーの名付け親であるアレサ・フランクリンや、ホイットニー自身が敬愛してやまないチャカ・カーンのあとを受け継ぐ者だ。まさに正統派、そして王道。 ダイアナ・ロスが、ユニークなカリスマ・スター型の女王ならば、ホイットニーは、正統なるR&Bの女王の座におさまるべき宿命を負っていたはずであったのだ。 そう思えばこそなおのこと、私には、長い低迷期にも、私は鷹揚に接していたように思う。つまりは、悪く言えば名誉職的な肩書きではあるけれど、つまりは「伝説」になるため、誰もが通過する屈伸運動の“屈”の時期だと考えていたのだ。 それほどに、ホイットニーの素質もキャリアも盤石に思えたのだが、本人はもがき、苦しんでいたのだ。光が強いところには、濃い翳が生まれる。 果たして、心寄り添える『ボディガード』が必要だったのは、映画の中のホイットニーではなく、映画の外のホイットニー。本当のホイットニー・ヒューストン。そう思えばこそ、映画で描かれた、栄光の陰でもがく「姉」は、実は現実のホイットニー・ヒューストンのドッペルゲンガーとしてこの悲劇を予告していたのではないかと思えて、なんとも嫌な汗を抑えることができない。(了)
2012/02/16
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白金ダンステリアが、2011年6月26日をもって、27年の歴史に幕を下ろしたという。日本のディスコ史のみならず、音楽史にも偉大な足跡を残した聖地のひとつであった。 あまりお金があるとは言えない学生時代、友達とワイワイ飲むより、ちょっと背伸びして、R&Bやソウル・ミュージックの好きな少数の仲間だけで、少しでも憧れの世界に浸り学ぼうと、六本木TEMPSを拠点に、所謂ソウル・バーやディスコめぐりをしていた。 その中でも、特に“タイムカプセル感”が強く、ディスコ全盛時代の空気感を感じさせていただいたのが、白金ダンステリアだった。この頃はまだ原稿書きとしてデビューする前だから、完全にこの世界でも「学生」。音楽に合わせて、バシッとステップを合わせてくる大人の皆さんに、ただただ羨望と尊敬の視線を投げかけるしかない。 当時は、ニックさん(日本に数々のステップを紹介するのみならず、ご自身でも新しい踊りを生み出してきた、これまた伝説の人物です!!)もお元気で、ときどきお店に顔を出されていた。業界で知らぬ人なし、ドン勝本さんとは、お店ではお目にかかれなかったけれど、渋谷の音楽イベントでご挨拶させていただいた。「学生」にとっては、皆大先輩であると同時に、師匠とでもお呼びしたい方々である。 さて、お店の熱い活気を吸い込みながら、あるいは格好イイ先輩たちのダンスに胸躍らせながら、眼の端でいつもいつも熱い視線で見ていたのは、実はお店の壁に描かれたエモリアイさんによるイラスト。緑のニット帽をかぶったマーヴィン・ゲイの絵が好き(確か、ウィルソン・ピケットやJBの絵もあったような…とにかく、伝説のシンガーやミュージシャンがたくさん描かれた、とてもハッピーな絵であった)で、いつか剥がして帰りたい…(それは嘘ですが)…くらいインスピレーションを受けまくっていたことを覚えている。 「50年は使える」と言われて買ったPowerMacで、もうすでに砂時計出しながらマウスでCGイラストを描いていた私は、エモリアイさんに触発されて、ソウルの巨人たちを描くようになっていた(その作品を、時々店長の心配りで、TEMPSさんがお店に飾って下さったり、感想を下さったりしたのも懐かしい)。エモリさんとは、その後台場にSOUL TRAIN CAFEがオープンし、こけら落としにトニーズ(ただしラファエル抜き…苦笑)が来日した際、会場でお目にかかって、はじめてお話しをしたが、緊張してしまって支離滅裂なことしか話せなかった記憶がある。あの頃は、思えばもう音楽の原稿を書かせていただくようになっていたように思う。 思い出はあてもなくどこまでも拡散していくが、とにかく白金ダンステリアとはそういう場所で、お堅いコピー風にいうならば、「ポリシーと実践が両立した、ブラック・ミュージック文化の発信基地」といった趣があった。 その後、お酒をぱったりやめてしまって、お店からは足が遠のいてしまったが、「お酒を飲んでいた時代」の甘酸っぱい記憶をパックしたまま、“白金のタイムカプセル”は本当のタイムカプセルとなってしまった。 だが、だからいいのだ。たくさん素敵な音楽を聞かせていただき、たくさんダンスを教えていただき、たくさんの思い出をくれた伝説は私の思い出をまるごと預かって、いつの日か、忘れかけた頃に大事な何かを思い出させてくれる、そんな気がするのだ。 いまはただ、感謝の言葉を送りたい。ありがとうございました!!(了)
2011/07/19
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マイケル・ジャクソンの死は、言い古された(そう、もう“言い古された”なのだが)表現だが、一つの時代の終焉であった。一つの時代を切り拓き、一つの時代を体現し、一つの時代の幕を引いた。キング・オブ・ポップ。その死すら、消費されてしまうのか、と思うとなんとも切ない。 が、この場でマイケル・ジャクソンの死を改めて深く書こうというつもりはない。私にとって驚きだったのは、ここまで高度に発達した情報化社会だと、これほどに衝撃的な事件であっても、逆に事実に対する鮮度への感覚が鈍感になってしまう、ということだった。連日、あらゆるメディアでこの件についてたくさんの情報が流れている。どこかで耳にしたり、目にしたりしても、あまり深く知ろうと思えない自分がいた。後で調べればいつでも聞ける、見られる。この「後でもイイ」という感覚を、マイケル・ジャクソンの死を以ってしても凌駕することが出来なかった日常に、遅鈍な後退を覚え、嫌な気がした。 私にとってマイケル・ジャクソンは、いつも「スター」だった。好きだった音楽のジャンルの特性上、たとえばスティーヴィー・Bや、MCハマーがちょっと恥ずかしいと感じる時期があっても、マイケル・ジャクソンに気恥ずかしさを覚えたことはない。その危うい分岐点に、名作『Dangerous』がリリースされたから、というのもあるにせよ、自らの出自をフィールドとするのではなく、それすらも逆にポップ・フィールドで消化してしまう“細腕の力技”は、まさにモンスター級。 そういえば、何度かコンサートにも行った。いい思い出だ。なにより、マイケル・ジャクソンの場合、ライブ特有の興奮がどうこう…というのではなく、むしろ“映像ベースでのマイケル・ジャクソン”の再現性の高さに拍手喝采した。ビデオで観たマイケル・ジャクソンと、生で観るマイケル・ジャクソンの近似性の高いことに、ある意味でファン心理の期待を裏切らない、忠実さへの徹底に、胸躍った。画面上のマジックが、現実だったことのスゴさに興奮したのである。 今も彼の死について、網羅しきれない情報が世界を飛び交っている。その情報だけがおそらく、およそマイケル・ジャクソンについて、事実との乖離が一番大きいのではないだろうか、などと思ってたりしている。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/06/30
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突然春本番が舞い込んできたような日和、皆様いかがお過ごしでしょう。本当に、ちょっと歩いても汗ばむような春の陽気。一瞬遅れを見せた桜の開花も、ここに来て、まさに今が見頃真っ只中。 薄いピンクの桜の花びらに陽光が射して透けて、町中は柔らかい光に溢れています。ホント、桜のランプを一斉点灯したみたい(ま、昼行灯ですけれどね)。仕事で歩いた道も、見事な桜と桜吹雪のアーチで、なんとも心躍ります。 しかし、日本人って桜、好きだよなぁ。老若男女、すべてカバーする、生きた国民的モニュメントだ・・・。なにせ、ここ10年くらいの間でも、「桜」の入った歌がたくさん生まれました。そしてヒットした。作る側も若ければ、聴く側も若い。でも、桜は琴線に触れる。う~ん。長いこと梅派だった私も、今年は桜の見直しです。 ところで、最近久しぶりにライブラリを整理していて、SAKURAのデビューシングル『soul mate』聴き直しちゃったんですけど、和製R&Bシンガー&アーティストが雨後のタケノコのように登場した90年代後半~2000年初頭のラッシュの中で、あの緻密で粘っこいサウンドに乗っかる独特な声。やっぱりSAKURAの存在はインパクトあったなぁ(カップリング曲“mercy”の方が好きだったんですけどね、切なくて)。桜の季節に、SAKURA考。天晴。(了)Lover Light/SAKURA[CD]▲“soul mate”“mercy”収録、1stアルバムは伝説の名盤。■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/07
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最近じっくり音楽聴いてないなぁ。いや、聴いていないというワケじゃないんですが、ちょっとした合間に、時間を埋めるように聴いているような気がするのです。いま、個人的に音楽は「じっくり」。これが希望&キーワード。そういえば、最近チャートを賑わす音楽よりも、長く聴けそうな音楽を選んでいるような気がします。これって、やっぱり今「じっくり」聴けないから、結果として賞味期限の長い音楽を自然と選んでいるのでしょうか。人間の感覚やセンス(器官もそうですけど)って、環境や状況に応じて、発達したり退化したりしますので、今はチャート・アクションへの感度がやや鈍っているとしても、ライフサイクルの長い音楽を選ぶ感覚は鋭敏になっていると思います。 ところで。「ケータイで音楽」ってのもトライしたし、Bluetoothもやってみた。あとは、自宅でワイヤレス・ヘッドフォンデビューかな、などと思ったりもしましたけど、もともとそんなに音質にはこだわらない派のワタシが手を出すのは時期尚早かな、とも思ってみたり。 じゃ、やっぱり、再生環境はどうあれ、少なくとも気分的には「じっくり」なムードになれる、即席感のないツールで聴くことの方が、「じっくり」追求への初手じゃないか、と思い直しまして。有線でもいい。昔よくやっていたように、イヤフォンじゃなくヘッドフォンで、限られた時間の中で浸る…というのはどうか??? で、いろいろ検討した結果、NIXON(ニクソン)のヘッドフォン【NOMADIC】に辿り着きました。カラー・バリエーションばかりが取り上げられますけど、なんともいい感じに力の抜けたマテリアル感や、ホールド感やヘッドフォン自体で音量調節が出来たり、折り畳み可能&ケースで携行性が高かったり、とスペック的にもハイエンド。 ワタシはブラウンを購入しましたが、明るく抜けた色味なので、季節を問わず、屋内外を問わず、「じっくり」な気分にマッチしているかな、なんて思っています。(了) 【送料無料】NIXON ヘッドフォン THE NOMADIC NH005400-00 ブラウン■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/09
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『崖の上のポニョ』の歌、気になりますねぇ。気になって気になって仕方がない。しかも、公開前から藤岡藤巻と大橋のぞみ、PRでテレビにもスポットで出演されていまして。あ、振り付けもあるんだ、と。 実はジブリ作品、あんまり縁がないんですよ。まともに見たのはトトロくらいで。別になにか主義主張があって、とか、アニメが苦手、とかそういう原因があるわけでなく、ただただなんとなく縁がない。でも、なぜかトトロを一人で部屋で見て号泣したという(笑)。 そんな、心の中の子供時代みたいなトコを刺激するのかなぁ、ポニョ。で、もうぽ~にょぽにょぽにょ、が耳に付いて離れないので、思い切ってCD買いました(どんな思い切りだ)。「これで、いつでも聴ける」、と思えば少しは頭から離れるかな、と思いまして。でも、結局iPodにまで入れて聴いてしまうという…。恐るべし、ポニョ。 ところで、男声のパートを入れたのは、お風呂でお父さんと子供が一緒に歌っているような&歌えるような、そんな曲をイメージしたからだそうで、なるほど、バスルームで歌ったら、絶妙なエコーがかかって、ほっこりいい気持ちになりそうです。(了)ステッカー付■藤原藤巻と大橋のぞみ/CD『崖の上のポニョ』■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/28
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先日、畏友でありピアニストの下森佳津美氏からリサイタルの案内が届きました。畏友、なんて生意気なこと言ってますが、ひょんなきっかけからご縁をいただいて、以来もう10年近くなるのかな、とにかくお付き合いをいただいているのですが、“クラシック音痴”の私に、オススメなどを教えていただいたり、演奏会に足を運んだり、そんな間柄です。 その下森氏が、ソロ・アルバム発売に合わせて、ピアノ・リサイタルを開きます。う~ん、ちょうど残暑の厳しい時期。涼を誘う調べに、残暑を吹き飛ばしてもらうかと、今から楽しみにしているのであります。(了)■下森佳津美 ピアノリサイタル日時:2008年8月29日(金) 開演:19:00(18:30開場)場所:ティアラこうとう小ホールアクセス:都営新宿線、東京メトロ半蔵門線「住吉駅」A4出口徒歩4分チケット:3000円(全席自由) 6月20日前売開始お問い合わせ:アーテム 03-5283-3209演目:樅の木 エディット・ピアフへのオマージュ パガニーニの主題による狂詩曲より第18変奏 ほか■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/15
