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深夜2時。夫が帰宅。寝たふりをしていたら、ベッド脇、何かを確かめるように覗き込む夫。やっぱりこれか。『あやまるだけなら、子どもでもできるでしょ。子ども以上になれない限り、許さないから。』この禅問答。寝たふりをしようとベッドにすべりこむ瞬間、分かった気がしたのだ。寝室においてある子機の充電。これさえしてあれば、夫の電話で絶対に目が覚めているハズだったのだ。しかも。この子機は、以前、夫がカギを忘れていって同じことがあったとき、夫が自ら対策を考えて、わざわざ設置したものだった、なるほど。この子機の充電を、朝の段階でまだ手をつけていなかったから怒っていたのか。朝は子ども2人を保育園へ連れていくだけで精一杯で。その後、寝室を掃除したとき、充電の電源も入れたんだけど。なるほどね。夫らしい理由だな。今回、カギを持っていかなかったのは私のせいだが、それを責めることはなく。子機の充電ができていなかったことを責めるわけでもなく。カギを持ってでなかったことを忘れていたことを責めるわけではなく。さんざん起こしたのに起きなかったことを責めることもなく。再び同じ過ちをおこさないような改善をしなかった。そのことを責めていたってことね。大人だなぁ。私なら、ただただ、締め出された事実をグズグズと怒ってしまいそうだけど。…それを『禅問答』のようにしてくるところは、なんというか、女々しいけど(苦笑)深夜3時。再び寝室に戻ってきた夫に気づく。ダブルベッドの隣にすべりこんできた夫に、抱きついてみる。驚きながらも、「なに。こうすれば許してもらえると思ってるんでしょ。」と、不満そうな表情をつくりながらも、嬉しそうにこたえてきた。世の旦那陣が奥さんと仲直りをしようと手を出すのは、こんな感覚から、なのかな。明日になったら、充電のこと、きちんと謝ってみよう。
2008.07.31
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いつかテレビで見たような事件が、私にも起きた。まだ、心臓がバクバクと激しく波うち、手も震えている。天候が不順でなかなか洗濯が出来ず、悩んだ末、やっぱり洗濯することにした。どうしても洗濯したいものを幾つかチョイス。雨に濡れず、風通しの良い場所に干せる分を回した。最近、娘は「待って」を覚えた。手話と合わせて、たどたどしく「ぁってぇ~」と言う。洗濯カゴを持ち、洗濯物を干してくるから「待っててね」と説明し、ベランダに出た。洗濯が終わって落ち着いてから、おやつにするつもりだった。娘はいつものように台を持ってくると、すりガラスではない上の方の窓から顔を出し、話しかけてきた。私はそれに答えながら、洗濯物を干した。少量のそれは、あっという間に終わり、さぁ、帰ろうと窓に手をかけたが、開かない。まさか…と思って見てみると、カギがかかっているではないか。この可能性を全く予見していないわけではなかった。だから、普段は気をつけて、予防手段を色々講じてからベランダに出ていたのだ。が、今日はイレギュラーの洗濯であり、少量だし、早く終わらせておやつにしよう、と思っていたからそれを怠ったのだ。ベランダへ通じる窓のカギは、レバーを下げるとカギがかかる。が、開けるには逆にレバーを上げなければならない。大人の私でも、一呼吸の力がかかるのに、娘にそれが出来るのだろうか。私は娘に窓越しに話しかけてみた。が、補聴器をしていないことに気がついた。大声をあげれば近所に何事かと思われてしまうが、ここで開かなければ、どうせのこと何事かになってしまうのだ。私は意を決して、娘に指示をしてみた。「△△(娘の名前)ちゃん。そのレバー、うんしょって出来るかな」身振り手振りをつける。「うんしょって。そう。うんしょ、うんしょ。」レバーを手にかけるが、やはり上げるのは難しいらしく、真ん中まで上げてやめてしまう。「もう1回。もう1回、見たいなぁ~」レバーを教えるために窓を人指し指でこづいていたら、娘がそれを真似しはじめてしまった。褒めてもらおう、と、とびっきりの笑顔で真似をする。