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Dynamik,Agogik ディナーミク、アゴーギクとはドイツ語の音楽用語で、前者は音の強弱、後者はテンポの緩急を総称したものです。西洋音楽の楽譜には、両者ともそれを指定する記号がさまざまありますが、それは例えば音符に示された音程の指定のように必ずしも厳密というわけではない。作曲家が譜面に託した意図というか「思い」の中で、音の強弱とかテンポの緩急の表現というのは、実際の演奏に寄りかかる部分が、かなりあるということです。 これはディナーミク、アゴーギクの運用センスが、演奏家や指揮者の力量を示す一つの尺度にもなることを示しています。とはいえ、特にアゴーギクの乱用は、しばしば「嫌味」な演奏になりかねず、作曲家が聴き手に届けようとしたものと、かけ離れた結果を招くことも多い。逆にこれがうまく行けば、あるいは作曲家も想像しなかったような「音楽」を、聴き手に届けてしまうということもあり得る。 そのあたりを考えるよすがとして、前は小澤さんとサイトウキネンオーケストラの演奏を取り上げましたが、今回またしても826asukaさんの興味深い動画がUPされましたね。東京丸の内「コットンクラブ」という曰くありげな、大人の雰囲気ただよう会場でのライヴなのですが、これがなかなか面白い。取り上げている曲はいわば彼女の十八番ばかりで、何十回も弾いていれば、プロでもマンネリ化してしまいそうな場合が時にあるだろうに、この人にはそういうところがない。 どころか、そのつど「音楽の女神」を招きよせて、なかなか鮮度の高い演奏を聴かせてくれる。とくに後半18分くらいからの「威風堂々」と、26分くらいからの「スターウォーズ」は、出色の出来映えと言っていいのではないかしらん。先ほど言った音の強弱、テンポの揺らぎ、各楽器の音色の出し入れや合成といったものが、以前にも増して洗練されて、あたかもパレットの上に並べられた、「音という絵の具」を鍵盤という筆で自在に操っている感じ。 となると、実際のオーケストラはどんな演奏をしているのだろう、と余計な詮索をしてみたくなるのは人情というものです。たまたま見つけた2012年東急ジルベスターコンサートの「威風堂々」、けっこうアゴーギク利かせてるじゃん!という印象。否、本場英国のは(くどいので、いちいちリンクしませんが)、もっとすごい。むしろasukaさんのほうが、いたってスタンダードな演奏に聴こえてしまうのは私だけでしょうか? もう一つの「スターウォーズ」も、メドレー曲にありがちなつぎはぎの感じがなくて、編曲した鷹野雅史さんの意図した「物語性」を、充分理解したうえで演奏している。多くの人はこれを聴いたあと、おそらく軽い「トリップ感」に誘い込まれるでしょう。一般にポピュラー音楽は、三、四分ほどの間で、一つの感情とか世界観をさまざまに表現しようとするものですが、これは構成的にもかなりユニークな音楽で、たった七分間ですが、むしろオペラのようなドラマ性を持っている、と言うべきでしょう。 さて、ご本人の弁によれば、「練習はあまり好きじゃない」とのことですが、面白いのは彼女がUPした動画は、案外同じ曲が多いということです。ここの「威風堂々」も「スターウォーズ」も、今現在で三回目ということになりますが、これってけっこう珍しいのではないか?他のユーチューバーのエレクトーン奏者の中には、ひたすら曲種の多さを強調する人もおられるようですが、この人はむやみにレパートリーを増やすということには、あまり関心がないらしい。むしろ取り上げた一曲一曲を、大事に「練り上げていく」タイプのようにも見える(想像ですよ)。 彼女のブログによれば、「新曲の練習は好き。何度もやっている曲の練習は嫌い」だそうですが、まあこれは誰でも何でもそうで、物事は新鮮な気分の時が、いちばん弾みがつくものです。であるにもかかわらず、上のようなUPの状況になっているのは、おそらくいったん取り上げた曲には、かなり「こだわり」を持った対し方をしているのだろう、という気もするのです。 これまた完全な想像ですが、今回の演奏を聴いていて、ここ最近彼女がライブに力を入れている理由が何となく分ったような気がする。一つ一つの曲に「こだわり」をもって、なおかつそれらを毎回新鮮な気分で「練り上げていく」とすれば、家で何度も練習するよりも、ライブで演奏したほうがはるかに刺激的なのではないかと。
2017.11.22
