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今あたし、すっごぉ~~~い解放感義父母が北海道旅行のため、木曜日までダーリンと娘との3人だけの生活になるげん私たちだけになるのって、21年の結婚生活の中で初めての経験ながや今までは、義祖母(3年前93歳で死去)・義祖父(今年8月95歳で死去)がいたので、お義母さんが留守だとおじいちゃんたちのお世話で、余計忙しかってん義祖父の認知症がひどくなってきた2年ほど前からは、お友達と食事に行くくらいはあっても、泊りがけのお出かけはしなくなっていたお義母さん。オムツ替えなんかは2人がかりやったしね。ショートステイは頑として受けつけなかったじいちゃんやったし・・・義父母にしても、本当に何年かぶりの泊りがけの旅行ねん同居生活自体に別に何の不満があるわけではないけれど、昨日義父母を見送ったあとの、この何とも言えない解放感って今まで味わったことがない感覚~昨日、「笑っていいとも」(大じいさまが嫌いな番組なので見られなかった)を見ながら、あまりものの昼食を1人で食べてるとき・・・あぁ~幸せって感じてしまったわ昼食も毎日義父母と一緒だからね。別にTVはもう付けててもいいと思うんだけど、準備とか後片付けとかしてたら結局見られないし(笑)昨日の夜はPTA役員選考委員会(着々と進行中)のため学校へ行かなければならず、娘に「お父さんが帰ってくるまで1人だけやよ~」と言うと、1度夜遅くまで1人きりの体験がしたかった娘は「ラッキー」と嬉しそう。 だがここで母娘は気付いてしまう。 母が夜出かけることを知ったら 超心配症(娘に対してのみ)の父は 即効で帰ってくるだろうということを(笑) そして予想どうり、というか予想以上に早く 私が出かける前にダーリンはいそいそと帰ってきたのでありました(笑)娘に「お父さん、私1人で大丈夫やし、無理して早く来なくていいがにぃ~」と言われ、何かを感じたのか「早く来ない方が良かったんか・・・」としょんぼり「夜遅い時間に1人っきりになったことなかったし、ちょっとなってみたかっただけや」と優しい娘はフォローしてましたけど(笑) ダーリンはこれからそういうこと(夜1人だけの時)もあるやろうけど、 その時はちゃんと鍵をかけて、 誰か来ても開けてはいけないとか、 声をちゃんと確認しろとか、 うるさい、うるさい。 娘には 「もう、そんなに心配やったら早く来ていいから」と最後に言われてました(爆)結局昨日の夜は、部屋にこもることもなく(ってことは勉強もせず)、茶の間でダーリンと娘2人っきりの濃厚な貴重な時間を過ごしたようです。帰ってきたらごきげんなダーリンが迎えてくれました(笑)「風呂ぬるくなったし、炊いてやる(うちは薪のお風呂)からすぐ入るまっし」やて。どんだけ機嫌いいげんて。ありがたくすぐお風呂に入らせていただきました。ありがとね~そして今日の夕食は近所のお寿司やさん(もちろん回るとこ)に外食だぁ~息子がいる間にこの体験が出来なかったのが残念ではあるけれど、滅多にできない(今からはそうでもないかな?)外食楽しんできます
2007年10月23日
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娘の中学は今年、道徳教育の「文部科学省指定校」となっとるげん。そして11月2日(金)に研究発表会が行われます昨年大荒れだった(笑)この学校で、道徳教育の発表と心配してんけど、前任の校長がこういう時だからこそ、こういう学校だったからこそ、やるんやとはりきって指定校を受諾したらしく・・・ それなのに、あんなにはりきっていた校長は異動してもーたなにはともあれ、11月に研究発表をしなければいけないことは変わりなく、現在先生方はその準備で大忙しのご様子ねん。PTA役員も、もちろんお手伝いをします。昨日の実行委員会では、役員選考会(この話はまた後日)の前に、この日のお手伝いをお願いしたがやけどぉ・・・ 25名(うち欠席者8名)の中で、当日手伝ってくれる人たったの3名 仕事の都合を見てから返事してくれる方が2名。 この2人を入れても、5人しか助っ人を確保できませんでした 欠席者にもお願いしてみるけど、 欠席が常連の方がほとんど(泣)やし期待できんげん。 平日なので、無理させるわけにはいかんがやけど(全員仕事してる) もうちょっと委員の中でなんとかなるかな、と思っていたあてが大ハズレ。 1番うぅ~んと思うのが昨日になって欠席を言ってきたもう1人の女性副会長。 夜の役員会には顔を出すものの(発言は一切なし) PTA行事には仕事が休めないとの理由で、1度も参加したことがない。 (運動会は有給を使い来ていたようだが、本部席には来なかった) もちろん懇親会もことごとくパス。 まぁ、コレは強制的なものじゃないし非難するつもりはないし、 飲み会が嫌いな人がいることも理解してるし否定するわけじゃないけど、 ここまで非協力的やと、つい思ってしまう。 「なんで立候補したん」 無理やり役員を押しつけたわけじゃないげんぞぉ。 仕事持ってんのはみんな一緒やぞぉ。 今回の研究発表会にいたっては、この学校の一大行事なので、 役員決定した時から「平日ではあるけれど、この日だけは空けておいて」って あれほどお願いしてたがにぃ・・・ まぁ、いつもの流れからして「出られません」って言い出しそうとは思っとったけど。 逆にいつも出ないからこの1番大事な日だけは出てくれるのではと思ったり。 それでも役員会に出席するだけでもいいと思わんといかんかねぇ?今週末には学級委員の集まりがあるので、学級委員さんたちにも協力をお願いするつもり。少しでも集まってくれるといいんだけどなぁ~。その日に備えて各学級(1年は学年全体)では、これまでに2度道徳教育の授業をしました。当日は3度目の授業をし、その後研究発表・パネルディスカッション・・・と続きます。その2度目の1年生の授業にゲストとしておじゃましてきました(これはPTA役員としてではなく、地区のおばちゃんボランティアとしてです)資料の朗読をするんですが、この時の授業のテーマはせつなくてちょっとつらいお話でした。(実際にあったお話です) 京都山岳隊の29歳独身の女性隊員が、 中国のボゴダ峰という山の登頂をめざしていた途中、 クレバスに落ちてしまいます。 救助隊が到着し声をかけると生存が確認され、 そこから何時間もかけて救出作業をするのですが、 どうしても助けることができません。 声がするのに助けられないのです。 でも、このまま作業を行えば救助隊の命も危ないのです。 苦悩している隊長の耳にクレバスの下から女性隊員の叫びが届きます。 「私はここで死ぬからぁ~。みんなには奥さんも子どももいるんだからぁ~。 無理しないでぇ~。もういいよぉ~」 さて、あなたが隊長ならどうしますか?私の朗読(実際はもっと長いお話になってます)のあと、生徒たちが自分だったらどんな決断をするか・・・という意見交換がはじまって、興味深く聞かせていただきました。何時間かかっても救出すべきだという意見と、二次災害を防ぐためあきらめるべきという意見がちょうど半々のようでした。1時間しかなかったこともあって、なかなか活発なやりとりというわけにはいかなかったけれど、これをふまえて、本番(3回目の授業)ではもう少し元気な生徒を見ていただきたいなぁ。ギャラリーが多いと萎縮しちゃうかもしれないのが心配だけど。本番でのテーマはまた別のもので、まだ資料には目を通していないけれど、私も朗読係(?)で参加します
2007年10月17日
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私の書きこみに対して、みなさんからあたたかいお言葉をいただき感謝です。こうやって、私が落ちこんでるとそっと支えてくださるみなさんがいてくれると思うと、勇気が沸いて来ます。本当にどうもありがとう。もうすっかりパワーをいただいて、復活した私ですが、反省も込めて続きを書いておきます。 保険会社から相手が怒っていることを聞き、 急いで電話した私はまったく別人のようなお母さんの対応に 打ちのめされてしまいました。 正直、ここまで罵倒されるのは初めての体験だったかもしれません。 連休中で保険会社と連絡がとれないため、 休み空けに必ず連絡することをご主人に伝えた (責任のがれをするつもりではなかった)ということを言っても 完全に頭にきている様子のお母さんには解ってもらえず、 子どもが怪我している(手首がものすごく腫れたらしい)のに、 様子を伺う電話もないというのが信じられない・・・とおっしゃって。 「もう一度今から病院へ行って、診断書もらってくるから」 (人身事故にするから) という言葉に「どうぞ、お気の済むようになさってください。申し訳ありませんでした」 というしかありませんでした。とにかく、電話口で必死で謝り、今すぐ伺うことができないので夜あいさつに行くことを承諾してもらい(ここでも来なくていいと言われた。そんなつもりではないと)、長い電話を切りました。この時の嫌な、嫌な、つらい気持ちをどう伝えればいいのかわかりません。ただ、自分の甘さに自分で情けなく、すぐ行動を起こしておかなかった後悔でいっぱいになり、なんとも言えない気持ちでした。しかし、ここがまた人間の気持ちの難しいところで・・・ 確かに多いに反省しているはずの自分の気持ちとはまた別に ここまで言われなきゃいけないのか? というモヤモヤした気持ちが生まれてきたんです。 この電話でお母さんに一方的に怒られるまで、 私は心底反省していました。 どんな状況にしろ私の車に当たって痛い思いをしたのは被害者の方です。 私は完全な加害者であって、言い訳なんて出来ないって思ってました。 本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 それが 自分が攻撃されると違う気持ちが出てくるんですね。 今になって文句を言うならなぜ最初から言わないの? 最初に病院へ行った時、心配いらないって何故言ったの? そもそもなぜ態度がまったく変わってしまうの? 事故現場だって、一旦停止しなきゃいけないのはそっちじゃん。 しかも2人乗りだし。気持ちって複雑なもんですね・・・・冷静になった今振り帰ると本当に不思議な感じがします。あんなに心から申し訳ないと思っていた自分が、相手の態度で自分の気持ちも変わるなんて。さて夜訪問することを約束していた私は、手土産を持ってあいさつに向かいました。この時はさすがにモヤモヤ感よりも、許してもらえなくてもとにかく謝ろうという気持ちでした。許してもらえるなら土下座したっていいくらいの気持ちでした。ピンポン押すときなんか心臓バクバク。久々の緊張感でしたよ。 玄関に現れたお母さんは・・・・・なんと、以前のお母さんに戻っていたんです。 とてもにこやかに応対してくれて、「わざわざすいません」なんて拍子抜けしそうでした。 いやいや、ここでまた失敗してはいけないと、もうひたすら謝りました。 すると、「病院の先生に診断書書くほどじゃないって言われたんで、もう大丈夫です」 とおっしゃいます。 どうも、医師が説得してくださったようです。 娘さんにも来てもらって、目の前で謝罪したけれど、 お母さんの言われるほどの大きな腫れは私には確認できませんでした。 下のお子さんとそれはそれは元気よく走りまわってました。 子どもさんの怪我がまったくたいしたことなかったことで、安心されたのかもしれませが、あの電話の様子からしてどんなことを言われるのかとビクビクしていたので、本当にホッとしました。多分事故のあと、私がすぐにあやまりに家まで出向いていたなら、こんなにお母さんの気持ちを逆立てるようなことはなかったのでしょう。その後の電話でも、体の異常は2人ともまったくなく大丈夫とのことで一安心しているところです。先日PTAの講演で、苦しいことがあるということは、自分を見つめるチャンスなんだということを教えていただきました。問題が出るというのは学ぶことなのだと・・・。今回のことで、いろんなことを学んだように思います。自分を反省することもできたし、「言葉」って大切だし難しいしってことも判りました。そしてみなさんのあったかい気持ちに触れることもできました。でも、もうこんな気持ちになるのは絶対、絶対嫌だぁ~っ!安全運転に今まで以上に心がけます。みなさんもね! ・・・・・と、家族にも言ってたのに、 大じいさんの四十九日で帰ってきてた息子ってば、 いきなり車庫で車ぶつけて、 ブレーキランプのカバーに穴あけてしもうたげぇ~ん(涙) ウチの車庫でよかったけどね。
2007年10月10日
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なかなか更新できないでおりました。事故後、気分的にすっかり落ちておりまして・・・途中まで書いてても、うまく自分の気持ちを表現できずリセットしたり、生活が忙しかったこともあるけれど、ここしばらくはを開くこともなくて、みなさんの所へも遊びに行けませんでした。この事故で、いかに自分がいいかげんな甘い人間であったか、そして人の気持ちというものがいかに複雑で難しいものなのかを知りました。 ブログでも書いたように、事故相手の親子の怪我もたいしたことなく、 (子どもはすぐ遊びに行って警察が来たときはもういなかった) 当初は相手のお母さんも、飛び出してきたことに「すいません」と 私にあやまっていたし、車の損傷(ほとんどなし)なども気にしてくれてたし、 警察にも「これくらいなら病院へは行きません」とはっきり言ってたので、 その場では警察も「人身事故にはなりません」とのことでした。 もちろん、優先道路を走行中とはいえ、ぶつかったのは私だし、 痛い思いをさせてしまったのだから、もうそれは心底申し訳なく思い、 心から謝りました。 あとであらためておわびに・・・と言うと 「全然たいしたことないのだし、日中はほとんど留守にしてるので気にしないで」 というお母さんの言葉を、素直なおバカな私は間に受けてしまったのです。 (後で考えると夜ならいるということだったのかも) 「では、もし後で何かありましたら遠慮なく連絡してください」 との私の言葉に、もう1度「本当にすいませんでした」とあやまってくれました。 そんなやりとりだったので、 次の日の朝にでも電話して体の具合を聞こう・・・と簡単に思ってしまいました。 結局、事故当日の夕方になって子どもさんが手首痛いと言い出し、 病院へ連れていきました、との連絡がその日のうちに相手からありました。 その電話の時も「たいしたことないと思うんだけど、念のため検査してもらったけど、 異常ないので大丈夫でした」ということだったんです。 だから、私も安心してしまいました。 すぐ保険会社に連絡したのだけれど、あいにく3連休の初日で、 連休すぎでないと、対処してくれないということだったので、 「保険会社にお任せすることになったので連休があけるまでまってください」 という連絡を相手方にすると、お母さんはいなくてだんなさんに伝えたんです。 ここで、私の「保険会社にお任せした」という言い方が悪かったのかもしれません。 私はあくまでも、医療費などの心配はいらないですよ・・・と言いたかったのだけど、 あちらにしてみれば、保険会社に任せたから関係ないと私が思っているように とられたのかも。 そして、直接お母さんとお話できなかったのもよくなかったようです。 だんなさんに伝えたからいいか・・・と、またまた甘い私は思ってしまって。 ただ、だんなさんの方も「すいませんでしたねぇ」と言ってくれてたし、 まさか保険会社を通じて文句言われるなんて、 この時点ではまったく思ってなかったのです。 あぁ~・・・本当におろかな私です連休がすぎてすぐ保険会社の担当の方から電話が入りました。それが暗い声で「実は相手の方がえらい怒っておいでまして・・・誠意がないと・・・」アホな私は、まったく意味がわかりませんでした。保険会社の担当の方の話を聞くと、子どもへのあやまりがなかった(やっぱりすぐ手土産持って家に行くべきでした)連休中、電話連絡がなかった(だんなさんにしているので、それでいいと思ってしまった)ことで、相当怒っているらしく、診断書書いてもらって人身事故にします・・・と言ってるから、すぐにでもとりあえず謝ってもらえますか?とのことでした。ひぇぇぇ~っっっとにかくすぐ電話をかけたのだけど・・・・これが同一人物とは思えない怖いお母さんの声が受話器から聞こえてきたんです。 おっと、もうこんな時間かぁ。夕食のしたくたなきゃ。まだまだこの話には時間がかかりそうなので、また明日にでも続きを書きます。明るい話題じゃないので、1度に書いてしまいたかったのだけれど・・・・
2007年10月08日
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はじめて事故ってしまいました。お子さんを後ろに乗せた若いお母さんの自転車とぶつかってしまったんです徐行運転中(狭い道なので)、左から来た車に気をとられ、右から来た自転車に気付くのが遅れてしまいました。こちらが優先道路なのに、車が見えたのでちょっとブレーキかけてしまったんです。それがいけなかったみたいで、自転車のお母さんは私が止まったように見えたらしく、停止線があったのにもかかわらず、そのまま道に出てきてしまって私の車にぶつかって倒れてしまいました。もちろん自転車が見えてあわててブレーキかけたけど、もう間に合わず・・・自転車がぶつかった時の感触と、倒れている親子を見た時の気持ちをどう表現したらいいんでしょう。もう、頭の中真っ白状態で「うわぁ~っ、どうしよ、どうしよ」ってすっかりパニクッてましたとりあえず、自転車を起こし子どもさんを抱き上げ、道路わきに来てもらって、私の車も邪魔にならないところに移動させて怪我がないか確認。幸いたいしたことなさそうです・・・。でもまず警察に連絡しなきゃ、と電話しました。「110番」にかけるなんて初めての経験。ドキドキしちゃったよぉ~(泣)パトカーが到着するまでに、お母さんと子どもさんもたいした怪我じゃないこともあり、少しずつ冷静さを取り戻し、お互いの連絡先を交換したり、子どもさんの方はすぐ近くのお友達の家に遊びに行ってしまいました。(そこへ行く途中だったようです)おまわりさんが来てから、まず調書を取られてそこで卒業した自動車学校まで聞かれたのにはびっくりどこの学校の出身者が事故が多いか統計を出すんだって。そのうち事故処理の別のおまわりさんがいらして、そこからが長かったぁ~っ。同じ質問を何度も何度するのは何故なんだろうだから横から来た車に気をとられ、自転車に気付くのが遅れたって何度も言ってるやん。自転車の方は、私の車が止まったように見えたからそのまま出たって、それも何回も説明されてるのに、確認のためなのか何度も念を押されてるみたいだった。 よく交通事故現場を通る時があったけど、 まさか自分が当事者になるなんて。 それにしてもみんなジロジロ見ていくもんなんやね。 普段なら注目の的になるのが好きな私やけど、 こんな風な注目のされ方はいやだよぉ~っ。 で、その時点ではお母さんの方はひざを軽く打っただけなので病院には行きませんってことだったので、警察もこの程度なら人身事故にはならないでしょう。ということで終わったのです。自転車のお母さんの方も、一旦停止しなければいけなかったのに、出てしまって申し訳ありませんでしたってあやまってくれて。もちろん、私は平謝りです!軽傷でも痛い思いさせたの私だし、早く気付けてたらちゃんと止まれてたはずだし。そんな感じだったので、このまま何もなく大丈夫かなと思ってたんだけど、結局その後子どもさんの方が手首痛いと言い出し、病院に行って診察を受けたと連絡が入りました。どきっとしたんだけど、軽い捻挫らしく心配いらないという診断だったようです。それで、保険やさんにお任せすることにしました。その程度なら自賠責で済むだろうということですが、どうなるかなぁ。こじれることはないと思うのですが・・・ 実はこの日の朝、免許の試験に行く息子を免許センターに送っていき、 その車中で「横から飛び出てくることもあるから気ぃつけよ」って 助手席の息子に言われててん。 自分が運転するようになったらうるさいなぁ~ なんてブツブツ言ってたけど、 まさかあれが天の声だとはね。 息子の話を素直にちゃんと聞くべきでありました。 多いに反省しとります。 ちなみに息子はこの日めでたく合格しました初めての事故で落ちこみましたが、これも1つの教訓としましょう。みなさんも、くれぐれも運転には注意してね
2007年09月23日
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忙しい、忙しいぞぉ~っっっ。あたふた、あたふたしてる間に、どんどん日が過ぎていき・・・なかなかみなさんのところにおじゃまできずごめんなさい。ゆっくりの前に座ることができないでいます少しずつ時間みつけては伺いますね コシヒカリの稲刈が始まり、17日(祝)は1日田んぼ仕事しとってん。疲れたぁ~我が家(この辺りの農家はほとんど)は、刈ったお米をライスセンターに運んでそこで処理してもらうんやけど、ここのバイトがかなりいいげんて。時給は結構当たるし、弁当付きやし・・・ってんで、毎年大学生たちがやってくるこれがなかなかカッコいいあんちゃんたちばっかりでしてイケメンが好物な私には、ライスセンターへ行くのがちょっとした楽しみだったりする。しか~し受け付けのネエちゃんが好かん態度がよくないげん。 最初にカードを提示するがやけど、 「おねがいします」と出してもこちらに目もくれず、 隣のもう1人のネエちゃんとぺちゃくちゃおしゃべりしながら 手だけ差し出して受けとるし、 伝票をこちらに渡すときもこちらを見ず、 あいかわらずしゃべりながら渡してくるげん。 なんなんじゃぁ~、この態度 「おつかれさま」の一言もないんかい いや、言葉に出さなくてもせめてこちらにを向けるやろが、普通。 いくらバイトだからって、 単純作業で簡単な仕事だからって、 やってきた人(私)に声かけもしないで、 自分たちの私語で盛りあがっててええんかい これまでの人は(おばちゃんの時もあるし、女子学生や男子学生の時も) みんな愛想良かったし、 「ごくろうさまですぅ」「ありがとう~」「今日は暑いから作業大変ですね」 「風があるしそうでもないよ」・・・などなどいろいろ話なんかもできたのに。なんか気分悪かったし、でっかい声でわざわざ「ありがとっ!」って言ってやった。さすがに気付いたみたいやけど、ネエちゃんは あっどうも(声はなし)って感じで、ぺコリとしただけ。そしてなんなん?このおばちゃん・・・って怪訝そうな顔してた。綺麗な顔してんのに、あいさつもできん子はおばちゃんは嫌いです次の日は持病の定期検診の日やってん。どういうわけか、いつも以上の混雑ぶり。この様子やと予約時間はあってないようなもの・・・と覚悟を決められるのは、もう20年来お世話になっている常連だからのようで、患者さんの中にはあきらかに苛立っている人が見られます。ついに1人の中年男性が怒鳴り始めた「こりゃぁ~っ、何時間待たせりゃいいがいや」 ひ・ひょえ~っ、怖いよぉするとすかさず受け付けの女性が飛んできてん。 その女性は「申し訳ありません」とまず頭を下げ、 担当医師が急変した患者の病室へ行ったため、 診察がストップしていることを告げ、 検査結果の順番で診察の順番も変わることもあり得る説明を 懇切丁寧に言ってきかせ、 最後にもう一度深々と頭を下げて謝っていた。 しかも、にこやかに さすがの中年男性も、 かわいい若い女性にこんな風に言われたら、 それ以上文句言えるはずもなく、 だんだん声のトーンも落ちついてきて・・・見事その場を丸くおさめた受け付け嬢これぞプロすごい気持ちのいいもの見せてもらったよ多分いろんな患者さんもいる中で毎日を過ごし、こういった時もオロオロにならずに対処する術を学んでいたんやろね。余裕が感じられたもん。稲刈の時に出会ったあのおネエちゃんと、病院の受け付け嬢。多分そんなに年齢は違わないだろうに、この違いはどっから来るんやろか・・・。仕事の取り組み方が違うと言えばそれまでやけど。 んふふ昨日も勝っちゃった一時は「夢」かと思われた優勝が確かに近づいてきてます・・・よね
