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北京五輪二次予選第1戦VS香港(ホーム)■見ている側にこれだけため息をつかせてくれるフォワードという意味では平山相太は全盛期を過ぎたカズに肉薄しているのではないか。ゴール前に絡む数が多い分、そんなシーンが倍増して見えるのはわかるが、如何せん非決定力という点でこれからも着実に歩みを刻んでいくように思える。■我々が彼のプレイに少し息を呑んだ後、ため息をついてしまうのは、彼の朴訥とした表情によるところが大きい。どうも会心の笑みなんてものが彼から期待できない。それだけ”しまった”という顔が似合う男も少ないのではないか。得点を決めた後の投げキッスにしたって、またいつかのフォワードのことを思い出させてくれるだけで、ちっともこちらのカタルシスに繋がらないのだ。■とまあ、悪口ばかり書いたが、彼の独壇場である制空権は今後この代表にとって、とっておきの手段のひとつになることは間違いなく、さらにまたジャンプ力を鍛えて、ぜひアシスト王なるものを目指して欲しい。■連携と適切な運動量という点では、オシムには嘲笑され、反町監督もおかんむりだったようだが、個人プレイの見本市みたいな水野、家長のボールタッチ、フェイント、センタリングは目の保養だった。チームメイトにそんな選手がいた時、従順なエリート達はちょっとムッとして彼らのプレイにイライラするのか、絶対やつはここに(パスを)通してくれると思って、30メートルの無駄走りを敢行するのか、どっちなんだろうか想像する。■試合後の表情を見ても、まだ現段階では試合に出た選手も出番がなかった選手も和気あいあいと談笑していた。だけどそのうち、水野や家長が中田英や前園に見えてきたり、梶山や伊野波が服部や松田に見えてきたり、反町監督が西野監督に見えてきたりしたら、ちょっと注意が必要である。■開催国中国は自動的に出場権を得て、残るアジア枠はたったの3。韓国、イラン、イラク、カタール、サウジ、そしてあらたにオーストラリア。これはかなり痺れる展開になりそうだ。相手が強くなればなるほど、必要になってくるのはディフェンス能力だと思う。現段階の攻撃的な布陣にどの段階で守備意識を求めるべきか。もちろんそれは練習の中では試されていることだと思うが、この2次予選と最終予選との間の相手国のギャップはかなり大きいと思う。■水曜日のサッカー中継はなんでこんなに眠気を誘うのか。それは単に刺激的なシーンが少ないせいなのか、魅力的なプレイが少ないせいなのか。ハラハラもどきどきもないサッカーほどつまらないものはない。ただよく見るとこの代表、イケてる選手も数多い。増田・李・水野・カレン、特にサンフレッチェの青山は雑誌の表紙に使われてもおかしくない。ただそれらを上書きしてしまうだけの迫力とインパクトが平山相太にはあるんだということなんだろう。
2007/02/28
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■先週の土曜日、NHKーBS2で「お宝テレビ」という番組を見ていたら、柳沢慎吾と中島唱子が出てきて「ふぞろい」の思い出話をし始めた。ゲストには手塚里美が出てきて、当時の撮影の苦労話をしていた。まだTBSがドラマのTBSだった頃、演出鴨下信一が鬼だった頃の時代だ。■この番組の成功にはそのような緻密な演出の見事さ、サザンの楽曲を惜しげもなく起用できたプロデューサーの手腕、中井、時任、柳沢という同世代の若手俳優の効果的な配役はもちろんだが、何と言っても山田太一の脚本の素晴らしさによるところが大きかった。■「北の国から」というドラマがヒットしてそれを本にするために出版社は倉本聰にあのドラマの小説化を要請したという。しかし頑固な作者はその申し出を断り、シナリオのまま書籍化するように要望する。するとそれが予想を上回る売り上げを獲得する。以降、名作と呼ばれるテレビドラマのシナリオ本がにわかに発行され始めたわけだ。名セリフは時に小説の心象描写を凌駕する。■83年の第一作から85年、91年、そして97年と現在までに4つのシリーズがあるが、躍動感と共感度からパート1、パート2の二作の衝撃が大きい。山田太一自身、自作の続編を初めて書こうと思ったのがこの「ふぞろい」であったというから、作者のモチベーション的にもかなり高いものがあったと想像される。■ところで、わたしがこの登場人物たちの中で最も興味を持って見ていたのが、主要6人組ではなく、国広富之演じる本田君という青年である。物語の冒頭、ある(一流)大学のパーティーにたまたま同じヴェストを着ていたという理由で紛れ込んだ中井貴一が出会った高橋ひとみ演じる夏恵という女性の同棲相手、東大卒の引き籠もり気味の男とでも紹介したらいいのだろうか。その彼が語るセリフがやけに印象に残るのだ。『(突然、訪れた良雄に)子供の頃からスケジュールに沿って生活してきたので、友達がいきなり訪ねて来たりするのには慣れていない。そういうのに憧れはあるけど、きっと僕はそういうつき合いには耐えられない』『(石原真理子の部屋で)君の前ではあんな嘘を言った方が引き立つような気がしたんだ。それにクラブだし、夜だし、嘘をたくさんついた方が、はめを外せるし、しかし、ここは昼間で、明るくて、二人きりだから、ちょっと慣れるまで時間がかかってるんだ』夏恵『(床に膝をついて)お願い、悪いとこ直します』本田『よそうよ』夏恵『あの人と、つきあうの、やめて、ください』本田『そんな君、見たくないね。それじゃまるで、浄瑠璃が聞こえそうじゃないか』■前作「岸辺のアルバム」ではあれほど短絡的で純粋な若者を演じた国広がここで見せる冷めた人物像はひどく現実的にも見えるし、実際にはありえない寓意の産物のようにも見える。まるで小説の地の文のようなセリフを抑揚なく喋る彼の存在はただのドラマの中に文学の文法を取り入れる役目を担っていて、それが周囲にとけ込まない様が後味として強烈な印象を残した。■このドラマ、その他の助演陣も達者な役者ばかりで、いまだに鮮明。時任に命を救われ、彼を自分の会社(一流企業)に抜擢しようとした中野誠也。中井貴一が就職した会社の上司、室田日出男。時任のセールス先の現場監督、岡本信人。そして中井貴一の兄、小林薫。■彼の最終回の根岸季衣に向かっていったセリフ、「お前じゃなきゃダメなんだ」はダム決壊ポイント。それを聞いていた女性陣はみんな「こんな恋愛したい!」「わたしも」「わたしも」「わたしも」って連呼するわけだ。ここではちっとも”ふぞろい”ではないところが面白いところ。それでもパート2では彼、浮気するんですよ。■このドラマの小林薫(なぜかパート3では代役に変わっていた)も良かったが、その男らしさを引き立てたのは母親佐々木すみ江の名演技あってこそだろう。そこまで言うかと思わせるような露骨な嫁いびり、それでもなぜか鬼に見えない人間味。良雄の部屋に突然入ってきてヘッドフォンで音楽を聴いていたり、スリップ姿で愚痴を言ったり、誰が彼女の息子を演じても本当の母親のように見せてしまうこと自体すごい。■山田太一に望みたいのはできればパート5を8人の現在を中心に掘り下げて書いて欲しいということだ。パート3では石原真理子の主人柄本明の存在が彼らを食ってしまっていたように見えたし、パート4では長瀬と中谷美紀の物語のウエイトが大きすぎたようにも見えた。もちろん年をとった林檎たちの変わりようも存分に確認できたが、あれらの話の中では物語の傍系に寄りすぎてしまった感もある。だからできれば等分に彼らのその後を彼らを中心とした物語の中で見てみたい気がする。PS■あの3人の中で中島唱子が一番綺麗になることを予想できた人は何人いただろう。手塚里美がああいう人生を送っていることも想像することはできなかったはずだ。そしてなにより、石原真理子の現在の状況なんて・・・まさに、ふぞろいの林檎たちとはよく言ったものである。
2007/02/27
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■昨日、何の気なしにBSの番組表を見ていたら、フジで9時からこの放送があり、地上波の「スイングガールズ」を蹴ってこっちを見ていたわけだが、この番組オンエアされるたびにいつも見てしまう。ビデオも持っているから、それこそ10回くらいは見ている。■リアルタイムでこの番組を見た時の一番の違和感は純の声変わりだった。前作の「'84 夏」から3年、小学生から中学生へ吉岡君も成長していたわけだから、当然といえば当然なんだけど、ちょっとおませな感じの高い声のナレーションがなんかザワザワしたあの年代独特の節回しに変わって、ドラマ自体もいくらか声変わりをしていったように見えたものだ。ちなみに今回の彼のニックネームは”ペンチ”、その後いくつか変遷する彼の渾名遍歴はカルトQの格好のターゲットでもある。■見るたび感心するのは、展開の弛みの無さで、北の国から史上に残る名シーンの数々がそれこそ数分おきに出現する。涙腺決壊ポイント出現率も個人的にはこの『初恋』が一番多いかもしれない。数あるスペシャルの中でもやはりこれがマイベストだな。■見直してあらためて感じたのは岩城滉一の草太にいちゃんのバランサーとしての役どころですね。ある時は五郎側にある時は純側に。レギュラー時はまだまだやんちゃなお兄ちゃんだった彼が黒板家にとってなくてはならない人物として成長している。その後の展開を知っている視聴者から見ればなおさらこのあたりの彼の温かみは身に浸みるわけだ。■その後の展開といえば、蛍が清純だった頃の最後の物語がこの『初恋』だったのかもしれない。ストイックと言うとちょっと違うが、彼女はここまで不必要なことは何もしない。五郎のそばから片時も離れず、自身の与えられた役割を黙ってこなしている。ただ時々男が射すくめられるような目つきをしたり、ドキッとするような一言を放つ。でもこの時点で10年後の彼女を誰も想像することはできなかった。■さて『初恋』といえば、大里れいちゃんである。彼女の胸キュン三態は、1)「それなにかわかる?」登場シーンのキラキラ光った鏡を持った右手。2)初デート、純を見て千切れんばかりに振っていた右手。3)母の事故死以来、久しぶりに出会った道路越しのそっと振った手袋の右手。■雪道で卒業式が終わったら札幌の天窓のある喫茶店に行こうと純と並んで歩いていたツーショットの美しさ。約束のクリスマスイブの夜、純が見た雪に残った彼女の足跡。「その足跡は一回止まり、あきらかに納屋の方を振り向いていたと思われ・・・」このあたりの叙情は切なさモードのピーク。それは自分が15だった頃への憧憬か、自分の15の息子や娘に対する愛くるしさか、おそらくきっと両方なんだろうと思われ・・・■物語の後半、純は不本意なまま年を越し、不本意なまま中学を卒業し、不本意なまま東京へ追いやられる。自分が父さんを捨てるはずだったのに、まるでこれでは自分が父さんに捨てられたようなものだ。そんな旅立ちの気持ちの整理もつかないような中で、唐突に古尾谷演じるトラック運転手から受け取ったもの。ここでますます純は混乱する。もちろん感動でいっぱいになる。取り返しがつかないことをしてしまったと後悔もする。でもトラックはもう止まりようがなかったのだ。PS■この物語以降、餞別にわざわざ泥をつけることが流行したとかしないとか。現在例の泥のついた一万円札は巡りめぐってスマップの草なぎ君の手元にあるそうである。もう一回見る北の国から 近日開始 予定は未定
2007/02/26