私はすでに限界に焦っていた。このトロい生物に、そんなことをにわかに教える自信もないし、経験上不可能なことが全てだったからだ。娘を動揺させないよう作っていた笑顔が歪み、口元が震えてきた。とうとう、娘が指をしゃぶりだしてしまった。お腹が空いた合図だ。こんなことなら先におやつをあげておけばよかった。指をしゃぶりながらでは、ますます力が入らない。そのうち、あきてしまうだろう。お腹が空き過ぎて、力なく眠ってしまうパターンになる。どうしようか。夫は出張で明日まで戻らない。戻っても、チェーンで入れない。お隣にベランダ越しで行っても、結局カギ屋を呼んでブチ壊すしかないのだから、だったら、窓を突き破る方が騒ぎが少なそうだ。私は横目でベランダを見渡して、何か武器を探していた。その時…娘が少しレバーを高く上げた気がした。私は瞬間、窓を開けた。娘が驚いたように手を引っ込め、台から落ちそうになるのを抱きとめた。咄嗟に手が出てしまい、娘は怯えたように泣いた。きっと、鬼のような形相をしていたのだろう。聞いていないの知りながら、どうせ分からないことを了承していながら、私はカギを触ってはいけないことを、娘に懇々と諭し続けた。でも、その間も震える手で娘を抱き続けていた。今になって、カギをかけることが出来た娘、それを指示通り開けられた娘を、もっと褒めてあげればよかった、と思う。きっと、娘も褒めてほしくて頑張ったのだろう。笑えるようで笑えない事件。また、どこかの家で起きるかもしれない。
2004.09.04
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私たちは宵越しの喧嘩をしない。どんなに前日の夜、喧嘩をしても、次の日の朝、仕事へ行く彼を見送るときは、笑顔で手を振れるようになるまで、お互いに改善しようと努力し、修繕する。これは、彼の提案だった。いつだったか、もう結婚していたのか。喧嘩したまま離れようとしたときに、「このままどちらかが死んで二度と会えなくなるかもしれないのに、最後にこれでは悲しいでしょ」と、言った。その価値観に共鳴して、私も心がけるようになった。以来、これは暗黙の了解になっている。そのせいか、宵越しの喧嘩になりそうなネタは、彼が連休の時に勃発することが多く、これまた、お互いに暗黙の了解になっている。先程、聞いたこともないような切迫した声で、彼が私の名前を呼んだ。彼は3日前から熱があり、悪化して昨日は仕事を休み、点滴を午前中と午後の2回、受けてきた。今日から元々のスケジュールで彼は3連休であり、点滴の効果で昨晩、熱もだいぶ下がり、安心していた。朝方、うとうとしていたら、夫がトイレに入るのが聞こえた。風邪らしいので、娘と私は寝室を別にしていて、体を起こすことなく、ぼーっと寝ていた。すると、彼が私の名前を、絞り出すような声で呼んだ途端、下半身裸のままで、どさっと廊下に倒れこんだ。慌てて駆け寄り、彼の名前を小さく呼んだ。彼は答えない。代わりに、着ているグレーのTシャツがぼつぼつと色を濃くしていき、見る見る間に濃い部分が増え、油汗でにじんでいく。救急車…呼ぼうか…。少しの沈黙の後、いや…、と、彼は首を横に振った。そうして、どれぐらいかたって、彼はのろのろと身を起こし、温かいお茶…くれる、とだけ言って、トイレに戻っていった。彼は座椅子にもたれ、温かいお茶を口にしながら、先程の状況を説明した。腹痛でトイレに入ったのだが、次第に気持ち悪さが強くなってきて、意識が薄らいでいった。△△(私の名前)に知らせなければと思って、とにかく外へ出てきた…。その後、彼はゼリー飲料を口にし、薬を飲んで、寝室に戻っていった。彼は私に知らせるために、意識が遠のくなか、体を外に投げ出した。動揺することなく、私に心配かけるまいと冷静に指示を出し、最後に、○○(娘の名前)を起こしちゃったかな、○○をよろしくね、と、気を使ってくれた。私なら動揺して、泣いてしまうかもしれない。その前に、人知れず、トイレで倒れているだろう。先程だって、倒れている彼の前で、何も出来ずに、どんな風に声をかけていいかも分からず、立ちつくしているだけだった。頭はフル回転していたのだが、つまらないことばかり考えていた。