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Sympathy 一拍めのわずかなストレスは、原曲を忠実に再現しようとしたところから来たものではなく、譜面を読んでいって、そこで自身が「確かに感応したもの」がそれを生み出している、という経路をたどっているのではないか?というのが私の見立てです(別にご本人に確認したわけではないし、実践者に対しては、こうした小難しい話は控えるというのが礼儀でしょう)。あるいは演奏していたら、「身体が勝手に、そのように反応した」と言ってもいいかもしれない。 明らかなのは、そうした「生きた『ずれ』や『ストレス』は、確かな技術の裏づけがあって、初めて可能」な部類に属するのであって、いきなりそれをやったら必ずコケるということでしょう。彼女のその方面の特色がよく分かる演奏として、「カノンロック」を聴いてみてください。滑らかで繊細な運指とブレないリズムが、まさしくバロックを疾走させている感じ。 元曲の「パッフェルベルのカノン」をカラヤンで聴いてみると、これまたクラシックとしてはかなりリラックスした感じでノリノリですね。当時(1969年の夏)、避暑で彼の別荘にわざわざ楽員を呼んで、確かチェンバロはカラヤン自身の演奏ですね。バロックはバッハをはじめとして、こうしたノリを許す伸びやかさがあって面白い。厳密に譜面をたどることを要求するようになったのは、自己表現意欲の強くなったモーツァルトやベートーヴェン以降からでしょう。 それはさておき、「グルーヴ感」というのが、強いビートに裏打ちされた「生きたリズム」が生み出すのだとすると、私のごく個人的な印象では、asukaさんの演奏でこれを強く感じるのは、「カノンロック」ではなく、「MIⅢ」のほうなのです。「カノンロック」も確かにすごいノリで、しかも音の粒だちが本物のエレキより明晰なのにはビックリですが、これはどちらかというと運指の妙を、「観て楽しむ」音楽と言うべきでしょう。ヴァイオリンでもピアノでも、視覚的にも超絶技巧を楽しむという音楽はたくさんありますね。 まったく昔話で恐縮ですが、ベンチャーズというロックバンドの「パイプライン」。例のチャカチャカチャカの小気味よさが、日本でのエレキブームに火を点けたのでした(古いね、ホンマに)。しかしこれは「グルーヴ感」というのとは、まったく別物の面白味でしょう。 してみると「グルーヴ感」というのは、譜面に託されたものに対する「感応力」、言葉になる前にそれが語りかけ、頭より先に身体が反応するところから、生み出されて来るものなのではないかしらん。そうした「感応力」が顕著に現れた事例というのが、例えば小澤さん率いるサイトウキネンオーケストラの演奏でしょう。 当初は、桐朋学園創始者の一人である故斉藤秀雄の門下生が、没後十年(1984年)を記念して結集した手弁当のオーケストラだったそうですが、小澤さんはじめ世界中に散らばった名手たちが、同じマインドを共有して年一回集まるということで、ずいぶん話題になりましたね。1987年の欧州ツアーはビデオが残っていて、その伝説的演奏を聞くことが出来ますが、その中で私はフランクフルトでのブラームス交響曲第4番と、アンコールで演奏されたモーツァルトのディヴェルティメントが好きです。 リズムだけでなくテンポもハーモニーも、驚くほど緊密でありながら、微妙なずれとか揺らぎが、絶妙の「表情」となって立ち昇る。この演奏会に立ち会った、フランクフルトの人たちはラッキーだったですね。 恐るべしは、普段世界中でソリストや教育者や楽団員として、バラバラに活躍している人たちが、まるで一緒にやって来たかのように、同じ「呼吸」をしているということです。長年やってきたオーケストラなら、例えば先のショルティ、シカゴ交響楽団のように、厳しい練習を経て「鋼鉄」のように緊密な響きを作り上げるのでしょうが、これはそうじゃない。それぞれかなり強い主張を持った名手たちが揃えば、それを短期間にまとめるのは至難の業。 それをやってのけた、「小澤さんはさすが!」ということになりますが、これを彼個人の手腕ではなく、厳しい薫陶を受けた斉藤秀雄を祀り上げるという仕方で結集したのが、大きな特色でした。ここでは楽員の誰一人「拘束されている」という感じがしない。誰からも何者からも「自由」で「自発的」でありながら、おそろしいほどに「呼吸」が合う。面白いのは、そうしたオーケストラのありように共鳴して、現役のベルリンフィルやボストン響の奏者も参加しているということです。彼らもまた古巣の楽団とは、また違った音楽作りに新たな刺激を感じたのでしょう。
2017.11.01
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