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36歳のお誕生日を迎えましたー。今年は、昨年にはできなかったことが「出来た」誕生日でした。それは。。母に、「36年前、産んでくれてありがとう」と伝えること。昨年は恥ずかしさから、メルマガを通してしか伝えられなかったんです。今年は、電話で言うぞー! と心に決めていたのです。が、実は昨日の晩、母から久しぶりのメールが届き、その返事をするのに電話をするという状況が訪れたのです!!用件の後に、数時間フライングでしたが、伝えました。私は家族に対してさえ、コミュニケーションが上手い方ではないので、状況に助けられて、より自然な流れでできたことに感謝せずにはいられません。昨晩、ここに行っていたお陰かなあ?→ 七田先生の右脳セミナーそうそう。ちょうど1年前に、そのテーマで描いた「なごみ描き」です。以前にもご紹介したのですが。自分でも気に入っているので、また載せちゃおうっと。いま、この瞬間までにご縁のあった全ての人達に、いま、この瞬間から後にご縁のある全ての人達に、ありがとう。
Oct 16, 2006
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明後日は、勤め先のお教室の発表会です。(^-^)0歳児から6歳児まで、総勢100名超の子供たちが、一生懸命に練習してきた成果をお見せするべく、顔晴っています。彼らの中には、今回がはじめての「舞台にあがる」経験になる子たちも沢山います。ちょうど、今週使っているCDの中に、私にとっての思い出の曲があって(おおーーーシンクロ!)、自分自身の「初舞台」を思い出しちゃいました。その曲とは。。。。初めてのバレエの発表会で踊った曲。『愛のあいさつ』。3歳の時でしたー。正直、この時の記憶はなあ~~~~んにもありません。でもよくよく考えると、当時の私はもんのすごく人見知りが強く、幼稚園でも一人(またはごく数人のお友達と)で静か~~~に過ごすことが大半な子供だったはずなんです。なのに、舞台には立てた。子供心に何を感じていたのでしょうねえ。やらねばならぬ時というのを悟っていたのか、心静かにワクワクしていたのか?ナゾですけれど、私がいま、やっぱり(実は)人見知りなのにもかかわらず、人前に立つことが苦にならないのは、舞台の経験を重ねてきていたからなのかも知れない、とも思います。お教室の子供達、ひとりひとりにとって、かけがえのない舞台の経験。うちの主任先生の言葉を借りれば、「舞台にあがれて100点。 最後までいられて200点!」100点満点の子供達(とお母さんたち)を大きな笑顔で迎えてあげる予定です♪
Oct 12, 2006
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ふぅーーーーー。ここ数日間、精神的『鍛錬』が繰り広げられました。と、いいますか。今年の1月に流産を経験してから、大きな流れで心の学びが続いているのですね。流産した事実そのものは、すでに、「実は今年のはじめに流産してん。」 とどんな人にでも話せるくらいに消化できたのですが、その後間もなくやってきた、義妹、親類たち、お隣さんのおめでたラッシュ。心から「おめでとうー」と思っているのに、一人になれば流れる涙。それを通過した、春。それが現実的な「出産」ラッシュとなって目の前に突きつけられる、秋と冬のスタートなんです。なんで涙が流れるのかと言えば、授かった子供を失った「悲しみ」などではないのです。そんな可愛らしい、キレイなものではないのですよ。「先を越された」「わたしだって」そういう、奥底に眠っているものが、見えてしまうからなんです。自分の中のドロドロとした感情(これは「感情」なのだろうか?)。自分がいちばんでいたいというエゴ。他人に勝ちたいという競争心。そんな真っ黒な自分の存在を見なくてはいけないから(目に見えるわけでもないのに、表現しようとすると 「見る」になる)はらわたをえぐり取られるように苦しいんです。そんなこんなで気分的に「エグッ」「エグッ」(どんな表現だ。。