このまま、吐いたりしたら、汚物はどうやって片付けようかな。今日、予約していた美容院は無理だな。今日の昼食どうしようか。朝食は…食べないかな。今になって、肝が冷える。あのまま、救急車を呼んだとしたら、どうなっていたのだろう。きちんと、症状を説明できただろうか。家の場所を説明できたのだろうか。いや、119を思い出してかけられたのだろうか。寝ている娘を起こして、必要なものを詰めて。自分も着替えて、保険証を用意して、財布を持って。病院はどこを指定しようか。その前に、家に鍵をかけることを忘れないようにしないと。「このままどちらかが死んで二度と会えなくなるかもしれないのに、最後にこれでは悲しいでしょ」と提案した彼には、覚悟とか、死への意識も備わっているのだと思う。一方の私は猿真似をしてきたに過ぎなかった。いつ、また、こういう状況になるかも分からない。娘に起こらないとも限らない。そんなとき、彼や彼女に2度と会えない状況を少しでも遅らせることができるように、私も覚悟と意識を備えておきたい。
2004.08.06
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蚊に刺されたことで発熱する、ということがあるんだろうか。2歳の娘にはまだ耐性が備わっていないので、蚊に刺されただけで大きく腫れ、熱を帯びる。前日、これといって通常と変わったコースで出かけた訳でもなかったのだが、手と足、おでこに大小、計10箇所ほど食われてしまった。当日は38度3分まで上がり、そこで止まったので、安心していた。家の風呂で水遊びをさせすぎてしまったからかな、ぐらいに考えていた。しかし、次の日、熱は39度6分まで上がっていた。蚊に刺された箇所は赤黒く硬く腫れ上がっているものまであり、そこを中心に熱がひどくなっているような気がする。土曜日、主治医が外来の担当なので、その朝までに引かなければ連れて行こう、と、思っていたのだが、幸い下がった。それでも、気を抜くと37度8分ぐらいに上がってしまう。咳や鼻水など、風邪の様子は全く見られないのだが、以前かかった突発性湿疹のように、食欲があるか、といえば、それはない。手や足をしきりに掻いている以外はこれといって症状は見られず、機嫌はすこぶる良い。なんだろう…。蚊ぐらいしか心当たりがないのだが…。月曜日まで微熱が続くようだったら、やはり主治医が外来なので、相談しに行ってこようか。
2004.07.30
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家族に必要なのは、『テンション』なのではないか、と常々思ってきた。我が家ではその音頭をとるのは、もっぱら彼だ。お客さんが来るといえば、「よし、(最寄の)駅まで迎えにいこう」休みの日のイベントも、提案するのはまず彼。大きなことから小さなことまで、彼が盛り上げてくれる。私はそれに対して物理的に反対がない限り、大抵は万障繰り上げる勢いで賛成する。そうやって、彼の『テンション』に合わせることで、家族やら家庭やらが成り立っているのだと思う。それは決して無理をしているわけではない。お互いに少しづつ自分だけでやりたいことを削って、二人で『テンション』を合わせて経験していくことで、いつか、年をとったとき、真にシンクロしていくのではないか、と、期待している。たまに見かける、あの、仲の良い老夫婦のように。が、今日は少し後悔した。我が家では記念日にケーキを焼き、心置きなく突き食べることを習慣としてきた。私の誕生日。彼はいつものように音頭をとってくれた。「○○(私の名前)の誕生日に、○○がケーキ焼くのでは大変でしょう?だから、久しぶりにあの店の美味しいチーズケーキを買いにいこうよ!」私はその日、それほど疲れていたのではなかった。まして、彼は私の体をいたわって提案してくれたのに、何故だろう、上手に乗ることが出来なかった。「やだ。だったら、寝たい。」それでも彼は、私を案じてくれ、チーズケーキが美味しい店よりも近くにある、高級な食材を売っているスーパーの名前を出し、以前食べて美味しかった、国内産の太陽の卵、という、完熟マンゴーを買いに行こう、と、提案しなおしてくれた。それでも私は渋々だった。結局、彼にひきづられ、背中を押される形で家を出て、マンゴーを購入し、彼が切り分けてくれた濃厚な身を口にした。それは、本当に太陽の卵かと思うような極上な味で、私の気持ちもほぐれていった。もしかしたら、こうやって、自分だけの主張を彼にぶつけることこそ、最高の誕生日なのかもしれない。毎日これでも幸せなのだが、それでは彼が枯れてしまうかもしれない。明日からは、また、私も少し譲っていこうか。