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■ジャケットには飛行船(ツエッペリン)とレインボウとパラボラと羊と赤い車が2台ずつ。中を開ければ、パンダも富士山も真珠も五重塔もスフィンクスも東京タワーも2つずつ。ひとつでもすごいものがふたつある風景は予想外に暑苦しいものであるが、この作品のダブル感は孤高のソロアーティストひとりずつの魅力が倍加されたように聞こえる。これは10年前の「ショッピング」の2倍楽しい傑作である。■バックバンドはベース小原礼、ドラムス沼澤尚という日本の名人ふたり。そしてそれに全曲ギタリストとして加わるのは奥田民生本人。特にここ最近の民生のギタリストぶりは堂に入って、それだけでもやっていけるんじゃないかと思うほど。年末にはスティーブ・ジョーダンのバンドの一員だったものな。10年の時の経過はそんな変化ももたらしたわけだ。それでは中山康樹ばりの全曲完全制覇「ダブルドライブ」編M1「アウトバーンの狼」いきなりのコテコテロックンロールで幕が開く。メインボーカルは陽水。おそらく歌詞は民生だろう。この人のカーマニアぶりは先日のNHKの番組でも実証済み。この人の曲の中で車が占める割合はかなり高い。こだわりの足回りに、こだわりの内装。盛り上がる歌詞の後ろ3字ほどの空白の後に置かれた「が」という文字が民生らしい。”言葉が苦手なため 普段は東京で寝ている” という部分に大笑い。なぜかバックコーラスに松雪泰子が。☆☆☆☆M2「パラレル・ラブ」先行シングル。フェイセスかザ・フーかを思わせるイントロの民生のギターからウキウキ。全編二重唱。ユニゾンありハーモニーあり。陽水の声の魔力をヒシヒシ感じる。どこを切ってもポップの塊。ヒット曲の鑑と言える。☆☆☆☆☆M3「HIROSHIMA」民生単独曲。陽水は休憩。アコーステッィクギターを弾きながら情感込めて民生が歌う。”いつくしむものが”という歌い出しで厳島を連想させて故郷を歌う。広島には不案内だが天満川、紙屋町など多くの固有名詞が現れる。「人間」や「スカイウォーカー」を思わせる節回し。この人のこういう真摯なぶっきらぼう唱法は個人的にはツボである。☆☆☆☆M4「海の中道」短文にすらなっていない俳句のような語句の積み重ねは陽水作の歌詞だろう。メインボーカルも陽水。斎藤有太のキーボードを加えて非常にリラックスした空気伝わる。サビの部分に被さる英詞のコーラスパートが60年代っぽい。ゲストコーラスにつじあやの参加。M3で民生が広島を歌い、この曲で陽水が福岡を歌う。対を為しているわけか。どうでもいいが、海の中道と速水もこみちはなんとなく似ている。☆☆☆☆M5「パスタ・セレナーデ」まるでリバーサイドホテルが始まりそうなイントロから民生が歌い出すと曲調はまるで歌謡曲になったサンタナへ。ラテン風味カリプソ風味南国風味。テラス、ソース、ホース、ポーズなどカタカナが大挙して出てきて韻を踏む。敢えてメインディッシュにしない慎ましささえ感じる佳曲。ここでも陽水はお休み。☆☆☆☆M6「京都に電話して」タイトルから連想しようがないパワフルなイントロから始まる。これは共作と見る。ギターもベースも全開、特に沼澤さんのドラムスがすごい。JRの不滅のCM曲「マイ・フェバリット・シングス」の後釜を本気で狙っているのかもしれないが、歌詞も演奏も京都を感じさせるなにものもないほどぶっ飛んでいる。これは10年経ったアジアの純真かもしれない。☆☆☆☆☆M7「恋はハーモニー」M4にも感じたポップセンスがこの曲にも引き継がれている。これもおそらく陽水だろう。前作に比べて陽水の本気度がアップしているように感じるのは民生に対するリスペクトの裏返しではないだろうか。サビの”ラヴリララヴリララブリラ♪”なんて部分の感覚はポップ職人のセンスだ。☆☆☆☆M8「砂漠のデザート」ここまでのポップ路線から一転、歌い出しの”砂漠には”という発音からして歌詞を見ないと確認できない陽水の妖しい世界だ。キーボードの斎藤君以外は民生が全てのバックを担当。「アラビアのロレンス」のようなインナースリーブにはここにも沈む夕日がふたつ映っている。砂と水を連呼するフレージングはすごく重くかつ美しいと思った。☆☆☆☆M9「羽飾りMokko」M8と並ぶシュールな楽曲。選手交代してこの曲は民生。この歌詞もまた御大の世界に迫るイメージの乱反射。こういう歌はソロアルバムにはなかなか収まる位置はないのではないか。メロディと歌い方は相変わらずの民生なのだが何のことを言っているのかわからない感じは陽水からの影響を色濃く感じる。そもそも「羽飾りMokko」って何だ?☆☆☆☆M10「にじむ虹」1番が陽水、2番が民生。まるで「クレイジーラブ」のような陽水の歌い出しがかっこいい。ここでも民生が作る曲を陽水が歌った時に表れる化学反応みたいなものの凄さを感じる。コーラスワークも王道。バンドサウンドも王道。陽水の張りのある声の艶、民生の絞り出す声の艶。このボーカリストふたりのハーモニーは無敵だ。☆☆☆☆☆M11「神の技」陽水のブルースハープとスカパラのブラスの響きが楽しい。全編二重唱。マドリー、ミラノ、チェルシー、バレンシア、バルセロナ、サンジェルマン、トリノ、ハンブルグ、そしてマンチェスター。歌われる歌詞は明らかにサッカー讃歌。陽水、民生どちらがコアなサッカーファンか知らないが、ここに登場する17才の左利きストライカーとはアルゼンチンのメッシのことか、それとも架空の人物か。はたまたマラドーナへ送る歌だったのか。☆☆☆M12「クリスマス・バニラシェイク」このアルバムでは珍しく1番が民生、2番が陽水。これはどちらが書いたメロディかよくわからない。ゲストギタリストに佐藤タイジ、ハモンドオルガンに森俊之。彼とこのリズム隊の共演といえば Beautiful Songs Band が懐かしい。同じフレーズが何度も繰り返されるエンディングは民生風味満載でもある。☆☆☆☆M13「南国の雪」ラストは陽水単独曲。ドラマティックな展開は皆無で、淡々とシュールな情景を歌う。民生はアコギを弾きハーモニーを合わせるのみ。今回全編を通してこのふたりのハーモニーの妙が素晴らしい。ただ単に高音部低音部というだけでなく、微妙にメロディをずらしたり、アクセントを変えたりという味付けを楽しめる。これだけ聴きどころを限定しないアルバムはそうざらにない。☆☆☆☆■このアルバム、フォーライフ盤とソニー盤、2種類の版元で発売されているが内容は全く同じ。ちなみにわたしはソニー盤で購入。たとえばそれぞれの楽曲について、フォーライフは陽水メイン、ソニーは民生メインで各曲入れ直してくれたら、そのどちらも買ってしまうと思う。これだけ双生児性が強まってきたふたりならば、そんな試みも無理な注文にはならないだろう。是非次回はダブルバージョンでお願いしたい。あ、でもまた10年待たなければならないのか。
2007/02/25
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作・演出:宮藤官九郎出演:松尾スズキ、池津祥子、伊勢志摩、宍戸美和公、猫背 椿、 皆川猿時、荒川良々、平岩 紙、少路勇介、星野 源 宮沢紗恵子、宮藤官九郎、古田新太06年11月11日池袋サンシャイン劇場での公演をWOWOWで見る。■「女がいっぱい死んでいますね」 冒頭赤ジャージの古田新太と青ジャージの松尾スズキ(のテツ&トモのようなふたり)が連呼するセリフである。それでは「女がいっぱい死んでいます」の反対語は何かと考えれば「男がいっぱい死んでいます」ではなく、「女がいっぱい生きています」ということになるのではないだろうか。そう、それがまさにウーマンリブ。■ウーマンはマンよりもウーの数だけ面白い。WOMAN-MAN=WO たしかにこの劇に登場する女は女子大生から旅館の仲居さんに至るまで男たちに比べて余分なものをいくらか含んでいるように見えないこともない。ではそのWO(ダブルO)とは何かと考えれば、おかしみとおそろしさのふたつのOなのではないか。■なんて劇評みたいなこじつけを書こうとすればいくらでも話をふくらますこともできそうだが、所詮こじつけはこじつけに過ぎず、この芝居の本筋からどんどん遠ざかっていってしまうばかりだ。それにしても登場する6人の女性の存在感、中でも官能小説家松尾スズキの妻役、池津祥子の登場シーンの迫力ったらなかった。■この時期、宮藤官九郎はたしか自身が脚本を書いた「木更津キャッツアイ・ワールドシリーズ」の封切りも控えていたはずだが、あの映画とこの芝居、同じ人が書いたものには全く見えないのはさすがだ。■ではどちらが表の顔でどちらが裏の顔かといえば、世間的にはアンダーグラウンドと評されるだろうこちらの芝居の彼のはしゃぎ様の方が頭を使っていない分、彼の本質に近いような気がする。つまり、劇場という狭い空間でしか許されない表現(放送禁止用語、下半身ネタ、どぎつい描写、全裸芝居などなど)を不特定多数ではない観客に向けて発信し、それを不快に思われようが、ドン引きされようが、誰にも迷惑かけずにすませてしまえる無責任さ加減が創作をより自由にさせているんだと思う。■見る側も大人計画の芝居に感動や興奮を期待する気持ちは毛頭無い。基本的に期待するのは笑い。それも自分は何に対してどれだけ笑えるのかを試されているような種類の笑いだ。でも今回は単純に松尾と古田の掛け合いに笑う。飴玉という名の刑事良々に笑う。伊勢志摩という芸名に笑う。■物語的にはサイコキラー古田新太の役名が塩谷五郎(しおやごろう)となっていて、世のアナグラム好きには最初から真犯人だとわかってしまうところもミソ。舞台美術も旅館の障子をスクリーン代わりに見せてパソコンの画面やらプレイボーイのピンナップやらを効果的に挿入。松尾の書いた官能小説の朗読のバックにはなぜかトラブリュー(漢字が思い出せない)の「ロード」という音楽のつかみもOK。■相変わらずとりとめのない感想になったが、宮藤官九郎という人の引き出しの多さに唖然とする思いだ。ロックンローラーとしての彼の趣味がよく出るのはテレビや映画のようなマスに向けて書かれたものよりも、客席に向けて汗や唾が飛んでくるようなこういう場こそふさわしい。何回も繰り返し再生されるようなオリジナルCDではなく、その場限りの一夜のライブみたいな熱狂と渦が大人計画の芝居の真骨頂なのではないかと思う。
2007/02/24
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■中山康樹の「~を聴け!」シリーズ、最新作はなんと、「クワタを聴け!」(集英社新書)。この人の音楽批評はライフワーク「マイルスを聴け!」(徳間文庫)や「超ブルーノート入門」「超ジャズ入門」(以上集英社新書)「ビルエバンスを聴け!」など、ジャズ初心者に対するガイドブック的なものという印象が強いが、それ以外にも「これがビートルズだ!」(講談社新書)「ディランを聴け!」(講談社文庫)「ジョン・レノンを聴け!」(集英社新書)などのポピュラー音楽に関する諸作も多い。■特徴としてどのアーティストをとりあげるにしろ、現存するほとんど全ての楽曲を網羅し、その1曲1曲に関して出来の良し悪しと、聴きどころ、蘊蓄などを綿密に文章にしている点がある。まさにガイドブックとして、どの作品を手に取るべきか否かを判断する材料として貴重なアドバイス本。ただし、今までは彼がとりあげる対象は洋楽に限定されていた。■そして今回初めて彼の分析にさらされた日本のミュージシャンはサザンオールスターズ。ビートルズ、ビーチボーイズを愛する筆者にとって最も洋楽の香りに近いジャパニーズポップミュージックを作り出したのが桑田佳祐という才能だったということになるんだろう。本書では78年発表の「熱い胸さわぎ」の1曲目「勝手にシンドバット」から現時点での最新シングル「Dirty Old Man~さらば夏よ~」まで、サザンの作品はもちろん、ソロ名義、企画盤も含め、既発表曲約350曲について5つ☆評価付きで解説している。■ポピュラー音楽の世界に(音楽評論家という人種は多いが)名曲鑑定士なんて職業が存在しないのは、個人的な趣味嗜好に優劣などありえないという考えが基になっていると思う。よって彼によって判定される☆の数が必ずしも普遍的なその楽曲の価値を意味しているものではないのだが、ああこの人はこんな事を基準にあの曲を聞いているんだと読み進める作業はけっこう楽しい。■そもそも「~を聴け!」というタイトルから窺えるように独断的攻撃的な主張の持ち主である筆者には固定ファンも多いと聞く。彼のバックにある膨大な過去曲との相対評価の末に1曲1曲の完成度を測る文章の妙もまた楽しい。彼の評価に100%賛成といえるような価値基準と趣味嗜好がわたしにはないが、「勝手にシンドバット」や「いとしのエリー」という大スタンダードから、たとえば「ムクが泣く」とか「亀が泳ぐ街」といったマイナーな曲までほぼ同じ字数で評論してしまえる文章構成力はとても真似ができない。人は大好きなものや大嫌いなもののことについていくらでも書けるけれど、何も感じないものについて何かを書くことはとてもしんどいものだからだ。■桑田佳祐の登場は日本語で歌える洋楽の登場でもあった。オブラディ・オブラダを太郎と花子の歌として歌わなければならなかった世代としては少し巻き舌で歌うロックの日本語は恥ずかしくもあり嬉しくもあった。カラオケに行けば今では200曲近くのサザンの楽曲が並んでいる。全部歌えと言われたことはないが、おそらく半分近くは歌えると思う。それでもわたしが歌うサザンの曲はもうすでにだいたいのところで固定化が始まってしまっている。結局それが私的5つ☆のサザンな曲なんだと思う。私的☆☆☆☆☆なサザン・いなせなロコモーション・C調言葉に御用心・栞(しおり)のテーマ (本書を読んで初めて”しおり”って女の子の名前だと知った)・赤い炎の女・EMANON (後ろから読むと・・・)・メロディ・スキップビート・希望の轍・真夏の果実・愛の言霊
