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カテゴリ: 虚  第二章
見れば心の闇にふと“畏れ”が滲み込むような圧倒的な星空が、頭上に広がる。
恐ろしいほどに澄んだ、星闇の空。
その殉教者のような敬虔な星の輝きの夜空は清綱【きよつな】に、遠い過去に見た此処と同じような夜空の下の光景をまざまざと思い起こさせる。
これならば、友人が来ているからなどと気を利かして咬【ぜん】の部屋を出るのではなかった。
しかも咬に何が起こっても駆け付けられるようにとマンションの屋上になど、出るのではなかった。
厭でも目に入る咲き乱れるような星空が思い出させるものは、清綱にとってあまりにも重く苦いものだ。
ただ唯一の人の姿が脳裏によぎる血迷いと共に浮かぶ。
その名を呼びたくなってふ、と、惑う。
“彼”は・・・・・・・。

全ての俗な感情を絶した声。
振り返らないその横顔は神聖すぎて。
触れられない。
“彼”は真率に涙が出る、と言い、それでも決して畏れずただ、自らが王と誇り狂う星空を・・・・・・・ただ、まっすぐに見据える。
“彼”は一人立ち、振り返らない、決して。
“彼”は強すぎて、そして・・・・・・誇り高いから。
風に乱れる黒髪に、滾る金の瞳、不屈の意思を表す唇は静かに引き結ばれている。
その唇は与えられる苦しみと苦い屈辱に血反吐を吐き、その足首は縋る者の重みと血の味を知り、その指先はまるで寒さに堪えるように孤独に己が身を抱いているのに。
それなのに、“彼”はなお強く輝きを増す。
“彼”はまさしく勝者であるから。
“彼”は一人極地に佇み、ただ上を仰ぐ。

卑屈な自分はその姿を見ることすらできない。
美しすぎて縋ることもできない。
否、自分の卑屈なプライドが“彼”の下につくことを許さない。
(違う!)
自分は“彼”を愛しているのだ。

