1

新東宝映画昭和31年(1956)「四谷怪談」より。「隠亡堀のシーン」。伊右衛門の釣りざおに引っかかった戸板に姿を現わしたお岩様。「顔のはれはどう ? 」開口一番心配してくれたのは実にありがたいが、問われたとたん、私は爆発的にゲラゲラ笑い出した。彼女「何よぉ、どうしたってのお ? 人がせっかく心配してるのに・・・」当然だが、これには充分なわけがある。答えた。「アハハハッ、アッハハハハッ、ハッハハハッ・・・」だめだ、答えようとしたがこのありさま。私は特技?の笑いながら飲み物を飲んだりしゃべったりする技術を使って、笑いながらしゃべり始めた。「あのさあ、ハハハハッ、はれがハハハッ、出たり引っ込んだりウワッハハハッ、しやがるからね、アハハハッ、それにまだかゆいし、ハハハッ」これ、笑い声と話を分けて書くしかないが、実は同時にやっている。くどいから笑い声を省く。「はれが今一(いまいち)凄みがないからさ、マジックの赤や青で久しぶりに鏡見ながら書き始めたの。それでさ、今鉄人ジオラマようやくぼつぼつ再開したからプラカラーあるの思い出してさ・・」彼女「ひろちゃん、それで直接塗ったのぉ ! ? 」これこれ、自分だけ匿名にさせておいて、私の普段の呼び名使っちゃったら照れるじゃないか。って、自分から書いているから、ハハ、こりゃ自己顕示欲かな・・。私「うん。でもさ、あんまり凄み出ないんだよ。でね、エスカレートしちゃってさ、夕べ遅くまで特殊メイクしたの」彼女「もお、全く何考えて生きてるんだか・・。で、それで ? 」はい、よくぞ続きを聞いて下さいました。続けます。私「造型用に液体ゴムってのがあってさ、これ乾くと本物のゴムになる。こいつをほっぺたに筆で塗ってさ、少し乾くまで待ってから、あ、ドライヤーも使ったけど、ちっと熱かったね」(行変え)「それからプラカラーの赤や青や何色(なんしょく)か使って四谷怪談の写真見ながら塗ったの。でさ、まぶたの上ははれてなかったから、ここにも塗ったの、ついでに・・。俺、酒なしでも酔っ払えるって思ったよ。ハハ、かなりバカだね、これで50越してるんだから・・。でさ、ついでに、唇のところも赤く塗って血に見えるようにしたよ。アハハハハッ」彼女「あなた、際限もないバカね。わたし、将来のこと、考えなおそうかしら・・」私「あ、そのほうがいいよ」彼女「ん、バカっ ! 冗談ってのがわからないの ! ? ん、もお。それで何かいたずらでもしたの ? 」私「違う違う、続きがあるんだよ。だから思い出し笑いしちゃったの」(行変え)「俺、頭スポーツ刈りだろ。余り迫力ないんだな、せいぜいあんまの幽霊みたいで。で、長い髪の毛必要だと思ってさ、何とかならないかと考えて、これまた造型用に買っておいた黒の毛糸の太いのと細いので、突貫工事でカツラ作ってかぶったら、アッハハハハッ。凄み全然ないの。醜男(ぶおとこ)のオカマの醜い顔でさ・・・時間ムダにしちゃった」彼女「それで、ゴムは取れたの ? 」私「うん、はがすとスーッと簡単に取れるの。ハハハ、俺さあ、コスプレなんて全然興味ないけどさ、考えてみたら、そうだな、顔コスプレとでも言うのかな、けっこう昔からやって来たんだよ。また思い出しちゃった、これ書くと、怪談書けなくなるな」彼女「もう、今朝はひろちゃんのバカに付き合うから、もっと顔コスプレの話してよ」私「うーん。いろいろやったけど、まず月光仮面だな。何だか忘れたけど真っ白い手ぬぐいみたいのがちょうどあってさ、これ顔にぐるぐる巻いて、それからサングラスして、ま、月のマークだけは面倒だからやらなかったけどさ、たまたま家(うち)に来てた兄貴に見せたら、お前どうしようもないバカ野郎だな、ってめちゃくちゃに言われたっけ」(行変え)「次はね、ほら真冬にバイク乗る時、ヘルメットかぶる前に顔にすっぽりかぶるプロレスラーのマスクみたいのあるだろ。あれの白はなかったから、こん色(いろ)のをかぶって、ああ、これね、もう傷んで使わなくなったやつだったから、顔が出るようにハサミでジョキジョキ切ってから、かぶったんだけどさ、それから針金曲げて頭にくっつけて、スーパージャイアンツやってみたの。それで鏡見てまたゲラゲラ笑っちゃった」彼女「何で笑ったの ? 」私「だってさ、若き日の宇津井健のりりしい顔だからかっこいいんだよ。それを、俺みたいな不細工男がやったら、てんで間抜け。ちょっと自己嫌悪になったな」彼女「ふうーん。まだほかにあるの ? 」私「ううーん。たいしたのやんなかったし、忘れちゃった」電話会話これまでです。では、これより怪談シリーズに入ります。今回語る怪談は、いずれ書こうと、とっておいた話だ。つまり私の選ぶ怪談話としてランクを作ったら上位にいれる現代一級の怪談ということだ。これまた小松方正(こまつ・ほうせい)氏の「小松方正の霊界通信」からの物語だ。昭和48年、香川県仲多度津郡にある満濃池(まんのういけ)で、殺人事件が起きた。小松氏の本文構成を変えて書いてみる。死体は腐乱が激しく、性別が女ということ以外全くわからぬほどで、その顔も白骨化していた。復願法による肉付けが行なわれ、その写真が新聞に掲載されると、母親らしき人が名乗り出て、調べを進めるうちに、確かに復顔写真はその婦人の娘だと判明した。被害者は岡山県生まれの29才のホステスで一年前に家出して以来、音信不通だった。