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NHKの朝のドラマなんて、ずいぶん長い間見ていなかった。けれども今回の「だんだん」はずっと前から楽しみにしていて今回やっと始まった!という気持ちで見た。昨日も今日も仕事が休みだったので早起きして2回ずつ。マナカナさんはやっぱりかわいい。テレビに彼女たちが出ているとほとんど釘付けになってしまう。ほんとによく似た2人だけど、これだけ見ているとすぐ見分けがつく。何となくそれぞれこういう性格なのかなあ、と想像もふくらむ。マナさんのこういうところと、カナさんのこういうところが好きだなあ、とどっちも贔屓にしきれない、まるで母親のような目線でもある。NHKのドラマってこんなんだったっけ?と思うような脚本上の無理がところどころ目につくけれども1日15分という短さがそれをカバーしているように思う。そして、狂言の茂山逸平さんが出ていた。全く知らなかったので、見たとたん、テレビに向かって「わ、逸平さんやし」とつぶやいてしまった。今回は今のところ、カナさん扮する舞妓さんに着物を着せるという、ものすっごくさりげない出方である。この後どのくらい出番があるのか知らないが、そのシーンの最後に、ファンが大喜びするであろう素敵な笑顔を見せられた。狂言を何回か見に行ったけれどもこの人って華があるんですよね。人気もすごくあるので、あんまり言いたくないけれども、確かに魅力的である。人気がすごくあるので、あんまり認めたくないけれども、何人かおられる茂山の若手の方々の中で、私もやっぱりこの人を贔屓にしてしまう。新たな楽しみも見つけてしまったのでたぶん毎朝欠かさず、万一欠かしてしまったときはワンセグで昼休みにでも、見てしまうことと思う。だって、録画しそうな勢いでさえあるのだから。
2008.09.30
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さて。近ごろの私を悩ませているものは3つ。1 来月結婚する友達の披露宴にて語らねばならないお祝いスピーチ。2 在学中の大学の卒業制作の小説3 その大学にてまだ残っているレポートだいたいスピーチなどというものは、私の人生において最も遠くにあるはずのものである。フリートークを最も苦手とする私。万一頼まれても丁重にお断りしようとずっと思っていた。のに、その禁を破って果敢に(?)友達は頼んでくれた。その友達は高校から大学にかけてつながりのあった人で、私としては珍しく付き合いの長い部類に入るので、なんだか頼まれたこと自体に感動してしまって断ることができなかった。彼女の披露宴は10月19日。来月になったら、といってもあと2日だけど、ぼちぼち考えて、予行練習を存分に行いたいと思っている。もし、お読みになった方の中で、人前でソツなく話すコツをお心得の方がおられましたらぜひご教示ください。このスピーチについて来月まで後回しにせざるを得ない理由は卒業制作の第1次締め切りが明後日に迫っているからだ。今回出すべきものは2つ。制作の全体像をまとめた「卒業制作ノート」と「どこでもいいから本文の一部」。このうちノートは昨日力技で形にして、今日は本文を書き始めた。夜になってようやく。原稿用紙2枚半相当を書いたところで、集中力が切れたのでとりあえずやめた。全体的にたゆたうようなお話で、私としてはそれなりに起伏を持たせて筋立てしたつもりなのにも関わらず、あらすじを端的にまとめたところ「さしてドラマチックじゃない」という自己評価なのだけど、まあ、そういう話が好きなので仕方がない。興味の対象が意外と細かいんだなあと小説を書く度に思うのだった。これらはあした郵便局にて発送されることと思う。添削の結果を見てまた考えようと思うけど、担当してくださるS先生が、Y先生によって「ビシバシだからね」と評されていたことに一抹の不安を覚える。今さらどうしようもないからいいけど。この大学のレポートはあと残すところ5本になった。明日明後日で1本書くつもりなので来月にはあと4本になっているはずだ。学年末締め切りまでに月1本のペース。こうなると嫌でも3月に卒業せざるを得ない。6年在籍したことになるけど、ちゃんと得るべきものを得られたかどうかを、このごろよく考える。まあまあかな、というのが今の感想だ。得たものは確実にあるけど、まだまだ足りない気がする。でも勉強したいことってたぶん、いつまでたっても学びきれないと思うのでこれからは自分で好きなように。そう思うとレポートから解放されるのが楽しみでもあるのだった。あしたはお休みだけど早起きして新しく始まる朝の連ドラを見て自転車で郵便局に行こう。