求めるものを全て与えてあげたい。
全てなし崩しにして求めさせてあげたい。
“彼”の全てを拾い上げてやりたい。
あの人が辛いなら“愛している”など二度と言わない。
“彼”が見るなと言うならこの眼を抉り出そう・・・・・・そうしなければ見てしまうだろうから。
“彼”が触れるなと言うのなら手足を切り離そう・・・・・・そうしなければ触れてしまうだろうから。
けれど“彼”から離れることだけはできない。
それだけはたとえ“彼”でも阻むことはできない。
俺は“彼”を愛している。
“彼”だけが全てだ。
否。
自己顕示欲の強い自分はひしひしと己が身体を包もうとする“灼熱”(敗北感)に息もできず、“彼”の臣下としてその足元にほかの連中と同じようには跪くことはできない。
何故、“彼”のような人間がいるのか。
・・・・・・・違う。
結局、自分は嘘ばかりだ。
この中に本音などありはしない。
判っているのは、“彼”への心臓をじかに焼かれるような灼熱感と執着だけだ。
自己愛にまみれた“愛”を“彼”は、“愛”とは認めない。
『違う。結局お前は俺のことなど考えてはいない。お前の言葉には“魂”がない。“愛”を語った所でそれはせいぜい偶像崇拝賛美にしか聞こえない。そんなものが“愛”なら、俺はいらない。』
“彼”のこの言葉だけが妙に的を得ている。
だが“彼”だけが激しく自分を糾弾しながら、その自分の手を身を切るような切実さで待っているのも“彼”自身なのだ。
(卑怯者はあなたの方だ。あなたは気づいているのだろう。俺の想いに。)
そうして堕ちてくるのを待っている。
他の者よりはるかに冷たい態度と憎悪さえのぞかせる言葉の応酬の果てに“彼”はそれでも自分の劣情を煽ることもやめない。
その態度もすべて計算ずくで怒りが憎悪に変わりそれが更なる“執着”になるのを“彼”は待っていた。
時折見せる冷微笑はこちらだけにいつも向けられる。
「元虎【もととら】様・・・・・・・・。」
“彼”の名を呼ぶ。
そして有家清綱【ありえ きよつな】は一度苦しく奥歯を強く噛んだ。
応えはあるはずもない。
“彼”は、今はいないのだ。
狂い咲く夜空に、否、己の激情に堪え切れず、屋上から階下へと続く扉を開けて階段へと足をかける。
そのまま機械的に足を進めた。
(顔が見たい。)
今すぐ。
そうでなければ堪えられない。
『そなたの其の情念があの御方を殺したのじゃ。』
白炎【びゃくえん】にわざわざ言われなくとも判っている。
ほかの誰でもない、俺が、殺したのだ。
“彼”のいない数百年もの時をそれでも“彼”を探すためだけに生きてきた。
あの時、その背を抱けばよかった。
一人立ち続ける気高くも沈黙を守る背に、縋ればよかったのだ。
“彼”は抗うだろう。
そのあまりの誇り高さ故に、“彼”は手負いの野生の獣の凶暴さで抗っただろう。
殺されたかもしれない。
けれど何度でも、どれほど醜悪な姿を見せてもいい、“彼”に屈辱を味合わせてもいい、何度でも、それこそ殺されるまで抱けばよかったのだ。
臆病な自尊心など捨て、追うべきだった。
そこに“彼”の血肉が在ったのなら、抱けば・・・・・・・・。
“彼”が其の手に永遠の眠りと安らぎを攫う前に。
そうしたなら、“彼”を繋ぎ止め、一人でいかせることなどしなかった。
最後の最後まで、孤独を抱いたままいかせることなど・・・・・・・。
これほどまでに“彼”への想いが、この心臓を抉るのなら、(其の心臓を滴る血の律動さえ聞こえるのに)、死ぬまでこの腕に抱けば・・・・・・。
決して凍った激情のまま、いかせはしなかったのに。
(けれど。)
けれど今、ようやく“彼”を見つけたのだ。
名も変わり、記憶さえも失くし、その姿も声の高低すらも違うが、あの激烈な色を宿すその金の瞳は一片も変わらず。
「咬【ぜん】・・・・・・。」
“彼”の今際の名を苦い記憶に沁み込ませる。
もう二度とその魂を失うことのないように。
白炎の血界から血まみれの咬を助け出した時に、抱いた感触を腕にまだ覚えている。
その重みを、幾度も刻む。
目指す扉に着いた。
この向こうに、居る。
扉は鍵がかかっていなかった。
いつも堅く閉められているそれが自分のために開いていることを清綱は知った。
たまらなかった。
足は自然と求める相手が居るであろうリビングの方へ向く。
・・・・・・居た。
「咬・・・・・・。」
三度呼んだ。
今度はしっかりと。
とどくように。
「・・・・・・・・っ!」
“彼”が驚いたように振り返る。
元虎は決して振り返ることはなかった。
「・・・・・お前、いつ帰ってきたんだ?・・・・・驚かせるな。」
警戒心の滾る瞳は今はけれど拒絶の色を表してはいない。
その瞳・・・・・やはり強く輝いて見える。
この二週間、共にいて(正確には看病して)分かった。
いつもは静かにふつふつと燃えるその瞳。
高熱と激痛に苛まれながらもそれは変わらなかった。
どこにそんな自制心があるのかと驚くほどに。
けれどその瞳はいつもは静かにその奥で炎を滾らせるのに、少しでも触れようと手を伸ばせばぶわっと灼熱が燃え立つ。
火傷ではすまないその灼熱はいつもこの人の中にある。
眩暈がする。
“彼”がいない間の千年の祈りも、“彼”を目の前にすると砕け散る心地がする。
(いつまで・・・・・・。)
好きだ。
この人が好きだ。
どうすればいい。
一体いつまでこの想いを殺しておける・・・・・・?
千年より熱くなるこの想いを、加速する渇望を。
自らの内に飼っているケダモノを制御する術はないことを知っている。
この想いは一生叶うことはないのか。
「・・・・・・有家?どうか、したのか・・・・?」
咬が睨むように真っ直ぐに瞳を向けてくる。
これが不器用なこの人なりの心配と心遣いだと分かってしまう。
だから湧き上がろうとする感情を内心でくびり殺す。
殺さなければならない。
傷つけるのならいっそ知られる前に湧き上がるたびに殺し続ければいい。
内心を表に出さず、清綱は瞳と唇にいつもの真率な笑みを佩いた。
「いいえ。何もありませんよ。」
いつもの心からの穏やかな気遣いと奇跡のような思いやりからくるその笑みに咬はいつもの安堵を得る。
それが少し和らいだ表情から分かった。
だから。
だから、と。
清綱は何度も心に自戒を刻む。
今度こそは。
やはりこの世界でも孤独を抱く“彼”の、唯一の楔となるように。
そのために自分を殺すことを。
今度こそはと願いをこめて・・・・・・・・・・・・・。





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最終更新日  2006年01月06日 22時56分48秒
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