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自分の小さい頃は、楽しいこともあったけど、辛いこともその分ものすごくあって、笑った記憶も半端じゃないけど、泣いた記憶も半端なくあった。笑っているほうが多かったけどね♪wまぁでも、いつの日か、学校とかは、我慢していくところだと思っていたし、つまらないことが当然で、つまらないことに慣れていたんですよね。そのつまならい時間に、自分で色々あれこれ夢想して、楽しいこと授業の合間に無理に考えたりして。そうしないと耐え切れなかったからね。まぁでも、そんなつまらない日々もある日終わりが来たんだよね。東京からすごく風変わりな転校生が来てさ。転校生っていうのは、その地元にはない土地の香りを運んでくるんだよね。で、その彼とすごい仲良くなって、いっつも馬鹿ばっかりやっていて、楽しいことばっかりしていて、そのときさ、自分の中で急激に何かが変わったんだよね。どんな苦しいことも、つまらないことも、楽しく過ごすことってできるんだって。面白い何かを見つけ出すことはできるんだって。結局、世のなかは、見ているだけじゃ、つまんないんだけど、楽しんじゃえばこんなにも変わるんだって。むつは、本も読まないし、そのときの人生経験っていったら、人と話したり、ちょっとしたTVからの情報だったりしたんだけど、それだけに、自分の体験から、その悟ったことの意味の大きさって計り知れなかったんだよね。まさに自分の中での革命ね。で、楽しむってことは、楽しい人とつるむことも必要だし、楽しいものを探すことも重要だし、努力は必要なのよ。それは大人になっても感じること。楽しむためには努力が必要なの。だから、苦しいこともあって、何俺馬鹿やってんだ?って思いつつもさ、それをあとで一緒に笑える友人がいたりする、その見つけた友人を手放さないように、自分からも歩み寄って努力する、人生は1人でつくるもんじゃないしね、楽しみは、みんなでわかつと、もっと楽しくなるのよね。笑顔の輪って拡がって行くのよ。で、忘れていたんだけど、さっき、俺はふとなにやってんだ?なんで生きてんだ?なんだこれは?この状態は?これでいいのか?って思ったんだけど、時間は楽しんでいても、苦しんでいても同じように過ぎちゃう。同じ仕事をしていても、そう。一生懸命やっててさ、楽しみながらやってればさ、もっとはかどるのが仕事、一生懸命やっててさ、楽しみながらやってればさ、もっとスポーツだって、なんだってうまくなる。一生懸命やっててさ、楽しみながら生活しててさ、もっと良い人生になるって俺は思うし、忘れてしまう大切なことって、流されていく日々で、振り返らないことってすごく多いんだけど、俺は、楽しまない人生は、とてももったいないことだと思うんだよね。窮屈な日々を感じたり、つまらないこともたくさん経験したから言えるんだよね。俺は一緒に楽しめる人が回りにいるなら、今になって、思うんだけど、そういう人を一番大切にすべき人、そういう人を一番守っていかなきゃいけないんじゃないかなって思う。一緒に楽しめる友達なんて、そうそうできやしないから。さっき野ブタをプロデュースっていうドラマの第一話みたんだけど、自分から変えていこうとする勇気、、それって、かなり怖いけど、必要なんだよね。
2008年02月16日
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今年は、早めにプレゼントをもらった。有難いし、本当に感謝している。ただ、今風邪で家でまたまた療養中なので、今年は、ヴァレンタインデーは、家でごろりんこ状態。チョコを食べ過ぎて鼻血ブーになるなんてことはないとおもうけど、なんとなくさびしい気もする。別にチョコがどうとかではないんだけど、そのやりとりが楽しい。最近は、女性と話すのも大分なれたせいか、逆に言えば、女性にやや鈍感になっているため、燃えるような熱い気持ちでアタックすることもない。自分的には、もうこれだけ多くの人に愛され、助けられていれば、アラブの王様以上にハッピーだ。そんなわけで、風邪っぴきむつの独り言でした。はぁ~フ。 まぁいっか。
2008年02月13日
