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5月の末に13年程乗った愛車の温水計の赤ランプが点灯を始めた。行きつけのディーラーに緊急点検に持っていくも結果はやはり思わしくない。覚悟を決めて、中古車を買うことにしたものの運悪く、間が悪いのはお手の物の私・・・納車は3週間後。なのに代車が全て貸し出し中仕方ない、けど、できるだろうか?徒歩通勤(現在、運動不足を自覚中、足に自信は無い)耐えられるだろうかバス、電車使っての通勤なんて・・・・(人込み苦手で、バス通勤の経験無し、電車通勤10代後半の1年だけ)不安と心配をヨソに、足もなんとか動いて耐えてくれた。おかげでいっぱい道草できてちょっとした発見もできたのだった。車が無かったらこういう楽しみもあるんだと感じる。 (イメージ)警察署と税務署の間の道を歩くと税務署の敷地に無数のドクダミが生えているのだけど見ると殆ど八重のドクダミなのだ。ちょっとした群生状態に思わず声をだして「すっご~い全部八重だぁ!!」なんて言って辺りを見回していた。しかし、残念だったのは盛りを過ぎた頃で写真残すのを諦めた。また機会があったら・・・と、思ったがこの先ドクダミの盛りに道草道を再び歩くなんて無い気がする。 前から気になっていたお肉屋さんはその前を通る度、駐車場がいっぱいで人気店の様だった。存在はおそらく3、40年前から知っているはずだけど一度も訪れたことは無い。歩いたからこそ寄れた来店初の店肉の田口地元で愛され創業60年!厚木名物「とん漬」でも有名なお店。だからって肉が苦手な私がとん漬けや新鮮な肉類に手を伸ばすワケは無く、買い求めたのは豊富なお惣菜である。特に気に入ったのがカボチャのコロッケ♪外はパン粉ザックザクの噛み応え、中は皮まで入った存在感まんまある南瓜がどっしりと入っている。リピートした時は3個も買って独りでペロッてしまった・・・ 町なかを歩くと、この日の朝は靄(もや)がかかって・・・と言いたいところが視程が1km未満の場合を霧、1km以上10km未満の場合が靄と、言うそうで私はもやっとしているから靄なんだとイメージしていた。コレは霧かいな。こんな町なかの朝を歩くなんてなかなか無い。 中央公園に妙なベンチを見つけた。ベンチで座るには細め、背もたれもなくちょっと休んだら退いてください位のつくり。カタカナ名はパーゴラって呼ばれる、単に日陰棚の類なのかと思ったら植物は植えてない。で、離れてみたらソーラーパネルが付いているのに気が付いた。 ココでなんと無料で充電できるお祭りの日には充電渋滞起きないだろうか??なんて余計な心配してしまう 70歳になったら免許返納しようかと思っている。職場も定年退職になることだし、車に乗る必要も無くなることをちょっと期待してもいる。まだまだ先だけど、この歳になると一年経過するのが早いからあっという間なのだろうか
2025年06月23日

鬱々とした鈍色(にびいろ)の雲に埋め尽くされた空朝日が割り込んで一瞬、妖艶な姿に変化した。それが代搔きも終わった稲田の水鏡に映ると得も言われぬ光景が広がった。思わず息子らにラインして画像を送るも雲の動きが早いらしく、スマホに目を向けている間に元の空に戻ってしまう。ほんの1~2分だったろうか。。。目にした朝焼けは絶景だった。梅雨空の朝日3 posted by (C)くろすけcat(2025年6月1日)梅雨空の朝日2 posted by (C)くろすけcat(2025年6月1日)農道の泥だらけになったアスファルトを用水路の水がとぷとぷたっぷたっぷと流れるのと反対に歩く。雨が降る前の喉が渇いた様な蛙の声、麦畑で聞いた覚えのある雲雀のぴーちくぱーちくが響く故郷への懐かしさとか、生きてる幸せ感がじんわりじんわりやってきて行雲流水・・・なんて言葉を思い出す。通っていた習字塾で書いたのかなぁ?やっぱり、子供の頃から道草するのはやめられない。梅雨の合間の空 posted by (C)くろすけcat(2025年6月22日)朝空 posted by (C)くろすけcat(2025年6月22日)朝焼け posted by (C)くろすけcat(2025年6月22日)