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アッシャーと私。関係、ないです。方やR&Bの枠を飛び越えてしまった、男性シンガー部門待望にして、事実上現在のプリンスなわけで。 アッシャーと私。関係、ないです。方やR&Bの枠を飛び越えてしまった、男性シンガー部門待望にして、事実上現在のプリンスなわけで。 そのアッシャー、実に四年ぶりに新作発表。事前情報などでは、ヒゲをたくわえたベイビーフェイスのアッシャーがメディアで露出していましたが、「うーむ、君もやはりマーヴィン・ゲイを目指すのか」と思っていたら、ホントにそうだったという。 そう、スターの座に甘んじることなく、シンガーとして、アーティストとして、自身のアイコンと真摯に対峙すべきときが来たのでしょうね。 新作には、多分にマーヴィン指向を盛り込んだご様子。飽くまで、シーケンス的に…と言いつつ、この人もまた、自分自身の心の声に命がけで耳を傾けるステップまで到達したのか、と感無量。そう、内省的な経験は、誰もが通る試練です。 そんなわけで、今月発売中の『BMR』7月号(No.359)の特集記事を読みますとね、書いてあるんですよ。何がって?ヴァルネラブルという語への言及が。記者によれば、「17分の取材でこの日本に馴染みのない言葉を三度も使った」とのこと。そう、本当に日本語にしづらい言葉&概念です。 で、アッシャーと私。というコトになるのですが、私は共著『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』(地湧社)の中、4章において、まさにこのヴァルネラブルという語(ホリスティック医療で使われるヴァルネラビリティをソースにしてはいますが)について、なんとマーヴィン・ゲイを引き合いに出して書いているのです。しばらくは、冗談半分で「ホリスティック医療におけるこの難解な言葉を、マーヴィン・ゲイで解いた、いまのところ最初にして唯一の文章じゃないかな」なんて言ってましたけど(笑)、別に“言ったもん勝ち”になりたくて書いた訳ではなく、少なくとも私には、ヴァルネラブルという言葉を説明し、考察するにはマーヴィン・ゲイの力を借りる(マーヴィンに共感する)ことが一番自然だったわけで、こうして出版から一年、アッシャーを通して、多分異論反論はあれど、あれはあれでヴァルネラビリティについての読み方の一つとしてはアリだったのかな、と改めて自信を抱いたのでありマス。(了)ヒア・アイ・スタンド/アッシャー[CD]■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/06/27
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音楽にかかわる仕事をしていても、必ずしも全方位型という性分ではなく、好きなジャンルの幅はかなり広い方ですが、やっぱり偏りがあるワケで、常に流行の歌を完全網羅しているわけではないのです(本当はしなきゃいけないのかもしれないのですが)。 これ、飽くまで今この時点での話ですが、鼠先輩の『六本木』が頭にこびりついてます。そうだなぁ、さわやかにループしてるとか、じわっとリフレインしているとかではなく、ギトッとこびりついてますね。 意味不明の歌詞、本気か冗談か分からないPV、使い古されたようなメロディ。でも、これぞまさに、日本歌謡史が連綿と継承してきた、理屈でなく、身体の記憶として反応してしまう、王道絶妙メロディなんですね。ある大御所は、この王道メロディの存在が日本の音楽を拘束してしまっている、と話していましたが、それはここでは措くとして、やっぱり耳に付いてしまうんですね。歌詞の面白さ、ナンセンスさ、あるいは歌手のイメージ。これらも大事。でも、この曲はメロディなんでしょうね。 私、名前しか知らなかったのですが、弟に薦められて、今ではすっかり頭の中が「ぽっぽぽぽぽぽ」で埋まってます。仕事に集中できないので、やめて欲しかったです(笑)。(了)《メール便なら送料無料》【6/18発売 新作CD】鼠先輩/ 六本木~GIROPPON~<2008/6/18>■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/06/23
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日本で、ここ10年ほど、一番本場のソウル・ミュージックに近い場所にいたシンガー、ORITOの急逝(2/23)を、一月経った今でも受け止められずにいる。 ORITOがデビューする。前評判から、アルバム・リリースまで、指折り数えて待ち焦がれていた当時を思い出す。折しも、日本ではなぜかアル・グリーンがリバイバルしていた時期であったが、まさにそのアル・グリーンを育てたウイリー・ミッチェルのプロデュースを受け、ハイ・サウンドの聖地、メンフィスはローヤル・レコーディング・スタジオ録音の1st.アルバム『SOUL JOINT』には、やや線の細さは散見するも、徹底的に鍛え上げられた、ゆるぎないバック・ボーンを身に着けた本物のソウル・シンガーの魂が存分に伝わってきて、すぐに私の愛聴盤になった。一曲目から、搾り出すような歌声が心に響き、アル・グリーン“Let's Stay Together”カバーを挟んで、サム・クック“I'll Come Running Back To You”で締める。実に正統派で、重厚で、さわやかな一枚だった。個人的には、オリジナル曲“So Shy”を何度も聴いた記憶がある。 その後、“そして僕を愛して”が特に美しかった2nd.『SOUL FOOD』、内省化・深化していった3rd.『LOST AND FOUND』…と、順調に独自の世界を追求していたが、心のどこかには「日本のR&Bはこのままじゃ駄目だ」「もっと本物を目指さなくてはいけない」というストイックに過ぎる想いがあったに違いない。 1st.アルバムレコーディング時のエピソードとして、何時間も延々と声をしっかり作るためにスタジオで駄目出しされながら歌漬けになった、そんなことをどこかで語っていた。本場のシンガーは、幼少時から教会で歌い、ソウルの伝達媒体としての声をしっかりと作り上げていて、それだけの努力をしなければ到底本物などと看板を掲げてはいけない、追いつくことなどかなわないのだ、という、苛立ちや自戒、そんなものも感じながら、活動を続けていたに違いない。そんなORITOだからこそ、日本で一番本場に近かったと言えるのだ。 そのORITOがこの世を去ってしまった。急性心不全というが、あまりに残酷な仕打ちがあったものだと、残念で仕方がない。折戸都志郎、享年43歳。天国で、まだ“本物のソウル”を追いかけているに違いない。(了)ソウル・ジョイント■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/04/03
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東方神起、スゴイ。そんないまさらな話を以前アップしましたけど、個人的にはずっと気になっていた&ジャンル的にもチェックしておかなくてはならなかった韓国R&Bミュージシャン。それが、ピ(Rain)。 CD買おうかな、なんて思ったんですけど、R&Bとはいえ聴きなれた英語圏のアーティストでないことと、とにかくライヴ・パフォーマンスがスゴイという評判が気になっていたことから、ライヴDVDから入門することに。で、こういう場合は、ショーアップされすぎる前の“ファーストもの”をチョイス、がイイんです。 『RAIN'S FIRST LIVE CONCERT』。2005年1月29日、ソウル・オリンピック公園内オリンピックホールにて行なわれた、初のソロ・コンサートとのこと。私、全然知らないのですが、この方、ソロ以前の経歴もあるのかな??? ともあれ内容ですが、まぁ素晴らしい。雰囲気的には、ちょっと古いけどマイケル・ジャクソン全盛期的演出に、アッシャーのセンスを取り入れたような、懐かしいけど現代風、という韓国エンタテイメントのイイところが出ています。でも雰囲気とかセットとか、演出とか。そんなことより何より、ピ、いいじゃないですか。音もなかなかバラエティに富んでいます。モロ今様なナンバーから、ちょっと80年代風ブラコン寄り、さらにはモータウン風ポップソウルな曲調もあり、で楽しめます。歌は、スムースな歌い手さんかな。グロウルする場面も見られたけど、ゴリゴリ押すタイプじゃないし、声量もそこそこ太いけど声質は思ったよりソフト&メロウ。バラードもマッチするタイプながら、本DVDではアップ系の曲が目立ったかな。 そりゃそうだ、何せダンス・パフォーマンスがひとつの大きな魅力なワケですから。とにかくダンスのキレもいいし、動きも大きくて画になります。DVD観ている限りでは、ほぼ99.9パーセント(?)が女性ファンなんですけど、ちょいと腰をグラインドしたり、適度にマッチョ(あの童顔とマッチョのバランスがお好きなんでしょう?)な上半身をむき出す場面では、そりゃあ女性ファン悶絶するでしょう(笑)。“It's Raining”の「スゥ~、ハァ~」が、ね。格好いいんですよ。ダース・ベイダーかピか、というくらいに(ん?)。 ファン・サービスも、ベタながら微笑ましく、ポライトで好感が持てます。それにしても、これだけのスターでありながら、結構お茶目ですし、一番驚いたのは、セルフイメージの一環とはいえ、ここまで飾らない、というか本音のMCまでしちゃうのって、やっぱり韓国ならでは、かなぁ。そういうトコロがまたファンの心を鷲掴みにするのでしょうけれど。こういうイメージの作り方って、アメリカのR&Bシーンではあんまりないですね。そういう意味では、“隣のセックス・シンボル”って感じでしょうか。親しみやすいセックス・シンボル。って、そんな人実際にいたらヘンですけど。ま、それだけ個性的だということ。 ともあれ、ピ。“雨”も滴るいい男。新旧R&Bを追いかけてきた私としては、こりゃ目が離せない存在です。やっぱCDもチェックしよう、っと。(了)レインズ・ファースト・ライブ・コンサート”レイニー・デイ”(DVD) ◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/05
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ご存知でしょうか。『花の慶次~雲のかなたに~』。『北斗の拳』世代の私としては、連載終了は甚だ寂しいものがありまして、その後、『サイバーブルー』なんて短い作品もありましたけど、なんか武論尊+原哲夫のあのインパクトには遠く及ばす、モヤモヤとしていたものです。 そんなとき、今度もまた弟が我が家に持ち込んだのが『花の慶次』。原作は隆慶一郎の『一夢庵風流記』という歴史小説。これに原哲夫先生が絵をつけたこの作品、もともと好きだった戦国時代ものということもあって、久しぶりに痛快な思いで弟からまわし読みさせてもらったものです。 で最近は、アレ、でしょね。アレ。アレで人気再燃しちゃった。いろいろ調べてみると、なんとテーマソングがあるそうで、しかも歌っているのが角田信朗氏。何と!! こういうことには行動力のある私は、まさかCDなぞでちゃいないかとチェックしてみたら、ありましたよ。で、早速購入、試聴。オビには、「歌唱・角田信朗」、とありました(笑)。凝ってるなぁ。 濃ゆい。濃い、じゃなくて、濃ゆい。もう、汗だく。男性ホルモン満タンで、聴くだけでカロリー消費しそうな勢い。うーん、スゴイ。 曲的にいうと、演歌と歌謡曲を足したアニメ主題歌、という感じで、別に違和感はないのですが、歌詞カードを見ますと、「女」を「ひと」と読ませたり、「漢」を「おとこ」と読ませたり、まんま北斗直系の男臭さ。角田氏は歌も上手なので、よく曲とあっていて、個人的には好きですね、こういう遊び心から生れた隠れた名曲。 先日弟が遊びに来たので、呆れる弟をよそ目に早速自宅のスピーカーで聴かせると、その濃さに圧倒され、なぜか原作コミックのマニアックなネタで盛り上がってしまいました。うーん、牧歌的な時代だったなぁ、お互いに。 興味のある方は、「歌唱・角田信朗」の『花の慶次』、一聴の価値アリです。(了)角田信朗/花の慶次 主題歌 傾奇者恋歌(CD)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/20
