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うっすらと あったかいから 半そでの ラガーシャツ着て 今日は楽しく休日の病院は、違う表情を見せる。透析室の空気もどこか違う。売店のおばさんに、「休みなしで、大変ねー」と、言われた。透析には、お正月も祭日も無い。だから、火・木・土が、透析日だった時は、月曜日を休日のように錯覚することが、よくあった。今日は、目がよく見えないから、これだけにしよう。ちりめん細工も、読書も、インターネットも、面白いことは、みんな目が疲れることで、少ししか出来ない。掲示板に返事を書くのは、明日になりそうだ。待っていてもらえるかなぁ、ちょっと不安。
2005/03/22
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暖かい風が気持ちいい。こんな日には半そでTシャツを着たくなる。冬が終ったねー、と、まだコートを着ている人もいる中で、半そでTシャツを着て、新しい季節の到来を楽しんだ。ちょっと暖かい日には、すぐに半そでTシャツを着てしまう人たちが、自由に参加できるのが半そでクラブだ。発祥は、首都圏にある某サッカーチームの陽気なスタッフで、チーム関係者だけでなく、近所の人もサポーターも、大人も子供も、自分が着たい時に半そでTシャツを着る人は、みんなクラブメンバーになった。冬、東京でも、丘陵地は都心に比べると、かなり寒い。寒がりの私は、防寒着をしっかり着込むから、この時期、半そでになれると、肌にあたる風が、とても気持ちよかった。引っ越しをして、今住んでいるのは、静岡でも温暖な場所で、桜はもう満開だ。半そでTシャツを着たいなぁ、と思う。でも、今の自分の体力で、この時期、半そでTシャツを着るのは、無茶なだけだとわかっているから、思うだけで、踏みとどまっている。桜の木の下を、半そでTシャツを着た自分を想像して歩いた。もう、半そでクラブじゃないのかな、と思うと、少し寂しくなった。重たい気持ちのまま、病院に着いた。どっぷりと沈むと、自然に浮上するものなのか、透析室の更衣室で、着替えている時に、いいアイデアが思い浮かんだ。病院の玄関前のスロープが一番あったかい。あの場所で、ちょっとだけ、パパッと、半そでクラブをやってしまおう。21日、どうか暖かくなりますように。
2005/03/19
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小鬼です。川柳を詠みます。 上手いでしょ?って それは錯覚 その穿刺透析をしていると、血液検査の針の痛さが、蚊に刺されたようなレベルに感じるようになる。透析の穿刺は痛い。自分の血管と相性のいい技師さんに、当たるのと当たらないとでは、雲泥の差がある。透析室のスタッフの技術レベルにばらつきがあると、その日の自分の運勢にかけたい気持ちになってくる。未熟な技術のスタッフをカバーするシステムを見せてもらえることが出来たら、その努力に、信頼関係を見出すことが出来るものだ。以前、同じ午前のクールで透析をしていた人が、医師の練習台のようにされていた。医師が来る前に、穿刺を済ませてしまいたいと、ちょうど同じ開始時間だった私は、いつも看護師さんに順番を譲ってあげてもらえませんか、と相談をもちかけられていた。私自身は、痛かったら麻酔薬を使えばいいと、気軽に笑って言われたことがある。明らかに技術差がある環境の中で、薬を使って緩和をしたら、その先に技術の向上はあるのかと、思った。向上心を持っている様子を見せてもらえないと、患者には、技術レベルをごまかそうとしているとしか思えない。挙動不審というか、時々、上ずった声で、穿刺を始める技師がいた。そういう時は必ず、いつもは訊かないのに、痛かった?と訊いた。それは明らかに確信犯で、仕事の範疇で、自分の嗜虐性を満たすことを知っているように見えた。心の荒廃があると思った。自分の尊厳を、自分で傷つけているようで、迷路に迷い込んでいる様子には、怒りとともに、憐れみを覚えた。
2005/03/04
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去年の秋、医者から、手術をしなければ、私の病気の進行は、3月頃に最悪の事態を迎える可能性が高いと言われた。手術のリスクは高く、医師の説明には、個人的には、積極的には勧められない、というアドバイスがついてしまった。その3月が来てしまった。今のところ、深刻な自覚症状はは無いので、最悪のペースではないのかなと、思っている。けれども、何時爆発するかわからない爆弾を抱えているような気持ちは、色々なものに対して、距離感を感じさせる。内科での治療を選んだ後、食欲が落ち、食事以外は、ほとんど寝ている時があった。自分でも気力を無くしているのが解った。人は意識することは少なくても、何時もどこかに希望を持っているものなのかもしれないと思った。これでは駄目だと思い、危険な状態にさらされていても、未来を手放すのは止めようと決めた。多分、私の10年後はないだろうなぁ、という諦めを、頭の隅に追いやり、10年計画を立てた。たとえ達成できなくても、死ぬその時まで努力は積み重ねられ、その形を見ることが出来る。長期間をかけて作り上げていくものは、私にとっては、健康な人の普通の生活の象徴だ。来年は、何をしているだろう?紅玉が2個手に入ったので、今シーズン最後のアップルパイを作った。「秋になったら、また作りたいね」そんな会話をした。空虚な空気を含む会話でも、それは希望になり、生きていく力になる。
2005/03/03
