2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全32件 (32件中 1-32件目)
1

All work and no play makes Jack a dull boy.All work and no play makes Jack a dull boy.All work and no play makes Jack a dull boy.All work and no play makes Jack a dull boy. ■雪に閉ざされたホテルでジャック・ニコルソンがタイプしていた文字の羅列を思い出した。そういえば、あの映画で彼が演じた主人公の名前もジャックだ。「ファイトクラブ」を見終わった後、思い出したのがこの「シャイニング」で、わたしはつくづくジャックという名の登場人物に弱いのだということに思い当たったわけだ。■しかし、この映画でエドワード・ノートンが演じた人物の名前は本当はジャックではない。「わたしはジャックの切ない心臓です」「わたしはジャックの脳の延髄です」暴力シーンに重なるこれらのモノローグが観るものを混乱させるわけだが、これらのセリフは彼が廃屋で見つけだした書物からの抜粋に過ぎない。それでは彼の役名はどうなっているのかといえば"Narrator(ナレーター)"、つまりこの物語は実は彼の一人称的世界の騙し絵だったのだとエンドクレジットで我々は知らされるわけだ。■映像化することによって原作小説の持ち味を損ねてしまう作品は数多い。しかし、このファイトクラブに限っては実写化されたことにより幻惑度が魅力的に倍加している希有な例だと思う。そう、これからこの作品を観ることになる幸運な人は見事に騙されちゃって欲しい。なるほど、彼女の不可解な行為も、彼の一連のモノローグも後から思えばなるほどそうだったのかって腑に落ちること請け合い。■痛みこそ生を認識できる最高の刺激であるというメッセージはそれこそ痛いほど伝わってくる。結局私たちを恐怖のどん底に落としいれるものの正体の半分以上は痛みなのかもしれない。しかしそれを日常的に被る訓練を続けていくことで、取り払われる恐怖が少しでもあるのならば、人は今までより、より強く生きていけるのかもしれない。そしていくらか強くなった肉体にはいくらか強くなった精神がついてくるのかもしれない。■この映画の中のブラッド・ピットは無敵である。まるでブルース・リーのようにしなやかに舞う彼の肉体はそれを持ちたいと願う我々の理想の姿を体現している。ただスクリーンに映しだされる彼の姿はエドワード・ノートンが思い描いたメタファーに過ぎない。今までこんなにメタフィジカルな役柄を演じた俳優は滅多にいなかったのではないだろうか。■「セブン」のラストのデビッド・ボウイも傑作だったが、このデビッド・フィンチャーという監督は音楽にうるさい。ここでもダスト・ブラザーズの重低音が要所要所で映画の不安を煽り、テンションをあげる。まるで最初からこの音楽が監督の頭にあったようにダークなムードが作品を支配している。■劇中ブラッド・ピットは映画技師として子供向けのアニメーションを映写する仕事を引き受けているが、いつもその中に一瞬だけポルノフィルムを挿入するというお遊びをする。実際この映画の中でもフィンチャーはサブリミナル的に私たちの潜在意識の中に結末を暗示するようなカットを加えているのだそうだ。そして所々彼らしいギャグも折りまぜ、ただの暴力賛美映画にしていないところが傑作たる所以である。PS■やはりラストシーンについて一言。エドワード・ノートンとヘレン・ボナム・カーターのふたりが手をつないで倒壊するビルを見つめる姿はとても美しいシーンだった。たとえ数秒後に自分たちも崩れていくことになるとしても。そして彼がズボンをはいていなかったとしてもね。『チョークで描かれたジャックはビルを見つめて待ってる』ライダーズがBLDGという歌を作ったのが86年。ファイトクラブより13年も前の話だが、YBJ(ヤング・ブラッド・ジャック)の物語といい、この映画との偶然の符合はちょっと恐ろしいくらいである。
2007/01/31
コメント(0)

■同性と異性、そのどちらにより認められたいかと考えると、おそらく同性にこそ、自分を誉めてもらいたいという意識は強くないか。自分の中のコンプレックスの中心には人と同じように当たり前のようなことができないということがあり、できるだけ人と比べられるような場に出向かないし、人の横には並ばないようにしている。■父として、夫として、職業人として与えられた役割をこなしているような人を見ると憧れてしまう。難なくそれをクリアできてしまう人もたしかにいるんだろうなって思う。それでもやはり自分にはそのどれもこれもが中途半端で、それはやる気の問題でなんとかできちゃうようなものではない、なんて思ってしまう。■それでも、若い頃、わたしはこんなオトコになるつもりはなかった。そしてこんなオトナになるつもりもなかった。落ち込んだ夜にはそれは自分自身がその時その時、無意識にしろ何かしらの選択をした結果なのだ、と自分を励ますこともあるが、実際のところは対岸に渡る気力をことごとく奮い起こさなかった結果に他ならないと思う。結局のところ、めんどくさがる男のなれの果てだ。■人生においてそういう枝分かれが発生する時ってどんな時なんだろう。卒業?就職?結婚?学生時代、友達だった彼や彼女と疎遠になってしまったのには様々な事情があるけれど、周囲の環境のせいで変化していく自分を克明に記録し続けるような余裕もゆとりもその頃にはあるはずもない。聞いて聞いてと軽口を叩ける相手は不思議と自分の近くにいる者に限られてくるのだ。■葵と小夜子、どちらの人生がより幸福かを吟味する小説ではない。そして彼女らの軸足が川を挟んで両極に位置しているものでもない。対岸はぼやけて霞んで見える。老眼が進むわたしの目にはそれが実はもうひとりの私であるかもしれないということに気づかないでいる。そこが右岸であっても左岸であっても幸せとか不幸せとかを決められるものではないということだ。■思い出を美化するわけではないが葵と魚子(ナナコ)が放課後過ごした川べりの土手には無限の幸せがあふれていた。葵はその時、十数年後こんな自分になることは夢にも思わなかったはずだ。成長とは必ずしもすくすくと育ってそこに至る旅ばかりではない。転落とは必ずしも不幸の積み重ねの為せる業ではない。■この作家の小説を読むといつも何かしら考えさせられてしまう。それはできれば放っておいて欲しかった自分に対するあれやこれやであることが多くて、一過性にせよ、内省的になってしまう夜を迎えることになる。しかし、それもまた読書の喜びだ、などと言ってしまえる心の余裕も今のわたしにはある。結局こういう無責任な体質は一生変わらないんだろうなって思う。PS■Wowowでドラマ化されたこの物語、小夜子の夫役は堺雅人。現代劇の彼はこういう役がすごく似合うと思う。
2007/01/30
コメント(4)

■こんなコンピレーションが出ていたことは知らなかった。橋本徹監修のネオアコースティックの佳曲がワーナー、ユニバーサル、東芝の三社から。さっそくネットで注文(しかもお急ぎ便だ)、で、現在ヘビー・ローテーション中です。■橋本氏のコンパイルの手腕はフリー・ソウルやカフェ・アプリミディ・シリーズで実証済み。わたしは彼の選曲で様々な音源を知ることができた。中でもチェリーレッド、クレスプキュールのカフェアプリミディ盤は四季を問わず夜のリラックスタイムのBGM貢献度ナンバーワンである。■プリファブ・スプラウト、ペイル・ファウンティンズ、エブリシング・バット・ザ・ガール、アズティック・カメラ、ヘアカット100・・・、もうそのグループ名だけでメロメロになってしまう人は多いのではないか。80年代中頃から90年代初頭、青春の真っ盛りにいた人ならば、その音楽を聴くだけで胸がキューンとなっちゃうこと請け合い。実はその頃すでに私はおじさんだったのだが、懐かしいという気持ちは共有してかまわないでしょ。■3枚とも、80分ぎっしり、名曲が詰まっている。音盤的な価値はそれはオリジナルに勝るものはないけど、そこに導いてくれる手引きのようなものとしてこういった企画盤の果たす役割は大きい。実際わたしはこういったコンピレーションのおかげでプリファブの「スティーブ・マックイーン」やペイル・ファウンティンズの「パシフィック・ストリート」やETBGの「エデン」に行き着いた。■難点をいえば、三枚ともライナーノートのネオアコをめぐる橋本徹氏と吉本宏氏の対談と主要グループ解説の文章が同じこと。曲目を吟味して一枚だけに絞る購買者ももちろん多いだろうが、私のようにまとめて購入した者にとっては一枚ごとにそれぞれの楽曲解説などに時間をかけてくれても良かったのにという感想を持つ。ともあれ、これからネオアコを体験しようとしている人にとっては、どの一枚をとっても間違いはないと思う。また波もきているようですしね。■左よりワーナー、ユニバーサル、東芝。曲目は下記の通り。XTCもスタカンもスミスもちっとも浮き上がって聞こえない選曲と曲の並べ方は名人芸だと思った。 neo-acoustic parade01ライフ・イン・ア・ノーザン・タウン (ドリーム・アカデミー)02リーチ (ペイル・ファウンテンズ)03ウィリアム・イット・ワズ・リアリー・ナッシング (スミス)04オール・アイ・ニード・イズ・エヴリシング (アズテック・カメラ)05ダウン・イン・ザ・セーヌ (スタイル・カウンシル)06グッドバイ・ジョー (トレイシー・ソーン)07ボニー (プリファブ・スプラウト)08ラヴ・パレード (ドリーム・アカデミー)09アイム・フォーリング (ブルーベルズ)10ウォーク・アウト・トゥ・ウィンター (アズテック・カメラ)11ラスト・フォンド・グッドバイ (グラブ・グラブ・ザ・ハドック)12フロム・アクロス・ザ・キッチン・テーブル (ペイル・ファウンテンズ)13ホエン・イット・スターテッド・トゥ・ビギン (ニック・ヘイワード)14ユー・ドント・ニード・サムワン・ニュー (ロータス・イーターズ)15ウォールフラワー (モノクローム・セット)16ヘヴン・ノウズ・アイム・ミゼラブル・ナウ (ザ・スミス)17イーチ・アンド・エヴリ・ワン (エヴリシング・バット・ザ・ガール)18ハーフ・ア・ミニット (マット・ビアンコ)19ユーアー・ザ・ベスト・シング (スタイル・カウンシル)20クルーエル (プリファブ・スプラウト)21ユーアー・ゴナ・メイク・ミー・ロンサム・ホエン・ユー・ゴー (ベン・ワット) neo-acoustic love01ヘッドスタート・フォー・ハピネス (スタイル・カウンシル)02ディス・チャーミング・マン (スミス)03ホエン・オールズ・ウェル (エヴリシング・バット・ザ・ガール)04ボーイ・ワンダーズ (アズテック・カメラ)05ジーンズ・ノット・ハプニング (ペイル・ファウンテンズ)06マイ・エヴァー・チェンジング・ムーズ (スタイル・カウンシル)07ユー・メアリー・ユー (ルイ・フィリップ)08ピラー・トゥ・ポスト (アズテック・カメラ)09キャン・ユー・キープ・ア・シークレット (ロータス・イーターズ)10ホエン・ラヴ・ブレイクス・ダウン (プリファブ・スプラウト)11フォレスト・ファイア (ロイド・コール&ザ・コモーションズ)12ノース・マリン・ドライヴ (ベン・ワット)13ペイシェンス (ロイド・コール&ザ・コモーションズ)14ビタースウィート (エヴリシング・バット・ザ・ガール)15サンキッスド (フレンズ・アゲイン)16ソリッド・ボンド・イン・ユア・ハート (ジャム)17ハッピー・アワー (ハウスマーティンズ)18マウス・オブ・アン・エンジェル (トゥー・ピープル)19カム・オン・アイリーン (デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ)20サンク・ユー (ペイル・ファウンテンズ)21ウィズ・エヴリシング・トゥ・ルーズ (スタイル・カウンシル)22フェイヴァリット・シャツ (ヘアカット100)23ムーン・イズ・マイン (フェアグラウンド・アトラクション)24バウ・ダウン (ハウスマーティンズ) neo-acoustic dream01ジャーマン・ガール (ロータス・イーターズ)02アバンダン・シップ (エイプリル・シャワーズ)03オブリヴィアス (アズテック・カメラ)04ボーイ・ウィズ・ザ・ソーン・イン・ヒズ・サイド (スミス)05ジャスト・ガット・ラッキー (ジョー・ボクサーズ)06ウィンドウ・ショッピング (フライデイ・クラブ)07マン・オブ・グレイト・プロミス (スタイル・カウンシル)08パーム・オブ・マイ・ハンド (ペイル・ファウンテンズ)09センシズ・ワーキング・オーヴァータイム (XTC)10シンキング・オブ・ユー (カラー・フィールド)11ウィッシュフル・シンキング (チャイナ・クライシス)12メドウ・オブ・ラヴ (ペイル・ファウンテンズ)13キッド (エヴリシング・バット・ザ・ガール)14プリーズ・プリーズ・プリーズ・レット・ミー・ゲット・ホワット・アイ・ウォント (スミス)15ラック (スタイル・カウンシル)16グッドバイ・ルシール・NO.1 (プリファブ・スプラウト)17ディア・ゴッド (XTC)18ラヴ・プラス・ワン (ヘアカット100)19イン・ザ・カントリー (ファーマーズ・ボーイズ)20オン・ボックス・ヒル (ベン・ワット)21ファム・ファタル (トレイシー・ソーン)22ジャスト・ア・ガール (ペイル・ファウンテンズ)23メアリーズ・プレイヤー (ダニー・ウィルソン)
2007/01/29
コメント(0)