2007/02/23
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■ナレーションドラマという言い方が適切かどうかわからないが、主人公が物語の進行なり、自分の感情なりをわかりやすく独白してくれながら進んでいくドラマには登場人物たちによる説明セリフは要らない。倉本聰の得意とするこの形式にはある種の劇的効果と策略が含まれている。■まず前者の特徴は、仮に映像を見ないで音だけでこのドラマを見た(聞いた)時、それが目を開けて画面を見ている時の印象とほとんど変わらず同じような余韻を残すことができるということ。それは小説を読むようにドラマを観るという行為にも見える。■早朝の築地の河岸の風景や、老人たちが吐き出す紫煙たなびく座敷、板場の焼き物の匂いまで、それがたてている音を通して頭の中でイメージすることができる。このことはこの作者の出発点がラジオドラマであったことといささか関係がありそうである。■次に後者の策略について触れれば、このドラマには主人公の主観、つまり作者の主観に基づいた世界観の主張が張り巡らされていて、そうではない考え方がすごく矮小化されて見えてくるところにある。■野良猫に餌をやってはならない、路上で喫煙をしてはならない、どんな客であろうがお客様は神様である。ほぼ一般常識と化したそれらの決まり事も古き佳き時代の住人たちにとっては全てが納得できる事というわけではない。そこには俺たちがある時代を作ってきたという自負が見え隠れしている。無論この作者もそっち側の人に見える。■ま、そんな分析は最終回にでもやればいいとして、物語的にはかなりアクセントがあってけっこう感情移入してしまった。ただでは去らない、ただでは朽ちていこうとしない人たちの抵抗という意味で痛快でもあった今回。どうせ無くなる坂下ならば、言いたいことは言ってやれ。ベンチャー連中に意見しようとする八千草薫を咎める岸本加代子のセリフが「おかあさん」ではなくて「女将」だったことは見落としてはならない。そんな『女将の品格』を支えたのは、どうせいなくなる梅宮辰夫であり、何も考えていない横山裕だったことも忘れてはならない。■最初、梅宮が騒々しい座敷に注意をしに行った時、あいつらに殴られて帰ってくるのかもしれない、と思って見ていた。でもいくら老いても彼を負かしてはならないんだよな。お姫様抱っこはできなくなっても役名は秀次から竜次に代わっても、主人公の先輩はいつも格好良くなければならないんだよな。■回が進むにつれて神楽坂への憧憬はますます強まってくる。目を開けて画面を見た時、昔ながらの町並みにゴシック体の「スロット・パチンコ」という看板が見えてしまっても、今と昔が混在するこの街には、自分がいつか行ったことがある街のような、自分が住んでいた町のような面影さえ漂う。そこにあった老舗が無くなろうとしているドラマに感情移入できないわけがない。反対運動に加わりたいと思うのだが連絡先はどこにあるんだろう。とりあえず八千草さんの携帯のメールアドレスが知りたい。PS■時夫の見ている夢はたしかに気になる。結局最後まで真相は証されないんだろう。ということは倉本流”赤い洗面器”か。二宮君と黒木メイサがふたりで聞いていた曲も気になる。それがさだまさしでなかったことを祈るばかりだ。
2007/02/22
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■2007年初の代表戦、日本サッカー当面のビッグイベントが来年の北京オリンピックの出場権獲得とすれば、興味津々のアメリカ戦。やっぱ青いユニフォーム見ると奮い立つものがあるね。■3-4-3というフォーメーションから連想するものはバルサやオランダあたりの攻撃的なサッカー。さすがにこのU22は攻め好きな選手が集まっているように見える。ただそれでもスコアレスに終わってしまうのはどのあたりに原因があるんだろう。■今日の試合では決定的なシュートがすくなくとも3本はあった。そこに至る過程、そしてシュートそのものにおいてもそんなに口を尖らせて(見ている側が)攻撃的になる必要はないと思う。それらがことごとくゴールに至らなかったのはひとえにアメリカのキーパーの抜群の反射神経にあったからだ。■平山は国見3年の冬を思わせる本調子だったし、カレンも必死にボールに絡み、大抜擢の李もセンスあふれるプレーを見せた。デカモリシも苔口もフォワード然としているし、人材としては前のオリンピックチームのFW陣を上回っているように思う。■問題は水野を右サイド、本田を左サイドで使わなければならないことではないか。ふたりとも抜群の決め技を持ったテクニシャンなのだが、本来的にはサイドの選手には見えない。水野はトップ下のジョーカー、本田もまた攻撃的な中盤もしくはフォワードとして使った方が面白い選手ではないか。■ならばむしろ4-4-2で、梶山、谷口、本田、水野(増田)で中盤を構成する手はどうだ。左サイドには家永、センターバックに伊野波、水本、そして右サイドに青山。昨年以来かなり練習を続けてきたメンバーゆえ、そろそろ連携不足なんていう言い訳は封印すべき。首脳陣も「試している」と言っている段階ではないと思う。■気の早い話だが、オリンピック出場を決めればオーバーエイジの枠がたしか3人認められるはずだ。じゃあ、このチームに誰を加えたら面白いのかな、なんて事も考えながら見ていた。一番欲しいのは右サイドの専門家。ここは加地だろう。そしてキャプテンシーと言えば闘莉王なんだろうが、ここは譲ってもらって阿部勇樹。そしてゲームメイカーとしての中村憲剛。今日の印象からそんな3人を思いついたのだが、この問題については今後のこのチームの闘いを見てまた考えてみたい。■今月の28日からさっそく二次予選が始まるそうだ。壮行試合というには固定されたイメージがいまだ持てない代表だが、問題点を整理して引き締まった闘いを見せて欲しい。ここで全勝できなければ監督の解任もアリだと思う。PS■告白します。後半35分過ぎから記憶がありません。次の試合は仕事が終わって食後、暖房のきいた部屋で見たとしても眠くならないようなプレイを期待しています。
2007/02/21
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■ちょっと前のサッカーマガジン(2月6日号)だが、知人が貸してくれた。これはあなたが好きそうな特集よって。 「史上最強外国人選手は誰だ!?」 ふむふむ、実に興味深い。どまんなかのストライクである。持つべきものは友人である。■93年の開幕以来、今期15年目のJリーグだが、歴代の外国人選手は出場選手だけでも619人を数えるという。黎明期の金にものを言わせた大物選手たちの襲来から最近ではビッグネームではないが地道な働き者というイメージの選手たちが増えてきているが、15年間でどんな選手が日本を訪れそして去っていったのか懐かしく写真名鑑などを見ていた。ああ、そういえばあんな人もこんな人も・・・■史上最高の外国人プレーヤーを探せ! という特集記事が面白い。大物、元セレソン、無名の実力派、個性派、韓流など9つの分野別にずらりと並んだ顔ぶれはまさにJの歴史そのもの。なかでも、サッカーマガジン編集部が選んだ歴代外国人選手ベストテンの選定が興味深かった。この号を見逃した人のために以下に書き留めておく。(「 」内はキャッチフレーズ)さすがサッカーマガジン内容が濃いよ。第10位 エメルソン(札幌・川崎F・浦和)00~05 「賛否両論の異端ストライカー」第9位 ギド・ブッフバルト(浦和)94~97 「貢献度抜群の名リベロ」第8位 ペレイラ(V川崎・札幌)93~95,98 「優雅なザケイロ」第7位 サントス(鹿島・清水・神戸・草津)93~01 「現役にこだわった鉄人」第6位 パトリック・エムボマ(G大阪・東京V・神戸)97~98,03~05 「神様、仏様、エムボマ様」第5位 アルシンド(鹿島・V川崎)93~95,97 「Jブームの火付け役」第4位 ジョルジーニョ(鹿島)95~98 「ジーコを継いだ鹿島・黄金期の礎」第3位 ドゥンガ(磐田)95~98 「磐田を強豪に変えたドゥンガ・イズム」第2位 ドラガン・ストイコビッチ(名古屋)94~01 「ピッチに舞った妖精」第1位 ビスマルク(V川崎・鹿島・神戸)93~01,03 「神に愛された優勝請負人」■ビスマルクの1位はサッカーマガジンらしい選択。実働年数と貢献度から言えばやはり彼は抜群の働きをしたと思う。点をとった後のあの感謝のポーズはこの選手の名前は出てこなくても誰も忘れないと思う。サントスとかペレイラも地味ながら、まだできたばっかりのJリーグにサッカーの奥深さを伝えたよな。彼らがサボらなかったからヴェルディも鹿島もビッグクラブになれたんだと思う。■上の評価は納得の結果であるが、個人的に少し修正を加えて恒例のマイ・ベストテンへ。第10位 ビスマルク(V川崎・鹿島・神戸) 敬虔なクリスチャン。でもゲーム中はラフプレイも辞さないという落差が面白い。第9位 ベンチーニョ(平塚) ミスター・ベルマーレ。攻撃的平塚時代のエンジン。岩本も名良橋もまず彼にボールを預けた。第8位 シジマール(清水) GKで成功した先駆者。PKの時にパンパン手を叩くマネをよくしたものだ。クモ男だよ。第7位 ジェラルド・ファネンブルグ(磐田) まだ低迷していた頃のジュビロの心臓。全盛期の磐田でこの人のプレイを見てみたかった。第6位 レオナルド(鹿島) WC94年大会の彼は忘れられない。Jでもフリューゲルズ戦のあのゴール前のリフティングシュートは伝説。第5位 ドゥンガ(磐田) 試合中、山西に身振り手振りで指導していた姿がおかしかった。スピードがなくても戦術眼があれば、あれだけできる。第4位 エドゥー(横浜F) インパクトはモネールの方が上だが、この人の左足は最強だったと思う。でもセンターサークルからねらうか?普通。第3位 サンパイオ(横浜F) なぜこの人をマガジンが10人の中に選ばなかったのかわからない。山口とのボランチは最強だったと思う。第2位 ジョルジーニョ(鹿島) 堅実で聡明でドゥンガみたいに怒鳴らないで背中で引っぱった鹿島の恩人。ミスタープロフェッショナル、大好きだった。第1位 ドラガン・ストイコビッチ(名古屋) ちょっと特別な人です。サッカーがこんなに魅惑的であるということを思い知らされたのは彼のせいだ。次点はハシェック(広島)・デュリックス(名古屋)・アマリージャ(横浜F)・エウベリトン(名古屋)・エジウソン(柏)。ね、懐かしいでしょ。■名前だけの人が多いと思ったら、10人中、8人はブラジル人になってしまった。それだけあの国のJリーグに果たした貢献度は大きいということか。15年間のベストイレブンを作れと言われたらまだまだ外国人選手が大半を占めるということは、日本のサッカーはまだまだ発展途上段階であるということ。それでも中盤のゲーム・メイカーが、各チームのゴール・ゲッターが次第に外国人選手に頼らなくてもなんとかなってきたという実情は15年の歴史なんだろうな。日本人選手が他の国で最強の外国人選手と呼ばれるようになる日はいつになったらやってくるのだろうか。できればスコットランドではなくイングランドとかイタリアでね。