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音楽好き。それも、ある特定のジャンルではプロの目として、いや耳として聴く身として、時に音楽への愛情が散漫になるときがあります。一種のマンネリズムというか、関心の狭窄に陥ってしまう。 さらに悪いことに、せめて批評的立場から聴く事が求められるジャンルに、肌に合う曲が見つからないとき、これはもう彷徨するしかないワケです。 と言って、これまで根無し草的にさまよっていたのではなく、ある曲からの強烈なインスピレーションを受けて、しばらく浮気な旅に出ることになったのであり、ある“根っこ”=インスピレーションの緒を手繰り寄せているうちに、ラテンポップス界、ヨーロッパポップス界へと足を延ばし、さらにクラシックにまで足を延ばして今日に至るわけですが、それでも、さらに今持っているフレームをはずす瞬間というのが欲しくなるときがあるのです。 東方神起。聴きました。目からウロコが落ちました。ムラはあっても、目引きにはきちんとクオリティの高い曲が持ってきてある。さらに歌唱力。前々から、所謂K-POPは、楽曲のツボ(時にそれらがパクりっぽいものが多いと揶揄されることがあっても)はきちんと押さえているし、それぞれアーティストとしての厚みがあるなぁ、とは思っていましたが、東方神起、これはアイドルグループではないですね。とにかく、アイドル的なアーティスト。アーティスティックなアイドルではないのです。日本で言えば、古くはチェッカーズ、今ならEXILEという感じなのでしょうか。あくまでポップス・マーケットにおける、という限定付きですが。ここ、重要。 それぞれが十分にリードを取れる5人組。やっぱり歌唱力はシンガーとしての説得力とイコールなので、これがないと、ただ消費されてゆく新商品のリリース攻勢をリスナーはただ受け流すしかないわけで。東方神起、シンガー基準、クリアです。 ダンスは踊れて当然の世の中、当然彼らのダンスも十分アイドル基準を超えています。 なんでしょうか。私がちょうどどっぷり音楽系の原稿を書いていた世の中は、R&B市場がポップシーンを席巻し、アメリカは勿論、日本ですら、もはや“主流化”し始めていたちょうど初期の頃だったのですが、当時「ウィか、ノンか」の議論をよそに、しっかりスターダムにのし上がったバックストリートボーイズ(以下BSB)を思い出します。 “White Men Can't Jump”じゃないですけど、あの手の歌って踊れるグループというのは、R&Bシーンのお家芸として、ある種逆差別にさらされていたBSBは、初期は白いR&B的カラーで売りながら、最後は何者にも属さないBSB印、言い換えれば、クロスオーバーしてスターになったマイケル・ジャクソンのような、今で言えばビヨンセやアッシャーのような、カテゴリを超越した存在になりました。 東方神起には、同じような可能性を感じてしまうのです。当然、この可能性の中には、言語的な側面から見ても、ワールドワイドに打って出ることも可能であろう、という世界市場への展開も含まれています。 もう一つ、“素顔の売り方”の妙も強い武器です。一般に彼らは最低三つの顔を持っています。CDやライヴ会場で見せる本気の顔が、アーティストとしての顔ならば、もう一つの商材となるオフのときの顔があります。プライベート写真や、舞台で見せない素顔、というのが、実は大きな商材になるわけです。そして、最後に本当の素顔がある。 彼らだけでなく、K-POPのシンガーたちの巧みなところ、言い換えればプロ意識の高さは、“二の顔どまり”なんですね。アーティストとして、セルフイメージの管理に非常に気を遣っている。それが彼らを“お茶の間までは騒がせても、お茶の間以下にはならない”存在にせしめている。 これは結構重要なことで、日本ではどうしても本来はアーティストやアイドルとして一流でも、“二の顔”の比重があまりに高くなりすぎて、ほとんど素顔の大安売りになってしまっていること。総バラエティ化していることにあると思われます。テレビでも素顔見て、写真集や付録DVDで素顔見て、あとはもう本当の素顔しか残らない。それを想像すると、結局やってることは“こちら側”つまりリスナーやユーザーとあんまり変わらないじゃないか、という話になってしまう。親近感を超えて、“隣のお兄さん・お姉さん指数”が一気に高くなるのです。あくまで“隣のお兄さん・お姉さん的”であることが、ある面では魅力なのであって、“的”でなくなったら、それはホントにただのご近所さんです。 とまぁ、いくつかの視点から東方神起、語ってきました(たくさんのコアなファンの前で僭越ですが)が、日本にも実力派や、すでに日本以外での活躍をしているアイドルやアーティストがいます。一リスナーである私にとってそうであるように、J-POPシーンにとっても、目からウロコの落ちる存在なのではないでしょうか、東方神起。(了)【送料無料】T [2CD+2DVD/ジャケットA] / 東方神起■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/08
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昨日のこと。街を散歩していて、ふとカフェで一服しようとしたところ、隣には小学生高学年~中学生と思しき少年が二人、なにやら話しこんでいます。 耳を欹(そばだ)てるってのも野暮ですが、聞こえてくるから仕方がない。ゲームの話、ケータイの話。で、そんな他愛のない会話の中に出てきたのです、カラオケの話が。 少年A曰く、「○○の曲、超イイんだよ。で、昨日カラオケに行ったんだけどさ、キーが高くて苦しかったんだ…」。フムフム。と、そのとき!! 「俺、多分変声期なんだと思う。」 え?一瞬耳を疑いましたけど。この冷静な分析。しかも自身を客観視する大人びた発言。お前は声楽志望か!?とツッコミを入れそうになる自分を抑えながらも、なんとも微笑ましい光景でした。うーん、自分の同じ年頃はもっと牧歌的で幼かった様な気が…。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/15
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2007年、やはり音楽についても書かねばならないでしょう。私はもともと音楽系からキャリアをスタートさせていただき、今も音楽ジャンルでもときどき書かせていただいているのですが、そうするとやはり、ヒットチャートは当然網羅します。 しかし2007年は音楽をゆっくり聴く時間がなかったこともありますが、どちらかというと“気分”で聴く曲の方が多かったです。それも、シングル単位でなく、アルバムで流しているような感じ。 コンピレーションではボサノバ・テイストでヒット曲をカバーした『グリーティングス』は美しかった。R&B系は、ベテランで好きな人たちは抑えたけど、若手ではアリシア・キーズ(もはや貫禄モノな才女ですが)、そしてロイドに期待を抱きました。ラサーン・パタースンは相変わらずイイなぁ。ポップスではマリオ・ヴァスケス。芸能的なのが出てきましたね。これもイイ。 ちょっと違ったジャンルでは、ケレン・アン。これも美しかった。 あ、挙げだしたらキリがない。邦楽では、徳永英明の『VOCALIST』シリーズ、聴きましたね。往年のハイトーン・ヴォイスも、少し枯れも入り、曲によっては女性が歌うよりも艶かしい本家をも凌駕する趣き、これ同作2、3についても言えました。倒錯的な美がある。こういう路線が、もともとR&Bでも好きだったと、国境を越えて原点に返る一枚。 このヘンにしておきましょうね(笑)。(了) 『グリーティングス』ロイド『ストリート・ラヴ』ラサーン・パタースン『ワインズ&スピリッツ』ケレン・アン『さよならは言わない』徳永英明『VOCALIST 3』■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2007/12/27
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一昨日の12月10日、畏友ボリス・ガケール氏の出演するリサイタル「弦響の夜会」に駆けつけました。これは、ハープ、マンドリン、ギター、中国古箏、といった東西の弦楽器による共奏、という趣旨。 二時間たっぷり、演目もバラエティに富み、「この楽器でこの曲を!?」という嬉しい驚きも。ボリスのギターは、なぜか、特に難しい楽器とのセッションになるほど冴えわたっていましたが、こういうスリリングな感覚は、もしかしたらブラジルでの活躍の中で身につけたものかも…。彼の演奏は、日本で行われたものはほとんどすべて足を運んでいますが、初めて彼の演奏を聴いたときから比べると、繊細さに加えて、楽しさ、そして少し思索的な落ち着きを与える音を身につけたような気がしました。 ほかに面白かったのは、やっぱり「この楽器でこの曲?」という演目や、意外な音の楽しめた楽器。若き才能・堀雅貴氏のマンドリンで奏でられる“アップ目の曲(とあえて書きたいような)”は、あたかもファンク・ベースのように粘っこく踊ったり、ロックのギターのような刺激的な音で魅了し、彩愛玲氏のハープは、お祖父様の故国である台湾のスタンダード『望春風』で、束の間我々をロマンティックな夢想に誘い、双子の姉妹でる中国古箏奏者、鶯と燕は、日本語も巧みに、この珍しい、そして想像以上にボリューム感・厚みのある楽器を抜群の呼吸で聴かせてくれました。中国古箏を見ていて、今年5月に訪問したベトナムの伝統楽器に、やはり琴があったのですが、確か一弦で、あとは弾く人の腕と、琴線を爪弾かない方の手で操作する、ブラジルの民族楽器・ビリンバウのようなもので音を震わせたりこもらせたりするのですが、日本の琴と違う大陸感の悠久を感じました。ところで中国古箏って、傍から見ていると鍵盤楽器を操っているようにも見えました。(了)【送料無料】鶯と燕/鶯と燕 中国箏デュオ・アルバム(CD)【送料無料】花一輪/彩愛玲ハープの世界(ハープ)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2007/12/12
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さて、本日最後の記事です。先日の出版パーティに駆けつけてくれたのは、数年来の友人で、ベルギー大使館での出会いからずっと互いのクリエイティヴィティを刺激し合い、励まし合って来た、私の弟も含め、それぞれ互いに“ベルギーの兄弟”と呼び合う優秀なクラシック・ギタリストのボリス・ガケールが明日、銀座王子ホールにて演奏します。この人、拙著にも“引用”されているのですが。。。 パーティでの飛び入り演奏もありか?と思っていましたが、本人曰く、人のパーティで営業活動をするのは失礼になるから、と遠慮したようで、そんなこともあろうかと持参しておいた彼の作品/演奏のCDは、当日歓談の時間の約1時間、会場のBGMとして流しました。当日出席下さった方で、その素晴らしさに気付いて下さった方、いたかなぁ…。技術は無茶苦茶高いのに、素朴で、優しくて、奥ゆかしい男なのです。 ともあれ、興味のある方、是非ともボリス・ガケールの演奏を生でお聴き下さい。(了)■ライヴ情報:銀座王子ホール12月10日(月)19:00~ 弦響の夜会 ~ハープ、マンドリン、ギター、中国古箏、弾かれる弦の妙なる響き~彩愛玲(ハープ) 、堀雅貴(マンドリン) 、鶯と燕(中国古箏)ボリス・ガケール(ギター) 他王昌元:戦台風 、サルツェード:夜の歌アルベニス:アストゥリアス 他\5,000 全席指定アルテ・エスペランサ 03-3473-6044■ボリス・ガケール氏のプロフィール 1977年ブリュッセル生まれ。ブリュッセルとキンスの王立管楽院でブラジルのギタリスト、セルジオとオダイルのアサド兄弟に師事。また、ブローウェル、ディアンス、ラッセル、ベリナティ等のマスタークラスを受諾。仏、独での国際コンクールに大賞。1997年、デニス・サンホとデュオを結成、ベルギーやドイツで演奏活動を行う。また、1998年には、ピアソラ、アサド、そして自作の(オブリガード)を含むアルバムをリリース。このアルバムがきっかけとなり、自作曲がカナダやパリで出版される。2001年には初のソロアルバムをリリースした。2002年には日本でも演奏を行っている。■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2007/12/09
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皆様、ソソラソラソラ、ウサギのダンス~♪、という童謡、ご存知でしょうか?私が子供のころは、よく母が指でウサギの形を作ってひょうきんなダンスをさせながら歌ってくれたものです。 最近気になって、あれは本当に実在する歌なのだろうか、はたまた母が勝手にこしらえたものなのか、なんたって歌詞が面白いので、急に気になって調べてみたわけですよ。 そしたら、ありました。正式名称、兎のダンス。なんと歌詞は二番までありました。 さらに、あろうことか野口雨情作詞・中山晋平作曲という、とても由緒正しい童謡であることが判明。いやぁ、結構モダンな歌だったのですねぇ。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2007/11/16
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先日さる媒体の表紙に使う楽器の撮影のディレクションに行って来ました。その日はピアノ、ドラムスティック、マイク(オールディーズ風のガイコツマイク@私物です)などを撮影したのですが、ピアノの中身、奇麗ですねぇ。しかも、鍵盤と逆方向から見た内部の曲線がすごく美しい。ちょっとビンテージのバイクの一部みたいですけど。 いや、砂漠の民の住居のようでもある。とまぁ、想像は膨らむのですが、このピアノ自体も非常によいピアノのようでした。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。《送料無料》グレン・グールド(p)/1955年のゴールドベルク変奏曲~伝説の誕生(CD)▲レクター博士のお気に入り。
2007/09/12
