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息子が出発して一週間が経った。3月14日、混乱を来たす東京のとある病院で担当医師不在につき代理の先生が急遽息子のオンラインビザ発給の健康診断を行って下さったけれどその記載には不備があった。在日の職員は全て国外に退去したと噂のあった大使館での業務も滞っていたのか息子の出発予定日前日になってもビザの手続きは進まず関空での足止め覚悟で家を出発しなければならない状況にあった。それでも出発予定日前日の夕方やっとその大使館から直接息子の元へ電話連絡が入りセーフ。不備の部分もFaxでのやり取りだけでビザを発給して下さった。何てありがたいことだろう。多くの方々の世話になり3月24日夜息子は元気良く手を振りながらゲートの向こうへ消えていった。空港で搭乗の時間も迫った頃「もうすぐお別れの時間ね」と息子に声を掛けると「お別れじゃないよ。合宿に行くだけだよ。」息子はそう返答した。「泣いちゃいけないから母さんはいつもよりちょっと長めの合宿に行ってると思うことにする。」と普段から言っていた私の言葉を受けての息子の返答だったと思う。私は息子に元気良く手を振る気にもなれなくて躊躇いがちに手を振り返した。姿が見えなくなったとたん涙が止め処なく溢れてしまった。共に生きて遠く離れるだけのこんな別れに涙なんか流してはいけない。危機をすり抜けながらも出発出来る恵まれた環境に感謝しせめてこの子を少しでも人様のお役に立てる人間になれるようバックアップしなくては と心に誓いながら昼間の喧騒も嘘のように静まり返り暗闇に寂しげな灯の点在する空港で私は一人涙を拭って帰りの夜行バスに乗り込んだ。
2011.03.31
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3月1日息子が高校を卒業した。3年保育の幼稚園に入園以来15年間で1遅刻・無欠席を達成した。小学校何年生の時だったか朝起き掛けに胃の痛みを訴えたので嫌がる息子を無理やり小児科に連れて行ったのが今となっては悔やまれる。息子のたっての希望で幼稚園年長の誕生日にクラス全員の男の子を家に招いてお誕生会をしたのが懐かしく思い出され。小学校6年間は真冬も上着を着用せず鼻水なすりながらも下着無し半袖ポロシャツ1枚で通学して皆に呆れられていたっけ。中・高と勉強という勉強は全くしなかった。けれどその時間は全て中学校ではバドミントン部副キャプテンとして高校ではラグビー部主将としてそして中・高ともに生徒会長の仕事に費やした。気がつけばいつも彼の周りには人が集っていて皆に可愛がって貰えた勉強の偏差値は低いけれど皆に愛された彼のお陰でその母も多くの方々から子育てについてよく褒めて貰えたものだ。鼻が高かった。母は本当はとっても淋しいのだけれどそんな彼をもう一回り大きくしてやりたくて彼の背中を押すことにした。今月彼は 明日~ 6日 大阪 9~11日 韓国 13~15日 東京 で 我が家を留守にしいよいよ24日には海を越えて長らく家を留守にする。母は決めた。彼が今までしょっちゅう そうだった様に今度はちょっと長めの合宿に行っていると思うことにした。そうすれば・・・涙もぐっと堪えられそうな気がするのよ
2011.03.03
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