2007年09月19日
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昨日仕事を終えて帰ってくると、「アベさんやめてんてぇ~」と息子。それを聞き娘も「学校でもみんなびっくりしとった。パソコンルームでニュース見てん」 アベさんって誰?(アベで最初に頭に浮かんだのが巨人のアベでした)なんのことかさっぱり・・・アベさん=首相の安倍さんだとわかるまでに時間かかりました。えぇぇ~っこのタイミングで辞めるのぉ~っなんだか悶々としてると、今晩も広島に負けてるとの報告が入り(放映がなかったのでインターネットで息子が調べた)ずぅぅぅ~んと落ちこみ今年は何故か広島に弱いなんでぇ~結局この日も負けました救いは中日・巨人が揃って負けてくれたこと。 さ、嫌な話はこれだけにして、楽しかった中学校の運動会のこと書こう~っと9月8日(土)前日の雨でグランドがちょっとぬかるんだ状態で運動会は始まりました私はPTA役員なので本部テント席で楽々観ることができますこれくらいの役得がないとねぇ娘の学校では1学年4クラスずつなので、その縦割りで赤・青・黄・緑の4つの団のチーム分けをします。娘は黄団。やった!タイガースカラーだ(笑)この学校の運動会で1つの目玉と言える種目が3年生女子による「担任の着せ替え」競技。毎年3年生の女子が、各クラスの担任をいろんなキャラクターに変身させるげん。だから3年の担任になったとき最初に思うのは「自分は何にされるんだろう?」という心配なんだとか・・・2人1組になって、1つずつ衣装や小道具(生徒の手作り)を座ってる担任まで持っていき、着せたりつけたりしてどのチームが1番早く変身できるか競うもので、生徒はもちろん、保護者も(特に3年の)楽しみにしている競技ねん。さてさて、今年はどんなキャラクターが登場するがやろ実は決まる前に我が家では娘の担任には絶対コレってのがあって、旬だしいいよね~と盛りあがってたんやけど、見事にその思いは他のクラスメートも同じだったようで、即決定したみたいその名はジャック・スパロウそう、パイレーツオブカリビアンでジョニ-ディップ演じるジャックながやもう絶対コレ以外ないってほどはまっとるぅ~っ 前日に終礼が終わってから女子だけが残り、先生に試着させたんだそうな。 それがもう最高らしく、帰って来るなり興奮ぎみに報告する娘(笑) 娘によると服は裁縫が得意な子が、Yシャツにシーツを付けたし ヒラヒラさせて、それなりに作ってきたらしい。 バンダナは赤いのをそのまま付けて、ブーツは先生の個人持ち。 ひげも自前(決まってからひげそったらダメとの女子からのお達しがあってんて) どっから見てもジャック・スパロウ 教室は女の子たちのきゃ~っという黄色い歓声に包まれたんだと(笑)その報告を聞いてるから、運動会が楽しみで楽しみで仕上がるまでなんのキャラクターかは知らされません。(3年に子どもがいる親は知ってるけど)だんだんと、そのキャラクターになっていくたび場内がどよめいてきます(笑)うわぁ~っっっ もう想像以上の出来の ジャックがぁ~っ先生かっこいいですぅ~まわりのお母様方のをくぎづけにしてましたちなみに後の先生方は「リトルチキン」「シンデレラの魔法使い」「ミニ-ちゃん」で、どうやらディズニーで統一したみたい。この中で女性の先生は魔法使いだけです(笑)ミニ-ちゃんに扮した先生は、黒いタイツをはいてミニスカートはいて・・・・怖いことにノリノリ(爆)競技を終えて、そのカッコのまま本部席に来たので「先生かっこいい」と目をハートにして言いました。ミニ-ちゃんには「先生、気持ち悪い」と愛をこめて(笑)後で担任に聞くと、ブーツは20代の時のもので細いから、一度履くとなかなか脱げないんやて(笑)そして服をまじまじと見せてもらったがやけど、本当にうまく出来てる。他の先生たちも、みんなそれぞれ工夫されてます。すごいぞ、女子たち。みんなでよくがんばりました(でも、ミニ-はどうなん?ひよっとして先生からのリクエスト?(笑))そうそう、かんじんの競争は娘たちのクラスの勝利でした。先生の仕上がりも絶対、絶対娘のクラスの圧倒的勝利・・・って、先生でもう差がついてるミニ-ちゃんの先生は「ジャック、側に寄るな~。差がつきすぎるぅ~」と叫んでるし。周囲の先生方も納得のご様子(笑)「ここまで似てんのは反則だわ」とは魔法使いの先生の意見でした。もう1つ盛りあがるのは各団の応援合戦。この時が1番ギャラリーが多くなります。団長を中心に、応援歌(ヒット曲の替え歌)に乗せて踊ったり、ピラミッド作ったり。今年は4人の団長のうち、なんと3人が女子昨今の女性の強さを物語っているようで。女子が学ラン着たり、男子がセーラー服着たり(入っちゃうのがすごい。しかもかわいかったりする)みんな熱演でしたラストを飾るのはやっぱりリレー。各クラスから代表男女各3名ずつで走ります。これは本当に盛りあがるよね~たとえ我が子が出てなくても(笑)下馬評では3年だけなら黄団有利とか。あとは1.2年の実力がどうなのか・・・。それが、みんな速くて第一走者からアンカーまで1度も抜かれることなくダントツで黄団がテープを切ったのでしたこのリレーの採点が大きかったのか、娘の黄団がめでたく優勝。運動がまったくダメな娘が活躍することはなかったけれど(笑)最後の運動会がいい形で終われて良かったです。 全部済んでから3年だけアルバム用の写真を撮るんやけど、先生方ったら、もう一度わざわざさっきのキャラクターに着替えて登場1番ノリノリはミニ-ちゃんであることは言うまでもありません(笑)この日の夕食タイムは、運動会ネタで大いに盛りあがった我が家でありました。
2007年09月13日
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書きたいことがあるのになかなか時間がとれない・・・ってのもつらいもんですなぁ木曜に「ゆめみずほ」という品種の稲刈を朝から晩まで行って、もうぐったりこれでも、私がお嫁に来たころに比べるとずっと楽にはなっとるがやけど、百姓仕事はさすがに身体にこたえますで、金曜はやっぱりパソコン開く元気なかったげぇ~ん。仕事が始まるまでは休んでました。土曜は中学の運動会。(このことも書きたい!)日曜は午後からダーリンが占領することわかってたので、午前中が勝負と思いきや、なんとメンテナンスとやらでできずがっくり それでも阪神が巨人に3連勝したのが嬉しくて、 昨日の夜中ちょこっと書きましたが。というわけで、すっかり遅れましたがこの前の続きを・・・分科会の後、私たち4人は京都に豆乳ソフトを食べにいき(笑)、カラオケで沢田知可子を歌い、すっかり気分よく石川県から参加した方々との懇親会会場へ向ったのでありました。ホテルからすぐの居酒屋で総勢35名程の大宴会いやはや、さすがにこういう所へやってくる方々は一味違います強烈なキャラクターのオンパレード私たち4人なんて圧倒されっぱなし。なんなんだ、この人たちのテンションは この日個性派NO1のK氏は地元では知る人ぞ知る有名な和菓子さんの社長。 シモネタ満載ねんけど、これが全然いやらしくないっ(笑) アルコールは苦手ならしく、そんなにお酒が入っていなくてこの盛りあがり。 す・すごすぎるぞいね 笑いすぎて、もう、お腹が痛くて痛くて・・・ 久々にこんなに笑いころげてしまいました。 こんなに楽しい方とお知り合いになれただけでも来たかいがありました そしてもう1人強いキャラクターの持ち主と出会いました。 外見が「街で見かけたら誰もがビビってしまうソレ系」のSちゃんは なんと私の高校の後輩(2級下)だったことが判明 学校のこととか先生のこととか、めちゃローカル話で盛りあがったのはいいけれど 私のことを先輩と判るやいなや「アネさん」と慕ってくるのはやめてくれ(爆) 確かに先輩・後輩の縦社会がとってもとっても厳しかった母校やけど、 「アネさんのためならなんでもやるっす」なんて、 知らない人が見たら、絶対違う世界の人と思われるって(笑) だいたいそのカッコで分科会の会場に入れたのが不思議(笑) (その時はネクタイしていったらしいけど、顔が顔やし) もしかして、PTAの行事なんか他の保護者を脅して集めとるんやないやろね だけど子どもたちのこと、学校のことになると、とっても熱く語るSちゃん。 こういう濃ゆい役員のいる学校ってどんなんやろ・・・ ちょっと興味あるなぁ。 活発に活動やってそうだなぁ。 まだまだ子どもが小さい後輩よ、これからもしっかりがんばれよ 2次会はカラオケチームとキャバクラチーム(?)に分かれたもよう。 私はカラオケ(本日2度目)へ 芸達者の人が多くてこれまた楽しい時間となりました 県の役員さんたちもおられて、その方たちがみな仲良くてとってもいい雰囲気。 今年度の県PTAもいい感じ~部屋に戻ったのは、またまた次の日になっていましたとさ。(やっぱりね)25日(土)いよいよ全体会です。(やっとかいね!)大津プリンスホテル(メイン会場)、滋賀県立体育館(サブ会場)に約6000人が集まりました。それだけの人数が移動するだけあって、会場近くの道路は大渋滞。駐車場は・・。やっと少し離れた所に停めることができて、暑い中結構歩いて会場入りしました。これじゃメイン会場に入れないのでは・・・と心配したけど、近郊の方々がサブに行ってくださったのか、に入れて私が1番楽しみにしていた青島先生も生で見られました(笑)しかも、会場に入る前、青島先生がサイン会をやってるこれは行くっきゃないっしょ。エッセイ集を1冊買い、しっかり名前を入れてサインしていただきました開会式や表彰式など眠い時間をなんとかやり過ごし(笑)やっとやっと青島広志氏の講演が始まり、その早口で絶妙なトークと共演のテノール歌手小野勉さんとのコンサートを楽しみました。 トークの面白さはTVでもおなじみだよね。 ただ、とっても早口でところどころ分かりづらかったのが残念。 テノール歌手との共演も良かったけれど、 青島先生1人でも、十分楽しめたような気もするんだけどなぁ。 ピアノももっとしっかり聴きたかったし、 1人ではとても長時間の講演は無理っておっしゃってたけど、 そんなことないと思うけど。 もっとたっぷり楽しめる気がする。 PTAの歌について「素晴らしいけれどもう古い」って。 ウケるぅ~っ。 確かに、古臭いかも。 青島先生が作ったら、奇想天外な曲になりそうで面白いんやけど 1つだけとても残念なことが。 講演中、どこからか幼児の(赤ちゃん?)泣き声が時々しました。 どうしてこういう場所にそんなに小さな子どもがいるのか、 その謎はわかりませんが、 会場に入れるべきではないように思います。 お母様が役員か何かをされていて、 青島先生の大ファンでどうしても講演を聴きたいということなんでしょうか。 そうだとしても、こういう時は遠慮すべきです。 主催者側もそういうところは徹底してほしかったと思います。 入る時にわからなかったとしても(あまりに多い人で) 泣き声がした時点で、退席を求めるべきだったと思います。 私の席から遠くて、どんな様子なのかよくわかりませんでしたが、 これだけはとても残念に思いました。想像どうり楽しい講演の後は、来年開催県の香川の方たちの寸劇(コント?)が。香川へ来てね~ってことなんやけど、すいませんプロの目でついつい見てしまうので(笑)もっとここをこ~して、あそこはこうやって・・・なんて、1人でダメ出ししてましたもうちょっと、うまくできそうなんやけどなぁ、私演出してあげたかったわ(笑)とはいえ、あんなにノリノリでできるメンバーが揃ってるなんていいですよね~メンバーがいいと、大変なことも楽しんでやれますもんね。来年も期待できそうですよぉ~っ香川のPTA役員のみなさん、これからの準備が忙しくなるでしょうが、やり遂げた達成感はまた格別だと思います。どうぞ、いっぱい楽しんで、精一杯がんばってくださいね行けないのがすごく残念だけど、影ながら応援してます
2007年09月10日
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よっしゃあ~っ今日も勝ったぞぉ~い巨人との3連戦し・び・れ・ま・し・た・わ東京ドームで3連勝なんて気持ちいいげんろやっぱタイガース最高です 新聞見て1位のところを見てニンマリこんな1番上に・・・首位になったんやなぁ・・・しみじみ このまま独走して絶対優勝するげんぞ~
2007年09月09日
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すっかり興奮が冷めてしまったがやけどぉ・・・第55回 日本PTA全国研究大会 滋賀びわこ大会の報告です。日がたってしまって、細かい記憶が薄れておりますが(私の記憶力の問題か)最初で最後の貴重な体験やし、ちゃんと記録として残しておきましょう8月23日(木)午後7:00に我が市から参加の4名(男性2名・女性2名)が仕事を終えてから集合。元市P会長の車に乗り合わせ滋賀に向ってGO滋賀って近いイメージがあったけれど、なんのなんの3時間弱かかって大津市の宿泊到着。ちょうどいい具合に(笑)ホテルの横に居酒屋があり、とりあえず無事到着ってことでかんぱぁ~い明日もあるからいいかげんにしとこうね・・・って、言ってたはずじゃないがんけぇ~部屋に入ったのは次の日でした24日(金)は分科会 私たちは「家庭教育」の第2分科会に参加 テーマは「生きる喜びに満ちたこどもたちを育む家庭教育」 開会式で初めてPTAの歌なるものを知りました 作曲者がな・な・なんと古関裕而 古関祐而って、六甲おろしの作曲者やんか。 そんな素晴らしい方の作曲だとは(爆) なかなか明るい曲で、楽譜が付いてたので一緒に歌ったよぉ~ 研究討議としてまず問題提議「子どもたちの現状」と題して 近江八幡教育相談員の岡田さよ子氏による講演を聞きました。 どれもウンウンとうなづける内容だったけど、 子育てにやりなおしはいくらでもきく・・・ってところ、 大学生になってからでもききますか?(笑) その後実践発表として3つの学校のPTAの発表がありました。 「あいさつあふれて広がるやさしさ」と題して発表した小学校では 普段のあいさつ運動(多分どこの学校でもやってるよね)に加えて 一家族に1つずつ「我が家のあいさつ標語」を募集したところ 492の会員中325枚の色紙が集まったといいます。 この数はすごいなと思いました。 役員さんたちの努力の結果だと。 実際の色紙を何点か見せていただいたけど、 見事な力作からかわいいものまで、それぞれ工夫されていて 目に見える形にすることも大切だなと実感しました。 「食育を通した親子のふれあい」と題しては発表した中学校のPTAは 市から委託を受け家庭教育学級を毎年開設しているそうです。 10回18時間もの講座を開いた実践を発表されていました。 年に1、2度の講演会すら人数が集まらない我が校では とてもできないだろうと思うと、がんばる姿勢に尊敬してしまいます。 もう1つの発表された学校もそうですが、 最近の保護者の様子を見て、ついつい声を挙げても無理だろうって 役員自身があきらめムードになりつつある中で、 あきらめず、まず実践されたその勇気と行動力が素晴らしい。 こんなにがんばってるPTAもあるんだって力をもらった気持ち。 そして自分のところの単Pは、市Pはどうなんだ?と反省も。 すごい刺激になりました。 発表校の方々、準備などご苦労がたくさんあったことでしょう。 本当におつかれさまと言いたいです。 昼食を挟んで午後からは歌手の沢田知可子さんの基調講演 「親と子のきずな・思いやり」が行われ、会場は超満員 第2会場も用意されたみたいです。 PTA役員にはミーハ-が多いのか 講演だから歌ってはくれないんやろねぇ、 でも「会いたい」くらい聞きたいねぇ、 なんて言ってたら、幕が開くと同時にピアノ(だんなさん)&ギターの音が~ いきなり「デイ バイ ディ」を歌ってくれました。 っていうか、もうほとんどコンサートのノリで、 トークを挟みながら歌・歌・歌やってん。 その話しがまたしっとりと語りかけながら、 途中ジョークも混ぜて、 そしてそれに合わせた選曲で、 どんどん、どんどん彼女の世界に引き寄せられて・・・ 「がんばれ」という言葉に込めた意味を話しながら歌った「ギフト」を聞くと もう涙が出てきて、最大のヒット曲「会いたい」ではもうボロボロ まわりの人たちもみんな泣いてた。 世代がほとんど一緒だもんね。 そして基調講演であるにもかかわらず(笑) 「もう、この際講演ってこと忘れていいよね」なんて言いながら アンコールまでしてくれました。人と人との出会いの大切さ、きずなの素晴らしさという話しの内容も良かったし、何より彼女の生歌は最高で、会場にいた人たちは完全に癒されておりました。これが基調講演と言えるのか?と問われたらなんとも言えないけれど、堅苦しい難しい話を延々と聞かされるより、ずっと中味があるように思えました。こういう形の基調講演あったっていいじゃない彼女の世界にすっかり魅了されてしまった私たち4名は・・・・癒された気持ちを壊されたくないという理由をつけ(おいおい!)その後のパネルディスカッションをすっぽかして会場を後にしたのです。あぁ、パネリストのみなさま、地元PTAのみなさまごめんなさいそして夜の懇親会(同じ県から参加した方々との)までの空いた時間、ちょっと足をのばし京都までドライブして豆乳ソフトを食べて(あっさりしてて美味しかった)あろうことかカラオケボックスに入り、沢田知可子の曲を熱唱していたのでありましたおバカな4人組です(笑)・・・・・・・すごかった懇親会と全体会は今度にするわぁ。書いてたらすごく長くなりそうやし・・・・・・・ 明日は稲刈やから無理そう。金曜かな。筋肉痛でダメかも(笑)記憶が定かなうちに書こうとは思ってますが・・・忘れられない夜(笑)&楽しい全体会やったし大丈夫だろうと・・・とりあえずは明日の稲刈がんばります
2007年09月05日
