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生きている私たちが、死者あるいは死に行く人たちを見つめるとき、我々の側はひたすら相手に対して、それが生きている我々にとって体験不能の状況であるゆえに、「敬意respect」あるいは「畏れfear」を抱くものですが、これを一言に「生存本能を掻き立てるから」という式の、通りいっぺんの理解のしかたでは、どうもまずいのかもしれません。 何となく仏教臭くなっていますが、これは最初から意図したものではなく、結果的にそうなっているのです。仏教ではすべての生き物に魂を見とめ、あるいは日本の古代信教にもすべての事物に「カミ」が宿る、というような汎神論的なものの見かたがあったようですが、要はかつての人間たちには、おそらく今どきよりもっとはるかに他者(異物)を、我が身と等価に扱う感覚を持っていたのではなかろうか?ということなのです。 それは例えば、今ふうなごく科学的合理思考がなくても、物事を真摯に観察し思索する構えがある人たちにとっては、ごくあたりまえに感知出来たことだったのかもしれません。それを可能にしたものは何であったのか?たぶん科学的客観性とはまた少し違った、それでなおかつ、他者(異物)に対する「敬意respect」あるいは「畏れfear」をともなった周囲への関心、というべきものであったでしょう。 未開の世界のほうが、他者(異物、自然)を検知する接触機会は、生きていくうえではるかに濃密かつ不可欠であったわけで、私たちはともすればそうした(異)世界が、じつはこの世を満たしているという事実を忘れがちです。私たちは自身の身体そのものも「自然(異物)に満たされている」ということを、その近代的生活スタイルによってほとんど感知しなくなってしまいました。 早い話、ちょっとビロウな話になりますが、水洗トイレの普及によって、私たちは自身の身体から搾り出した糞便を、ほとんど意識せずに毎日の生活をしています。外部から取り入れる食物についても、ナマのままの食材(生きた鶏とか豚の内臓などなど)というのは、ほとんど店頭から姿を消してしまいました。ましてヒトの遺体などというのは、都市化した今どきの世では、そのまま腐乱していく状態で放置されるなどということはもちろんなく、我々の目(つまり意識)からははるかに遠ざかっています。 じつは古代社会にかぎらず、平安の世でも中世でも、さらには江戸期においても、ヒトの遺体というのは田舎だけでなく都の内でも、けっこうその姿をさらす機会があったのではないか、と私は思っています。例の「古事記」はじめに出てくる、国産みの途中で死んだイザナミの黄泉の国での禍々しく腐乱した姿は、明らかに「殯(もがり、貴人の死体を、墳墓が完成するまで仮に納める儀式、場所)」の時の、変形していく遺体の映像がこだましているわけで、科学的合理思考とはもちろん違うけれども、古代人はそのさまを畏れを抱きつつも、仔細によく観察している。 自然(異物)と真近かに接していた古代人の目とは、よけいな知識を持たない子供が、外界を見る眼と少し似ていますね。 まあそれはさておき、少数の子孫(遺伝子情報)を残すために、唯々諾々ではもちろんなかったにしても、先に死んでいった圧倒的多数の個体をどう考えればいいのか?生きもの全般で考えるなら、「弱肉強食」「適者生存」といった進化論的なものの見かたで割り切ることも可能ですが、それが我が身も含めたヒトのこととなると、たんに世界の把握のしかたである止まらず、「思想(生きかた)」になってくるわけで、そうあっさりと裁断することも出来ないでしょう。 今どきの「新自由主義」なる考えかたは、この生物的アナロジーをごく偏頗(へんぱ)に人間社会に適用して、何ら疑問を立てるということをしません。彼らにとってそれがいちばん都合が良いからです。肝心なことは、その生物的アナロジーの中に自分たちは含まれていない(除外されている)、というはなはだ幼稚で傲慢な「考えかたの構え」そのものにあるのです。― つづく ―
2011.01.28