(^-^; )となっていたり、ダンナ様が夜勤でお留守なのをいいことに、むせび泣いてみたりして今朝はなんとなく熱っぽく、ダンナ様がゲームをやってるのをボーーーっと観ていたらあるガンダム系のキャラクターが言うんです。「闘っているのはお前だけじゃないんだ。 皆それぞれに闘っている。」「でも、自分が苦しい時はそれが見えなくなってしまうんだ。」って。そんな、(頭の理解としては)当たり前の言葉を言われて、なんだか急に、すっとしました。なんでだか急に、スイッチが入れ替わりました。そうだよね。みんな闘ってる。それぞれに、色んな自分と闘ってる。そうじゃなくちゃ、この生き難い3次元にわざわざ来ている意味がない。それでいいんだ。現実は何も変わっていなくて、キタナイ自分も相変わらずいるのだけれど、次にそれに出会うときには、「あ、出た出た。」 と受け止められそうな気がします。若い時からマンガ好きなんだけど、やっぱ、日本のマンガって、秀逸なんだと思うのです。よく、ハリウッドの映画監督には精神世界のことを良く知っている監督さんが多いとか聞くけれど、日本のマンガ界というのも、精神世界の真実を伝えてくれているんじゃないかなあと、思っています。
Oct 10, 2006
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お芋掘り後の土( in プランター)を放置して乾かしていたのに、突然の大雨に見舞われてがっくし。の、和です。こんばんは。まあいいのです。雨水には窒素分も含まれているというしね。来年に向けて、いい土になっておいてくれたまえ。宜しくお願いします。さてところで、『身の周りに使うもの』ってどれだけ意識して選んでいますか?なにを意識して、選んでいますか?突然ですが、今日は、シャンプーのお話をしたいです。というのも、先日やっと、使っていた「普通の」シャンプー(ラッ**)がなくなって、とあるものを使い始めて、その結果が確認できてきたからなんです。「普通の」シャンプーは、たくさん泡立ちますよね?あれは、界面活性剤という人工的に作られた成分が泡立たせているのです。(たぶん、ご存知ですよね?)そしてその泡は、ほとんど泡のまんま、流れて行き、いろんなものを巻き込んで、川の下流付近でぶくぶくとたまっていたりします。シャンプー(製品)のボトルや詰め替えパックの裏側を見ると、ものすごい量の、難しそうな記号やカタカナが並んでいますね?なんだかよく分からないけれど、それらは確実に、皮膚を通して私達の身体に吸収されています。化学反応を起こして、身体の中で何かが起こっているようです。・・・・何それっっっっ!川を汚して、身体にも良くないって!?どう考えても、いいことないんです。でも、現代に、「髪を洗う」ために、そんな手段しか残されていないハズはないですよね?で、この度、私が使ってみたもの。→ こちら これ、キッチンとお洗濯(こっちは洗濯用)で愛用しているもの。洗剤ではなくて、「ミネラルハーブ水」。有効微生物群が入っていて、ヒバの香りがさわやかなんです。で、その有効微生物群が食器や皮脂などのいわゆる油汚れを食べてくれる。そのまま排水に混ざって流れていき、河川の汚れも食べてくれるのだそうです。どこまで使えるものなのかなー。と、実験気分でシャンプーにしてみたのです。ハーブ水ですから、当然、泡立ちません。でも、洗い上がりもすっきりしているし、髪もゴワゴワにならない。これでいけるやん。という訳で、かれこれ2週間程使ってみています。(ちなみに洗い流す時にはレイキでエールを送ってから送り出しています。)別にこの商品がいい、というお話ではなくてね。ものを選ぶ基準を「(私が)キレイになるために」とか「こっちのほうが安くて(私が)得だから」とかそういうところから少ーーしだけズラしてあげて見てみると、身の周りの、わたしたちが小さい頃から当たり前に使ってきたものの中に、今よりも環境破壊をストップさせることができて、今よりも環境回復に貢献できる(かも)ことができる、そういうものって、結構あると思う。テイク&テイクン じゃなくて、ギブ&ギブン という発想で。いきたいですよね。(^-^)
Oct 4, 2006
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