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お久しぶりでございます。大おじいちゃんへのたくさんのお悔やみをいただき、ありがとうございました。明日が初七日です。それにしてもあわただしく過ごした怒涛の1週間でした~っ。日Pに参加のため、先週木曜夜にこちらを出発し、金・土の午前中まで滋賀で過ごし、帰りの車の中でおじいちゃん死去の知らせを受けました。5月から入院生活をしていた義祖父ですが、最近は小康状態が続いていて、医師からも「今すぐどうこう・・・ということはありません」と聞いてたので、安心して滋賀に行ってました。それがまさかこんなに急なお別れだとは思いませんでした。もちろん病院側もすぐ連絡をくれたんですが、誰も間に合わなかったそうです。帰ってくると、もう義祖父は仏間に寝かされていて、本当に眠っているようでした。この日は親族だけの仮通夜(といっても、かなりの人が来られる)なので、一休みする間もなくその準備。そして応対。休めたのはもう次の日になってました。前日は日Pへ行っていた同じ県Pの方たちと大宴会をしていたので、寝不足&のみ過ぎの身体には、この労働はこたえた~(苦笑)日曜が通夜。名古屋の義弟家族と広島の親戚(義母の妹夫婦)が午後到着。 3年前の大ばあちゃんの時にも利用した近くのセレモニー会館でするため、そのときのデータがそのまま残っていて、これにはすごく助かりました。ほとんど大ばあちゃんと同じ様式でさせていただくことに・・・。こちらの祭壇はとにかくお花をいっぱい敷き詰めて、それはそれは美しいんですよ。県外の親戚は皆一様に驚かれます。大ばあちゃんの通夜では色無地を着たんだけど、今回はなんせ暑い時期なので洋服で勘弁させてもらいました。遺族席にいると、我が家のことをよく知ってくれている義母の友人や知り合いが義母に「長い間おつかれさまでした」と言ってくださいます。それを聞くとグッとこみあげてくるものがありました。悲しみというより、義母への本当にがんばったねって気持ちとこれで一区切りついたという安堵の気持ちのような気がします。すべて終わり、家に着いたのが10:00過ぎ。そうそう、ここでは通夜や葬儀で家が空っぽにならないよう、その間近所の人に留守番してもらう風習があります。これって他の地域でもあるのかなぁ?留守番の方たちにお帰りいただいて、義弟たちのお泊りの用意をして、義弟と明日の段取りを打ち合わせしながら軽く飲んで、ベッドに入ったのが午前2:00。(義父母と親戚は会館で泊まった)月曜が葬儀。さすがにこの日は着物を着なければいけません。朝から髪のセットをし、着つけをしてもらい、うぅ・・・それだけでヘロヘロだぁ~。葬儀でのお坊さんは6人も付き(田舎でしょう~!?)、となえるお経はもはや子守唄。必死に睡魔と戦っておりました。この家に来て20年、大じいさまには何度も泣かされつらい思いしたけれど、棺にお花を入れて最後のお別れをする時にはやっぱり涙が出ました。こんな時は今までのつらかったことよりも、大じいさまの笑顔を思い出すもんですね。「お世話になりました」・・・自然に声が出ました。火葬場で待っている時が1番体がつらかったなぁ。眠いし、だるいし、することないし。大じいさまのお骨を拾いに行くと「のど仏のお骨が崩れずにこんなにみごとな方はめずらしいです」と係の方がおっしゃるとおり、のど仏が欠けることなくきれいな形でそこにありました。最期の最期までいろんな意味ですごい人です。火葬場から戻り「中陰」の席は、親戚と一緒に班の人たちもあるんです。冠婚葬祭では常にご近所づきあいが濃厚な田舎ならではだと思います。95歳のおじいちゃんの葬儀ということで、「中陰」はとてもなごやかムード。ごくごく普通の宴会のようです。年齢の若い方の葬儀の場合、こうはいきません。いい雰囲気で義祖父を送ることができてよかったと思います。ただ1人、とても悲しげだったおばあちゃんがいます。近所の遠い親戚にあたるおばあちゃんは90歳。うちの大おばあちゃんとも仲良しでした。お互い伴侶を亡くしてからというもの、おばあちゃんはちょくちょく家に遊びに来てました。親戚ということもあり、誰もいなくても大じいちゃんの部屋まで入っていって(笑)おしゃべりを楽しんでました。実は救急車で病院に運ばれた日も、おばあちゃんが遊びに来ていて、救急車に乗りこむ時「ちょっと病院行って来るわ」とにこっとしたそうです。痛かっただろうに、にっこりしてくれたことは嬉しかったけど言葉を交わしたのはあれが最後やった・・・と寂しそうに言います。そしてまさに亡くなる前日、どうにもこうにも会いたくなって、もうまったく声を交わすこともできない大じいさまの病室まで、家族の方に連れていってもらって最後のお別れをしたと言うんです。これには驚きました。虫の知らせって本当にあるんですね。家族の誰1人感じなかったのに、おばあちゃんには感じることができたなんて、2人には家族以上の絆ができていたんだと思います。大じいさまに会えたその日、おばあちゃんは久しぶりにゆっくり眠れたんだそうです。葬儀も中陰も無事済み、あわただしく名古屋の義弟たちが帰って、もう1組の義弟たちも帰り、それから家族としばらく滞在する広島のおじさんたちのお風呂を待って、しまいブロに入ったのが12:00近く。この日も眠ったのが次の日になってました。だるい体をひきずって火曜は娘を病院へ。・・・長くなるのでこの話は次の機会に。昨日ようやく普段の生活に戻るも、広島のおじさんたちはまだまだ滞在されるので、落ちつくのはまだ先のこと。おっ!しかも稲刈が始まるんだった!・・・当分ゆっくりできません・・・大じいさまには、家族全員ふりまわされてきました。今1番思うのは「これでびくびくすることがなくなった」ということ。すぐに大声で怒鳴るあの声を聞かなくてすむんだ、とほっとする気持ち。これが1番大きいように思います。自分の思うようにならないと怒り、自分が1番でなければ怒り、自分の意見以外には耳をかさず、見栄っ張りで、わがままで、感謝することを知らず、許す気持ちを持たず、謝ることも知らず、もうどうしようもない人でした。けれど、この大じいさまと一緒に生活していたおかげで、義母のやさしさに気付き、夫の優しさや強さを知ることができ、私自身がすごく成長できたように思うのです。そしてなにより、ひ孫にはめっぽう弱かった。とてもとてもかわいがってくださいました。3年前に亡くなった大おばあさまと、大おじいさまの愛情に包まれて育ったから今の優しい子どもたちがいるんだと思います。亡くなるときも、私の帰る時間だったこと・息子が帰省中だったこと・お盆が終わり稲刈りの始まる絶妙な時期だったこと・・・など、ちゃんと考えてくれたように思えてなりません。今はただただ感謝です。おじいちゃん、長い間お世話になりました。そして、ありがとうございました。
2007年08月30日
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大おじいさまが25日の午後亡くなりましたので、しばらくパソコンを開く時間がありません。少しの間お休みします。日Pの報告が遅くなりますが待っててくださいね。
2007年08月25日
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8月24日・25日に滋賀県で日本PTA全国研究大会滋賀びわこ大会があり、参加させていただくことになりました●大会スローガン「さあ、はじめよう!びわこから!」 ~見つめよう、命と自然の大切さ~24日が分科会で25日には記念講演があります。この講師が音楽家の青島広志さん・・・ってことを聞いたので、参加を決めました(笑)世界一受けたい授業の「音楽」の先生としてもおなじみで、ユーモラスな口調でとっても楽しくて、作曲家として、ピアニストとしても有名です。TVで頻繁に見かけるようになる前から、ピアノの楽譜で作曲者や編曲者の名前で知ってました。なんだかかわった(笑)曲なので、どんな方だろうってずっと気になってたら、やっぱり個性的な方だった(笑)それからすっかりファンになり、今回日P大会に行けば彼のお話を聞くことができるとなれば、これは行くっきゃありません私の市Pから男性2名・女性2名(私含む)が参加します。みんな仕事を持ってる身なので、木曜日仕事を終えてから車で滋賀に向います。講演が1番楽しみではあるのだけれど(笑)もちろん、全国規模の大きな大会に参加するのは初めてなので、どんな出会いがあるのか、どんな刺激が受けられるか、とってもとっても楽しみです日Pに参加される全国のPTA役員のみなさ~ん、滋賀で会いましょうね ってことで、今週木曜~土曜まで留守にするため、子どもたちに家事分担させることに。娘には洗濯してもらおうと、洗濯機の使い方・干し方を教えながら、中3にして細かいことが何1つわかってないことにがっくりそりゃ教えてこない母親が悪いんですけどぉあとはいつものお手伝い(夏休み限定)お風呂そうじ&洗濯たたみ、頼むねそして帰省中の息子にも、茶の間のそうじとお茶碗洗いをお願いする。本当は食事作りも頼みたいとこなんやけど、毎日自動車学校に午前・午後と通いつめているため断念。できるだけ作り置きしておいて、足りないようなら何か作ってと言っておいた。2人とも母の留守中しっかり頼むぜぇ
2007年08月21日
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今回は愚痴日記になってます。嫌な方はスルーしてくださいね。 義父母と同居をしている長男の嫁という立場のわりに、普段はかなり居心地のいい暮らしをさせていただいてるわたし「だんなさんって婿養子なんやろ」とよく聞かれることがある事実が、いかに私が嫁らしくないのかがわかるでしょそんな私だけれど、1年に2回だけ「長男の嫁(同居)」の呪縛に悩まされる「正月」&「盆」 (多分世の長男嫁みんなが嫌う言葉)夫の義弟家族2組がやってくる、この時ばかりはすっかり迎える側の嫁に徹することになる。ゆううつ極まりない。うぅぅぅ・・・今年の集合日は14日。名古屋からやってくる義弟たちはもちろん、近くに住んでる義弟たちまで当然のように泊まっていくんだな、これが。我が家の6名+義弟家族4名×2=14名が集合したこの日ちょうど白内障の手術で入院していた義父が退院してくる日と重なり、バタバタしていて忙しいので近くのすきやきやさんから1人に1つずつ「牛鍋」(すきやきを卵とじしたようなもの)を注文してありました。あとは、オードブルになるようなから揚げやサラダなど簡単なものを作ってほしいと義母から言われたけれど・・・ 簡単なものって言ったって、人数分となると何時間もかかるやん。 クーラーのない台所で、揚げ物なんてつらすぎる。 だいたい、枝豆だって湯がくし(大鍋にいっぱい。それはそれは暑い) トマトもいっぱい採ってきてあるし、義母特製の漬物もあるし、 そんなに料理作ってどうするんよ 毎年、毎年、いっぱいあまって後片付けが大変やんかぁ~と心の中では思ったけど、孫たちに会える楽しみで上機嫌の義母に面と向って言えない。だからね、朝から支度するつもりでいたんよ。年に2回の嫁修行くらいがんばろって。が・・・・・朝から頭が痛いっっっ最近偏頭痛が時々あんのよね。よりによって、みんなが来るときに痛くなるなんて持病があるので鎮痛剤はあまり飲みたくないけれど、これじゃ仕事にならないので飲んでみるものの、一向に良くならずこれって「盆なんてなくなりゃいいのに」なんて考えた私に、ご先祖さまが怒った罰なんでしょかお墓参りが嫌なんじゃないのよ長男の嫁修行がつらいだけなのよだから怒んないでご先祖さまどうしようもないので、牛鍋はだんなに取ってきてもらうことにして、惣菜は出来合を買ってきてお皿に並べ、サラダはなんとか作り、頭痛がかなりひどかったけれど、みんなが来たらすぐ食べられるようにだけはしました。義母は出来合の惣菜が気に入らなかったのか、冷凍してあった野菜などを使いせっせと煮物などを作りはじめ、みるみる大量の料理ができあがっていきますなぜ昔の人ってこれでもか!って量がないと安心できないんでしょう。みんなにあれも、これも食べさせたいのわかるけれど、いつもいっぱいあまるやんかそして、こんなにたくさんの料理を食べた後片付けを誰がするんじゃいそう考えたらもう限界でした。やってきた義弟たちに体調が悪いことを伝え、2階に上がり休ませてもらったのだけれど始まった大宴会のボルテージはどんどんヒートアップして、飲めや歌えの大騒ぎ・・・とても眠れたもんじゃありません。これはイジメかっ 確かにいつも楽しい宴会となりますよ。 その中心に私もいたりしますよ。 だけど、ここまでひどいどんちゃん騒ぎはいまだかつてないぞ。 頼む、もう少し静かにしてくれ。(私がいないことでハメをはずしてるのか?)その願いは虚しくなんと大騒ぎは午前1:00まで続いたのです。その中心人物は三男の嫁飲んだ勢いなのはわかるが、夫の実家でのこの醜態はどうなんだいや、みんなが楽しめたようだからそれはいいとして、私が頭にきたのは後片付けを全くしなかったということ。あの大量の料理が全部食べられるはずもなく、それぞれ種類別にタッパに入れ、流し台が溢れんばかりの洗い物のほとんどをみんなが大盛りあがりしている横でせっせと義母1人がしたというのだ。義母が12:00頃休んだあとの洗い物は(そんなになかったらしいけど)次男の嫁がしたらしく、三男の嫁は飲むだけ飲んで食べるだけ食べて酔っぱらって、それでもお風呂にはしっかり入り寝たらしい。私はその事実を朝聞いてびっくり当然嫁さん2人して後片付けしてくれたとばかり思ってたから、夕べ早く休ませてもらったことと、手伝いできなくて悪かったことを謝ったら「後片付けはお義母さんが全部してくれたんですぅ。それよりうるさくてお姉さん眠れましたかぁ?」と平気な顔して言う三男の嫁よ。 あなたは何様のつもり?きわめつけは、泊まったあくる朝「用事があるんで」とだんな(義弟)と子ども2人置いて自分だけ実家へ行ってしまった。朝食の支度もなにもせずに。もうあきれてしまって・・・あの時、具合が悪くても下へ行き、後片付けをするべきだった。もちろん2人の嫁さんを呼んで一緒に。あんな重労働を義母1人にさせるだなんて、信じられない。義母も一言「手伝って」とナゼ言えない?客ではないだろ、嫁は。それとも長男の嫁以外の嫁は客なのか・・・う~ん、そうなのかもしれんなぁ。なんだかモヤモヤしながら、頭も痛いまま、実家に帰らせていただきました。休ませてもらって後片付けしなくて済んで、普通ならラッキーと思うところなのだろうけれど、こんな後味の悪い盆を過ごすことになるのなら、どんなに大変な思いをすることになっても体調がいい方がずっといい。結局自分が寝こんじゃったのが1番良くなかったんだよね。今度(多分正月)は体調を万全にして、2人をこき使ってやる
2007年08月17日
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いよいよ最終日です。この日は朝から友人家族とは別行動。あちらの娘さんがどうしても「カリブの海賊」に乗っておきたいそうで、朝早くからTDRでしばらく過ごし、午後からシーへやってくることになりました。私たちは、朝ゆっくりと起き9:30頃シーへ。友人家族がやってくるまで、いつもののんびりペースでいこうと決めてました 「マンマ・ビスコッティ-ズ・ベーカリー」でゆ~っくり朝食 「トランジットスチーマーライン」でロストリバーデルタへ 「インディージョーンズ」のFPをとる 「ストームライダー」・・・娘がとにかく好きなのよ ショップをぶらぶら 「シンドバッド」へ涼みにいく 「インディジョーンズ」・・・どんだけぇ~のポーズをとるものの前列に邪魔されて 写真に映らず 「ヴォルケーニアレストラン」で昼食・・・こっそり(笑)ギョウザドックも買って食べた。 ビールと食べると最高です 意を決して「センター・オブ・ジ・アース」に乗ることを決めFPをとる 「フォートレス・エクスプレーション」内をぶらぶら・・・なかなかお気に入りの場所 「マゼランズラウンジ」でアルコールタイム・・・コレができるからシーはいい 「センター・オブ・ジ・アース」・・・乗っちゃったよぉ~ひょぇ~っ。。。 怖かったぁ。落ちてる時間が長いもう、むりっす。 うきわまんを食べながら友人たちを待つことに。 合流して「アクアトピア」へ 「S.S.コロンビア号」探索・・・なんにもないけど(笑) ウォーターフロントパークの噴水で友人の息子(年長)がびしょ濡れになって遊ぶ それを見て大爆笑の私たち レストラン「櫻」で夕食・・・最後の夜にでかんぱぁ~い ミュージカル「オーバー・ザ・ウェイブ」鑑賞・・・やっとやっと観れた。嬉しい。 ここでまたもや別行動。 昨日眠ってしまってブラヴィッシーモを観ていないチビちゃんのために、友人たち 親子3人はメディテレーニアンハーバーへ。 友人の娘ちゃんは、ブラヴィッシーモよりアトラクションまわりたいと、私たちといる ことに。 そこで私たち4人は、夜になるとぐっと人影が少なくなり、灯りがきれいで日中とは全 然違う雰囲気になるロストリバーデルターへ。 すでに乗り放題になってる(笑)「インディー」に2回連続で乗る。 1回目のポース゛・・・リンリン 2回目のポーズ・・・どんだけ~ 友人の娘ちゃんも、さすがに余裕で私らに合わせてくれました(笑) 「マジックランプシアター」 ボンファイアーダンスを見ながら友人たちを待つ・・・これは踊らないと意味ないなぁ 「キャラバンカルーセル」・・・久々だぁ。チビちゃんはジニ-に乗れてごきげん 1回500円のゲームに全員で挑戦するもののみごとに全滅 どうしてもぬいぐるみが取れなぁ~い。 誰かコツを教えてくれぇ (ここも日中はすごい行列になるのだけど、夜は全然待たなくて大丈夫) みんなピンバッジをもらったところで閉園のアナウンス。 3日間の夢の世界はおわったのです。今年のTDLはいつにもなくハードだったけど、友人の子ども達のおかげで大いに楽しませてもらった旅行でした。こんなのもたまにはいい。毎年は疲れるけど(笑)次の日4日は8:00にホテルで朝食をとり(おいしいバイキングでした)、お土産を買って、10:00ごろに出発。休憩をとりながら家に戻ったのは6:00ごろでした。ドライバーの両おとうさん、本当にごくろうさまでした。・・・来年も行くことができますように・・・
2007年08月11日
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昨日の続きです。2日目はディズニーシーへ。友人たちは初のシーです。いつもは開門してからゆっくり入るんだけど、友人たちに合わせて30分ほど並んでイン。前日と同じく、友人たちとおしゃべりしながらの待ち時間なのであっという間。開門と同時に入って1番最初にしたことは、でっかい地球の前で全員の写真撮影。定番だよなぁ~っ。さあシーでの行動を覚えている限り書いておこ~っと 「マンマ・ビスコッティーズ・ベーカリー」で朝食・・・焼きたてパンがおいしい 「ヴェネツィアン・ゴンドラ」・・・サンタルチアがへたっぴなゴンドリエのお兄さんでした 「エレクトリックレールウエイ」に乗ってポートディスカバリーへ 「ストームライダー」 「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」のFPをとる リドアイルで「チップとデ-ルのクールサービス」鑑賞 ・・・わざわざ着替え持ちこんでずぶぬれゾーンで見た友人親子。 みごとにびしょびしょ その様子を少し離れた場所から見てた私たちも大笑い 「シンドバッド・ストーリーブック」・・・リニューアルされてて、かなり変わってた。 「インディ・ジョーンズ」・・・いつもポーズを決めて写真をとります。 この時は3人でお猿のポーズ 「ユカタン・ベースキャンプ・グリル」で昼食& う、うまぁ~いっ 「スカットルのスク-ター」・・・見た目よりけっこうスピードがあって楽しい 「ブローフィッシュ・バルーンレース」・・・屋内施設だから涼しい~ 「マーメイド・ラグーンシアター」・・・アースラの手がなかったのはなぜだろ パパたちは「センター・オブ・ジ・アース」のFPをとりに。 私たちはトリトンズ・キングダム内をウロウロ・・・ 「海底2万マイル」・・・30分待ちの表示だったのに、実際は10分で乗れた 「センター・オブ・ジ・アース」・・・ただし、チビちゃんとそのママ、私はお留守番(笑) 乗る勇気ありませんでした ダーリン&娘はこの日が初体験です。 「ビッグバンドビート」・・・もう最高のライブです これだけは絶対、絶対はずせませんっ 「ザンビーニ」で夕食タイム・・・パパたちはママたちはでかんぱ~い リドアイルでひたすら「ブラヴィッシーモ」を待つ・・・1時間ほど座り込み待ってたら おチビちゃんが熟睡してしもた 友人たちはホテルに帰るかと思いきや(息子くんが眠ったので) なんと眠った子どもをおぶってでも、まだパークに留まるですって このパワーはどこから来るのぉ~ 私らと同年代ねんよ~。すごすぎるし。ウチなら絶対帰るし。 それならと、みんなでブラブラポートディスカバリーへ。 ここは夜になるとキレイなんです。 歩いてると、途中でむっくり起きたチビちゃんを連れて並んだのは 「アクアトピア」・・・パパ&娘2人組はびしょぬれコースへ。 おチビちゃんとママは普通のとこへ。 私は荷物もち(笑) 一眠りから目覚めて復活したおチビちゃんのリクエストで 今日のラストは「マジックランプシアター」に決定 ・・・アラビアンコーストではボンファイアーダンスをしてたけど、 今日はスルーしてアラジンへ。 2日目もかなり効率よくまわれたのは、ガイドのダーリンのおかげ 大満足でホテルにかえったのであります。 (3日目につづきます・・・・)
2007年08月09日
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お久しぶりでございます。 土曜にTDLから帰ってきてたんやけど、次の日は愛校作業やら5日分の大量の洗濯やらで大忙し。その上息子が帰省して、気分的に落ちつかず(笑)というか、愛と魔法のファンタジーの世界から現実の世界に戻り、身体的にも精神的にもなかなか切り替えができないげぇ~んご存知のとおり(ってことないかもしれんけど)、ディズニー大好きなダーリンのせいでおかげで毎年夏休みの家族旅行はTDLの我が家。毎年連れていかれるので(笑)アトラクション中心に回るわけでなく、ゆっくりのんびりとディズニーの世界に浸る感覚の過ごし方をしているんやけど、今年はちょっとちごげん(違うのです)実は12年ぶりに友人家族が一緒に来ることになってんちゃ。近所に住むN家とは、長男同士が同級生で父親同士も同い年ということで、ずっと仲良くお付き合いさせていただいとるげん息子たちが年長さんの時に初めて一緒にTDRに行き(私はいつが最初か忘れてたけど、あちらの奥さんが詳しく覚えてた)、それから3年夏休みの旅行はいつも一緒にTDRやってん。シーはまだできとらんかったし、ファストパスの制度もなかったなぁその後N家には次々と子宝に恵まれ、子育てが忙しく大きな旅行ができないでいたんやけど、今年は1番下の息子くんが年長になったことだし、1度もTDLに行ったことのない3番目の娘さん(小5)も連れてってあげたい・・・ということで、久々に一緒の旅行となったというわけ31日(火)午後9:00出発どちらもワゴン車で後ろのシートを倒してベッド状態にしてます。運転のダーリンには申し訳ないけど、私&娘はしっかり熟睡体勢途中休憩しながら、宿泊先のヒルトンホテル駐車場に到着したのが1日午前3:00ごろ。お父さんたちが2時間ほど仮眠をとり、6:00すぎにはホテルへ入り3デーパスポートを買いました。(もうすでにかなりの列になってたので、購入するまで時間かかった)この日はランドへ。開門まで1時間近く待ってたけど、3人だけと違い友人たちとおしゃべりしながらの待ち時間はあっという間でした。さすがに井戸端会議で鍛えてるだけのことはあるまずは「センターストリートコーヒーハウス」で朝食ミッキーちゃんのパンケーキを食べるのが恒例となってます食事を済ませるとアトラクションへGO 「スターツアーズ」・・・昔は行列がすごかったけど、今は待ち時間ほとんどなし。 「アストロブラスター」のファストパスを取る。 トゥーンタウンでしばらく遊ぶ・・・何年ぶりだろ。今度来る時は孫を連れてかな(笑) 「アリスのティーパーティ」・・・あいかわらず容赦なくまわしてるしぃ。苦手な私は乗らな いも~ん。 「イッツ・ア・スモールワールド」・・・涼むのには1番です。 「レースウェイ」・・・娘が運転したのでガタガタ 「ミクロアドベンチャー」 ファストパスで「アストロブラスター」・・・勝負の結果ダーリンの圧勝(笑) 「クール・ザ・ヒート」(シンデレラ城前)鑑賞・・・ぎりぎり濡れず 「ウエスタンリバー鉄道」 「ビッグサンダー・マウンテン」のファストパスを取る 「マークトウェイン号」 遅い昼食をとり、ディズニー・ドリームス・オン・パレードを見る。 「ジャングルクルーズ」・・・今日の船長さんは女性。ノリがいまいち。残念。 「シューティングギャラリー」・・・10発10中でバッチゲットするも、友人の息子くんに プレゼント。もう持ってるしね。 ファストパスで「ビッグサンダーマウンテン」・・・ジェットコースター系が苦手な私も、コレ はちょうどいい楽しい~この後一度ホテルへ戻りチェックインすることに。心配していた1番チビちゃんも元気いっぱい。お姉ちゃんたちもテンションたかっ大丈夫そうなので、荷物を置いてすぐパークに戻ったよ~んいつもののんぴりペースと違うけれど、たまにはイケイケもいいかもね。ダーリンは嬉々としてガイド役を引き受け、と~っても幸せそう1つの団体に1人いると便利かも(笑)夜の部は(笑)プライオリティ・シーティングしておいた「ブルーバーユーレストラン」で夕食を食べ、エレクトリカルパレードを見て、1番の楽しみだった「パイレーツナイト」を見てきたげん。「パイレーツナイト」のジャック・スパロウが最高もうソックリなんであんなに似てるのぉ~っ音楽もいいしねぇとにかく素晴らしいショーでありました。いつにもなくハードな1日だったけど、大満足ディズニーシーのことはまたあとで・・・忘れないうちに書けるといいのだけれど・・・