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市内の別の病院から、患者さんが転院してきた。地方都市での透析室の転院はほとんど不可能だ。私が通院している透析室は、市内で最も技術が高いといわれている。転院は避けたい状況の中で、患者は口を閉ざし、我慢を強いられている。それでも以前に比べれば、随分と良くなった。2年前、透析を始めた病院から、この病院に転院してきた時は、酷い状態だった。患者の顔には気力が無く、透析室の空気は重苦しかった。スタッフは、管理と支配を履き違えて、患者を機械的に扱い、勤務時間のほとんどを、私語に夢中になっていた。腎臓が壊れただけで、心を持っているということは、自分たちと変わりない、ということを理解していないようだった。その閉鎖性が、透析室を、スタッフの鬱屈した気持ちのはけ口の場にしていた。外来の対応が丁寧だったので、その差は、不信感を持たせるものだった。2年がたち、スタッフの入れ替えが進む中で、何時の頃からか、状況が良くなり始めた。今は、多少の改善を求めたいことがあるものの、この透析室は、これからもっと良くなるだろうと、期待させるものがある。透析患者は20万人を超えるという。我慢を強いられている患者は、少数だと思いたい。
2005/02/28
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ハウスのプリンミックスを使ってプリンを作った。私がプリンを好きな理由は、味や食感だけではなかったんだと、最近になって気がついた。 疲れると ぼんやり浮かぶ 5歳の視線 プリンカップを 揺する母の手プリンをガラス皿にひっくり返して揺すると、カチャカチャと音がする。この音を聞くと、台所で、おやつのプリンの支度をしている母の横に立つ、5歳くらいの自分が、脳裏にふんわりと浮かんでくる。子供の視線で見る冷蔵庫や台所の様子や、ドキドキしながら、プリンカップがガラス皿から持ち上げられる瞬間を待っていた気持ちが懐かしい。プリンは、子供の頃を思い出し、心身の緊張をゆるめるチャンネルになっているみたいだ。大人になって色々な味を知ると、子供の頃に食べたものが、それほど特別に美味しいとは、感じられないことがある。味覚やレシピが変わったとも考えられるが、それだけではないようだ。楽しいと美味しいは、同じ感性の働きのためなのだろうと思っている。楽しく過ごした時間に食べたものは、最高のご馳走として記憶に残る。
2005/02/27
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小鬼です。川柳を詠ませて下さい。とりとめの無い話をしている時は、愛想がいいのに、身体の症状について質問をすると、僕の診療に何か不満があるの?という顔をします。納得するには程遠い解説をして、わたしが締めくくるのを待つ態勢に入ってしまう。何の解決策も得られない回診を、しこりを残さないようににっこり笑って終らせるのは、いつも私の役割だ。 へなちょこな プライドならば 捨てちゃえば人に、従う気にさせる人物の存在は稀有で、人を従わせようとする人は、ほぼ確実に、相手の人格を尊重することは無い。立ち振る舞いに、その心の貧しさが現れてくるから、怒る気持ちを横において、人間観察を始めてしまいます。お医者さんはプライドが高いから、という人もいますが、プライドというのは、自分より立場の強い人間に対して示す時に、プライドとして認識されるものだ。自分より立場の弱い人間に対してプライドを示そうというなら、それは、常に自分の最良を具現化し続けることだと思う。
2005/02/26
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透析している時間をどう過ごすか、その問題は、私の透析生活の中では、食事の次に頭を悩ませる。4時間から5時間の透析が身体への負担が少なく、良いとされているが、2時間を越えると、時計の進み方が、遅く感じるようになる。回路を流れる自分の血液を見る。体内を今、流れている血液が体外に出て、それがまた戻ってくるのを見ていると、生きているのか死んでいるのか解らなくなってくる。機械に生かされている事実は、重くのしかかってくる。確かに生きているのに、この機械がなければ死んでしまうという現実に、どうでもいい気分になってくる。何も考えず、自分の中の動きに気づかないふりをする。それは楽なことだったけれど、そういう自分は好きになれなかった。ある時、自分を切り離して、事実を他の価値観に置き換えると、この状況はどうなるのかと、思い浮かんだ。給料は少ないけれど、時間の自由がある仕事へ転職し、週3日、4時間昼寝していても文句を言われない。小食も、食事療法では適量になる。死を目の前にすることで、自分の生きてきた時間を振り返り、その軌道を修正することも出来た。そう考えれば、悪くない生活かも。自分を異なった角度から見ることが出来た時、突破口が開いた。きっかけは、空から降ってくるような、唐突な感じだった。考えつくすと、ぽっかりと空白が出来て、そこに解決策が湧き上がってくるというのは、こういうことなのかと思った。
2005/02/25
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自分の中にある気持ちや考えを文章にすることが、こんなに気持ちのいいことなのかと思った。毎日の生活では働いていない部分を使って、脳のサビ落としをしている感じだ。空っぽな感じがここちよい。揺らぎのようなものが、文章にすることで、固定化し、自分を安定させてくれているような気がする。とりあえず、チャレンジしてみようという気持ちになれるのは、この辺のことが関わっているのかもしれない。最近、ちょっと戸惑うくらい前向きだ。でも、トップスピードに乗る感覚は気持ちいい。
2005/02/24