■1回通して見た後で監督ウェス・アンダーソンのコメンタリーを聞きながらもう1回最後まで見てしまった。映画を1本作ることに労を惜しまない姿勢は感嘆を通り越して唖然としてしまうくらいで、そんなに細部に神経を張り巡らさなくても、何も困らないではないか、だって写ってないんだもの、とツッコミを入れたくなるようなこだわりに溢れていて、ワンシーンの中に映しだされる情報量の多さったらない。■たとえば黒澤は気に入る景色が撮れるまで、何日も天気待ちをしたと聞くが、このウェス・アンダーソンのこだわりはそれに比べて人工的な意味合いが強い。登場人物の部屋の壁にかかる絵画を、ステンドグラスを、禅寺式の日本庭園を、美術スタッフと共に細部まで練り上げてきっちりと説明がつく設定を作りあげる。面白いのはそんな作業を苦労話としてとらえていない監督の話っぷりで、それはまるで自分の箱庭を作っているような、すごく彼にとって愉快な作業に聞こえることだ。■あの「ガープの世界」には、れっきとしたジョン・アービングの原作小説があった。しかし、不可思議な話という意味ではすごく共通点を感じるこの作品には下敷きとなる原作の存在はない。映画は架空の小説「ザ・ロイヤル・バレンバウムス」を貸し出す図書館司書のスタンプから始まり、序章からエピローグまで、まるで原作を忠実に再現しているかのような章立てで進んでいく。脚本は監督自身とイーライ役でこの作品にも出演しているオーウェン・ウィルソン。■仮に、文学としてこの物語をとらえた時、アービングの世界観と重なるものもいくらか散見している。たとえばマーゴ((グウィネス・パルトロウ)の薬指の欠損、リッチー(ルーク・ウィルソン)の自殺未遂、そしてこの姉弟の近親相姦的な愛、息子や娘を正しく愛せない父親(ジーン・ハックマン)、子供達の教育に専心したその妻(アンジェリカ・ヒューストン)。これらのモチーフには「ホテル・ニューハンプシャー」とのいくつかの共通点も見いだせるのではないか。ただしこの物語には熊は出てこないが、ネズミ、犬、ハヤブサなどの象徴的な動物は多数出演する。■映画としてのこの作品の強みは色彩と音楽だと思う。誰が見ても最も印象に残るのは長男(ベン・スティラー)とそのふたりの息子が常時身につけているアディダスの赤いジャージだろう。(ラストシーンだけそれは黒に変わるのだが)そして長女は常にラコステとローファー、テニスの天才少年だった次男にいたってはかのビヨルン・ボルグさながらに徹底的にフィラでキメている。幼なじみの作家イーライ(オーウェン・ウィルソン)はこだわりのウエスタン、という風にファッションに対する執拗なまでの記号化が一種独特のムードを形作っている。■冒頭の人物紹介のバックに流れる「Hey Jude」から始まって、要所要所に挿入される音楽は青春映画によくある風なボリュームよりも少し抑えめで微かに鳴っていることが多い。笑わないマーゴのシーンに被さるニコやストーンズ(ルビィー・チューズディ)の使い方が印象的。さりげない使い方の中で最も躍動して聞こえたのがジーン・ハックマンが孫たちを連れ出し、ニューヨークの街を疾走するシーンで流れたポール・サイモンの「僕とフリオと校庭で」。驚いたのはこの映画、音楽を担当したのがマーク・マザーズボー、あのディーボの初代メンバーですよ。いつもヘルメット被ってたんで素顔は知らないが、この監督との作業はこれが初めてではないようだ。■様々な引用にあふれた映画だが、この映画自体が持つ立体感が自分自身にとってこの先、引用の宝庫になるにちがいない。レンタルを返したら、このDVDはぜひ手元に置いておくことにしよう。廉価版も出ているしね。ウェス・アンダーソン、70年生まれの新しい世代を代表する監督のひとり。そういえば「マグノリア」のポール・トーマス・アンダーソンも同じ年じゃなかったっけ。
2007/01/28
コメント(2)
■団塊の世代の”だんかい”という語感がいつも断崖に聞こえてきて、この世代の人は断崖絶壁のような切羽詰まった状況に追いやられてきた人たちなんだな、なんて勝手にイメージしてしまってきた。だから彼らに対して少し芯の強い人たちなんだろうって要らぬコンプレックスさえ抱いでしまっていたものだ。■定年退職なんて言葉もそろそろ他人事ではなくなってきて、仕事やめたら、わたし、何をして生きていけばいいんだろうなんてことも実感として考え始めてもいる。岸部一徳のセリフではないが、定年後、生涯学習なんて名目でギターをやったり、書道を始めたりしたところで、それで世にうってでるなんてたいそうな望みなんてあるはずがなく、さりとて、何もしないで過ごすには24時間はあまりにも長すぎる。■暇だから恋をする、山田太一らしい逆説的なセリフだが、仕事に埋没してきたようにみせて、実は人は自分の中の何かを封じ込めて生きているのだ、と考えさせるような悪魔の囁きがこのドラマの中でも蠢いていた。いくら常識人を気取っても、自分のことを好ましく思ってくれる相手がいると聞けば、それはどんな人なんだろう、自分のどこにそんな魅力があるというのだろう、という興味関心は抑えきれない。■中村雅俊と余貴美子を近づけたのはそれぞれがそれぞれのことを気にかけているようだという嘘を仕組んだ岸部の策略だったわけだが、そんなものだけで今まで持っていた良識なり正義なりを簡単に踏み外してしまう罠が人生にはごろごろしているということだ。岸部にしてみれば妻に戻ってきて欲しい一心で試みたシナリオだったのだが、それは彼のためにも、誰のためにも何の解決にもならなかった。ただ心がざわついただけの話だ。■でも、そんななんかざわつく感じを書かせたら山田太一の右に出る者はいない。珍しく波紋を投げかけるだけ投げかけて、再生を殊更はっきりとは打ち出さない終わり方だったが、本音と建前を揺れ動く感じは実にリアル。■もうひとつ意外だったのは大滝秀治を使いながら、彼にほとんどセリフを与えなかったところ。やずやの宣伝を見るまでもなく、彼に喋らせたら、それがどんな意見でも鋼の説得力を持たすことができるというのに、ほとんどの登場シーンはジェスチャーのみ。山田太一の座付き俳優と言っても良い佐々木すみ江についても同様。まだそんなに老けていないと一番言いたかったのは実はこのふたりだったのかもしれない。PS■今回の原田美枝子の役柄は今までの彼女の中でも抜群に魅力的に見えた。なんであんなに若々しいんだ。もしも、もしも原田美枝子が妻だったら、わたし、絶対道を踏み外さない、と思う。いや、断言はできないけど。いや、絶対・・・
2007/01/28
コメント(6)
■NHKーBS2で矢野顕子さとがえるコンサートを見る。タイトルは『30年間 ずうっと気持ちいい わたしです』2006年11月25日NHKホールでのライブを90分に編集したものだった。■去年は矢野顕子にとってデビュ-30周年、”はじめての”と”いままでの”という2枚の企画盤も発表された。そしてこのさとがえるコンサートが始まって10周年という記念の年でもあったわけだ。振り返れば(カエルじゃなくて)わたしのさとがえる初体験も10年前、なんといっても当時からこのドラマー、クリフ・アーモンドの印象は群を抜いて強烈だったわけで。■矢野顕子をとりあげた番組もNHKだけでも今までに何本もあったと記憶しているが、今回の編集とその流れは特に上位のレベルにあると感じた。3人へのインタビューの長さも適切だったし、デビュー当時から現在までのアルバムジャケットがならぶ背景もなかなか素敵だった。■今回、彼女の言葉の中で頻繁に登場したのが”火山”とか”マグマ”という表現。自分自身から湧き上がるパワーを並みのミュージシャンには受けとめることはできないだろう、それを操ることは神の手を持った音楽家でないと無理だ。彼女の言葉を私なりに解釈すれば、そのような主旨にとれたが、アントニー・ジャクソンとクリフ・アーモンドだからこそ支えられるものがこのコンサートにはある。<放映曲>01 Presto02 David03 電話線 04 I Hate It05 きよしちゃん06 Rose Garden07 中央線08 ごはんができたよ09 そこのアイロンに告ぐ10 Greenfields11 ばらの花12 ラーメンたべたい13 ちいさい秋みつけた14 ひとつだけ■デビューアルバムの中のM3から新曲M5まで彼女のキャリアを網羅する選曲。ただし、今回の演奏はいつにもましてJazz色が強いように感じた。キース・ジャレットのところと張り合うだけの技量がこの3人にはある。特にM6,M9あたりの協奏の高まりは全身音楽家3人の発散する熱で火傷してしまいそうな迫力。そしてまた相変わらず原曲を解体されたM11の静かな余韻の美しさったらなかった。「すばらしい日々」なり、「サムディ」なり、そしてこの「ばらの花」などはカラオケで歌おうとすると、つい元のメロディが出てこなくて困る。それはみんなあっこちゃんのせいだ。■彼女、おそらく、今、一番ピアニストとして脂がのってきているんじゃないか。おそらく、家でかなり練習しているんじゃないか。おそらく音楽家として一番充実しているんじゃないか。そんなことが感じられたライブだった。そういう演奏を聴けること、それはもちろん幸せなんだけど、そういう時期だからこそ、新作を聞きたい。今年中にはぜひ、オリジナルアルバムを、そしてそれをひっさげて年末にまた私の地元にさとがえりして欲しいものだ。
2007/01/27
コメント(4)
■昨日、朝刊のテレビ欄を見ていたら、偶然この番組のタイトルが目にとまった。うん?再放送は初めてじゃないか。その前の日はたしかやっていなかったはず、もしかしたら1回目かもしれないと思って、出勤前にHD録画しておいたわけさ。■で、第1回目でした。毎日録画して、『もう一回見るぼくの魔法使い』なんて書いてみる気はさらさら無いが、久しぶりに見直して、そのバカバカしさに呆れかえってしまったので、きょうだけ書きとめておくことにする。■冒頭テロップでこの作品は2003年に放映されたものです、とあったのだが、あえてそんな注釈をつける理由がどこにあったのだろうか。この中の出演者が何か社会的に問題を起こしたということ?篠原涼子が今では考えられないくらい砕けすぎているから?ベッキーがスーザンだったから?事の真相はわからないが、おそらく劇中、3年後のワールドカップを見据えて云々というセリフが出てきたためだと思う。■それにしても、誰が逮捕されてもおかしくないくらい、胡散臭い俳優が脇にそろった配役だ。古田、大倉、西村、小田茜、池田鉄洋、そして大人計画の脇役達。放映当時、ファースト・シーンの「マネーの虎」の引用は新番組のオープニングにはまるで見えなくて、時間帯を間違えたのかと思ってしまったほどだ。■元ネタは大林の転校生なのかもしれないが、初々しい頃の尾美としのりと小林聡美の入れ替わりならともかく、この篠原涼子と古田新太のギャップは最初はかなり引いたものだ。あの風体で「みったん」と甘えてみせる猫なで声はテレビ史上最も醜悪な熱演だったのではないか。鳥肌が立つという意味ではある種のホラーだったのかもしれない。■宮藤官九郎でなくては書けないドラマで、彼が書いたのではなければ出演を受け入れなかった役者ばかりだったと思う。中でも西村雅彦が結構イケてる。篠原涼子はこのドラマあたりから、グーンと役柄の幅が広がった。伊藤英明はこのドラマがピークだった。実は速水もこみちはこのドラマがデビュー作。ちょっとしかないセリフでさえ噛んで、出番もごくわずかだった。■毎回単発で事件が起こり、終盤その謎解きがあるという形式。1回目のゲストは渡辺いっけいと鈴木砂羽だった。次回からは井川遙が本人役で登場。阿部サダヲの恋人という設定だ。もしも、このドラマをまだ見ていない人がいたら、来週からでも夕方チャンネルをあわせてみてはいかがか。古田新太の変身だけでも一見の価値あり。でもそのために夜眠れなくなったとしても、私のせいにはしないで欲しい。
2007/01/26
コメント(6)
■だんだん横山裕が川谷拓三に見えてきた。撮影中、彼がビデオで30年前の「前略」を強引に見せられたのかどうかは知らないが、「おにいちゃん」という時の口のひん曲げ方がすごく似てる。相変わらず鍋を磨く姿はどこかの動物園の○○にしか見えないが、ドラマの中の異物感という印象は払拭されつつある。■突然、森光子が自分のうちにやってきたとしたら、私だってパジャマを着替えて座布団を用意するくらいの誠意はみせるだろう。鼓も打てないし、お茶も点れられないが、コーヒー豆を挽くくらいのもてなしはしてしまうと思う。■今回の主役は間違いなく「坂下」の大女将で、狼狽える姿が、ああも可愛らしい70才の女性を私は知らない。思うに毎日着物に身を包む姿は現役の女を継続する重要なたしなみなのではないかと勘ぐるわけだ。震える指先で携帯をうったり、お茶を出したり、もしもうっかり押入に隠れてしまったとしても、八千草薫なら私は許せる。■この森光子VS八千草薫の構図は先日読んだ「魂萌え!」の世界の再現で、桐野夏生が言うところの魂という言葉の中には鬼が潜んでいるという名言を思い出しながら見ていたわけだが、このふたりの妻の中に棲んでいる鬼にはもうすでに俗世間を超越した境地が垣間見られ、お互い激しく牙を剥くにも、その牙に今までのような鋭さなんてとうにないのだ。■今回もうひとつ、懐かしかったのはおでんを頼む梅宮辰夫で、30年前と同様相変わらず「つくねとがんもとダイコン」をまずオーダーする彼に役名は代わっても、倉本のイメージする梅宮像に翳りがないことを確認し微笑ましく思った。彼とカウンターにならんで座った二宮君が「オレ」という呼称をすかさず「自分」と言い直した時のちょっと得意そうな表情の変化も見逃してはいけなかったポイントのひとつだ。■指の長い男に惹かれる女性は私の周りでも結構多い。小野武彦が意外に細い指をしているという奇跡はいくらSFXを駆使したとしてもありえないと思う。それゆえ、現時点での父親候補ナンバーワンに躍り出た奥田瑛二の登場は第3話では早すぎると思う。ということはきっと彼でもない。■ちなみに「失楽園」「愛の流刑地」の作者は「光と影」という作品で直木賞受賞経験あり。彼にシナリオライターの経歴があるかどうかは知らない。そして彼の書いた小説「無影灯」は「白い影」という田宮二郎主演のTVドラマになり、大ヒットする。もちろんその脚本を書いたのがこの倉本聰なのである。中居君でリメイクされた作品のこれまた30年前の話だ。■「いしだたみのまち」はおそらく「石畳の街」と変換されるべきだと思うが、今回も画面に映ったこの石畳に光さす映像の美しさはこのドラマの魅力の大きな部分を担っていると思う。森光子を見送った後、しばらくそこに佇んでいた八千草薫の表情が今回の肝である。その自分の城を誇らしく見つめていた姿があってこそ、終盤の展開における彼女の心情に見る者は同化せざるをえないわけだ。PS■ちょっと可笑しかったのは黒木メイサとの再会を願う二宮君がコンビニを張り込んでいた場面。「コンビニ・ラ・ヴァ」を「コンビニ・ラバー」(Convienience Lover)と解釈する彼のセンスはすてたものじゃない。なんか久しぶりで倉本ギャグに笑った気がする。PPS■願わくば、今夜の夢に私の横に日本髪の木村多江がでてきてくれることを。お酌でもしてくれたものなら、なおのことだ。PPPS■でも、池津祥子の方だったら・・・
2007/01/25
コメント(8)