ところが被害者の身元判明との報道が行なわれた翌日、一人の中年男が警察に出頭した。かつて被害者と半年ほど同棲したことがあり、警察に協力出来るのではと言って来たのだ。実はこの男が犯人だったが、確かな証拠に欠けた。結果を先に言うと、男はホステスの女を殺し、死体をカーペットにぐるぐる巻きにしておもりをつけ、満濃池に沈めた。死体は上がったが、男が沈黙を通せば迷宮入りになりかねぬ難事件だった。どうして男は出頭したか ? 以下は、それから四年後ホステス殺しの犯人として逮捕された男が語った話だ。犯行後、男は殺した女の亡霊に悩まされるようになったという。タクシー運転手だった男は、客を乗せて己れが犯した殺人現場の満濃池近くまで行くことがあると、帰りには必ずエンジントラブルが起きた。ボンネットをあけると、「水が冷たい・・」という女の声を聞いた。ふと運転席を見ると、女が坐っている気配がした。男はタクシー運転手をやめて職を転々としたが、ゆく先々で女の亡霊がついてまわった。仕事は手につかなくなった。遂に八方ふさがりとなった男は、犯行から四年後に逮捕された。直接の容疑は殺人ではなかった。まともな職につけぬようになった男が犯した詐欺行為だったが、取調べを進めるうち、結局別れ話のもつれから女を殺したことを自供した。香川県はため池が多いことでも全国に知られる土地だ。周囲二十キロに及ぶ満濃池もその一つで、その昔、日照りに苦しむ民百姓のために、弘法大師が作ったと伝えられている。昭和48年の夏は、酷暑が続いて池の水も干上がって、池の底が露呈するありさまだった。この時、たまたま釣りに来た人が、水位の極端な低下で一匹も釣れずにいたところ、魚の代わりに、土砂にまみれたカーペットに包まれたひとかたまりのものを見つけ、包みを開けると、女の腐乱死体が出て来た。満濃池しかも、死体が発見されて警察に運び込まれた直後、この地方は突然の夕立に見舞われ、更に土砂降りの雨が三日三晩降り続いた。満濃池の水位はぐんぐん上がって平常に戻った。こうなってからでは、この広い池に死体を包んだカーペットを発見することは不可能となったはずだ。死体発見が旧暦のお盆の日、8月14日だったのも因縁めいている。更に被害者の母親が警察を訪ねて来た動機が、奇怪な出来事をきっかけとしたものだった。高血圧のため、岡山県下の病院に入っていた母親は、ある日、湖で何人もの女が口々に助けを求めて悲鳴を上げているという不気味な夢に目が覚め、のどが渇いていたので、廊下の洗面所で水を飲もうと水道の蛇口をひねった。ところが水が出ない。仕方なく蛇口に口を近づけたとたん、「お母さん」と呼ぶ声が聞こえ、次の瞬間いきなり水がドッとほとばしり出て来た。自分を呼ぶ「お母さん」との声は娘の声に酷似していた。ベッドに戻ってもなかなか寝つかれず、たまたま開いた新聞に、娘そっくりの復顔写真が載っているのを目にした。これら怪事の連続に、もしやと思って、翌日彼女は警察に行ったのだった。復顔写真にも、なにゆえか偶然の一致があった。例え復顔に成功しても、普通それは顔形の想定というところまでだ。生前の髪型などは無論わからない。ところが、この時の復顔作業で無作為に選んで取りつけたヘアピースまでが被害者の生前のヘアスタイルと全く同じものだったことがのちに判明した。豪雨が降る直前まで干上がっていた満濃池なればこそ、死体が釣り人に発見された。しかもその日はお盆の8月14日だった。また、折りしも死体発見から四年後の、年に一度の金毘羅(こんぴら)さんの大祭の日に、弘法大師生誕の地、善通寺の門前で、男は逮捕された。殺されて冷たい池の底に沈められていた被害者の怨念が働いて、加害者の男の逮捕に至らしめたと推測出来るような、不思議な事件のてんまつだった。これほど劇的に語られた話ではないものの、よく似た経緯を経てのち、事件解決となった話を私はもう一つ知っている。かいつまんで書いてみる。あるお茶の水女子大生が、旅行をしてゆきずりの男に言葉巧みに誘われ、陵辱(りょうじょく)された末に殺されるという事件があった。だがこの時も犯人逮捕につながる有力な情報や証拠が得られず、迷宮入りのおそれさえ出て来た。事件が暗礁(あんしょう)に乗り上げて、いたずらに時ばかりが過ぎ行くと思われたある日、犯人と名乗る男が警察に出頭して来た。男の話によると、夜ごと殺した女子大生の亡霊が現われ、ゆく先々につきまとい、とうとう恐ろしさから出頭自供決意したということだった。この自供の話は当時の読売新聞にも載った。いつの世も、女の怨念は恐ろしいという教訓でもあろうか。
2004.08.18
閲覧総数 4960
2

You Tubeの打楽器女性演奏家がスゴい ! 2025/02/01開始You Tubeで何を見ておるのかと叱られそうだが、楽器演奏者たちの中で、私の如き取り敢えず男の目には、女性の演奏が、あるいは演奏する女性が気にかかる。九大フィルハーモニーオーケストラのティンパニを演奏する素敵なお姉さん。演奏曲はドボルザーク作曲、交響曲第9番「新世界より」第4楽章。その美しさにハッとした熊本北高校吹奏楽部のドラム担当の女子。演奏曲は米国ジャズ・ミュージシャン、ルイ・プリマ作曲の「シング・シング・シング」。これを美少女高校生が軽やかに叩いてスゴい !