2007年08月08日
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29日の高校野球県予選の決勝は、残念ながら息子の母校の甲子園行きは夢と消えてしまいましたでも、本当によくがんばりました結局5点差をつけられての敗退だったけど、とてもそんな差があったとは思えない素晴らしい試合でした。ヒット数も相手校をうわまわってるし。なんと言ってもみんなこの決勝戦を心から楽しんでるのが伝わってきて、その高校生らしいさわやかなプレーに応援団は惜しみない拍手をおくりました。負けたときは、さすがにキャプテンは泣き崩れていたけれど、それをみんなが笑顔でなぐさめていて、その姿におばちゃんは涙ウルウル応援席からも「よぉがんばった!」の声があがる。整列して、応援席にあいさつするときは大きな大きな拍手に包まれてました。野々市明倫高校野球部のみんな、感動をありがとうそして優勝した星稜高校(9年ぶり)の甲子園での活躍を祈ります 高校球児の3年生も、甲子園組以外は部活がこの予選で終ってしまったわけだけど、娘も昨日のコンクールにて、3年間の部活動が終りました。スポーツがまったくダメな娘(笑)が入ったのは吹奏楽部 他に入れるところがなかったという消去法で始まった部活だったけど(汗) 顧問の先生に恵まれ、やさしい先輩に恵まれ、前途洋々にスタートした1年のころ。 まさかの顧問の異動で、新しい顧問と部員たちとのぎくしゃくした関係に傷つき、 それでも自分のパート(フルート)内での仲間とは励ましあい、 大好きな先輩を慕ってがんばってきた2年のころ。 あいかわらず顧問と部員との隙間は埋まらず、 それによって顧問がさじを投げる形となり、 外部講師をお願いすることになって、 その先生にビシビシ鍛えられたこの3ヶ月ちょっとの日々。 (3年になってやっと本格的な部活動を経験できたらしい)そんな部だったので、それこそコンクールに出場しても今までせいぜいが「銀賞」どまりそれがこの3ヶ月「めざせ金賞」を合言葉に、指導してくださる先生のもと、本当にがんばってきた集大成が昨日のコンクールでした。 私も娘の中学生活最後の演奏を聴きに行ってきました 娘のソロもあるのでドキドキしながら聴いてたんだけどこれがおどろき わずか3ヶ月足らずで、こんなに上達するものなのぉ~っ どよぉ~んとした音しか出ていなかった金管がきれ~いに響いてる 曲の抑揚もちゃんと表現されていて、メロディーもはっきり届いてくる 心配してた娘のソロパートもクリアこれはいいぞ今まで聴いた娘たちの演奏の中で1番の出来だった時間の関係で審査結果を聞くことなく私は一足先に帰ってて、結果は夜遅く帰ってきた娘から聞くことになりました。もうその顔はニコニコやっぱりね「金賞もらえたんやろ」と聞くと「そうねんてぇ~。代表はとれんだけど、もうむちゃくちゃうれしい」って。良かったね、ほんと良かったね。遅い夕食を食べながら、「夢みたいや」「自分らが金賞なんてほんとかなぁ」・・・ずっと言ってる。よっぽど嬉しかったんやろな。金賞の発表後、指導してくださった先生のところへみんなで行き、部長が代表であいさつしたそうやけど、その声がだんだん涙声になって、それを聞いてた3年たちが次々と泣き出し、いつもわりとクールな娘まで泣いてしまったらしいいろんなことあったもんなぁ。でも、1番いい形で3年間の部活動を締めくくれて幸せだね指導してくださって先生に、一緒にがんばった仲間に、後輩に、いろんな問題をつき付けてくれた顧問のせんせいにも、支えてくださったすべての方々に感謝だね。「お母さん、私ブラスに入って本当に良かった」・・・昨日寝る前に言った娘の一言その言葉を聞く事ができた母も幸せもらったよ。ありがとう。 明日から3日間毎年恒例の我が家の夏の家族旅行TDLに出かけます。今晩出発するので今から準備しばらく皆さんのところにも伺えませんが忘れないでね(笑)いってきまぁ~す
2007年07月31日
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今ダーリンと高校野球の県予選「準決勝」を観戦し家にもどってきたところです。と言っても我が子が出場しているわけでもなく、親戚がいるわけでもなく、ただ息子の出身高校野球部がはじめてベスト4になり、初の準決勝を甲子園常連校と戦うと聞き、現在この学校の評議委員をしているダーリンが応援に行きたいと言い出し、レッスンまでには時間もあるし私もお供をしたというわけ相手は甲子園常連校とてもかなうはずありませんいい試合してくれるといいんだけど(コールド試合にならないで)・・・ そう、誰もが思っていたはず。しかし野球というのは時として実力以上のものが出るんですそして不思議なことに野球の神様がいるとしか思えない試合運びになったりするんです野球場にいたほとんどの人たちが、相手チームの勝利を信じていただろうに、勝利の女神さまはなんと、なんと、こちらに微笑んでくださった相手のエラーに助かったとはいえ、堂々の1点差の勝利。すごぉ~いこれだから野球はおもしろいっていうか、やっぱ私が勝利の女神なんじゃないの中学の県体ではその力を発揮できなかったけど、こと野球に限っては、私の力が出るんだ、きっと(笑)こりゃ明日の決勝も行かねば今日の結果を息子にメールすると、インターネットの速報でチェックしてたみたい。息子も今回の母校の活躍にはびっくりしてた。こっちにいれば絶対応援行ってただろうに。試験が終わってないためまだ帰省できず君の分まで明日はチチとハハが精一杯応援してきてあげるからね明日の相手はヤンキースの松井の母校「星稜」です。ここまでラッキーな勝ち方だったとしても、運も実力のうち。そう、何がおこるかわからない。勝利の女神が付いてるんだから(笑)野々市明倫ナインがんばれよぉ~っちなみに今日は愛するダーリンの誕生日この勝利がすてきなプレゼントとなりました。ありがとう~っ
2007年07月28日
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夏休みに入りましたね~休みに入る直前、担任と保護者による個人懇談があったがや。三者面談のところもあるみたいやけど、ウチの学校は保護者のみ。しかも希望者だけ。中3生の受験生で、担任と話さなくていいなんて家庭あるがかね・・・なんて思っとったけどけっこう欠席されるお宅もあるみたいねん。こんな機会すら学校に来ない家庭が多いんなら、PTA行事なんて見向きもしない親がいるのも納得せざるおえない受験のことだけなら塾に任せておけばいいのかもしれんけど(行ったことないんでよくわからんがやけど)学校での様子やクラスのこと気にならないんやろかだいたい担任のことも知りたいって親なら思わんのやろか個人懇談会すら欠席の保護者は、校舎に入るのは入学式と卒業式だけなのかもしれない。ひょっとしてそれすら来ないのかも。「学校へ行こう!」と言い続けることもなんだか虚しいなぁ。あまりに考えてた以上に欠席者が多いのでいろいろ思ってしまいました。さて懇談会当日、私はいつものように(毎週来てるからね)来客用玄関に行き、いつものようにスリッパを出そうとしてはっと思い出してん。案内のおしらせに確かに内履きを持参してくださいって書いてあったすっかり忘れてた私、いつもの習慣とは恐ろしいものです。スリッパがあるものだと思ってました。しょうがないので(取りに帰る時間もないし)はだしのまま教室へ。廊下には順番まちのお母様方がいらっしゃって・・・「とらトクちゃん、なんで裸足ねんてぇ~」とケラケラ笑われる始末みんなちゃんとマイ・スリッパ履いてるし(笑) 2学期制のため前期の成績はまだ出てなくて(1~5段階) 懇談用にとりあえず今までの成績(A~C段階)を見せられながらのお話です。 体育以外(笑)Aが並ぶ中1つだけBが担任の教科「社会」やんか 「これは授業中の発言が極めて少ないのでこれからの期待を込めてのBです」 ・・・って、先生あの娘に手を挙げて発言しろと 「そりゃ無理でしょ」と素直に言うと「やっぱ難しいですよね」って先生も。 2人で納得して笑ってしまいました でもそんな娘がクラス代表で選ばれたから仕方ないとはいえ、 全校生徒の前で意見発表ができたのは大きかったね、 自信につながったんじゃないか、とおっしゃっていただいた。 クラスになじめない娘を母として心配していることを伝えると 確かに仲のいいお友達はいないけれど、 孤立しているということではなく、 むしろクラスの子どもたちは娘のことを一目おいている存在に見えるとのこと。 勉強のこととかクラス内のこととかココってときに頼りになるらしく 女の子たちから「やっぱシーちゃんってすごい」という声が聞こえるらしい。 先生が1番スゴイと思うのはクラス1の問題児(男子)を うまくあしらえるところらしい。 彼女の穏やかな(?)雰囲気の前ではおとなしくなるそうで、 すごく助かってるんやて。 結局精神的にすごく大人なんだと思います。 まったく心配ないですよ。 との先生の言葉に心底ホッとした母です それにしても おとなしく控えめでそれでいてしっかりしてて (高望みしなければ)成績も心配いらない娘 いったい・・・・誰の子ねんて次の方がいらっしゃらないことをいいことに、いろいろな話しに花が咲き、盛りあがっていると、ガラッと戸が開きやってきたのは他のクラス担任(昨年度教務主任)。見ると手にはスリッパが「とらトクさん、すいませんスリッパがなくて。さっき、他のお母さんからとらトクさんが裸足だったとお聞きして急いでスリッパお持ちしました」とものすごぉ~く恐縮してらっしゃる。担任も「全然気付きませんでした。これは申し訳ない」って謝られるし。いえいえ、持ってこなかった私が悪いんですよぉそんな先生2人に謝られてこちらの方が恐縮です。帰ってから娘にこのことを話すと後で「スリッパくらい置いておくまっしや~」って怒られると思ったんやわいね。あせってスリッパ取りに行ったんじゃないかぁ。先生、かわいそう~と言われました。そんなにあたしって怖いのかしらん・・・そんなことないはずやけどなぁ(笑)
2007年07月26日
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なんだか久々の日記だわいろいろと忙しくしておりまして、すら開いてませんでした。21日・22日は中学の県大会がありまして、PTA役員は手分けしてスポーツドリンクのさし入れ持参で各会場をまわり応援してきたんです21日は校長・会長・私の3人でバスケット(女子)会場へ。 バスケットの試合って初めて見たけど面白かった~ 中学生ともなると、結構やるもんだね。 見てたらどんどん興奮しちゃって、 ついつい「いけぇ~」「走れぇ~」と叫んでおりました ふと気付くと、保護者のみなさん引きまくり・・・ あらみなさん、そんな静かにいつも応援なさってるんですか さすがに点が入るとパチパチと拍手はするものの、応援の声がありません 我が子が出ていようもんなら、私なんて大声ではりきっちゃうけどなぁ 1回戦は楽勝 次も見たかったけど、 午後の遅い時間から始まるということなので断念して帰ってきました。 あとで報告を受けると、なんと1ゴール差で勝利し、 次の日の準決勝進出決定22日は、加賀地区での会場(前日勝ったバスケ・卓球・男子テニス)と金沢市の会場(水泳・男女バレー)の二手に分かれて応援に行きました。私は金沢市の方へ。 朝早くから競技のある水泳にまず足を運び、男子リレーを観戦。 メンバーに1年生を入れなければならないチーム事情から惨敗してしまったけれど、 エースの泳ぎは素晴らしかった 次に女子バレー。 1セット目の途中から観戦です。 バレーは自分もママさんでやってたし、 息子もスポ少でやってたスポーツなので見てるだけで血が騒ぐ お母さんたちも、バスケの時よりテンション高いぞ(笑) 中に入れてもらって一緒に応援 力の差があるようには見えないんだけど、 ここで決めろってとこでミスが出たり、 サーブが入らなかったり、 自滅に近い状態で負けてしまった その後、女子バレーの部員たち、 残った保護者の方々と男子バレーのコートへ移動 そこに、高校の部活練習を終えたOBたちや その保護者もやってきて大応援団となりました 2年前、昨年と全国大会を経験している男子バレー部。 さすがに保護者会もしっかりしてて、団結力がすばらしい 応援もやり方がちゃんとあって、みんな揃ってる いいぞ、いいぞ、この感じ。 テンション上がりまくり 息子の応援に走りまわったことを思い出しました。 あの時以来の大興奮です 応援は相手応援団より確実に勝ってたと思います・・・がっ! 1セット目ジュース・ジュース・ジュースの末負けてしまい、 それを引きずったのか2セット目も力を出しきれず負けました。 く・や・し・い~ 我が子がいなくてもこんな気持ちなのに、保護者のみなさんの気持ちを思うと・・・ 1番くやしいのは部員たちでしょうけれど。 3年連続の全国大会はなりませんでした私の「勝利の女神」運は甲子園でしか通用しないのね大声で応援したせいで、今朝からハスキーな色っぽい声になってます試合には負けてしまったけれど嬉しいことがいっぱいありました。保護者の方々といろんなお話ができて仲良くなれたことです。PTA役員といってもどんな人がやってるのか知らない(興味ない)人も多いある保護者の方に「役員さんって近づきがたい存在やったけど、こんなに気さくな人ばかりやってんね」と言われて、いつもこちらが受け身ばかりの立場ではなく、こっちから他の会員さんたち(保護者はみんな会員だからね)に入っていくことも大切だなと思いました。お互い知り合いになれたら、いろんな行事をやる上でもスムーズに行くこともあるだろうし、少しでもPTAに興味持ってもらえるかもしれないし。結局保護者同志の繋がりが1番大事なんですよねさて、加賀の会場に出かけていた役員から連絡が入り、バスケが準決勝で延長の末負けたんだけど、3位決定戦で勝ち、北信越大会へ行けることになりました。よっしゃあ こうなったら北信越大会の応援も行っちゃう
2007年07月23日
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いつも読み聞かせのボランティァでおじゃましている小学校より依頼され、今年度から学校評議委員を仰せつかった。昨年度の校長とはいろいろな縁があり、ボランティア活動抜きでも親しくさせていただき、異動になられるときに、「最後のお願い」だからと頼まれたのが評議委員。この小学校での委員は4名。私以外の3名は昨年から続いての任命。とはいえ、男性の2人は子どもの小学校時代のPTA役員仲間だし、もう1人のおばちゃん(Yさん)は、婦人会がらみで昔から顔なじみ Yさんも学校ボランティアさんであるのだけれど、このボランティアがなかなかすごい。通学路の交通量が多い交差点で、毎朝「みどりのおばちゃん」をもう20年以上もされているのだ(20年目の時は市から表彰受けた) 雨の日も雪の日も休みなく、 毎朝、毎朝、毎朝これには本当に頭が下がる。彼女は「なぁも、自分ができることやっとるだけながやぁ」と笑っておっしゃるけれど、私には到底できないことなので、すごいですっ!ってことを言ったら、「とらトクさんの読み聞かせかて、すごいがいね。そんなこと私にはできんわ」と言われた。 これは、今までにも何人もの人に言われた言葉。 「毎週3校も行ってんの?すごいじぃ~。」 しかし、私にとっては全然すごくないのである。 それは楽しいから。 自分自身が絵本を好きだから。 誰に頼まれているわけでもなく、 子どもたちに絵本を読みたいってただ自分が思ってやってる活動だから。そっかぁ。Yさんにとっての毎朝の「みどりのおばちゃん」は、私にとっての読み聞かせみたいもんなのかぁ。子どもたちと毎朝あいさつしたり、ちょっとしたおしゃべりが、Yさんにとっては楽しい朝のひとときなのかもしれないなぁ~。義務感のようなものに縛られながらやってるわけじゃないがやね。ボランティアって、そこが大切なんやと思う。強制されてやるんではなく、自分自身の気持ちで行動できて、それが励みになったり、楽しみであったりしたいなぁ。 究極のボランティアといえるPTA役員にこれはあてはまるだろうか まっ、私は楽しんでるけどねさて、第1回評議委員会では、校長から今年度の教育目標なるものを聞いたり、委員たちの自己紹介(って言ってもみんな知り合い)しつつ、意見交換したりってのを、給食をいただきながら行いました。さすがに自校給食だけあってうまい私の、小学生のころなんて、脱脂粉乳飲まされてたんだぞっ言い訳しますが、1年生の時だけです。あとは牛乳。 (そこまで年寄りじゃないことが言いたい(笑))固いくじらの肉なんてのもあったんだぞっ(でも、結構おいしかった)米飯なんてなかったし。まずい食パンばかりでさぁ今はレストランメニューのような給食だもんなぁ~。意見交換では、●学校行事などのお知らせを地域にも発信してほしい●学校公開をもっと広げて、地域の方にも気軽に足を運んでもらえるようにしたらどうか●制服の乱れが気になる。●あいさつができない子が多い。など、いろいろ意見を出し合って、どうしていけばいいかなどいろいろ話しあった。私は、他の学校にも行くので、比較しながらの意見だとか、この学校ほどボランティアで地域の人たちが参加しているところもめずらしく、とてもいいことだと思うというようなことを、新人らしく控えめに言ってきました(笑) 学校ボランティアには 「読み聞かせ」「家庭科の補助」「特殊学級の補助」「クラブ活動の補助」 「見守り隊のおじいさん・おばあさん」など、いろんな方が登録してます。こういう会議が年に3度開かれます。学校ボランティアを通じて感じる、子どもたちのこと、学校全体のことを素直に伝えていけたらと思っています。 で、実はダーリンも息子のいた高校の評議委員を今年からすることに。 元PTA会長ということで、ご指名されたようです。 ・・・・・夫婦そろって、やっぱりお人よしだなぁ~
2007年07月12日
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7月6日は長男の誕生日めでたく20歳となりました 息子を産んで持病が悪化したときは、 せめてこの子が成人するまでは元気でいたい。 ・・・そう願ったこともあったっけ。 その目標を見事クリア 健康とは言えないけれど、元気すぎるほど元気やもんね(笑) あの時は、遠い遠い未来のことだったのに過ぎてしまえばあっという間。おかあちゃん大好きで私にべったり!女の子に間違えられたかわいいかわいい幼少期。5歳でお兄ちゃんになり、妹をとってもかわいがってくれた優しい小学生だった頃。反抗期まっただ中で、何も喋らなくなってどうしたもんかと悶々としていた中学生の時。あの反抗期はなんだったの?拍子抜けするほど元の優しい息子になった高校生。そして現在、親元を離れ大学生活を存分に謳歌していると思われます。時々しか会えなくなって、母は寂しい限りだけど、会うたび彼が成長している(背は伸びない(泣))のがわかるのが嬉しい 私からとだんなからと別々におめでとうメール送ったら 返ってきたメールがコレ。 「ありがとう。これからは大人の自覚を持って行動します」 一字一句違わず、父と母にそれぞれ送ってきた(笑) 返ってくるだけいいがいや・・・とダーリンは言うけど、 あいそもないヤツ。 そう思ってると妹から連絡が来て、 息子にメールしたら、長い長い返信メールが来たんだと 近況報告やとか、夏休みの計画とか、いろいろ・・・ 親への感謝の言葉もあったりして、妹なりに感動したらしい。 「いい息子に育って姉ちゃん幸せやね」って言ってくれた。確かに、母の日や父の日にプレゼントしてくれる優しい息子だし、感謝せんなんね。でもさあ、もうちょっとメールとか電話とかして欲しいげんけどなぁ~次の日の7月7日は長女の誕生日15歳になりました 自分の体のこともあり、 次の子はあきらめ半分だったところに授かった命。 経過次第では途中であきらめてください、 なんて主治医におどされつつも無事出産 でも私、産むまで1度も不安にならなかったんだよなぁ~ 今思うとあの自信ってどっから来てたんやろ。 絶対この子は大丈夫だって確信してたもんな好奇心旺盛で誰のとこにも行っちゃうおてんばな幼少期。一転恥ずかしがってとってもおとなしい女の子に変身しちゃった小学生の頃。そして現在、超がつくほどの真面目な優等生の中学時代を過ごしてます。 この子に反抗期というものがやってくるんでしょうか。 ないのがまた心配な気もするんやけれど・・・ 生活面にしろ、学力にしろ、まったく心配することがなく、 親として本当に楽させてもらってます。 なんにもなさすぎて、これは後々どっか~んと困るようなことがあるんじゃないのぉ彼女が1番すごいと思うのは、父親を心から尊敬しているということ。この頃の女の子って、とにかく父親を全否定したくなるのに、そういうところがまったくない。娘から見ても「いい男」だってことやろけどね(爆)だから時々ダーリンの取り合いになったりする。なにやってんだか・・・でも、母娘2人で夫や父親のこと「大好き」って言える家庭ってのも、まぁいいかこんな2人の子どもに恵まれて、心配していた病気も今のところは落ちついてて、(闘病ってほどでもないけど、持病と仲良くなって20年たつのかと思うとびっくり)私って幸せだわそんなことを子どもたちの誕生日につらつらと想ったのでありました。
2007年07月09日
