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2005年11月24日
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カテゴリ: 虚  第二章
ひんやりとした外気と共に、エントランスホールに入って来た人物を見て、柏木昂陽(かしわぎ こうよう)は驚きに目を見張った。
約二週間ぶりに見る顔だ。
伸びやかな身体のラインにぴったり沿ったジーンズと、目に痛いほどの白のコットンシャツを身に着けている。
ラフでシンプルな格好だったが、逆にそれが本人独特の魅力を引き出しているようだった。
陽の光を吸い込んだような肌に。
激烈にキツイ、まなざし。
大地を思うさま駆けるためにある様な伸びやかな足と、灼熱の太陽よりはるかに激烈な瞳とは裏腹な細腰に、思わず目を奪われる不埒な輩が後を絶たないのも頷ける。
だが別に昂陽はそれに目を奪われたわけではない。
目を奪われたのは、その人物の腕や頭、それから首にまで巻かれている包帯に、だ。

(あの怪我のせいで二週間も休んでたのか?)
と、エントランスに入って来たその人物と目が合った。
「よう。」
その視線を受け止め、昂陽は軽く片手を挙げた。
「柏木。」
どこかまろみのある、異国の楽器を思わせる美しい声が返された。
大きな買い物袋を下げた左手から、たぶんかなり重いのだろう、一旦床に荷物を降ろして、志砂咬(しずな ぜん)は言葉を続けた。
「悪い。待たせたか。」
と、少し目を伏せ謝り、たかが買い物にこんなに時間が掛かると思わなかったと言い、疲れた、と咬は投げ捨てるように言う。
よほど身体の調子が悪いらしい。
動きも何処かぎこちないかった。

この調子で買い物に出掛けていたらしい。
「おい、大丈夫か?」
目が少し熱っぽく、顔がいくぶん上気している。
さすがに心配になって腕を貸した。
それをなんとなく不思議そうな目で見つめ、咬は「大丈夫だ。」と言って、腕を外させた。

