連休3日目
ゆうべからの雨で夜明けは遅く
今日も静かに過ごしています
明日の朝礼のスピーチを考えること以外
特に何をするでもなかったので
ずっと前に詰め込んでいた
非常用持出しバッグを再確認してみました
もらい物のボストンバッグとズタ袋が1個ずつ
中身を床に広げてみて驚きました
詰め込んだ当時の感覚なら必要だったかもしれないけど
今思えば不要だと思えるものがいくつかありました
詰め込んだのがいつかって?
それが笑っちゃうけど笑い事じゃないんだよね
非常用袋を用意していたものの
この地で避難生活を強いられる災害なんて起こらないだろう
ずっと頭のどこかにそういう思いがあり
今回の震災があっても今頃やっと袋を確認する有様だから
まだまだ危機感がないのだろうと思います
危機感がなかったから
非常食を入れておいてもダメにしてしまうだけ
でもとりあえず少しだけは入れておこうと入れてあったのが
小さい缶詰5個と乾パン1缶
乾パンの製造年が何と1996年 (^_^;)
消費期限は5年です
缶詰の賞味期限は 2003年
乾パンの製造年から考えると
詰め込んだのは恐らく阪神淡路大震災のあと
それも少なくても震災の翌年ですね
なんとまあ 危機感のないこと
缶詰はどれもプルトップ式ですが膨張の兆しはナシ
カレー缶3個と なぜかヤキトリ缶2個
安売りの時に買っておいたのでしょう
賞味期限を8年も過ぎている缶詰
あなたならどうします?
私は今 どうしようか迷っています
懐中電灯には入れていなかったけれど
封をしたままの乾電池は液漏れ状態
救急用品の傷バンは粘着部分が古くなっているし
新品のマスクはガーゼ仕様
どれもこれも入れ直す必要があります
野外用品 地域の避難マップ 筆記用具 etc. に混じって
G・S時代の緊急対策用ブックやロープも入れてありました
意外にも 鍋がなくてもご飯が炊けるアイデア商品や
簡易トイレもいつのまにか用意していました
古くなったガマグチ財布もありました
中には 100円玉が10個 10円玉が20個 と
素性を書いたカードが入っていました
ちょっと感心 (^_^;)
でも身分証明になるものがありませんでした
戦時中の人は必ず着衣に名前を縫い付けたり
大切なものを着衣に縫い込んでいたようですね
良い方法だと思いますが 今はどうでしょう・・・
ここまで書いたところで地震がありました
家がわずかにミシッ!と鳴ったので
もしかして地震? と思ったのですが揺れは感じませんでした
でも絶対に地震だと思って情報を待っていたら
飛騨地方が震源の地震があり こちらは震度2だったようです
やはり たとえ避難に至らず自宅に留まるとしても
非常用品は用意しておくに越したことはなさそうですね
でも いざ避難しなくては! という事態になったとき
持ち出せる状況かどうかが問題です
追加訂正
こちらの震度は1だったようです
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