01. 佗び助 02. 2カーズ 03. 相当な決意 04. ショッピング 05. 意外な言葉 06. カラフル 07. 2500 08. AとB 09. 月ひとしずく 10. 手引きのようなもの 11. ありがとう 12. アジアの純真■Lennon-McCartney というクレジットに日本で最も近づいたのが井上陽水・奥田民生じゃないかと思っている。つまり、共作ということになっていながら、実はAとBがほとんど五分五分に1曲を仕上げたものもあれば、主導権がA8割のもの、B8割なもの、そして完全にどちらか一方が単独で作詞も作曲も引き受けてしまっているもの、そういう成り立ちを全てひっくるめて作詞作曲井上陽水奥田民生と記されていることがそう思う根拠なのである。■ただこの12曲、どれがどちらの曲であるのか、全て当ててみせるのは実はそんなに簡単ではない。投げやりなボーカルで、どうでもいい歌詞だ、なんていう特徴は必ずしもこのふたりの場合、片方を限定する根拠とはならないからである。つまり違うのは年齢だけで、どちらにもルーツとしてのビートルズの影響は顕著で、今思いついた哲学みたいな歌詞はどちらが発想してもおかしくないほど似通っているのである。■村上春樹と糸井重里の共著に「夢で会いましょう」という傑作があって、それはある単語をベースにお互い勝手にイメージした物語を書き綴っていく形式の超短編集なのであるが、その文章をどちらが書いたものなのか、最後の署名を見るまでわからないというところが魅力だった。つまり、糸井さんは春樹さんっぽく、春樹さんは糸井さんっぽく、わざと作風を近づけてみせ、そのくせよく読めばああやっぱり彼だ、とわかるようなクセのある文章を書いているのだ。なんかこのアルバムを聞きながらそんな本のことを思い出した。■何も述べていないということと何も感じていないということは明らかに違う。ふたりの歌詞を聞きながら思うことはそんなことだ。陽水が歌うM3はたぶん民生の歌詞で、Fail Boxに入ってもおかしくないような民生の歌うM5は陽水の歌詞かもしれない。で、名作「手引きのようなもの」はその後、ふたりともそれぞれのソロアルバムで歌いあげているように、主導権がどちらであるのか見当がつかない。ああ なんだ 釣りをする時の 手引きのつもりが ああ まるで 君といる時の 私ではないか■アジアの純真を初めて聞いた時には、かなり驚いた記憶がある。いくら民生が突き抜けていたとしても、この歌詞は陽水にしか思いつかないだろう。北京・ダブリンという最初の二つの単語もすごいが、途中で出てくる火山・マゼラン・シャンハイ・マラリアという配列に痺れる。地形・人名・地名・病名、かろうじて韻を踏んでいた流れがマラリアで台無しにされるところが神業だと思う。■このアルバムが出たのはちょうど10年前。今回それ以来になるこのユニットのアルバムが発表される。年齢差こそ縮まらないが、風体はますます似通ってきたふたり、その作風の違いがこの10年間で顕著になったのか、はたまたより近づいてきてしまったのか気になるところだ。ま、どちらにしろ肩に力だけは入っていないことはたしかだと思う。PS■書き忘れたが、バックの演奏はDr,Strangelove。そういえば先日のキヨシローのライブ番組で鮎川誠やチャボがボーカリストの弾くギターのかっこよさについて熱く語っていた。このアルバムでも民生の弾く2拍3連の腕前を堪能できる。ギタリスト奥田民生もまた素敵、まるでジョン・レノンやポール・サイモンのようだよ。
2007/01/24
コメント(2)

1. I am a mother 2. 豆電球の灯りの中で 3. メシ喰えよ! 4. 許さない 忘れない 5. もも 6. 母さん■本屋じゃない、ヘンな名前だけど、男性歌手である。詳しいプロフィールはこことかここでチェックしてみて下さい。妄想系シンガーソングライターというキャッチフレーズは当たらずとも遠からず。歌詞の面白さがこの人の肝であると思う。■M1は産婦人科に行って自分の妊娠を確認した日の妻の日常を歌い、M2では息子がお父さんとお母さんの夜の営みを目撃する話、M3は娘のダイエットを心配する母親の心情を、M4ではDV夫から逃げ出し実家に帰る妻を、M5は娘にせがまれ、ペットの犬を買いに行く夫を、という風にそれぞれの曲に具体的なストーリーが歌われている。■ジャケットの夫婦の写真の顔には大きな穴があいている。観光地によくあるあれだ。任意の恋人達がその穴に顔を突っ込んだ時、どんなに幸せの絶頂のふたりであったとしても、家族的マンネリズムにおとしいれてしまうような策略がこの人の作風にはきっとある。■もしも私が高校男子だったとしたら、間違いなく友達に聞いてみなとすすめると思う。そして4,5人でそれを聞く時、必ず、誰かタイミングの悪い奴がいて、肝心の面白い歌詞のところを聞く前にお喋りをし出すんだ。だからみんなで聞くにはあてはまらない、夜ひとりで聞くべき作品だと思う。■曲調は垢抜けないスネオヘヤーのよう。吉田拓郎、奥田民生が好きという作者のプロフィールを読まなくても、あきらかに先人達の影響は顕著。プロデュースは寺岡呼人、人脈的には幅広い助っ人達がこのミニアルバムをサポートしている。中西康晴、駒沢裕城(M4)、鈴木英哉(Mr.Children)・亀田誠治(M5)などなど。■M6はインストゥルメンタルの佳曲だが、もともとは歌詞があったものを諸般の事情でカットしたものだという。そこにあったのは、かの放送禁止歌に匹敵する怨念の噴出なのか、それとも四文字言葉あふれるお遊びなのか知る由もないが、伏せることによって興味を惹かせるという作為的手段は他の曲の出来不出来によって成立するものだと思う。その結果、ちょっと聞いてみたいかなという印象を持ったことを付け加えておこう。
2007/01/23
コメント(8)

■ばんえい競馬の事について初めて知ったのは73年の東芝日曜劇場「ばんえい」というドラマ。北海道放送制作、脚本・倉本聰、主演は小林桂樹と八千草薫。現在は例の「華麗なる一族」を放映している枠で、ドラマのTBSが健在だった頃、毎回単発で当時気鋭の脚本家が競って名作を残した。■そのドラマは息子が父親に勝ってしまう日という後々倉本が「北の国から」で繰り広げたテーマの原形として貴重。もはや体力的に全盛期を過ぎたサラリーマンの悲哀をばんえい競馬の競走馬になぞらえ、しみじみとした印象を残した佳作。そう、小林桂樹と八千草薫が夫婦役だったんですよ。そして音楽は冨田勲。なんだか、色んなものにリンクしているでしょ。■輓馬(ばんば)とは本来、農耕馬として飼育された馬のこと。その馬がいくつかの障害を上り下りしながら旗手の乗る重いソリを引っぱっていくのがばんえい競馬。そこにはサラブレット達の競う華やかなホースレースの雰囲気は皆無で、太い足太い胴体の馬たちがぬかるみを重い足どりでゆっくりゆっくり進んでいく。そしてそれを見る観客も一緒にゴールに向かって歩みながら檄を飛ばして応援している。そんな一種独特の鈍重さが特徴である。■厩舎の大将を演じるのは佐藤浩市。この人、こういう男っぽい役が本当によく似合う。無口で笑わない、すぐ手がでる。でも後輩達からの信頼は分厚い。そんな極寒の北海道に彼の弟、伊勢谷友介が帰ってくるところから物語は始まる。彼は田舎を飛び出し、東京の大学を出て、会社を立ち上げたはずだった。喧嘩同然の形で別れた兄弟には深い隙間があった。それを埋めていくのは周囲の人物の力だけではなく、北海道の自然と彼が世話することになった「雲竜」という名の輓馬だった。■それにしても馬の表情がよい。まるでシナリオにセリフが書いてあるかのように馬が登場人物に語りかけているように見える。それも情感たっぷりに。それがまた、スマートでエリートそうなサラブレットではなく、少しくたびれた、でも、ただ死ぬためだけには生きていない輓馬だから、なおさら凍みる。パトロン山崎努、賄い婦小泉今日子、弟の元同僚小澤征悦、厩舎に勤める山本浩司など助演俳優賞候補が目白押しのこのドラマにあって、彼らを抑えて最優秀助演賞にこの馬を挙げたい。■ドラマにおける「馬」といえば、やはり倉本の「北の国から」で純と竹下景子が乗った車が雪に埋まり、それを発見した大友柳太朗の馬。やがて売られていくその馬と彼との別れも忘れられない。自分にとっては「遠雷」以来の根岸吉太郎、久しぶりに日本映画を見たなぁ、という気がする。ヨッパライにはなれない私だが、この映画には熱燗がよく似合うと思う。
2007/01/22
コメント(4)