2025年06月22日
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私の身近にはどういう巡り合わせか因縁か自分の子供と血の繋がりを持たない三人の母親がいた。思うがままに愛情を注いでいても、日々の営みに心通わせながらも、思う様に行かないそんな時、心の奥底に潜ませていたものが思わず口をついて出てしまう。その母親達は内に秘めた血の繋がりへの蟠りを一生にしたらのほんの僅かな時ではあるが、私の前で吐露していた・・・・ イチゴ【花言葉】幸せな家庭私の父方の伯母は子供が授からなかった為に伯父の従弟にあたる男の子を養子に迎えた。生前、伯母がひと言だけ漏らした言葉が耳に残っている。 「自分の産んだ子供なら叱ることもできただろうけれどね、 姑(養子には実の叔母)のいる前で、叱れなかった」姑と夫の血縁であっても血の繋がりの無い伯母には気兼ねしてしまうものがあったのだろうか・・・伯母の夫は養子の名前を呼び捨てだったが、伯母はニックネームで「ちゃん付け」だった。伯母は伯父と伯父の母親と養子の四人暮らし仲の良い家族で、私と妹が遊びに行くとよくドライブや趣味の釣りなどに連れて行ってくれた。数いた親戚の中で一番マメに訪問してくれたのは伯母だった。将来出来ることなら私か妹どちらかでも養子の嫁に来てくれたらと秘かに思っていたフシもあるし、父の口からそんな話があることを聞いた記憶も薄っすらある。もしそうできてたら・・・思うことはたまにある。 ハーデンベルギア【花言葉】出会えてよかった姑から聞かされた昭和三十年代頃の話・・・若かりし頃の姑が嫁いだ先には自分の夫(次男)を含め6人の兄弟姉妹がいてその中の長女は先天性の異常で膣が無く、嫁ぐこともできない。義理の姉となった姑は、気の毒に思い当時自身に財力もあったこともあり、長女を大学病院に連れて行き、膣形成の手術を受けさせた。おかげで会社経営する男性と縁があり、結婚はできたのだけれど、当然のことだったのか子供に恵まれることは無かった。そこで姑は、義理の妹夫婦に幼い男の子を養子に迎えさせた・・・時折、その義理の妹夫婦の会社で資金繰りが悪化すると姑の懐を当てにして金銭の無心に来ることが何度かあり、盛大な姉妹喧嘩になることがあった。「穴なし小町だったのを病院に連れてって、手術させて 結婚できたのは誰のおかげだと思ってるの?!」「子供ができなかったあの人に 養子の世話までしてあげたのは私なのに!!」 激高した時、姑の義理の妹へ言葉が出ると売り言葉に買い言葉の応酬が始まる。「お義姉さんは、私達家族がどうなってもいいと思ってるんでしょ! ●●(養子の名前)を連れてきた責任だってあるでしょう!!」巻き込まれているとしか見えない双方の夫は口出しできない立場だ。(日頃から嫁の尻に敷かれている双方の夫)金の無心の為に来ている母親に、会話の中とは言え引っ張り出される息子●●も気の毒になる。過去の出来事を盾にするにしても、息子まで盾にするつもりは無かった・・・とは思いたかった。私の夫の父親の妹・・・叔母に当たるので・・・私には義理の叔母 ネリネ【花言葉】幸せな思い出この歳になって姑の気持ちを思えば一人息子と駆け落ちした挙句に、ふたりで勝手に籍まで入れて子供まで身籠った女を嫁として家に迎えるのは相当な心持であったろうと自分の冒したこと故に後悔も同情も山程ある。「嫁に来て欲しくなかったタイプの女を息子が勝手に嫁にしてしまった」ので、姑は「息子の嫁らしく教育したかった」のに、私は「根本的に出来が良くない女」だったので、「思う様にならない姑が年中キレていた・・・」と、いうのが私が嫁いでの数年間であった。結婚早々、夫の両親とホボ同居だったのも災いである。私には苦痛の日々、忍耐の日々だった。姑にとってもそうであったに違いない。別居すればいい話なのに、あえて近くにいたがるのは最愛の息子はむろん、生まれたばかりの孫がいた為であろう。家族経営の会社があったのも今思えば「諸悪の根源」だったのかもしれない。当時私は二十歳ソコソコの田舎育ちの世間知らず家事も気働きもできない、不器用女だった。自覚はあったから、自己嫌悪にもなる。