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「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を昨日観てきてん(レディスデーで安いしぃ)7月7日が封切りなんやけど、石川でロケがあったからか先行上映しとるがやいやぁ~、良かったよこの映画。何がいいって、私が出てるから(笑)この映画のロケに参加したのは、昨年の夏。暑い暑い3日間でございました長い撮影の中の、たった3日つきあっただけやけど、1つのシーンに何度も何度もカメラをまわし、その場面に何カットも真剣に挑む役者さんのプロ根性に驚き、いろんなスタッフのそれぞれの仕事振りに感心し、携わっているすべての人の映画を愛する気持ちに感動し、舞台の経験しかなかった私には、映画の世界がちょっと見られてすっごく楽しかってん。 あの時とっていたシーンが、編集するとこうなるのかぁ・・・。 このシーンは横からずっと見てたとこだぁ・・・。 ここはスタントだから、本物じゃないんだよねぇ。 うわっ。あんなに時間とってカメラまわしてたとこ、ごっそりカットかい。本編見るのもやっぱり違った角度で見てしまいました(笑)原作は私が住んでる市出身の本谷有希子。最近では「生きているだけで、愛」が芥川賞・三島賞候補にノミネートされ注目されている作家なのだけれど、「劇団、本谷有希子」で作・演出を手掛ける演劇人であるのだ。この「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」も舞台化してます。 自意識過剰な勘違い女の姉(澄伽):佐藤江梨子 彼女にふりまわされる血の繋がりのない兄(宍道):永瀬正敏 怯えながらも姉を題材に漫画を描くネクラな妹(清深):佐津川愛美 常に笑顔のとんでもなくお人よしの兄嫁(待子):永作博美 ほとんどがこの家族4人で話が進みます。 1人、1人のキャラクターがとても濃い。 っていうか、普通の人がいない(笑) そういう人間をこの4人が見事に演じてます。 サトエリちゃんって演技どうなの?なんて思ってたけど、 この役は地でやってんの?と思うほどはまってた。 (普段はとっても感じのいい方でしたよ~) 下着姿になるシーンあるんやけど、ナイスバデイはさすがです 妹役の佐津川愛美ちゃんも役にピッタリ。 撮影のときは永瀬さんが優しくアドバイスしてあげてたのが印象的。 「蝉しぐれ」に出てたんやね。 これからが期待の新人さん。 兄嫁の永作博美がまた上手いんだってコレが。 考えたら1番変わってるんじゃないの?って役を この人なりに表現してて、すごくいい。 この存在この作品にはかなり重要。 笑えそうにない映画なのに笑えるし。 そして兄の永瀬正敏は言うことなしです。 完全な能登弁じゃないけど、自然に方言使ってのセリフが上手い。 プロの役者さんだなぁ・・・ってのは、撮影の時から感じていたけど。 この存在感いいわぁ。 なんたってカッコいい 実物は画面よりもっともっとカッコいい 兄妹たちの両親が交通事故で亡くなり、 その葬式で4年ぶりに上京していた澄伽が帰ってきたために、 その家でおこる出来事が物語となってます。 CM出身の監督だけあって、 作り方が斬新というか、ユニークというか、すごく特徴的。 どんでん返しもあってりして。 こだわりの作品に仕上がってると思います。で私はどこに出てたでしょう1.冒頭の霊柩車バックに兄・兄嫁・妹が村の人たちにあいさつするシーンで 村の人(喪服)に混じってます。 このシーンでは、村人の噂話の声が流れるげんけど、 そのうちの1人のセリフを担当してます。2.葬式後の親戚が集まって食事しているシーンで 妹の清深が喘息の発作をおこした姿を見て、 心配でかけよってくる親戚のおばちゃん役の1人。 苦しんでる清深ちゃんの横で熱演してます(爆)3.村の中の坂道を澄伽が自転車を押してくるシーンで 澄伽とすれ違う百姓役の1人。 くわをかついで、もう1人の百姓役の方と顔を見合わせヒソヒソ・・・ この姿はいつもの農作業姿です当たり前ですが、すべて数秒のあっという間の出演です(笑)エキストラなんて背景といっしょだからね。 カットになったシーンもいっぱいある中、ほんのちょっとでもスクリーンに出られただけでも幸せそして・そして。終わったあとのエンドロールになんと私の名前が これは感激だぁ~てっきり協力●●のみなさん・・・くらいの扱いだと思ってたから。キャストの中に入ってるなんて自分が出てるということを抜きにしても、とても完成度の高い作品だと思うげん。だからぜひ映画館へ観に行ってほしいなぁ~。今までにない面白さが発見できます(断言できるぞいね)そして私を探してみてわかんなかったら何度も観ましょう(笑)そしてエンドロールが終わるまで席を立たないでね。終わるまでが映画ねんよ・・・ってラストになってますから。 記念に買ったパンフレットの中にもキャストで名前が載ってた 写真にもぼやけた後姿が写りこんでた わ~い、わ~い
2007年07月05日
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声枯れとるげん土曜の懇親会で飲みすぎ・しゃべりすぎが原因かと思われ・・・ひぃ~ん、あたしの美声がぁ~市Pでの常任委員さんって、学校によっては会長以外の方がなることがあるため、会長同志の繋がりを持ってもらう為、毎年単Pの会長さんをまじえての委員会をもつことになってて、それが先週の土曜にあってん。うちの学校もそうなんやけど、会長職はそれでなくても重いのに、市P役員まで任せちゃつらかろう・・・ということで、例年副会長が市Pに行くことにしとるがや。そういう学校が他にも多いので、単Pでは副会長・書記、中には地区委員とか執行部じゃない方までいらっしゃる。(この学校では地区委員さんも執行部に入ってんのかも?)この日の会議はこの前のリーダー研修会の報告と、これからの行事予定の確認などをさっさと終わらせ、早々に懇親会へ突入~くじ引きで座席決めるから、当然初めてお目にかかる方が隣に・・・ということもあるわけでやけど、さすがにこういう場所に来られる方々というのは、おしゃべり好きな方が多いすぐに打ち解けて、あちこちで盛りあがっております。で、大声で話さないと聞こえんで、声が枯れちゃうのよぉ~私の座席のまわりは、たまたま女性が多かったので、学校の話題より自分たち個人の話しが中心になり、その中でも大学生がいるのは私だけやったので、いつしか子どもの受験や、難しい年頃の男の子をもつお母さん達の相談相手となってたあたしゃカウンセラーかいっ(笑)一応言いますが、大学生がいるからってみんなより私が年上ってことなんげんよ。息子は16歳で産んでますから・・・ってことにしといてくんない少し離れたお父さんたちは何やらお互いの学校の話しで盛りあがってる。できたら、あっちに加わりたかったなぁ~まぁ、それでも初めてお会いした方も含め、母親談義に花が咲き楽しい時間ではありましたけどね。 全体としての懇親会が終わると、 次は部屋にて2次会。 しばらくそこに参加していたけれど、 お風呂の終わる時間がせまっていたので私はお風呂へ。 なんたって温泉なんだも~ん。 ゆっくり入って野球の結果も気になったし、 そのまま自分の部屋でスポーツニュースを見て、 同室の方々と12:30くらいには床についた。 翌朝 朝風呂に入り、ロビーでスポーツ新聞読んでると(おっさんやん!) 事務局がやってきて、 「あれから大変やってん」と話しかけてきた。 聞くと学校教育のお互いの考えを熱く語り合ってた2人の会長が もう少しで殴り合いになるほどのケンカに発展してしまったのだと言う。 ひょえ~っ。 それは大変やったねぇ。 寝てて良かった。でもちょっと見たかったかも(汗) 他の会長さんが止めに入ったのだけれど、 そんなことがあるとせっかく会長さん同志を引きあわせたいという意図の この会が台無しになっちゃうと残念に思った。 お酒が相当入っているからに違いないけど、 お酒を飲んでる席だからこそ いい大人なんだから、わきまえて欲しいよな。 思い入れも熱く、 そういう方たちだからこそ会長になっておられるんだろうけれど、 ちょっと残念な報告を聞いてしまったなぁ。そんなことがあったからか、朝食の席はなんだかしらけムードなんとも後味の悪い会となってしまってん。これからの市P大丈夫かぁ~役員同志の人間関係も今1つという話しも聞くし・・・で、ここで1つ報告。滋賀で行われる8月の日P大会に参加することになりました~楽しみがまた1つ増えました
2007年07月03日
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ある日のこと。いつものように夕方レッスンしていると、救急車のサイレンがだんだん近づいてきたかと思ったら、家の近くでピタッと止まってん「またやってもうたな」実は、うちの近くの十字路交通事故が絶えんげん優先道路の県道より、交差している方の道が広いしか、一旦停止せず(もちろん標識はあるし、道路にもデカデカと書いてある)出会い頭にど~んとぶつかるがやて。ひどい事故やったらかわいそうにな・・・と思いつつ、レッスンしてるとピンポ~ンレッスン中やし無視したいとこなんやけど(笑)「すいませぇ~ん。警察ですぅ~」と言われたら出なしゃぁないしほしたら「今、近くで交通事故がありましておたくの田んぼに車が落ちたんやわ」だとあわてて、義父を呼びにいき、義父におまわりさんと様子を見に行ってもらってん。(耳が遠い義父はピンポンなっても出てこなくて) ぶつかった拍子に田んぼにつっこんだらしい。 苗が少しつぶされてしまって、油も少し浮いたけど、 思ったほどの被害はなさそう。 しばらくして、運転してた子の母親があやまりにいらした。 こちらが恐縮するほどあやまっているのがレッスン室からもわかる。 病院にいる本人を連れてあらためてお詫びに伺うと言ってる。きっと母親は娘が起こした事故で、迷惑をかけたことを知り、まずは家に来てくれたんやろなぁ。すぐやったもん。娘の方が心配で(軽傷と聞いていたとしても)、まず病院にかけつけたいやろうに。りっぱな態度だなって思っとってん。次の日。本人登場。もちろん母親同伴。前日同様平謝りしている母親の横で、全身ジャージ姿(お約束のキティのスリッパはいて)のまゆげのない若い女の子がぺコリと頭を下げた「お怪我は大丈夫でしたか?」とその子に聞くと「はい」と答えるのみ。横から「おかげさまで、ひざの打撲だけですみました。あとは・・・」と母の話が続く。その間も「本当に申し訳ないことをしまして・・・。大切な苗をダメにしてしまって・・・」とおわびの言葉が次から次へ出てくるげんけど、事故おこしたのって誰だっけ(笑)最後にやっと「すいませんでした」と一言言葉を発したけれど、あの態度はどうなんだぁ見かけで判断するのはよくないし、私自身そうありたくないとは思っているけれど、あのカッコがあやまりに行くときのカッコかいね。それを注意しない(あるいはできない)親ってなぜもしかしたら、打撲のひざが痛くてだぼだぼのジャージはいてたのかも。そうだとしても、菓子箱渡すのも、説明も、保険のことも全部母親まかせで、帰り際のあやまりの一言だけって、ちょっと情けなさすぎないかぁ・・・多分息子と同じくらいだろうその女の子のことを見送りながら、なんだかちょっと気分が落ちた 大きな怪我人も出なくて、 田んぼの被害も少なかったのだから、 これで良しとしないといかんのやろけどね。 そして、自分も運転には十分気をつけなきゃと、 つくづく思ったのでありました。
2007年06月28日
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私の住んでる市は合併によりそれはそれは広い面積となり、市のPTA連合会は一挙に増え32の小中学校となりました近い範囲で9つの小学校と4つの中学校でのPTAでこじんまりまとまっていた時と違い、海に面した地域から山の中の学校までと、いろんな地域の方々と知り合えるチャンスではあるけれど、やはりいろいろ難しいことも出てきますこの前のリーダー研修では「PTAの在り方や生徒自身」が地域によって随分違うため、意見を出し合ってもわかってもらえない(信じてもらえない)ことがあり・・・ 分科会で私は中学校の会長たちの集まりに記録係で参加してたんだけど、 生徒の喫煙問題や、携帯電話の弊害や、服装の乱れなどの問題提議しても 生徒数が少ない山の方の学校の会長さんたちから疑問の声が上がる。 「それは実際そちらの中学校で起こってることなんですか?」 中学生がタバコを吸うことも、 中学生が携帯電話を持つことも、 中学生が腰パン(どんなスタイルなのかもわからなかった)することも、 彼らにとってすべて信じられないことらしい。 彼らの話では、 中学生はみなきちんと制服を着て、 登下校のときはきちんとあいさつをして、 携帯を欲しがるなんて話をきいたことがなく、 そういうのが当たり前(もちろん自分の子どもも)だと思ってたらしい。 私たちからすると、そんな「理想的な中学生だけしかいない学校」 というのが信じられない。 PTAも生徒も保護者もほとんどが顔見知りで 役員も順番で全員がやるし、何事も全員でという形が浸透してるそうだ。 行事をしても集まるのは同じ顔ぶれで、無関心な親が多いと訴えても そんな親がいない地域にしたら、 子どもに関心のない親がいることがわからない だからね、いろいろ話し合ってても、どこかずれてきたりして・・・ う~ん、どうなんだ? 記録がすごぉ~く難しいんですけどぉ。で1時間くらいの距離でまったく違う世界の話をお互い聞いたような気がします。自然豊かな山奥で生活していると、子どもたちは健全で素直に育つということなんでしょうかそれでも、お互いに同じ市の中でもこんなに違った環境の学校があることを知ったのも1つ勉強になったかなもう1つの分科会は母親たちだけの集まり。本当はこちらに来たかった昨年参加したんだけど、学校の枠を飛び越えそれぞれの子どもたちの話になり、母親としての意見が活発に出てと~っても楽しかった今年も参加した友人に聞くとやはり盛りあがったらしい。女だけの討論会(雑談だけど結構実の在る話だったりする)はやっぱりおもしろいよね。 さて今週末は市P理事・役員・各学校の会長が集まって泊りがけの懇親会。またいろんな話が聞けそうで楽しみだぁ~っ
2007年06月25日
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5月の始めに救急車で病院に運ばれた大じいさま。最初の診断では、この激痛は「偽痛風」によるもので1週間程度の入院とされたため、痛みがおさまればすぐ帰ってくるのだろう、と思っとってん。それが事態は思わぬ展開を見せることになりまして・・・入院してすぐ、痛みはひき食事もとれるようになったので、ついでに全身の検査をすることになったがや。1週間かけていろんな検査をした結果、脳にカゲが映ることが判明。もうこの時点で退院は延期。担当医師からは、脳こうそくかもしれんけど、ひょっとして脳腫瘍かもしれないと言われ、もう少し詳しく検査することになる。ところがこの病院には脳神経外科医がいない。本人が動けるなら、本人連れて専門医のいる所に行けばいいがやけど、動かすことは困難なため いろんな検査結果(レントゲンやCTなど)を持って、近くの専門医に相談したりして、6月始めにはやはり脳腫瘍だろうという結果になってん。結論が出るまで約1ヶ月。入院中の大じいさまの状態が少しずつ悪くなってしまいました。入院前から痴呆はすすんでいたものの、家にいた頃はなんとか会話はできていたのに、だんだんしゃべらないことが多くなり、噛む力もなくなり食事もミキサー食(ドロドロとした離乳食のようなもの)になり、私のことはおろか義母(大じいさまからしたら養女)のこともわからなくなりました。そして脳腫瘍ということになると、専門外のこの病院にいるわけにもいかず、ベッドが空くのを待って先週専門の病院に移ったのです。専門病院になったとはいえ、95歳の高齢を考えて積極的治療はおこなわず、体調管理を日々気をつけていくことだけの入院となります。幸い今のところ痛みを感じていることがなさそうで、毎日穏やかに過ごしています。転院するとき、前の病院の担当医師や担当看護師さんがお見送りしてくれて、そのとき大じいさまがすごくすごく寂しそうな顔してん。そして看護師さんの白衣をつかみ離そうとしんげん。ここの先生や看護師さんたちがまた優しくて、とてもとてもよくしてくれてんて。だからきっと大じいさまも離れがたく思ったんやないかねぇ。しゃべれないけど・・・わかってるんかもしれん・・・なんだかせつなくなってしまった 横暴で、自分の意見が絶対で、気にいらないとわめき暴れるたいへんな方だったけど、こうなってしまうともう小さなかわいい赤ちゃんのよう。老いるということはこういうことなんですね。今の病院は家から車で5分ほど。仕事の合間にでも病院へ行けそうです。もう私の顔もわからなくなったけれど、お話もできなくなったけれど、時々はかわいいひ孫を連れて病院に通うつもりです。ここの病院の看護師さんも優しいといいなぁ。(そうじゃない所が多いことを知ってるだけにちょっと心配しとるげん)
2007年06月18日
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先週からお友達の紹介で新しい生徒が入会してくれました入会してくれたのになんでまあ聞いとくれ今まで習っとった先生が結婚されることになり辞められるので、これを機に自宅から近い所で・・・と探しとってんて。小学2年の女の子なんやけど、同じクラスにうちの生徒がおったので、そのお母様からの紹介で入会することになって、うちの教室の説明をした上でその子のやってたテキストの進み具合も聞いたりして、かなり弾けるんやぁ・・・と楽に構えとったがや。 先週初めてレッスンをしてみてビックリ 指が見事にそっくり返ってる 第一関節がつぶれてしまってて親指もいわゆるまむし。 さらに 譜読みがさっぱりできん うちの生徒たち(小学2年)よりもずっとテキスト進んでるのに いったいなぜ テキストを見ると・・・ ドレミが1つ1つ譜ってありました それだけでなく、注意することがエンピツや赤ペンでぐちゃぐちゃに書かれてて 合格の○も大きな大きな花丸で(しかも太い赤マジック) 後から演奏しようと思っても楽譜が読めなくなってる 汚くなってしまった楽譜がとてもかわいそうに見えてきたほどですぅ(泣)さあて、これは大変だぞ。ある意味、まったくの初心者よりも指導が難しいぞ。どーしよ、どーしよ。本当は1番最初からやりなおしたいくらいだけれど、ここまで進んでるのにかわいそうだしなぁ。お母さんもがっかりされるだろうし。指はまだ2年生なので、テクニックのテキストで地道に訓練していけば直っていくでしょう・・・と期待して。とりあえず譜読みだよなぁ。音符を見て弾けるようにしないとどうしようもない。ここまでドレミつき楽譜できちゃったから、音符だけの楽譜に慣れるまで時間かかっちゃうだろうけど、1つ1つやっていくっきゃないわいね。この生徒が新中学生になって曜日変更になった生徒のレッスン時間に入ることになり、たまたま同じ小学校の2年生か゛3人続くことになりました。お互い意識しあって、向上心が出てくると嬉しいんだけどなぁ。なんせマイペースな子ばかりで・・・さあ、今日はその子達のレッスンがある水曜日。ファイトだぁ~>じぶん
2007年06月13日
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この日記にも時々登場するウチの娘、ただ今中学3年生。反抗期の兆候もなく、成績も良く、部活動(吹奏楽)もがんばっている。彼女と接していると、本当に私から産まれてきたんだろうかと思うくらいの「優等生」。2年生の時までは、毎日帰ってくるとその日にあったクラスの中でのできごとを矢継ぎ早に報告して「このクラス最高やろぉ~!」が口癖だったのに、新しいクラスになってからはまったくクラスの話題が出なくなった。親しい友人とことごとく離れてしまったことは知っていたし、慣れるまで時間はかかるだろうと最初はあまり気にしてなかったけれど、2ヶ月以上たったこの時期になっても、毎日彼女から出る話題は部活のことだけ。心配になったのでクラスでのことを聞いてみると、いつも1人でいるからつまらないのだと言う。これまでも決して友人が多いほうではなかったが、それでも気の合う友人を見つけて誰かしら一緒にいてくれる友人はクラス内にはいた。今回も親しいとまではいかなくても、部活で一緒の子とか、2年の時に一緒だった子とかいるはずなのに、どのグループにも入らず休み時間などは1人で読書をしたり、長休み時間は他のクラスの友達のところへ行くんだそうだ。ひょっとして、誰もあなたを仲間に入れてくれなかったりするの?おそるおそる聞いてみたら、そうじゃないとの答え。クラス替えのあった当初は、娘も部活で一緒の友人グループの輪の中に入っていたらしい。それが、話題になるのは、同級生や部活内の後輩、先生たちの悪口・陰口ばかりでそれを聞いているといたたまれなくなるそうだ。しばらくそのグループと行動していたものの、毎日毎日そんな話しを聞くのがどうにも我慢できなくなり、そうかといってやめようと言う勇気もなく、自然と話しの中に入らなくなったそうだ。他のグループとなると、これがまたいわゆる不良ちゃんたちでとてもじゃないが口をきくこともできないような子ばかり。確かになぁ・・・あのクラスのメンツを見ると、娘と気の合いそうな子がいないかも。やんちゃなお子たちが結構集まってきてるもんなぁ・・・あのクラスで1年過ごすには、娘のような子にはハードかも。それでも、クラスの中でいつも1人ポツンといるのか・・・と娘のことを思うとせつなくなってきて。ただ、私が思うほど彼女は深刻に考えていないようで、嫌な思いをしながらみんなの中にいるより、1人でいる方がずっと楽でいいらしい。強いなあ。それとも母に心配かけたくなくてそんな風に言うのかなぁ。 で、そんな娘なのでクラスの中では浮いてしまってるんだろうなと思っていると 金曜、今度校内で行われる「意見発表」のクラス代表を決めるため 1人ずつクラス内で発表した後、みんなで投票したら娘がかなり票を集めたらしい。 月曜に票が多かった3人でもう一度発表をして、 またみんなで決めるそうで娘はすごぉ~く嫌がっていたけれど、 何人かの女子に「しーちゃん(娘)に入れたしがんばってや」 と声をかけられたと聞いて、ちょっとうれしかった。 クラスの中でまったく相手にもされていない存在ではないんだなって。さてさてその娘。午後からピアノが弾けるボーイフレンドがやってきて、フルートとピアノの合奏をするのだとレッスン室に入ったきりなんだけど、先ほどからまったく音が聞こえないんですが・・・!ドアは開けときなさいって言ったのに閉まってるし(笑)・・・・・のぞきにいくべきでしょうか。どうしよっかなぁ~。
2007年06月10日