■この2時間半が退屈極まりないと感じる人に聞いてみたいのは、一体どのシーンをカットすればあなたは満足なのですかということだ。たとえば冒頭のティム・ロスとアマンダ・プラマーのレストランでの与太話が長すぎるとか、サミュエル・L・ジャクソンが引き金を引くまでの演説がくどいとか、ブルース・ウィルスに逃げるんだったらトーストなんて焼いている暇は無いじゃないかなんて、ツッコミを入れるとか、もうその意見は星の数ほどあるんだろうが、どのシーン、どのセリフをカットすればこの映画がよりシャープになるかなんていう指摘はこの世界にどっぷりはまった者から見れば全部ファッキンな意見に他ならないんだと思う。■タランティーノは世のいじめられっ子のヒーローなのではないか、と思ったりする。オタク野郎、(アメリカの)アキバ系、なんて罵詈雑言をたとえ頻繁に浴びせられていたとしても、映画という手段で彼を罵った大勢の同級生たちに復讐してみせる。その中で彼はじりじりと相手を追いつめては自らの正当性を登場人物に語らせながら、その脳みそをぶっ飛ばしてみせたりする。そう、妄想の中では彼は無敵であり、正義であり、充分カタルシスを得る権利を有する。こういった作風はいじめっ子側からは生まれてこないものであるように感じる。■つくづく作り手側が優位に立った方法論を好む監督だなと感じる。次に訪れるシーンが残虐極まりないものになるという気配がプンプンしているのに、目を背ける事ができないのは、想像通り引き金が引かれるのか、はたまたフェイクに過ぎないのかの見極めがこちらには見当もつかないからで、気が小さい私としては、目を細めた分、見逃してしまった細部のディテールをまたもう一回見直すことになってしまうわけだ。■ヘイ!ギャルソンと叫んで、コーヒーのおかわりを頼む冒頭のシーンから始まって、チーズロワイアル、スプライト、バニラコーク、ハンバーガー、レアステーキ、5ドルもするミルクシェーキ、などなど、登場するジャンクなフードたちのテイストはなにひとつこちら側に美味しそうな匂いや香りを発しないことは不思議。ただひとつだけ飲んでみたいと思ったのはタラ自身が淹れてくれたこだわりのコーヒーのみ。■この映画の中でどれかひとつだけやらせてくれる役があるとしたら、あなたは誰の役を演じてみたいですか。ダンスも踊れず、ボクシングなどできる体力もなく、長台詞も覚えられない私は俄然掃除屋ハービー・カイテルだな。時間どおり現れて、どんなトラブルでも表情ひとつ変えず的確に指示を与え解決してしまう。彼がタランティーノにどれだけ貸しを作っていたのかは知らないが、「レザボア」にしろ、「パルプ」にしろ、なんだかかっこよすぎるぞ。
2007/01/21
コメント(4)

■修行が足りない。今では言葉だけが空回りしているようなこのセリフも、この映画の老坊主が発すれば、すごく実感として受けとめることができる。禅寺における修行の数々は想像を絶する苦行の繰り返しでもある。■食事の作法はもちろん、トイレに行くにも、夜寝るにも、両手両足の動きひとつひとつに事細かな決まり事がある。坊さん紹介番組にかりだされたもっくんのトイレ実況中継には笑った。■面白いのは、家業の寺を引き継ぐために嫌々ながら修行の身に入った(80年代の)今どきの若者だった本木雅弘が700年の歴史に裏打ちされた僧侶の身のこなしに、究極のファッショナリズムを見いだすところで、たしかに映画の随所随所で見られる硬質的かつ柔軟な所作的躍動感は”巧みなダンス”と呼ぶのに相応しい。■本木雅弘、竹中直人、田口浩生、徳井優・・・。周防正行作品の常連と呼べる俳優陣たちがすでにここでも顔を揃えている。冒頭左半分だけ写ったもっくんが正調「若者たち」を歌い始める。ワンコーラス歌った後、突然彼のバックにスカパラが現れ、途端に曲調はスカ・パンクに変化する。すると今度はもっくんの右半分が写り、その頭は青々とした剃髪になっている。もうこれでつかみはOK。メジャーデビュー作ながら、もうすでに周防マジック炸裂。■物語を徐々にクライマックスに向けて盛り上げていくというような後発の傑作(シコ・シャルウイ)の雰囲気はこの作品には見られない。その代わりにわざとシーンとシーンを分断するかのようなオフビートな笑いが満載。一番印象に残ったのは鈴木保奈美をめぐってもっくんと大槻ケンジが対決する和洋宗教決闘シーン。どっちが勝ったかは実際に見て確認してみて下さい。■この監督の前作は「○○家族兄貴の嫁さん」。未見だが全編小津風味でとったピンク映画だという。「ねえさんよかったかい」「ああ」「そうかい」「ああ」「本当かい」「ああ」。ま、永遠こんな感じとはいかないだろうが、機会があればぜひ見てみたい。その影響かどうかはわからないが、この「ファンシィダンス」のもっくんのセリフ回しにも笠智衆的なオウムがえし、棒読み風のテイストを感じる。それがまたとても効果的に聞こえてこの作品の魅力のひとつにもなっている。あ、そうか、彼の場合は棒読みではなくて、坊(主)読みだったのか。
2007/01/20
コメント(4)
■録画しておいたNHK「プロフェッショナル~仕事の流儀」を見る。今回登場したのは漫画家浦沢直樹。彼の根っこの部分にロックがあるんだろうなってことはなんとなく想像していたとおりだった。でも、私のイメージしていたのはたとえばキング・クリムゾンのような壮大なテーマを核に持つ様式美に支配されたプログレッシブ・ロックのようなものだった。21世紀のスキッソイドマンのジャケットが浦沢の描く人物の表情にダブったせいもあったかもしれない。■しかし、彼のアイドルはボブ・ディラン。冒頭、とあるライブスポットでハーモニカ・ホルダーをしてギターを弾きながらディランを歌う彼の姿はあの漫画の主人公のように見えなくもなかった。彼が特にディランに惹かれる理由は観客の凄まじいブーイングにも屈せずにエレキ・ギターに持ち替えて「ライク・ア・ローリングスト-ン」を歌った60年代中期の彼の姿にうたれたからだという。自分を信じろ、自分の心のままに行け、というフレーズと共に。■カメラは初めて彼の創作現場に侵入する。ずっと昔、同じNHKで浦沢のもうひとりのヒーロー、手塚治虫が〆切に追われる中で、幻想交響曲を大音量で流しながら、ただひとり鬼気迫る迫力で取り憑かれたように筆を走らせる場面を見たことがあるが、それに比べ彼の仕事場にはアシスタントとの笑いも溢れ、いくらかリラックスした雰囲気さえ感じられた。■ただね、いくらストーリーがひらめいたとしても、白い画用紙に向かってそれをどんな構図でどんなコマ割りで表現すればいいのかと考えた時、その最初のペンの滑り出しに至るまでの緊張感と苦悩に、漫画という表現の可能性の大きさと難しさがえらく実感として伝わってきた。■指が触れれば音の出る楽器を持っているわけでも、構えれば被写体が映るカメラを持っているわけでもない。彼の持っているものといえば手に馴染んだ使い古しのペンが一本だけ。漫画の神様がボクの右手に降りてきてくれますように、彼のそんな祈りをちょっと息を詰めながら見入ってしまった。■その先へ一歩踏み出す男の後ろ姿を描くにあたり、彼は二種類の足の踏み出し方を描いてみせる。ひとつは膝を曲げた形で、もうひとつは片足全体を前に出した形で。そのどちらがその男の心情に相応しい表現に見えるか、熟考するわけだな。プロだからこそ考え込むわけだな。■スタジオに持ち込まれた彼の原画の一枚だけでも失敬して部屋に飾っておきたい。その一枚だけでも充分鑑賞に足るような作品がストーリーを伴ってうねるように連なっていく様は芸術と呼ばずして何と言えばいいのか。たとえ何年かかろうが、「PLUTO」は「火の鳥」の高みにもう少しで辿り着く。
2007/01/19
コメント(4)
■大人がつまらない、なんていう言い草はなにも今始まったことではないのに、この物わかりの無さはなんなんだろう。もうすでにどっぶりとそのつまらなさの中に埋没してしまっている者から見れば、若者が理不尽に思うそのような我々の物わかりの良さには、苦渋の忍耐とか、一を聞いて十を知るとか、様々な人生訓が含まれているんだぞ、なんて、説教したい気持ちになったりもする。でもそれを聞く若者の立場に自分が立ったとすれば、それはかなりとてもウザい。■つーか、フツーに、~なんて、なんて言葉を封印された若者たちのやりとりは見ていてとても窮屈に感じる。何を考えているんだかわからない、というある意味魅力的な登場人物はここでもまた現れてこない。大人の情感こそがこのドラマのテーマとするなら、彼らの存在はただの道具に過ぎないのかな、なんて感じもする。■葬儀の夜に喪服に着がえてワゴン車の中から少し離れた場所に向かって会葬しなければならないという理不尽な行動は今回最も情感あふれたシーンだった。もしも、30年前のショーケンならば、警備の警官の制止を振り切っても本宅へ車を走らせてしまったかもしれない。でも今回のおにいちゃんにはそんな意外性や暴力性は似合わない。■「つづく」というクレジットが思ったよりも早く来すぎてしまったように感じたのは、そんな意外性の欠如にあって、言いかえれば、小ネタの数だけ笑わせてもらったというようなドラマの見方に慣れすぎてしまったこちら側の問題なのかもしれない。喫茶店のマスターの映像がお通夜の席でもとらえられるというようなクドさを期待するような気持ちがあったからかもしれない。ただ間違いなく言えるのは板場の真剣勝負の場面が前回に比べ極端に少なかったせいであることは確かだ。■物語としては熊沢の死去、真田(小野武彦登場!)と岸本加世子の密会などで、「坂下」存亡の危機感は加速。この問題に対して誰がそっち側について、誰がこっち側に残るのか、という物語が見せ場のひとつになるところだが、いかんせん、ここまでのところ、見る側に神楽坂という土地の風情なり歴史なり、思い入れを与える要素が不足していることはたしかで、それが無くなることで感じる悲哀がまだまだ薄いことが残念。まあ、それを感じないところが無粋であると言われてしまえばそれまでだけど。■個人的には木村多江、池津祥子の間に挟まれた二宮君に半分嫉妬。ああいう普段着の芸者さんに昼間の茶店(さてん)で絡まれるのが若い頃の夢だった。そうか、神楽坂都市化計画によって彼女たちの行き場も少なくなってしまうということになるならば、ぜひ私はこっち側に残って八千草薫を守りたい、と思わせる原動力にあの場面はなっていたわけか。
2007/01/18
コメント(12)