2004.06.29
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独身時代、本当に本当にどうしようもないこと、って何もなかった。誰か大切な人が亡くなったり、病気や事故にあったり、という、自分の力ではどうしようもないことが起こらなかったという幸運もある。が、大抵のことはなんとかなった気がする。順調に暮らしてきた女性が最初につまづくのは、子供の性別で、それを苦に心に傷を負ってしまう、という話があるが、事実、私の場合、障害児を授かったということを筆頭に、結婚し、子供をもうけ、と、順序を踏む毎に、その軽重は別としても、本当に本当にどうしようもなくて途方に暮れる場面に直面するようになった。この日も、些細なことではあるが、そんな事態が起こった。パートナーに子供を預けて美容院に行ったのだが、その最中に携帯が鳴り、急遽仕事が入っていかなければならなくなったから帰ってこれないか、というのだ。その時、私の頭はカラー剤を塗ったばかり。今、浸透させるための時間に入ったところだったのだ。今すぐ、帰るわけにはいかないし、彼が仕事に連れていくわけにもいかない。娘は2歳だから一人で留守番も出来ない。仕方がないから、美容院の許可をとって、こちらへ連れてきてもらうことにした。電話で、お茶やお菓子などの持ち物をあれこれ指示したのだが、耳にカバーをかぶせられているので、彼の声がいまいち聞こえないし、大きな声でこちらが話すのも他の方の手前気がひけて、電話を切った時には携帯がカラー剤でベタベタになってしまった。果たして娘はベビーカーで連れられてきたのだが、運の悪いことに、シャンプー台で流している最中だった。見慣れぬところで落ち着かない上に、父親がいなくなってしまって、母親の姿は見えず、娘はワァワアと泣きじゃくる。こうなると、遠くから話しかける私の声など聞こえるわけもなく、もう、途方に暮れてしまった。慣れたら慣れたで美容院中を駆け巡り、雑誌を引き落とし、土足でソファに座り、お菓子を食べ散らかす。周囲は、私があんまり怒っても、その声が不快だろうし、怒らなくても腹がたつだろうし、そのさじ加減が難しい。以前から、娘を連れてきていい、と言ってもらってはいたのだが、そうはいっても、お客さんは私一人ではないし、女性だからといって皆こども好きなわけでもない。汚れたものは後で直せばいいのだが、他のお客さんのところに、お愛想しに行くのを見る度に、椅子からお尻が浮いてしまった。が、行けるわけでもなく…。もう、なんとも、どうしようもならない時間を過ごし、とりあえずカラーだけにして帰ってきた。些細なことであったのは幸いなのだが、それでも寿命が少し縮んでしまった。自分のことだけの時代には、こんな事態もなかったのだけれど。これも幸せ、なのだろうか。
2004.06.20
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娘の誕生日にケーキを焼いた。我が家は何かちょっとでも記念日があると、酒が飲める飲めるぞ~とばかりに、かこつけてケーキを焼き、バクバクと突き崩して食べる。こうやって心置きなく食べるために、自分で焼いている。娘の誕生日にケーキを焼いたのもこういった理由からで、特に2歳の誕生日を祝いたかったためではなかった。まだ、誕生日を認識していない彼女のために何かをする気分にはなれず、適当な誕生日プレゼントも頭に浮かばず、ご馳走を作ったからと言って彼女が食べるとも限らず。否定語だらけの2歳の誕生日になった。