2007/02/20
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微妙にネタバレしてます。■ある朝、目覚めたら、ボクは犯罪者になっていた。まるでカフカの「変身」や「審判」のように。悪夢なら早く覚めて欲しい。主人公加瀬亮にひどく感情移入しながら映画の中の悪い夢につきあわされた2時間半。■国家権力に対する告発の映画である。これだけ正面切って疲弊した警察組織、裁判制度に対して異議を申し立てた映画を知らない。この映画がすごいのは冤罪という理不尽があるかもしれないという婉曲な言い回しではなく、事実ここにあるのだという見せ方にある。■巧いのは被疑者を26才フリーターの青年としたところにもある。そのプロフィールに無意識に抱いてしまうパブリックイメージが恐い。あいつ、やってるかもしれない。たとえば彼が中堅企業のサラリーマンだとしたら、彼を取り巻く社会性という権力が警察という権力にプレッシャーを与えることができたかもしれない。権力は権力に弱いものだ。■同じ裁判ものでも三谷の「12人の優しい日本人」を見た後に思った自分も裁判員になってみても良いかななんていう無責任な気持ちは吹っ飛んでしまった。その原因はあの物語で語られた被疑者像があくまで虚像に過ぎなかったからである。■しかしこの映画で語られる、もしかしたら明日は我が身かと思わせるような裁かれる側のヒリヒリした気持ちは実にリアルだ。本当のことを伝えようとする被疑者の必死の表情が正しいか正しくないかを判断する根拠なんていくら経験を積もうが第三者に見極められるものではないのだ。■裁判官でさえ同じ人間である故、その人それぞれの考え方、ものの見方の違いで同じ事象を白と見たり黒と見たりすることもある、という見せ方も巧い。ふたりの裁判官、正名僕蔵と小日向文世の対比は見事。特に前者から後者への交代が物語的には絶妙に作用していて告発感に拍車をかけている。■とにかく脚本が素晴らしすぎて俳優の演技云々の感想を差し挟む余地のない映画だ。まるで免許更新の際、教習所でそこに集まった見も知らぬ人たちと見る教材ビデオのようだ。よって俳優たちはリアリティを伝達する道具のような役割で良いわけだが、その演技を感じさせない自然さがほとんど全ての俳優に行き渡っていた。■その中でわたしが最も印象に残ったのは正名僕蔵の抜擢。この誠実な裁判官役は悪夢のような映画の中の唯一の光にも見えた。個人的には宮沢章夫氏の芝居で10年前からずっと見ていた人だったので嬉しいかぎり。■その他、主任弁護士・役所広司はもちろん、当番弁護士・田中哲司、支援者・光石研、副検事・北見敏之、傍聴人・高橋長英など脇役も実にリアル。そして裁判官・小日向文世のいやらしさもすごくホンモノっぽい。■この国の通勤ラッシュという異様な光景は長く女性の痴漢被害の温床だったわけで、ずっと泣き寝入りを余儀なくされてきた彼女たちの怒りはもちろん理解できるつもりだ。まして満員電車の中で声をあげて加害者を告発することは本当に勇気の要る行為だと思う。■しかしながら、鞄が当たっただけで、肘が触れただけで、誰でもこの映画の中の加瀬亮になってしまう可能性だってある。ではどうすればいいのかと言えば、専用車両の増大や乗車制限及び時差通勤の奨励など各企業における努力に頼るしかない。欧米ならば告発の矛先は交通機関の方に向けられた事象なのではないだろうか。
2007/02/19
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■NHK「アーティストドキュメント 奥田民生 我が道を行く 奥田流音楽のルーツ」を見る。デビュー20周年ということで、これまでの奥田民生を振り返るアンソロジー。ただたった45分でこの人の偉業を紹介していくのは急ぎ足になるのも無理はない。■自宅に数千枚のレコード、小学生時代でも、ねだれば祖母に買ってもらえたギターなど、けっこう実家は金持ちだった様子。ただ母親の趣味は邦楽一辺倒だったらしいけど。クールファイブだったら全部歌える小学生というのもかなり渋いな。でも、ムード歌謡の要素は後年の彼の隠し味でもあると思う。■一番驚いたのは、高校卒業後、プロを目指していた時に録音したといわれるオリジナルカセットの紹介。「Too Night」というタイトルのその曲はもうすでに「29」や「30」に入っていてもいいような風格ないし、色艶を含んでいて、凡百のアマチュアバンドの楽曲からは遙かに突出した民生ワールドの原形を示していた。たとえば「19」という名で当時の楽曲をアルバム化してくれたらなんて思ってしまう。■ユニコーン時代の映像も多く流れたが、見ているこっちが恥ずかしくなってしまうような当時のビジュアルだった。久しぶりに聴いた「Maybe Blue」はたしかに隙のない名曲だったが、今となっては、どこかしら居心地の悪さみたいなものが彼のたたずまいに垣間見られる。■そのままその路線を突っ走っていったなら、ただの歌の巧いかっこいいバンドで終わってしまったユニコーンが「服部」で表現した路線変更はオリジナリティ獲得の第一歩だったと思う。番組インタビューではクレイジーキャッツの存在をその分岐点にあげていたが、桑田佳祐のやろうとしていた事と「大迷惑」「ヒゲとボイン」路線はかなりダブると思う。■解散後の民生は肩の力が抜け、ぐっと好きな音楽に傾斜していったように見える。オノヨーコみたいな存在がたとえいなくてもバンドには離れていきたくなる時期ってたしかにあるんだと思う。民生にはリーダーシップとかバンドマネッジメントなんて言葉はよく似合わないよ。■ソロになってから発表されたオリジナルアルバムは以下の9枚(ショッピングは陽水との共作だが)。星の数は個人的好みの指数。29(1995)☆☆☆ 30(1995)☆☆☆ ショッピング(1997)☆☆☆ Failbox(1997)☆☆☆☆☆ 股旅(1998) ☆☆☆☆GOLDBLEND(2000)☆☆☆ E(2002)☆☆ LION(2004)☆☆☆☆ comp(2005)☆☆☆■ついでに好きな楽曲ベスト5もあげておくとカヌー(Failbox)イージュー★ライダー'97(股旅)ハネムーン(29)マシマロ(GOLDBLEND)すばらしい日々(ユニコーン)■ひとり股旅in広島球場のDVDは永久保存版。3万人にギター一本で対峙するって相当な度胸と勇気がなければできない離れ業だったと思う。あの中で歌われた「人ばっか」という自作メドレーがすごい。何も考えてないような顔してその場しのぎで思いつきの歌を歌っているようにみせるのは彼一流の照れかくしだということがはっきりとわかってしまう。あれだけ計算された曲の繋ぎ方ができる人が豪放磊落であるわけがない。■「ショッピング」以来となる陽水との共作アルバム「ダブルドライブ」は2月21日発売。去年一年は新作アルバムが聴けなかったからとても楽しみ。ではこのページがいまだ奥田民生を知らない人たちの手引きのようなものになることを祈って今日はおしまい。PS■最近のわたしのカラオケレパートリーのほとんどは民生とクールファイブである。
2007/02/18
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■雑誌「pen」今回の特集はロックのデザイン。60年代から現在まで、LPジャケットの傑作を網羅。●”音を二次元に映す、7組のクリエイター”という特集ではピーター・サヴィル、ヴォーン・オリバー、M/Mなどベテランから新進気鋭のデザイナーまで7組のアーティストの代表作を紹介。中でも、かのヒプノシスの中心人物であるストーム・ソーガソンの作品群にあらためて目を奪われる。ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズとは高校の同級生だったんですね、彼。「原子心母」だけでなくこのグループのほとんどすべてのジャケットを担当。他にも現在まで数多くの傑作ジャケットはたどっていけばたいていヒプノシスの仕事、青の印象が濃い。●”ジャケットで読み解く、5つの時代”では60年代から70年代、21世紀に入った現在まで各年代別に代表的なジャケットを紹介。ジミヘンの伝説的なあのジャケットから、デジタル時代のBeckまでそれぞれの時代のキーワードとともに並べられたLPジャケットはただただ懐かしい。やはり個人的には70年代のプログレ、グラムからパンク・ニューウエイブが台頭するあたりのあの時の気分がこれらを眺めているとじわじわよみがえってくる。■そのほかにも、”各界のロック好き50人が選ぶ、私の愛するジャケットデザイン”という特集では様々なジャンルのアーティストたちがそれぞれのお気に入りのジャケットをチョイス。個人的な思い入れは人それぞれ、そんな感慨を読んでいくのもまた楽しい。■というわけで有名人でもなんでもないが、わたしも大好きなアルバムジャケットをいくつかあげてみる。「Bloody Tourists」 10CCこれもヒプノシスの仕事。風で舞い飛んだ新聞が男の顔に張り付いた瞬間。血塗られた旅行者なんて物騒なタイトルだけど、中身は極上のポップアルバム。「Fragile」 Yesヒプノシスと並ぶジャケットデザインアーティストといえばロジャー・ディーン。「こわれもの」から始まったYESの傑作群のこのイラストレーションは楽曲のイメージを増幅することに大いに貢献したと思う。「North Marine Drive」 Ben Wattこのセピアっぽい色合いはアルバムの切なさを煽りますよね。ジャケットの芸術性云々というよりは音と一体となったトータルな印象としての海辺の風景がそこにある。素敵よ、なんかいい感じよ、とか言われちゃう感じね。「Puzzle」 Tahiti 80意外にイラスト系に弱いことを発見。これも上のベンワットのようにその音を聞いていた時代の自分を振り返るアイテムとしてのジャケットという印象。あの頃自分の周りにいた人たちとか着ていたシャツの色とかね。「Bellissima!」 Pizzicato Fiveフリッパーズの諸作など信藤三雄作品も印象的なものは多い。これはまだ田島君がいた頃のピチカート。私はデビュー作とこれがかなり好き。ジャケットの話だが、写真はもちろんだけどタイポグラフィがこの分野に占める影響はかなり大きいと思う。■LPを持ち歩いて学校に行っていた頃が懐かしい。もちろんむき出しではなく、レコード屋のビニールに入れて歩いていたのだが、たまにはそのまま小脇に抱えて歩きたくなるジャケットもあった。T-REXの「スライダー」を持った髪の長い女の子とか、ボウイの「ピンナップス」を持ったミニスカートの彼女とかね。ただELPの「恐怖の頭脳改革」とかクリムゾンの「宮殿」はやめた方が無難だと思うけどね。PS■この雑誌、第2特集はアナログプレイヤーカタログ。これがまた美しいフォルム。LPの時代といえばこのアナログプレイヤー。カートリッジは、針は、調整は、面倒くさいことがたくさんあったが、それでも良い音がそこから鳴った時の喜びは今よりひょっとしたら大きかったのかもしれない。■好きなアルバムジャケット。あなたの一枚は何ですか。一言残していってくださいな。関連記事