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iPod、最近は楽曲のストレージばかりで、じっくり音楽を聴く間もないです。マックスの5000曲まであと1400曲も残ってるけれど、現時点でもすでに整理やプレイリスト作成で手一杯で、なんかのんびり好きな音楽を、もっといい音で聴きたいな、などと思っている今日この頃。本末転倒です。 もともとオーディオにはあまりこだわらない性分なのですが、最近真空管アンプ&スピーカーに憧憬のようなものを抱き始めていて。Rothから『MC4 Music Cocoon』というiPod専用ドックが出るんですけど、ハンドメイドものも捨てがたい。iPodを挿して、ボワワ~ンとぬくもりのある音で、一日中好きな曲だけノンジャンルで聴きまくっていたい。目下の夢。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。竹集成材使用1台1台手作りです。真空管プリメインアンプ (特典付/C)
2007/09/07
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デュオ・シルフィードwithフレンズ@東京オペラシティリサイタルホール、行ってきました。もともと稀有な才能と重厚な活動歴を持つピアニストの下森氏とご縁があった関係で、個人的にバックアップさせていただいているのですが、竹内永和氏、成田寛氏、三宅進氏に、石田泰尚氏を迎え、緊張感の高い中にも、雅を感じるひとときを味わうことができました。 同日には、下森氏のピアノトリオアルバム『ハイパークラシック』も発売、また秋には1st.DVDもやがてリリースされるとのコト。来春には下森氏のファースト・ソロアルバムもリリースされるようです。精力的に活動の幅を広げるデュオ・シルフィード、そして下森氏を、みなさんも応援してください。(了)1:アレグロ・ジュスト(ヴィヴァルディ)2:アンダルーサ(グラナドス)3:ロマンス(ヴォーン・ウイリアムズ)4:剣の舞(ハチャトゥリアン)5:ギター四重奏曲 第7番 ホ長調(パガニーニ)6:ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 Op.25(ブラームス)■デュオ・シルフィード公式HP■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2007/08/31
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ZARDらJ-POPが次々とヒットチャートを賑わせていた頃、私は、日本では到底その真髄に手が届かない音楽、つまり今でこそ音楽ビジネスのマーケットの中心にあるR&Bやレゲエ(特に、レゲエに至っては、当時殆ど日本国内で情報がなかった)に心酔し、実際、日本の音楽シーンにじっくり対峙し耳を傾けるだけの財力も時間もなかった。 ZARDと言えば、年に一度のテレビ番組で、芸能人の24時間マラソンの最後にかかる音楽、応援ソングとしてのイメージしかない。 そこで考えたのが、走ることと音楽の関係。高橋尚子氏が、HITOMIの曲をイメージトレーニングに愛聴していた逸話すらすでに随分昔のことのように思える今日この頃であるが、「思わず走りだしたくなる曲BEST3」を、拙い知識ながら挙げて見る。「思わず走りだしたくなる曲BEST3」1:“RUNNER”(爆風スランプ)2:“トレイン・トレイン”(THE BLUE HEARTS)3:“負けないで”(ZARD) あまりに貧困なイメージかもしれないが、異論はあまり出そうにもない、とも思う。いずれにせよ、何かの形で、永きにわたって“あるイメージ”を設定した時、想起される一曲を遺したZARDの、日本のミュージック・シーンへの足跡は様々な意味で大きかったのではないだろうか。 遅ればせながら、冥福を祈りたい。(了)
2007/06/03
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ふと、ゴーチエの書評を書いていて思ったけれど、「死霊の恋」なんて、まさにエディ・ケンドリクス(ザ・テンプテーションズ)@“はかない想い Just My Imagination (Running Away With Me)”じゃないですか。そう、かなわない恋。幻想の恋。この世のものでない人への、この世のものにならない恋の話。ただのイマジネーションだもんね、って。(了)テンプテーションズ/ゲット・レディ-ディフィニティヴ・パフォーマンス 1965-
2007/05/27
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Lloydの所謂イケメン(嗚呼、ヘンなコトバ)写真を見れば、「オレ好み」なんて書くと、ちょっと意味が違ってしまいますが、いやはや、出ましたね、Lloidの2ndアルバム。 ちょっと背伸びし過ぎかな、とも思える一枚目のタフ推しとは違い、少しこなれた感じが、スマートでスウィートなイメージをしっかり作り上げて、これこそが“真性Lloyd”といえる、「本当のファーストアルバム」のごとし。 彼の場合は、やっぱりここまでトガったイメージを洗練しないと本当の魅力が伝わらないような気がしていました。そして、そうなればこそ、私も大好きなラルフ・トレスヴァント(ニュー・エディション)の跡継ぎになれるのでは…と密かに期待したものでした(エルデは別格ね)。 公式HP見て下さい。痺れます。ここまで“Stone Cold Gentleman(ただし、ワイルド&現代風ですけど)”な垢抜けがなければ、隠れファンの多いLloydのナヨ声が、全然魅力的に聴こえて来ません。 ちょっと松田優作氏風の髪型が気になりますが、久しぶりに、ナヨ声好きな私のアンテナにかかる逸材への成長ぶりを見せつけてくれたLloydでありました。(了)LLOYD 『Street Love』
2007/05/21
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いよいよ春の新ドラマの季節であります。あまりドラマに興味がない私は、むしろテーマ曲・タイアップ曲に関心が。火9ドラマ『花嫁とパパ』というドラマが始まりました。石原さとみ氏、時任三郎氏主演です。 そのエンディングテーマで、“女子高生”ではなくなりましたが、“女子高生のカリスマ”ではある加藤ミリヤがCOLORとコラボレートして、なんとテンプテーションズの名曲“My Girl”をカバー!! が…なんともノッペリとして味わいのない出来栄え。なんだか残念です。加藤ミリヤは魅力あるシンガーですけれど、カバーは失敗かなぁ(私のテンプスへの思い入れが強すぎるせいでしょうか)。 大抵、原曲を超えるカバーというのは実に稀です。これは、やっぱりシンガーソングライターというジャンル/アーティストが登場したからですね。昔は作詞家・作曲家がチームを組んで曲を作り、それを歌手が歌いました。しかし、歌手が自分でミュージシャンシップを主張するようになって、他のシンガーが歌える曲が少なくなった、ということでしょう。個性を超える個性、というのはそう簡単にあるものではないですから。 こうして“原曲を超えるカバー”のハードルがどんどん高くなっていくワケですが、カバーが“安易な商品開発”のツールに繋がっているということも見逃してはならないですね。 さて、“My Girl”は、シンガーが作った曲ではなく、それゆえに数々の国内外のアーティストに歌われていますが、この曲の場合は、原曲とアーティストとの相性、時代性や録音技術、その他諸々のバックストーリーを膨大に含んだ怪物的な一曲だけに、もはやシンガーソングライターの自作曲以上に難しい曲になってしまっている感があります。 作りもメッセージもシンプルでありながら、絶妙なさじ加減でのアレンジ、ポエティックでメロディアスな歌詞、そして何より、テンプテーションズというアーティストを大ブレイクさせてしまった一曲だけに、これに挑戦するというのは勇気のいることだったのではないでしょうか。今回のカバーは、かの名曲を知らない世代へのアナウンスという点において評価したいものです。(了)■送料120円■加藤ミリヤ CD【My Girl feat.COLOR】07/5/30発売
2007/04/16
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常に後手に回っているソフトバンクさん。でも、現在OA中のCM曲は良いですねぇ。ノーランズ。“I'm in the mood for dancing”。邦題だと、“ダンシング・シスター”。ABBAと思わせて買わせる気か??? ってのは、冗談ですが、あのイントロのストリングスといい、コーラスといい、『ドリーム・ガールズ』経由のガールズ・グループとのシナジーを狙ったか?でも、正解かも。ポップだけど、イイ曲ですもん。 思い切り白人の女の子グループですけど、ブリティッシュ・ポップだから、アメリカの白人ガールズ・グループ(かつR&Bを意識したエクスプロイテーション的戦略)とは一線を画してますね。 イギリスって、やっぱりビートルズ、ストーンズ、クイーンしかり、大御所を挙げただけでも、R&Bの取り入れ方のさじ加減が、実にちょうど良いんですよね。ま、ロネッツのお国柄だし。 アメリカとは音楽のジャンルごとの棲み分けの仕方が違う、ということもあるのでしょうけれど。アメリカは今でもまだまだ閉鎖的ですから。 ノーランズ。お気楽。なぜ今さら?でも、なぜか“ポップスの良き時代”、それもギラギラしていない時代の牧歌的な雰囲気があって、選曲は良かったんじゃないでしょうか、ソフトバンクさん。(了)ザ・ノーランズ/ダンシング・シスター~ザ・ベスト・オブ・ノーランズ(CD)
2007/03/29
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昨日、東京都江東区のティアラこうとうにて行われた、法政大学アカペラサークルBe Bap!春ライブ~a Cappella Joyfully!に、予告なくまたも快筆紳士が現れた。 出会いと別れの季節にふさわしいテーマを、湿っぽくではなく、あたたかく元気に盛り込んだアカペラライブについて快筆紳士は、「改めて“声の力”、“声の伝達力”を思い出させてくれる内容であったよ」と語っている。 どうやら、相変わらずの神出鬼没ぶりゆえに、次の出没場所への移動があったのか、ライブ前半しか聴くことができなかったことを「実に心残りだ」とも述懐している。くわえて、「やはりライブといえば、主に仲間が駆けつけてくれるもの。お誘いいただいた方には挨拶をしたかったが、場の雰囲気を壊すことに遠慮しすぎて、もう一歩社交的になれなかったなぁ。本来は社交をこそ十八番とする男なのに!!意外にも内気なヤツなんだなぁ」と自身について、もどかしい胸の内をこぼしている。(了)
2007/03/07
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弟を、血のつながった“刎頸の友”とするならば、血はつながらないが兄弟と呼べる“莫逆の悪友”がいる。その男から、ある日、季節の挨拶がわりに送られた一枚のCD。秋山羊子、『指一本で倒されるだろう』。添えられた手紙には、「きっとお前も、この人に癒されることがあるでしょう」と書いてあった。 彼とは、全く正反対の性格。大学時代は、あまり友達付き合いに熱心でなかった私。大学では“付き合い”に勤しんでいた友人。嫌が応にも独りを選ぶ私。群衆に飛び込む彼。で、互いの選んだその瞬間を持ち寄って語り合う。「そっちの世界はどうだった?」 互いに反面教師であり、互いに、自分が持たない相手の持ち味に嫉妬し合うような、だからこそ長続きする友情というか。いつも話すのは、「不思議だが、普通だったら絶対に友達になりたくないヤツだ」「その言葉、そっくりお返ししよう」。といいつつ、一番さらけ出し合える友であり、私の個性を尊重してくれる男(この男の話は、今度の著作にも出てくるが)である。私も、この一つだけ年上のうっかり男のことは、心配しながらいつも気にかけているわけだが。 一寸疲れているのだろう。せっかくもらったCDもろくに聴けない日々が続いた。ふと、ケースを開いて耳を傾けた。確かに、指一本で倒されてしまった。唸るでもなく、叫ぶでもなく、押し付けるでもなく。どちらかと言えば、淡々とした歌声。だが、その一聴か弱いほどにシンプル過ぎる声が、いつしか、私の頭の四方から、ジワジワと押し寄せては引いて行くような、何とも言えない重量感-ふわりとした重厚感!!-で包んでくる。 癒される、と友は書いた。しかし、そんな一言では片付けたくない、あたかも戦の終わりに、鎧を脱いでも良いのだと許しを告げられればかくあろうか、と想像せずにいられない開放感を感じた。 まだまだ秋山ワールドに無知な私であるが、今、この瞬間では、コマーシャリズムやチャート・アクションなどとは無縁で、しばらく浸っていたい、開放の歌声だ。(了)
2007/02/11
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とにかくコードが絡むのがイヤでイヤで。で、購入したのがMIB iPod用ケーブル巻取式イヤフォン。巻き付け用の部品をつけるタイプと違って、これは商品自体がバネによる巻き取り式だからとても便利。巻きつけ用の部品を使うのもいいですけど、あれも結局自分で巻きつけるわけだし、結構かさばるしなぁ。 音質にものすごくこだわるのでなければ、現状買いだと思います。ホント、楽ですよ。ただ!!商品名が…。『ケーブル巻取式 iPod用イヤフォン「2人で聞けるPODでせかちゅう」』。どうなんだろう。ま、確かにこの製品の特徴として、二つのイヤホンで聴けるようなアダプタ同梱されてますけど。ネーミングはちとイマイチかなぁ。(了)
2007/02/06