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というニュースを読んでエブリリトルシングという本を読んでみたくなった。
2008年02月08日
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風邪こじらせて、今日やっと職場復帰します。他の皆さんに迷惑かけて半分申し訳ない気持ちと、ようやく治って、また仕事仲間と会える気持ち、半分半分です。恥ずかし半分、喜びはそれ以上かな。まぁ、今日からまた楽しくやっていきたいです。
2008年02月06日
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最近気づいた?!いや、前々から気づいていたのですが、自分の習性として、一つのことが、いつのまにか別のことに移っていて、そこに集中している。最初のことは結局忘れている。一つのことを話していて、そのうち別の話題になり最初のことを忘れている。一つのことを論理的に順序だって話していて、また別のことに移行している。自分は考えていて、思考がつまり、飛びやすい。急遽、ステップアップして別の場所に飛んでいったり、ドーンっと落ちて、違うところに飛んでいったり、考え方に、順番がなくて、そこは、まるで時間のない世界が、網羅して絡まっていて、論理的思考の枠外にある世界で、常に、違った次元が、すれすれのところを行き来しているような摩訶不思議な思考世界を描いている。夢に非常に近くて、いつのまにか別の場所で別のことをしている自分。現実も結構それに似ている。いつのまにか。。。急に、あれ!?忘却と急展開と集中の連続。最初の点をつないでいけない。自分の脳みそってある意味、時間空間そのものなのかもって思ったりする。要素だけが飛び交っていて、順番はなくて、組み合わせで、展開が決まっていくような。組み合わせの連続なので矛盾はしないけど、順番は決まっていない世界。睡眠中ほとんどの人が記憶がなかったことを問題にしないのは、本当は問題なのかもしれないけれど、睡眠中は、明らかに記憶の整理、組み換え、配置が行われている。脳みそはそのように動いている気がする。そして、肝心の魂はというと?魂はどこへ?あるけれど、睡眠中のレム睡眠が現世での活発な記憶の配置転換、整理だとすると、ノンレムっていうのは、きっとかなり飛んでいく、現世とは違う場所へいくくらい飛んでいくので、これこそ、魂の世界なのでは?と思う。現実の記憶を整理した段階で、魂の世界へ行く。そして、その手順は法則がある。疲れきったときは、一瞬で魂の世界へいけるも、現世で遣り残した感、まだ整理がついていない感があるときは、現実の世界に留まろうとして脳のほうでも、その記憶の調整を念入りにしているのだと。。スピリチュアルの真偽はともかく、あると仮定して考えた場合に、必ず魂の世界へ行った場合というのは、その人の直前の人間性、現段階の心の様相が、魂の世界、夢の世界でも現れることは現実だ。そう考えると、普段から正しい行いをしている人は、次なる世界も魂の延長上というより、人間性の延長上、ピュアな世界へ近づくと考えられる。普段の心がけが、夢の世界へも反映される。ということはだ、人間が仮に死んだときの世界は、、、十分に考えられる一つとして、日頃の行い、人間性に近い世界へ間違いなく行き着くということ。そこで考えるのは、普段から、いろんな女の子と仲良くしているむつは、悪いことをしていないか?ということ?色んな人に気を持たせておいている状態だからだ。これは問題だ。楽しい間はいいけれど、身の振りようによっては、悲しみとなる。悲しみがあってこその楽しみ、喜怒哀楽は、お互い不可欠のものだが、そうはいっても、わかっていて悲しませるのは、好きではない。変に気を持たせないで、ただ一緒にいて楽しい人だなって思わせることにしよう。多大な期待は、本人を悲しませる。愛は永遠だけど、悲しみは引きずっちゃいけないと思う。とまぁ、考えようによってはどうとでもなる問題だけど、どちらかといえば、万事が万事、万人がハッピーエンドとなるように、行動します♪神様許してちょ☆
2008年02月03日