2007/02/17
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■自慢じゃないが、1970年くらいからのアカデミー賞の作品賞、監督賞、主演助演男優女優がだいたい言える。しかしながら、キネマ旬報のそれとなると、なかなか思い出せるものは少ない。■ふりかえって、作品を見直すなり、思い出すなりする時に、ではどちらの選に信憑性があるかと言われれば、俄然後者のほうである。いや信憑性と言うとかなり語弊があるので言い直すと、自分が納得する度合いが強いのは後者である。■それではなぜアカデミー賞の方が自分の記憶に残ってしまうのかといえば、それを取りあがる媒体の数の膨大さと話題性の大きさに起因している。今では全世界規模でその模様を生中継しているくらいの関心事にもなってしまっているくらいだ。■しかし、その賞には権威はあるものの、水面下では様々な思惑や利害関係がうごめいているように思えてしょうがない。それは本場の祭典を模して始まった日本アカデミー賞にしたって同じことだと思う。■とりわけ記憶に新しいのは昨年の例で、ひとつの映画が作品賞をはじめ監督主演助演ほとんどの主要タイトルを総なめにしてしまい、著しくレースの興味を殺いでしまった。それが誰が見ても納得の出色の出来というならまだしも。■そんな否定的なことを考えながら、2時間今年もこの番組を見てしまったのは、オダギリジョーと蒼井優と長澤まさみ見たさに他ならなかったわけで・・・。それにしてもオダジョーのファッションには毎回口が開きっぱなし。たとえ出演作品がなくても毎年呼んで欲しいなんて思ってしまう。■で、今年の選はバランスという意味では前回の反省を活かして、まずますの振り分け方だったのではないか。蒼井優を助演にノミネートすることで中谷美紀にご褒美をあげることができたし、笹野高史の受賞もなんだかとっても嬉しかった。■「フラガール」も「ゆれる」も未見のぶんざいで偉そうなことは言えないが、個人的には主演男優に「雪に願うこと」の佐藤浩市、主演女優に「嫌われ松子」の中谷美紀、助演男優に多数出演の伊勢谷雄介、瑛太、助演女優に「かもめ食堂」のもたいまさこ、監督に「嫌われ松子」の中島哲也、脚本に「木更津」の宮藤官九郎、なんてところが個人的趣味。作品はまだ見ぬ前出の2作のためにとっておくことにする。■噂によれば、「武士の一分」の木村拓哉は事務所の方針(役の優劣を競うようなレースには参加しない)で賞取りレースからは辞退したとか。二宮君が本場アカデミーにノミネートされていたらどうしたんだろう。香取、長瀬、岡田、桜井・・・最近のこの事務所タレントの俳優的活躍はめざましいといえるのにな。■それにしても、もう少し、見せ方伝え方を工夫して知的好奇心を刺激するような番組にして欲しいぞ、日本テレビ!インタビューアー、ナビゲーターの人選を考えてもらわないと、せっかくのスターの競演も興味も失せて何の魅力もない。その昔のように市川森一に直前予想をしゃべらせる方式を復活して欲しい。■市川森一といえば、今年の邦画の目玉は犬童監督、市川脚本、二宮主演の永島慎二原作の「黄色い涙」。NHK銀河小説のリメイクといっても嵐の世代にとっては生まれてもいない時代の話だ。どんなに彼らが熱演してもこの日本アカデミー賞にノミネートされることはないが、スタッフにはそのチャンスは充分あるのではないだろうか。ま、彼らがそれを権威あるものと思っているかどうかは別の話としてもね。
2007/02/16
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■ああ、その手があったかと唸ってしまったのは、エンドタイトルの変更。以前の小粋なシャンソンもモノクロ画面とあいまって、人の心のやさしさとか家族のありがたみとか、そんな柔らかな余韻を伝えてぴったりこのドラマのテイストにマッチしていたと思っていた。■第6回ということは全11回の中で、真ん中に位置する回。今回から変わった同じ森山良子によるエンディング・テーマは軽さから重さへとドラマのムードを一変してしまうような重厚な余韻をもたらす効果をあげていた。■ではその重たいものというのは、どこから来る感情かといえば、なくなるかもしれない料亭のたたずまいであり、退いてしまうかもしれない先輩の背中である。■悪者がいて、そいつらのために正義が滅びそうだという話ではない。守りたいものはみんなの中に確かにある、でもそれはいずれなくなっていってしまうもので、誰かが壊さなければ先に進めない。でもあえてその誰かにはなりたくない。そんな逡巡が重さでもあり暗さでもあるのだと思う。■失われつつあるものに対するまなざしが優しい。魯山人の皿を修復する八千草薫の手元、串焼きの串の具合を凝視する梅宮のまなざし。この人たちがいなくなるかもしれないと思いながら、その人たちのことを見ている時、人はいつもより優しくなれる。■タイトルの前の前回までのおさらい、見事に着地した梅宮と黒木メイサの夢落ち、板場の活力、仲居さんたちの足元、ナレーションのかすれ具合、喫茶店主のアクセント、どれもこれも、30年前のコピーとはいえ、ブランクないし、スランプを完全に払拭したスムーズなドラマ展開はこのドラマが始まる前に感じた不安を完全に取り払ってしまった。パート2があるかもしれないなんて話もまんざら冗談には聞こえなくなってきた。
2007/02/15
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01. King of Rock 'n' Roll 02. Cars and Girls 03. I Remember That 04. Enchanted 05. Nightingales 06. Hey Manhattan! 07. Knock on Wood 08. Golden Calf 09. Nancy (Let Your Hair Down for Me) 10. Venus of the Soup Kitchen■M1「キング・オブ・ロックンロール」のホットドッグ・ジャンピングフロッグ・アルバカーキ(Hot dog,jumping frog,Albuquerque)という3連単語の並びかたがすごい。食べ物と動物と地名ですよ。パディ・マクアルーンの頭の中はいつも私の興味の的だ。そういえば、King Crimsonにもシガレット・アイスクリーム・ヴァージンマリー像といういかにも、詩人の発想みたいなリフレインがあったっけ。■ジャンピングフロッグ(空飛ぶカエル)という表現にはP,T,Aの「マグノリア」を連想せざるをえないが、このバンドの音楽にもあの映画のように、奥の深いものを感じさせる何かが含まれているようでいつも無視できない。誤解を怖れずに書けばプリファブ・スプラウトはイギリスのスピッツである。■この彼らの3枚目のアルバムが前作「Steve McQueen」ほど名盤感が薄いのは、ひとえにジャケットの差によるところが大きい。あの薄もやにダンデムシートのアンニュイなアートに比べ、この能天気な半開きの口とポーズのとりかたはどうよ。まるでワムの親戚の人たち、またはニューキャッスルのアバではないか。■ただし、中身の方は、この10曲はどれもこれも珠玉のポップチューンで、曲自体の陽性度(妖精度?)はキャリアの中でも最高の部類ではないだろうか。大ヒットしたM1やM2,M4,M6などのポップな流れは独特のコード進行で予測不可能なメロディラインへ到達していくまでの移ろう感じがすごく良い。■前作同様、トーマス・ドルビーのアレンジワークはパディが作る曲自体が持つ浮遊感を巧妙に補強していると思う。これ以上やると、ぶち壊しになる一歩手前という感じ。もちろんこれはこれで完成度が高い一枚だと思うが、もしそれが可能なら、生ギター一本でこれらの曲ができた瞬間のデモテイクもぜひ聞いてみたくなる。■アズティック・カメラの「High Land Hard Rain」、ペイル・ファウンティンの「Pacific Street」、とこれで青春の香りの3枚という選択はどうだ。まだほっぺたに肉がついていなくて、メンバーの中に恋人がいて、詩を書けば誰かが褒めてくれて、28インチのジーンズがはけた頃。■そんな時でなければ書けなかった曲は今となっては口ずさむのも恥ずかしいが、それを聴いていた者たちはおそらくそれを創った彼ら以上にそれぞれの曲に個人的な思い入れを抱いてしまったに違いなく。それが曲解であれ、誤解であれ、誰もその時は間違っていることなんか問題ではなかったわけで。■というわけで、いちばん甘い音楽は何だろうという連想から今日は俄然このアルバムを聞いてみたくなった。その甘さは曲自体のメロディによるところが大きいのだが、まだ汚れない頃の荒削りの甘さという意味も含めての選択なのである。
2007/02/14
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■毎日読ませていただいているライターの前原さんのブログで紹介されていた本。これは面白そうだと思い、昨日2,3軒の本屋をはしご。やっと3軒目で白水社の新書の棚でこの本をみつけた時の喜びは最近では珍しいくらいで、ついスキップしてレジへ。もうすでに頭の中ではこれが面白くないわけないじゃん、みたいに盛り上がってしまっていた。■我慢できず、帰りの電車の中で読み始める。「夜枕合戦」、「シュワルツェネッガー問題」あたりで、つい声を出して吹き出す。瞬時にして咳をする振りをして誤魔化したが、何度も空咳をするわたしの周りから、ぽつりぽつりと乗客は遠のき。マスクを忘れて来てしまったことを少し後悔した。■老後の秘かな野望はエッセイイストである。日常ふと思いついたあれやこれらに対して自分の思いを起承転結をつけてさらりと書き上げる。それは目のつけどころが独創的で、ユーモアにあふれていて、さりげなく文明とか政治とかを批判する眼力を持ち合わせている。きっと10年後のわたしはミスター文章とか呼ばれる時代の寵児だ。■しかしそれがただの夢想に過ぎないのはわたしには致命的な欠陥がいくつも存在しているところにある。それは政治とか経済にまるで興味がないというところに端を発している。歴史にも疎いし、地理音痴でもある。外国の人の名前は複数覚えられないし、英語力だってたいしたことはない。そしてなにより、自分にはユーモアのセンスがあると思い込んでいるという部分が一番肝心な短所なんだと思う。■この人の文章を読んでいて思い描くのは新体操とかシンクロナイズドスイミングみたいな、内容はよくわからないけど、着地にしびれるような競技だ。演技が始まって、水中でもがいたり、ネコみたいにボールを追っかけて日常的にどうかと思えるような展開を続ける中で、あっちに行ったりこっちに行ったりしながらも、実にピタッとくるような終わり方をみせるところ。それがなんだかすごい。■翻訳を生業にしている方はやはり言葉に対して常人とは比較にならないほど意識的だと思う。まずそれはどういう意味かを納得し、じゃ、それをどういう言葉として訳していけば、作者の気持ちが読者に伝わるのか。つまり自分だけわかっていればいいという世界ではない。■本書で扱われている文章は必ずしも翻訳者の苦悩について直接的に言及しているものではないが、彼女がその仕事をすることによって、日常考えているんだろうなという頭の中の独り言であふれている。そしてそれがものすごくリアルに読者に響いてくるということは、とりとめのない思考を見事に言語化して翻訳しているということに他ならない。■なぜこのエッセイ集がこんなに笑えるのかを分析することはわたしの課題テーマでもある。ある種の法則性なり、展開力にその原因があるのだと思うが、マネをしようとしてもなかなかできるものではない。それを人間力のせいにしてしまうのは簡単だが、それではあまりにもわたしが可哀相ではないか。ともあれ、穂村弘、宮沢章夫の諸作と共に岸本佐知子のこの世界はわたしにとって、笑いの教科書なのである。PS■彼女が訳したニコルソン・べイカーという作家の諸作が気になる。いや、仕事になった時のこの人の文体を読んでみたい。たとえば柴田元幸訳のユアグローのようなものを想像してはいるんだが・・・