1歳の誕生日も否定語だらけの誕生日で、おまけに手術がすぐ目前に控えていたが、もっと盛り上がった誕生日だった。立会い出産した当時をパートナーと振り返り、プレゼントに彼女の好きな花束を5000円分も買って、写真もキリがないくらい撮りに撮った。今年も誕生日パーティーをやり、写真もとったのだが、なんだろう、この盛り上がりの無さは。ただ、字面のインパクト程、悲観的な盛り上がりの無さ、ではない。去年はまだ、お客さんを迎えたような盛り上がりであり、今年こそが真の我が家の誕生日のような。記念日を祝う気持ちが薄いくせに、ケーキを食べたいがために、かこつけてケーキを焼く。そうやってパートナーと二人で生きてきた道程に、また記念日が一つ増えただけの感覚、とでもいうのだろうか。そういった意味では、娘を我が家の一員、と、特別扱いではなく、そう思えるようになったのかもしれない。そんなことを考えながら、本当にささやかな誕生日パーティーの後、台所に夫と立ち、二人で片付けをしていたら娘がやってきた。何か堅いものを持っているらしく、私の太ももあたりを二度突いた。それが、あまりにも嫌な感触だったので見てみると、ケーキを切るために使用した包丁であり、しっかりと彼女の両手に握られていた。幸い娘に怪我はなく、先が丸かったため私も無傷だったのだが、もう少しで笑えない誕生日になるところだった。我が家の一員になれてよかったよかった、などと理屈づけて、気合の入らない誕生パーティーをした私たちに対する反乱かしらん、と思ったら、何かとってもおかしくて、パートナーと二人で笑ってしまった。これからは私の時代、あんたたちの悪習は私が断ち切る、と宣言されたかのような気分だった。
2004.06.18
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あれから深夜、出張中のパートナーとの電話で、このことを報告した。彼は、ふんふんと聞きながら、スパゲティーをひっくり返したところで、「それって、○○(私の名前)が悪いんじゃん」と言った。「うん、それでね…」と続け、娘が落書きした話までいくと、「あ、それでまた、△△(娘の名前)に当たったんでしょう~」と言った。自分で言うのもなんだが、昨日の私は偉かった。怒りをぐっと飲み込み、娘にも努めて優しく接し、汚れたものもキレイに片付けた。それはひとえに、私がダラしなくしてたから…、横着してたから…、と考えたからだった。しかし、だ。それを、お前が悪い、娘に当たるな、と、パートナーの口から言われるのは、なんとも、こう、納得がいかなくて、しおらしく電話を切った後、執念深く朝まで(嘘)考えてみた。パソコン周りをだらしなくし、新パソコンの梱包を出しっぱなしにしていたのは、確かに私が悪い。が、しかし、だ。彼が自分の仕事関係のものを少しでも普段から整理していてくれたら、そのスペースに私の書類を置けたじゃないか。自分の服を少しでも整理していてくれたら、あの、服の墓場に梱包関係を一時的に置けたじゃないか。いやいや、私たちの収入がもっとあれば、この家のスペースぐらいの収納がついたマンションに住めたハズだし。いやいや、お手伝いさんがいれば、部屋はいつも綺麗にしてくれるし、美味しいごはんを作ってくれるし、いいなぁ…。と、つまり、だ。昨日の事件。私が娘に当たるのもおかしいが、それと同じ位、彼が私を非難するのはおかしいではないのか。明日は10日ぶりにパートナーが出張から帰ってくる。理論武装も完了したし、早速、一戦しかけてみよう。
2004.05.21
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私は今、猛烈な怒りを抑えながらパソコンに向かっている。日記は一週間も前の日付で、それでも書きたいことが山ほどあって、時間を見つけては、その日のことを整理しながら徐々に現実の日にちとのギャップを埋めていたのだが、そんなことは構わない、と思うぐらい、私は逆上、1分前だ。実は、一週間前のこの日、パソコンを新調した。その時のことを書こうと思っていた日付に、こんなことを書こうとは、なんとも皮肉な…。