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2006年11月04日
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腐屍の匂いから目覚めると、世界は色褪せていた。

身体は陥没し。
臓物を直に弄(まさぐ)られる感覚。
麻痺している自分の唇は笑みの形に歪み。
端からは血の泡がこぽこぽと漏れ出す。
極上の麻薬を使われた身体に、頭はとろとろと溶けたように機能しない。
目の前に圧し掛かかっている男が突き上げてくる度、自分はレバーのような血の塊を吐いていた。
水が滑るような交接音が室内に響き。

獣と化した男が腰を引き、再び中に入ってくる度、局部の襞が裂けて生温かい血が飛んだ。
「は・・・・・ァ、ぐっ、・・・・あああアッ。」
口内に逆流する血の味が、濃い。
内臓が破れたのかもしれなかった。
それでも男は手加減を加えることなくぬめる性器を狂ったように叩きつけてくる。
鎖の手枷でがんじがらめの手首をのばし、繋がれている柱に縋るように爪を立てる。
自分の整った爪はすでに剥がれかけていた。
男が自分が捕らえられているこの牢獄に来た昨日の夜から、もう四半刻経っている。
身体の周囲には自分が嘔吐した胃液が飛び散っている。
だがもうその心配もしなくてもよい。
血しか吐くものは残っていないからだ。

自分でも分かる。
このままだと、自分はもう永くない。
「・・・・・お前は、酷い奴や。少しは俺に情けをかけてくれ・・・・・なあ、氷翠王【シャナオウ】ッ。」
熱に浮かされたように口走る男の言い分は、全く変わっていない。
始めから気狂いのように同じ言葉を繰り返している。