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またやられましたね、ヴァンサン・ドレルム。しかも、前作(二枚目)から、今作は一気にメジャー感が・・・。やっぱフランスのアルバム・チャートで1位取ったそうですから、波が来てますね。前作についての記事でも書きましたが、このヒトの面白さは、ちょっと時代錯誤的なノスタルジックなノラクラ・フレンチの佇まい。カフェ、埃、猥雑さの中での飄々。 しかし最新作は、ちょっとだけナウくなってます。つまり、最先端じゃない、新しさ。やや時代に追いつきつつある感じ。でも、その半端なバンド感(もちろん、計算の上での、でしょうけれど)が、あの独特のこもったモゴモゴ声に結構マッチし、これはこれでクセになりそう。 ライナー読んでたら、デビュー作でいきなりヴィクトワール賞の最優秀アルバム賞を受賞・・・ということもさることながら、フィリップ・ドレルム(作家)の息子さんなんですね。親子でアート、いいですね。でも、30歳には見えないけど。。。(了) 蜘蛛の刺し傷 / ヴァンサン・ドレルム*こちらはお父さん。 ↓ビールの最初の一口とその他のささやかな楽しみ
2007/02/05
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GOSPE☆RATS Live in SOUL POWER 2006/DVD、良かったなぁ。実に楽しいDVD。作り込み過ぎのドラマ仕立てのPVに飽きると、こんな、アットホームかつ真剣な“遊び”が、実に楽しそうに見えるものです。ゴスペラッツのアルバム・リリース時の記事にも書きましたが、こういうのを道楽の極地、本気の遊びと言うんだろうなぁ、とつくづくその仲間に入りたくなる。野暮ギリギリの真剣な評を書いたのも、彼らの本気の遊びを粋に感じたから。音楽記事スタートの人間としては、末席にいるとは言え、本気でぶつかりたくなりますね、こういうDVD観ると。 ドゥ・ワップ=ソウル・グループではないです、もちろん。ムーングロウズやファイヴ・サテンズと、テンプスやスタイリスティックスとでは、やっぱり表面的には違いますから。ただ、シャネルズやラッツがスゴかったのは、やはり日本において、だからでしょう。日本独自の高度な音楽文化、つまり歌謡的世界観が強力な“つなぎ”となって、ドゥ・ワップと、60年代のソウル・グループの時間的隔たりを埋め、ラテン・フレーバーも違和感なく盛り込んでしまいつつ、チャート・アクションもしっかり取る、という荒技を成し遂げてしまうワケですから。海外でこんなことは滅多にないでしょうね(一発屋なら結構出ますけど)。 だけど共通することがあります。メンバー同士の物理的距離感。ゴスペラッツの場合、ハコが大き過ぎましたね。ステージも広すぎる。メンバー同士の肘がぶつかるくらいの距離でも違和感のないステージでやれば、きっとグループらしいソウル・マナーがもっと出たんじゃないかと。大物シンガー5名が一堂に会したスペシャル・ライヴみたいになっちゃってますからね。そこが惜しい。でも、本当に大物だから仕方ないですけど。 あえてシークレットで、小さなハコでやったら、なんかピークを過ぎたブルーマジックみたいな、シブ色っぽいさび感が出て良かったかも。って、それじゃ採算無視でマニアック過ぎますけど。 もともとこのライヴ、職業倫理の欠如と叱られそうですが、全然知らなかったんですよね。というか、当時は他のことで頭が一杯でした。知らない間に祭りが終わってたような感覚。 エンドロールのクレジットを観ていて、バンド名にNANIWA EXPRESSの名が…。何!!うわぁ、こんなすごい祭典を見逃してたんだ?、と悔しさが爆発。リーダー/ベーシストの清水興氏、もちろん、日本が誇るホンモノのソウル・グループ、HUMAN SOULのリーダーだった人じゃないですか。って、私がこの世界の駆け出しの頃、時々六本木のバーでお目にかかり、お話したことも。ゴスペラッツのDVDの音声解説にもありましたけど、お話ししたときも、こっちは全然無名で素人同然なのに、舞い上がって熱く語ったら、いい感じにゆったりと話を聞いて下さって。もっとも、清水氏が私を覚えている筈はなく。でも、実際にお目にかかる前に抱いていた印象は、ちょっと神経質でコワそうな感じだったので、不躾な自分の行動に嫌な顔一つされず、会話して下さったのでギャップに驚いた青い記憶が。 で、NANIWA会場での特別映像を観たら、やっぱりいるじゃないですか。JAYE&SILKY先生。ちょうどDVDを観ながら、ゴスペラッツに、もっと強力なシャウト系のシンガーと、ハイテナー専門のシンガーが入ったら、もうゴスペラッツじゃなくて、それだけで成立する一つの別グループが出来上がって、すごいコトになるんじゃないかなぁ、なんて思ってたら、世界水準のシャウト&ハイテナーの代表が出演してました。いやぁ、スゴいイベントだったんだなぁ。しみじみ。 とにかく、ソウル・グループの動いている姿を、是非興味がある方には観ていただきたいです。ソウル・マナーにこだわって来た私の想いが伝わると思います。なんたって、いまだに、時々酔って戯れに踊るのは、60年代のステップですからね、私(ま、ほとんど我流とモノマネなんですけど)。横揺れも、アクロバットもできないけれど、泥酔していてもしっかりステップも踏むし、ターンもしますから。一種の酔拳ですから。 最近までは、テンプスのものでさえ、初期であり、かつ絶頂期であった頃の映像もまともな編集のものはあまり手に入らなかったのですが、今は、現時点での決定版が出てますので(口パク勘弁)。私が資料集めしていた14、5年前は、もう輸入ビデオかブートレグか、あとはBSで包装していたSOUL TRAINの再放送を録画しておくしかなかったワケで(時々、番組がズレ込んで、竹中直人氏が映っていたりして泣いたことも!!)。 最期にお詫びと自慢を。先のDVD評、国内アーティストの皆様は名字のみで表記しています。フルネームでないこと、失礼いたします。 で、自慢は、ラッツ絡みになるといつも書いてますけど、佐藤さんフィギュア(薬局で使う、歯磨き粉の販促用店頭ツール)、持ってます。大自慢です。敢えて、“佐藤さんのが欲しい!!”と、当時薬局でアルバイトをしていた部活の後輩に深々とお願いしてしまったわがままな青春時代。反省。でも、佐藤氏、本気で大ファンなんですよね。(了)テンプテーションズ/ゲット・レディ-ディフィニティヴ・パフォーマンス 1965-
2007/01/27
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大きな話の小さな話。小さいのは、私の器量である。私は、ブレイクダンスから始まるヒップホップに至る、あのダイナミックで戦闘的で、挑戦的で挑発的な、あのダンスが嫌いである。なぜなら、あの運動神経が羨ましいからだ。 今さら、あの手のダンスはアフリカン・アメリカンの専売特許だという非アフリカン・アメリカンはいない(逆に、アフリカン・アメリカン側にはいるであろう)。もはや、人種主義に根ざした身体能力の神話は、あえて形容矛盾的に「よい意味でタブー」だからである。ジョーダンでなくてもダンク・シュートはできるし、エミネムも本物だからである。サッカーの世界でも、中には、軽率にも身体能力神話を頭から信じて解説を行う者もあるが、甚だ勉強不足であるとしか言いようがない。 話が逸れた。小さな話に戻って、大きな話をするのだ。 確かに、ブレイクダンスやヒップホップ系のダンスが、羨ましい。そして、私にはできないから嫌いであるというのは真実だが、実はそれは半分の真実でしかない。つまり、嫌いな理由は私の器量の小ささだけによるものでもないのだ。前編で書いたように、私がR&B、それもグループにおいて最重要視するのは、ソウル・マナーである。私にとってのマナーとは、文字通り手法であると同時に美意識/様式である。つまりスタイルなのである(ちなみに、フォームは形式である)。グループにおけるソウル・マナーとは、その所作。つまり一番に振り付けであり、次いでステージでの立ち居振る舞いである。そこに、華やかさや派手さだけでなく、優雅さがなくてはならない。私が、その頂点をテンプス(テンプテーションズ)とするのは、相反するはずの「ダイナミックさ優雅さ」を完璧に体現していたからである。 唐突に、惜しまれるのは、田代氏の不在である。田代氏は、鈴木氏とは違う意味で、独特の意識を持った自意識過剰人間であった。それが、シャネルズではうまく機能した。田代氏は、テンプスにおけるポール・ウィリアムズであった(シャネルズにおける田代氏の歌の貢献度は、テンプスにおけるポールのそれとは隔たりがあるにしても)。田代氏は、ステージングについて様々なアイディアをシャネルズに持ち込んだ、いわば演出担当でもあった。田代氏もポールも、形態は違えど不幸な“最期”を迎えたのも共通している。 そこで、佐藤氏である。本DVDの佐藤氏の一挙手一投足によく目を光らせていただきたい。指先の揃い方、お辞儀のスピード、ターンのタイミングとスピード、MCの間も、和らいでも乱れていない。田代氏不在のゴスペラッツにおいて、グループの心臓たるマナーを体現してみせたのは、唯一人、佐藤氏のみである。スタイリストである田代氏がいたラッツ再集結ライヴの時ですら、あの紳士然たる佇まいは佐藤氏の右に出る者はなかった。実生活は措くとして、ともかくステージ上でのあの気品をベースマンが備えた時、最高の魅力を発揮することは、やはりテンプスにおけるメルヴィン・フランクリンがすでに手本を示していた。 “動くゴスペラッツ”を観た意味は、佐藤氏の存在にあったと言っても過言でない。それほどに、グループに於けるソウル・マナーは重要なのである。だから、やはり「もっともっと観ていたい」という結論に達するのだ。グループならではのコレオグラフィー(振り付け)のコンビネーションのバリエーションももっと欲しかったし、キレも揃いも、後半までなかなかビシっと来なかった。 ゴスペラッツは、一夜の夢ではないと信じたい。ゴスペラッツの再集結はあり得るだろう。ライヴもあるのではないか。その時は、グループとしてのソウル・マナーに少し重心を移して、曲のラインナップを揃え、動きにこだわって欲しいと願っている。ビッグな新人。新人ならばこそ、まだまだ、もっともっとマニアックに遊んでくれるものと期待して止まない。(了)GOSPE☆RATS Live in SOUL POWER 2006/DVD
2007/01/27
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ゴスペラッツの話である。ゴスペラーズでもなければ、ラッツ&スターでもシャネルズの話でもない。昨夏行われた「SOUL POWER TOKYO SUMMIT」の様子を収録したライヴ・DVDを観た。このDVDを観たのは、元々シャネルズとラッツ&スターのファンであり、それ以前にR&B、それもテンプテーションズをはじめとして、ブルーノーツ、モーメンツ、ドラマティックス、スタイリスティックス、フォー・トップスにオリジナルズ、といったグループものに目がない私であるから、この日本音楽史において歴史に残るグループの、それも“動く姿”を観てみたかったのがきっかけである。 小さな話から始めよう。ゴスペラッツのライヴそのものは、物足りない。質が低いからではない。質を問うために、「もっともっと観ていたい」からである。メンバーについて言えば、まず鈴木雅之氏。やはり、ソロ活動が長過ぎた。もともと、強烈な歌唱力とリーダーシップ、そしてR&Bへの愛情、そしてカリスマのあるシンガーである。だからこそ、グループで歌うとき、その卓越したエネルギーが、グループと言うフォーマットをはみ出してしまうことがある。では、鈴木氏は、テンプスにおけるデイヴィッド・ラフィンかと言えば、歌のマナーとしてはまったくそうではない。そもそも、鈴木氏は、どちらかと言えば、ルーサー・ヴァンドロス、フレディ・ジャクソンを思わせる、都会的なムードを持つスムース色の強い艶系のシンガーである(むしろ、ソウルフルという点では鈴木氏の方がルーサーやフレディよりも濃いくらいだ)。たまたま、氏の起点が、ドゥ・ワップであったこともあり、またシャネルズというグループの看板であったから、つい見落としてしまうのが、鈴木雅之氏は、やはりグループも率いることが出来る、ソロ・シンガーなのである。 鈴木雅之氏が、デイヴィッド・ラフィンでない(デイヴィッドは逆に、明らかに“ソロも歌える、グループ向けハミ出し系スタンドプレイヤー”なのだ)ならば、ゴスペラッツには、よりグループとしての一体感、特に歌の一体感が必要になって来る。自然、ソロで光る鈴木氏を中心に据えるからである。 とすれば、脇が大事である。村上氏と酒井氏。やや声域が近い。持ち味は、よく聴けばそれぞれ違って個性的なことはすぐに分かるが、パッと聴くと近すぎる。こと、ゴスペラッツとして考えた時、実に近いのだ。随所でファルセットを聴かせる村上氏は、グループとして求められるワンポイントの技を見せた。酒井氏は、実はすでにして地声が素晴らしい。特に、高音域に入ったときの伸びは絶品だが、ゴスペラッツのレパートリーは、酒井氏には若干ハンデがあった。酒井氏は、中音での声幅が狭いからである。私は、ゴスペラーズに相当詳しい方ではないが、直感で酒井氏を同グループの中間管理職であり、バランサーだと思っているので、さらに声の高い黒沢氏と絡むゴスペラーズに於いては、酒井氏は最強のユーティリティ・シンガーとなるだけに惜しい気がした。 桑野氏は、デビュー当時から顔を黒く塗らないメンバー。そして、親父譲りのトランペットの腕は抜群だった(桑野氏をバラエティ・タレントとしてしか知らない人は不幸である)が、実は歌がとても巧い。上手くはないが、巧いのである。ラッツ再集結ライヴに立ち会った私は、同グループの名曲中の名曲のソロ・パートを桑野氏に預けた(集まったメンバーの数が減っているのだ。預けざるを得なかったのだが…)このライヴに疑問を抱いたが、見事杞憂に終わった。それは、桑野氏の歌唱力が素晴らしかったからである。 肝心の本DVDをよく観て欲しい(いまDVDを観ると、その役回りは、テンプスにおけるリチャード・ストリート、もしくはデイヴィッド・シーっぽくもある)。本来、技巧派のゴスペラーズの二人に欠けているものを、桑野氏が持っていることに気づくはずだ。言うまでもなく、スウィングだ。フェイクでもアドリブでもない。スウィング感。桑野氏にはそれがある。ハーモニーを煎じ詰めて来たゴスペラーズと違い、桑野氏がスウィング感を持っているのは当然だ。彼は、トランぺッターだからである。スウィングできなければ、トランペットでは食べられない。桑野氏がどこかで、自身のご子息がトランペッターになりたいと言ったのに対して、「食えないからやめろ、と本気で答えた」とコメントしていたことを思い出す。桑野氏ほどの人が言うのだから、親心であろう。その後日談は知らない。 ともかく、スウィングのいらないトランペットは戦場、それも近世以前の戦場においてのみである(近世以降の戦場には、ジャズの萌芽があったし、兵士の慰問にはジャズ・バンドが訪れていたではないか)。そして、私が少年時代より、鈴木氏のカリスマに痺れていながらも、それに抗って敬愛していた佐藤氏。素晴らしい。その素晴らしさは後述する。 “動くゴスペラッツが観たい”。それが始まりである。後編では、スタートに戻って、今度は大きな話をしよう。それも、小さな話から始めるのではあるが。(つづく)GOSPE☆RATS Live in SOUL POWER 2006/DVD
