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早朝。
夜陰の藍、血の朱色、明けの橙に緩やかに空が染まり。
雪原をも空の光の色にゆるり、と染め上げていく。
耳は森の息吹の音を感じ取り、己の身体もそれに同調し呼気はだんだんと深く静かになっていく。
翡翠王【シャナオウ】は己の呼気が整ったことを知ると伏せていた瞳を上げた。
その右片手には刀がただぶらりと下げていた。
だが、刀を抜き身で持っているにも関わらず翡翠王の立ち姿は一見して戦闘的ではない。
無造作にただ、なんの予備動作もなしに、ただ、立っている。
・・・・・・・だが。

翡翠王にとってはこれで、戦闘態勢として過不足ない。
この状態からほぼ一挙動で攻撃できる自信を翡翠王は持つ。
その体勢のまま、持っている刀を鞘に納めた。
刀を抜き身にしていたのは、ただ己の間合いを確かめるためだ。
その体勢のまま納刀をすれば一層、翡翠王のその状態は無防備に映る。
この状態で何ができるというのか。
決まっている。
居合いができるのだ。
納刀状態からの即攻撃。
抜刀が、即ち斬撃となる。
基本用途は不意打ち、奇襲にあるが居合いには刀が鞘内にあるため攻撃の間合いを把握されにくい。

翡翠王をよく知る人物であったならたいていはこう聞けば驚くが、翡翠王は奇襲攻撃を得意とする。
というより、後手後手に回るのを嫌うのだ。
相手の先の先を取る。
知り合いは翡翠王の戦い方はと言えばその性格から相手が討ってきたところを迎え撃つ、というように思っているが、それは違う。
氷翠王の戦い方は今まで置かれていた立場上、一人で多くの敵と戦うことを前提としているため、後手に回る・・・・・・と言う事は即、死を意味する。

