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週末、ふたつの忘年会に誘われて行ってきました。ひとつは高校時代のクラスメイト5人との忘年会。もうひとつは銀行員時代の仲良しだった先輩、同期6人との忘年会です。独立して自分で仕事を始めてからずっと忙しくしていたものですから、高校時代の友人とは10年ぶり、銀行員時代の友人とは8年ぶりに会うくらい久しぶりの再会でした。飲み会は最初から最後まで大爆笑の連続で本当に楽しいものでした。昔と変わらずアホな奴ばかりでした。本当に驚いたのですが、高校時代の友人5人も銀行員時代の友人6人も日本を舞台に大活躍しているのです。日本の法学史に残るような訴訟を担当をした弁護士、コンピューターのある分野では圧倒的な日本一の技術を持っているエンジニア、独立起業し株式公開、上場した友人二人、外資系金融機関で重職について億近い報酬を得ている人間が4人、残りの人もあと数年で大飛躍するであろう、という感じでした。この仲良しだった人間が昔からすごかったのか、というとそんなことは昔はわかりませんでした。高校時代はみんなアホみたいな連中でしたし、銀行員時代の友人も先輩もアホでスケベな人ばかりだったので、僕は気があっていた人ばかりなのです。この人たちを見ていて共通している部分がありました。(1)圧倒的な長時間労働をしている。(2)底抜けに明るい。(3)本当にど阿呆。狂ってる。型破り。彼らは、睡眠3,4時間が続いても、嫌なことから逃げずに、猛烈な行動力と底抜けの明るさで道を切り開いていっています。「嫌なことはやらなくていいんだよ」なんていうちょっと勘違いしたワクワク系ではないのです。猛烈な集中力と根気で道を切り開いているようなのです。彼らを見て思いました。「真剣」と「深刻」は違うんだ。真剣というのは眉間に皺をよせてとりくむようなものでなく、もっともっと明るいものなのだ。自分は銀行員時代に長時間労働を身につけたのに、なぜこんなヤワになってしまったのだろう。彼らと進むべき道は違っても、自分の分野で負けない努力をしよう、と痛感しました。今日も「出会いに感謝!」の一日でした。
2004年12月26日
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すごいじいさんがいました。年は116歳。そしてそのじいさんの彼女は16歳。100歳の年の差!!そこに一般的な思考として「遺産が目当てか??」などと考えてもしまうが、そんなの関係ない。116歳のじいさんがあの世には財産も持っていけないのだから、116歳で青春を謳歌しているなんて素晴らしいではありませんか!!!似たような話で作家の黒瀬しょう次郎さんは83歳なのだが、なんと!18人の妾がいる。子供は30人以上いる。その黒瀬さんが以前、こんなことを言っていた。「いやぁ。83歳ともなると、相手も年をとってきて、櫛の歯がぬけるようにぽろぽろもれていくんですよ。その補充が大変でしてな」と。いやはや。すごい爺さんたちがいるもんですな。
2004年12月24日