2025.02.01
閲覧総数 400
3

難航した校歌楽譜 2025/12/02開始 村松「え、もういきなり楽譜載せちゃうの、しかもほぼ俺の怪しい代物を」夕子「何かさあ、あなたから校歌とは神聖・厳粛なものなんて言われたことあったから、あたしも少し気になるけどね、どうせならいつもの反対でトップにいきなりなんて思ったの」村松「いいのかなぁ」夕子「少なくとも音階は合ってると思う。でも、あなたの言う通りで、拍子があれっていうのあるしね。あ、そうだあなたも同じの持ってる野ばら社の歌集のね、えーと、60ページ。この歌、楽譜の一小節目は一拍つまり四分音符一つぶんだけどね、この一段目の最後が三拍なのよ。ご意見いかが ? 」 村松「あぁ、そうだね。四分の四拍子じゃないね」夕子「でね、一小節目と最後の小節を足すと四分の四になるのよ。それでね、二段目も同じ」村松「ホントだ」夕子「だからね、あなた、これらを調節するの、よくやったと思うよ」村松「そうか。ただ最後近くの休符のリズムは怪しいかも知れない」夕子「それも何しろ0.何秒かのことでしょ。もし曲を覚えている人が見たら、歌えると思う。歌えればいいわけよ」村松「とにかくYou Tubeいくら見ても、御殿場中学校歌が出て来ないんだよ。当時はもっとやかましかった沼東の校歌が今載っているのにね」
2025.12.07
閲覧総数 467
4

「『大魔神』50年目の雑感」大映昭和41年(1966)公開からほぼ50年、半世紀経っていると気づき、つくづく歳月人を待たずを思い知った。私にとって「大魔神」は指呼の間(かん)である。しかし、残る寿命があと50年あるかと思うと、必ず無い。それを惜しむのではなく、既に生涯の半分をとうに超えたかと痛感するのみだ。それでいて「大魔神」に思いをはせると指呼の間なのだから、何んとも言い難い。この昭和41年夏は、場合によっては、父の定年を待たずして、早めに御殿場市から富士市に引っ越そうかとの計画が持ち上がった年でもある。7月終わりか8月に入ったばかりだったかと記憶する。映画「大魔神」公開は首都圏・大都市圏で既に4月だから、いくら田舎が遅いとはいっても、夏を待たずに劇場に足を運んでいるはずなのだが、印象としては夏に見た思いが強い。田舎の映画館の併映のいい加減さも、記憶をあいまいにしている一因かも知れない。もはや調べるすべもないので、あいまいな記憶のまま書くと、この夏の怪獣映画は実に三本立てという言わば強行軍で、さすがの私もすべて怪獣ものとはいえ、第一回上映から三本すべてを見る気力が余りなかった。ただ、同学年の友人と約束してあったので、母たちに遅れてあとから富士市の自宅に行くことになっていた。それほど心待ちにしているわけでもなかったせいか、上映館にはテキトーな時刻に歩いて出かけ、果たして「大魔神」の途中から見た。そして「大怪獣ガメラ」・「大怪獣決闘・ガメラ対バルゴン」と見続けて、そのあいだに退屈な市内の商店広告などが流れるのにイライラしながら、ようやく「大魔神」二回目が始まったが、もはや途中のところまで見る気力が失せており、隣りの席の友人に「俺、そろそろ出るよ」と告げると、彼は「まだ一回目の途中までかなりあるぞ」ととがめるような顔つきだったが、「家族が待っているから悪いな」とひとこと詫びるように言って、映画館を出た。どうやらいずれの映画も二回目の鑑賞だったとみえ、残るストーリーへの未練もなく、さっさと映画館を出て、御殿場線に乗った。ただ、私には注意力散漫な欠陥があり、さすがにその日、耐える思いで見たうちの二本「ガメラ対バルゴン」と「大魔神」が印象に残った。夕刻、富士市の自宅に着くと、母だけが待っていて、優しい言葉で迎えてくれた。ただし、御殿場の自宅ではないから「お帰り」ではなかったかもしれない。兄は高校のサークル活動のため、大瀬崎(おせざき)に泊まりがけで出かけて留守で、父は自衛隊のBOQという宿舎に泊まり続けていた。私はなぜか「ガメラ対バルゴン」の冒頭近く、猛毒サソリに一人が刺されて絶命するシーンの凄惨な印象が強く、母を相手にそのむごたらしいシーンの話ばかりを聞かせたが、母は多分余り興味がないはずの怪獣映画の一場面の話に真剣に耳を傾けていてくれたのが印象に残っている。ところが、ひとしきり話したあと、私の脳裡にはなぜか、大映京都の力作といえる「大魔神」の印象が新たに強烈に思い出されて来た。怪獣映画史に名高い初代「ゴジラ」でさえ、その全身像を本格的に画面にあらわし、大暴れして見せるまでに、ずいぶん時間がかかったのに、「大魔神」と来たら、ラスト近くでようやく左腕を顔の前へ上げて、凄まじいいかりの形相に一変して、悪領主の館に向かうまでがすこぶる長かった。だが縮尺2.5分の1という大スケールは、迫力という言葉で言い尽くせぬほど、見る者を圧倒した。あえて悪い言いかたをするなら、スケールを半分ほどに縮めたミニチュアは、東宝映画のように例えば25分の1のように、いかにもミニチュア特撮とわかるスケール・モデル群の迫力が余り感じられなかった。さらに戦国時代の城郭は、その実物大の大きさに対する知識がなかったので、東宝映画が得意とした天守閣を持つ様々な城のミニチュアとはイメージが異なり、どの破壊シーンも、等身大の縫いぐるみの大魔神が、精密にだけ作られた建物を壊していく感覚しか持てなかった。大魔神の凄さは上掲画像のシーンにも表われていた。領民思いの前領主の息子は、進路をふさいでいると見た。ゆえに、目指すは悪領主ながらも、行く手をはばむ者をはりつけ台ごとはねのけた。部下の小源太(こげんた)には何も手を触れていない。もちろん、批判的意見だけを覚えたわけではない。私には光学合成シーンについて、ブルー・バックのつなぎ目が青くチラついて残るのがなぜか好きで、逆に言えば後年から最近にかけて、完璧と言えるまでに合成の境い目が確認出来なくなった技術の進歩に好感が持てない。つまり青い合成のつなぎ目は、それと確認出来る楽しみもあったのだ。