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この場合、「生き延びる」とか「生きていく」というより、こうした絶対的絶望下の状況で、なおかつ自身がこの世に「生きて在る」ということの意味づけ、といったほうがよいかもしれません。 そうしたとき、人の心理としては、我が身がこの世と完全に孤絶した自己でなく、何らかの他者(家族、母、肉親、恋人)という異物と関わっているに違いない、ということを意識せずには、「今こうして、このように絶望的な状況下にあって、なおかつ生きて在る」自身の意味を、納得させることが出来ないらしいのです。 で、それは生き物であることの本源、 ― 「外部からの絶え間ないエントロピー拡散の圧力に抗って、皮膜に覆われた個体の内部秩序を維持しようとする「意志」 ―が、ヒトという妙に脳化した生き物にかぎって、特異的に現れた心理ではないか?と思っているのです。 それじゃ、他の生き物は?と聞かれても、もちろん困るわけですが、例えばクマとかライオンとか、あるいは鳥でもシカでもいいのですが、彼らの「子育て」というのは、どうも「スペア(予備)の原則」に由っているような気がする(もちろん、そんな原則はどこの本にも書いてません。私の勝手な規定です)。もっというと、サカナでも植物でもそうじゃないか、と思ってしまうのですが、要は彼らにとって子孫を残すとは、出来るだけスペアを準備しておいて、自身の子孫(情報)が継承される機会を増やしておく、という原則に従っているような気がするのです。 「そんなの、あたりまえじゃないか!」と謗られそうですが、私はじつをいうと、この場合の親と子の関係というか、双方が相手に抱いている心理(もし、そんなものがあるとすれば)、のようなものを考えています。なかんずくスペアとして「この世に在る」子供のほうの心理状態を、です。 こんな妄想を抱くというのは、さまざまな動物番組を見ていて、子供というのは、大半が親の子孫を残すための「犠牲死」を、最初から前提されているように思うからでした。生き物によって、もちろんその生存の数とか比率には大きな開きがあるわけですが、例えばクマの子というのは、たいてい二頭で生まれて一頭だけが生き残る。もう一方は最初から「犠牲」になることを前提されている、あくまで予備としての意味づけしか与えられていないように見える。 これはサカナを例に取れば、もっとすさまじい話になるわけで、数千数万の稚魚は一、二匹の子孫を残すためだけに存在する。数百数千数万分の一の確立であっても、親の情報を確実に継承させるために「犠牲死」することが、最初から規定されているわけです。このあたり、もしすべての稚魚が、個体ごとに同じレベルで生存することを欲望する、つまり利己的な振るまいを最後まで貫徹するとしたなら、最終的には同族相食むことになって、全滅してしまうでしょう。 とすれば、「生命秩序の維持を図る」という生き物の様態からみて、何らかのセーフティーネット(安全網)が、どこかにピルトインされているのではないか、という気がするのです。 一見、個体単位で利己的に振るまっているように見える稚魚、あるいは子グマでも幼鳥でもいいのですが、「弱肉強食」で勝ち残った強い遺伝子だけが継承される(場合によっては、兄弟を蹴落とす)、というような「適者生存」というものの見かたには、何やら大きな見落としがあるようです。要は何度も言いますが、ごく少数の適者を残すに際して、散っていった側のほとんどの同族とは、いったい何だったのか?ということなのです。 私は、ここに何がしか、原初的な「犠牲死」のスイッチが、すべての生き物にピルトインされているような気がしてしかたがない。つまり、すべての個体は一見利己的に振るまっているように見えながら、ある段階で利己的な振るまいを放棄するように、あらかじめ仕組まれているのではないか? で、このように「犠牲死」のスイッチが入った側の生き物とは、ひょっとすると「他者(異物)」を受け入れる態勢になったものではないか?という気がしているのです。― つづく ―
2011.01.25