2007/02/13
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■三谷幸喜のバックステージものといえば、「ショー・マスト・ゴー・オン」や「オケピ」がある。本番上映中の舞台裏で繰り広げられているドタバタや悲喜劇が流れる時間とシンクロさせることで、ハラハラドキドキさせながら見せる芝居であるのだが、どちらもその表や上で演じられているはずの本体の芝居自体はえらくつまらなく、ぞんざいなものとしてしか描かれていない。今回の話の本編もまた子供向け変身モノみたいな原始人、宇宙人、アメリカ兵、農民なんでもアリのおふざけコメディテレビ番組みたいだ。■芝居の中にもヒエラルキーがあるとすればエキストラとはその最下層に属する人たち。新米ADからもモノ同様に扱われ、俳優に自分から声をかけるなんて事は御法度で、ましてスタッフに口答えなんかもってのほかだ。君たちは背景に過ぎない。下手に存在感なんか出してくれては困るんだ。■そんな生活感、存在感を出してはならないはずの10数名の人物に、細かい設定を書きくわえて描いた人間ドラマという見せ方が三谷らしい。エキストラ経験何十年かのベテラン、元高校教師、元地下鉄職員、不倫中の男女、高齢の妻とその夫、プロデューサーとできているらしい女、そしてカメレオンのようにどんな役でも瞬時に対応してしまうエキストラエリート。■角野さんの元教師に人権擁護と権利闘争という観点からものを言わす役柄をあてはめたところが巧い。彼が必死になって覚えた農民その1のセリフが連呼されることで喚起されるイメージがすごく効果的だった。「ここはお前たちの来るところじゃねぇ、さっさと出ていきな」■逆に職場では労使交渉の場に立ち会ったという経歴の持ち主である伊東四朗の、それを全く引きずらない軽さはまるで職人芸のように無意味だ。彼にスポットが当たり、なにか物語に新しい展開を加える一言を期待していると、ことごとくそれは肩すかしに終わる。これは作者とこの日本を代表する喜劇俳優の間に深い信頼関係なくしてはできない描き方だと思う。■偏見かもしれないが、B作の怒鳴りちらす芝居はあまり趣味ではない。それゆえ彼が演じる転落する役者の悲哀も3割引。ただ彼が語った映画「タイタニック」におけるエキストラの芝居の見事さについてはちょっと聞き惚れてしまった。■何十人もの人物が登場する群像劇においても終盤のクライマックスを経て、まき散らされた様々なピースが見事に収束し、人間万歳型のハッピーエンドに持っていく三谷の劇風が今回はちょっと違う趣を示している。■いつもと違うのは微妙に暗い影を感じさせる部分。それは何人かの登場人物が途中退場し、まして劇中、人の死が描かれるところにあるからかもしれない。死んでしまって初めて与えられた役柄が死体役。その亡骸に向かって「硬くなるなよ」って声をかける同僚のセリフは最高のブラックジョークだと思った。■全体的にうるさい芝居という印象が拭えないが、かなり知的に構成された新しい三谷幸喜が堪能できた。ぜひとも再結成されたサンシャインボーイズでの再演を求む。その時は存在感のない彼の役は小林隆をおいて他にないだろう。PS■サードディレクターの彼、どこかで見たような顔だと思ったが、なかなか思い出せないままずっと見ていた。あ、そうだ、まいど豊だ。例の長い槍を持ってヒキ笑いしない現代劇での彼は、ただの二枚目にしか見えず、ちっとも存在感がないのであった。
2007/02/12
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■真夜中に佐藤正午の小説なんかを読み耽っている時間があったら、少しでも多く睡眠をとって、次の日の朝、トレーニングウェアに着替えて近所の川べりでもジョギングないしウォーキングでもした方が絶対有意義な人生が送れる。まるで自分が三島由紀夫になったような気分でそんな事を言ってみたくなったりもする。■自堕落になったという気がした夜に読む佐藤正午は格別である。ダメな男には様々あるが、彼の書くダメ男のダメさ加減がダメなわたしにはちょうど良い。もちろん模範にしたいなんて思わないけど、手の届くところにある自堕落像としてのある種の親近感がこの作品の登場人物の魅力でもある。■「Y」のタイムスリップ、「ジャンプ」の失踪、どちらも大好きな小説で、わたしにとってこの作家はちょっと別格な位置にある。長い沈黙を破って今回7年ぶりに出版された長編小説がこの「5」。何とも人に薦めにくいタイトルだ。「ご」は良いよ。「ご」は読んだ?「ご」はどうよ?せめて「ファイブ」と読むとすれば、それなりに口に出すにも馴染みやすい。そうか、「5」は本来「ファイブ」と発音されるべきなのかもしれない。■人と人が挨拶を交わしたり、勝利の喜びを分かち合ったりする時に行う行為にハイタッチがある。それをする時の決まり文句が「Give Me Five」なんだそうだ。「5をくれ」つまり、あなたの右手、ないし左手を私の掌に合わせてください、という意味らしい。■しかし、この作品の中で行われるハイタッチは挨拶でも喜びの表現でもなく、いくらか呪術的・儀式的な意味合いが濃い。ある女性がいる。彼女にはある特殊な能力がある。彼女の掌と自分の掌が触れ合うことで、忘れかけていた様々な記憶が蘇る。結婚8年目のそろそろ倦怠期に突入した男性が旅先で彼女の掌に触れた時、妻に対して芽生えた感情は・・・■読んでいて思いだしたのは太宰治の「トカトントン」。彼女の(超)能力によって、人を恋し始める純粋な気持ちを思い出すことができて、新鮮な気持ちで妻に、あるいは彼女に対し向かい合ったとしても、またしても時間の経過と共にその感情も徐々に薄れていき、再び草臥れた気持ちに戻っていってしまう。■純粋な初恋の記憶に遡っていった時に、捨てられた子犬に対する愛情だったことに思い当たり、いつしかその犬が排便することを知ることになった時、さぁーと音をたてて引いていってしまった情感。こういう表現にこの作家の太宰イズムみたいなものをとても強く感じてしまう。ただ女性を心中の相手として誘うほど世の中に対して拗ねていないところはいくらか健康的だけどね。■作中の小説家の放蕩ぶりに嫌悪感を持つか持たないかで、好き嫌いがはっきり別れる小説だと思う。その相手として登場する女性の数が多い分、寄り道も多く、ページ数も前作に比べて遙かに多い。それだけ長くこの作家の文章に浸ることができるのを喜びと感じる、そんな読者はこの年頃の男性には意外に多いのかもしれない。少なくともわたしにとって、この小説もなんだか特別な一冊になったと思う。PS■新たに(?)手に入れた携帯電話というツールはこの作家にとって実に有効なかけひきの道具になった。7年の空白も捨てたもんじゃなかったわけだ。
2007/02/11
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音を楽しむ=(それが)音楽■小学校6年生の生徒たちの前でわたしは小学46年生と自己紹介する矢野顕子。たしかにこの人には永遠の小学生の趣がある。彼女が彼らに与えた課題は自分にとってかけがえのない音をみつけるということ。■人前で話すのが苦手、わたしには教えることなんか何もない。そんなことを言いながら、今の気持ちはこんな感じと、用意されたピアノの前にすわって、それを弾き始めた時、そのメロディは言葉なんかを簡単に飛び越えてしまうような表現になってしまう。彼女のつくる音はそれだけで気持ちさえ伝えてしまえる万能の道具だ。■あっこちゃんは彼らを学校の様々な教室に連れて行く。保健室ではカーテンの閉まる音が、給食室ではキュウリやネギを刻む音が、校庭では雪を踏みしめる音、空を飛ぶ鳥の鳴き声が聞こえる。そうやって耳をすませば聞こえてくる音がきっとある。彼女が幼い頃から極度に視力が弱かったという話は今回初めて知ったことだ。たぶんこの人は耳から生まれてきたのかもしれない。■二日間の授業で子供たちはあらためて生活の音の大切さを確認することとなる。家族が帰ってきた時のドアの開く音、締まる音。家族みんなで食事をする時の食器のガチャガチャしたざわめき。そんな音がかけがえのないものだと発表する生徒たちの表情を見て、「ごはんができたよ」や「ラーメンたべたい」がどうやってできたのか、なんとなくわかるような気がした。■ナレーションは古田新太。この人の声にもなんとも言いがたい趣がある。そして今回わたしが最も印象に残った音は子供たちが話す津軽弁の朴訥としたリズムにあった。教えることは苦手だなんて言っていたくせに、最後に生徒たちに向かって話すあっこちゃんは堂々とした音楽教師の風情でもあった。
2007/02/10
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01 Like A Star 02 Enchantment 03 Put Your Records On 04 Till It Happens To You. 05 Trouble Sleeping 06 Call Me When You Get This 07 Choux Pastry Heart 08 Breathless 09 I'd Like To 10 Butterfly 11 Seasons Change■あえて枕元の古くさいラジカセで聞く。その昔聞いていたFMラジオのクロスオーバーイレブンのようなゆったりとした一日の終わりの音楽にふさわしい。これをBGMにして振り返った時、一日のうちに起こった色んな出来事が、ホンモノの日常よりも少しだけ有意義なものに感じさせてしまえるような錯覚を与えてくれる。■そんなマジックを与えてくれるのは彼女の声によるところが大きい。本当は100くらいある能力性能の60くらいまでしか出していないような余力を感じさせる。それは声量という意味の他にロック、ジャズ、クラシック、ゴスペル、レゲエ、ソウルといったような様々な音楽の形式という意味も含めて。■たしか、大崎善生の小説に生ギター一本でツェッペリンを弾き語る女性シンガーの話が出てきたが、このコリーヌの原初的体験もやはり Led Zeppelin だったのだそうだ。たとえボンゾのドラムやジミー・ペイジのエレキギターが鳴らなくても、自身の弾くギター一本で「ロックンロール」を歌うことは彼女になら充分可能なのではないか。胸いっぱいの愛がそこにあるとすればね。■二日後に迫ったグラミーでもこのアルバムはある特定の評価を獲得するだろう。序盤4曲の連続技ですっかり虜にされてしまうような声と音楽。UK生まれのこのBGMは必ずしも映像をロンドンに限定しない。片田舎であるとか、都会であるとか、傷心であるとか、幸せであるとか、風景ないし状況を限定しないミュージックは数多くの人々の心に届きやすいんだと思う。
2007/02/09