特に大魔神が悪領主・大館左馬之助(おおだて・さまのすけ)をはりつけ台に押し付け、己れの額に打ち込まれたタガネを引き抜いて、一気にその心臓を貫いたあと、ゆっくりこちらを向くシーンは、ゾッとするほど恐ろしく、その時の合成の青いチラつきもかえって効果を与えたと見た。私の「大魔神」に対する高い評価はこの第一作に尽きている。第二作・三作に進むにつれて、大魔神は殊に清い心を持つ女性に、さらに子供に余りにも優しくなり過ぎて、『魔神』の恐ろしさがどんどん薄れていった。ここに、紛失を免れて残った拙誌『大一プロブック』の誌面の中に、昭和42年(1967)冬に書いた読売新聞記事そのままの批評の抜き書きがあるので、改めて「大魔神」最終作三作目「大魔神逆襲」の箇所を抜き書きしてみる。★「乏しい物語の飛躍『大魔神逆襲』(大映)」三作目の “ 大魔神 “ である。早くも手が決まってきたようだ。例によって見せ場は最後の大破壊だが、その豪快さは認めても、前二作と比べて別に変わりばえしないからである。第二作の水に対して、こんどは雪を特殊撮影の大きな眼目にしているが、これもなにかサラサラした白い粉という感じが強い。隣国の悪領主が侵略のためにとりでをつくる。その工事に強制労働させられる父や兄を救おうと、子供たちが魔神の山を越えてゆくという物語だが、子供の使い方に不満がある。表情はずいぶん自然にとらえられていて、それはけっこうなのだが、せりふがみな “ 子役ぶし “ で、いちじるしく興をそぐのである。ストーリーが型にはまってきたのは、大魔神が正義にのみ味方するスーパーマンになってしまったからであって、これでは常識的時代劇と同じになってしまう。せっかく “ 魔 “ という字があるのだから、ちっぽけな人間の道徳などを超越した存在にしてはどうか。シリーズものは、作品を重ねるにつれて主人公の性格が太っていくはずなのに、これは第一作に比べて、逆にやせてきたと思う。少年も出るし、雪も出る。おまけに大魔神のお使い番としてタカまで登場しているが、新味を出そうというくふうが、作品の本質からはずれた場所で行なわれているのは着想のよい企画であるだけにいっそう惜しまれる。ノー・スターといってよい配役で、監督 森一生(もり・かずお)、特撮監督 黒田義之(くろだ・よしゆき)。総天然色、一時間二十八分。 (平)→評論家の仮の名前『註 / ( )以下、私が本誌に当時書いた』★以上抜き書き。以上の批評に私は必ずしも反感を持たなかった。書いた通り、私の「大魔神」への高い評価は第一作に尽きていたからだ。大魔神を善良なる者たちの味方としてとらえるなら、悪領主・大館左馬之助に天罰をくだしたところで終わりになるはずのところが、いかり治まらぬかのように、大魔神は罪のないはずの領民の一人をわしづかみにし、投げ飛ばして、恐らく絶命させた。中学生ながら、私は「かくあるべし。罪なき者の果たしてあるべきや」と、実は痛快でさえあった。このラスト近くで見せた「魔神」の恐ろしさを続編以後も、うまく取り入れて欲しいと思ったのだ。それにしても、ついこのあいだ見た印象の強い「大魔神」も、50年経つという事実に改めて、13、4歳の少年も、60を優に過ぎる年齢になったかと、つくづく思うこのごろである。なお、富士市への引っ越しは、家族に不幸があったことなどの事情で中止となった。
2016.04.22
閲覧総数 1036
5

祖母が交通事故で死に、その葬儀一切が済んでまもなくだったと記憶する。その朝所用で私たち残る家族は、父の車に乗っていた。川べりの細い道路にさしかかるところだった。川と言っても側溝の大きなものだったかも知れない。何しろ中学二年の夏の記憶である。印象強烈な一場面だけが脳裏に残っている。道路左側は何かの建物の壁、川は右側、その道路を向こうから自転車に大きめの荷を積んだ老人がやって来た。いよいよ我が家の車とすれ違うという時、車と老人の自転車は接触するスレスレだった。確か、老人は川の側へ降りて自転車を引いていた。自転車のどこかが車のボディーをこすりそうになった。いきなり車を運転していた父が大音を発した。「キズがつくじゃないの ! ! 」女の言葉のような言い方だったが、恫喝(どうかつ)の迫力を込めていた。ようやく老人は「おら、ここいつもとおってるだ・・」と、精一杯言葉を返したが、いかにもおどおどしていた。ようやく車と自転車は無事すれ違った。しばらく走ったところで、当時高校生の兄が口をひらいた。「さっきの親父のひとことは、正直感心できない。あの老人も、あの年で好き好んでやってることでもないだろう。もう少し、いたわりの言葉でもかけてやるべきじゃなかったかな・・」老人が自転車の荷台に積んでいたのは、引き出しのついた大きな箱で、あるいは豆腐・あぶらげなどを入れてあったのかも知れない。さすがの父も「そうか・・・」とポツリ返したが、それだけだった。車はカローラだったかも知れない。ようやく買えた新車だったが、たかが大衆車のカローラのボディーの一部がキズついたとしても、それがどうしたと、若き兄は、これから車にも興味を持とうかという年頃で、既に車などに執着する風潮にそっぽを向いていたのかも知れない。兄のひとことには、老人に対する偽善の響きはなく、淡々とその時の光景を活写した鋭さだけがあった。それゆえに、あの当時のほかの事共をほとんど覚えていない中で、40年ほど経った今でも、私の脳裏に時々去来しては、亡き兄の冷静と賢明を思い起こさせるのである。その昔、戦友を亡くした友は、「いい奴はみんな先に逝ってしまうものだ。これは感傷ではなく、本当のことだ」と言ったという。私も、この年になって、同じ思いを思うのである。身内自慢だが、仕方ない。賢兄愚弟の典型の兄が、「いい奴」だったからだ。目上の人間を「奴」呼ばわりするのも気がひけるが、ほかにいないから仕方なかろう。あとに残った私は、まさしくカスである。800件まであと5件 ! !
