サリエリの独り言日記
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ミュージカル音楽 ずいぶん長く休んでいますが、ボチボチ話を再開したいのです。 H・ジマーの音楽をネタに、今どきのハリウッド音楽(ということは、良くも悪くも世界の映画音楽の多く)が、もっぱらドイツ・ヨーロピアンな響きに満たされているらしいという話をしているのですが、先にも触れたように、それ以前にもハリウッドには、れっきとしたフルスペックのオーケストラ音楽は存在したのでした。 さてそこで触れないわけには行かないのが、ミュージカルというアメリカの音楽シーンです。古きヨーロッパ大衆娯楽の王様がオペラであったように、新大陸ではごく下世話な歌芝居が、ミュージカルという舞台ジャンルに進化しました。その淵源をたどっても退屈なので端折りますが、映画のない時代の大衆娯楽に、視覚と聴覚に直接訴える芝居と鳴り物というのは、世の東西を問わず不可欠なものであったようです。 さてミュージカルと言えば、私の世代ならロジャース、ハマーステインコンビの「オクラホマ!」「南太平洋」「王様と私」「サウンドオブミュージック」といった作品をすぐ思い出しますが、こうした言わば絵に描いたようなミュージカルの形というのは、ほとんどこのコンビが確立したといって好いのではないか?もちろん彼ら以外の優れたミュージカルも、「マイフェアレディ」をはじめとして数多く存在しますが、通念としての「ミュージカル」といえば、私たちは直ちに彼らの作り出したストーリーと音楽の響きを、ごく自然に思い描く。多少の味付けの違いはあるにせよ、ごく分りやすい筋書に、すぐ覚えられる魅力的なメロディ、豪奢なオーケストラサウンド、そして最後は必ずハッピーエンドという具合でです。 しかし、これは何もミュージカルに限った「定型」ということではなく、アメリカの大衆娯楽に共通する形であって、1950~60年代のアメリカ映画といえば勧善懲悪、ハッピーエンドが大原則でした。これ実はディズニーのあらゆるコンセプトにも、今だに完全に当てはまるので、アメリカにおいては大衆性と商業性は常に一体なのです。これについては、あとでまた触れるかもしれません。 ここで大事なのは、私たち日本人がミュージカルを本当に「知った」のは、上のような順序じゃなく「ウェストサイドストーリー」からだったということです。もちろんアメリカ映画通の方なら、「それ以前のミュージカルも知っていたよ」ということになるのでしょうが、ミュージカルがあるいはひょっとして「たんなる歌芝居ではないのかもしれない」と思わせたのは、紛れもなくこの映画なのでした。私たちは(あるいは私は)「ウェストサイド」に出会ったあと、いわば遡及するかたちでミュージカルという世界を「知った」のです。 いや厳密の思い出せば、「ウェストサイド」が日本上陸した当時(1961年)、私はまだ小学生で映画は観ておらず、音楽のほうが先行してテレビやラジオで盛んに流れていました。日本では本体の映画上映より先に、映画音楽がヒットして話題になるという経路をたどっていたのです。60年代といえば、レコードの17センチドーナツ盤や30センチLPが、音楽ファンの欲求を満たしていた時代で、私などもラジオで聴いたヒット曲を(当時はビデオといった記録媒体はなかったので)、何とかして手に入れたいと願っていた一人でした。 このころLPレコードはけっこう高価で、かなりの勇気を持って買ってもらったのが、17センチLPのチャイコフスキーの「白鳥の湖」4曲入り、サントラ盤の「サウンドオブミュージック」4曲、そして同じくサントラ盤の「ウェストサイドストーリー」4曲なのでした。以来、我が家の音楽媒体が30センチLPに、再生装置がハイファイステレオに進化するまでの数年の間、何回この三枚を聴いたか分りません(というか、そのほかにも数十枚のドーナツ盤を手に入れたのですが、ほとんど覚えていません)。 ラジオやテレビで盛んに流れていた音楽が、やっとオリジナルサウンドで「いつでも好きなだけ聴ける」というのは、子供の私にとっては驚天動地の事態で、学校から飛ぶように帰っては、ポータブルプレーヤーにしがみついていたものです。
2017.05.31
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