パソコンは、初心者でも簡単に設置でき、使用できます、がうたい文句だっただけに、あっけなく設置できた。が、そこは初心者。旧パソコンから新パソコンへメールやネットの機能を移動させるのに一週間かかってしまった。部屋の中には、まだデータが残ってて怖くて売ることが出来ない旧パソコンと、新パソコンをほどいた梱包が散らばり、そこへ娘のエッセンスが加わり、なんともしがたい状況になっていた。そこで、一念発起。今日は朝から気合を入れて、あと、旧パソコンについていたCDーROMや説明書を整理して、その空いた場所に新パソコンのものを移動すればオッケー、と。そこまできていた。しかし、娘が空腹を訴え、うるさくてうるさくてかなわんようになってきた。ここで止めては、次またやるとき、頭を戻すのがツライ。したがって、スパゲティとトマトソースを解凍して、片手間にあげながら、申し訳ないが整理を続けていた。と、パソコンの下にホコリがたまっていることに、よせばいいのに気がついてしまった。これまた、普段ならやらないのに、掃除機を持ってきてガシャガシャとかけていた。と…その時…恐らく掃除機で後ろの配線を触ってしまったのだろう、プリンターが少しだけ動いた…すると…だらしなくプリンターの上に載せていた書類の束がスローモーションのように落ちてきた。書類の束はパソコンの前に置いてあった娘のスパゲティーにかぶさり…あっ…とも言わせない間に皿に突っ込んであったフォークを跳ね飛ばし…その衝撃で皿は大きくバランスを崩し…落下していった。落下した皿は着地を失敗し逆さまになって…落ちた…。それも、整理している最中のCD-ROMや説明書の上に。一度も読んでいない新品同様の説明書は、あっという間に立派なユーズドに様変わりした。娘はその有様に恐れおののいて、わぁわぁと泣き叫んでこちらに突進してきた。事態は更なる悪化を見せ、私は危なく自分を見失って叫ぶところだった。なんとか残り少ない理性をかき集めて娘をなだめ、汚れた足の裏を綺麗にふき取り、抱きしめてあげた。娘の機嫌が直るやいなや、私は復旧作業に入った。CD-ROMより、説明書である。濡れ布巾でふき取り、アルコールで拭いてみたが、染みはとれず、かえってブヨブヨになってしまう。試行錯誤しながら、1冊、また1冊と仕上げ、山を築いていった。…ふと、娘の食事も作り直さなければいけないではないか、と思い出した。ごめんごめん、と娘を見たら…書類の束と一緒に落ちたボールペンで…折角それなりにキレイにした…説明書の山の中で…娘は…あのガキは…。…これ以上は自分が壊れてしまいそうで…とても書けない…。
2004.05.20
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昨日、午前にもなろうかという時間に夫がカーネーションを持って帰ってきた。母の日にちなんだ仕事関係で余ったものをもらったそうなのだが、これが、半端じゃない量だった。1つの花束が、つぼみも合わせたら20程の花がついている大きさなのだが、これを文字通り抱えきれないほど抱えてきた。その数、ざっと見積もって30。花の量にして、600あることになる。ただでさえ実のないことが苦手な私。花など買うことがない。もちろん、夫も花など喜ぶと思ってはいない。これはひとえに、娘へのプレゼントなのである。娘は花や草が好きである。散歩中も花や草に目がいき、手が伸びる。「生きているから可哀想でしょ。よしよししてあげて。」私はいつもそう言って、そう言いながらも信用せず、彼女が触れるか触れないかの場所にベビーカーを位置した。たまに触れても、すぐに「よしよしして」と言い、彼女は『よしよし』していた。「これで明日いっぱい遊ばせてあげて。」娘へのプレゼント、といっても、彼は今日から東京へ出張。整理するのは私の仕事である。切花が死んだ花、というわけでもないが、花束の中には、もうすぐに枯れてしまいそうなくらい咲ききっているのも多くあった。私は朝から花束を一つ一つほぐして、飾るものと、彼女に与えるものと、花の選別にかかった。途中、何度も嫌になったが、家を出る間際に「ごめんね、かえって迷惑だった?」と気遣う夫が、娘のためにと持って帰ってきたのだと思うと、止めるワケにもいかない。