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2005年11月19日
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カテゴリ: 虚  第二章
夕暮れ時。
橙色に染まる空が、徐々に血の様な真赤に色を代え、大きな夕日が溶けるように潤んで沈みかける頃合い・・・・・・。
高層ビル群の一角にある、マンションのエントランスホールに背の高い学生服の男子がどこか落ちつか無げに立っていた。
そしてうろうろと歩き回った挙句、立ち止まって呟いた。
「・・・・・・・まずい・・・。」
何やってんだ。
ふっと思った。
引き返そうか、とも思う。
だが、右腕に持った二つ分の学生鞄の重さが暗にそれは無理だと告げてくる。

いつも通りの一日、退屈で平坦な教師の授業に、代わり映えのない同級生の他愛もない会話、家に帰ってきてからもいつもと何かが違うでもなく・・・・、そのまま一日が終わるはずだった。
ちょうど、風呂を出た直後だった。
濡れそぼった頭のままで鳴り続いていた携帯を掴んだ。
ディスプレイに非通知の文字。
髪から落ちる水滴を払って、構わず通話キーを押した。
『柏木?』
低く、美しい声だった。
瑞々しく、張る、声。
まともに口を聞いた事もない、同級生。
けれどそれを一声だけでそいつだ、と分かったのは、時々授業中に当てられて英文なり古典の教材を読むそいつの声が、稀に見るほどの美しくて、独特のトーンを持っているのを覚えていたからだ。
(そうじゃない。)

息を整えた。
『どうしたんだよ?お前が俺に電話かけてくるなんて、何事だよ。』
『お前、俺の席の隣だったよな?』
艶気さえ含んでいる声に、一瞬気をとられる。
『あ?ああ・・・・。』

美しい声だ。
これを聴きたいためだけに、電話を引き延ばしでもしそうだよな、本気で。
『おい、聞いてんのかよ?』
目を閉じて聴いてみる。
『・・・・・・・・・・。』
電話口でため息をつかれた。
分かったよ。
『聞いてる。どうした?何かあったのか?』
『ああ。悪ぃけど、学校の俺の机の中の荷物、届けてくれないか?』
『・・・・・家に、か?』
『ああ、・・・・・できれば。頼む。』
真剣に頼んでいるのが分かった。
別に、明日は何もない。
喉が渇く。
何か、予感がした。
『いいけど?』
『なら、夕方、頼む。』
『分かった。』
『うん。ありがとう。』
その妙に素直な言い方に、思わず笑ってしまった。
おかしい。
その後、そいつが住んでいるマンションの場所を聞いて、携帯を切った。
意外に軽いそいつの荷物を片手に提げ、此処まで来たのはいいが、肝心の本人がいない。
中に入るには住人にインタフォンでロックを外してもらうしかない。
のに、いない。
だから、このエントランスで待ちぼうけだ。
・・・・・何でだよ。
何でも頼まれたからといって引き受けてしまうほど、自分はお人好しでは断じてない。
ましてやその相手が意識的にも無意識的にもずっと避けてきた相手なら尚更だ。
志砂咬(しずな ぜん)、この美しい声の持ち主はあまり関わり合いたくない相手だった。
嫌い、とか苦手とかいうのではなく。
どこか違和を感じるのだ。
何処にも隙を感じさせない優等生。
そつなく何でもこなし、他人が思わず引くぐらいのバリバリの存在感を持つ、男・・・・・・けれど近寄らない限り、自分には毒にも薬にもならない。
そう思っていた。
けれど、放課後、確か明日提出の課題を取りに戻って、誰もいない教室で志砂を見つけた時・・・・・・・・・。
声を掛けようと、動かした自分の視線が志砂の横顔にぶつかった時・・・・・。
寒気がした。
なんにもない、なにもない表情だった。
怒りも悲しみも安堵も喜びも、無い、無表情。
まるで息をしているのが不自然なような、・・・・その、目。
人を殺す様にさえ思えた。
他の誰にも覚えた事の無い、その、恐怖。
・・・・・・・それから、もっと見てみたいと、思った。
いつもの教室で見せる外面のような物ではなく、もっと違う、今のような表情を顔の皮を剥いて、見てみたい。
ゾクリ、と喉が鳴った。
自分の物ではない様なそのおぞましい感情の動きに、思わずゾッとした。
それからだ。
それから、ずっと避けてきた。
けれど、今自分がいる場所は何処だ。
近づかないと言いながら、お前は今何処にいる。
あのまま近づかないはずだった。
実際、昨夜志砂から電話が掛かって来なければ、二人は今までのまま、ろくに口も聞かないまま、高校を卒業しただろう。
そうして時々会う同級生の話に出てくる限り、思い出しもしない相手だったはずだ。
何故俺なんだ?
志砂だったら荷物ぐらいいくらでも届けてくれる奴が大勢いるはずだ。
何故俺を呼んだ。
気づかれたのか?
放課後の教室、あの時心臓から滲み出た異常な感情を、知られたのだろうか。
(馬鹿かよ。)
思わず笑い飛ばす。
考えすぎだ。
あの時、志砂はこちらに気づきもしなかった。
こんな考えは、被害妄想じみている。
と、その時建物の中であるのに、冷涼な風が吹いた。
顔を上げると、外からエントランスホールに入ってくるすんなりと伸びやかな肢体が見えた。
志砂咬だった。





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最終更新日  2005年11月19日 18時24分14秒
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