2007/01/27
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昨日は、その前の記事の通り4月に出る著作のタイトル付けの打ち合わせだったのですが、そのラフなアイディアを持ち寄ってのブレーン・ストーミング的なミーティングとなりました。 直前まで、アイディア出しに頭をひねっていたのですが、その間中頭の中を流れていたのは、ムード歌謡/演歌/昭和初期ポップスの名曲にして、日本のテンプテーションズ(一般的には“My Girl”で有名でしょうか)である(と私が勝手に思っている)、内山田洋とクールファイブの“長崎は今日も雨だった”と“涙こがした恋”。ご存知でしょうか???えぇ、前川清氏がおられた(しかも、当時は前川清氏は一番若手だったほど、グループ自体は超絶ベテランの実力派でした)グループ。 大好きなんですよね。レキントギターに、歌謡的メロディライン、そして抜群のコーラスワーク。今とは違う、ちょっとザ・モーメンツ(後のレイ、グッドマン&ブラウン)のハリー・レイっぽい、甘くて青い前川氏のスウィートで若い歌声がまた、ファルセット好きな私にとってはもうツボ中のツボ。 まぁ、グループ自体は私の産まれる前のグループですけどね。しかしまた、何でこんな大事なタイトル付けのイメージ捻出の時にこんな音楽が頭を駆け巡ったのやら・・・。(了)内山田洋とクールファイブ/GOLDEN☆BESTテンプテーションズ・ゴールド【Aポイント付】レイ、グッドマン&ブラウン Ray,Goodman & Brown / Millennium Collection(CD)
2007/01/26
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いやはや、暴れん坊も死から逃れることは出来なかったのですね。ソウル界のハマコー、ジェイムズ・ブラウン、亡くなりました。2006年12月25日のこと。私も彼の60歳も半ばを迎えてのステージ、観ましたけど、本当に凄かった。まだ股割りしてましたし、マントも翻ってた。なんたって、私が14歳の時に、なけなしの小遣いをはたいて買った最初のCDが、JBのジェイムズ・ブラウン・ベスト・ヒッツの輸入盤(全世界で初めてCDが登場したのが1982年ですから、1986年当時のCDの価値の大きさは推して知るべし)。家に帰ってご自慢のコンポで再生、その冒頭がまた格好いいんですよ。ナレーション、紹介から始まって、“Doing It To Death”!!痺れましたね。結局、物心ついてからのR&Bの原風景はここに行き着くし、当時片足を突っ込み抱えていたジャズから一点、ソウルに向かったのもこの一枚がきっかけ。その後、JBをきわめず、すぐにモータウンサウンドへと傾倒していき、結局JBをじっくり聴くチャンスはその後あまりなかったのですが、私にとっては大事な人物です。 さらに、愛称は“テディベア”、フィラデルフィアサウンドの雄・オージェイズのメンバー、エディ・リヴァートの息子であり、自身も男性シンガー界の底上げに貢献して来た早熟の天才シンガーであった、ジェラルド・リヴァートも、昨年11月10日に亡くなりました。享年40歳か…。若すぎます。ちょっと格闘家の曙に似たお面相、親子や兄弟の絆を大切にし、先達を敬い(その筆頭、バリー・ホワイトも今は亡き人に)、派手なことは好まず(あ、LSGってユニットは派手でしたけど、メンバーでは一番地味だったかな)、素朴に、一途に、歌心に向かって行った男。正直、あの年齢であの巧さは特筆モノだったし、逆に、その後沢山の若手が鳴り物入りでデビューしても、ジェラルドの巧さとは比較にならなかったものです。ジェラルド自身は、そうしたイキのいい若者の活躍を横目に、段々と地味な、けれど本物のソウルの世界へと沈潜していきますが、やっぱり40歳でなくなったことを考えると、この人は生まれながらに老成していたのかな、と思いますね。何の式典だったかな、オージェイズの歌、それも父親エディのパートを取って、父の前で謳ってみせた時には、父は我が子の成長に涙したとか。あるいは、ジェラルド・リヴァートがジワジワと日本で評価されて来た時期、いくつか彼の記事を担当させていただいたこともありました。マーヴィン・ゲイのカバー・アルバムでの“Let's Get It On”は、流石だったなぁ。別企画でのBoyz2Menによるカバーとは雲泥の差だったもんなぁ。 とまぁ、どちらも純粋な死亡記事としては今更な話題なのですが、あまりに想い出の深いお二人だっただけに、なかなかそれについての思いを形にすることが出来ず今日まで至ってしまいました。R&Bへの愛のきっかけをくれたJB、男性シンガー専門の記事を書いていた頃、一つの“巧さの基準”として私のそばにいてくれたジェラルド。お二人のご冥福をお祈りします。(了)*写真は、ジョージア州警察で撮影されたJBの写真。ついこの間も、モジャモジャ頭で捕まった写真が流出しましたけど、その時はショックだったなぁ。しかしこの人、逮捕歴多すぎる!!ジェイムズ・ブラウン・ベスト・ヒッツレヴァート、スウェット、ギル / LSG
2007/01/13
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「ブラジルが生んだ天才ギター奏者」とまで呼ばれ、今日本で最も注目を集めているブラジル出身アーティストと言えば、ヤマンドゥ・コスタでしょう(より詳しいプロフィールはココにもあります)。 新年早々、“ベルギーの兄弟”と呼び合う友人ギタリストとメール交換していたら、彼、そのヤマンドゥ・コスタとブラジルでhang outしてきた、って言うじゃないですか。ま、勿論仕事で行ってるんですけど、無茶苦茶熱いミュージシャンとコラボしてたなんて。 クラシックギタリストという肩書きがついてしまうせいか、なかなか日本でスポンサーが見つからない(今この分野、日本では日本人のアーティストの育成に力入れてますからねぇ)彼ですが、最初にパーティで出会ってからその技量と人柄に惚れ込み、私もなんとか日本での活動を軌道に乗せてあげたいとサポートして来ました。王立音楽院を卒業しながらも、ブラジル音楽に傾倒し、もうブラジル中毒になってしまっているこのボリス・ガケールという若者の演奏を、ぜひ日本人にも堪能していただきたいものです。本当にマネージングしてますので、興味のある方はご連絡ください。(了)ヤマンドゥ・コスタ/トーキョー・セッション
2007/01/07
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もはや国民的アイドルにして、年中どのチャンネルでも顔を見ない日はないともいえるSMAP。年末年始もSMAPが大量露出。憧れのDJ、バッキー木場のナレーションで、ラジオから“がんばりましょう”が流れた日から、その音楽的成功の価値の大きさには注目して来ましたし、これだけ個々人が別個に活動しながら、一つのグループでアロ続けられることの組織的面白さ(まさに、フリーが、自由意志で集まった集団の赴き)に敬意を表して来ましたが、一方で、アイドルそのものの記号的意味を完全に変質させてしまった点について、芸能史上では、さまざまな問題もあろうかと思ったりもします。 そんな、革命的功罪を内包しながらしかし、紅白歌合戦→ジャニーズのカウントダウン、という流れで知らずに実家のテレビを点けていた私は、SMAPに、芸能界(=社会)で「働く大人のあり方」を、アイドルに示した功績に改めて気づきました。笑顔の向うで、しっかりビジネスライクなセンスも持ち、同時に、営業的言動を惜しまず、かつ幅広い年齢層をターゲットに抱え込む。大物・大御所を、番組的にいじろうと、巧みに持ち上げて味方に付ける一連の芸能活動は、若くしてちやほやされてしまいがちなアイドルの世界に、「アイドルもビジネスだ」「芸能活動はけっこう泥臭い仕事だ」ということをしっかり教えているようなニュアンスを再確認しました。アイドルが、仕事のために三枚目も演じる。それが社会人だ。そうして世界を広げ、時分の芸能を磨いて、長生きすることこそ、命短いアイドルの生きる道だ。そう教えているような気がしてなりません。(了)*だから、ありがとう、なんでしょうね。いろんな意味で。 ↓SMAP ありがとう-CD-
2007/01/04
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えー、実況中継です。紅白歌合戦において、DJ OZMAが、先ほどやらかしてしまいました。うーん、チャレンジャーです。NHKも変わったなぁ。しみじみ。(了) DJ OZMA/アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士【CD+DVD】
2006/12/31
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タミー・モンゴメリー。後にタミー・テレルと呼ばれ、モータウンの仲間入りを果たし、ヒットに恵まれないマーヴィン・ゲイと、デュエットという架空の世界で、永遠の恋人同士を演じ、謳い、讃え合った女性シンガー。マーヴィンのミューズ。そして、遠い恋人。 早くもそのパンチのある歌唱力を認められ、ジェイムズ・ブラウンのバンドで歌手兼愛人。舞台をデトロイトに移したタミーは名前を改め、活動を開始。 実は、もう10年くらい前になるだろうか、レコードショップで彼女がモータウンから出したソロ・アルバムのアナログ盤が飾ってあり、値札には目の飛び出るような価格が付いていた。欲しかった。でも、買えなかった。 ソウルフル一辺倒ではなく、さわやかでメロディアスなポッピズムを組み入れた、洗練されたサウンド・オブ・ヤング・アメリカを追求していたモータウンにあって、タミーのような唱法は、果たしてマッチしたのだろうか? したのである。それも、モータウンの社長の姉と結婚し、モータウンのプリンスと呼ばれるも、まだまだその有り余る才能を開花させられずにいたマーヴィン・ゲイを、持ち前の明るさと飾らない人柄、チャーミングな容姿、何より、シャイなマーヴィンをグイグイと導くエネルギーで、一躍“理想の恋人”にまで押し上げてしまったのである。 マーヴィンは、数々の女性シンガーとデュエットをしているが、タミーとの相性は抜群である(最悪の相性なのがダイアナ・ロス)。本来、スムースな歌い方にこだわるナット・キング・コールやシナトラ好きなマーヴィンと、モータウンの歌手にしては少々アーシーなタミー。この二人が組むと、まずはパンチのあるタミーが、敢えて三歩下がって、マーヴィンを強く前に立てる。そうすると、途端に、マーヴィンが誠実な青年らしい青臭いまでのシャウトで弾む。よしよしと頷きながら、確かで力強いタミーの声が、不安定なマーヴィンの声を支え、かえって自由に遊ばせてあげる。 二人が組んだ瞬間、それまでにない自分を引き出し合うことで、完璧なカップルとなったのである。ジェントルだけど押しの弱いマーヴィンは、やがてタミーをリードし、本来快活なタミーは、自我を抑えることでマーヴィンに安心感を与え、今度はマーヴィンのエスコートを受けて光り輝く。スタジオに入り、二人が声を出した瞬間、立ち会ったミュージシャンたちは、思わず鳥肌が立ったと言う。 しかし、である。互いに、音楽活動の中では恋人同士であっても、スタジオを離れれば、マーヴィンは妻の元へ、そしてタミーは、恋人であるテンプテーションズのスター、デイヴィッド・ラフィンの元へと、それぞれ別の道を帰途につく。実に切ない。その実生活の二人のロマンスが、上手く行ってなかっただけに。 後に、マーヴィンは、タミーに対して好意と敬意はあったけど恋愛関係はなかった、と述べたという(マーヴィンとのデュエット=疑似恋愛の美しさに嫉妬したデイヴィッドが、タミーに暴力をふるったという真しやかな噂は、さりげなく某再現ドラマにも描かれている)。本当だと思う。恋愛関係はなかった。だが恋愛感情はあったのではないだろうか。マーヴィンは、タミーを愛していただろう。だが、愛しているからこそ、深入りしなかった。後に、セックス・シンボルとなり、ポルノの権化のようにさえ道化てみせるマーヴィンは、反面過剰に潔癖な男であったのだ。 その証拠は、タミーの死にある。1970年、タミー・テレルは、ステージ上でデュエット中のマーヴィンの胸の中に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。脳腫瘍。20代、美しい盛りであった。以後、マーヴィンはステージ恐怖症、対人恐怖症となり、人気シンガーへの階段を放棄して一年以上も音楽活動を休止してしまった。これは、よく言われるマーヴィンの繊細さのゆえのみならず、タミーへのプラトニックな愛のゆえではないだろうか。私は、そう信じたい。(了)タミー・テレル/THE BEST 1200 タミー・テレル