ようやく選別を終えて、200位の花で、小さなブーケのようなものを3つと、折れてしまった花をタッパーに押し込んで、花のお弁当をこさえた。娘は喜んで、投げたり、出したり、入れたり、と散らかしまくりで遊んでいた。そんな姿を見て、教育上これでいいんだろうか…。これで散歩している最中もやろうとするだろうし、面倒になるな、などと考えていた。そんな時。彼女が悲鳴のような声をあげた。そして、泣きそうな声をあげながら、何かを見せようと慌てた足取りで持ってきた。その小さな手が持っていたのは、壊れた花と、そこからこぼれた花びらだった。彼女はとても焦ったように、その花びらを振り払っていた。ハッとして彼女が散らかした周囲を見ると、そこには山ほどの花はあっても、壊れた花は一つも見当たらなかった。「お花さん痛い痛いって…。よしよししてあげようね。」彼女は『よしよし』した。その表情が悲しそうだったのは、親のひいきめだったのだろうか…。私が思う以上に娘は草や花が好きで、草や花という物を知っていたのかもしれない。そこまで成長していたのかもしれない。ま、怒られる…と思って焦っただけかもしれないが…。ともあれ、今度、散歩するときの反応が楽しみである。…その前に、このうれしい話を報告し彼の労力をねぎらってあげるメールを、一本入れておこう…。
2004.05.03
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娘もそこそこ大きくなってきて、ボチボチ食べるようになってきたので、夫と三人で外食する機会がようやく出てきた。昨日、彼が休みだったので散歩がてら行ったのだが、ずっと気になっていた店のランチメニューの中で私はどうしても本日のパスタが食べたかった。私は、こういうところが子供で、母親になりきれていないのか、それともこういう個性なのか、食べない子供を持ったための弊害か、子供が食べそうなものを注文する、ということが出来ない。何なら食べるのかメニューから大体は分かるのだが、なんだかそれを注文することが悔しいような、恐いような気がしてしまうのだ。一応、彼女がこれなら食べる、というマフィンを持ち歩いているので、そういう背景はあるのだが、それにしても、我ながら謎な部分である。入り口前の小さな黒板に書かれた日替わりのランチメニューの中の一つに、娘が特別に好きそうな、サツマイモときのこのグラタン、があった。私は何気なく彼に、「□□(夫の名前)はサツマイモときのこのグラタンね、△△(娘の名前)が好きそうだから。」と言ったら、「いいよ、好きそうだもんね。」とアッサリ返した。彼は日本食党で、ご飯大好き人間である。アメリカ出張中もステーキを頼んだらご飯が食べたくなって、拙い英語でカリフォルニア米を炊いて持ってきて欲しい、と、作り方まで指示してしまうような男である。(彼の語学力でが伝わらなかったのか、お湯の中に浮かんだ固いカリフォルニア米がきたそうだが)私は「良い旦那様を持って幸せだよ」と言ったら、「別に」と彼は言った。「○○(私の名前)が△△(娘の名前)に替わっただけだし」なんのことか、と問いただしてみると、こうだ。なんと、彼は今まで、外食時に注文する時はいつも、私が2番目に食べたそうな物を頼んでいたそうな。付き合って、早、10数年。全く気がつかなかった。確かに、外食すると私は自分のも彼のも両方食べたい物を食べちらかしていたような…あんまり記憶にないのだが…。「気がつかなかった?」「うん…なんか、悪かったね」「別に」自分が食べたい物を変えたくない女と相手の好きなものをすすんで注文する男、『破鍋(われなべ)に綴蓋(とじぶた)』とはよく言うが、世の中よくできているものだ。
2004.04.22