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昨日途中になってたバトンの続きです。さっそくいってみよ~(11)彼氏にするならこんな人が理想(5つ) 人が振りかえるほどのイケメンで 欲しいもの何でも買ってくれて 会いたいときにいつでも会いに来てくれて ベタベタしても嫌がらなくて 絶対浮気をしない ・・・・・・彼氏ならね。でも、こんなヤツおらんやろ! ちなみに結婚相手の理想は それなりにイケメンで (やっぱり外見も重要) それなりに経済力があって (たくさんなくてもいいけど、生活できるくらいはね) 家族を一番に考えてくれて (愛情ある人じゃなきゃね) 会話がなくても気まずくなくて (一緒にいて楽ってこと) タイガースファンであること! (これは大切なことでしょ) お気づきの方も多いでしょうが、ダーリンのことでぇ~す。(笑) ただし「イケメン」はあくまでも私の感覚なので、一般的にではありません(笑) それとタイガースファンは結婚後に教育いたしました(爆) (12)親友と呼べる友達は何人いますか? なにもかも自分をさらけ出せるほどの友人となると、幼なじみの1人だけかなぁ。 日常の悩みや子どものことなんかで相談できるような「親しい友人」はあと3人ほど。 飲み友達はそれこそうじゃうじゃ・・・(笑) 親友ではないかもしれないけれど、大切な大切な友人たちです。(13)今までの経歴や自慢できることは? ハタ・・・と考え込んでしまった。 経歴?自慢?う~ん。なんも思い浮かばない・・・ カラオケでいきなりハモることができる、とか? (なんやそれ) 歌ってる人がつられるから、横でハモると嫌がられるけど(笑)(14)コレの為なら1食抜ける? タイガースの試合が長引いて食べそこなうとき。 あ゛~っ、でもビールは飲んじゃうなぁ。(15)好きなブランドある? ない。 まったくわかりません。(16)今、行きたい場所は? TDL。 1年に1度じゃ少なすぎるぅ。夢は年パス持つことです。 思いきり現実逃避したぁ~い!! ハワイにももう一度行きたいなぁ。。。(17)もし、自由に使えるなら10万円は何に使う? ダーリンと高級温泉旅館に1泊。(18)将来の夢は? 西宮に住むこと(笑) でも、そうなるとこっちの友人と離れてしまって面白くないのでやっぱり無理。 このでっかい家を改造して離れにでも私だけのスペース作りたいなぁ。 小さなサロンコンサート開けるようなレッスン室で、 そこには絵本もいっぱい置いてあって、 日曜はコンサートだとか、読み聞かせとかのイベントやるの。 実現できたらぜひお寄りくださいねふぅ~。最後までいきました~。宿題をなんとか終わらせた感じです(笑)でも、1つ1つ答えていくのもなかなか楽しいものですね。のーみんのぴこさん、ご指名していただいてどうもありがとうございました読んでいただけた方も、最後までおつきあいいただきありがとうございました
2007年06月07日
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のーみんのぴこさんより回ってきたバトン☆本当は回す人の名前を列記しなきゃいけないそうなんですが、選ぶことができない小心者なので ←(こういう時ってそう言わない?) やりたい!って思ったあなたは遠慮なく拾ってくださいね♪バトンのルール♪必ずパトンを回す5人の名前をタイトルに書いて驚かせてください。回ってきた質問には素直に等身大の自分で答えましょう。ルールは必ず記載しておいてください。(1)お名前は? 「とらトク」です。 阪神ファンなのでとらちゃんって呼ばれたくて(笑)(2)おいくつですか? 誕生日を迎えたばかりの45歳。 あぁ~っ、もうちょっと前にこのバトン来てれば1つ若かったのにぃ~(笑) 「長男は20歳で産んだんよ」って言ってたら、本気にされることが多くて、 最近は16歳で・・・と最初から冗談だとわかるように言うことにしてます(笑)(3)ご職業は? ピアノのせんせい って真面目に言うと「またまたぁ・・・」ってこちらは本気にとってもらえないことが多い。 なんでぇ~っ???(4)資格は何か持ってる? 自動車の普通免許。 そろばん2級。(完ぺきに忘れてるけど) ラジオ音響技能検定4級(確かこんな名前じゃなかったかと・・・) ピアノの指導グレードは資格じゃないよね(5)今悩みはありますか? 悩みがなぁ~んにもないお気楽なヤツ と思われてしまうことが悩みです。 あたしだって、あたしだって、悩みくらいあるんだぞぉ~っっっ。(6)誰かに似てると言われたことがある? ずぇ~んぜんありましぇ~ん。(7)社交的?人見知りしちゃう? 友達作るの大好き!だし、新しい人たちとの出会いにワクワクするし、 やっぱり社交的って言うんだろね。 自分では結構人見知りだと思ってんだけど、 どこがやねん!ってつっこまれそう。(8)人の話しに耳を傾ける? 聞く、聞く。そしてしゃべる(笑) 聞くだけでは終わらんな。それについて自分の話もしっかりしちゃう。(9)ギャンブルは好き? 嫌いです。 注ぎ込むお金もございません。(10)好きな食べ物・嫌いな食べ物 甘いもの(和菓子も洋菓子も)が大好き。 少し前まではお刺身が食べられなかったけど(美味しい所に住んでるのに) 最近克服しました。 どうしてもダメなのがチーズです。 ただしチーズケーキは大好きです。・・・・・・予想以上に時間かかっちまった。 今日はここまでしか書けません。 11~18の項目は明日にでも・・・・・・・・
2007年06月06日
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今日は私の誕生日祝ってくれぇ~っ(笑)とうとう四捨五入したら50代になる、40代後半突入です えらいおばさんになってしもて・・・ なのに中味は成長してなくて・・・いやいや、気持ちが若いってだけなのよ 今日はたまたま、娘が小学校時代の役員仲間たちと温泉でお泊り宴会なので、みんなにお祝いしていただきますわ・・・無理やりでもさせちゃおっ 温泉旅館でお泊りなんて豪華~なんて思うやろ ところがこちらでは1泊2食付きで7800円という超激安の旅館があるんです 安さの秘密は、部屋食ではなく食堂でバイキング料理ということと、 仲居さんがつかないということ。 でもね、持ちこみOKねん。 ほやし、食堂でさっさと食事済ませて、あとは部屋で宴会。 仲居さんも来ないし、気も楽。 はたしてこのメンバーで寝る時間なんてあるのでしょうか(笑) でももうみんな「とし」やし、意外と早寝早起きかも(爆)そういうわけで、今晩の阪神-日ハム戦見られないんやけど、どうか日ハムの連勝を阻止して勝利し(そしたら阪神が3連勝や!)、私の誕生日プレゼントにしてほしいなぁ~
2007年06月02日
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昨日は私の持病である、腎臓病の定期検診の日やってん。今まで水曜にしてたんやけど、今年から別会場でのレッスンになったこの曜日だと、時間に余裕がなく大変になってきたので、今回より火曜に曜日変更したがや検診の曜日が変わるってことは、担当医師も変わるってこと・・・公立の病院なので、以前の先生も異動で替わったばかりやってんけど、この先生が病院の先生によくいるタイプの「診てやってるんだぞ」といった横柄な態度がミエミエで、あまり好きでなかったことも曜日変更したかった理由でもあるげんて今回はどんな先生やろか期待でわくわくしながら診察室に行くと・・・若いやんけ~でもイケメンじゃなかったぁなどと思いつつ、おねがいしまぁすとイスに腰掛けると「はじめまして。僕は○○です。これからとらトクさんの担当となりますのでよろしくおねがいします。」と頭下げられた入院患者じゃあるまいし、外来の一患者にこんな丁寧にあいさつしてくれるドクターなんてはじめてやぞいね好感度UPその後も検査結果のことや、今飲んでる薬は副作用のあまりないものなので安心していいことや、こちらから尋ねていないことも詳しく教えてくれてん。以前のドクターは、こっちが尋ねても、難しいことはわからんでしょ・・・とばかりに、簡単にさらりとかわされたりしてたことを思うと嬉しい対応でした。イケメンじゃないのは残念やけど(笑)ほやけどカッコイイ先生やったらドキドキして血圧上がってよくないよね~実は今じゃこんな風にドクターのことで盛りあがれるがやけど、実は昨年末結構ヤバイ数値になっちゃって、ブログで書くのもためらわれるほど凹んでた時期があったんよ「以前の生検(直接腎臓に針を刺して細胞を採る検査)から20年近くたってるし、今後の治療方針を決めるためにもう一度やりましょう」と入院宣告されちまった「今は無理ですぅ」(在宅介護の年寄りかかえて、これ以上義母に負担かけられない)と言うと、「でも、今のままの治療じゃもうダメになってきてるようなんだよね。だから今後の治療のためにも生検は絶対必要だから、家族の方とよく相談してきて」その夜。 ダーリンにドクターから言われたことをそのまま話した。ダー:「前に生検受けたとき予後は悪くないタイプって言われたんじゃなかったけ?」とら:「当時はそう思われてたタイプが、今はその半分以上悪化することがわかってんて」ダー:・・・・とら:「私の腎臓もうダメかも。どんどん悪くなって透析受けるようになったらどうしよ」ダー:「そのときは腎臓1コやるよ。今は血液型違っても移植できる場合あるげんぞ」とら:「わぁ~い!そんならちょうだいやぁ」(冗談やと思ってはしゃいだ)ダー:「自分だけが元気でもしゃあないがいや。本当にやるしな!」(真剣なまなざし) マジっすか・・・この人本気みたい・・・私って愛されてる(笑)(笑)(笑)本当にそうなったらさすがにダーリンもビビるだろうけれど、そんなふうに言ってくれるだけでも嬉しいすっごぉ~く嬉しいかなり嬉しいめっちゃ嬉しいだからね、この日からがんばったのよ食事療法もう徹底的に自覚症状がないため、つい飲み忘れが多くなる薬も絶対忘れないようにして。次の検診で少しでもいい数値になるように。そうして1ヶ月後。入院は発表会後の4月末以降にしてもらおう・・・という決心を持ったまま診察室に行くと「この数値ならもう少し様子みましょうか」とのありがたいお言葉が先生から。かなり良くなっとってんてこれぞ愛の力だぁ・・・・ってね、ちがうだろっ。それだけ本気になって食事に気を使い、薬を忘れずに飲んでいれば、数値は安定するんだって。なんで自分にあまくなっちゃうかなぁドクターからは「あくまで様子を見るってことで。悪くなる兆候が見られたらすぐ生検だからね」と念を押され、あれから4ヶ月・・・とっても安定しておりますこれに安心しないで、塩分制限がんばらないと生検受けた後の体を動かせない地獄を思えば努力しなきゃね。生検そのものより、その後がつらい。トイレも行けずベッドの上で(これがなかなかできない)なんて、思い出すだけで嫌じゃぁ~大切なダーリンの体にメスを入れないようにするためにもね
2007年05月30日
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うちの教室では毎年4月に発表会があるので、進学・進級の時期&発表会で4月を機に辞める生徒が毎年出てくるげん今年の発表会前には「発表会が終わったら辞めます」宣言の子はいなかったんやけど、引っ越す生徒1名・短大進学2名・別会場の中学進学2名(自宅でないので遅い時間のレッスンができない)は多分続けられんやろなぁ・・・と思っとってんあともう1人、家でまったく練習してこない4年生の男の子にいたっては、キーボードしか持ってなくて、そのキーボードが何ヶ月も前から壊れてるらしいきっと発表会までのつもりで購入しないんやろなと思うがいね。で、今年は6人も1度にバイバイになるんやろかと思いきや・・・ 引っ越しした生徒は出張レッスンに行くことにしました。 近くの先生を紹介することもできたんだけど、 嬉しいことに「どうしてもとらトク先生がいいんです」なんて言ってくれて 短大生は月2回ペースでレッスンすることになりました。 2人とも辞める選択肢が最初からなかったようで、 忙しくなるけど、細く長くずっとやっていきたいって言ってくれて 彼女たちはもう「ピアノを弾く」ことが、生活の一部になったんやね。 これはすごく嬉しいことだ 別会場の中学進学組の2人は、 家族の送迎で自宅教室まで来てくれることになりました 別会場なら歩いてすぐの家に住んでる2人。 これからは家族の方々の協力なしにはレッスンできません。 部活との両立が厳しくなるけど、がんばって続けてほしいな~ キーボードが壊れてまったく練習してこなくなった男の子は 発表会を終えて俄然はりきってレッスンにやってきます 辞める気はなかったみたい・・・ それじゃ楽器はどうするつもり 「ママ、直すって言ってるよ」 でもなぁ、続けるんならキーボードってのは・・・そんなわけで、辞めるだろうなって思ってた生徒が残り喜んでたら・・・先週思いもかけなかった生徒の親から突然の退会の知らせが5年生の女の子なんやけど、練習もしっかりしてくるし、この前来年は「エリーゼのために」を弾きたいって言ってたばかりだし、なんといってもレッスンをやってて私もすごく楽しくなるような、期待の星やってん。ど・どうして動揺する私にお母さんが言いました。「お月謝が払えないんです」「本人はピアノが大好きで、なんとかやらせてあげたくてココまでがんばってきたんですが、新聞も今月からやめたし、家の事情を説明するとあの子もわかってくれて・・・」ここまで言ったらお母さん泣き出しちゃったこの生徒さんの家は自営。この仕事の依頼が年々減って、ここ数年とても厳しい状況なのだそうだ。しかもお子さんが4人もいらっしゃる。男の子なんて食べ盛りだし。お月謝は決して高い金額ではないけれど、やっぱり習い事って心に余裕がないとね。生徒がレッスンに来なくなるのは寂しいけれど、あの子ならこの先もピアノ(電子ぴあのだけど)に触れてくれるだろう。そしていつか余裕ができたら、遊びに来てほしいなぁ。それから新しい生徒も増えました。年長さんの女の子が2人。手なんかまだまだ小さくて、ものすごぉ~くかわいいもはや孫感覚です(笑)来月からは2年生の生徒の紹介でもう1人増えます。他の教室から移ってくる生徒さんなので、導入時期の指導をしなくていい分楽かもしれないけれど、もし弾き方に変な癖ついてたりしたら、最初から教えるより大変ともあれ、新しい出会いがあることに感謝です
2007年05月26日
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行ってきました、我がタイガースファンの聖地「甲子園」19日の朝8:00頃金沢出発。 11:00頃大阪到着。やっぱ遠いよなぁ~梅田の丸ビル地下で早めの昼食をとり、12:30に宿泊ホテルロビーで息子と待ち合わせることにする。(ホテルは甲子園のすぐ近く) ホテルに向う途中、一足先にホテルに着いた息子からメール 「雨降っとるぞ」 え~んどうしても降るのね・・・ でも、駅に着くと小雨がパラパラ程度で傘さすほどでもなく。ロビーで約2ヶ月ぶりに息子と対面。また痩せとるがいねなんか会う度に細くなってるぞっ。「なんで痩せとるんちゃんと食べとるがかいね」が第一声でした。さて、ホテルに荷物を預け、ばあちゃん(実家の母)と娘は甲子園近くのモールにお買物甲子園観戦組はそれぞれユニホームをはおり、メガホン持っていざ甲子園(カッパもちゃんと持参。でもつかわずにすんだ) あぁ・・・今年もここに来られたのね・・・ 幸せを感じる瞬間ですぅ。。。 今年の席はポールぎわの前の方。 (もちろんライト外野です) 前列なので、応援団の指示が良くわかりとってもいい席でした 2:00開始なのだけど、1:00すぎにスタンドに来て練習風景を見てました。 さすがに、まだ周囲の方々はパラパラでしたけど 練習を見てるだけ、 いやこの甲子園にいるというだけで嬉しくて、嬉しくて試合開始近くになると、みるみる席が埋まってきて、きゅっきゅっになりました。この狭さったらないっ横も狭けりゃ、前後も狭いっトイレに立とうものなら、「すいません」連呼してまたいで行かなければならないほど。売り子のおにぃちゃんたちも、近くまで来てあとはお客さんたちの手渡しねんよ。これってすごくない?ビールが手渡しで注文した人に渡っていき、お金がまたお客の手によって、売り子のおにぃちゃんに・・・それほど甲子園の外野は狭いんやけど、なんかいい風景だよなぁ 試合は杉山が先発。 横浜はここまで無敗の土肥(よ~知らんけど) 杉山はボール先行でなかなか安定せんように見えたから まさか完投・完封するなんて思いもせんかってん。 これも私「勝利の女神」の力かぁ?(笑) 攻撃はシーツの2打席連続ホームランなどで どんどん点を重ねていき、 気付けば6点の大量点。 ここまで楽勝で見られるゲームになるとは。 おそるべし「勝利の女神」ってもういいか(笑)それにしても、タイガースの応援のあの一体感はなんなんだろう。球場のごくごく少数の相手チーム応援団を除いた何万という人々が、メガホンを握り締め、選手それぞれの応援歌を歌い、一斉に歓声を上げる。ただ1つのボールに一喜一憂し、周囲の人たちと瞬時に仲間となり喜び合う。 やっぱ甲子園って最高この日はありったけの応援ができてラッキーでもありました。「チャンスマーチ」も歌えたし、「わっしょい」もできたし、「あと一人・あと1球」コールもできたし・・・七回の風船とばしは圧巻だし、点を採るたびに万歳の嵐でもなんといっても勝利後の「六甲おろし」の大合唱は感動もんです今年もみんなで甲子園に来られて(父を連れてきてあげれて)勝ち試合を見られたこの幸せに泣きそうにすらなります(笑)欲を言えば、球児の投球姿を見たかった(その時は接戦でドキドキしなきゃいけないけど)のと、まこちゃんを肉眼できれ~に見たかった(内野に行かなきゃ見れないよね) りんちゃんは、もう目の前って感じでよく見えた。 かわいぃ~っ 最近いい活躍してるもんね あのたどたどしい日本語も、キュンときちゃう~。 りんちゃんのかわいさに、ちょっと浮気しちゃいそぅ。試合終了後も延々続く応援・・・鳴りやまず・・・ずっとおりたいところやったけど、娘がホテルで待ってるんで途中で帰りました。夕食のビールがめちゃくちゃおいしかったのは言うまでもありません(笑)次の日は、甲子園前にあるショップ「アルプス」でお買物午前中なのでほとんどお客さんがいないので、ゆっくり楽しめました。ここで、息子からTシャツを買ってもらってん1週遅れの母の日のプレゼントです。帰りはいつもと逆で息子が大阪駅のホームまでお見送りにきてくれた。本当はつらくなるので、改札のところでいいよ~って言ってんけど、ホームまで来るって。せつないよね・・・この駅でのお別れってさぁ・・・動き出した電車の窓から笑顔でバイバイしたけど、必死で涙をこらえておりました今度会えるのは夏休みかぁ。まだまだ子離れできん母なのです。 さて、今日から交流戦。金・土・日と3連勝したタイガース。この波に乗ってどんどん勝ち進んでもらいましょう
2007年05月22日
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おぃおぃカープ相手に8連敗だとぉ~なにしとるがいね~こりゃあたしが行かんなんねなんたって甲子園で負けなし(1年に1度しか行けんげんけど)ってことで明日甲子園に行って来ますあたしが行けば必ず勝つただね・・・この「勝利の女神」は同時に「雨女」でもありまして勝利の行方もさることながら天気の行方が1番心配ながや試合中止になったことはないけれど雨なしで観戦できたのは昨年の1度だけ 明日甲子園で観戦の皆様カッパ持参でおねがいします
2007年05月18日
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<司会のお仕事>私の地区の市議会議員さんが、このたびめでたく副議長に就任。そこで「お祝いの会」がおこなわれ、式典の司会を仰せつかった。司会といっても、シナリオはできているし、そのとおりに読んでいけばいい。市長やその他、お偉方はいらっしゃるけど、それほど緊張することもなくさすが、私ってかんぺき・・・なんて楽勝気分でいたのに 出席者の方の紹介する場面で、来ていない方まで紹介してしまった (出席する予定だったのでシナリオには書いてあった) すぐ会場の雰囲気でわかったのだけど、ここがプロじゃない弱さ。 アドリブがすぐ出てこなくて、シドロモドロあ゛ぁ~っ、私としたことが・・・ちゃんと出席者の確認をしなかった自分の認識の甘さに、ひじょうに反省した。(ダーリンがいつもより上手にできてたよ、と言ってくれたのが救い)<小学校での読み聞かせにて>「まさかさかさま」の絵本を読んでいたときのこと。絵本をひっくり返すと・・・あらあら不思議、別の絵にかわっちゃう、とても楽しい本なのだけどくるっと逆さにしたら出てきたおデブなおばちゃんの絵。その絵を見た1人の男の子、私を指さし「わぁ~、そっくり」だって。 へっ 君から見ると私はこんな風に見えるのか いや、クラス中が爆笑したってことは、みんなそう見えてんのか え~んと思ったけどみんな笑顔になったし、まっ、いっか。<中学校での朗読で>昨年度はいろんな有名人が自分の父親について語ったエッセイ「おやじの背中」を読んだ。なかなか面白かった。今年度は森絵都の超短編集「ショート・トリップ」を呼んでいる。コレが受けてる。先生方に(笑) そりゃ、生徒たちは微妙だろね。 前校長からの頼みでやってはいるけれど、 小学生の読み聞かせと違って、中学生はどうなんやろ。 疑問に思いつつ、関心ないようでも耳からお話がはいってくるってのも たまにはいいんかもな、と自分で慰めつつやってる。先生からは「とらトクさんの朗読って心が癒されます」「いつも楽しみにしてます」「いつ聞いてもいい声ですねぇ」等々、それなりに好評のようで。いつもお疲れの先生方のために続けていきましょうかねぇ<カラオケでの一言>PTA歓送迎会での二次会でカラオケに行った。いつものように自慢の歌声を披露すると今度一緒に副会長をするパパさん役員に言われた。「目をつむって聞いてたら惚れてしまいそうや」 ・・・・開けてても惚れてくれ(笑)
2007年05月16日
