サリエリの独り言日記
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さて1ヶ月ほどUPをズルしているあいだにも、世の中は驚くほど進展していくので、ニュースキャスターや時事評論家諸氏の皆さんにとっては、いそがしくて笑いがとまらない季節なのでしょうが、現実の娑婆を生きる庶民の一人である私にとっては、他の大多数の皆さんと同じく、厳しい毎日が続きます。 まあそれはさておき、とりあえず今日書こうと思ったのは西郷信綱さんのことです。今日の新聞紙面に西郷さんの訃報が掲載されていたからで、世間からはほぼ忘れられた古代文学研究者と思っていた私には、意外だったのでした。ほぼ忘れ去られたとは、例えば彼の代表作の一つ、岩波新書「古事記の世界」が古書でしか手に入らないことでも明らかで、他の重要な著作(「国学の批判」や「古代人と夢」、「万葉私記」など)も、「古事記注釈」(ちくま文庫全8巻)を除いて、まず書店で手に入らない。 私に云わせれば「古事記注釈」など、文庫で気楽に読めるというような代物ではなく、いわば西郷ワールドの集大成と言うべき大著なので、ふと古事記の世界に入り込もうと思った人が読むにはちょっとやっかいな本なのです。むしろ絶版状態の「古事記の世界」や「詩の発生」あるいは「古代人と夢」などのほうが、一般の古代ファンには入りやすい(それでも充分読み応えのある中味です)。 私にとって西郷さんの著作は大岡昇平や深瀬基寛などと同列で、若いころの生きる糧になった本で、その内容がほとんど理解できてないにもかかわらず(今でも)、多量の想像力を与えてくれたのでした。他の優れた著述家の本と同じく、西郷さんの本は読者の多面的な想像力を刺激して止まないので、その射程距離は国文学の範疇をはるかに越えて古代史や神話学、民俗学、社会人類学や政治学にまで及ぶものであったでしょう。 しかしその学究的な難解な意匠にもかかわらず(ほとんどが学術論文なので、一般読者が知らない学識が前提になっている記述が多いのです)、普通の読者も惹きつけたというのは、文章の根本に国文学に対する詩心(うたごころ)のようなものが感じられたからでしょう。 高校生時代に「古事記の世界」に出会ってから40年近くになるのですが、そのころの期待とは裏腹に西郷さんが提示した国文学への社会学的な視点の導入というのは遅々として進んでいないように見え、和歌は和歌、俳句は俳句、謡曲は謡曲というように、それぞれの文学世界でいまだに円環的に閉じているように思えます。日本の古典文学作品を等価に並べて評価するには、この構造社会学的な視点がどうしても必要だと、そのころの私は一人で興奮していたものですが、今から考えてみるとこれはずいぶん困難な方法だったのかもしれません。 早い話、西郷さんの「古代人と夢」は、発行当初ずいぶん話題にもなり、書評にも取り上げられましたが、それを方法として継承するような学者さんは出ていないような気がします。まあ源氏物語を取り上げるまでもなく、日本の国文学には長い長い批評の歴史と方法があり、これだけ手垢がついた評価の伝統を覆すのは並大抵ではないでしょう。しかしこれなくしては古典文学を社会で共有するというのは、おそらく不可能で、そうであるかぎり古事記や源氏物語あるいは謡曲や浄瑠璃も、しかるべき同好の趣味人の世界で閉じてしまって外に出てくるということはない。 西郷さんは国文学の重い伝統を充分に意識しながらも、発展的な批判の方法として構造社会学や神話祭式論を持ち込んだのですが、立ち位置はあくまで先ほども言いましたが、国文学に対する詩心にあるように思います。その学際的な多面的な意匠にもかかわらず、古代史家や民俗学あるいは政治学の側からの批評が入りにくいのもこの辺にあるようで、投げかけられた多面的な課題は、これからそれぞれの専門分野で評価され深化させられるのでしょうか。 訃報に接したのでとりあえず書きました。―― 合掌。
2008.09.27
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