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おとといの日記の続き。矛盾だらけ。矛盾だらけで結構。過去の発言との整合性を整えようと「線」で生きようとすると生きにくい。・人の痛みを感じ取れる力こそ大事・秀才が人の上に立つ時代は終わった。・感性が鈍っている人間は「俺が俺」で生きていれていない人。自分を鮮やかに生きていない人間が他人を鮮やかにさせられるはずがない。・カバの心臓は10キロ。肝臓は20キロ。腸が100キロ。脳みそはたったの600g。笑っちゃうような話だが、本当はカバのほうこそ人間を「あんたら頭使いすぎ」と笑っているのかもしれない。・ときめく力を失うと生きる力を失っていく。犯人は頭。頭は力をつくらない。頭をとめると力が出てくる。・人を大事にする人は、自分を大事にしている人。自分を大事にできない人が他人を大事にできるはずがない。・随所に主となる。自分が死んだらすべてが終了。自分が中心。・人生は一回きり。人生二度なし。・福沢諭吉「盲目社会に対するは獣勇なかるべからず」一寸先は闇の時代を生きるには獣の勇気を持つことである。・金や財産、名誉や地位を失ってもそんなもん一部を失ったに過ぎない。勇気を失ったらすべてを失う。勇気は頭からは生まれない。行動からのみ生まれる。行動が勇気を起爆する。・獣は迷わない、こだわらない、とらわれない。・考えるから行動しない。行動渋滞がおきる。行動せい。・心に詩(うた)をもて。いつも楽しいものよ。・これからがんばります、はだめ。今がんばれ。・理性の底に感性がある。感性に響くものでなければ人間的ではない。感性の中には理性にはない根源的原理がある。感動の中には真理を越えた真実がある。・安住、安楽から、悪が始まる。危険危険。安住を求めるな。・「耳を澄ます」と思考がとまり、聴覚が覚醒していく。・本来、人は誰でも優しいし、明るいし、すばらしい人ばかり。なのに、劣等感、コンプレックス、見栄、自信のなさ、などが重くのしかかり、自分のことで精一杯になり、他人に気を使えなくなってしまっている。重くなってしまった劣等感、コンプレックス、見栄などを捨ててしまえば(認めてさらけ出してしまえば)、頭は軽くなり、本来の優しさがにじみでてくる。人は本来、明るく温かく優しいもなのだ。・感動は中国で「感即動」と書く。感じて即動くのである。・仲間のために涙を流せるか。自分のために涙を流せる仲間が何人いるか。・「楽をしよう」という思いを捨てることが「楽をする秘訣」だ。・「感動する」と生が鮮やかになる。・人生は山登りみたいなもの。大きい山を登るには大きい山を登る準備とトレーニングがいる。そして高い山に登るにはそれだけ困難があるのは当然。ハイキングと違うわけだから。そして山を登りきると、すばらしい光景が見える。でも登りきった人間にはまた次の大きな山が現れる。繰り返し繰り返し。・困難があらわれたら、まだ天に期待されている証。・すべては自分が源。すべては自分の作り出したものという確信。・明るい自分も自分。前向きな自分も自分。言い訳言う情けない自分も自分。不満、愚痴を言っているカッコ悪い自分も自分。不安で臆病な自分も自分。どれも自分。世界でたったひとりの自分を極めよう。・集中力が鈍ると感性が鈍る。・劣等感は悪いものではない。劣等感で卑屈をつくりひねくれをつくり萎縮する人間がほとんど。でも大成功した人は劣等感をばねにした人が多い。劣等感万歳なのだ。・感性が鈍い人間は行動が鈍い。逆にいうと感性が鈍くなった人間は行動することだ。感性は動くことによって誘発される。動け。叫べ。・孔子は喜怒哀楽が激しかった。頭にくると飯を食うのも忘れるような人間だったらしい。俺らは聖者じゃないんだから、怒っていい。・慟哭。男泣きに泣く。こんなとき生は鮮やかになる。結局いきついた先は。。。人間万歳!人生万歳!