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連休中の田植えでへろへろ状態だったときのことは書いたけどそのへろへろ状態をおして(笑)参加してきた「同窓会」のことも記しておきましょう毎年お正月に集まる小学校時代の同窓会(毎年でも同窓会と言うがけ?)今年のお正月は私を含め、県外に住む女子(同窓生の間だとこういう表現しちゃうよね)など数名が出席できずにいたので、この連休中にもう1度集まることになってん。田植えの最中だし、疲れているだろうし、参加するの迷ってたんやけど、なんせ「正月、とらトクちゃんに会えなんだしするげんぞ」なんて言われちゃ・・・ねぇ。県外から3年ぶりに来る友人もいるし、出かける日の夕食の準備を(もちろん農作業後)完璧にやってから、少々遅刻で参加してきてん。 何度か話したこともあると思うけど 私はいわゆる転校生でありまして しかも6年の2学期に来たので みんなとはほんの半年間の小学校生活やってん。 私以外はみんな6年間ずっといっしょ。 つまり1学年1クラスしかない小さな小学校やってん。 だからみんなの結束は堅く 私のような新参者はのけものにされそうなんに これがまた、みんな昔からの友人のように接してくれてさぁ 6年間一緒のみんなの中にもすっかりなじみ (みんなの中では4、5年の時にやってきたイメージねんて) 今じゃ私が女子の幹事やってたりする 昔の思い出話しで盛りあがったときなんかは 「それ、まだ私おらんわ」なんてちょっと寂しくなったりするけど 同窓生と話してると、簡単にタイムスリップできるよね。昔好きだった子の話とかもしたりしてそれによると、転校生の私はあの当時かなりもてていたらしい男子のハートを一人占め状態 人には必ず1度は「もて期」というものがあるらしいけど 私は小学生時代がその時期だったようです。 あぁ~っ 20歳くらいに「もて期」が来てほしかったなぁ~ まっ私の場合、転校生でものめずらしさがあったんでしょうけどその席で大学生を持った母たちが集まり子どもたちの話しになってん。1浪の末、難関大学にこの春見事合格した子地元の国立大に進学した親孝行な子(1番経済的負担かけてないもんね)連絡が来たと思ったらお金の催促ばかりしてくる子自分でさっさと留学の手続きしてアメリカ行っちゃった子などなど親がいろいろなら子もいろいろでした(爆)「うちは神戸の学校・・・」と言いかけると「すごぉ~い。神戸大なん?」と今までさんざん言われて、その都度「神戸の、神戸の・・・」と言い直していたので、今回は「うちは兵庫県の大学ながや~」と軽くかわしました仕送りが「8万」だと言うとみんな信じられないようで・・・それでも、あまり使わないし、バイトもしてるし、生活費の通帳は貯まる一方で助かっとるげん。 そしてこのメンバーにPTA仲間が何人もいることが判明 1人は会長さんなので、県の集まりで会ってるから知っとるがやけど 学級委員だったり、地区委員だったり、なんやかんやお世話しとれんて。 いろいろそれぞれの学校の様子が聞けたりして こんな所でPTAの話題が挙がるなんてビックリ とらトクちゃんは絶対なんかやってる(PTA役員)と思ってた なんて言われた・・・どんなイメージねんろ。 みんなで1つの学校の役員・委員できたら最高やろね~ なんて夢物語を語りつつ(誰が何の役するか(笑)) このメンバーの集まりがとても心地いい理由がわかったのでありました疲れた体ではあったけど、思いきってやってきて良かった さて同窓会の時にも話題にのぼった大学生の息子くん。昨年の連休は帰省し、田植えも手伝い、帰りには母の日のプレゼントを置いていくという超親孝行をしていった彼ですが今年は帰省もしないしプレゼントもなしまっ今週末には会えるしな・・・と思ってたら、朝メールがきた「母の日何も贈らんかったけど今週末こっち来たとき欲しいものかってあげるから」ひゃぁ~っなんて嬉しいこと言ってくれるのぉ~その言葉だけで十分だよなんて言いたいとこだけどせっかくだから何か買ってもらお何にしようかな・・・朝からずっとウキウキ気分 ってことでタイトルにあるとおり、息子(&愛しのまこちゃん・かわいいりんちゃん)に会える週末に向けこの1週間元気にがんばりますタイガースの応援に備え、応援歌のおさらいしとかなきゃ
2007年05月14日
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昨日2泊3日の関西方面への修学旅行から娘(中3)が帰ってきたし、いつものにぎやかな我が家にもどってん帰った途端、旅行中のあんなこと、こんなことのオンパレードで、心から楽しめたようで、出発前にいろいろ心配してた母はほっとしました~。 というのも、 娘は人見知りが激しく(誰の子じゃ) おとなしく真面目で(誰の子じゃ) 積極的にお友達の中に入っていけないタイプねん。 ほやし、1番仲良しの友達とクラスが離れてしまい 今の新しいクラスにはあまり仲がいい友達がいなくて 1人でいることが多いげんて。 男の子ならいざしらず、 女の子でクラスにポツン・・・と取り残されてるなんて その光景を想像しただけで私なんかはキュンとつらくなるけど 本人は「無理に話しの合わない子たちといると余計つらい」ようで、 「別に無視されてるわけじゃないし、避けられてるわけでもないから」 と全然気にならない様子。そんなクラスでのことを聞いてたので、班での行動やクラス別の観光などみんなと一緒にできたのかなって心配しとってん。でも、昨日の話しを聞いてたらそんな心配いらなかったみたい班の子たちとも、クラスの子たちとも一緒に楽しめたようです。良かったぁさて、息子の時も思ったけど、いまどきの修学旅行ってぜいたくねんよぉ~ まず大きな荷物は前日に宿泊施設までトラック便で送るげん。 2泊分の荷物なんてたいしたことないのに、 自分らで運べばいいがにねぇ。 1日目の京都散策は班ごとにタクシー1台借りきっての観光やし そして宿泊施設は一流ホテルで、2名か3名1室でございます。 1泊目の夕食なんぞは、フルコースだと ステーキ&デザート、すごぉ~くおいしかってんて昨年の修学旅行では、ホテルのドアをこわし、壁に穴をあけ、ベランダ伝いに女子の部屋に潜入した我が校生徒今回は娘の話しからすると、大事件はなかったようで(先生から聞くまでわからんけどね)同室の子で消灯時間になっても戻らない子がいて叱られていたらしいけど。ほんとになんで決められたことを守れんげんろ・・・と娘が言うので「お母さんも同じことして先生に叱られとったわぁ」という言葉をのみこみました(笑) そしてこの修学旅行には 入学式当日以来、ずっと不登校を続けていた女の子が どうやら参加するらしい・・・と 娘から聞き 思わずバカな母は 「えぇ~っ!普段来んとって(来ないで)こんなときだけ来るがけ?」 と口にしてしもた。。。 娘ががっくりした口調で 「なんでそんな風に言うが?クラスの女の子たちと一緒やがいね。 これがきっかけで学校に来られるようになるかもしれんがに」と・・・。 くぅぅ~っ。だよね。そうだよね。そのとおりだよね。 きっかけさえつかめれば、学校に来られるかもしれないもんね。 来てくれたら、嬉しいよね。 1度も会わないまま卒業なんて寂しすぎるよね。 娘にしこたま怒られて、 とてもとても反省した母なのでした でも、残念ながら不登校の女の子は修学旅行にやってきませんでした。今日は授業もなく、班での京都観光のことを班で壁新聞にする作業と、旅行の作文作成だけで、給食のあと図書室へ寄って(娘の日課です)、司書の先生(とっても仲良し)に修学旅行のお土産話をしてから帰ってきたみたい。先生に「お楽しみはこれで終わったね。今日からは受験生の自覚を持って・・・・」うんぬんと言われたそうです。 そうだぞぉ~。 忘れそうになるけど(笑) 受験生なんだからね。 私も受験生の母の自覚を持つことにしよう。って何すりゃいいんだぁ? ご心配おかけしましたが9連敗、単独最下位という泥沼からようやく生還いたしました勝つことがこんなに難しいなんてまた1からスタートこつこつと積み上げていきましょう
2007年05月11日
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昨日我が家で2度目の救急車要請をいたしました。1度目は4年前、大おばあさんが部屋で倒れて救急車を呼んでん。レッスン中に、大じいさんの叫び声を聞いて部屋に駆けつけると、もう意識がないおばあちゃんが倒れてて救急車に連絡し、生徒をレッスン室に残したまま義母を探して(畑か田んぼにいること判ってたし)、その後訳を説明して生徒の親に迎えに来てもらい、その後のレッスンキャンセルして・・・・ サイレンが聞こえ出しても、なかなかその姿をあらわしてくれず、 早く、早く来てよぉ~と気ばかりあせって、 救急車の到着がものすごく遅く感じました。 実際は多分そんなにも時間かかってなかったでしょうに・・・ あの時も大変だったなぁ~ それから約1年後、意識が戻らないまま大ばあさんは亡くなりました。 93歳でした。昨日は大じいさんを病院に運ぶために依頼したげん。認知症が最近ものすごく進んできた大おじいちゃん。厳格で介護もやってもらって当たり前の昔の人だから、何に対しても文句ばかり言う人ねん。食欲は人一倍旺盛で、94歳にして私たちと同じものを平気で食べ、間食もかかさない(だから体も大きい)そんなおじいちゃんが、ここ数日食べささないと食べなくなってました。そんな状態なので、先週からヘルパーさんにも来ていただいて、オムツ替えなど手伝ってもらってたんだけど、朝・夜は義母と2人でやってたんよ。昨日の朝も、義母とオムツを替えようとしたんやけど、どうしたのか足を持つとものすごく痛がるげん尋常じゃない痛がり方で、手がつけられなくなってしまって。 かかりつけのお医者さんに電話すると「連れて来られますか?」 はぁ いつも往診に来ていただいてるのに、 動かせる状態じゃないことぐらい判ってもらってないがんけ 「無理です」(連れていけるわけないやんかぁーと言いたいのをこらえて) 「じゃあ救急車で来てください」・・・だって。というわけで、2度目の119。でも前回と違って1分、1秒を争う緊迫した状況じゃないので(触らなければ痛がらない)こちらも落ちついたもので「できたらサイレン鳴らさないで来ていただけるとありがたいんですが」とお願いしたけれど、やっぱり救急車両は鳴らさないといけないそうで(そりゃそうだよね)めいっぱい鳴らしてやってきてくださいました。1度目の時と違い、とっても早く来てくれた感じがする。気持ちの持ちようで時間って全然感じ方違うがやね~。 お義母さんと私だと、痛がってあばれてしまう大じいさんも、 救急隊の方々には、痛いと言いつつかなり我慢してくれて、 担架に乗せられて救急車へ。 さすがプロですね~。 体の大きい重い大じいさんを、 こともなげに手際よくさっさと移動させ、 3人でひょいと持ち上げていきました。 かっこいぃ~いざ救急車に乗せようと玄関出てびっくりいつのまにこんなにギャラリーがそこには近所のおばちゃん、おばあちゃんたちがずら~っと並んでおりました 顔ぶれを見て気付いた そう、4年前の大ばあさんの時と同じ人たちねん。 きっとサイレンが近くでピタッと止まったから探してたんやろね。 おばちゃんたちの好奇心はすごいです 即効の行動力にはまいります しかしいくらなんでも玄関にはりつきってのはあんまりじゃないけ 大ばあちゃんの時は、門の外から様子伺ってただけなのに 今回はかぶりつき状態やん。おいおい・・・パワーアップしとるがいね で、まだそこに大じいさんいるのに私に「なにあったん?」って 聞いてこないでよ この方たちは、 自分の家でこういうことがあったとしても、 他人がかまってくることに嫌悪感抱かないのでありましょうか。 ずかずかと玄関先までおしかけてくる行動を 失礼だとは感じないのでしょうか。 これでものの数時間で、町内中に知れ渡っていく 恐怖のネットワークが存在してます。うぅ・・・だから田舎って・・・ヤダァ せめて間違った噂流さないでね。 今まで 「義父死亡説」「私の重病説(生きるか死ぬかのような)」「私の激痩せ説」 を流された経験ありの我が家ですのでとまあ、救急車にはお義母さんがつきそい、私は仕事もあるので家に残ったのだけど、その後も近所のおばちゃんたちに説明し、電話もいろいろかかって来たりで、バタバタとしたお疲れモードの1日でありました。大じいさんは、昨日の段階では多分「偽痛風」からくる痛みということで、病院で痛み止め打ってもらったらすっかり痛みはひいたそうです。やれやれ。。。今日からもう少し詳しく検査するそうでしばらく入院することに。病院には通わなくてはいけないけれど、介護と百姓仕事で義母がギブアップ状態だったので、これで少し体を休めてもらえるかなぁ。痛いのはかわいそうだったけど、お義母さんの(ちょっぴり私も)休養ができそうで「入院」となってほっとしているのも事実です。で昨日から娘が修学旅行のため、この家に来て初めてかもしんない4人分の食事作り。こんな小人数の食事の分量わかんないんですけどぉ・・・それより娘がいないだけで、夜の我が家ものすごく静かすぎて、妙な感じ。 はっきり言います。 寂しいんだよぉ~
2007年05月09日
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お久しぶりでございます。体中が痛くて、ヘロヘロ状態で、何もする気がなくて、開く気にもなれませんでしたぁ~。 今年の田植えは4日・5日。田植えに備えて3日は2日分の食事作りです。田植えには義弟家族が手伝いに来るので、10人分の支度をしなければいけません。カレー・牛丼・煮もの・煮マメ・サラダ等々、田植えの日にすぐ食べられるようにしておきます。これは長男の嫁として当然の仕事のようです。さて4日義弟たちが到着すると、それはそれは義父母たちは大歓迎。感謝の言葉のあらしです。 それを聞きながら(毎年のことだけど) 同居してるものは、どんなに大変な仕事をしても当然で 種まきの日を含めても、たった3日間の田んぼ仕事をするだけで こんなに感謝され、大事にされ、お米を思う存分もらえて なんだか納得いかなぁ~いっ と心の中で叫んでる私がおります。確かに来てくれてとても助かるんだけどね。息子も今年は来なかったし(泣)、男手が足りなくなった今、義弟たちの手伝いがなかったらとても2日で田植えを終わらせることができません。だから私も「ありがとね~」と、この気持ちにはウソはないのよ。それでもやっぱりなんだかなぁ~の気持ちがどうしても出てきちゃって 義弟のお嫁さんも、最近では文句ばかり。 お米もらっているから仕方なく来てるけど、できることならやりたくないとか もうこんな仕事うんざりだとか、虫が気持ち悪いだの、体が痛いだの、 作業している間ずっと文句言ってる。 だけどね 手伝いっていったって、この田植えの2日間と4月最初の種まきだけなんよ。 それでお米がもらえるんだよ。 種まきの準備も 稲の出し入れも 消毒やこやしまきも 稲刈も その他の作業はすべて同居の私らがやってるんよ。 あなたたちの食事もすべて私が用意してるんよ。 「長男の嫁との違い」考えてみてよ。自分がどれだけ恵まれてるかわかってよ。なんてつい思ってしまう。で私って心が狭いなぁ~とまたまた自己嫌悪。毎年このくりかえし。学習能力ないなぁ。気持ちの切り替えが20年たってもできないとは情けない近所でも田んぼに出るお嫁さんはほんの少しになってしまった。そのことをなにげなく義母に話すと「食事を作る人もいるからねぇ」・・・私は前日にしてますけど当日作ってもいいのなら私もそうしたいけれど、私は田んぼに出るのが当たり前じゃないですかなぜ他の家の嫁さんは、家のことだけしたらよくて、うちの嫁(私)は田んぼ仕事プラスおさんどんなのそれについて労いもないの それにしても田植え作業はこたえるなぁ。 慣れない体力仕事2日間は、本当に本当につらい クタクタになってるところへ タイガース惨敗の知らせが 7連敗だそうです 泥沼です。どうしましょう・・・ このニュースにますます気落ちし 気分がどよぉ~んとしてたとこへ名古屋に住む義弟から 「お米なくなったから送って」コールがなんの手伝いもせず、タダでお米がもらえる1番お気楽なのがココにいたなんかもう、お疲れモード全開の連休なのでありました。でも大嫌いな連休も終わったし、また心機一転がんばろぉ~っと <休んでた間、いろいろネタも溜まってるのでボチボチ更新していきます>
2007年05月07日
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4月22日(日)雨の降る中(とことん雨女。でも発表会はホールなので別にいいけどね)今年の発表会を行いました。友人先生と合同でやりだして4回目となります。330席のコンサートにはちょうどいいホールで、出演者は3歳~20代まで45人です。 プログラム<1部> <2部> <3部>・とんとんとんとん 春 ・ソナチネ ひげじいさん ・5月のうた op36.No3・たのしいよる ・すみれ 第一楽章・よるのおはなし ・チューリップのラインダンス ・エリーゼのために・もりのおんがくかい ・蝶々 ・アレグロ・エチュード・たのしいおどり 夏 ・ソナタ・あかちゃんつばめ ・かっこう鳥のうた k.No545・つきの光に ・たなばたさま 第1楽章・ことりのうた ・たのしい夏休み ・ソナタ・おどけもののおどり ・おばけの行進 op13・スペインのジプシーたち ・ごきげんな夏の風 第2楽章・エコセーズ 秋 ・荒野のばら・峠の我が家 ・小さい秋みつけた ・ピアノソナタ第16番・ラッパ手のセレナード ・虫の声 イ短調 第1楽章 ・舞曲 ・とんぼのめがね・マリオネット ・ハローウィン・ハンガリー舞曲NO5 ・大雷雨・風の丘 冬・カノン ・きたかぜ・アクロバット ・サンタクロースのおじいさん・ワルツ ※きよしこの夜・ラデッキーマーチ ・お正月 ・雪合戦 そして春 ※春がきた・春の小川※はハンドベル演奏です。「きよしこの夜」は友人先生と大人の生徒さんと私の3人で、1人7、8本持ち替えての演奏。昨年大きなミスをした私はリベンジを誓っておりました。今回はミスなく、3人の息も合ってきれいに響いてましたほっ講師演奏はラストに今年のテーマの「四季」をメドレーにした、国枝春恵編曲の連弾曲友人先生と弾きました。毎年のことながら、一番緊張するぅ~っ。でも、こちらも今までにないほどいい出来でした 簡単だからね肝腎の生徒たちはというと・・・ リハーサルまで心配だったのに本番きっちり弾いちゃう本番が強いタイプ ばっちり弾きこなしていたはずなのに、変なトコでミスってしまう小心タイプ きれ~に1オクターブ高く弾いてしまって気付いてない子 緊張しすぎておじぎ忘れてしまう子 家族を見つけて手を振っちゃうかわいい子 いろいろとりそろえております 今年のきわめつけは ちゃんと弾きやすい位置に置いてある椅子を 座ったまま()横にずらし 足台を足使って()横にずらし きちんと1オクターブ高く最後まで弾いた小学2年生の女の子なぜずらそうとしたのか、まったくもって謎真中のドの音をYAMAHAの文字のある、2つの黒いところ・・・って最初に教えたのがまずかったかしらん。スタンウエイのピアノだからアルファベットがいつもと違って、混乱しちゃったのかもしれん演奏以外では、今年は中学3年生と高校生の計8人にアナウンスや舞台係り(いすの調整や足台の運び)を手伝ってもらったんだけど、これはとっても助かりました娘にも来てもらって(友達が生徒に何人かいる)アナウンスと会場係りを担当。それから生徒は全員順番どうりに席に着いてもらって、5人ずつのグループを作り、その中で大きい子たちにグループ長になってもらいました。そして、出番のとき、退場のときに大きな子が小さい子の面倒をみてもらうことにしたんだけど、これがとても上手くいきました個人レッスンのピアノ教室で、顔見知りも少ない中、小学6年~中2までの子達が、とてもよく小さい子の面倒みてくれて、これは嬉しかったなぁこのやり方は今後も続けていこうと思っています。反省点は2部のお話形式。いすの調整などで時間がかかるときは、それに準じてお話を長めに作っておけば良かった。しゃべっていれば、準備に少し時間がかかっても気にならなかったかもしれない。来年は準備でシーンとなる時間を減らそうと誓いました。・・・私のトークが長くなるかもあと、2部のように私が舞台に出ずっぱりになると、舞台そでにいる先生が1人となると、静かにできない生徒がスタンバイしてるときが大変でした。このとんでもなく騒がしい男子の生徒はうちの子なんだけど、お姉さんたちの言うことも聞かず、友人先生が怒ってもダメで、こりゃ来年は(いたらの話しだけど)私も舞台そでにいる時に出さないと、みんなの迷惑になっちゃう・・・ということがわかりましたそれからこれは愚痴だけど保護者からの反応が年々少なくなっています。別に褒め称えてもらわなくていいけれど、どうだったか感想の1つくらい聞きたいし、終わったらあいさつもなくみんなさっさと帰っていかれる方が多くてひじょうに寂しいお花などや差し入れも生徒数が増えるのと反比例しています(欲しいわけじゃないけれど、親の感心がうすくなってきたというか・・・)発表会を始めたころは、生徒も少なかったけれど、親もとても協力してくれたし全体的にアットホームで、失敗などあっても満足度が今よりずっとずっとあったのだけれど。それとジーンズや普段着で出る子が増えてきました。これにもちょっとがっかりしてます。ドレスまでいかないにしても、ちょっとはよそゆきの服を着せようとしてくれないもんですかね。そこここに、昔と違ってきたなぁ~という感想を持ちます。こちらが切り替えていかなければいけないんでしょうけどね。 さて、今週は発表会後のお休み週間来週はゴールデンウィークで2週間レッスンはありません。この2週間で落ちこんだ気分を立てなおし、スッキリ気分でまた来年の発表会目指し、生徒たちとがんばっていくことにしましょう
2007年04月26日
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実は久々に開けるげん。日曜に発表会やったし、今まで準備やらなんやらすごぉ~く忙しくてやっと1年に1度の大イベント「発表会」が無事(・・・と言っていいのだろうか)済み今日はずっと(日中だけやけど)パソの前に座ってるつもりねん。レッスンも休みやし発表会ネタはまた今度にして(ここしばらくずっと頭の中が「発表会」のことばかりやったし、今日は考えたくないげん)ってことで、rainさんから受け取った「たぬきレンジャー」バトンをやってみよう~っと☆身長は? 150cm。・・・と言うとみんなから、そんな小さいようには見えないと言われます。 横があるからか、態度がでかいからか、どちらもそうだからか(笑)☆身長に比べて体重は多い方ですか? ありすぎます。☆髪型はどうですか?また好きな髪形は? 天然パーマでセミロングです。 「いい具合にパーマかかってるね」と言われて「天然なんよ」と言うと、すっごく驚かれ ます。プロの美容師さんもびっくりされます。 パーマ代が浮いていいなぁ~と友人たちは言います。こんなカールが天然なんてズ ルイとも(笑)さらさらヘアにものすごくあこがれます。☆目について語ってください。 小さいころは確かに一重だったのに、今は二重となりました。 目って変わるんやね。 ダーリンはくっきり二重ですごくきれいな目をしてるので 子どもたちも似てほしかったのに、2人とも一重です。残念!☆顔についてどう思いますか? 自分の顔は決して美人ではありません。 美しく生まれてたらまた違った人生だったかも・・・とも思いますが その方が幸せだったかも、とは思いません。☆誰に似ていると思いますか? 昔の美人画 大昔に産まれてたらモテモテだったことでしょう。☆好みのものを沢山あげてください。 アルコール全般・甘いもの・辛いもの(ケーキにビールなんて最高!) 男前でスマートな男性(つまりマイ・ダーリン) ショパン、ベートーベン、ドビッシーのピアノ曲 舞台に当たるスポットライト・演劇公演のあとのカーテンコール まだ首がすわるかすわらないかの頃の赤ちゃんの匂い TDSの雑踏の中で穴場の静かな場所に来て親子でボーとする時 甲子園の7回ウラの攻撃前(風船飛ばすとき) そして何より勝利後に歌う六甲おろし☆嫌いなものを沢山あげてください。 なまもの・牛乳・チーズ(ただしチーズケーキは好き) 時間を守らない人 相手のことを考えてあげられない人 カゲ口・悪口・うわさ話し とんでもなく騒がしい子どもとそれを注意しない親☆涙を流す(流しそうになる)ものは? となりのトトロ・ほたるの墓は何度見ても泣いてしまいます。 高校野球大会の開会式。 子どもたちの昔の写真やビデオを見たときも涙が出ます。☆自分の心に響いた話しは? 小学校4年のとき、仲良しの男の子と私の2人がクラスメイトにはやしたてられた時 担任の女の先生が「人が人を好きになることは素晴らしいこと」と、子どもの私たち に恋愛がいかに大切か話してくれたこと ダーリンが持病が悪化したときに「この先1人だけ元気でいたってなにもならない から、自分の腎臓1つやるよ」って言ってくれたこと (この話はいずれきちんと書いおきたい)☆1日で1番好きな時間は? 仕事を終わらせ、ビール飲みながらTVで阪神戦を見てるとき(まるでオヤジだ) 勝ってればなおよろし☆自分ってどんな人に見えると思いますか? 悩み事が何もない能天気な人。とにかく元気な人。 いつも楽しそうでいいね~とよく言われる。 もちろん、私だって悩むことぐらいはあるぞ!☆このバトンを受けとる7レンジャー 指名はできませんので、どなたか拾ってくださ~い。 以上たぬきレンジャー4号でした