01 おいらぎゃんぐだぞ 02 弾丸列車 03 吸血鬼のらぶしいん 04 ここでひとやすみ 05 眠れぬ夜の小夜曲 06 勝手にしやがれ 07 摩天楼のヒロイン 08 夜霧のハイウェイ 09 春を売った女 10 ピストル 11 午前7時の悲劇■”酒舗”と書いて”バー”と読ませ、”コーヒー”を漢字で”珈琲”と書き、センチメンタルをひらがなで”せんちめんたる”と綴れば、そこに現れる世界は懐古趣味なんだか、ハイカラなんだか、和風とも洋風ともつかない一種独特の雰囲気が漂わないか。■73年に出たこの南佳孝のファーストアルバムはいまだにその追従者を見いだせないひどく孤高の地点に行きついてしまった傑作だと思う。言葉としてシティ・ミュージックだね、と言われれば、たしかにこの作品の根底にあるのは都市そのものに違いない。しかし、それを都会的な音楽だねと言いかえた時、感じてしまう違和感は、この音楽の中心が巧みな心理描写の方にあって、描かれる都市は背景としてそれを醸し出す詩情に他ならないというところに起因している。■南佳孝の声はどちらかと言えば女性の独白を表現するのに適していて、この楽曲群の中でも、特にM9,M10で効果をあげていると思う。この人の根っこにあるものはブルースのフィーリング。当時主流だったフォークシンガーのアルバムとはやはり一線を画していた。あなたは振り向かないわたしはじっと見つめ玩具のピストルだしそれからこめかみにあてて撃つ <ピストル>この作品の成功に松本隆の詞は不可欠だった。11編の曲はそれぞれ単独で脳内映像化が可能なほど物語性を含んでいた。それはどれもいつか何処かで見たアメリカ映画のようだった。それぞれの曲のアレンジを担当した矢野誠の仕事もまた素晴らしかった。短編集をひとつのカラーにまとめ上げたのは彼の手腕によるところが大きい。時に仰々しく、時に洒脱に、ホーンセクション、ストリングスセクションがハリウッドの小品感を引き立てた。もちろんバックも現在大御所と呼ばれる人たちばかり。林立夫(drums)、小原礼・細野晴臣(bass)、鈴木茂(guitar)、駒沢宏季(dobro & steel guitar)、武川雅寛(violin)、矢野誠(keyboard)■なぜだか、この「摩天楼のヒロイン」というアルバムには純粋な音盤としての価値以上のものを感じてしまう。まるで映画を聴いているような、まるで音楽を見ているような、そんな不思議な味わいがある。架空の映画の極上のサントラ、これはちょっと奇跡的なレコードだったと思う。PS■もちろん、彼のキャリアはその後も延々と今日まで続いている。坂本龍一との「South of the Border」、「Montage」も愛聴盤である。でもこの作品の私小説的なボソボソ感を超えるものはない。唯一「冒険王」の中の「ピース」にはその片鱗が見えた。つまり、わたしの好きな南佳孝は物語を語るナレーター的な部分だったのかもしれない。
2007/01/17
コメント(2)
■フジテレビ721「This Time 忌野清志郎イン・ナッシュビル」を見る。昨年5月から6月にかけて、聖地ナッシュビルにてレコーディングされた彼の新作「夢助」の創作風景を追ったドキュメンタリーである。■日本から持参したものは白米と煮干しと昆布と炊飯器、ホテルに泊まり、連日自炊生活を送りながら、スタジオに通う清志郎。もちろんその移動に使う手段はアメリカにおいても、レンタルで手に入れたスポーティーなバイクである。道路の左側を走ろうが右側を走ろうがヘルメットサングラス姿の彼はえらくかっこいいのだ。■新作のデモを録音したCDも、それが記された譜面も全部、準備万端。あとはブルース・ギターの神様にその料理を任せるだけ。今回彼がこのアルバムの全権を委任したのはあの「Dock of the Bay」の共作者でもあるスティーブ・クロッパーである。<備忘録風メモ>・スタジオ入りする直前に立ち寄ったギターショップで彼が買ったのはギブソンのジャンボ200。それをポロポロ弾く姿のさりげないかっこ良さ。・鮎川誠、スティーブ・クロッパーの偉大さを博多弁で熱く語る。・チャボ、ギタリストとしての清志郎の素晴らしさを淡々と語る。そこにはいくらかのジェラシーさえ感じた。・太田光、キヨシローの声について最大級の賛辞を送る。・リリー・フランキー、ボーカリストキヨシローのかっこよさを分析してみせる。曰くひとつの様式としてのロックボーカリストの模範であると。・泉谷しげる、キヨシローのライブでの危なさについて語る。曰く導火線に火をつける男。言い得て妙である。・スティーブのために日本から買っていったスカジャン。おそらく最大サイズだったと思うが、彼にはまだ小さすぎた。・ナレーションは三浦友和。学生時代は同級生である。そしてバンド仲間でもあった。■レコーディングにはあまり言葉は要らない。まず彼の声の魅力があって、そこで歌われる歌がある。そこにはもうすでに完成してしまっている世界があって、メスを入れるなにものもない。プロデューサーに任された仕事はバックバンドとホーンセクションのアレンジのみ。名うてのスタジオミュージシャン達も彼の声を最大限に生かす演奏をすることだけに腕を振るった。■こういう経過を目の当たりにすると、「夢助」という作品に今まで以上の愛着を感じざるをえない。「激しい雨」の例のサビのリフレイン”RCサクセションが聞こえてくる~♪”のアイデアの元ネタはニールヤングが歌う「バッファロー・スプリングフィールド・アゲイン」だったのだそうだ。この部分のメロディはいまだに耳について離れないインパクトがあり続ける。■「夢助」の中で私が一番印象に残っているのは「あいつの口笛」という曲。これは細野晴臣と清志郎の共作。細野のハミングにのせてキヨシローがウクレレを弾きながら淡々と歌う。スティーブもこの低い声は誰だってさかんに気にしていた。オーティス風味という点では一番彼を動揺させた曲ではなかったか。実際彼も自分で口笛を吹かずにはいられなかった曲だ。■この番組のもうひとつのハイライトは、レコーディング終了後にスティーブの好意で実現した地元の有名クラブ"B.B.King Blues Club"でのスペシャルライブだろう。リズム&ブルースの殿堂に初めて立った日本人アーティスト。キヨシローが歌い出した瞬間の客たちのざわめきがこちらまで伝わってきた。そこにあったのは言葉を超えた声の魅力なんだと思った。PSもしも、もしもだよ、化粧したキヨシローと内田裕也とPANTAが一緒に乗っているエレベーターに乗り合わせてしまったら、わたしは何も言えず、下を向いていることしかできないと思う。自分の降りる階のスイッチだって絶対押せない。でも彼らと一緒に最上階まで行ってしまったら、どうしたらいいんだ。
2007/01/16
コメント(0)
■フジテレビ721「二十一世紀の音霊~祝30周年! ムーンライダーズは続くよいつまでも」を見る。ライダーズの特番には20周年時のBSでの三夜連続プログラム、そして石原プロデューサーの傑作、NHK教育テレビの「ソリトン」におけるスタジオライブが今までにあったが、今回のプログラムはその「ソリトン」を上回る密度と濃度を伴った貴重な番組となっていた。■30周年の去年の彼らにカメラは密着する。アニバーサリー前半の山場である日比谷野外音楽堂におけるライブから、夏の野外フェス、新作「Moon Over the Rosebud」のレコーディング風景、そして全国5カ所を巡る晩秋のライブツアーまで、ほぼ一年間のメンバーの表情を余すところなく伝えてくれた。<備忘録風メモ>・ドコモ茸CMレコーディング風景とフリスビーに興じる岡田徹・プラトーの日々のオルゴールとベジタリアンと化したかしぶち哲朗・フライフィッシングマン鈴木博文とその愛車・南こうせつの蘊蓄とビーチコーミングをする武川雅寛・セルジオ慶一の身体で押し込むなだれ込みゴールと意外な運動量・何やら怪しいワインの会で真っ赤な顔で御満悦の白井良明・30年前の「あの娘のラブレター」映像。若っ!・「ゆうがたフレンド」デモコンペ一部抜粋。全曲聴きたかった。■レコーディング風景にしろ、ライブ前の楽屋風景にしろ、誰かが大声を出して気合いを入れていくなんて場面は一切ない。全てが淡々と進み、淡々と終了する。このぬるさとゆるさはそこいらのバンドには真似のできないテンションの低さだろう。■それでもそこで作られていく新しい楽曲にしろ、演奏にしろ、この6人でなければ鳴らせないような音楽で、それはどこかで聴いたことのあるようなものであって、なおかつ誰も聴いたことのないようなメロディなりアレンジなりが詰まっている。■熟成された完全民主制。このバンドには独裁的な権力を振るう者は誰ひとり存在せず、曲によってアレンジによって作詞によってリーダーシップが割り振られる。その指示でさえ、たとえば赤で、たとえば馬で、たとえば黒澤で、というだけで他の5人は了解し、誰かが思っていたものと全く同じ絵が描かれる。■この関係は家族だな、なんて思って見ていたけど、またそれとは少し違う。すごく相性の良い他人なんだな。何かがあれば三々五々集まってきて(誰も一緒に行動しない)いつの間にかみんないなくなっている。次の目的地を決めれば、それぞれが自分の登り方でそこまでやってきて、それをひとつやり遂げればバイバイも言わずにまた戻っていく。■結局30年間、誰もバイバイを言わなくて済んだのは、集大成というものに固執しない彼らの粋のなせる業なのだろう。肩に力の力作が後で聴くとすごく恥ずかしいことをみんな知っているんだと思う。ゆるい力の寄せ集めがどれだけ多くの傑作を生んだかわかっているからだと思う。この先も傑作なら何枚も作ってくれるような気がする。でも最高傑作なんて作ろうという気持ちは彼らにはさらさら無いのだと思う。■語りと演出は抗田浩輔氏。場面場面のBGMの選曲に彼らに対する愛が感じられて好感度高し。ナレーションの声が若き日の渋谷陽一にちょっと似ていた。CM無しノンストップの2時間弱。満足度高し。ファン必携。PSもしも、もしもだよ、メンバー6人が乗ったエレベーターにたまたま乗り合わせてしまったら、きっとわたしは何も言えないと思うんだ。言いたいことは「ありがとう」っていう一言だけで良いはずなのに。でも、きっと天井見て、足元見て、ずっと黙っているんだと思う。
2007/01/15
コメント(4)

■ミクロの決死圏の体内描写とこのバーバレラの宇宙船内の風景を比べて、どっちがポップでシュ-ルかと言われれば、この作品の方に分があるのではないか。前者が納得できる範囲でディテールの辻褄が合致しているのに対し、後者のそれは最初から考証など破綻しているし、説得力とか整合性といったものを一切投げ出してしまっているように見える。■そこにあるのは快か不快かの二者択一で、ジェーン・フォンダが気持ち良ければ宇宙船の内部にデラックスなカラオケルームみたいにムートンが敷き詰められていても何の問題もないのだ。ただし物心ついたカルチャーに興味を持った息子にこんな時代(60年代)にこんな映画があったと、さりげなく薦める事ができるのは間違いなく前者であり、バーバレラの方はできれば彼が親に内緒で秘かに発見して欲しい一本だ。彼のベッドの下からこのパッケージが見つけた時、私はちょっと笑ってそのまま元に戻しておくだろう。■世界で最もエッチなタイトルバックである冒頭の無重力ストリップシーンがこの映画の魅力の半分以上を映しだしてしまっている。しかしそれ以外にもおバカでキッチュな仕掛けが満載。見に見えない鍵、牙のはえた人形、何百匹のセキセイインコ、マッチョな天使・・・。とりわけすごかったのはマッド・サイエンティスト、デュラン・デュラン博士が操るマッドピアノによる攻撃。ここにも演奏する者のカンタービレは確実にあった。■監督はロジェ・ヴァディム。公私混同もはなはだしいところだと思うが、まあ、いいか。脚本はテリー・サザーン。これが67年だから、博士の異常な愛情より後、イージー・ライダーより前ということになるわけか。音楽も結構かっこいい。擬似60年代風は今でもできるけど、正真正銘のあの当時の先端という感じがする。もうひたすらチープです。■人には抹消したい過去がひとつやふたつ必ずあるものだ。ジェーン・フォンダにとってこの一本は間違いなくその最たるものだと思う。わたしもまた、TSUTAYAの貸し出しリストからこの作品の記録を省いてもらえればなんて思っている。借りる時、思わすサンドイッチ借りしてしまいましたよ。そして返しに行く日まではベッドの下に置いておくつもりだ。なんてね。
2007/01/14
コメント(2)

■ロックが今ほど大衆性を獲得していなかった頃、それを聴くことは親の目をかすめて行うことだった。秘密のレコード・コレクションはベッドの下に隠しておかなければならなかった。大学教授である母親が主人公の姉が隠し持っていたサイモンとガーファンクルの「ブックエンド」のジャケットを見て、ヤクをやっている目つきね、と非難した時、いくらなんでもこの健全なデュオをそんな目で見る母親はちょっと偏りすぎだろなんて笑ってしまった。ちなみに母親役は「ファーゴ」の女刑事フランシス・マクドーマンド。■彼らの歌う「アメリカ」をバックに、その姉が超保守的な家を出て行くシーンに、日本でいえばさながら陽水の「夢の中へ」あたりが適当かななんて、考えながら見ていた。これはロックが巨大なビジネスになりつつある時代を背景にした青春映画であり、監督キャメロン・クロウの自伝的作品でもある。■あのローリングストーン誌に若干15才で記事を掲載することになった主人公はこの監督自身がモデルらしい。ロックを批評する立場に立った時、その対象にのめり込む情熱は若ければ若いほど逞しいことは事実だ。一枚の音盤を何十回も聞き込める体力はある程度限られている。しかし、それを対象化する際の語彙であるとか、表現力はリスナーとしての全人格的な経験がものをいうことも確かで、彼は同行したバンドの取材を引き受けることになるわけだが、そのメンバーとの距離の取り方に逡巡してしまうわけだ。よってなかなか真摯な原稿が書けないでいる。■邦題のペニー・レインはケイト・ハドソン(ゴールディ・ホーンの愛娘)演じる伝説のグルーピー。ホテルで贔屓のバンドを待ちかまえたり、バンドのツアーに同行したりしながら生活をしていく彼女たちの生き方もある特定の年齢でなければなしえないものだ。■おそらくオールマンブラザースバンド(ABB)がモデルと思われるバンドのツアーの中でペニー・レインはギタリストと恋仲になり、彼女に秘かに恋心を抱くようになった主人公がそれを少し離れたところから見ている。彼が書かなければならないのはバンドの記事であるわけだが、曲そのもの、演奏そのものだけでなく、ロックとは生き方なんだ、なんていういささか陳腐なテイストもこのロードムービーの中には存分に含まれていて、それがまた安っぽくなく、どちらかというとかなり爽やかでユーモラスなのが良い。■主人公に要所要所でアドバイスを与えるレスター・バンクスというロックライターは実在の人物らしい。その過激なレビューでローリングストーン誌から解雇され自身でこの映画にも出てくる「クリーム」という雑誌を創刊。34才でこの世を去るまで辛辣激烈な文章を書き続けたという。この役を演じるのはフィリップ・シーモア・ホフマン!イギー・ポップのレコードをかけ、陶酔する彼の姿はちょっと間違えば「スクール・オブ・ロック」のジャック・ブラックのようにも見えた。■劇中30曲以上の楽曲が流れ、この青春映画に華を添える。サントラもあわせてレンタルしてきたのでそれを聞きながら書いている。最も印象に残るのはバンドのメンバー間に険悪な雰囲気が漂う移動バスの中でラジオから流れたエルトン・ジョンの「タイニー・ダンサー」。ひとりまたひとりとその曲を歌い出し、やがて大合唱となるあのシーンに音楽の力はやはりとても大きいなんていう言わずもがなの感想を抱く。■「スクール・オブ・ロック」、「ハイ・フィデリティ」ときたら、この「あの頃ペニー・レインと」、音楽マニア三部作。こんな映画だとは思わなかったのは邦題のせいか。原題は「Almost Famous」、そうか知らなかったのは私だけだったのか。
2007/01/13
コメント(10)