2005.09.10
閲覧総数 31
6

奉祝 ! 皇紀2670年 『紀元節』 「紀元節」全歌詞 『南京大虐殺』のウソをあばく、「日本文化チャンネル桜」社長・水島総(みずしま・さとる)氏入魂の力作 ! ! 全三部作中、第一部『七人の「死刑囚」』堂々公開 ! 第二部「検証編」鋭意撮影中 ! 製作支援金募集中。愛国の有志の支援をお願いします !「映画『南京の真実』製作委員会」
2010.02.11
閲覧総数 325
7

☆戦艦大和出現のSFドラマ☆「幻影の世界線」第9話 2026/07/18開始パソコンを使う日常となって久しいのに、そのソフトの世界の著しい進歩に気づかなかった。否、たった今『ソフト』という言葉を使ったが、実は未だにソフト、ハードの区別に自信がない。ソフトかなぁと自信無げに書いたのは、ほぼ毎日親しんでいる音楽、歌を聴いていて、ふと『AI』あるいは『AIボーカル』との説明書きに気づいて改めて驚嘆したからである。私は子供の頃から受験勉強くらいしか打ち込むことの出来ない者だったので、パソコン世界では当たり前となっている英単語や横文字にだけは意識を向けるようにして来たが、何しろ暗記して知識とすることがほとんどなので、これらを使いこなせないし、AIの最新事情も無知のままだった。ゆえにAIを省略せずにつづることだけは出来るというわけだ。すなわち、『Artificial Intelligence (アーティフィシャル インテリジェンス)人工知能』という具合だ。余り本ブログに関係ないが、横文字という言葉から連想されることをついでに書いておく。昨今よく目に耳にするようになったいわゆる空飛ぶ円盤の英語表現である。すなわち、過去において「Unidentified Flying Object(アンアイデンティファイドゥ フライイング オブジェクトゥ)未確認飛行物体」、さらに昨今の「Unidentified Aerial Phenomena(アンアイデンティファイドゥ エアリアル フェノミナ)未確認空中現象」「Unidentified Anomalous Phenomena(アンアイデンティファイドゥ アノマラス フェノミナ)未確認異常現象」などである。例示した英語は、頭文字のほうがなじみがある。つまり、「UFO」「UAP」。皮肉と言っていいのかどうか、二つ目のUAPは初め「A」を「aerial」だったのに、日ならずして「anomalous」に変わった。ただでさえ横文字苦手なところに、横文字のまま頭文字だけそのままに、全く異なる言葉になった。脱線はここまで。閑話休題。AI、AIと、この略語が連発されるが、この「AI」の世界、ディスプレイ画面に登場する女優は、今や生ける本物のレディの如く動いて見せるようになり、さらにその美しい顔だけでなく、うっとりするようなきれいな声でささやくようになった。既に有名になっていると独断して、『Eternity Tv』として常に美し過ぎるレディが登場する動画が公開されて、拝見するたびに「この美しい女(ひと)、生成AI画像の中だけの存在なのか」と驚いている。Eternity Tvシリーズより、超絶の美しさと思われるYuuna(ユウナ)さん驚かされるのは美麗な婦人だけでないのはもちろん。浮世絵を生成AIで再現すると前置きしたあとすぐに、浮世絵に忠実な写実画が現われたと思うまもなく、実写と見紛う登場人物などが、見事に自然に動いて楽し気に笑顔を見せたりもする。私はその昔洋画の「禁断の惑星」に出て来たロボット『ロビー』程度のものが左右の足を交互に出して進んでくれればいいと思っていた程度なので、円滑な動きを見せるAI動画に驚嘆した。さらに今更ながら気が付いたことがある。歌である。少し前まで、「カバー」と称して、本人オリジナルの歌手でない歌い手が往年のヒット曲を聴かせる動画がかなりあった。原則、私はカバーによる歌を避けて無視していた。そしてある時、と言ってもごく最近だが、『優しく美しい歌声でAIボーカルが聴かせるヒット曲』というような副題の歌を、かつてのこだわりはおいて、聴いてみた。もっとも、AIとのことわりを確認して、カバー曲ではないのだろうと期待するだけの頑固さはあったかも知れない。AIボーカルの歌唱力は凄かった。それから何んとなくカバー曲も改めてさがして聴いてみた。AIによる歌との区別はほとんどつかなかった。これでカバー曲に対する偏見は消滅した。既に複数の技術力ある方々の数々の歌が公開されていることがわかった。論より証拠、もしご興味を持たれたかたは、AIとの断わりがある歌を視聴されたい。さて、コメントとは厳しいもので、他の多くのコメントがAIによる歌を絶賛する中、辛辣なコメントがあった。投稿者の名前を伏せることにして、ただし文章は原則そのまま掲載する。コメントのあったのは、昭和40年代、その美貌にも多くが驚嘆し絶賛したあべ静江さん歌唱で大ヒットを飛ばした「コーヒーショップで」だ。【(投稿者)曲は美しく、ボーカルも情感がありよいのですが、 この手のAIの歌の発音が、 美しい日本語を汚くしています! 