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■黒木メイサが月水金はフランス語しか話さないことに決めているように、わたしだって毎週木曜日はこのドラマのことしか書かないと決めている。それしかしないと思い込もうとする意志は他の誘惑ないし妄想を寄せつけない強さを内に含んでいて、潔いことこの上ない。妥協を許さぬ強固な気持ちは語学学習においては必須条件であり、男のけじめに似ていないこともない。■セリフの未熟な若い俳優にあえて母国語を話させることをしないで、超速のスーパーを画面の下に被せていく方法は画面に映るビジュアルを損なわないという意味でかなり有効な手段だと思う。若々しい女優が嬉々として走り、白い歯、長い髪で彼氏に向かって笑いかける場面で観る者の気持ちを殺がないということは凄く大事なことである。■それに対し、彼女のフランス語にうろたえながら、徐々に心を解きほぐしていく平凡な若者の微妙な心の動きをこの若手俳優はなんて上手に演じるんだろう。「あんたどこのひと?」という彼の彼女に対する第一声が東北弁にもフランス語にも聞こえてしまうのは脚本の力だけでなく、二宮和也の演技力のせいだと思う。段々饒舌になっていくあたりの表情の変化は見ているこちら側にも恋の予感の甘いオーラが飛び火してしまいそうで微笑ましかった。■演技力といえば、やはり今回場面をさらったのは、シャク半、松重豊の立ち姿であり、ヒックというあまりに自然なそのシャックリの音にどやされるよりも強烈な緊張感を味わったのは二宮君だけではなかったはずだ。事件の後、オープンカフェでのツーショットの際にシャク半のテーマが流れる中で、唯我独尊の論理構成のもと、お兄ちゃんに謝る彼の語りは「前略」ファンの誰もが彼のことを半妻さん、利夫さんの後継者と認めた見せ所でもあった。■30年前と変わらないものといえば、八千草薫と梅宮辰夫の場面はそこだけ冷凍保存した風景のようだ。役名は秀次から竜次に変わっても梅宮に託された倉本聰のメッセージは不変。今回も一平を射抜くのは有無を言わさぬ男の一言であって、その説得力は昭和が平成に変わったところでビクともしない。「おまえを責めない 誉めてやりたいくらいだ」そんなこと言われて心が動かない人間はいない。■前作でも分田上の立ち退き問題があり、川波の内部分裂騒動があった。あちらとこちらを右往左往するおにいちゃんは30年前のショーケンと同じだ。ただそんな彼の心の支えになっていたのはいつもあの秀次先輩だった。その分身である竜次先輩が包丁をしまう時、いったい彼の将来はどちら側に開けるのか、わたしにとってそんな物語の展開はこのドラマの興味の中心でははっきり言って、ない。ただ見ていたい、味わっていたいのは、射すくめられる言葉の応酬であり、妙な人たちが一瞬、かけがえのない者に見えるような瞬間なのである。だからたとえ一平がフランス料理の道を歩もうとしたとしても、何も驚きはしないのだ。PS■秋に瓦と書いて「いしだたみ」と読むとは知らなかった。あの文庫本の装幀、美術スタッフにあっぱれをあげたい。
2007/02/08
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01 Ballet02 Music Plans03 Rap Phenomena04 Happy End05 1000 Knives06 Cue07 U.T08 Camouflage09 Mass10 Loom■発売日に買ったクチである。最初に聞いた時の失望感はかなり大きかった。「BGM」とするなら彼らの曲はそれこそ大運動会の花形種目に被さる高揚感を演出するものというイメージだったし、深夜の麻雀のノリノリ感を誘発する起爆剤というイメージだった。「ライディーン」や「ナイスエイジ」がそうであったように。■しかし、このアルバムには緩んだ何かを同じ方向に向けるような号令的な楽曲は皆無で、ひたすら個に向けて発信されるノイズにも似た内省的な音楽に終始している。な、身体が動くだろ、ってみんなして踊っちゃうテクノポップではなかったということだ。■当時のみんながYMOに求めていたものは間違いなくこんな音楽ではなかった。それまで発表されてきた4枚のアルバムの流れからみても、裏切られたという感じは拭い去れなかった。だからわたしは3回だけ聞いてしばらく(何年か)このアルバムを封印することになった。■その後、教授は「B2ユニット」で同じように歪んだ音楽を鳴らし、ユキヒロは「ニウロマンティック」で退廃的なサウンドを鳴らし、細野は「フィルハーモニー」で宇宙みたいな音楽を奏でた。結局どれも始まりはこの「BGM」だったんじゃないか。■ニューウエイブ以降、音楽の鳴り方がとても聞こえにくいものになって、ヘッドフォンを使って個人の頭に向けて発信されだした時、私たちが求める音楽の種類はいくらか変容していったのだと思う。そこに求められるのはある種の処方箋のような個人の病に対する治癒を目的とするものに変わっていった側面もある。■わたしにとって「BGM」の再評価はそうやって少し遅れてやってきた。M1「Ballet」のもたらすムードが不安よりもむしろ仄かな明るさに変わっていき、M4「Happy End」のつかみどころの無さは心の解放かもしれないなんて感じるようにもなった。それは「Mass」から「Loom」に至る終盤の流れにしても同じだ。■制作当時坂本龍一は極度のスランプに陥っていたと聞く。わたしにとって、YMOの魅力の大部分は彼の編曲とメロディセンスだった。それが突出しない感じで出来上がったこの「BGM」は全てにおいてバランスがとれている。特にユキヒロの楽曲ならびドラムスが旧作よりも輝いているのだが、必ずしも前に出すぎている印象はない。■「BGM」とはよく言ったものである。その音量はTPOによって最大に振れたり、最小に振れたり、自由だ。ただこの音楽はマスに向けて与えられるものではなく、ひたすら個人に向けて発信されたドラッグに近い。■三夜連続YMO祭りは終了。もう当分、このバンドのことは書かない。でもそれぞれのソロアルバムなら、まだまだネタは尽きないのである。
2007/02/07
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01. JUNGLE "YMO" 02. NICE AGE 03. SNAKEMAN SHOW 04. TIGHTEN UP (JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE) 05. SNAKEMAN SHOW 06. HERE WE GO AGAIN ~TIGHTEN UP 07. SNAKEMAN SHOW 08. CITIZENS OF SCIENCE 09. SNAKEMAN SHOW 10. MULTIPLIES 11. SNAKEMAN SHOW 12. THE END OF ASIA ■こなさん みんばんわー!大方の予想を裏切って今晩は「増殖」です。「BGM」を期待していた人、すみません。まるでクレイジーキャッツになったように、音盤で笑わせるというお遊び的で革新的なLPでした。■外側の赤い部分が段ボールでできています。真ん中にはレコードが落っこちないように幅10センチくらいのビニールがかかっています。そして増殖人形と呼ばれるユキヒロ氏デザインのキモかわいい3人がどこかのスタジアムに何体も並んでいます。■曲と曲の間にはスネークマン・ショーによるシークエンスがあって、そっちのインパクトがでっかかった分、ここでかかる4曲の印象が幾分薄くなりがちですが、実のところはかなりの名曲揃いなんですね。■「Nice Age」ではユキヒロ節がほぼ完成しています。いきなり始まり、余韻も何もあったもんじゃなく曲は終わりますが、当時彼らの曲に期待していたテンポ、ノリの良さ、かっこよさ、どれもこれも高水準でクリアしています。途中で入るニュース速報はポール・マッカートニー釈放のニュース。ウィングス初来日が彼の大麻所持でお流れになった時期でした。ちなみにこのアナウンスは元加藤和彦夫人のミカさんです。■「Tighten Up」はハリー細野のベースにクラクラです。ジャパニーズジェントルマンスタンダッププリーズ!タイトンアップ、タカハシ!サケノメサカモト!ハリーアップウィザベースパパさん!たしか、ソウルトレインでこの曲かかったんじゃありませんでしたっけ。首からカメラを提げた日本人と共に。ヒアウィゴゥアゲイン。■「Citizen of Science」はその後の「ウォーヘッド」などにも続く坂本色の強いナンバー。ピコピコいうシンセの音と格闘するユキヒロのドラムが小気味よいです。「Multiplies」はスカテクノ。80年ですよ。今から27年前ですよ。このノリの良さは「Tighten Up」と双璧です。鼻歌課題曲に推薦します。■さて、スネークマンの方の部分ですが、初めて聞いた時は笑っちゃいましたね。今聞くと懐かしい時事ネタも多いです。さて問題です。この当時の総理大臣の名前は。この当時スキャンダルで叩かれていた大企業の名前は。■ラストの「The End of Asia」のかかる前の「若いやまびこ」の時間が好きです。(もちろん渋谷陽一の若いこだまのパロディですね)僕なんかレコード8万枚持ってますけど、ちゃーんとロックばっか。僕なんかロンドンブーツ10足持ってますけど、シルバーの。僕なんかラジオの番組10本持ってますけど。僕なんか外タレにスキヤキしゃぶしゃぶ食わせてますけど。今度UHFでロックの番組やりますけど。まあ、あれやこれや全部ひっくるめてイーものもある、悪いものもある、んだよね。■白熱する小林克也と伊武雅刀はもちろんですが、間に入ってそのやりとりをとりもつ桑原茂一の非存在感が素晴らしいです。時々YMOの3人が「ちょっといいですか、やっぱYMOでしょ」って口を挟んで完全にシカトされるところもまた実に可笑しかった。■YMO本体に拮抗するかのような存在感をみせたスネークマンショーはその直後「急いで口で吸え」で華々しくデビューを飾ります。その中でもこの3人がまたバカバカしい洞穴ギャグを聞かせてくれますが、当時の教授の演技を見ていると(聞いていると)、大島渚やベルトルッチはよく、彼を抜擢したなと思ってしまいます。ま、いーとこもあって悪いとこもあるのがロック・ミュージシャンなんでしょうね。ヒアウィゴゥアゲイン。
2007/02/06
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1. Technopolis2. Absolute Ego Dance 3. Rydeen4. Castalia5. Behind The Mask6. Day Tripper 7. Insomnia 8. Solid State Survivor■祝ライディーン発信開始ということでプチYMO祭り。老婆心の塊として付け加えておけば、この曲の元歌はこのアルバムの中にあります。(って誰に言ってんだか)好きとか嫌いとは別として、一番多く聞いたのは間違いなくこのアルバムである。赤い人民服、切り落としたもみあげ、電化された声質、テクノって当時、ある種のファッションの枕詞だった。■個人的には学生時代の終わりで、就職も決まって、自由を謳歌していた頃かな。だからこのアルバムを聞くと、決まって思い出すのが、徹夜麻雀の風景。このジャケットよろしく、テクノポリスやライディーン聞きながらよく打ってました、友達の家で。ミカバンドの「ファンキー・マージャン」からYMOへ。真夜中のBGMがかわっていった頃の話だ。それにしても「トキオ」のタイミングに合わせてリーチかけたり、鼻歌でライディーン歌いながら満貫つもったり、わたしへの貢献度という意味でも評価は高いぞ、これ。■M1~M3までの疾走感は本当にクセになった。それぞれ教授、細野、幸宏の順でノリのいい楽曲がならぶ。M4は一転して静寂へ。この曲は当時のライブで1曲目に演奏されることが多かった。そうだよな、途中に入れるにはタイミングが難しいよな。B面の4曲は変化球的テクノ。ディーボとかチューブスとかXTC的な雰囲気が漂う。トッド・ラングレンがこの時期のYMOをプロデュースしたとしたら、なんて妄想してしまう。■最初の全米ツアーのボトムラインでのライブを当時FM東京で録音して、カセットテープが擦り切れるほど聴いた。「東風」と「中国女」と「千のナイフ」。渡辺香津美のギターを含めて4人のアンサンブルが実に見事だった。ビジュアルがない彼らの演奏は未来感覚のジャズセッションに近い雰囲気だったように思う。後日発売された「Public Pressure」に彼のギターが聞こえなかった時のショックは大きかったな。ああ、公的抑圧。■YMO自慢話シリーズ・80年の「From Tokio to Tokyo」ツアーに行った。(武道館)その時のパンフレットがまだ手元にある。これは結構読み応えあり。・83年の散開ツアーに行った。(これも武道館)その時のパンフレットもまだ手元にある。これは結構分厚い。・GOROから出た「OMIYAGE」というYMO写真集がまだ手元にある。ファッション性高し。なぜか谷岡ヤスジの漫画あり。・「Self Service」という20周年記念CD-ROMが手元にある。全114曲ノーカット収録。でも全部通して聞いたことはまだない。・フジテレビ「カルトQ」YMO特集の予選に参加したことがある。結果は惨敗。ちなみに本戦出場者の中には電気グルーブの砂原氏がいた。つづく(かも)