2006/12/13
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う~ん、iPod初代からの愛用者として、3台乗り継いで(併用して)来ましたが、もう“音楽再生メディア”という点では、iPodは天井に着いちゃった感があるかなぁ、と。今、アクティヴのモデルには5000曲近いデータが入っていますが、正直、ちょっとした旅に出たって、5000曲聴くこと、ないですから。 つまり、iPodは“再生できる音楽データベース”へと役割がシフトしていくんじゃないでしょうか。要するに、iPodがiTunesになり、iTunesがストアになる。管理よりも、むしろダウンロードの窓口として認識されるようになる。いや、もう携帯電話で音楽が聴けるようになってから、すでにそういう役割のシフトは徐々に起こっていたわけで、ここのところリリースされて、そこそこ喝采を浴びてきたiPodたちは、言うなれば余力的な勝ち方だったと思うのです。 再生に特化。これが、これまでは隙間産業だったのが、こと“音楽再生メディア市場”の本流においては、文字通り一番激戦区になると思うのです。 とはいえ、スペック的には各社横並び(実際、私も今は好きな曲だけ入れて、ICレコーダーの方を持ち歩いてますからね)なので、逆に、もうすでに個性がない機種はどんどん淘汰されています。じゃぁ、音楽再生メディアの個性って?他機種と差別化するメリットって? その一つの答えがpokeotoじゃないか、と。といって、別にこのpokeotoに過剰な個性がある訳ではないのですが、感覚的に、個性的なのです。まずHPの作りからしてスマート、というか賢いなぁ、と。質素豪華、なんです。形容矛盾ですけど、素っ気無いのに、華があるというか。デザインシンプル、カラー豊富。これだって、どこもやってますよね。携帯電話ですら、同じフォーマット踏んでますから。でも、プロダクトデザイン的な気分って、案外まだ受け入れられるんでしょうね。USBで直結。これも新しくないなぁ。 そう、スペック表見ても、他者との比較において、安い、という以外に際立ったメリットがないのです。でも、なぜか洒脱。 洒脱と思わせるための戦略が上手いのかな。ELLE誌とのコラボレーション、サブカル的な控えめな露出、浸透していくようなスピードで売ることしか考えていない素振り。 確信犯的没個性の追求に、大衆文化や大量消費社会の欲望の矛先を見つけたウォーホール流のシニカルなポッピズムが、21世紀的に結実すると、案外このpokeotoのようになるのかもしれません。 さぁ、やっと入り口の広がった熾烈な闘技場で、pokeoto旋風は果たしてやってくるのか!?(了)
2006/12/06
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ブログ上でお付き合いのある□■万屋本舗■□さんが出演されるアカペラステージに、場の雰囲気にそぐわないオトコがふらりと入場。仕事の合間を縫って、24日午後1時からの会を、ワンステージとちょっと堪能。 メンバー紹介がなかったので、どの方がどの方か分からずも、久しぶりに生の声で綴られた唄心に耳を奪われる。“さくら”では、メンバーの息もぴったり合い、人数以上の量感。ラストの“タッチ”では、アップでのカンの良さに、思わず場内もヒートアップ。アップがいい、ということは、リズムとテンポがきちんとしている証拠。ミニー・りパートンの“lovin' you”は個人的にも大好きな一曲。冒頭のソロパートをあえてほんの少し厚くすると、その後の展開とのつながりがさらにスムーズになる(ハズ)。アノ手の曲はぜひとも生で聴きたかった一曲にて、満足。 もっとたくさんのレパートリーを聴いてみたい。20分という時間が、短く感じられた。教室を出る際、その場にはHNでのアンケートが残されていたとかいないとか。(了)
2006/11/24
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『マーヴィン・ゲイ/ワッツ・ゴーイング・オン~ライフ&デス・オブ・マーヴィン・ゲイ』は、ちょっとトホホな内容でした(マーヴィンを師と仰ぐ私ですらそう思ったほど)。商品のリヴューを再アップしますと、「マーヴィン・ゲイ関連の情報は一通りチェックしてきた。もちろん、映像関連も、ブートレグまで網羅してきたつもりだが、この作品には、それでも知らなかった貴重な映像が満載である。ただ、半ストーリー仕立てになっている本編は、マーヴィンの理解に先入観を与えかねない作りであること、インタビューに応じる面々が他の関連作品と代わり映えがしない(マーヴィンの実弟フランキーの奥さんが登場したのは驚いた)ことはやや気になる。 また、残念なのは、ライブ映像シーンが既出のもので、しかもあまり絶好調でない時期のものなのが残念だ。マーヴィン・マニアなら押さえたいところだが、そうでない人には魅力に欠けるかもしれない。」で、星三つ。そうなんです。なんか、物足りなかったんです。ところが、同じシリーズ第二段としてリリースされた『テンプテーションズ/ゲット・レディ-ディフィニティヴ・パフォーマンス 1965-1972 』、いいじゃないですか!!もともと、センシティヴィティやアーティスティックな面はマーヴィンを師匠に、スタイリッシュな部分はテンプテーションズを師匠としてきた私(勝手にすみません)だけに、マーヴィンを押さえたらやっぱりテンプス押さえないとダメでしょう。で、何がいいかといえば、こちらは映像が素晴らしい。資料的価値も高いし、とにかくあの5人が動きまくる!! みんな若くて、細くて、キビキビしてて、もう無茶苦茶に格好いいのです。もともとテンプス、それもオリジナルメンバー時期のテンプスの映像資料は、国内はもとより、国外でも数が少なく(暫定メンバーでのライブ映像や、特番、再現ドラマなどはあります。昔は探し回って入手しましたが、今は比較的入手しやすいようです)、ここまで集まっているのは、この作品がはじめてではないでしょうか。 エディ・ケンドリクスのハイテナー、いいなぁ(かわいい顔してヘビースモーカーだったエディ、途中で若干歯が黄ばんでたりするも、私のような数寄者にはたまりません。そのあと、またた歯が白くなってて、思わず「ザクトライオン、使ったのか?」とツッコミましたけど)。スタイルもクールだなぁ。メルヴィン・フランクリンの低音、国宝級だなぁ。今更ながら、ポール・ウィリアムズの声、いいなぁ。デイヴィッド・ラフィンがいなければ、テンプスは成立しないけれど、デイヴィッドさえあんなオトコじゃなければ、間違いなく“テンプスの声”になれただろうに。自殺しなくて済んだだろうなぁ。 そのデイヴィッド・ラフィンこそが、嫌なヤツだけど、ニクいアイツなのです。もう天才。グッチ裕三さんもテンプス好きで有名ですが、「デイヴィッド・ラフィンは天才だ!!」って絶賛してました、とある番組で。 私は、目立ちたがり屋で、カリスマがあって、マーヴィン先生の心の恋人、タミー・テレルに暴力ふるって(疑惑か?)、ジャンキーで、おまけに早々にテンプスを抜けてしまう“わがままデイヴィッド”が、大嫌いで、大好きです。単純に、格好いいから。もう、鳥肌立ってしまうんです。その声、その動きだけで。指先立てただけで、うわーって。あんな針みたいな体して、どこからあのエネルギーが出てくるのか??? 歌は正直、ポール・ウィリアムズの方が上手いですよ。はるかに。声はユニークだけど、かすれていて、スムースでもない。音程も時々やばい。特に乗ってるときなんか、高いキーではがなってますよ。でも、聞き手を圧倒し、説得し魅了する何か、そう、悪魔的な何かがあるのです。 デイヴィッドは、「自分こそがテンプスであり、自分のいないテンプスはありえない」と公言し、グループ名も“デイヴィッド・ラフィン&ザ・テンプテーションズ”に改名しろ、とフロントに迫ったそうですが、その鼻持ちならない高慢さと、音楽への青臭いまでの情熱、そして周囲を虜にしてやまないカリスマは、やはり天才の名に恥じない、神様から我々へのギフトと呼べるかもしれません。 テンプスを観ていると、つくづく、彼らはCDでは本当の魅力が伝わらないなぁ、と思います。名曲“My Girl”ひとつとっても、あの5人のアクションとダンスがあって始めて、彼らの美とスタイルが立体化するのだと痛感しました。このDVDこそ、買いですよ!! あ、そうそう、肝心のリーダー、オーティス・ウィリアムズが、インタビューで自身を「スーパー・グルー(超強力接着剤)」と評していたのは、まさにその通りで、他のメンバーに比べてあまり目立たないリーダーは、しかしながら結成から現在まで、幾度もメンバーチェンジを繰り返してきたテンプスの最後の生き残り(事実、オリジナルメンバーの他の4人は皆他界しています)であり、かつリーダーであります。人の出入りが激しい名門グループを結束させてきた苦労人。看板の守護神。人にはそれぞれ役割があるものですね。見かけによらずいいヤツ、デニス・エドワーズや、“今はぽっちゃり、昔はキュート”なデイモン・ハリス、“器用なユーティリティ”リチャード・ストリートら、テンプスを出入りしたメンバーたちもちょこっと出演。(了)テンプテーションズ/ゲット・レディ-ディフィニティヴ・パフォーマンス 1965-1972 マーヴィン・ゲイ/ワッツ・ゴーイング・オン~ライフ&デス・オブ・マーヴィン・ゲイ
2006/11/22
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破天荒な人生と引き換えに、音楽の神の寵愛を一身に受けた、無頼派にしてロマンティックな天才ミュージシャン、バーデン・パウエル(“黒いオルフェ”などが有名)。酒浸りの日々、バンドマンへの虐め…その一方で子供たちを溺愛した、二重人格者のテクニシャンは、契約の自由を得るために、わずか数週間(しかもツアー先)で、四枚のアルバムを即録音。そのどれもが大傑作なれど、白眉はこの一枚、『モンド・ミュージカルVol.1』。こういう芸当が出来る人、本当にいるんですね。しかも、相手はフランスの名門レーベル、バークレーですから、基準は高いはず。 はたして、この四枚で相手は満足、晴れてバーデンは自由契約になったという逸話も本作は、ブラジル音楽のスタンダードと呼べる名曲が詰まった、いわばベスト盤的一枚です。(了)モンド・ミュージカルVol.1
2006/11/11
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私が、ベルギー大使館の文化イベントの両国の調整役を務めた時以来交流のあるプロモーター/ミュージシャンからお誘いがあり、去る9月14日、渋谷のクロコダイルで開催されたナイジェル・マクレアンのライヴに行ってきました。 前半はスペシャル・セッション。水口昌明(ギター)、楠井五月(ベース)、 ゲストに北床宗太郎(バイオリン)といった面子。セッションは、ジャジーな雰囲気たっぷり。往年の欧風カフェ(ま、行ったことはないのですけど)のような猥雑なれど洗練されたムードの中で、ナイジェルのインプロヴィゼーションが炸裂。ワタシ、この方大好きで、何度かステージに足を運んでいますが、スキルもさることながら、ステージングがイイ。ジャムを楽しんでいるフィーリングが全身から出ていて、聴いてるコッチも盛り上がります。 自身のバンド“Blue Dugs”は大所帯のようで、ナイジェルはステージで、「今日は仲間を連れて来れないから、マックを連れてきたよ」とご愛嬌。しかし、個人的には彼のバンドの曲はプログレッシヴ過ぎて、いまひとつ好きになれませんでした。よく言えば、頭の良い音楽なのですが、アート性が強すぎて、身体性が欠けるような気がしました。ただ、こうした音楽的実験そのものが、あえて身体性を排除する意図だったのかも知れませんが。 気になるのは、ゲストで招かれた女性シンガー。バラード曲でのリズム感はもう一つ、という感じでしたが、難しいはずのアップの方は相当にレベルが高く、グロウルするところもパンチがあって素敵でした。とても美人だったので、詳細が知りたかった…と弟にこぼしたら、馬鹿にされましたけど。(了)●ナイジェル・マクレアン/Nigel MacLean オーストラリア出身のジャズフィドラー。米国ボストンにあるバークレー音楽院に奨学生として留学した後、プロのバイオリニストとして活動を開始。1991 年から94年にかけては、Diz Dizley、Bob Dylan、John Denver、Paul Kelly、Renee Geyerといった一流アーティストたちと共演するかたわら、オスカーに2度ノミネートされた実績を持つDavid Hirschfelderのオーケストラディレクターとしても活躍。『Elizabeth』や『Sliding Doors』、『The interview』などの作品も手がける。近年は、豪国きっての人気ピアニストJoe Chindamoのアルバムに参加するかたわら、1999年から手がける『Don Harper's Project』が2004年ついに完成。自身のリーダーバンドBlue Dragも本格的に始動。 2004年の初来日以来、彼のダイナミックで創造性に富んだ演奏は、観客ばかりでなく、数々の演奏家からも熱い注目を浴びている。