剣の最も重要なものは太刀筋である。
振り上げた刀で敵の首を断ち、そのまま下ろした反動で二人目の腹を掻っ捌く。
夜闇の中、奇襲の上流れるようなその太刀捌きと容赦の無さでは一人で十を殺す時も三分とかからない。
居合いもその術の一つである。
それだけではなくあらゆる体術を駆使した氷翠王の戦い方は、剣を極めた朱樺【シュカ】家の血筋とは思えないほど、素人目にはトリッキーに映る。
が、それは間違いである。
氷翠王があみ出す奇襲攻撃の術は全て朱樺の剣術の基礎を踏襲している。
若干異なるとすれば、戦に出た際に太刀筋が少し変わったぐらいのものだろう。
この皓【コウ】国の良き風習か悪しき風習か、武家や軍部の戦い方は正々堂々を基とし、弓矢や銃器などの飛び道具を使うことと果ては夜陰に紛れての奇襲や火矢による火責めなどは卑怯者のやり方と蔑まれ使う者は滅多にいないが。
使うとすれば形振り構っていられない盗賊や農民、地下に潜っている反逆者ぐらいだろう。
と言っても、上の者・・・・引いては皓国にその風習が無いため、それを思いつく者、思い至る者は皆無に近いが。
そのため氷翠王は戦の際、反発と驚き畏怖を多いに買ったが手法は変えなかった。
己個人の戦い方も、兵に指揮した戦略も基本は奇襲。
そして軍にはかなり少ない弓兵を手ずから育て、五倍の人数に増やした。
銃兵の人数はそれほど増やしはしなかった。
金が掛かり過ぎるからだ。
氷翠王の直属の部隊は弓兵が主となっていた。
奇襲に弓兵は欠かせなかったし、真正面から戦う時も出だしで少なからずの敵の戦意を殺ぎ、数を減らすことができるからだ。
戦はただ勝てばいいと言うものではない。
勝ちはしたが手勢の半分以上を失った、では話にならない。
最小限の被害の上、最大限の効果を挙げた者のみが勝者と呼ぶに相応しい。
名誉を重んじ負け戦をするより、卑怯者の汚名を面に引っかぶって勝ち戦をする方が氷翠王の目に適っている。
実際、人質として蒐【シュウ】家によって戦に狩り出されている朱樺家の者たちの犠牲を大きくしたくなかったのだ。
彼らを戦で指揮する権限を与えられたのなら尚更。
その時から氷翠王の戦の指揮はもちろん個人の戦い方も奇襲に特化していったのは自然の理であろう。
それは今でも変わっていない。
否、さらに磨きがかかったと言えるだろう。
当たり前だ。
男でも女でもないこの“無性体”の氷翠王の身体は膂力、脚力共に鍛えてあるが故の凄まじさを兼ね揃えているが、相手が女であれば比べるべくも無いが男であったなら真正面からの力比べなど勝てるわけも無い。
それ故に今まで培って来た・・・・否、あみ出してきた戦術は身体的にも氷翠王には合っていた。
「・・・・・・・・・・・・。」
キツイ眼で前を見据えていたがその視界に濡れたような黒が映る。
風によってなびく己の前髪を掻き上げ、自然なしぐさで瞳を上げた。
もうその時には氷翠王の瞳には厳しい光は消え失せ、代わりに潤むような琥珀の色と穏やかで凛、としたひやりと涼やかな気品があった。
「一体何をしているんですか、あなたは。」
その背に冷ややかなけれど低音の美声が掛けられる。
その声に氷翠王は驚いた風もなく、乱れぬ挙措でゆっくりと振り向く。
そして声の主に一点の非もない優雅な公子然とした笑みを向ける。
聡明で誇り高い生まれながらの【貴】の血筋の者の微笑を。
「お前こそどうした、このような場所で。」
他人との対話も先手を打った方が優位だと氷翠王は無意識下で知っていたからだ。
そうしておいて個というものを認識する上で最も重要な“名”を、呼ぶ。
「神生【カミオ】。」
「・・・・・・・・・・・あなたという人は・・・・・・。」
男は呆れたような苦々しいような眼差しを返してきたが、瞬時にその声音からは先ほどの冷ややかさが消え失せた。
そして男・・・・・・・神生の眼差しからも徐々に凍て付いたような色は溶け落ちていく。
他の者が神生のこの様子を見れば驚き、腰を抜かしたであろうが、神生の生来の気質である冷ややかさは瞳から消えてはいない。
ただ、この二人が揃っている時は別の感情の色が互いを尊重し気遣い合い、色を代えるのみである。
故にこの呆れたような神生の一言は今までの意思疎通であり、手段であり確認であり、事後の確認であった。
それ故に氷翠王もそれに確認の言葉を返す。
「お客人が眼を覚ましたのか。」
「ええ。後は放っておいても勝手に回復するでしょう。」
氷翠王の問いに答えを一言だけ返し、神生はそれきりその件に興味をなくしたようにその美しい黒髪を肩から払い、冷たい印象を与えるほど整った美貌を氷翠王に向けた。
そして訝しげにその流れるような柳眉を顰める。
「その髪は何です。」
「悪くは無いと思うが。変か?」
そう聞く言葉は殊勝だが氷翠王の態度には“別にそれでも構わない”という傲然としたものが表れている。
「いえ。ですが昨夜まではその艶やかな御髪が腰ほどまであったように思いますが?」
“では残りは何処にいったのでしょうね”と続けながら神生はその肩にも掛からないまでの長さになった氷翠王の黒髪を梳いた。
その柔らかい感触は当然見た目のまま、細い首筋に掛かっているまでしかない。
前髪は昨夜と同じほどで少し長めだが、分けているので見た目は全く鬱陶しくは無い。
逆に分けた前髪が少し伏せた瞳に掛かるのがそこはかとなく凄絶な瞳の強さがより強調されている。
横髪が白い頬に掛かるのもそれと同じだ。
顔の輪郭が髪が長かった時より露わにはっきりとなったせいで、氷翠王の硬質な綺麗さにより一層磨きが掛かったように見える。
まるで職人が技術の粋をかけて作り上げたドールのようだ。
前は髪に隠れていた細い首筋が露わになっているため、危うげな色気までがある。
そのため肩の細さと薄さも強調されている。
今、氷翠王が身に着けている服のせいもあるだろう。
銀ボタンの白いシャツをゆるく第二釦まで開け、黒のズボンという軽装である。
髪が長かった時なら“無性体”という性別の無い身体でも女性に見えたが、今は中性的な観が強く少年に見えないことも無い。
ただ、凄絶な瞳の光の強さと硬質で清廉な美しさが、細い身体の線でありながらも弱弱しさと侮りを寄せ付けない。
故に神生は口を開いた。
「朱樺の地に戻る気ですか。」
、と。





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最終更新日  2006年10月02日 20時03分58秒
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