2007/02/05
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■94年の映画。映画が60年代70年代のポップ・ミュージックのジュークボックス的展開をみせてくれた最初の作品だったんじゃないか。監督のウォン・カーウェイは’58年生まれ。そのくらいの年代の人にとってそれらの音楽が自分に与えてくれた影響ってものすごく大きなものがあって、何かを表現する時には欠かせないものになってきているんだ、きっと。そういう意味でここで使われた「夢のカリフォルニア」にはその曲自体のおおらかさだけでなく、色んな感情や想いが含まれているように聞こえるし、見える。その時、彼女との距離は0,1ミリ。57時間後、僕は彼女に恋をした■金城君のA面の方は、彼のモノローグの切なさ加減が魅力。金髪美女との遭遇にあまり劇的な効果が見られなかったぶん、恋人にフラれた彼の落ち込み具合とか、やぶれかぶれ加減を楽しめばいい。(「へえ、結婚したんだぁ」なんて突然日本語を喋り出す金城君にはなんか微妙に違和感があった)賞味期限の迫ったパイン缶のやけ食い。留守番電話サービスのパスワード「一万年愛す」など、10代に見たら、同調してしまいそうなアイテムは多数散見。その時、彼女との距離は0,1ミリ。6時間後、彼女は別の男に恋をした■いつもの店屋の前で金城君がすれ違った女性はフェイ・ウォン。この映画のB面は彼女の存在感が作品自体の印象を決定づけ、前半のエピソードを完全に記憶の隅に押しやってしまうくらい強烈な魅力にあふれていた。しかしあんなにでかい音量でラジカセをかけながら頭振り振り商売してはいけないだろう。■このトニー・レオンも良いですよね。別に制服フェチじゃないけど、あの制帽のかぶり方のいやらしさったらない。スチュアーデス(現フライトアテンダント)の恋人にフラれた後の自分の部屋で独り言(この場合はモノローグとは言わない)を言っている図もなかなかのものです。ああして話しかけられるぬいぐるみもどうして良いか困ってしまうと思う。まして彼、ブリーフだし。■ピンクのゴム手袋をはめて彼の部屋に忍び込むフェイ・ウォンのシーンはやはり一番印象に残ってしまう。石鹸を新しくし、水槽の水を取り替え、新しいシャツをハンガーに忍ばせ、缶詰のラベルを全部貼りかえ、ベッドをルーペで点検し長い髪を見つけて泣きわめき、新しいシーツに取り替える。彼女自身が歌う「夢中人」がバックに流れるその一連の場面はいつ彼が帰ってくるかなんていう現実的な緊張感は吹っ飛んでしまうくらい夢遊病感に支配された特別なシーンだった。■個人的にはトニー・レオンの元カノ役のチャウ・カーリンも捨てがたいです。ターミナルへ向かうエスカレーターからしゃがんで覗けるトニーのアパートというシチュエーションがたまりません。ぜひ玩具の飛行機を買って制服姿の彼女と戯れてみたいなんて妄想してみたりします。すみません、独り言でした。(これもモノローグとは言わない)
2007/02/04
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■収録されているのは4つの短編。以下初出一覧から●動物園のエンジン 「小説新潮」 2001/ March●サクリファイス 「別冊 東北学 vol.8 」 2004 / August●フィッシュストーリー 「小説新潮」 2005 / October●ポテチ 書き下ろし「動物園のエンジン」動物園ものを書かせたら村上春樹と伊坂幸太郎は双璧だと思う。(あ、エドワード・オールビーもね)かなり初期の作品であるが、すでに作品間リンクは始まっている。とってつけたような謎と、わかったようなわからないような解決と。でもミステリーを読もうとしてこの作家の本を選ぶ人はかなりのひねくれ者だと思う。ユーモアの片鱗は見られるが、まだまだ歩き出した頃の伊坂という感じ。「サクリファイス」4編の中では一番興味深く読んだ。土着的な物語と伊坂、彼のイメージとは遠く離れたところにあるテーマのように見えるが、東北の片田舎で今なお残る風習を背景に探偵黒澤の活躍を描く。なぜだか彼が金田一耕介に見えてくるのは御愛嬌か。物語が終わって「だから?」と聞き返してみたところで誰も何も答えてくれそうもないが、教訓なんて捏造すればこの話の中にも星の数ほどあるわけさ。「フィッシュストーリー」表題作にして、最高作。またホラ話がうまいんだ、これが。ここに出てくる日本人作家もロックバンドも調べていけば見つかりそうでありながら実は架空の存在に過ぎない。ちょっとした勇気の欠片がいくつかの奇跡に連鎖する。爆音で流れるロックがあって、その盛り上がっていた間奏付近で突然曲が何秒間か鳴りやんで、しばらくしたらまた鳴り出したとする。その何秒間かにどれだけの物語が詰まっているのか想像してみることは大事だ。そしてその何秒間かの間にその曲を聴いている者に起きるかもしれない出来事を想像してみることも大事だ。「ポテチ」モーサム・トレベンダーというバンドは、れっきとした日本のロックバンドであって架空の存在なんかじゃない。でもフィッシュストーリーに登場した爆音バンドは彼らではない。そのバンドのファンなら、かなりニヤけて読める話だと思う。今村君が良い。強気な彼女に振り回されながら、それでも彼女を守ってあげる彼の心意気が良い。コンソメ味のつもりで食べていたポテチが実は塩味だったとしても、意外にイケるんだ、これも。乾いたセリフの応酬も、ラストシーンには見事に涙腺を刺激してくるこの作家の小説の書き方はすごくずるいと思う。
2007/02/03
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■地面に足をつけて見上げる空とマンションの11階から見るそれとでは目に写る色や形は違うんだろうか。そこにより近いのが中空にそびえ立つビルディングの方であったなら、そのベランダからジャンプした方がそこに辿り着きやすいと考えるのは自然のことかもしれない。■父は単身赴任で、母は働きに出ている。わたしは高校生で下には中学受験をひかえた弟がいる。そしてもうひとり萩乃という名の祖母がいて、彼女がなんだか最近おかしい。わたしの家庭科の宿題を手伝い始めた彼女は「運針の病」にとりつかれ、周囲の者たちと通信が途絶えてしまう。「おばあちゃん、おばあちゃんったら」いくら呼びかけても、上の空だ。■わたしとて、なんの屈託もない女子高生ではない。毎日眠い。学校のない夏休みはなおさらだ。今起きたと思ったら、もう寝ている。「早く起きなさい」「うん、今起きようと思っているところ」それは眠りの病。■この家族構成は角田光代の「空中庭園」とダブる。あっちの家族も地に足の着いていない郊外の団地の住人だった。そんな「宙の家(ソラノイエ)」と「空気」の2編を収録。それぞれが独立した物語というよりは登場人物は変わらず、後者は前者の後日談。■「空気」の中に出てくる弟の友達の兄である波貴とわたしの場面が良い。ふたりが空の向こう側を探しにドライブに出かける。周りから見れば恋人同士に見えるかもしれないふたりの会話は喉仏の話だ。(死んだ人の喉仏を)時間をかけてきれいに焼き上げると手にのるくらいの仏さんの形になる。それを桐の箱に入れてしばらく置いておくんだが、なるほど座っている仏さんの形をしている。軽石のようにふわりと座布団にすわった骨の仏だ。(「空気」P189)それを聞いたわたしは以前父から教えてもらった別の骨の話を思い出す。(祝い事があって鯛を食べていた時)父がたしか胸鰭(ムナビレ)の下だったと思うんですけど、そこから骨を出したんです。鯛の骨。それ魚の形をしているの。鯛の形。ちゃんと目らしき窪みまであって、鯛の鯛。(「空気」P189)■その後、運転席の彼の喉仏を触ってみようとする彼女の行為とそれを振り払う彼の行為がごく自然な通信の仕方に見えて、恋心には見えない。ひょっとしたら間違えているのは私たちの方ではないか。そんな通信の仕方こそヒトとヒトとの触れ合いというものなんじゃないか。そんなことを思った。
2007/02/02
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■テレビを見ながら、まるで30年前の本編の続きを見ているような心躍る気持ちになってしまったのは、シャク半登場の微かなインパクトにある。日常に突然現れる鳶のヒトの冗談の通じない異形の姿は生ぬるい板場の雰囲気をグッと引き締め、否応のない緊張感を辺り一面にまき散らすわけで。■松重豊という俳優の起用はお目が高いとしか言いようがない。何を考えているんだか、何をしでかすんだかわからない感じはこの人か光石研か、それくらいしか思い当たらない。やっと川谷拓三、室田日出男の不在感が少し埋まりつつあり、それゆえドラマのテンションが自然に高まっていった。■とりわけ、本日のセカンド・シークエンス、巣鴨探索のエピソードは往年のこの作家の芸風が本当に久しぶりに帰ってきたことを思わせる弾んだ展開で見事。骨抜き地蔵もガマ女もただの言い間違いには聞こえないギャグセンスだったし、途中の思い出カラオケ館から流れてきた「ゴンドラの歌」のイメージフィルムはもの悲しくもあり微笑ましくもあった。倉本聰がこの歌を引用したのは「昨日悲別で」における与作のオヤジ千秋実の悲別ロマン座における臨終シーン以来。■先週の土曜日には山田太一ドラマで女性の下着売り場にいた余貴美子が完全に変装して巣鴨で占い師をやっていたとは。岸部一徳も中村雅俊も、彼女を捜索したところで結局見つからなかったわけだ。カナダに行ったんじゃなかったんだ。■八千草薫は実は前略パート2からの出演で(パート1の女将は北林谷栄、若女将は丘みつこ)その時の娘役は木之内みどり(竹中直人夫人)。そうか、彼女が30年経てば岸本加世子になるのかと考えると時の流れの速さに少し驚く。ちょっと鼻にかかった声で「おにいちゃん」と呼んでいたあの子が、今、八千草薫に「消えててください」って啖呵を切っていると言うことか。■ということは30年後、福田沙紀は岸本加世子になり、(その横にはなぜか時夫がいて)、岸本加世子は八千草薫になるということか。倉本聰100才。うーん。■30年前と比べてタバコを吸う男のシーンが激減。その代わり木村、池津、高島の例の3人組がすごい勢いで紫煙を吐き上げる。煙に巻かれるのは常に男性側の方であり、散々引っ張り回され、結局痛い目に遭うのはたいていおにいちゃんだ。■今回、倉本聰復活を思わせた最良のシーンは、終盤失神した一平の見た夢の描写にある。夢に色がついているものかどうかは確かめようがないが、巣鴨の赤から林檎の赤へと連なるイメージ展開に唸る。ああいう、ドラマを回想する意味合いと少し先の未来を予見させるような夢オチの使い方はこの作家の技巧的見せ所であった。なんかすごく久しぶりに往年の力量を見せてもらった気がする。エンドロールの登場人物の表情も含めてちょっと記憶に残る第4話だった。
2007/02/01
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