2008.09.28
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前に通っていた大学の先輩が本を出された。文学の研究者であるその方はエドさんという。エドさんといってももちろんエド・はるみではない。折しもエド・はるみも今月、本を出していたがそれではないことは言うまでもない。イエ、はるみさんも好きですけど。不肖ともぞう、職場で偶然その本を発見して私事でもないのに職場の面々にその本を見せて「私の先輩がこのようなご本を!」と訴えかけた。みんなやさしいので「立派な出版社からすごいね~」など応じてくださる。読もうと思って早速借りたけれど悲しいかな、その研究対象となった作品からして私は読んだことがないのだった。文学全集にして3冊にわたる日本古典の作品。俄かに読もうとしても歯が立たないのは明らか。これでは先輩の研究成果を読んでもわかるわけがない。なので、来年、今の大学の卒業制作を終えてしまってからのお楽しみにすることにした。その古典文学作品はあまりメジャーではないので私が読んだあかつきにはエドさんの本とともに私的営業活動をさせていただきます、と思っている。思っているがそのことをご本人に伝える術はない。これはひとえに私の日頃の人付き合いの薄さに原因があるのでどうしようもないけれどこっそりひとり嬉しくて嬉しくて表紙に堂々と書かれたお名前を見るだけで上機嫌になってしまうのだった。在学中も卒業してからも人一倍お世話になった方なのでせめてその本の名前をここに明かしたいと思うけれど内容を語れない私にその名前を明かす資格はないように思われるのだった。来年には感想を述べられるようになろうと思います。エドさん。おめでとうございます。
2008.09.26
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最近はまっている食べ物。1 ヘチマ2 はるさめヌードル3 味付け海苔ヘチマは沖縄料理で食されていたり、ネット検索すると味噌炒めがメジャーであったりするらしいけどたぶんほとんど食べたことがなかった。先々週中華料理を食べに行った際に出てきて、あまりにおいしいのでこれはなんですかと同席していた方がお店の人に尋ねられた。すると、ヘチマですと。茄子のような少し粘りのある歯ごたえで、油とよく合う。先週、百貨店の地下食料品売り場で再会を果たしたので迷わず買って帰った。単にソーセージと炒め合わせただけなのに、旨みをたっぷり含んで「もしかして私って天才?」と思わんばかりのおいしさに仕上がった。なので週末もう一度買い足して、次は豚肉と味噌炒めにしてたっぷりといただいた。しかしこれはおそらく夏の食材。もっと早く出会っていれば、、、と悔やまれるのだった。来年死ぬほど食べます。はるさめヌードルはこのところさかんに宣伝されているが各メーカーからいろんな味が出ている。そもそもはるさめといえば、我が家で鍋物に投入されようものなら父と姉妹の間で激しい争奪戦が繰り広げられたいわくつきのモノである。それがお湯を注いでたったの3分で私だけのものとしていただけるだなんて。スーパーマーケットのこのモノたちの陳列棚にて佇む自分をこのごろよく発見する。所定の量にさらに手持ちのはるさめを足したい気がするのが少し物足りないのだけど。どこかのメーカーで作ってくれないかな。BIGはるさめヌードル。ヘルシーを前面に押し出して売り出している戦略とそぐわないだろうか。。。私の食の好みとしては、朝食は和食である。ところが自分で仕度するとなるとついつい面倒くさくって、パンやらシリアルやらに偏りがちなのであった。で、長年なんとなく朝食においしさを感じられなかった。もうやつらには飽き飽きなのであった。なので、最近は心がけて朝食にお米を食べるようにしている。私の長年のご飯のお供ベスト1は「梅干」だった。が、最近ぺらぺらでうすーい、そのわりに塩分のきつそうな味付け海苔がおいしくってたまらない。もうひとつ大好きな、すぐきのお漬け物といっしょにいただいたり炒り卵といっしょにほかほかのご飯を巻いたり想像するだけであした起きるのが楽しみになるくらいなのだった。それだけ。
2008.09.23