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山本七平さんの「一下級将校の見た帝国陸軍」(文春文庫)の後半に、敗走してジャングルにたてこもっている兵士たちに共通に現れた心理というか、「長期持久戦」という軍の布告に対して、山本さんの僚友が語った言葉、「一兵でも多くの米兵をここに引きつけておく限り、敵の本土進攻はそれだけおくれる。 … そうやってオレたちが命を縮めれば、家族の命はそれだけのびるんじゃ」、というような認識のしかたは、多少のかたちの変化はあっても、昭和二十年の春から夏にかけてフィリピンのジャングルで共有されていたらしいということです。 そういえば、硫黄島の栗林中将の訓示にも、似たようなくだり(「我々がここで一日でもがんばって犠牲になれば、それだけ和平のチャンスが生まれるのだ」だったですか、まあこれは映画の科白かもしれませんが))があったような気がします。 さて、こうした「犠牲になって生きる」という考え方について、山本さんは後段の「 … そうやってオレたちが命を縮めれば、家族の命はそれだけのびる」という理解のしかたは、軍の布告としてはありえない、とされます。― 「自分が命を縮めるだけ家族の命がのびる」という発想、この考え方で自己を支えていく生き方は、いかなる“布告”にもその契機があったとは思えない。しかし当時の … 多くの人を、最後の土壇場でなお支えていたものは、表現は違っても、実は「犠牲になって生きる」というこの考え方であった。 ― (「一下級将校の見た帝国陸軍」、文春文庫、202頁) 「絶対的死」という事態が現実に迫ったとき、人が今この時を生きるためのよすがとするものは、どうも我が事ではなく他者に仮託されるらしい、ということなのです。これは何も日本兵にだけ現れた心理ではなしに、例の「夜と霧」で有名なアウシュビッツを生き延びたオーストリアの心理学者V・フランクルの著作にも出て来ます。 山本さんの本によると、― 彼は、この収容所の中で、ガス室を前にし、自己の死を考えて苦しみに苦しむ。そして「犠牲という観点からだけ、苦しみに満ちた私の現存在が、耐え忍ぶことが可能に思われ」そこで彼は、「自分が苦しんだだけ、それだけ母が安らかに死ぬよう、自分の死が早かっただけ、母が末長く生きられるよう」と考えて、その苦痛から脱却するのである。 ― (同上) 「犠牲死」という観点で共通するところがあるにせよ、山本さんは自身も含めて日本兵が、それを上からの訓示のような語法で理解していたのに対し、フランクル他の収容所のユダヤ人たちは自己の主体的な意志によって神と取り交わした契約、という仕方で捉えていた点で異なるとされています。 まあそれはともかく、「家族」とか「母」とか他者に仮託しているとはいえ、ここで大事なことは、この「犠牲死」という想念は、自身の「生きたい!」という願望の倒錯した現われに他ならない、ということなのだと思うのです。 「他者のために死ぬ」というのではなく、何とか自身が生き延びるために「自分がもう一日がんばれば、家族ももう一日生き延びられる」「自分がもう一日苦しみを受ければ、母はもう一日生き延びられる」というのは、絶望的な土壇場にあって、なおかつ「生き延びたい」という原初的な生命の在り様が、あるいは出ているのかもしれない。そうした状況下にあっても「生きていく」ことの意味を見出すのに、生き物というのはどうも「自己以外の他者」というものを、どうしても持ち出さざるを得ない存在なのではないか?― つづく ―
2011.01.20
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じつはここしばらく、家族がA型インフルエンザに罹って、いささか気分がナーバスになっていたのです。私自身はなぜかこれまで記憶にあるかぎり、かの症状に看られる突然の熱発とか、激しい咽喉部の痛みというものを体験したことがないのですが(腹部および、足の痛みはしょっちゅうですが)、はた目で見ても熱の出かたと咳の激しさは尋常じゃなくて、部屋じゅうがウィルスで蔓延しているかに思える。 「換気をせよ」とはよく言ったもので、要は「汚れきった部屋の空気を外気で希釈せよ」ということでしょう。それと「部屋の湿度を50~60%に保て」というのは、ウィルスの飛散を出来るだけ不活発にするという意味で、たんに咽喉部を保護するということではなさそうです。