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むつのページの日単位のアクセス数です。この数字を見てむつはすごいなぁ!って思いました。単純にこれだけの数の人に、むつの考え・意見を日にアピールすることができるっていうことです。そのうちの半数が単にたまたま通りがかった人だとしても14人。残り14人はですね、ちょっとは読んでくれているかもしれないのです。ちなみにむつの日記記入率は28,7パーセントらしいです。自分ではそんなに更新している気がないのですが、3.5日に一回は更新しているってことになります。たぶん実際は、一週間に一度や二度なのでしょうが、一日に何度か衝動的に数回書くことがあるので、こういう数字になるのだと思います。どちらかといえば、定期的というより、ま、気分次第ってところですね。笑というわけで、書いて読んでくれる人がいる、そういう状況なわけです。むつの考えていることは、間違いも多いと思います。でも、きっと遠いどこかでお役に立っていることがあるかもしれないという、、そういうことを感じてしまうと、ん~ 笑これは更新せなあかんなと。。ハ!?つい、、方言が。。兎にも角にも、これからもよろしくでっすと。ほんとは自分の写真とか日常のなんてことのない風景とか載せたいんですけど、面倒臭いし、とくに自分の写真って、あれ?なんていうんですかね、自分のイメージとかけ離れたものが写ってしまうと、むつの美意識の高さゆえに、破棄というか、抹消したくなるんですよねぇ。抹消笑というわけで、今日はこの辺で。ほな、、、じゃなくて、では、御機嫌よう♪
2008年02月03日
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自分の周りの世界は、自分の心の世界。心が晴れていると楽しい笑顔、楽しい会話が耳に付く。気分が重いと、その逆に、悪いほうに悪いほうに考えてしまう。世界というのは、心の様相そのもの。常に夢を描き、世界を見ている若者は世界へと旅立っていく。悪い状況になる。そういうことがあっても、それは点で捉えるのと、線で捉えた一部として見るのでは大分意味が違ってくる。点では悪くても、線として考えた場合、その歪みがあったからこそ、その先があって、未来へと続いていく。道はポイントではなくて、線になって、続いていく。どんなに自分の心が強く、明るく、希望に前向きに向かっていても、避けられない闇はある。夜のこない朝はなく、光と影、表があれば裏もある。私は、人生への闇への、自分の中の負への対処の仕方が、一つのキーポイントだと思っている。そこで、だめになるか、乗り越えられるかでその人の人生は確実に変わる。暗いときの、辛いときの、その対処の仕方、筋肉トレーニングで一番負荷のかかっているときこそ、有酸素運動で一番辛いときこそ、勉強していて、一番考え込んでいるときこそ、次ならステップがうまれる、次への可能性への貴重の扉が、自分への限界を乗り越えるチャンスとなる。私は時に踏ん張りはするも、あとは、どんなに頑張ってもしょうがないときというのがあって、そういうときは、極力流れに身をまかせる。ある程度、自分自身の運の強さ、生命の強さともいうべき、運命の力を信じる。そこは、あきらかに、何か神様が教えようとしている、ポイントなのかもしれないと思って。今やっていること、たどり着いたことには、何か見えない糸が関わっていて、そこには気づかないだろう、意味があるのだと。あとになって、このことはこのときのためにあったのかと。人生は気づきの連続だ。暗くても落ち込まず、辛くとも大して悲しまず、うれしくてもそこそこに、楽しくても慢心せず、最近は、淡々と自分自身を眺めるようになった。そういう風にいまを大切に生きている。
2008年02月02日
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結局、自分は何をしたいのか?と。。
2008年02月02日