2006/09/28
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とにかく問い合わせがすごかったんですってね、ギャッツビーCMの“声の主”について。過日、当ブログにも情報を寄せていただきましたが、ネット上では同じような話題がゴマンとありました。なので今更なのですが、“声の主”は日本で活躍するシンガー/ソングライターのGary Adkins氏だそうです。早速検索してみると、オフィシャル・サイトが!!日本絡みのCM、かなりこなしてますねぇ(ちゃんとギャッツビーのCMも試聴できるし…)。 ぱっと見、ありし日のフィリップ・ベイリー氏@アース、ウインド&ファイアみたいなお面相。ま、スムースつながり、ということで。シカゴ生まれで、アトランタ育ち。初期はアトランタで音楽活動開始。大物プロデューサーと契約して、活動拠点を米国外に移すことに(何だよ、モータウンからもオファーが来てたのか…スゴイ)。ブラジルからドイツ、韓国、香港、日本など、まさに世界を股にかける活躍。 その後米国に戻り、なんとマーヴィン・ゲイのカヴァー(しかも“Innner City Blues”。ほぼ全編ファルセットの原曲だけに、自分の魅せ方、わかってるなぁゲイリー氏)。ソロ活動もそこそこ当たったようですが、結局再度日本に戻り、職人気質全開!!鈴木雅之氏、SPEED、杏里、ハウンド・ドッグらのツアーやレコーディングでコツコツとその美声で貢献。かたわら、CMやジングルなども手がけた模様。その一環がコナミのゲームの中のカヴァー曲やら、今回のギャッツビーの仕事だったワケですね(確かによく聴くと、「愛がすべて」原曲よりも、フェイク部分のコブシ回しがもう一つ多い!!)。 ちなみにGary氏、好きな数字は3。ボクシングが大好きらしいです。(了)ギャッツビー ムービングラバー クールウェット 15g
2006/09/14
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元来コンピレーションものが嫌いな私。コンピレーションというからには、com(con)なわけですから、意味があってコンパイルされなければ意味がない。綿密だったり明確なコンセプトが一本あって、それに従って編集されてあることに妙味があるはず。しかし、昨今のコンピレーションものといったら、「女性」とか「癒し」など大きなテーマで括っておいて、あとは雑多に曲を並べるだけ。これ、福袋より酷い“一山幾らで持ってけドロボー”の世界です。音楽の叩き売りです。よって、レア・トラックなど、コンピレーションものでしかもはや聴けない曲目当ての時くらいしか買うことはありませんでした。 そんなこんなで、サントラなどは好きなのに、長いことコンピレーションものに抵抗があった私ですが、何と言っても音楽業界にあってはコンピレーションものは利益の効率の良いアイテム。コンピレーションというスタイルのパッケージが市場に出るようになったのは実は案外新しく、そう古いことではないのですが、何たって、過去のカタログ(音源)で一枚新譜を作ってしまうという、言わば錬金術みたいなモノ。しかも、売れるモノは、数万枚売れるというのだから、下手なアーティストの新作よりも、軽く売れてしまうのだから笑いが止まりません。 最近はコンピレーションもののリリースラッシュも安定期に入っています(レゲエやダンス周辺は相変わらずアゲアゲですが)が、CMで流れていて耳に付いてしまったので、『Beautiful Songs~ココロデキクウタ~』、買ってしまいました。ダニエル・パウターの“Bad Days”一曲のために…という、コンピレーションものにアリガチな衝動もありましたが、なかなかどうして、コンセプト通りに“ココロデキクウタ”かどうかは別として、ヒット曲集としてはボリューム満点の内容。こういうの、ズルいよなぁ、と思いつつ。ジェイムス・ブラント、ジャックス・マネキン、リサ・ローブあたり、惜しげもなく持ってきちゃう。 今回は完敗です。人間が丸くなる年頃なんでしょうかね?(了)Beautiful Songs~ココロデキクウタ~【メール便なら送料無料】ダニエル・パウター/ダニエル・パウター≪CD≫初回
2006/09/12
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夏も終わり、秋の訪れというのに、相変わらず売れていますね,Bonnie Pink氏の『BONNIE PINK /Evry Single Day-Complete BONNIE PINK(1995-2006)』。ま、“A Perfect Sky”が大当たりしたから、夏のイメージが付いてしまいましたが,別に夏限定アーティストではないですからね、Bonnie Pink氏。 あの曲がなんで気持ちイイのかなぁ、と何度も考えてみたのですが、あの曲、ソウルの80's クラシックのテイストがすごくするんですよね。80年代に入って、ソウルがファンキーから少しアーバンに移行していった時期、クワイエット・ストームやらブラコンなんて言葉が出始めた時期の香り。どうりで、音の躍動感にも関わらず、涼しげなワケだ。 で、“A Perfect Sky”を聴いて思い出すのが、老舗アイズレー・ブラザースが見事に時代に挑戦して大ヒットさせた一曲“Between the Sheets”。そう、“シルクの似合う夜”ですよ(すごい邦題…)。頭の中で、“A Perfect Sky”から重めのビートを取り除くとあら不思議、“Between the Sheets”の味わい。さすがにセンスがいいなぁ、Bonnie Pink氏。 ちなみに“Between the Sheets”は、古内東子氏が『CRAZY FOR YOU』の中でカバーしており、これもまたイイ感じです(原曲を知る人には、思わずニヤリな歌詞の変更が!!)。(了)まだまだ現役。また若いコと再婚までしちゃったロナルド御大のベルベット・ヴォイスが堪能できる官能的作品。↓【Aポイント付】アイズレー・ブラザーズ Isley Brothers / Between The Sheets (CD)【CD】A Perfect Sky【通常盤】 / BONNIE PINK【送料無料】BONNIE PINK /Evry Single Day-Complete BONNIE PINK(1995-2006)
2006/09/10
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懐かしいですね。ギャッツビーのCMで流れている曲。The Stylisticsの“愛がすべて―Can Give You Anything (But My Love)>”ですよ。キャッチーなメロディでディスコブームの寵児となったThe Stylisticsは、一部のコアなブラック・ミュージックファンからは「ポップ過ぎる」なんていわれたりしますが、やっぱり耳に入ってくると自然と体が動きますよ。名曲ですもん。 ところで、“あぁ~い、Can Give You Anything ~♪~But My Love~♪”と歌われるこの曲、CMでは、“But My Love”のところが「ギャッツビー~♪」と歌われています。 元歌を聴きなおしてみると、声はもちろん、フェイクするところまで同じなんです。まさか、The Stylistics本人に歌わせるワケはないでしょう?編集でしょう??じゃ、あの「ギャッツビー~♪」の箇所は一体誰が歌ってるんでしょう???気になります。私は、もしかしたら、敬愛するシルキー藤野氏ではないかと勝手に思っています(あの雰囲気が出せるファルセット使いは、日本ではシルキー氏以外にはいないと思うのですが)。どうなんでしょうね。 あ、ちなみにこの曲のサビはもちろん、松田聖子氏の“青い珊瑚礁”ですよネ?(了)■送料無料■The Stylistics【Colezo! Stylistics】楽天ダウンロードはコチラからできます。↓THE STYLISTICS『<SPECIAL PACK>スタイリスティックス』
2006/09/07
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なんてったってアイドル、なCM、最近OAされてますね。小泉今日子氏ですよ。私の青春時代、全盛だったアイドルブーム。我が家は今時テレビ禁止の家庭でしたので、アイドルのことなど何も知らずに青春時代を悶々と過ごしたわけですが…。 とはいえ思い返せば、あの頃は純正アイドル、つまり60年代、70年代に確立されたアイドルの系譜がまだ存在し、そしておそらく最後の一花を咲かせていた時期だったのではないかと思います。小泉今日子氏もまさにその一翼を担っていたはずです。 その小泉今日子氏も、アイドルとしてのキャリア後半では、非常に良質な楽曲に恵まれて、今の半アイドル/半アーティスト(つまり非・純正アイドル)へとスライドして行ったのです。現在の音楽シーンは、半アイドル/半アーティストが、かつての純正アイドルの占めていた土俵でしのぎを削り、一方で役割の上では、ポロっとシングルCDなどを出すことで、タレントやモデルが、かつての純正アイドル的なポジションを演じているのではないかと勝手に分析しています。 しかしこれはあくまで純正アイドルの亜種であって、現在はポスト小泉とも呼べる純正アイドル、古き良きアイドルの正統継承者が見当たらない(特に、女性アイドル)な、と時の趨勢の激変に思いを馳せるのです。男性アイドルは、高度にシステム化した“ジャニーズ生産方式”があるおかげで、市場独占状態になっているとはいえ、安泰ではないでしょうか。 余談ですが、こうした業界の変化には、アイドルのカテゴリーに、非常にビジュアルに重点を置いたグラビア・アイドルという種族が登場し、急速に台頭したことも遠因の一つとなっている気もします。(了)
2006/09/02
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運命というヤツは酷薄なもので、時々きつい肘鉄砲を喰らわすもの。そんな時に聴く、ちょっと感傷的だったり、しみじみしたくなる曲ってありますよね。先日日記で『ELVIS/エルヴィス』の紹介をしましたけど、そのラストで、彼が本当に歌いたかったテイストの曲として、渾身の力で歌い上げる一曲が“If I Can Dream”。改めて聴くとイイ曲なんです。エルヴィスやケルアック、今で言うとマイケル・ジャクソンは、私、「外皮色素同一性障害©」、つまり肌の色に馴染めない、自分の生まれついた肌の色は実は本当にまとうべきでなかった色として精神的にも社会的にも不都合を来す人だったのではないかと思います。エルヴィスは黒人。白い肌をした黒人。だから、“If I Can Dream”というゴスペル調の曲には、彼のソウルが詰まっているのです。エルヴィスがもし白人でなかったら、“ロックの神様”にはなっていなかったでしょうれど、もう少し長生きしたのではないかな、と色々な意味で思います。さ、この曲聴いて、じんわり元気出すぞ!!(了)追)昨日は母の誕生日。祝うつもりがかえって励まされてしまいました。愛を込めてここに感謝を記します。『If I Can Dream』There must be lights burning brighter somewhere Got to be birds flying higher in a sky more blue If I can dream of a better land Where all my brothers walk hand in hand Tell me why, oh why, oh why can't my dream come trueThere must be peace and understanding sometime Strong winds of promise that will blow away All the doubt and fear If I can dream of a warmer sun Where hope keeps shining on everyone Tell me why, oh why, oh why won't that sun appearWe're lost in a cloud With too much rain We're trapped in a world That's troubled with pain But as long as a man Has the strength to dream He can redeem his soul and flyDeep in my heart there's a trembling question Still I am sure that the answer gonna come somehow Out there in the dark, there's a beckoning candle And while I can think, while I can talk While I can stand, while I can walk While I can dream, please let my dream Come true, right now Let it come true right now Oh yeahELVIS/エルヴィス
2006/08/19
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