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今日の風は春一番でしょうか?この時期、朝、強い風が吹いていると、お気に入りの場所に行って、一日中、暖かい風に吹かれていたことがあった。新宿から、30分ぐらいの場所に位置するその高台は、取り残されたように、自然が残っていた。今も時々テレビに映し出されると、開発はされていても、その風景は色々なことを思い出させてくれる。自分の中では、卒業という形で整理がついていて、もう行くことはないと思うが、あの数年間は私の宝物だ。今の私からは想像出来ないくらい、スーパーボールのように元気だった。今日は透析。ああそうだ!病院の玄関前のアプローチ。あそこは、もしかしたらイイ感じかもしれない。緩くカーブがかかり、下方に海が見える。職員用の別棟に行くための階段が出すニュアンスもいい。少し早く家を出ようかな。
2005/02/23
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会話の中で、人工透析をしているというと、たいていの場合は、「大変ですね」と言われることになる。何か余計なものを請け負っているように聞こえるので、私は、この「大変ですね」に、どうもなじめないでいる。気遣いを示してくれているのは解るし、自立した生活をするのも難しいのだから、大変ではあるのだけれど、「慣れてくると、そうでもないですよ」と言ってしまう。10キロの荷物があるとする。軽々と持ち上げられる人もいれば、動かせない人もいるだろう。私は、病気なんかひょいと肩に担いで、テクテク歩いていくような、そんな人でありたい。マイッタナ、と思うことはあるけれど、病気は私のスーパー家庭教師だ。障害をもってみると、便利だと思っていた社会は、虚像だったことがわかった。障害者が自立して暮らすのには、困難を感じることばかりだった。病気にならなければ、実像をとらえることはなかったと思う。どうせ生きるなら、本当のことを知りたい。弱い立場にある者が、暮らしやすいと思う街は、誰にとっても、不安のない、快適な街だと思う。
2005/02/22
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私は月・水・金の午後の透析なので、これから病院です。先月、入院した時、病棟からエレベーターで降りただけで、透析室に行けて、入院は嫌だけれど、これはいいなぁ、と思いました。透析室がテナントとして入っているマンションがあったら極楽生活になりますね。ホテルがあるんだからありそうな感じはしますよね?上手な技師さんと、ふかふかベッド、徒歩5分。夢のまた夢でしょうか?
2005/02/21
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病気であることの意味は何なんだろうと考えてしまいます。自分を卑下する気持ちはないけれど、健康な人は、やっぱり羨ましいと思う。そして、人を羨ましく思う自分の現実に嫌になり、肯定的に考えられる発想の土台を探す。この過程をいつも繰り返しているような気がします。そこで気がついたことがあって、それは、私の精神はその中で成長しているらしい、ということだ。私は、自分の中で、何かが広がっていくこの感覚が好きです。死ぬまでに、どれだけ自分を成長させるかが、生きる、ということならば、病気の自分も受けとめられる。これは備忘録。行き先を見失って、迷ったら、ここからリスタートしようと思う。
2005/02/20
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1時40分に透析が始まり、うとうとしていたらバチンという音がして驚いて目をあける。透析室は非常灯を残して暗くなっていました。スタッフが慌しく動き出し、電話が立て続けに入ってきました。平静を装うとするけれど、気の毒なくらい慌てているのがわかった。透析を始めた時から、災害と停電はリスクの範囲と考えていたので、想像していた以上に冷静な自分を見ていました。この停電では、自家発電装置が体裁だけで、実際には機能しないことが露見しました。自家発電で動いていると思っていたら約20分止まっていたようです。これってどうなんでしょうか?大丈夫なんでしょうか?機械がリセット状態になってしまったので、体調不良のためにつけていた心電図モニターを外し、回路をつけたままベッドの横に下りて体重を測りなおして再設定をし、リスタートになりました。
2005/02/19
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子鬼です川柳を詠みたくなりました先週、内科外来を受診した後で、透析をしているのに、看護師さんに言われてしまいました「血液検査と尿検査へ行ってください」透析をしている人が、おしっこ出ないの、知ってるはずなんだけどなぁ おしっこが 出るならしないよ 人工透析病人は、健康でない自分を、事実として突きつけられる時に、傷つくんですから、医療に従事して、給料をもらっているなら、そういうことを言ってはいけません
2005/02/18
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中部国際空港が開港した日と同じ日に始めるのもいいかな、と思ったので、今日から、書き始めることにしました。透析の翌日の午前中は、だるくてほとんど寝ています。他の人は、どうなんでしょうか?さっき、本文を書き終えた後で、全部消えてしまい、これが2度目です。
2005/02/17
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