■この人の境遇が特別悲惨なものだったということはないと思う。学生時代のいじめ体験、親との衝突、兄弟の死、そして家族との決裂。しかし何もこの人だけが天が下した厄介事をひとりで受けとめてしまったわけではない。■ただ、そういう体験から生み出される言葉はどこかひとすじ筋金が入っていることは確かだ。同じような人生を送った人が全てこのような文章を書けるわけではない。この人、田口ランディは自分の考えたこと、感じたことを、言葉として伝える能力に特別秀でていたということだ。■いち早くメールマガジンという手法で毎週コラムを書き続け、その内容に対する共感が口コミで伝わり、一時は何万部という購読があったという。その後、彼女は職業作家になっていくのであるが。■この26編のエッセイを読んで感じることは、不機嫌とか、嫌悪感とか、閉塞感とか、虚無感とか、そういう言葉としてそれらを認識する以前の、まだ”気分”でしかないモヤモヤした気持ちを実に巧く説明してくれているところで、なるほどわたしはそういうプロセスでこういう状態に陥ってしまったのかと言い当てられて安心できる側面もたしかにあるのではないか。■そりゃあ、わたしだってさ、できればムカつかずに生きたいですよ。でも、彼や彼女はわたしのことなんかちっとも理解してくれないし、車にはクラクションを鳴らされるし、すれ違った女子高生には舌打ちされるし、入った店のウエイトレスの対応はぞんざいだしって、とかく世間の風当たりは私にばかり向かって強く吹いてくるような日ってある。■そんな負の感情を「浄化」と「編集」というキーワードで払拭していく彼女の論理構成は見事だと思う。考えてそれを言葉にしていく作業にはいくらかの鍛錬が必要だ。自分にふりかかる波風に対し、無視したり対抗していくばかりが方法ではない。フーッと長い息を吐いて臍の下あたりに意識を集中すれば逃げていく罵詈雑言も数多いということだ。■連日言葉をこねくり回していると、書くことによって救われる気分はたしかにあって、何かを巧く言い当てたような夜は自分が無敵になったような気にもなる。でもそんな独りよがりは、ある人にとってはムカつくことに他ならないことなんだろうな、なんて思う。だからわたしは、できれば人をムカつかせないようにも生きたい。優先すべきはむしろそっちだと思う。
2007/01/12
コメント(2)
■30年前のあのドラマを見たことのある者と、そうでない者とでは、このドラマの見え方はずいぶん違うと思われ。その人の面影を胸に抱きながら「前略、おふくろ様・・・」と語り出す心情と、誰に向けて話せばいいのか、その対象が曖昧なまま、「拝啓、父上様・・・」とつぶやく想いはずいぶんとまた、違った風に聞こえる。■絵に描いたようなマザー・コンプレックスに支配された旧作と比べ、ここで語られる物語は父性への憧れなのかといえば、そればかりじゃないと思う。30年たてば、あきらかに時代は変化する。寡黙な男の美学も、背中で語る人生訓も、そこに惹かれるなにものもなければ、ただの草臥れた後ろ姿に過ぎない。■ただね、黙って働く板場の男たちを見て、なんでもかんでも言葉で言い表そうとすることばかりが、表現ではないんだということを少しでも感じとることができれば、男親に向かって手紙をしたためる気持ちに共感できることもあるんじゃないか。メールとかではなくて、老舗の文具店の原稿用紙に向かってね。■坂の多いこの町を一瞬にして説明してしまった時夫探索エピソードに始まり、スローモーションで見せた落ちてくるリンゴの赤は神楽坂イメージフィルムとしても有効なほど印象的なシーンだった。それがふぞろいだったのかどうかは確認できなかったけど、演出は山田太一の娘、宮本理江子。■あまり過度の期待をしなかったのは、失礼ながら、70過ぎた倉本聰の感覚があの時ほど胸をさすとは思えなかったから。彼が描く若者に感覚的な齟齬を感じてしまうから。簡単に言えば説教臭さですよ。■でもね、板場さえあれば、倉本ドラマは普遍(不変?)だな、と感じた。そこに入れば、あの頃も今もない。自然に年上には頭を下げるし、要らぬお喋りはみっともないと誰でも感じる。老舗の迫力は形式の迫力であり、形式の迫力は人を少し大人に変えることができるのかもしれない。若者が萩原健一から二宮和也に代わってもね。■旧作のファンとして、ちょっと電気が走ったのは、みんなが去った後の板場で指差し確認で火の元を点検した二宮君と、料亭坂下の娘、福田沙紀が彼のことを「おにぃちゃん」と呼んだところで、私にはそれがショーケンと木ノ内みどりに見えて、ちょっとクラクラしてしまった。■期待よりは心配が大きかった。でも第一回を見て、何かすごく得したような気持ちだ。深川が神楽坂になっても、分田上が川波に、そして坂下に代わっても、倉本聰のこの世界に関する情感は変わらない。大女将になっても八千草薫のそそっかし可愛さは不変である。黙っている梅宮辰夫は無敵である。神楽坂にはシャンソンが似合う。ちょっとドキドキしながら毎週木曜日を迎えられるのはとても楽しい。
2007/01/11
コメント(8)

■ただの旅行記なら途中で放り出すつもりだった。ショート・エッセイが30篇ほど。小説家が書くエッセイには彼、彼女が一体どんな人間なのかがあからさまになってしまう場面が必ずどこかにあって、創作と比べ意外に地味だったりすることもあれば、逆に本人の方が小説より面白かったりすることもある。そんな発見もまた楽しいわけだ。■一篇目の「わたしの好きな歌」でもうつかまれる。彼女の清志郎好きは有名だ。彼女は彼の歌う「スロ-バラード」に感激し、「車の中で毛布にくるまって一緒に手をつないでラジオを聴いて寝てくれるようなひと」と恋愛したいと夢見る。その夢が実現したのかどうかはこの本を読んで確かめて欲しいが、いつまでもそんな虚と実の境目みたいな状況に身を置きたいと考えること自体、この人の感受性がいたって鋭いことを表してはいないか。■読んでいるうちにこの人は本当にお酒が好きなんだな、(千秋先輩みたいに)本当に飛行機が嫌いなんだな、それでもひとり旅が本当に好きなんだなとわかってくる。その失敗談を語る彼女の語り口が潔い。故意に話をふくらますでもなく、必要以上に笑われたいと願うわけでもなく、ごく自然に描写されるそれらは角田作品のテイストにやはり似ている。言ってみればそれは非教訓的なリアリズムなのではないか。■「これからはあるくのだ」寝正月だった後、私もつぶやいてみた言葉だ。健康にもなれそうだし、なんとなく前向きな気持ちになってくる言葉だ。作者もまた、これからはゆっくり歩いて色んな世界に目を向けようという心持ちでこのタイトルを付けたのだろうと思っていた。ところが、実はある時彼女が自転車に乗っていたら、ひどい災難に出くわした。だからこれからは(自転車はアブナイから)歩くことにした、というだけの意味なのだった。■花柄のワンピースに弱い。しなやかなふくらはぎに弱い。颯爽と歩く女性の左下半身はいつもたいてい魅力的だ。ただ写真に写っていないところでこの人はそんなイメージに向かってアカンベーをしているのかもしれない。冗談みたいな書体が天才バカボンのセリフのようにも見えてくる。これからは、たとえそれがただの旅行記であったとしても、この人の作品ならば絶対に読まずにはいられない、のだ。
2007/01/10
コメント(0)

■ライダーズ30年の歴史は実はCMソングの歴史でもある。鈴木慶一をはじめメンバー6人のこの業界における貢献は非常に大きなものであったのだ。この作品はその全貌とはいかずとも、彼らの膨大な楽曲群の断片を垣間見せてくれる貴重な作品集である。■最初はアグネスチャンのバックから始まったこのバンドがさらに食い扶持を確保するために選んだ副業は露出度が高いわりに匿名性に覆われたCMソングというジャンル。今でこそタイアップと称して数多くのミュージシャンがその宣伝商品のみならず自らの新作をアピールする場としてこの媒体の存在は大きいが、彼らの提供した楽曲は一体誰が作っているのか、知りたくても知らせない覆面性に溢れていた。■でもね、ファンにはわかるんですよ。ああ、このメロディラインは慶一君だな。このポップセンスは岡田さんだな。このテケテケギターは良明さん。ああ、このバイオリンは武川さんにしか弾けないよな、とかね。中でも最も近年印象に残ったのは資生堂プラウディア(M36)で、初めて聴いた時からこれは慶一君か岡田さんに違いないと思ったものだ。■今でもよく耳にする「ナビ~スコ♪」というフレーズは鈴木慶一77年の作(M1)。M4は宮崎美子(今ではのだめ母!)で有名な斉藤哲夫が歌ったヒット曲。作詞糸井重里、作曲鈴木慶一の80年の作品。ファンにとってはM5,M6,M34はそれぞれ「エレファント」「MIJ」「Beatitude」の元歌として有名。その他にもいくつかの曲がライダーズの楽曲の骨格になっていることは一聴瞭然。■ネコ大好きフリスキー♪(M14)は慶一君と鈴木さえ子さんの共作。その複雑ポップなメロディで一時話題になった”きいてアロエリーナ”(M44)ももちろん慶一君。クラッシュバンディグー(M23)など一連のプレイステーションシリーズやドコモダケの歌(M51)は岡田徹作。意外なところでは明星一平ちゃん♪(M18)やハウスとんがりコーン(M39)もまた彼らの仕事だった。■サビの部分だけ流して全曲聴くならCD買ってくれというような最近のCM曲とは違い、ここでとりあげられた彼らの作品は1分そこそこで完結するあくまでBGMとして商品イメージを伝達するためだけに精魂込める潔さに満ちている。よって収録曲は50を超えるが全部聞いても45分足らず。それでもバラバラのその断片が時代順に繋がってひとつのCDになった時、そこで感じられる統一感は彼らのポップ職人としての技術の高さによるものである。■三木鶏郎、冨田勲、小林亜星、大滝詠一、山下達郎・・・、CM界の達人と呼ばれる人たちに比べ、誰だかわからない耳に残る楽曲があったとしたら、そのうちの30%はライダーズの面々によるものだと思って間違いないのではないか。いや10%くらいかな。<お題>あなたの好きなCMソングをいくつでもあげて下さい。・つい歌ってしまうのは志村けんと研ナオコの「プチシルマ」。ノンクレジットだがこれもライダーズ関係じゃないかと秘かに疑っている。・すぐおいしー♪すごくおいしー♪の「チキンラーメン」。このメロディは鈴木さえ子。CM WORKS 1977-2006 (収録曲一覧)01. ナビスコ ピコラ 02. 丸井のファッション「バイバイボーイ バイバイガール」 03. 丸井「ひとりよりふたり」 04. いまの君はピカピカに光って 05. SONY ラジカセ「エナジー99」 06. 資生堂 PERKY JEAN PICO 07. キ・サ・ラ恋人 08. とらばーゆ’84 秋 09. 資生堂 PERKY JEAN LONDON 10. 資生堂 PERKY JEAN ETHENO 11. ビクターGR-C7「赤ちゃん」 12. ブルボン「アートライン」 13. KEIKOさんのセブンイレブン 14. フリスキー’88 15. ハウスジャワカレー ドン・キホーテ篇 16. 日本自動車工業会 ラジオCM 17. 東芝「リビング商品」 18. 明星一平ちゃん 19. キリンラガー’94 20. ユニ・チャーム ソフィ サラスリム 21. キリンラガー’95 22. プレイステーション CM サウンドロゴ オープニング 23. クラッシュ・バンディクー(クラッシュ万事休す) 24. プレイステーション CM サウンドロゴ エンディング 25. プレイステーションのうた 26. プレイステーション 2 CM ジングル 27. アシックス ターサー 28. WOWOW テレビCM 29. ローソン 縁日の味 30. 資生堂 Optune Original 31. So-net ポストペット 32. シンガポール政府観光局 33. スイスエミー果実頃 34. マツダに乗りにいこう 35. 花王ソフィーナ 薬用ホワイトニング 36. 資生堂 Proudia Original with Strings Quartet 37. 植物物語 登場SR.BS篇 38. 豊年有機栽培紅花油 39. ハウスとんがりコーン バスケットボール篇 40. たまひよハワイキャンペーン 41. 三洋電機「快援隊」 42. コムスンのテーマ 43. 花王レイシャス 44. アロエリーナ 45. ハッピーセット・スヌーピーオールスターズ 46. 「クノールRカップスープ」2001 47. NTT DoCoMo ケータイ家族物語 48. パンパースすくすくパンツ児童館 49. 7777(みんなのGOLF4 CMソング) 50. ヤクルト400「a man keeps moving」 51. ドコモダケのうた 52. ナショナル食器洗い乾燥機「新・子育て家電」
2007/01/09
コメント(12)