鼻濁音、分かりますでしょうか?「が」「ぎ」「ぐ」「げ」「ご」→「んが」「んぎ」「ぐ」「んげ」「んご」 日本語のとても美しい響きなのです。 今の若い方の発音でこの鼻濁音を使っている方はかなり少ないです! 機械的に鼻濁音にする事は出来ないのでしょうか(レスポンス)ご視聴、ご指摘ありがとうございます。1曲のために200回以上繰り返して創作していますが、日本語は非常に難しいですので、今、全てローマ字にして、たとえば、「が」=gaは、ugaにしてみたりしています。前後が崩れる時があるのですが、スペースを入れたり、つなげたりの試行錯誤です。この部分は完全に、人間しかできない作業ですね。最後は「人間力」です。 今後とも、ご愛顧のほどをお願いいたします。】あえて私見を書いておくと、私は鼻濁音にはこだわらない。鼻濁音の一例として。「学校」という言葉を「がっこう」と発音する時、「が」という音を鼻濁音では言わないわけだが、「音楽」となると、実は自然に鼻濁音を使っているのではないだろうか。この言葉、鼻濁音の「が」を普通の字体で、その他を太字で表わしてみると「おんがく」となる。コメント投稿者の言いたい気持ちもわからぬではないが、私は公開した人の紳士的な謙虚な態度を見事だと思った。恐らくその箇所のみを鼻濁音にしても、前後の言葉の長さにズレが出たりして、人間が歌うようにはいかないのかも知れない。なお、私はこのサイト制作のかたの歌をその後も聴いて楽しませていただいている。★「補遺」もしかするとだが、その後、この鼻濁音に言及したかたのコメントがみつからなくなった。察するところでしかないが、投稿子のかたは、あるいはサイト制作のかたのレスポンスを確認してのち、投稿文を取り下げたのではないか。もしそうなら、投稿子のかたも、良識・分別の持ち主と言えるかも知れない。★さて。ここから本題に入る。扱う物語は「幻影の世界線」という。戦艦大和が時空のゆがみからなのか、現代の世界に出現してしまうという現象を中心に物語が進んでゆくが、巨艦大和を画像加工した動画は「幻影の――」以外にもかなり前からあったので、その点では戦艦大和の画像再現自体にはインパクトはさほど感じなくなっていた。本動画「幻影の世界線」も、戦艦大和出現の物語に限れば比較的早い時期に戦艦大和出現の物語を描いていたようだが、戦艦大和そのものの迫力に重きをおいている印象のものが目立って、これは早晩飽きてしまう。ところが、同じタイトルで全く趣の異なる動画、いや、連続ドラマが公開され始めた。そして、今、この物語はかなり注目されている。コメント欄に「次回作を心待ちにしています」という意味の言葉が散見されるようになったからだ。もちろんポイント、テーマは壮絶な最後を遂げた戦艦大和なのは論を待たぬと思う。ただ、鋼鉄の巨大戦艦の物語に、ある意味軟らかさを添えて親しみやすさを与えているのが、大和が出現した場所である日本最大の琵琶湖そして、それにおおいに関わる滋賀県庁であることは確かであり、県庁職員の存在と活躍が、物語を単なる戦記ノスタルジーに固めてしまわない温かさを生み出しているのではないだろうか。分けても県庁職員中、堅物っぽく真面目だが、それでいて何んとも憎めない好印象を与える女性職員の西川春香(にしかわ・はるか)さんの演技が光る。あえて演技と書いたほど、彼女・西川さんには魂を感じてならない。西川さんは融通の利かない堅物ではなく、かといって天然と形容するのも無礼と思えるほど、かなり人間味があり、茶目っ気さえ見せる。そしてもちろん、滋賀県庁のどこにも彼女は見い出せないのであり、つまりAI女優なのである。上掲2画像とも、ヒロインの西川春香さん。西川さんと来れば、既にコメント欄もにぎやかになった巨大おにぎりご興味あらん向きには「幻影の世界線」で検索、ご視聴されたい。無論この手の旧軍関連ものには好感、共感持てぬという向きもおられようから、ともかくご自由にとだけ書いておく。さて、私は無論、戦艦大和が好きだし、旧陸海軍を見事な軍隊組織と認めてもいるし、当然、日の丸の旗、すなわち日章旗も大好きである。そんな私が本ドラマに、というよりヒロインの西川さんに心ひかれたシーンがある。本ドラマ「幻影の世界線・第9話『県庁職員、ついに戦艦大和へ乗艦』」より、「私選・感動シーン」を、聞き取り出来た限りで、抜き書きしてみる。物語はすべて会話で進むわけだが、これも聞き取れた限りで会話した人名を記しておく。ただし、例えばヒロインの西川春香さんについては、数多く登場するので、これも例えば、西川「〇〇〇・・」などと表記する。さらに大和乗員について、検索怠慢または私の不勉強で階級不明な人物については、会話における人物特定を以て良しとせざるを得ず、読まれるかたには諒とされたい。以下抜き書き。★第9話 あらすじ戦艦大和との交信が可能になり、乗員の健康を気遣う滋賀県庁では田所(たどころ)課長や西川職員たちが小型艇で琵琶湖上の戦艦大和に乗艦する。