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2005年10月05日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
最近の「作風が変わった」といわれる宮崎アニメについて書きたい書きたいと思っているのだが、手元に資料(批評など)がないので、あまり突っ込んだことは書けそうにない。したがってきょうは今のところわかっていることのまとめ。あまりわかりやすくはないと思う。

宮崎アニメの作風が変わったのは「紅の豚」(1992年)以降だと思われる。「紅の豚」以降の作品の比較的わかりやすい特徴は次の通り。

1.ストーリーにはっきりとした起承転結がない
2.キャラクター、状況に関する説明が少ない (「このキャラは何者?」、「今何が起こったの?」という疑問が観客に残ったまま物語が進んでゆく)。 善玉・悪玉の区別がないことが多い。出来事が唐突に起こる。
3.終わりが曖昧 (最終的に主人公がどうなったのかわからない)

テーマ性はどう表現されるか。
主人公の存在と物語のテーマ性が密接にかかわりあっている。

主人公の存在(何者かということ)あるいは主人公が(物語冒頭で)背負ってしまう運命が物語のテーマを暗示している。
主人公の存在あるいは背負ってしまう運命は何らかの象徴的な意味を与えられている。だがその意味はストーリーのコンテクストの中では明かされない。その意味はストーリーの外にあり、われわれが探し求めるべきものとなっている。

→特徴
「もののけ姫」(1997年)以降の作品には主人公(たち)は<不条理な運命>を背負ってしまう。





ウー太郎がむかし卒論で書いた宮崎アニメ(「もののけ姫」以前の作品)の普遍性についてのまとめ
宮崎アニメの魅力は、圧倒的なリアリティーをもつ画面、人物や物の動きの躍動感、個性的な登場人物、そして豊かなストーリー性にあると思われる。
画面のリアリティーとは風景描写(特に植物。宮崎は植物を生きたものとして描いたはじめてのアニメ作家といわれている)が緻密であることや、人々の生活が活き活きと表現されていることである。宮崎アニメではまず風景(世界)があって、その中に人物がいる。それは舞台がファンタジー世界であろうが昭和30年代の日本であろうが変わらない。宮崎は次のように記している。「アニメ世界は虚構の世界だが、その中心にあるのは“リアリズム”であらなければならないと私は思っている。うその世界であっても、いかに本当の世界とするかが大切だろう」(『出発点』宮崎駿、1996年、徳間書店)。
人物や物の動きの躍動感とは宮崎独自の動きの表現をさすが、その表現とは研究し尽くされた現実の動きに漫画映画的な誇張を加えることで生まれる。宮崎は人物の動きを作る際に、その動き方のなかに自分が心地いいという線を探すのだと言う。
動きでのなかで特にわれわれを惹きつけるのは飛翔シーンである。宮崎は飛翔の作家とも言われており、実際「紅の豚」(1994年)までの作品の中では必ず飛翔シーンが登場する。飛翔は単なるアクションとして登場するのではなく、物語の中で重要な役割を果たし、ときには物語の成立条件ですらある。そういう意味において宮崎は「飛翔シーン」を描いてきたのではなく「飛翔の物語」を作ってきたと言っても過言ではない。
例えば飛ばないナウシカは絶対的に無力だし、王蟲をなだめることもできない。「天空の城ラピュタ」では浮遊する石「飛行石」がなくては物語が始まらない(主人公の少年と少女の出会いのシーンは、少女が空から降ってくるという幻想的なものだった)。話の中心であるラピュタも空を飛んでいる城である。「となりのトトロ」は厳密に言えば飛翔の物語とはいえないが、印象的な飛翔シーンをもっている。トトロが満月の夜中に木の実を次々と発芽させ、みるみるうちに巨大な木へと成長させたあとに(宮崎はこのシーンを「木の原爆」とよんでいる)トトロが主人公の少女二人をおなかに乗せて、コマに乗って飛ぶシーンである。この飛翔のダイナミズムはわれわれがこの映画から感じ取ってきた自然への憧れをより高い次元へと導く。「私たち、風になってる」と少女たちが叫ぶが、ここでは自然との一体化が描かれており、飛翔シーンによってテーマ性が表現されている。「魔女の宅急便」(1989年)や「紅の豚」(1994年)では飛ぶことは主人公の職業であり、アイデンティティーに重なっている。
また宮崎アニメの魅力のもう一つ忘れてはならない点はメッセージ性である。宮崎は思想家とも言われており、現代われわれの抱えている社会問題、環境問題をたびたび作品の中に取り込んできた。特に<自然と人間>というテーマはあまりにも有名である。
テーマ性の描かれ方は決して言葉による説教とはならず、主人公とともに冒険を共にする中で自然に感じられるものである。例えば「ナウシカ」からはエコロジー思想が読み取れるが、それはナウシカの自然(王蟲)への愛を通じて語られるものであって(つまり観客が思想を自然に感じることができる)作品の本質とはいえない。「となりのトトロ」では自然とふれあうことの喜びが描かれており、そこから「自然を守ろう」という思想が連想されるまでのことである(キャッチコピーの「忘れ物を届けに来ました」もそういった思想を匂わせているが、それは映画の内容とは関係がない)。
以上のような画面のリアリティーと現代的なテーマ性が、宮崎アニメが子供から大人まで幅広い支持層を持っている理由である。





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最終更新日  2005年10月10日 02時27分35秒
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