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身体の芯から末端にかけての全てを奮わせる和太鼓と里神楽のお囃子の余韻が心地よく残る身体に、山中の霊気と新雪の冷気はひんなりと快い。
唯一暗路を共にする上等な連れとは今は会話はなく、けれどそれ故に柔らかな空気は粋な派手好きと浮き名を流す獅吼【シコウ】の身にも上等、と銘打たせるほどの中々の心地がする。
しゃらん、と連れが腰につけた銀の装飾品がひやりとした音を立てるのに目を向け獅吼は口を綻ばせた。
やはり華、と心中で小気味よく言葉を叩き出す。
空に鳴る北国の雪の嵐の様な凛列さの立ち姿。
血の青い筋が透けて見えそうな白い肌が、山中の松の青やかさに映え、凄まじいばかりの清やかさ。
鮮やかな睫がしっとりと潤むあえやかな朱金の瞳を縁取り、白い柔肌の清やかさが氷翠王【シャナオウ】を非常な美貌に見せている。
それでもその美貌が氷翠王を柔に見せないのは、その鞭の様な無駄のないしなやかな身体と、あるいはその朱金の眼差しが野生の獣のように高潔な瞳をしているからだろう。
熱く激しく乱れる感情をまるで外に出さないのに、その瞳だけはいつもその凄まじさに此方が息を止める程の激烈な光を宿すのだ。

この瞳を見る度、獅吼は氷翠王の身体中を駆け巡る氷翠王自身の魂の激烈な光の渦と悪流を見る。
だからよけいに艶めかしい。
誰もが望んでも届かぬ昂みを目指して目指して駆け上がるその姿は、他の誰よりも神聖で神の許しの様な眼差しは誰より侵し難く綺麗だった。
思えば、蒐【シュウ】家に十二年間も人質に捕られていた頃もこの様だった、と獅吼は思い返す。
蒐家は王より下賜された家門永続の広大な領地を誇っており、多くの華族が自分の領地外の戦争特需にあぐらをかいている間にその火が自分の領地に飛び火して転がり落ちるように没落していく中、大きな財閥と提携を結んで栄え成功した他に例がない一族であった。
しかし、その栄華も長くは続かなかった。
何度も続く内乱に皓【コウ】国の無政策もあって、国土の一部は荒れに荒れていた。
神に守られた皓国も澱んで溜まり過ぎた膿に溺れ腐り落ち始めているとまで噂され、貧困に喘ぐ農民や商人たちの間では新たな信仰宗教が流行りそれによる一揆も多発していた。
曰く、『阿弥陀如来か、御領主か』。
これは仏と領主である華族の宗主のどちらが偉いかの比較であり、またどちらの報復が恐ろしいかの比較であった。
この考えが恐ろしい勢いで身分を問わず多くの者に浸透し、阿弥陀如来に従うべしとそれぞれ鍬や鋤、槍などを手に決起し襲い掛かってきたのだ。

寺門は深くその土地に住む者に関わっており、その一揆に領主を主と仰ぐ臣下達でさえ多くが参加していたのだ。
無論、臣下の全てが反乱に加わっていた訳ではないがおそらく半分近くが。
それでも日に日に勢いを増す一揆連中に、これ以上手をこまねく訳にはいかず全ての領主が力ずくで一揆を治めた。
・・・・が、である。
半数もの家臣が参加していたため、貴族一門の力は半減、扇動者達の思惑通りに没落していく貴族も多く、蒐家もその中の一つとなりかけていた。