会話は艦内での西川と大和砲術長・高橋との問答が中心となり、大和のその後の運命や存在が気がかりな髙橋は、問いに対する西川の熱心な答えに複雑ながらも平静を保とうとする態度を示す。★髙橋砲術長「こちらからもお聞きしたいことがあります」西川春香・滋賀県庁危機管理課職員「はい」髙橋「大東亜戦争はそのあとどうなりましたか」防衛省職員・三浦「その質問は来ると思った」西川「戦争は終わりました」髙橋「終わったのですね」西川「はい」杉山少佐「いつ終わったのですか」西川「昭和20年8月です」髙橋「日本は勝ったのですか」西川「いえ、日本は敗戦しました」髙橋「そうですか。承知しました。では大和はどうなりましたか」田所課長「西川さん」西川「はい、お答えします。大和は昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦で沈没しました」杉山「坊ノ岬沖海戦・・」髙橋「4月7日・・その先で」杉山「大和は沈んだのですね」西川「記録ではそうなっています」髙橋「承知しました。その後、日本はどうなったのですか」西川「日本は今もあります」髙橋「そうですか。国は残ったのですね」西川「はい」髙橋「では帝国海軍はどうなりましたか」西川「現在、帝国海軍は存在していません」杉山「存在していない・・・」西川「ただ、海を護る組織はあります」髙橋「海を護る組織・・」西川「海上自衛隊です」杉山「海上自衛隊・・海軍とは違うのですか」西川「はい。海軍ではありません。現在の日本の海を護る組織です」髙橋「海上自衛隊・・」西川「ただ、すべてが途切れたわけではありません」杉山「と、申しますと・・」西川「海軍以来の伝統や、海で任務に就いた方たちへの敬意は、今も受け継がれています」杉山「そうですか」髙橋「受け継がれているのですね。海上自衛隊も大和を知っているのですか ? 」西川「はい。大和のことは今の日本でも広く知られています」田所「知られ過ぎて、湖岸に人が集まっています」西川「課長ッ」髙橋「忘れられてはいないのですね」以上会話抜粋。なお、「幻影の世界線」の戦艦大和のドラマは、既にざっと書いた通り、琵琶湖に出現の設定以外に、現代の豊後水道、青森港、神戸港に出現などのバージョンがこれらも迫真力見事な映像に完成されている。また、この琵琶湖上に出現のドラマにおいても、史実である沖縄特攻出撃で、米機動部隊の艦載機群の猛攻を受けて轟沈した戦艦大和そのものとは別の言わば同型艦が存在したとの陣容設定を設けてもいるようで、私はこれら動画をつぶさに見ていないので、正確なところまではつづれないが、この琵琶湖の大和のドラマにも、大和型四番艦として、第111号艦とも称されるとの描写もあり、関連、類似の動画と比較などしながらきちんとは見ていないからなのか、これより詳しいことについてはわからない。私の文章は資料としては、いささかお粗末な内容ではあったが、勝手ながらおおむね、当初の目的、つまり本ドラマに感じ入ったところに言及することができた。今後の物語の進展に期待し、新しい画像と、ヒロイン西川さんの姿、演技を楽しみにしている。最後に、掲載画像は出来るだけ少なめに絞りましたが、無断なのは事実ですので、御不快に思われた場合は、お詫びして削除等、相応の処置を致しますゆえ、よろしくお願い致します。ありがとうございました。
2026.07.27
閲覧総数 162
8

少し前に予告の通り、2004年真夏に連日更新記録を作った「怪談」テーマ全日分を再録掲載することを決定した。ただ、不人気な私のブログとしては、累計アクセス過去最多記録更新中の、喜ばしいテーマの一つとして、下記に記載の年月日に更新した稲川淳二(いながわ・じゅんじ)氏の怪談ばなしを、再録掲載する。ご興味ある方々には、ぜひ一読を願うものである。そして、この怪談を掲載ののち、書いたように、2004年真夏に連日掲載の怪談ばなしを、再録掲載する。今回は、祭典と気取るなら、前夜祭に例えるおもむきと心地で、再録する。2013.05.20 稲川淳二氏の「夜行列車にて」より、「幽霊が経営する旅館」 カテゴリ:怪談 今更と言われそうだが、改めて私は怪異談の存在自体は認める。ただし、信憑性にこだわる姿勢も必要と断ずる。稲川淳二氏の怪異談の豊富さは逆効果と映ることも確かだろう。なお、彼の話ではないが、ひところ日本テレビ系列で夏ごとに放映していた「あなたの知らない世界」の中には、少し推理力があれば容易に怪しいと見破れる構成の怪異談があった。怪異談の体験者自身が死ぬ結末の再現ドラマだ。一人称に終始した怪異談の一部始終を誰が語れるか。お粗末ということだ。芸能人は霊感の発達した人が少なくないとも言うが、芸能界は伏魔殿であり、番組のためのねつ造を疑うことは容易だ。稲川氏の話も疑わしいものを感ずることがあるが、その疑いをとりあえず措(お)き、ドラマ性、内容の凄みを評価してここに一話掲載する。怪談語りの名手、稲川淳二氏稲川氏の怪異談は、既に有名と察するが、いささか早口の語りかたで、しかも話が長い特徴があるので、出来るだけまとめてつづってみたい。