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足の臭い、というのはストレスからくる、らしい。直接的原因は『足のムレ』で、合わない靴を履いたりとか、足の裏の温度と湿度が一定以上になると雑菌がわいて、臭いを生ずるらしい。しかし、足の裏ってのはそもそも気温では汗をかかないそうで、ストレスが足の裏に汗をかかせ、足の臭いへとつながっていくそうだ。パートナーが強烈に猛烈に激しい臭いを伴って帰ってきた日、以前は「臭いくさいっ!お風呂さき先っ!」とにべも無く振り払っていた。が、これを知ってからは、「今日はいつもより仕事が大変だった?」と聞くようになった。私としてはただ、私が知ったこの知識が正しいのかどうか試したいだけなのだが、パートナーはうれしそうだから、まぁ、一石二鳥というところか。最近、そんな会話をする日が続いているような気がする。私も今日は朝から眠たくて、食事以外はずっと寝ていた。こういう時はパートナーに対しても娘に対しても言葉を飾る余裕がなく、デリカシーを欠いてしまうことが多いから、気をつけることにしよう。
2004.03.30
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今日、パートナーが仕事で沖縄に発った。しばらくパートナー不在の生活がはじまる。久々の長期出張である。パートナー不在によるデメリットは多くある。しかし、そればかり追っていても現実は変わらないから、メリット部分をかき集めてこの時期を乗り越えようと思う。パートナーが帰ってくるはずの家にパートナーがいない、というのはなんとも物足りない感じで、まだ慣れない。
2003.11.03
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前回の日記に、激動だった9月から10月初旬について書いた。休みはなく22日ぶりの休みだ、と。あれからなんと、5連休中である。中一日、出勤であったが、ほとんど家をあけることはなく、休みに近いものであった。パートナーが連休中で一つ、困ったことが出来た。このサイトである。私は自分のサイトを誰にも口外していない。先日、ようやく実妹に伝えることができたほどだ。何故、皆に伝えられないのだろうか。一つには、あまりにも恥部をさらけだしていることにある。特に、パートナーには義理の母の話、その話題に関して議論を持ってはいるとしても、このように一方的な場所で密かに思いをめぐらせていた事実が面白くはないだろう。もう一つは、誤解を恐れるからであろう。ここでの私は本当の私ではあるが、全てではない。普段の私も本当の私ではあるが、全てではない。が、少なくとも周囲にとっては『全て』である。この『全て』が『偽り』ととらえられるのが本意ではないのだ。この『全て』は私の周囲への欺きではなく『思いやり』である。大切だからこその気遣いである。隠し事なく生きていることは美徳でもなんでもない。隠し事をしている、という後ろめたさを相手に負わせるのではなく、自分が負えるような人間こそ徳のある人物だ、と私は考えている。
2003.10.16
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今日は久しぶりにパートナーが休みになった。22日ぶりの休みだった。パートナーに休みを分けてもらえなければ私にも休みはない。夜討朝駆、東奔西走の彼と24時間フル稼働の私。二人の会話はともかく、娘の病状や発達具合など、一人で決められないことなども話す時間がない。朝は起きるだけ夜は寝るだけ。二人とも正直疲れきっていた。昨日夜中、会社と次の日のスケジュールを打ち合わせをする電話をかける前に彼は言った。「今の仕事も一段落ついて明日休もうと思うけど、それを拒否されたら辞めていい?」「いいよ」私は即答した。長年の夢で就職浪人してまで得た今の職だから、と就労担当を迷わず彼にしてしまったが、知らないうちに成長してしまう娘を抱きしめながら「子育てしたい」と言っていたのは半分は本音なのだろう。休みが正式に決まると、お互いの苦労をねぎらってしばし抱き合った。朝食後、片づけをしていると遠くから鐘の音が聞こえてきた。近くにあるミッション系の大学からだ。キャンパス内にある教会で卒業生が結婚式をしているときに鳴らされる祝いの鐘だ。なんだか良い一日になりそうである。
2003.10.12
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