いずれもウィルスそのものの退治にはならないけれども、罹患するチャンスを出来るだけ低減するというところに意味があるようです。 さて、そういうわけで我が娘は、病院から生まれて初めてタミフルなる抗ウィルス薬を頓服薬とともにもらって来たのですが、何しろ私も含めて家族全員この新薬を見るのは初めてというわけで、その服用には神経を使わざるを得ない。例の「副作用で窓から飛び出るかもしれない」というやつです。我が家は共同住宅の二階なので、別に飛び出ても死ぬことはないでしょうが、だいいち近所迷惑だし、わざわざ痛い目に合ういわれはない、かと言ってベッドに括りつけておくわけにもいかないので、結局誰かが(親が)至近距離で見張るという仕儀に相成ります。 たまたま家内の仕事が休みだったので、これ幸いと私は家から避難して来たのですが、家内には(気休めでも)かねて取り置きのSARS対策用のマスク(アヒルの嘴様の)を着けさせて一日中見張るという騒ぎになりました。抗ウィルス薬は感染後二日以内でないと、ウィルスが増殖しすぎて効果が出ない由で、これの判断がまた微妙であるうえに、たまたまその日が休診日だったりすると、わざわざ遠方の救急医院まで出向くというのもなかなか億劫なのです。 それにしてもインフルエンザの熱発は激しいですね。こちらが予期する以上の体温上昇が続いて、そういう時のために頓服薬を使うのだそうですが、「8度5分以下では使わないでください」というのは、例えば平熱が普通より多少低い人はどうなの?という疑問がわき上がって来るし、高熱で苦しいのならなぜ使ったらイカンのか?という話になるのですが、「頓服」というのはあくまで対症療法であって、病気そのものの改善につながるわけではない、よほどの高熱で頭がオカしくなりそうなとき以外は使うものじゃないそうです。 早い話、ヘンに多用すると、かえって症状が長引いたり重くなったりすることもあるらしい。 このあたり、やはり生命の抗体反応というか、恒常性維持機能(ホメオスタシス)が微妙なバランスで働いていることを考えざるを得ません。つまり熱発は「病原体が起こしているのではなく、病原体をやっつけるために身体のほうが起こしている」ということなのです。生命が恒常性維持を快適に行っていけるのが、平熱(36℃~37℃)の時なのですが、これは同時に細菌やウィルスにとってもその増殖にとっても、きわめて居心地の好い温度環境だということ(というより、ウィルスにとっては、寄りつく細胞が快適な状態でないと増殖できない、ということですか)で、体のほうはそれを抑止するために体温を少し上げる。 普通の風邪のようなときは、1℃ほどの体温上昇で抑え込むのですが、インフルエンザのように増殖力が極めて強いウィルスの場合、それでは追っつかないので、アッという間に激しい熱発を呈するということでしょう。このとき身体は自身の組織が高熱で多少やられても、ウィルスをやっつけるのを優先するようです。高熱は細胞にとっても脅威なのです。 ということは、これは自身の組織を痛めつつも、それに優先して外敵をやっつけようという、いわば「せめぎ合い」の構図なので、したがって風邪やインフルエンザでは細胞修復のための栄養補給が欠かせない、ということなのでしょう。これは例えば「食あたり」の場合は、胃腸への供給は完全にストップして臓器の負担を失くし、栄養は点滴で補給するというのと対照的ですね。 ウーン、やはりうまく出来ているというか、理屈に良く適っているな、という気がしますな。 さて、その当該のタミフル、様子を見ているとさすがに良く効いて、服用二日目にはほぼ平熱に下がっています。しかしこのように有意な効き方というのには、何となく不安も感じさせるので、あにはからんや、やはりアトピーというかたちで(「窓から飛び出る」ではなくて)副作用が出ているようです。このあたりは、しかし先ほどの身体自身の抗体反応といっしょで、「何もかも片方が一方的に利得を得る、などということは、本来この自然界にはあり得ない」、ということを紛れもなく示しているようで、しょうがないでしょう。 しかし、今どきの風潮というのは、この「一方的利得」というのを当然(Winners Take All)と考えるのが、あたりまえなようで、こうした副作用一つ出ても「医者の処置が悪い」だの「政治が悪い」だのと、あっという間に「他責」的に原因を求めるのが普通なようですね。