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最初は、題名がおもろそうで軽い気持ちで気になったのと、TVとかでも話題だったので、手に取って読んでみた。何も期待していなく、一回読んだら終わりだろうとそれくらいのほんとに軽い気持ちで読み始めた。でも、中身は見違えるほど、新鮮でどんどん引き込まれていった。本を読みながら、ドラマを見るように、過去の自分、現在の自分と、頭の片隅で照らし合わせながら、いろんなことを思い出し、噛み砕くようにして読んでいった。実経験がもとなので、部分部分、グッと来た。技巧的な創造だけの実体験の少ない作家の書く、中身のない小説と違って、本物・真実が伝わってきた。一番この本で感じたのは、人の有り難味、大切さ、感謝する心、運命と、その流れ、チャンス。そして勇気。眼に見えない何かが必ず存在していて、現実世界と、不思議とリンクしている空気のような何かが、この眼で見える世界と、普段感じることの出来ないその空気のような何かは必ずこの世に存在しているということも感じた。ただその空気のような何かは、本人の気持ち次第で、綺麗な色にもなるし、どす黒い雨空のようにも変貌する、心の玉手箱のような代物なのだろうなって思う。常に前向きで明るく楽しい気持ちでいようと心がけている人、心がける気持ちは忘れてはならないと思った。そして、自分は何もしていないようでも、自分という存在は、必ず、自分の範疇を超えたところで役に立っているということ。自分の頭だけで物事を決め付けてはいけない。自分だけの経験で言えば、すぐ人の有り難味や、感謝のこころも日常生活の中で忘れ、いつのまにか、愚痴だったり、不平不満だったりそういうことが頭の中を占めていく。楽しいことは脇に追いやられていく。それじゃあダメだとわかっていても、日々の雑事、混乱、衝突、喧騒のなかで、本当に必要な、大切な何かが失われていく感覚は誰にでもあるのかもしれない。この本を読んで、改めて、そういう人の大切さ、感謝する心、思いやりに、気づかされたというか、再認識させられた。人の欠点ばかりに目がいく自分。その人の人間的魅力、価値、バックグラウンドを忘れがちになる。もっと大きな心でいなければいけないのに。。。優柔不断な決断力のなさ、自分の弱さが、徐々にあぶりだされて行く。自信を持った決断、説得力、そういったものが最近確実に足りなく感じる。それは日記を書いていないからかもしれないし、読書量が減ったせいで、自分の気持ちを整理して表す力が衰えたせいでもあると思う。理知的に、機転に富む、キレル意見、鋭い物言い、適格な表現が鈍くなってきている。それを補うために、もっともっと読書が必要だ。読書なしには、言葉も忘れて、まともな議論さえもできなくなるということに気づいた。きっとボキャブラリーではなく、表現力でもなく、単に、頭の回転にもあるのだと思う。普段から使わないと、ボキャブラリー、表現力以前に、言葉自体がまったくでてこなくなる。頭が回転せず、その間、単なる間しか生まれない。言葉というのは、本当に重要だと感じさせられる。言葉の力は、行動することと同じくらい、重要性を持つ。言葉の重み。その一言が、人をいかに元気付けるか?その一言のために、人をいかに傷つけてしまったか?受け止め方は、千差万別ではあろうけど、誤解を減らし、少しでも適格に意見を述べるためには、もっともっと勉強しなければならない。気持ちと行動と言葉が噛み合ってこそ、人に伝えられる幅や深さ、奥行きがでてくるのだと思う。だいぶ話はそれてしまったが、本を読む中で、 いろいろなことを考えさせられた。人の意見に左右されない、自分の行動力、そういったものも、著者の個性もあるし、すごい部分だなぁって思った。自分が高校生の頃は、自分の考えをまともに伝えることすらできなかった。その勇気もなかったし、言葉もなかったし、表現力もなかった。忍・・耐え忍ぶことしか俺にはできなかった。言葉はいくら紡いでも、誤解されることのほうが多いし、議論するのは面倒くさかった。相手を説得する術もなかったし、力もなかったし、面倒以外のなにものでもなかった。田村さんは、すごいなって感心した。自分の弱点が足りない部分が見えてきたりもした。考える時間もない生活を送っていたけれど、風邪をひいて休むときが考える時間なんてちょっと可笑しいようなラッキーのような、何が良くて何が悪いなんてよくわからないものだ。ふふ。
2008年02月01日
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