2007年04月23日
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この前、地区のいろんな団体の役職にある方々が一同に会する懇談会(ようは飲み会)に、校区中学PTA代表で出席してきてん。これには、校区の小・中学校の新任校長、教頭、そして前任の校長、教頭も呼ばれることになっとるがや。なんで、我が校の現校長と前校長も来てまして、どちらとも結構話しこんできました。(こういうことができるから懇親会っていいんだよね)前校長なんて、もう見るからに嬉しそう どうも今の学校がすごくいいらしく すれ違えば生徒からあいさつしてくるし 校内にごみはないし そうじはきちんとできてるし ベル着は当たり前になってるし 給食も行儀よく食べてるし 授業中抜け出す生徒なんて皆無らしいしようは我が校と 真逆 ながやて「地獄から天国とはこのことや」と満面の笑顔の前校長。嬉しいのはわかるけどさぁ・・・あたしゃ まだその「地獄」におるげんぞ 実はその校長が異動した学校にピアノの生徒がいるので いろいろ聞いてたら それはそれはハツラツと毎日はりきっておいでるらしい良かったね・・・先生。いえ、嫌味でもなんでもなく、2年間がんばってくれたんだもん、毎日行くのが楽しくなるような学校に行けて、本当に良かったよ本領発揮というところでしょうね。2人でがんがん祝杯あげちゃったわよただ 先生とこうして飲めなくなるのが寂しいですそして現校長というと・・・ これがアルコールがまったく飲めない ここでまず引いてしまう(←ダメじゃん) うちの学校名をまず聞いてどうでした? とフルと、一瞬言葉につまり 「わざわざ自分が選ばれたのかな、と覚悟した」 んやて。 数年前 とんでもなく荒れていた中学にいた経験があるらしく(普通の教員で) それでここに呼ばれたのかと思っておられるそうだ。 その頃の経験で、いろんなノウハウを知っているらしく かなり自信もありそうに見えるけど 子どもたちの反応見てると なんかずれているようにも思えて・・・・それでも、かなりの時間話し込んでいろんな話しを聞けたので、とても良かったと思ってます。読み聞かせに伺う小学校の校長ともあいさつできたし(若くてビックリ)読み聞かせに好意的な先生でホッとしました来週から読み聞かせもスタートです。いよいよ始まるなぁ~って感じ。中学に関してはまだまだ不安の方が先にたつけど、自分たちができることを精一杯していくだけです。今晩は実行委員会の組織決め。学級委員のときのようにスムーズに行くといいな
2007年04月16日
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9日の入学式から始まって、今週は最初の役員会・学級委員連絡会・市P理事会・・・といよいよ新年度のPTA活動がスタートしました入学式に校長と初めてお会いしたのだけど・・・・ 第一印象「あちゃぁ~。こりゃダメかも」 話す言葉に勢いがない。 入学式のあいさつも、ずぅ~っと下を向いて原稿棒読み。 とにかく頼りない。でも、初日だし、来賓の方もいっぱいいらして大変だったのかもしれないし、私の思い過ごしかもしれないと思いなおし、初めての役員会に・・・・ 残念ながら第一印象と変わりませんでした 校長の教育方針を聞いても 「あの、ここ中学校なんですけど」 とつっこみたくなるような内容。 しかもいろいろ問題ありとされる中学校だということを 校長、わかってらっしゃいますか娘に感想を聞くと、私が思っている印象と同じようで、クラスではちょっとやんちゃな男の子たちも「前の校長うざかったけど、ぜってぃ前の方がいい。帰ってこんかなぁ」と言ってるらしい。前の校長が素晴らしかっただけに、まぁ比べてしまうのもかわいそうだと思うんだけど、あまりにも違いすぎて、不安が先にたってしまうげんだんなにもブツブツ愚痴ってると「そういう校長の時は、その分他の先生がなんとかしんなんとか思ってがんばるようになるから、生徒にとっては逆にいいかもしれんぞ。それに、こんなときは、変わりになるようなしっかりした先生がちゃんと出てくるもんやから心配いらん」と言ってくれた。さすがPTAの大先輩(笑)先輩の言葉で少し気が楽になりました。そうだよね。別に校長1人が先生じゃないんやし、他の先生たちに期待することにしましょう。それに、この中学でもまれて(笑)校長も変身するかもしれないし。校長にもがっかりだったんやけど、役員の顔ぶれも約1名ノリの悪いヤツが今回のメンバーはラストの1人だけ、頼みこんでやってもらったけど、あとは自分から「やってもいい」って意思表示した人ばかり。だもんで、やる気満々なのかと思いきや、行事予定の確認をしてると「平日は参加できません」「夜は出られません」「直前にならないとわかりません」おぉ~い、なんのために役員立候補されたんですかぁ仕事が・仕事が・・・っておっしゃるけれど、み~んな仕事あるんです。辞めてまでこっち優先して欲しいって言ってるわけじゃないんやし、もうちょっと協力しようという姿勢見せられませんかね市Pの懇親会も却下。(これじゃ単Pの懇親会も来ないんやろな)飲み会に関しては苦手な人がいるのもわかるし、嫌々来られたって面白くないからいいんだけどさ、こうもことごとく参加を拒否されるとなんだかなぁ~。しかし本当に何故立候補したんだろ役員になって、行事に参加せず、協力もせずして何の意味がある「じゃこれで役員会終わります」の声を聞くか聞かないかにとっとと帰った彼女。残った5名は「今年はこの5人でがんばらんなんげんね」と確認しあいました(笑)幸い頼んでやってもらうことになった会計さんも、おとなしいけど真面目そうで、適任だし、あとはイケメンパパさんたちだし、去年ほどの活気はないにしても、なんとかこの5人でやっていけそうそしてもう1つ嬉しいことがあってん。昨日の3年学級委員連絡会のこと。8名のうち2名欠席。これでは委員長を決めること、今日は難しいぞぉ・・・と思ってたら、会合が始まる前からなかなか雰囲気が良さそう。(こういうのってわかるんだよね~)自己紹介で去年のPTAが楽しそうに見えたなんて言ってくれる方がいて感激私たち役員には(3年担当として会長と私が出てた)一番の誉め言葉です。やってみたかったという方もいたりして、とても前向きな人が多く、そのうちの1人は昨年高校見学会で出会い息投合した人もいて、私としてはぜひ彼女に委員長をやってもらいたく、アイコンタクトしてました結局ジャンケンで決めることになってんけど、毎年のようなピリピリした空気でなく、誰がなっても大丈夫って雰囲気ねん。これは嬉しかったなぁ。で、ふふふ、私の願ったとおりの彼女が委員長ゲット「あ~ん、とらちゃんの念力にかかってもぉ~たぁ」と言いながら笑顔・笑顔副は「じゃ副なら私やります」と言ってくれる方がいて、あとは広報は各クラスからちゃんちゃんと出してもらい一件落着。昨年の2年学級委員の時とえらい違い。こんな風に進んでくれるとものすごくありがたい。このメンバーで1年間できるというのは心から嬉しいと思えました。先生方も嬉しそう。こんな賑やかな学年も珍しいって昨年の反省で(学級委員があまりにも盛りあがらなかった)今年は私たちがちょっとがんばって面白くしたいね、と会長と相談してたけど、そんな心配いらないようです。ラストの年にこのメンバーに出会えて感謝ですあとは来週の実行委員会がどうかな。この実行委員会も昨年はさっぱり参加率もものすごく悪いし、反省会すらやらなかった。今年は絶対この会を楽しいものにしたい次に続く人たちが安心してPTAに入ってこられるように。できれば好んでやってきてくれるように。バトンタッチがスムーズにできるようにするのが、この1年の私の仕事だ。 そうそう、昨日3年主任先生より朗読の依頼がきた。 道徳の授業で使う本の朗読をテープに撮りたいらしい。 あなたも私の声のとりこになってしまったようね(笑) そしてもう1人の先生から「一緒に朗読劇しない?」と誘われた。 やりたい、やりたい これはもう願ってもないこと。絶対実現しようよ、先生ってことで、なんだか今年度も忙しいぞ。だけど楽しそうだぞ。校長の問題・役員の問題・新3年生の心配・・・いろいろあるけれど、いつものようにやるからには楽しんで今年度も全力投球のとらトクなのだぁ 今日は市P初会合。どんな出会いがあるか、またまた楽しみ
2007年04月13日
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やっとこちらでも桜が見ごろになってきました見事な桜を見ると、意味なく感動してしまうのは、日本人の血なんでしょうか春になると、我が家の家業でもある お米作り がスタートします昨日は家族で「たねまき」作業をしました。 どろづめをした苗箱を流れ作業のように機械にかけてたねをまいて その箱を1つ1つ育苗機に入れていきます。 たねをまいた苗箱を今年は400個作りましたぁ 専業でされている方からすると、たいしたことない数でしょうが にわかお百姓の私にはとてつもなく重労働なのですぅ育苗機の中で芽が出ると、後日今度はその箱を1つ1つビニールハウスに運び、そこで温度管理を徹底しながら(この大変な作業は義母がやってくれるけど)苗を育て、5月の田植えを迎えます。私ははっきり言ってお百姓仕事は好きではありませんできればやりたくないって思います。だけど、兼業農家をやっていることを知っててお嫁に来たのだし、嫁いだ家がやっているのであれば、家族の一員として農業を手伝うのは当たり前だし、他のお嫁さんたちも私と同じ気持ちなんだと思っていました。ところが、この地に来てびっくり私と同年代のお嫁さんで、家業の1つである農作業を手伝っている人は私以外で1人だけでした。「やらなくていい」ことを条件にお嫁に来た人もいるし、最初から自分はやるつもりはない、家族もあてにしていないという人もいます。 楽でいいよなぁ・・・って心の奥では思うけど、 やっぱり私にはそんなきっぱり割り切れることできない 私以外の家族が大変なしごとしているのわかってて、 自分だけ何もしないなんて それに家の仕事として 子どもたちともいっしょにさせたかったしビニールハウスを作ったり(片付けたり)、たねまきしたり、田植えしたり・・・って作業を家族みんなでできるってことが、この仕事のいいところだと思うんだけどなぁ。娘がね「うちに田んぼがあって良かった。こんな仕事(農業)田んぼなかったらできんかったやろし。それに家族でやるのって楽しいがいね。」って言うんよ。休みの日に手伝いさせられて、文句の1つも言いそうなもんやけど、家の仕事を楽しいなんて言ってのけるなんて、エライぞっこりゃ母もつらいなんて言ってられないわいまだまだ続くお百姓さんのお仕事、娘を見習い楽しんでみましょうかね。 でも その度に筋肉痛がぁ・・・・
2007年04月09日
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1年前の1日に抽選によって決められるホール予約。来年も4月に発表会を考えている私&友人先生は、2人で抽選会場に行ってきました。昨年は息子の引っ越しと重なって、友人先生が1人で抽選に来てくれて、めでたく日曜をゲット22日(日)が今年の発表会です。昨年は友人が「くじ」を引いたので、今回は私が・・・と会場にやってくると・・・すっごい人・人・人・・・・・えぇ~っっっ。この人たちみんなホール抽選に来てんのぉこ・これじゃぁ、勝ち目ないですぅ私ってば、ことごとく「くじ運」に見放されてるんだもん スーパーでのくじだって、いっつも残念賞のポケットティッシュだし 懸賞だって当たったためしないし あんなたくさんくるお年玉年賀はがきも切手シートがいくつかだったり 宝くじだってなんだってかすりもせず 20人もいる委員の中からくじでたった1つの委員長を射止めたりするし 当たりたいときに当たらなくて 当たりたくないときにすごい確立で当たる まさに「くじ運」がまったくない典型的なヤツなのです しかし・・・ 思えば絶対あたりたくないって思ってつかんじゃった委員長のあの経験が その後ずっと続く役員生活のきっかけだったわけで 今は心からやって良かったと思えるんだから 何が効するかわからんもんです あのとき「委員長」のくじをひかなかったら 多分こんなにもPTAにどっぷり・・・ということはなかったと思うんだぁ そう思ったらくじ運のなさも時には「当たり!」となるわけでさていよいよ抽選第一希望・第二希望の2回くじをひけるんだけど、どちらも1/8という確立でした。案の定、惨敗次に心配だったのは、この人数じゃ土曜だって取れそうもないってこと。昨年はこんなにもたくさんではなくて、日曜ダメなら土曜にすればいいしって余裕で思えるほどだったらしい。日曜の抽選も多い日で3倍だったそうで、友人が引き当てたのは1/2の確立だった。そしたら、日曜がダメなら来月また挑戦します(来月は祝日が多いからその分倍率が低くなる可能性あり)って帰られた方が結構いて、この時点で空いてる土曜2日にまだ決まってない(みんなピアノの先生)のが4人となりまして。1/2でも私じゃ無理かな・・・と思ってたら、あとの3人がみんな同じ日に希望を出し、私は残ってた土曜を取らせていただきましたそう。結局「クジ」をひかずに決まってん希望の日ではなかったけど、とりあえず土曜がおさえられたのでよしとしなければ。で、帰ってから気付いたんやけど、もしかしたら娘の行く高校によっては、この日が入学式かもしれんってこと。ありゃりゃ・・・かさなったらどないしよ・・・ 今年の発表会が近づいてまいりましたよぉ~。今回は3部構成にしました。1部はおチビちゃんから始まって、ソロ演奏が続きます。2部は「四季」をテーマにした曲を揃えて、おはなしをつけて(作:とらトク)演奏します。3部は生徒の中から少し弾ける子を集めて定番の曲を演奏します。毎回私が司会してたんだけど、生徒の演奏を落ちついて聴けないので、今回は2部のお話のナレーションのみにして(←それでも何かしゃべらるんかいっ!)あとは生徒が分担してアナウンスしてもらうことにしました。生徒じゃないけど、同級生がいっぱいいるので、娘にもお手伝いを頼みました。やっと細かい部分が決まってきて、いよいよだぁ・・・と気合が入ります 1番心配なのは生徒ではなく自分の演奏なのです。。。。はぅぅ。。。。
2007年04月05日
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春やねぇ~我が家につばめが今年もやってきたぞいねただ今どこに巣を作ろうか思案中・・・みたいながや。つばめが巣を作るとその下はフンだらけで、かなり大変ではあるがやけど、なんといっても日に日に大きくなってゆく、赤ちゃんつばめを観察できるのは、すごく幸せなことであります。春といえば・・・先生が異動となる季節。この異動でたくさんの先生方とお別れすることになってん1番ショックなんが娘の中学の校長が変わること 今年は秋に「道徳教育」の発表校にあたっていて、 とってもとってもはりきっとったんに・・・ なにより「この校長とならもう1年がんばりたい」と、 PTA役員に残留を決めた私は力が抜けた 大会もあることだし、まだこの学校に来て2年しかたっていないし、 いろいろあった学校だし(新任に任せられない)、 「校長が異動なんてまさかないだろう」とたかくくってたそしてもう1つ納得いかないのが、娘の学年(新三年)の4クラスあるうちの担任3名までもが揃って異動になったことこの大切な時期に、4人のうち3人も異動なんて・・・。しかも残った1人の先生こそ異動してもらいたいと、生徒も保護者も願ってた先生だったりするげんちゃなぁ~。。。。そんなもんやって言ったらそんなもんねんけど そのうちの1人が娘の大好きなK先生ねん。 去年ディズニーシーでばったり会ったあの先生。 保護者受けはあまりよくないがやけど(クールだからね) 娘はとっても話しが合ったようで、 毎日のようにK先生の話しをしてた。 次はK先生のクラスがいいなぁ・・・といつも言ってたから 新聞で異動を知ったときものすごぉ~くショック受けてて、 他の3人の先生も好きな先生だったから 「なんでいい先生ばっかり行っちゃうげんてぇ」と。。。。 中学時代、先生の善し悪しで影響あるのよくわかるけど、 「異動されて来られる先生方も、きっといい先生だよ」と、 娘に言い聞かせ、わが身にも言い聞かせ(笑) 本当に世の中って思ったとおりにいかないもんですなぁ 離任式。校長にあいさつしてきた。校長室がもののみごとにすっきりしてた。先生らしいなぁ~っ。校長室で話してると、何人もの生徒が「お別れ」にやってくる。みんな先生が好きやったんやなぁ・・・そこで気になることを聞いてしまった。 新1年に小学生時代傷害事件を起こして児童教育施設に入所していた子が 退院してきてめでたく(?)この中学に入学するんやて。 例の3年のワルちゃんたちが卒業したかと思ったら 次は・・・そんな状況が・・・待っとるわけですか もちろん矯正されたという判断で退院してくるわけで、 必要以上に色眼鏡で見たらいけないけど、 それでもやはり気にはなるわけで 「よろしく頼むな!」とえらくすっきりさわやかにおっしゃる校長 まさか、この学校から出られてラッキーと思っとるんじゃないやろね まさか、まさか異動願い出しとったんやないやろね(笑) 新しく来られる校長は、小学校からの異動やて。だ・だ・大丈夫やろか・・・小学校からいきなりこの中学なんてあまりにもギャップが・・・どうかしっかりした話しの通じる(通じない先生もおられるからね、困ったことに)先生でありますように。そして4日のクラス発表で娘が先生にもクラスメイトにも恵まれることを願うだけ 春といえばプロ野球も開幕じゃぁ~っ昨日は石川の遊学館出身の小嶋くんが初登板で初勝利をおさめましたデーゲームやったし、ゆっくり観戦しとってんけど、ピンチになると見とれん母の心境やったわ(笑)でも、りっぱなピッチングやったぞ地元出身というわけじゃないけど、やっぱり高校3年間だけでも石川にいたということで、親近感が沸きます。今後の活躍に大いに期待するさけね~ がんばんまっしやぁ
2007年04月02日
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能登沖地震から3日目。あれから余震が続き、まだまだ落ちつきません。昨日は1日体に感じる余震はなかったのですが、月曜はかなり揺れたし、今日も午前中に2度ありました。私はちょうどレッスン中(春休みやし午前中から生徒が来てた)で、グラッときた瞬間「ピアノから生徒を離さなきゃ」と思いました。グランドピアノだから安定していると思うけど、もし倒れたら大変なことになるもんね。娘は部活で学校にいて、3階の教室だったためかなり揺れを感じたそうです。何度も余震が続くとすごい敏感になってしもて、風が強くてガラス戸がビリビリ言うだけてドキッとしてしまいます。昨日なんて発表会の連弾の練習を友人先生宅でしとったがやけど、ピアノを弾いてるときミシミシ・・・と聞こえたので「うわっ!また地震や」って演奏ストップしたら「あ~、あれはだんなが歩いてる音や」だって。ちょっとした音にも神経質になっとるげん。ほんでも、怖い・怖いと言っても私はこうやっていつもと変わりのない生活ができている。それに比べ能登の方たちは、不自由な避難所生活を余儀なくされてて、なんだか申し訳ない気持ちになってくる・・・。全壊はまぬがれたけど、専門家が見て危ない家屋は立ち入り禁止になっとるし、家に帰れないお年よりたちがお気の毒で。新築しようとしたって、自分らの後に入る者もおらんがに、建てる気にもならんやろうし。今更子供たち世代が能登に帰ってくるようなこともないやろし。 この震災でたった1人の犠牲者になってしまわれた方は だんなさんと2人でおすし屋さんをされていた女将さんでした。 子どもさんもいないそうです。 この日いつものように調理器具を天日干しするために庭に出て たまたま石灯籠の横を通りすぎたまさにその時に起こった地震で 石灯籠が胸に直撃し即死だったそうです。 新聞・TVなどでだんなさんが 「まさか地震で亡くすとは・・・。くやしくて仕方ない」と 話されているのを見て胸が痛みます。 もう何秒か先に、もしくは後に庭に出ていたら・・・ そんな今から思ってもせんないことをついつい考えてしまうでしょうね。 不運と言ってしまえばそれまでだけど、やりきれない思いです。報道を見ているとその他にも全壊した家の中から助け出された人がたくさんいて、もっともっと犠牲者が出てもおかしくないほどだったんやなぁとあらためて地震の怖さを感じました。そんな中でも、地元新聞にはご近所同志で助け合う姿や、ボランティアのお医者さんたちに手を合わせて感謝するお年寄りたちの記事にホッとさせられます。ご近所でのつきあいが濃い田舎ならではの光景のような気がします。「うら(私)のようないらんがんなった(いらない)命によ~してもろて。あんやと、あんやと(ありがとう)」とボランティア医師に話してるおばあさん。なんかせつないね。 1日も早い能登の復旧を祈ってます。
2007年03月28日
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