■タイトルだけではわからないことはたくさんある。魂萌え!って何?萌える魂と言われても、どうもイメージが湧かない。燃える魂を扱ったスポーツドラマならいくつでも思い出せるけどね。■桐野夏生は向田邦子のファンでもあったのか。これはまさに平成の”阿修羅のごとく”に見えた。社会の暗部も犯罪もマイノリティも前面に登場してはこないが、人間の心の奥底に棲む制御できない塊みたいなものの描き方はまさしく桐野夏生の小説である。■小説の1ページ目で夫が死ぬ。しかも突然だ。妻には心の準備なんてものは何ひとつなかった。60になろうとする女性がひとり残され、今までは知らずに済んだ様々な事柄に対応していかなければならない。それはそれで大変なことだが、彼女にとって一番ショックだったのは夫の死後発覚した彼の愛人の存在だった。■息子や娘とのやりとり、仲良し(?)4人組とのやりとり、などスラスラ読ませる会話劇のテンポは抜群。そうだ、ここにも向田邦子の世界はあって、ユーモアにくるみながらも残る後味が渋かったり苦かったり。しかし確実に主人公は変化していく。あれだけ多くのことが身の回りに起こったら強くなるのも当たり前かも知れない。後半の愛人との静かな闘いはちょっと息を呑むくらいすごい。■NHKでのドラマ化は見損ねた。小説を読み終えてその配役を見てみると、かなり魅力的なキャストになっていた。高畑淳子の主人公役はピッタリだと思う。25年前ならそれこそ岸辺のアルバムの八千草薫の役どころだ。小柳ルミ子、仁科亜希子、木野花という同級生たちもナイスな顔ぶれに見える。■阪本順治監督の映画版も始まる。文庫本の帯にもあるように主人公敏子に風吹ジュン。どうも彼女には世間知らずの奥様のイメージはない。元祖”阿修羅のごとく”で演じた四女役、ボクサーと結婚して苦労する女の印象が強烈。そういえば彼女の女優開眼もまた向田邦子作品だった。今までのイメージを払拭するような演技を期待したい。■60になって独り身になるということは、結構不安で途方に暮れることだと思っている。それでもこの小説を読むと、暮らし方次第ではまだまだ楽しみ方が見つかるような気にもなる。そして60になってもちっとも達観なんかできないんじゃないかと思う。蕎麦食い歩きの会が後半、まるで合コンのように見えてきた時、老いもそんなに悪くはないな、なんて思ってしまった。そうか、魂萌えってそういうことだったのか。PS■文庫本の上下巻、並べて見て変化を楽しむ。解説は星野智幸、解説大賞ノミネート。ブラックサイドならぬ、ピンクサイド桐野ワールドということで、大人の女性にオススメです。いや、男性こそ読むべきか。
2007/01/08
コメント(2)

01. 「子供の領分」第4曲~雪は踊っている 02. 夢 03. 「版画」第3曲~雨の庭 04. 「ベルガマスク組曲」第3曲~月の光 05. アラベスク第1番 06. 「前奏曲集第1巻」第10曲~沈める寺院 07. 「ベルガマスク組曲」第4曲~パスピエ 08. 「前奏曲集第1巻」第8曲~亜麻色の髪の乙女 09. 「子供の領分」第6曲~ゴリウォーグのケークウォーク 10. 「前奏曲集第1巻」第6曲~雪の上の足跡■最初にシンセサイザーという機材の名前を聞いたのは72年のエマーソン・レイク&パーマーの「展覧会の絵」だったんじゃないかな。いわゆるプログレという波がロック界に押し寄せ、そのウイーンだとか、グビーンみたいな音色が楽曲のスケールを宇宙的なものに聞かせるような効果があった。■キース・エマーソンとイエスのリック・ウエイクマンが当時シンセサイザーを操る2大プレイヤーだった。かたや興奮するとナイフを突き刺し、かたやマントを着て四方八方をその楽器で固めた。そのどちらも音色もさることながら、見せ物としての要素がその目新しい楽器にはあったんじゃないかと思う。■そんなプログレッシブ・ロック全盛の74年に出たこのトミタのドビッシィーは全編シンセサイザーのみの電子音楽としてこの楽器の可能性の大きさを世間に広くアピールした名盤だと思う。ムーグ・シンセサイザーはそれを発明したモーグ博士にちなんで、まだモーグ・シンセサイザーと呼ばれていた時代だった。■専門的な知識は持ち合わせていないが、YMOと松武秀樹よりも何年も前に、ほとんどひとりでこの楽器と格闘し、膨大な時間をかけてこの作品を創り上げた冨田勲の業績はノーベル音楽賞ものである。彼は演奏者であり技術者であり作曲家でもあったのだから。■さて内容はドビッシィーのピアノ曲及びピアノ組曲からの抜粋であるが、シンセサイザーによって脚色されたこの音楽の立体的な広がりはなんとまあ、耳に心地良いんだろう。ピアノのために書かれたこの音楽をもちろんミケランジェリやフランソワといったピアニストの演奏で聴いたことはあるが、それと比べて邪道であると言わせない説得力がこの3D音楽にはあると思う。■”のだめカンタービレ”でのだめが楽典の原書を読むのに苦労している場面で、漫画で読む音楽理論でもあればなぁ、なんて言って千秋に殴られていたけど、ここで聴くことのできるドビッシィーはそんなテイストに近いんじゃないかなんて思っている。もちろん感じ方は人それぞれなのだろうが、入り口としてすごく親しみやすいものが、そして奥行きとしてすごく深いものがこの作品には含まれているような気がする。■その後、「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」などこのシリーズは続くが、私にとってトミタのシンセサイザーといえばこのドビッシィーなのである。先日再発された30周年記念紙ジャケ版を見つけ、のだめを読みながらずっと聴いている。「先輩、これトレビアンですよ♪」、
2007/01/07
コメント(11)

■中学の先生も大変だよな、と思う。この小説でも途中採用の非常勤講師の若者の話が挿入されているが、彼が教職を目指した理由は専門の教科に対する知識を少しでも生徒に与えるということだったと思うんだ。■でも学校側はそんな彼には授業をもたせず、荒れた学校の生徒指導という名目で、授業中の巡回、休み時間の警備など、それこそ大学で勉強してきたことは何だったのかと思うようなことばかりやらされる。■だからおそらく教員になりたい、という希望を持っている人は、ある特定の教科指導だけがその仕事であると勘違いしてはいけないんだと思う。試されるのはいかにして数式を理解させるかよりも、いかに彼、彼女の勝手な振る舞いを抑えることができるかであり、時には子供たちの鬱憤不満をどのようにしたら拡大しないようにもっていけるかというある種の管理能力みたいなものこそがこの仕事の醍醐味なんじゃないかなんて思う。■でもさ、大学の教職課程で教わってきたことって、実際の戦場にたった時には何一つ役にたたないことばかりで、この吉川という先生(?)は生徒から完全にナメられてしまうわけ。で、彼が最後に彼らにとった手段はちょっとどうかと思うくらいとんでもない方法だった。■思うに今の教職員にとって必要なのは”いじめ”というグルーブの実感としての体験なんだろうなって思う。エンターティメントとしての”パシリの美学”を極めようとする斉藤君のような人物が学校に教師として現れた時、あのザワザワした状況に何らかの手を打つことができるんじゃないかと。■現役中学校教諭である作者ならではの物語であると思う。主人公のミチルは自身のいじめに対する加害意識の贖罪のように、中学3年の1年間を今度は被害者として過ごす。闘いとそれを呼ぶには相手が不当すぎるこの勝負に最初から勝ち負けはない。人をウザいと感じてしまう気持ちには自分のできそうで、できない行動をその人がやってしまうところから始まる思いも強い。だからそういう勇気を持った人間を束になってないがしろにするのは不当以外の何ものでもない。■個と個の闘いには勝ち負けがあって良い。でも彼女が立ち向かっているものは全体としての周囲の気分でしかない。だからその中に荷担している多くの者には何ら加害意識はない。たとえば私が中学時代の級友の誰かから今でも心の底から憎まれていたとしても、私にはその記憶すらない。おっかないのはそういうところなんだと思う。だから、そんな私には中学の教員なんかとてもじゃないが務まるわけはない。
2007/01/06
コメント(4)

■もしも私が単身ブータンに渡って、そこで生活など始めなければならなくなったとしたら、周りの人々は静かに私を受け入れてくれるだろうか。幸い日本にやってきたブータン人がこの複雑な日本語を覚えなければならない苦労に比べれば、英語を第一外国語とするこの国で暮らすことはそんなに難易度が高いとは思えないのだが。顔つきだって彫りの深い私の顔は何の違和感もなく周囲に溶け込んでいけそうな気がする。外国人に対する偏見だって日本に比べれば無いに等しいのではないか。■ドルジという名の青年は必死になって日本語を覚えた。彼には優秀な日本語教師がいて、また心優しいパートナーがいた。日本の文化とその荒み具合は彼の母国では考えられないくらいかけ離れていたけど、なるようにしかならないという因果応報の宗教観をもつ彼には自分を取り巻く者たちの運命に抗うことなく、それが幸福でも不幸でも等しく受け入れる精神性があった。そんな我慢強い彼だからこそ、ほんの1年や2年で我々と変わらない程度に自由に日本語を操ることができるようになっていた。「ソウデスネ」という曖昧な相槌以外はね。そう、どこから見ても彼は日本人に見えるようになってしまっていた。■コインロッカーにアヒルや鴨の死体を入れて、いっとき封印してみたとしても、そこから漂う死臭によって、隠されたそれらは数日たてば白日のもとに晒される。それに対して、ボブ・ディランの曲をエンドレスに録音したテープを演奏するカセットデッキは(おそらくそれはオートリバースで、電池はアルカリ乾電池であろう)下手をすれば丸3年くらいロッカーの中で静かに鳴り続けているのではないだろうか。不審に思ってそれを開けた者はそこに何を見いだすのだろうか。なんでディランの歌を封印する必要があったのか。どう、すごく哲学的な謎だと思いませんか。■今まで読んだ中で一番好きな小説かもしれない。文庫化を期に再読したわけだが、この話、思っていたより残酷で、思っていたほど幸福な終わり方にはなっていない。何人かの人間は死に、何匹かの動物は殺される。読後の爽快感のせいで忘れてしまっていた展開も多い。その点ちょっと意外な感じがした。それでも最初に読んだ時と同様、何度も何度も心が痺れた。思うに作品の内容自体が感動した、しないを決定する要素であるとは限らないということだな。■おそらく語り方のうまさなんだろうと思う。もちろん本からは何の音も聞こえてはこないけど、すごく良い声で語られる物語に自然と耳をすましてしまうような感じだ。クールでナチュラルでウイットに富んでいてなおかつオフビートに。ナレーションキャストを頭に浮かべるとするなら、現在の物語は西島秀俊で、2年前の物語は鈴木京香でお願いしたい。■もしも、もしもだよ、何年かたってもう一度ドルジが本屋を襲う話が持ちあがるとしたら、是非とも私に裏口で待機する役を与えてもらいたい。今でもちゃんとあの歌は暗記しているけど、もう少し練習して完璧にするから。彼に似たしわがれ声で歌ってあげるから。それが神様の声に聞こえるかどうかはわからないけどね。そしてその小説が本屋に列んだ時に「本屋再襲撃」なんてタイトルが付いていたとしたら、私は秘かに微笑んでしまうと思う。PS■映画化されるそうです。非常に複雑な気持ちです。今思いついたんだけど、この話は「第3の男」風にも撮れるぞ。ところで瑛太君は河崎役だろうか、それともドルジ役だろうか。意外に一人二役だったりして。いや、実はそれは意外でもなんでもないんだけどね。(笑)
2007/01/05
コメント(4)