2004年12月18日
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「エゴ」から「エバ」へ、と言われはじめてずいぶんと経つが、さっぱりその兆候は見えない。それどころか紛争が増えていっている。今日、古本屋で日下公人の「10年後」という7年前にかかれた本を見つけて読んでみた。日下公人氏は僕の銀行の大先輩。僕はこの人こそ超大天才だと思っているのだが、僕は意地悪だから、確かめてしまうのだ。そうしたら・・・・・驚いた!!外れていることもあったが多くが的中しているのだ。そこにははっきりと「これからはテロが増えていく」など名言されていて、今の世界の状況がぴたりと言い当てられていたのである。****************「世界の未来は進むだけ進み、その間に幾度も幾度も闘争が繰り返される。しかし最後はどの闘争に疲れ果てるときがくる。そのとき、人類は真の平和を求めて世界の盟主をかかげなければならない。その世界の盟主とは、武器や金の力でなくて、あらゆる国の暦祖を抜き超えたもっとも古くて最も尊い家柄でなくてはならない。世界の文化はつまるところアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの最高峰、日本に立ち戻らなければならない。われわれは紙に感謝する。我々に紙が日本という尊き国を作っておいてくれたことに」。これはアインシュタインが大正11年に日本に40日間滞在しているときに記した言葉である。
2004年12月17日
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さてさて、久しぶりの日記の更新となります。この1年間、ここ12年くらいの総決算というか次の12年のスタートだったのかもしれませんが、いろいろなことがありました。特にこの一ヶ月は、最後の卒業試験のようにいろいろと試されるようなできごとがおこり、考えたことを文字にあらわすのも「適当なことばが見つからない。文字にすると嘘になる」なんていう気持ちもあり、すっかり日記の更新もできずにいました。このいろいろな体験も他人にはよくわからないだろうし、個人的な問題なのであえて日記に書く気もおきなかったのですが、それでも「個人のテキトーな無責任な日記」だからこそ、「ま、ひとりくらいでも何か感じてくれる人がいるならえーかな」なんていう気もあり、最近、感じていたことを久しぶりにちょっと書いてみようと思います。最近の日記から思いつくままに取り出して書くのでなんの脈絡もありません。・悲しみを直視しないで逃げ回ると悲しみにつきまとわれる。・怒りから逃げ回ると怒りにつきまとわれる。・枝葉が増えすぎると幹が細くなる。・言葉が多くなっているときは「嘘!」本当の自分に気づいていない。・悩んで問題が解決することはありえない。問題や悩みを解決するには行動しかない。・弱さを知り、弱さをさらけ出せることこそが度胸と勇気。・線でなく点で生きろ。・明治の男たちはよく泣いた。涙が歴史をつくってきた。・失敗を恐れるな。恥をかくことを恐れるな。・ど阿呆、狂人、型破りでいいじゃないか。・一度全部捨てても何も恐れることはない。次はもっと大きくなれる。・真剣と深刻は違う。真剣は明るい。・「正しいか正しくないか」だけで二元的にものを判断しようとすると必ず矛盾が生じる。むなしくなる。・強さとは優しさのことである。・結局「今」と「ここ」しかない。今ここに全力を傾けろ。・この乱世の時代、線で生きようとしたら、苦しくなる。一年前、一ヶ月前と言っていることが変わることを恐れるな。点で生きる人間が生き生きと活躍する。・自分を粗末にする者、自分を許せない者、自分を責める者には目の輝きがない。生き生きと生きれない。・うぬぼれろ!うぬぼれとは「自惚れ」「己惚れ」と書く。自分に惚れられないようで、人前で堂々とすることはできない。うぬぼれろ!・感動。「感じて動く」のだ。「理動」「知動」という言葉はない。理性や知性では人は動かない。人を感じ、人を感じさせろ。・感性がにぶると命がにぶる。・感性をにぶらせるのには原因がある。「集中不能」「行動渋滞」「過度の劣等感」「雑念把握」「興味欠如」「葛藤忌避」・集中力が鈍ると感性が鈍る。何よりも「集中力」こそが大事。・葛藤を逃げていては人間の深みはつくられない。「先憂後楽」憂いが先にあるから後に「楽」がくる。憂いなしに後楽はこない。・あせりをストレスに感じる人はだめ。あせりをエネルギーに変える人間が成功する。・生きることは戦いだ。戦いを忘れた人間は生き方が鮮やかでない。・良寛和尚は言う。「苦しいときは苦しむがよき候。悲しき時は悲しむがよき候。し塗るときは死ぬるがよき候。これ苦節を避ける妙法にて候」苦しいときには苦しさの中に入れ。そこから逃げている限り、苦しみにつきまとわれる。・じたばたするな。・女性はすごい。女性には敵わない。・清流の中でしか咲けない山葵になってはだめ。泥水の中できれいに花を咲かす「蓮の花」を目指せ。・涙は心の垢を洗い流してくれる。・他人との出会いの前に「自分と出会う」ことが必要。なかなか自分に気づくのは難しい。・人がわかるというのは「自分が自分でわかった範囲」である。他社認識は自己認識の投影である。・「ありがとう」とは「有り難う」と書く。有り難いのである。気楽に言うありがとうより本気の心をこめた「ありがとう」のほうが本物。~気がむいたら続ける~・
2004年12月16日
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