2011.01.14
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年末でおしまいにしようと思っていた妄想話が、依然として続いています。 生命の在りかたというのが、もし「個体の内部秩序を維持しようとする意志」であるとするならば、前回書いたような我々が漠然と抱いている「女性」性なるものこそ、生命が登場したもともとの在りようで、「男性」性とは生命進化の過程で、その多様性を獲得するために、あとから「分化」して出来てきたのではないか?ということなのです。 それを古代人の意識としては、「女性」性なるものの表象を「大地」、つまりこの世に射程し、「男性」性なるものを、この世ならぬ「あの世」、破壊と創造の根源である未知なる力の表象として、はじめは地下(地獄)でイメージされていたものが、古代社会の整序化にともなって、天空に祀り上げられたのではないか? 「地母神(ちぼしん、大地の豊饒、生成、繁殖力を人格化した女神)」の具象は旧石器時代のビーナス像にまでさかのぼることが出来るとされ、今でも「母なる大地」という言葉があるように、これはたんに農耕社会の発生とともに生まれた信仰対象ではなく、おそらくもっともっと生き物としての人間が古くから抱いてきた表象であったろうと思うのです。というわけで「女性」性というのは、紛れもなく「この世」の秩序を表す記号として、ずうっと我々の内に宿って来たのではないか? 私がこんなことにこだわるというのは、たぶんもう想像されている人もおられるでしょうが、戦争に行った兵士たちが生きる希望の表象として、常に「女性」性としての「お母さん」を抱いていただろうということなのです。「母親」の表象とは「生きたい」という願望の、もっとも直截的な現われだと思う。 したがって私は、最後の突撃で「天皇陛下万歳!」(これはまさしく「男性」性の表象です)と叫んだ兵士の存在は信じられないのですが、「お母さん!」と絶叫して散っていった兵士は、間違いなくいただろうと思っています。この場合の「お母さん!」とは、兵士のこの世にまだ「生きていたい!」という、生き物として有り得べき自然な願望の表明に他なりません。 このあたり、今回の話をし続けているあいだ、ずうっと頭にこびりついて離れないのが、先に挙げた山本七平さんの一連の本です。 一般の普通の戦争体験者(我が父も含めて)は、事実を事実として記録に止めることは最小限出来ても、たぶん「戦争」がもたらす兵士たちの本当の声は後世に届かない。本当の声とは体験者のナマの声ということではなく、たぶん話者を通して立ち昇って来るおびただしい「死者たちの沈黙」でありましょう。それは静まり返った沈黙ではなく、怖ろしい圧力をともなった今だ癒されていない沈黙なのです。それをいくらかでも再現し、後世に受け渡すことが出来るのは、語る側の渾身の覚悟と卓越した精神力があってはじめてなされるので、そうしたことが出来るのは、やはり優れてコトバを語り出せる少数の天才たちに由るほかないのではないか? 生きる希望が完全に断たれた状況で、生き物が取り得る振るまいとはいかなるものか?山本さんの本から受けた印象を暖めながら、ここでようやっと、この長い長い話も終わりに近づけそうです。 ― つづく ―
2011.01.08
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みなさん、大変遅くなってしまいましたが、明けましておめでとうございます。 本年が、みなさんにとって、良い年でありますように。 さて、今年の年末年始と言えば、個人的には還暦(!?)を迎えて、何がなし、来し方六十年の我が身と、同時代に日本が歩んで来た時代というものを否応なく考えてしまう、そんな気分で過ごしておりました。 六十年という年月というのは、個人的な時間推移の感覚と、いわゆる歴史的時間のスケールが、ようやくコラボするようなところがあって、世に語り継がれる歴史的な記述というものが、どれぐらいの時間推移で発生しているのか?