■表紙の写真の素敵さが誰でも一度は経験するだろう甘酸っぱい恋愛の心象風景みたいに見えて、そんな話を期待して読むとひどいしっぺ返しをくらうことになる。甘酸っぱくないよ、これ。ただ単に酸っぱい。■見かけによらないのは著者近影も同じで、こんな笑顔で写真に写る女性が、見境なく男を追っかけて、万引きはするは、ヤクはやるは、フタマタかけるは、ユーカイはするは、ニューエイジにかぶれるは、って物語を延々書き続けること自体不思議だ。■若い男性とはとうに呼べない私でも、女性に対する認識その他に、固定観念を覆される内面描写が頻繁に登場し、この作者の露悪趣味にいささか閉口しつつも、振り返れば自分自身もそんなかけひきめいたあれやこれやを相手に対しておこなってきたんだということに思い当たる。そうか、正直に描けば結構恋愛は汚いということだ。■海外留学経験を持つ女性。トライアスロンレースに参加したことがある女性。いずれもなにやら魅力的に見えるが、その動機はそれぞれその時々の恋愛相手の気を惹くためにおこなった行為の結果であるという描き方もこの見かけによらない話を補強している。そう考えればありとあらゆる肩書きからイメージされるものはことごとく虚像であるということかもしれないな。■中学時代でも高校時代でもいいや、好きな子ができると、その男の子の名字に自分の名前をつなげて夢想したでしょ。ノートの隅かなんかに何回かそれを練習したでしょ。男の子にはそういう経験がないから、気がつくのが遅いんだよ。自分の名前を誰に変えられたいかと考える事ってすごく大きな世界の変化だと思う。■そんなこと考えていた17才から32才までの女の子の物語である。15年間で何人と恋愛したんだ、この娘。しかも連戦連敗。でもそれは相手に負けた敗戦には見えない。じゃ誰に負けたのかといえば恋愛そのものなんだと思う。読んでいてやれやれと思うのはいつまでたっても戦い続ける彼女の思い込みの強さなんだよね。負けを意識したら普通は自分を変えるって。住まいや職は変えても、ちっとも中身は変わらない。これも見方を変えればポジティブシンキングってことか。■スミス・ティーネイジファンクラブ・スマッシングパンプキン・ビースティボーイズ・オアシス・ポーグス・ジャミロクアイ・グリーンディ。引用される楽曲が彼女の心象風景を効果的に脚色する。うーん、90年代だ。それでもひとりしんみり彼女が部屋で涙する時の音楽がカーペンターズだというところが深い。PS■文庫本解説は穂村弘。もはやこの人の文体は芸ですね。解説大賞ノミネートです。
2007/01/04
コメント(2)

■言いまつがいは誰にでもある。よく耳にするのは、バドミントンをバトミントン、ヘリコプターをヘコリプター。ネタとしてよく使われるのが、ダブルクリップをタフグリップ、米米CLUBをマイマイクラブ。とまあ様々なバリエーションがこの分野には存在するのだが、この鉄コン筋クリートという言葉も何度も聞いたことがあるその仲間のひとつだ。■それでは鉄筋コンクリートが鉄コン筋クリートに代わることによってどんな違和感が発生するかといえば、鉄コンという語感が鉄筋という言葉よりも鋭角感が柔らぎ、逆になんらかの重々しさが加わるようなイメージをもたらすわけだ。漢字で書けば「鉄魂」みたいなね。そしてコンクリートから筋クリートに代わることによって、なにやら外国人のファーストネームのような印象を与えるわけだ。マイケル・キンクリートさん、みたいにね。■松本大洋の描く線の丸さとその太さに、読みながら感動して泣いているわけではないのに、いくら目を凝らしても滲んで見えてしまうようなグラグラ感を感じる。登場人物たちの造型も時々大友克洋の絵の中に蛭子能収や、つげ義春の登場人物が紛れ込んできたような錯覚さえ感じる。■時代設定は一体いつ頃なんだろう。サイバーパンクっぽい話かと思えば描き込まれた宝町の風景はどこかしらレトロでもあり、西暦2010年の話とも昭和の話ともとれる。なぜクロとシロは鳥のように空を飛ぶことができるんだろう。なぜ彼らを人間として子供として描かなくてはならなかったのだろう。■このコミックの凄いところはまずビジュアルとして、コマ割りの構図とか描き込まれた画面の隅々に至るまでの具体と抽象の混在にあって、すごくおどろおどろしい情念みたいなものを想起させるところにある。もうひとつはセリフが時として言葉のレベルを超えて詩の高みに達しているところ。それらは一言で片づけてしまえばアートということになるんだろうけど、そこでは物語のあらすじにハラハラドキドキするような展開は二の次に思える。■マイケル・アリアスによって映画化された作品は未見だが、様々なサイトでチラ見した情報をもとにすれば、そのキャラクターはすっかり角が取れ、ハンサム度が2割り増しになっているように見える。主役のふたりはもちろん、それぞれにあてがわれた声優たちのイメージがすっぽりはまっている。刑事役の宮藤官九郎、ヤクザ、伊勢谷裕介、そして特に田中泯はまるで実物のように見える。■キャラクターが画面を動き回ることによって、見えてくる部分もあれば、見逃してしまう部分もあって、特にコミックにおける言葉にならない叫び(ア”-、みたいな)とか、ショコラやヴァニラが喋る外国語だか何だかわからないような言葉によって想像できた世界観がある意味限定されてしまうという要素もある。アジカンの楽曲も含めて、それがデメリットになっているのかそれともその逆なのかは本編を見てみなければわからない。■私の頭の中ではクロとシロが二宮君と蒼井優の声で喋るイメージはない。彼らはむしろ動物に近く、たとえそれが内面の声であったとしても人間の声として認識できるものではあってはならない。仮に彼らが私たちの使う全ての言葉を言い間違いなしで話すことができたとしたら、こんなタイトルの物語にはなっていない。
2007/01/03
コメント(2)

■今から30年くらい前、免許取りたてだった頃、友人たちと箱根に行った。3人で3台。みんながみんな運転したい気持ちがムンムンしていて、乗せてもらおうなんて気はサラサラ無かった。今考えれば、エネルギーの無駄もいいところだが、246から西湘をアンジェリーナの如く闇にクルマった夜をクルマがクルマでぶっとばして(実際には60キロくらいしか出せなかった、恐くて)箱根のあの坂を異様に膨らみながらドライブしたものだ。■では友達5人集めて箱根まで走ろうという気になるかといえば、100万円くれても嫌だ。あの箱根駅伝という苦行を最初に考えた人は誰なんだ。車で走ると気がつかないが、実際には道路には無数のアップダウンがあってアクセル踏めば加速する装置なんか人間の身体能力の中には含まれないのだ。そして車でさえもトップギアでは登れないあの急坂を、リレーの選手みたいに走ろうとする選手の気が知れない。■正月恒例のこの行事の国民的人気はすごいものがある。おそらく三浦しをんもコタツに入ってミカンでも食べながらこのテレビ中継を見ていたんだろう。そして見ながらお得意の妄想癖を膨らましていたに違いない。特別陸上経験があるわけではない普通の大学生たちがこの箱根駅伝を目指す話はどうだろうか。■日本国中から10人を集めてくるという「七人の侍」みたいな話ではない。あるオンボロ学生寮の住人たちが10人そろった時点でそれを目指す物語になっている。よって、そんなにうまくいくはずないじゃんという話でもある。作品にリアリティを求めるのであれば最初からページなどめくる必要はない。■面白い話を期待している人であれば、ページをめくる勢いは俄然加速していく話である。大嘘から始まった話でも、駅伝を走るまでのディテールや蘊蓄に間違いがなければ、身を乗り出して彼らの奮闘を応援してしまえるだけの物語の勢いがある。きっと実在の有力校などに対する取材量は膨大だったのではないか。■表紙の絵がネタバレをともなっていることも決してこの物語の興味を殺ぐことにはなっていない。巧いのはなぜ何区に誰なんだと納得させる筆力で、後から考えれば、作者はこういう場所を走らせるためにこういう性格の人物を書き始めたということがわかる。そして必ずしもそれぞれの走りが予想できない結果をともなっていることも付け加えておきたい。■比較的長い時間がそれぞれに与えられているので走る彼らを語る文体が濃厚。ただし段々とその語りが一編の詩のような美しさを奏で始めるところがとても魅力的。特に復路の展開には涙腺が緩みっぱなしになってしまった。■佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」のそれこそ一瞬で決着する勝負の世界の対極にある長い長い走りの物語であるが、共通するのはバトン、タスキという人と人を繋ぐアイテムに注がれた純粋で真摯な気持ち。走りの形は違っても、どちらの肉体もその喜びに溢れているように見える。そしてどちらの物語も読書の喜びを等しく与えてくれた。せめて仕事始めには車は置いて、走って職場に行こうかななんて思っている。
2007/01/02
コメント(4)
■ブラジル3人組もいないし、絶対青だろうと思って見ていたのだが、最終的に笑ったのは赤だった。今年のラッキーカラーはこれで決まりだな。ワンポイントどこかに入れるなら、赤。まあ、若い頃から結構好きな色ではあるんだけどね。■しばらくガンバのサッカーは見ていなかったが、ちょっとビックリするくらい連動した良いサッカーをしていた。遠藤の所にボールが行くと、FWなり、MFなりが一斉に動き出す感じは水族館の魚みたいだ。加地は鮫、家永は鯱、播戸は烏賊で、マグノは鮪ってなんかネタみたいだな、これ。■圧倒的に優勢な展開も点を取れないことには話にならない。いくら良いサッカーをしてもこの競技に優勢勝ちはないからな。元ガンバ都築が今日は当たりに当たっていたからな。一方的に攻められるとGKからしてみればこういう好循環もあるということか。■永井雄一郎ってサッカー選手としてというより、ひとりの若者として好印象なんだよな。準優勝した例の黄金世代のU19世界大会での1点もあったことはあったけど、代表レベルだとなんか見劣りすることは否めない。だからこういう脚光の浴び方がとても似合う。ワシントンや達也が戻ってくれば、またいつもの居場所に戻っていくんだろう。でもそういう至近距離で触れられる可能性がムンムンしているような距離感が好ましい。サッカーの上手い彼氏って感じね。■大晦日から元日にかけてBSあたりで、ずっとサッカー関連の番組をやっていて、今回(もう去年か)のWC決勝イタリア vs フランスをまた見ちゃった。ボール回しのスピードとか、正確なキックなんかは見ていて本当に美しい。ジダンのヘディングがいつ出るか出るかって違う意味でワクワクしながら見ていた私も変なやつだよな。マテラッティにそれをする前の延長前半に出た本物の方のヘディングはすごかったな。あれが決まっていればあんな終わり方はなかったろうに。■その後の特番は歴史を作ったワールドカップ。何度も再放送された番組だが、いつ見てもためになる。私のサッカー観戦も70年メキシコ大会から始まったんだよな。あの時のブラジルチームはやはりすごかった。あらためてペレのプレイに感心しきり。ハーフライン付近からの超ロングシュート、敵のキーパーのキックをダイレクトシュート、ゴール前ドンピシャのボールをシュートフェイントでスルー、滞空時間5秒くらいありそうな頭ひとつ抜けたヘディングシュート。やはり70年のペレ、74年のクライフ、86年のマラドーナは特別だよな。それに続くのが98年のジダンなんだろうな。■さて今年の見どころはアジア大会で代表がどれだけやれるかってところ。やはり今夜の山本アナウンサーとオシムの対談を見るにつけ、この監督の懐の深さは本物だと思えて、たとえ今年結果は出なくても、2010年には期待できるという気持ちにあらためてなれた。高校サッカーも久しぶりの桐光学園の好発進ににんまりだし、なんかサッカーのことばかり考えていた元旦だった。
2007/01/01
コメント(2)
全32件 (32件中 1-32件目)
1
![]()
