日常 0
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昨日、母とけんかしてしまった。発端は、昨日夕方、私は明日の競馬の予想に一生懸命だった。そんな時、母から電話があり、冷蔵庫のホッケを三つだしておいてくれとのこと。いくら探しても見つからない。母に電話し、今度はやっと見つけた。あまりににも競馬に夢中だったのでここで母にかちんときた。そして母が帰り、肉来たデーと言うと、お金払ったかと聞かれ払っていない。母がいつも払うものだし、払わなかった。そして洗濯物も取り入れていない。ここで母が切れた。でも他の夕食の準備などはやっていた。沈黙のところに弟が夕食食べに来た。そして食べて帰って行った。そこで母に謝った。母も許してくれた。しかし、昨日は本当は病院へ行こうと思っていた。しかし母のある一言で行くのを止めた。それをあとになって思い出し、夜、やっぱり今日は病院へ行くべきだったと母に突っかかった。母はあなたが行かないといったからそう思っただけと行った。これ私が最終決断したのだから私が悪いと反省した。しかし今日朝母は謝ってくれた。これで一応解決した。母は、今日から5日間横浜の伯父のところへ、介護に行く。それまでに終わらせておきたかった、こんなけんか。よかった。こんなけんか久しぶりだった。母とはずっとうまくやってこれたのに・・・母を大切にしよう。
2011.01.09
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今日病院へ行ってきました。昨年の暮れから今年に入って好調で、先生も認めてくれました。特に、今年に入ってから好調です。そして、以前母が不動尊の道場に私を連れて行きました。その時その祈祷師が憑き物が憑いていると言いました。私はその祈祷師が嫌でやめたのですが、母は一人で毎日祈ってました。そして今年に入って何かその憑き物が取れた感じがするのです。心も体もすごく身軽になりました。こんな気分中学生時代以来?何もかもうまくいきそうです。決して躁状態ではありません。先生も認めてくれました。しっとりしていると・・・ここに来るまで自分も頑張ったけど、母は毎朝毎晩般若心経を拝んでいました。その二つがいまの状態を生んだと思います。母には感謝です。誇るべき母です。これからは母を大切にしないと・・・自分はこれからは焦らずマイペースでいくつもりです。これからの人生をよい方にもっていくために・・・
2010.01.16
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今日は通院日でした。今母がカンボジアへ旅行へ行っている。それで少し負担が重くてしんどいと、病院の先生に言うと、「お母さんの影響大きいのですね。」と言われた。確かに心の病になって以来母と話すこと頼ることが多くなった。でも、病気もだいぶんよくなり、講師として働いてるけど、以前の元気な時には戻っていないようだ。夜、猫のシロと二人でいるよ、少し心細くなってくる。いい大人がと思うのだが、事実そうだ。早く親離れしないと・・・でも、今はまだ心も体も完調じゃないから、無理のないところで行こう。あと、母の作る飯が食べたい。外食やホカ弁、レトルトばかりじゃ飽きてしまう。これも甘えかな・・・?あと、今日病院へ行く前に、近くのマンションに住む弟に洗濯を頼んだ。無愛想な返事だったが、帰ってくるとちゃんとやってくれていた。弟は口が非常に悪い。いつも傷つくことばかりいうが、やる時はやってくれるんだ。ありがたい。ほんと家族ってありがたい。自分もはやく病気治して結婚して新しい家族をもちたい。あとどれくらいかかるかな・・・?
2009.11.07
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昨日は通院日だった。母がついてきた。と言うのも、先週の日曜日、母が通っている不動尊の道場でその祈祷師から母が「憑き物が憑いているから、あなたの息子はダメになる。今すぐ連れてきなさい。」と言われたらしい。私自身も、去年病気の時少し通っていたが、どうもその祈祷師が好きになれず行かなくなった。母としてはダメになると言われたら不安になるだろうし、親として子どもに自分がいなくなった時、後悔するのもいやだろう。でも、私は行かないとはっきり言った。母も優柔不断なところがあってそれで悩んでいて、それで病院へ行って先生に客観的な意見を聞こうというものである。私が人生の半分以上をつきあっている先生である。そして心の病の先生は、宗教と病に関するいろんな例を見てきているはずである。最初、私一人が診察を受けて、特に問題なく、母にも入ってもらった。先生は宗教とかいうものは本人に信じる気持ちがなければ、行っても意味がない、など的確なアドバイスをしてくれた。母も納得したようだ。私自身、いま宗教のようなものを必要としていない。自分を信じて前に進むだけである。母の気持ちもわかるが、自分の人生は自分で切り開いていかないと。
2008.04.13
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うちの母は、今年で69になるんだけど、元気だし、明るいし、働き者。うちの母は24でうちの父と結婚して25で私を産み、27で弟を産んでいる。小さいときは家にいたが、貧しかったので、少し大きくなると、パートにでるようになった。そして、小学校の給食の調理員になった。主婦でもあり、公務員でもあり、夫にとは妻でもあった。でもは母は決してどれも手を抜くことはなかった。そして私が若いころ病気になったときは、いろんなことをしてくれた。父と一緒に、毎週不動尊に通ったり、毎朝お地蔵さんに拝みに行ってくれたり・・・それまであまり話すことがなかったが、それから母とよく話すようになった。そして母はよく旅行に行く。昔は父とも行った。イタリアまで行った。とにかくともだちとよく旅行に行く。しかし、定年退職したと思ったら、父がアルツハイマーになった。だいたい看病は母が中心だった。介護サービスを利用したり、私も手伝ったりした。でもほとんど母。こんかい私が病気になったときも病院に付いていってくれたり・・・そんな、元気で明るく、働き者の母から、こんな繊細な私ができてしまったのだろう。私はいろんな意味で父に似ているところが多い。父もアルツハイマーで死んだし、父の遺伝かな・・・そんな母を早く喜ばせれるように結婚もせなあかんし、孫の顔も見せたらなあかん。できるかな・・・?ぼちぼち・・・
2007.09.07
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