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通勤途中の乗換駅近くにあるお蕎麦屋でパスタ風にアレンジされた蕎麦があるのがしばらく前から気になっていた。クリームソースの蕎麦、ペスカトーレに仕立てた蕎麦、カルボナーラに仕立てた蕎麦など、見本が表に並んでいる。仕事の帰り道たまたま通りかかったので、一緒にいた同僚2人を誘ってみたところ早速食べて帰ることになった。なんてうれしい。私の頼んだのは高菜と明太子のクリームソース蕎麦。2人はそれぞれペスカトーレ蕎麦とカルボナーラ蕎麦を選ばれた。しばし待つ間に周りを見てみたがそんなものは誰も頼んでおらず、「これってもしかして回転寿司に行ってエビフライの乗ったものやらプリンやらばっかり頼むのと一緒?」など話す。ショーケースにずらりと並べてイチオシされてるのにねえ。口に入れた瞬間はクリームソース。蕎麦の香りが合わなくもない。そして後口は結局蕎麦。けれどもお腹にたまる感じはクリームソース。蕎麦はわりと細めで、アルデンテにはほど遠い茹で上がり加減。お箸でぷちぷちと切れた。麺にもっとコシがあったらまた違ったかもしれないが、まあパスタの方が合うかな、というあたりまえのような意見で一致した。お箸とお匙がついてきたがこの場合、啜って食べてもよいものかどうか不明であった。すするとクリームが重くてついてこない感じ。それで、蕎麦をお箸でなんとなくまとめて、お匙に乗せていただいた。そういえば昔、いわゆる「ぶりっ子」の麺類の食べ方がこれだと言われていたような気がする。何から何まで江戸っ子に怒られそう。
2008.09.21
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職場で何気なく「ちょっと」という言葉を使ったらその言葉に反応した同僚から薦めてもらった絵本。家に赤ちゃんがやってきてお姉ちゃんになったなっちゃん。お母さんはいそがしそうなのでこれまでやってもらっていたことをなっちゃんは自分でやってみようとする。牛乳をコップに注いだり、ボタンを留めたり、髪を結んだり。どれもあんまり上手にできないけど、「ちょっとだけ」できた。公園に行ってもひとり。お友だちのママから「赤ちゃんってかわいいでしょう?」と聞かれて、「ちょっとだけ」うなずくなっちゃん。帰って眠くなったなっちゃんは、お母さんに「ちょっとだけ」抱っこしてください、とお願いしてみた。すると、お母さんは「ちょっとだけじゃなくて、いっぱいだっこしたいんですけど、いいですか?」と。。絵もことばもほわんとしていてなんともかわいい。今、2人目が生まれそうな知り合いがいれば、もれなくプレゼントしたい気分。私は末っ子なので、姉妹の上の人は、小さいころにそんな我慢をしていることがある、というのをだいぶん大人になってから初めて知った。そんな我慢が世の中にあるなんて思いもしていなかった。大変なんだねえ。小さなお姉ちゃんやお兄ちゃんたちは。もしもそこらへんにいたら、ぎゅっとしてあげたい気分。 瀧村有子 さく 鈴木永子 え 福音館書店 2007年
2008.09.15
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以前の日記で、小説を書くときにはカフェーなるものに長居することがあると書いた。カフェーにいると書く気分がだんだんできてくる、と。今もそれは変わらないけど、創作気分が盛り上がる場所を最近もうひとつ発見した。電車の中である。何にもせずにぼーっと車内にいると、なぜかいろいろイメージが湧いて、書けそうな気になってくるのだった。ここで大切なのは「何もせず」「ぼーっと」というところだ。間違っても電車内で本を広げたり音楽を聴いたり携帯をチェックしたりしてはならない。ひたすらぼーっと流れに身を任せてみる。と、何となく世間と自分の間に薄い壁ができて、すべてがよそごとのように(いえ、そもそもすべてよそごとなんですけど)思われてきて、書きたいものが掴めるような気が、だんだんとしてくるのだった。そこで、お休みの午後、用もないのに電車で西に向かってみた。海を見ながら垂水駅まで。そこは感覚的に私の日常の西端である。最初からそれより西に行くつもりはなかったけど、垂水につくころにはほどよく書きたい気になれたので、電車を下りてすぐ、向かい側に停まっていた東行きの電車に乗り換えて戻った。単に書く気分を盛り上げるだけのために往復1時間。ちょっと、効率が悪い気がしないでもない。
2008.09.11
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