意外だ、と言わんばかりの目で見られ、さすがの昂陽も少しムッとする。
それでも届けてくれと頼まれていた荷物を差し出すと、咬はありがとう、と礼を言い、受け取った。
もう用は済んだが、なんとなく離れがたい。
その思いが咄嗟に口を開かせたのではなかろうが、我ながら脈絡のないことを口走った。
「そんなにたくさん何を買い込んだんだ?」
言ってすぐに後悔したが、もう遅い。
だが咬は気にした風もなく、他意なく声を返してきた。
「今夜の夕飯の材料。ここのところほとんど食べてないんだ。この前まではそんなでもなかったけど動けるようになると腹が減って・・・・・。けど冷蔵庫にろくなもん入ってなかったからな。買い込んできた。」
と言って咬は床に下ろしていた買い物袋を拾い上げ、昂陽に目を合わせてきた。
漆黒の、星夜を思わせるその目に吸い込まれるように感じる。
なぜかその目は、美術の教科書で一度しか見たことのないゴッホの“星月夜”の絵を思い出させた。
あの独特のうねるような、美しいが不気味なほどの“何か”を感じさせる・・・・・・・・。
熱気のような、それでも静けさに潜むような、“何か”。
その瞳に以前放課後の教室で感じたような、底知れない恐怖は湧かない。
昂陽はその瞳を目で追った。
夢を見ているように思う。
現実味がない、全く。
ただの夢のように思う。
ただの、夢。
目を開ければそれで消える、ただの夢。
(本当にそこに、居るのか?)
手を伸ばし、目の前の相手の手首を掴んでみる。
振り払うかと思ったが咬は何もしなかった。
少し力を入れてみる。
熱と、確かな脈動が伝わってきた。
突然の昂陽の行動に、咬はなにも言わない。
その顔に戸惑いも何も浮かべなかった。
ただ少しの間の沈黙を置いて、思いがけず柔らかく、笑った。
そして一言。
「ガキ。」
いつもの美しい声だったが、自分的に意味にかなりの問題がある。
その言葉が正確に頭に回るまで、少しの時間を有した。
「・・・・・・誰が、なんだって?」
笑んで見せたが、たぶん目が笑ってないだろう。
けれどそれを見て、咬は更に吹き出し、面白くてたまらないというようにからかい半分に言葉を続けた。
「母親に見捨てられた迷子みたいな顔してたぜ、お前。」
「・・・・・・そりゃどうも。」
思わずぶすむくれる。
それが悪かったらしい。
「拗ねるなよ。」
どこか恋人に掛けるような言葉を口にし、咬は苦しくてたまらないと弾ける様に笑った。
ここまで豪快に笑われるといっそ小気味いい・・・・・・・わけがない。
自覚が無い事ならなおさらだ。
「てめえは・・・・・・・、荷物届けてやった礼がこれかよ。」
掴んでいた咬の手を離し、もう帰るからなっ、と捨て台詞を吐いて踵を返す。
なんかもう、泣きたいぐらい情けないが、頭を抱えるのは家に帰ってからすることにする。
これ以上からかわれるのは遠慮したい。
「柏木。」
無視する。
「柏木。」
・・・・・・仕方が無く振り向いた。
(・・・・・・・なんか俺、かなりこいつに弱くないか・・・・・?)
とんでもなく嫌なことに今、初めて気づく。
今はじめて気がついた。
「・・・・・・なんだよ。」
地鳴りのような低く不機嫌な声だったが、咬は声の調子を全く変えず、さらりと言った。
「上がってけよ。荷物届けてくれた礼に、夕飯食わせてやるから。」
返ってきた言葉に驚く。
「お前が?」
「他に誰が居るんだよ。」
笑いを引っ込め、咬はいつもの切る様なまなざしに戻って言った。
「どうする?」
向けてくる目が不敵に笑っている。
その言葉の通り、どうする、と。
声が艶を増す。
自在に色を返る声・・・・・・もちろん、意識的にやっているのだろう。
(なるほど。)
その声で相手を思い通りに嬲るわけだ。
なら、その声で他人を慰めたり、救い上げたり・・・・・もしくは切り捨てたりもできるのか。
(ふざけんなよ。)
受け入れる気も無いくせに誘い込むな。
分かってんのか。
入り込まれてからじゃ遅いんだぜ。
違うか。分かっててやってんだろ、おまえは。
たちが悪い、いや、悪すぎる。
お前は分かってるのか。
その目・・・・・・・・。
放課後、・・・・・あの時見たまなざしだった。
「何が作れる。」
昂陽の言葉に、咬は自然に視線を買い物袋に移し、答えた。
「この中にあるもんで作れるものなら何でも。好きなの言えよ、作ってやるから。」
すっ、と声の調子がいつもと同じに戻り、視線が買い物袋から昂陽に戻される。
見事な間だった。
それに気づかないふりをして、笑みを向けた。
「へえ・・・・・・、けど、いいのか?」
「ああ、むしろ助かる。一人分の量の料理作るの逆に面倒なんだよ、材料かなり余るし。それに病み上がりだからそんなに食べれないだろうしな・・・・・・、腐らせちまう。」
「なら、上がらせてもらうぜ。」
「じゃあ行こうぜ。」
と言って咬はエレベーターの方に踵を返す。
それに続こうとするが、突然振り返った咬に財布を投げて寄越された。
「・・・・・・・?」
何だよ、と視線を向けると、文句の付け所の無い笑みを浮かべられた。
「酒、買ってきてねえんだよ。すぐ近くにスーパーがあるから、ビールかなんか買って来てくれ。」
言ってさっさと咬はやってきたエレベーターに乗ってしまった。
それを見送り、手の中の財布を見て思わず呟く。
「・・・・・荷物届けた礼じゃなくて、単に買い忘れたもんを自分で買いに戻るのが面倒だっただけじゃないのか・・・・・・?」
それに答える相手は、もちろんのことながら此処に居なかった。





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最終更新日  2005年11月24日 22時19分36秒
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