姑からのDVもあって、饒舌で思い込みの激しい姑からの言葉の責苦、朝昼晩お構いなしの時間をかけての罵詈雑言、出来の悪い自分の為に、実家の両親までが悪態つかれるのも悲しかった。挙句に「子供を育てる資格なんてあんたには無い!!」「あんたじゃなくても代りになってくれる母親はいる」なんて子育てまで否定され続けたら「私なんていたら子供の為に良くないんだ」そう、思ってしまっていた。『女は三界に家無し』姑は私に言った。20歳で家出した時にもう実家には帰れない親の死に目にも会えないと覚悟していたし、だから耐えた。二人の息子を妊娠中だって、姑流の理由を付けて里帰りを我慢させられた。実家の親に縋る(すがる)のだけはダメだと自分に言い聞かせつつ、姑と一緒に居ることに心休まらず、ある時我慢の限界が来た。姑とのいざこざが原因で群馬の実家に帰ったのは結婚して六年の間に三度二度目までは夫の迎えで私が頭を下げることで戻ったけれどさすがに三度目は頑なだった。姑と一緒にいるのが嫌で嫌で、結婚した相手は姑じゃないのに夫との離婚も考え、離婚届もサインして置いて出た。(後々分かった話だが、夫はこの頃浮気の真っ最中だった。 この時離婚しとけば別の苦労は無かったろうと思ったり・・・)当初実家とは反対方向の電車に乗った時、自死まで考えていた・・・本当に苦しかったから。でも自分はこの世から離れて楽になってもこれから先の子供の心情を考えたら「子供の為に自殺だけはしてはいけない」そう思い直し、自分の親に縋る(すがる)ことを選んだ。夫が迎えに来ても帰るのを拒否すると、数日して姑が直々に実家に来た。(2度目までは夫に説得され、姑に頭を下げ戻っていた)そして泣きながら訴えてきた。「子供達から母親であるあなたを引き離してはダメなの。 私はそんな悲しい母親を二人もつくっちゃいけないの」最初は何を言ってるのか理解できなかった。散々、私が子供の母親でいることを責め立てていた本人が言う台詞とは思えなかった。「この話は墓場までもっていくつもりだったけど あなたに戻って来て欲しいから言うの。 私の息子の●●は私が産んだ子供じゃないの!!」夫●●は姑の実の子供ではなく養子だという。(戸籍上は実子となっていたし、よく似た容姿でそんな疑いすら起きず 夫も私が離婚騒ぎを起こさなければ知らなかった)「実母から、育てたくても育てることができない●●を託された以上 彼女に代わって母親になった以上、どんな辛いことがあっても 私には死ぬ自由は無いと思って生きてきた」(姑は若かりし頃、色々あって舅との離婚と再婚を経験している)「●●にもこのことは話して、 私はあなた達と別に暮らすからあなたは戻って来て」 (結局・・・姑は嘘つきで、亡くなる寸前まで別居もせず 肝心の夫にも出生の詳細は話すことなく交通事故で他界した)私が起こした家出騒ぎで姑に夫●●の出生の秘密を告白することを決意させてしまった。そんな大事な話を肝心の夫より前にされ、私は離婚することを断念したのと同時に「息子達を姑らに委ねてはいけない」と、思った「親子関係に血の繋がりは関係無い」俗に言うし、確かにそうなのかもしれない。深い愛情、通い合う心は血の繋がりにも勝るのであろう。そうは思っていてもいざとなったら血の繋がりを自ら断ってはいけないと思ったのはこの時だった。 ブーゲンビレア【花言葉】秘められた思い産んだというだけで母にはなれたけれど私は母親にはなれていたのだろうか?この歳になって今更、まだまだ、もっと、なんて思うことが多い。私はできそこないの母親で、姑が言った様に、本当に子育できない女だったのかもしれない。(そうは言っても満足の行く子育てなんて確信もってできるものじゃない)子供達に巣立ちの準備どころか、させ方さえ分からないまま。子供の足を引っ張るだけの親だった頃が疎ましい。父親が父親の役目を成していなかった分、私ができる限りのことをするべきだった。血の繋がりは妥協や甘えになり、ともすれば私物の様に我が子を扱うことになり兼ねない。私は自分自身、子供に甘えさせて貰っていた感さえある。挙句、今更ながら我が息子に親とはどうあるものか教えられ、考えさせられている場面もあったりする。