罅割れた唇の端を持ち上げ、歪んだ笑みを形作る。
男はその狂気走った氷翠王の笑みに、その気迫に、一瞬だけ動きを止めた。
その動作を見計らい、氷翠王は口を開く。
満身創痍の自分の身体は声を出すことすら命がけだった。
「・・・・・・最初っから・・・・・、捨て置ける程度の男に、俺は惚れない。」
その一言に、男は全身をおこりの様に震わせ。
慟哭するように男は目を剥く。
それを見ながら氷翠王はゆっくりと目を閉じる。
本当は。
こうやって何度も何度も氷翠王が男の心をこなごなに砕いても、無我夢中の狂態で、身体ごと感情をぶつけて掻き抱いてくるこの男が嫌いではない。
この程度の男だ、と蔑んだことは一度もない。
このように半死半生の目に合わされても嫌悪も憎悪も沸かない。
憐憫も、氷翠王の頭に過ぎりもしない。
ただ。
傷つけられても傷つけられても諦め切れない男の激しさに。
憧憬めいた感情が一瞬、沸くだけだ。
それを口にしたりはしない。
と、並々ならぬ気が室内に揺らぐのを感じた。
目を開くと、目の前には打ちのめされた男の憎悪と怒り、慟哭がある。
一瞬のショックから立ち直った男はそれでもその激情に持っていた匕首を引き抜き、振り上げる。
その動作を冴え切った眼で見据えながら、氷翠王は身じろぎ一つしなかった。
刃物の冷たさが氷翠王に洗礼を浴びせようとその身体に沈み込む刹那------------------。
唐突に重い鉄扉が外の廊下からノックされた。
「失礼。少しよろしいか・・・・・・?」
低く堅い声が外から掛けられる。
声の主はこちらの返事も待たずに鉄扉を押し開けた。
室内のこもった匂いが逃げ、部屋に新鮮な冷たい空気が雪崩れ込んでくる。
その心地よさに、氷翠王の視覚と聴覚が鮮明になった。
覆い被さっている男の肩越しに扉が見える。
氷翠王にとっては命の恩人であろう闖入者の姿も見えた。
闖入者は三人。
体格のいい短髪の男性は鉄扉を押し開けたままの姿で驚愕に固まっている。
人の良さそうなその瞳はこれ以上は無理なほどに見開かれている。
その男性の後ろには身なりの良い少女が二人・・・・・・。
片方は朝陽に煌びやかな金髪の守人・・・・・・・・となるともう片方の少女はその守人の主であろう。
この蒐【シュウ】家の屋敷内で守人を連れ従えられるのは唯一人。
蒐家宗主の長女、葵【アオイ】君に他ならない。
何よりも誇り高く毅然と在らなければならないはずの彼女は今は蒼白に震えていた。
その薔薇色の唇から悲痛な(信じられないとでも言うような)叫びが、迸った。
「御兄様・・・・・・・・・・ッ!!」
葵の瞳には嫌悪の色が見えその声も同等の嫌悪に震えている。
すっとのびた柳眉は顰められ、見たくもないと伏せられた瞳には影がかかりみっともなく小刻みに震えている。
儚げなその風情は今にも倒れそうなほどに見えた。
もちろん葵に『御兄様』と呼ばれたのは氷翠王ではない。
氷翠王を陵辱している男のことだ。
だが、葵の嫌悪が向けられているのはその『御兄様』にではない。
自分に向けられていることを葵のその仕草から、声から、瞳の動きから、氷翠王は察した。
幽閉され、麻薬で薬漬けにされ、手枷と足枷を喰わされ、陵辱され内臓破裂にまで陥っている氷翠王に、である。
「・・・・・・咎炎【ギエン】様。貴殿は今謹慎中の身の筈。この御室は氷翠王殿の居室であられる。この場所に御身が来られることは宗主殿から禁じられているのではござらんか。」
いち早く立ち直ったのであろう短髪の男性が、氷翠王を手に掛けている男・・・・・・咎炎に静かに、けれど威圧的に声をかける。
そうしながらも、男性の目は明らかに危険な状態である氷翠王のほうにちらちらと向けられ、その心配げな善意の色を瞳から氷翠王は感じた。
氷翠王の唇からは未だ血の泡が溢れ出していた。
これで二度目だ。
咎炎に犯し殺されかけたのは。
“蒐家の長男が朱樺【シュカ】の御子を強姦して、犯し殺し掛けた”などという実のある噂が響き渡り蒐家内だけではなくよりによって“朱樺”の地まで届いてからは。
長男・・・・・つまり、咎炎である。
長男が相手にしたのがただの村娘などなら問題はなかった。
蒐家は何の問題もなく、その件を揉み消しただろう。
だが、そうはできなかった。
その相手はよりによって、九年間もの間、人質として捕らえていた朱樺【シュカ】家の幼い宗主の御子・・・・・氷翠王だった。
九年前、朱樺から奪いそのまま今の年の春まで北の地で監禁されていた女でも男でもない“彼”である。
“彼”を此処に置いているのは大義名分とは言え、九年前の朱樺家との確約の書には“今は幼年の宗主しか持たぬ朱樺家を他家から守るため”とある。
条件を拒めば朱樺の地を我らが攻めるという暗なる脅しと共に・・・・・・・・、それを拒める力を宗主とその御母堂を亡くした朱樺家は持っていなかったのだ。
そうして朋友の契りを結んでいた朱樺家を、今度は蒐家の国であるという血族の契りを結んだのだ。
そうして半ば以上一方的に結んだ契約だが、唯一つ朱樺家が提示してきた条件がある。
曰く、“亡父の御形見、現宗主の絶対の無事を約すること”。
つまり、氷翠王だ。
そうして氷翠王が成人するまでの間の朱樺の地を有する権利を蒐家は得たのである。
その確約を破った咎炎は蒐家宗主の屋敷に軟禁され、もう数週間で蒐家の他の領地へ総監として送られるはずだった。
だが、昨夜。
咎炎は屋敷を抜け出し、氷翠王が捕らえられている牢獄へと来たのだ。
そして今に至っている。
「おまんらには関係ないわあ・・・・はよ出て行かんかい。」
気怠く語尾を延ばした咎炎の声にはあからさまな無関心とギラつく狂気が孕んでいた。
その証拠に咎炎は自らの肉親がいる背後を振り返りもしない。
ただ、氷翠王だけを一心に見据えている。
咎炎の意識と感情は全て氷翠王に向かっていた。
「御兄様っ、離れてください。」
嫌悪にまみれた必死な葵の声にも関わらず、側に近寄っても来ない妹の声に咎炎は反応を返しもしない。
「御にい・・・・・・・。」
それでもめげずに諌めようとする葵の声に、咎炎は刹那肩を震わせた。
そのまま咎炎は氷翠王に向けていた匕首を振り向きざまに、葵の口目掛けて力を込めて投げつける。
その狙いに一寸の狂いもない投擲に、葵が貫かれるかと思った刹那。
今まで黙っていた守人の少女が飛んできた匕首を叩き落した。
だが、咎炎の投擲の威力は凄まじかったらしく結構な距離の位置で少女が叩き落したにも関わらず、匕首は葵の唇をかすかに傷つけ血で濡らした。
「何するんだよっ!!!」
咎炎のあまりの行動に、少女は自分の分も忘れて吠えた。
「邪魔やゆうたやろうがッ、じゃかあしいわぁっッ!」
ギラギラとした眼を氷翠王に向けたまま、咎炎は怒号を上げる。
獰猛な気迫を隠しもしない咎炎に気おされ、室内は沈静し、弾け掛けていた火種はくすぶる。
そして咎炎は再び意識と五感の全てを氷翠王に向け。
正気の失せた男の眼が向けられるのを、氷翠王は血にまみれ床につかせていた頬を持ち上げ、おとこの視線を正面から受け止めた。
が、ただそれだけだった。
「・・・・・お前とおると、気ぃ狂うわ・・・。」
本音をこぼし、咎炎は唇の片端を歪めて笑った。
自嘲と自重の笑みをこぼし、諦観に冷め切ったその表情を最後に咎炎は身を起こして氷翠王から離れた。
身体が離れても、男の激しい熱と体液が未だ身体に残っていることを氷翠王は自覚した。
そうして何も言わずに部屋を出て行く男の背を見つめ、見送って。
氷翠王は気を失った。





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最終更新日  2006年11月04日 21時30分07秒
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