他の領国は一揆に勢力を二分にされ息も絶え絶えの心境の中、唯一被害もなくこの一揆を治め、それどころか一揆を逆手に取り朱樺家と家臣、領民との結束をより強固なものにしたのが氷翠王だったのだ。
他領地は飢饉を避けられぬ中、氷翠王はそれを上手く利用し対外関係を有利に進めた。
この事が皓国の中央にも鳴り響き、その手腕を多くの貴門の者に買われたがその一年後氷翠王が出奔したのはまた別の話である。
しかし朱樺家以外の多数の土地ではこの一揆はかなりに渡って続き、十四、五年続いていた。
蒐家が滅びかけたのはこの一揆が始まったばかりの頃で、その蒐家に人質として囚われていた氷翠王がその十二年後にこうも見事に朱樺家の領地に起こった一揆を治めた事はかなりの皮肉である。
一揆に傾いて滅びかけていた蒐家を救い、立て直したのも氷翠王なのだから。
氷翠王は蒐家傘下の財閥の総入れ替えをし、事業の拡大を図った。
この前代未聞の働きかけに蒐家の貴族連中は腰を抜かし、全員反対したが病床にあった宗主が氷翠王に賛同し有無を言わさず強行した。
皆あの明らかに氷翠王を軽んじていた宗主が何故、と目を見張ったが、それも無理のない事だった。
だが氷翠王は一年ほど前病床についた宗主と周りがおかしくは思わない程度に接触をしていたのだ。
平時ならばどんな思いやりに満ちた言葉でも気にも掛けず嘲笑で返すであろう宗主の傲慢さも、病床という自分の先への不安と心細さからすっかりなりを潜めていた。
まして氷翠王は甲斐甲斐しかった。
絶妙のタイミングで与えられる奇跡の様な思いやりに満ちたまなざしと手、それから不安と自分が何もできぬというもどかしさを包んで否定してくれる温かくも優しく柔らかな物腰。
実の子供達が臣下の者に任せっきりにし碌な看病もしない事も拍車を掛けただろう。
毎日毎日、自分の看病に明け暮れてその白く繊細な綺麗な氷翠王の指が少しずつ荒れていくのを宗主は見ていたのだ。
これが宗主でなくとも誰でもほだされただろう。
氷翠王が自分を救いにきた自分だけの菩薩にでも見えたに違いない。
すぐに宗主の氷翠王に向ける眼差しは親愛と信頼、情愛へと代わっていった。
蒐家の人質である、という氷翠王の自分に対して弱い立場もそれに一役買っているだろう。
絶対的な信頼を向けている氷翠王の選択に宗主が否を言う筈もなかった。
そうして氷翠王は事業を選別して拡大していった。
それが着実に利益を上げ、段々と蒐家が立ち直り始め蒐家の臣下や他貴族の信頼を得るようになった頃、羊毛を主としている蒐家の紡績を氷翠王は他貴族に売却した。
この紡績はかなりの利益を上げていて、今後もその利益は伸びるだろうと思われていたので蒐家の者はかなりの反発をした。
が、氷翠王が『今でこそ羊毛を主とした紡績は行っている者が少なく利益も高いが、他の多くの財閥もそれに目をつけ始めている。もうすぐ嫌でも価格は驚くほど下がるだろう。ならばその前に他に高く売却した方が利益は比べ物にならないほど高い。』と説得すると、氷翠王の意見に傘下の財閥は誰も反対する者はいなかった。
これには蒐家の者は度肝を抜かれた。
ほとんど独断のような提案に傘下の財閥はもはや反論もしなかったのだ。
いつの間にこれ程の信頼を得たのか。
実際数ヵ月後には氷翠王の言うとおりになり、被害を受けなかったのは蒐家と朱樺家だけだった。
誰もが氷翠王に厚い信頼と情愛を向けた。
誰も氷翠王無しでは蒐家が立ち行かぬ事になっていると気づいた者はいない。
これで氷翠王が人質として責を逃れ、自分の臣民の待つ故郷に帰りその上で蒐家の政と財政を動かしても誰も文句など言えぬ程に。
蒐家の者は氷翠王の手によって蕩ける程に甘やかされた事に気づいていなかった。
自分達が何もしなくてもまるで神の手が蒐家の建て直しを図っている様に、どんどん氷翠王の手から与えられた。
気づいた時には誰もが氷翠王の指示なしには何もできない者になっていた。
逆に朱樺家の者は君主である氷翠王がいない間、領地を支えなければと鉄の団結を示し奮起していた故に、一人一人の才覚が尖るように際立ち磨かれ凄まじい団結力であった。
後に、恐らくこの人質時代があってこその朱樺衆と言われる程に。
朱樺家を取り込もうとして逆に取り込まれたのは蒐家の方だった。
五歳の頃から人質生活を送っていた氷翠王は猫の子ではなく、まさしく朱樺家の前宗主であった父と同じく猛々しい虎の子であったのだ。
とんだ薮蛇をつついたのだ、蒐家は。
ここまでの全てが氷翠王の思惑通りであっただろう。
唯一の誤算は、他国に追いやられていた色狂いの蒐家の長男が氷翠王の帰郷の時に戻り、『君のために俺は全てを捨てたんだ。』と迫りそれを氷翠王が断れば『お綺麗な顔をして俺の親父まで咥え込んだ淫乱のくせに、俺を拒む気かっ!?』と真も実もない言葉で氷翠王を貶め、挙句の果てには刃傷沙汰になり、それでも飽き足らずこの長男は氷翠王が蒐家に謀反を企てていると嘘ばかりの言葉を流したのだ。
氷翠王が十四の時に強姦して子供を生めない身体にしておいて、何が“全てを捨てたんだ”なのかは氷翠王にはさっぱり分からなかったが。
蒐家の者は誰も信じなかったが、氷翠王の腹違いの兄だけは違った。
氷翠王と兄にはかなりの因縁があった。
兄の拷問にも堪えながら氷翠王はそれでも出奔などするつもりはなかった。
こんな事がこのままにされて置く筈もないと分かっていたのだ。
すぐに、助けと蒐家からじかに手が入れられる事も分かりきっていた。
それ程までに蒐家は氷翠王の手を必要とし、無くては生き残る事すら危うい。
長男と引き換えにしても手放す筈が無かった。
そうでなくともこの男は蒐家の足を引っ張る事しかしていないのだ。
・・・・が、その前に朱樺家の古参の臣下が氷翠王のために反乱を起こした。
実際、後一歩遅れていれば氷翠王は兄に殺されていたかもしれない。
だが現実に起こしてしまった反乱は、はいそうですかと取り下げられる訳もない。
このままでは一族郎党が滅びてしまう危険があった。
だから氷翠王は反乱組に助け出された後、拷問で負わされた傷と痛みに立つこともままならない身体を駆使して陣頭で指揮をとり、わざと兄と敵対して見せた。
そうして反乱組にも兄の郎党にも被害を負わせない程度で引き下がり、反乱組を連れ出奔した。
こうすれば兄達だけは身内と敵対してでも蒐家に変わらぬ忠誠をたて、命を削る覚悟もあると言い訳もたつ。
朱樺家を半分に割ってしまうが、全滅はしない。
氷翠王を見つけて曳き立てるまでは目は向かない。
そう思っての苦渋を飲んでの選択だった。
それから、二年が経つ。
想いを身から離し、雪の積もる木々を見据える。
それはとても美しかった。
氷翠王は息をつき、立ち止まる。
記憶の内に巡る回想を留めたのは、禁足地であるここに仲間の張った結界も近いのに“外”の人間の気配がしたのだ。





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最終更新日  2006年01月09日 20時44分51秒
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