親を忠実に評価できるのは子供なんだろうなぁ・・・(『親の子育て通信簿』なんてのを見つけた)おそらくこのまま行けば我が息子らは結婚もせず、親としての本当の喜びや大変さは実感できないまま、いつまでも私の子供のままで居続けることになってしまう。(嫁を貰って欲しい、孫の顔が見たいなんて私は更々思っていない)それは親の不出来が一因なのかもしれない。ただ、親として私が今言い切るのは、「自分の人生は自分の為に使った方が良い。」最近の長男が言い切るのは「残りの人生、結婚相手や子供の為の ATMにはなる気は無い。 自分のやりたいことをやる!」(長男も私も異性には苦労をかけられたので思うことでもある)
2025年06月22日

愛車とのお別れが決まり、次の車が来るまで代車が無く、仕方なく歩きとバス、電車を使って出勤することにした。夜勤労働者の私は車での出勤時間は夕方。しかしせっかちな性分と、昼の町なかがもの珍しいのもあって昼の3時過ぎには家を出ていた。上手くバス、電車、バスと乗り継げば勤め先にはほぼ徒歩することなく辿り着く。しかし、気分屋で人混みは不慣れで苦手なので極力歩く。行き帰りで多い時は約2時間。少なくて1時間程う~ん!いい運動だっしかし、甘かった・・・ただ歩くだけならまだしも6月梅雨入り前後の暑さはひと昔前のそれとは違っている。弁当を買って、勤め先の休憩室でゆっくり食べようと試みるが、このクソ暑さで歩いている途中に傷んでしまうんじゃないかと悩む。で思いついた始業時間まで全然余裕もあるので悩むくらいなら早めに食べちゃおう住宅街の中にあって、マンションの日陰で、爽やかな風が通り抜ける、人通りも少なく、ベンチが2つ、手洗いできる水道まで付いて、遊具も使用禁止になってて、暑さで子供も遊びに来ない、絶好の小さな公園を見つけた早速、デパ地下で購入した弁当を広げる♪ 『ねり伝』の今時なかなか遭遇しないワンコイン弁当♪ねりもの大好き、雑穀米大好き、揚げ物大好き、肉もの苦手なのもあってこういうのが嬉し~い野菜感アリアリでゴボウと人参、枝豆とひじきの入った練り物メインの「オクラ蓮根カツ」はオクラのねばねば感と蓮根のシャキッと感がねりっと合わさってカリッと衣で包まれて、歯ごたえをたのしみつつ仕上げにタラッとかかる甘酢っぱくやさしい味わいのタレに素晴らしくいい仕事をさせている。量的には女性向きにできていて、美味しいので駅の地下で色々ある弁当の中で一番気に入ってしまって徒歩通勤中、2日連続×2=4回食べてしまう 駅を出るとコンビニの陰に何やら店がある。「おっ!!パン屋が隠れてるじゃないの♪」駅近くでパン屋さんなんて嬉しいこと。2度ほど入ってみた。いまだに『雅藤(ガトウ』のクロワッサンダマンドの右に出るモノはないけれどフランボワーズソースが入ったのは食べたことが無いので手を伸ばす・・美味しいけれど夜勤前の私にはおやつなんだなぁ、パンて (REBELLBE(リベルベ)のクロワッサンダマンド) ちょいと贅沢にも見えたけどワンコインじゃないけど意外と安い♪鮮魚専門店「吉川水産」が運営するお魚惣菜の店「魚武」の弁当だけど、最近食べていないものに魅力を感じてしまう。スルメイカ・・・豊漁で1杯100円で食べた頃が懐かしい。ホタテはこんな時期だからちょいとしょっぱめでね。日頃、息子達に作ってばかりなので、こういう時他人が作ったものは美味しく感じるモノよ。 駅前の交差点脇でキッチンカーで売ってる!この暑いのに!!キッチンカーの中で焼いてる!!大判焼き、小判焼き、太鼓焼き、今川焼・・・どれでもない銭焼き今迄になくちっさい割には見た目は小判。思わず駆け寄って「3個下さい♪」ホントは5~6個と行きたかったけど我慢我慢暑いのに、熱いのに!!頑張っている人見たら10個だって良かったくらい、帰り道ならね中身は皮が薄くてアンコが十両級に入って100円だなんてアンコ大好き人間には至福のひと時。 毎日、ひとりで人目も気にせず公園での外弁当はけっこうお気に入りとなった。次の車が納車されたらできないであろう、こんな日々。
2025年06月21日
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