といったことが、何となく身体感覚で分かってくるのです。 例えば、織田信長が永禄三年(1560年)桶狭間で今川義元を破って天下に名乗りしてから、天正十年(1582年)本能寺の変で自害するまでの年月はわずか22年ほど、この時間スケールは今年が西暦2011年ですから、二十二年前と言えば1989年、つまりバブル絶頂とベルリンの壁崩壊の時期にあたりますね。日本で言うと昭和天皇の崩御があり、平成の世が始まったのでした。 この信長の時代に起こった政治・社会・文化的の激変ぶりと、平成の世二十二年間に生起した特に日本国内の変わりようを比べてみるに、どうもそのスケールは信長の時代のほうが、よりラジカルで民百姓に至るまで世界観の転換を、否応なく感じさせられたのではないか?この二十年余りの間、ほとんど戦いに明け暮れていた信長ですが、それと同時並行で行った社会改革で日本人の精神構造まで、すっかり変えてしまったのではないか、と思えるほどです。 このスピード感は、うわべの忙しなさとは裏腹に、一向に根底的な政治社会構造の変わる気配のない今どきの平成の世に比べてみれば、今という時代というのが、自分たちが勝手に思っているようにスピード社会などとはとても言えない。現代で一年間生きるということは、江戸時代の百年間に値するだなんて、よく言ったもんだと思いますよ。テクノロジーや生活ツールの変化は、(その資本主義の原理に沿って、商品を売り続けるために)やたらと忙しないのですが、それを受け入れる側の消費マインドは、たぶん国内的には昭和三十年代からまったく変わっていない。 つまり社会行動としての日本人の精神構造は、敗戦後十年程からほとんど変わっていないのではないか?と思っているのです。 信長の時代も、幕末維新の前後も、うわべのテクノロジーや生活ツールには、さしたる変化はなかったにしても、娑婆に我が身を処する際の精神の構えには、おそらくヒシヒシと変化を余儀なくされるところがあったはずで、これは見た目の風景の変化よりは、はるかに歴史の推移というものを日本人一般に感じさせたはずです。 考えてみれば、私の生まれたのは敗戦後たった六年、焦土の跡はなかったにしても、隣の朝鮮では戦争が始まって、父などに聞くと、「日本もまた戦争に巻き込まれるかもしれない」という気分があったそうです。焦土がうわべから消えるのは、あんがい早い。私の個人的体験では、やはり何といっても「阪神大震災」の災禍の跡が、視覚上でほぼ消えていくのに、大した時間は掛からなかったという記憶があります。 ただし、実質的ダメージという点では十七年を経た今になっても、影響は社会的にも個人的にも紛れもなく残っているのであり、私の知り合いにも今だ神戸への帰還を果たせない人が居ます(神戸という都市は、得ですね)。 ということは、わずか六年ほどの時間差で、この世に居なかった私であるとはいえ、前大戦の経験とそれがもたらした日本人の精神構造への根底的なダメージというのは、平成の今の世に至るもやはり決して払拭されていないのであって、オンブお化けのように今もあちこちに社会現象として顔を出す。それを対置的に他人事として考えるのではなく、我が身の内部に現れる現象として、これはやはり繰り返し考えて行かなきゃしょうがない、という気がするのです。 何だか例によって、ややこしい話になってしまいました。ここ二年ばかり「源氏物語」に深く入り込んで、あまり他の本は読まなかったのですが、上のような次第で、ひょんなことから「戦争」というものについて、昨年の夏ごろからあれこれ考え始めて、今まで読んだことのない本をずいぶん読み漁ることになりました。 とはいえ、正月くらいは例によって、絶対読み飛ばしの利かない本を、時間をかけてじっくり渉猟すると決めていたのですが、「量子力学」というのは「相対性理論」などと比べて、はるかに今どきのテクノロジーと熱く関わっているにもかかわらず、私の文系コチコチの頭ではまったく歯が立ちませんね。これにはホントに参った!
2011.01.06
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