稲川氏が、仕事で網走に流氷の取材に向かう夜行列車でのことだ。カメラクルーは先発して、稲川氏とスタッフだけだった。同じ車両の他の客は、寝台のカーテンが皆しめてあり、履物を数えても三名だけである。外は闇、時折踏切の警報機のかん高い音が耳に届くが、あとは列車の振動音が規則的に続くのみ、所在無げにあれこれ雑談していた。しばらくしたら、列車の連結のドアが開いて、若い娘が2人入って来た。稲川氏達に気づき、娘たちも気軽に声をかけた。目的地が同じとわかり、ここから彼女たちの話が始まる。二人連れの娘の一人が、「稲川さん、本当は私達2人じゃなくて、4人で流氷見に行く予定だったんです・・・それが2人になっちゃって」と言う。「私達の友達、幽霊に殺されたんです・・・」「ええ?・・・幽霊に殺された ! ? 」初めは一人旅を楽しんでいた彼女たちは、旅先で知り合って、たちまち4人の旅行仲間となった。その一人、めぐみ(仮名)が、北国のある旅館を提案した。手作りのパンフレットを差し出して「安くて良さそう」と勧める。旅行社以外に、手作りの宣伝パンフレットで穴場を見つけるのがハヤリだったらしい。ところが、この夜行列車で流氷見物を目指す2人が、仕事の都合で行けなくなった。結局、提案しためぐみともう一人の京子(仮名)の2人が北国の旅館に行くこととなった。その旅館は、最寄の駅からタクシーでかなり走ったところにあるが、日本海に面した山の上に建っていた。こじんまりして、いかにも日本的な佇まいで、玄関正面には大きな板の看板がかかっていた。旅館に着くと、和服姿の女将と、もう一人中年の婦人が迎えてくれた。二人は姉妹だった。旅館というより民宿と呼ぶほうが相応しい。娘二人の旅の労をねぎらう親しみのこもった言葉で招じ入れてくれた。「まぁまぁ、よくいらっしゃいました。遠いところお疲れになったでしょう」部屋は和室で、縁側があり、その向こうには手入れの行き届いた庭が見える。「わぁ、ここいいところだねぇ」、「ホント、気持ちいいね」と、二人ともいっぺんに気に入った。落ち着いたムードの旅館ではあるが、いささか不備があった。無事の到着を家に連絡しようとしたが、今電話が故障で使えないという。見たらテレビも無い。ここで註釈。携帯電話普及のかなり前の話とみるしかない。仕方ないと思っているところへ、風呂が沸いたとの知らせがあり、気を取り直して入ることに。ただし狭い風呂ゆえ一人ずつしか入れない。京子が先に風呂場へ向かい、板敷きの長い廊下を歩いて行った。別棟の風呂場への廊下を渡る途中、京子はふと何かの視線を感じた。立ち止まって振り返ると、台所の格子窓が見えた。が、よく見ると窓の格子と格子の間から片方の目が、じーっとこちらを覗いている。異様に気味の悪い目だった。京子はたまたま目が合ったかと気を取り直して風呂場へ入ろうとした。その時。「きゃーっ ! 」という、めぐみの悲鳴が聞こえた。きびすを返してあわてて部屋に戻ると、めぐみが部屋のすみにうずくまって震えていた。「めぐみ、どうしたのよ!?」と聞くと、「この旅館おかしいよ、ここ嫌だよ、ねぇ京子、ここ変わろう」と、泣きそうな顔で訴える。「どうしたの?何があったのよ?」といくら京子が聞いても、「ねえ、京子お願いだからほかの旅館行こう」と、顔色を変えて訴えるばかりだ。「どうかしましたか?」と女将が顔を出した。京子は何んとか言葉を繕って、女将に引き取ってもらったが、彼女も先刻の不気味な視線が気になってはいた。ようやく落ち着きかけためぐみは、「もう一人のおばさんが」と口をひらいて話し始めた。「私が縁側から庭を眺めていたら、そのおばさんが、あの高台の方を通っていったんだけど・・・その時おばさんの身体が、すーって透けて見えたんだよ!そしてまた元に戻ったの!・・・。あれ、幽霊だよ。ねえ京子、ここ絶対変だよ」京子はめぐみの話と自分が見た不気味な視線を重ね合わせたが、それでも再びめぐみを落ち着かせる言葉を継いで、改めて風呂場に向かった。こうして京子、めぐみ二人とも交代でようやく入浴を済ますことになり、京子はめぐみと交代の時、「お風呂に入っておいでよ、さっぱりするから。その間に私町に出て、二人の家に連絡したり、雑誌とか買ってきてあげる」と告げて、旅館を出て、坂を下る途中のガソリンスタンドでタクシーを呼び、町に出た。日の長い夏のこととて、京子はついつい町で時間を過ごしてしまった。タクシーに乗り、旅館の名前と住所を告げると、タクシーの運転手は、怪訝な顔をした。告げられた付近に今、旅館はないはずだと言う。京子は再度場所を言い、運転手もそれではとタクシーをスタートさせた。走りながら運転手は、だいぶ前に確かに旅館が一軒あったと言ったが、閉館したと聞いたとも言った。やがてタクシーが止まった。だが京子が見たのは、鬱蒼として一面に伸びる雑草に囲まれた、ぼろぼろの朽ち果てた建物だった。運転手はここしかないと言い、京子はこんな廃屋のような建物ではないと言い張り、しばし押し問答が続いた。言われて見ると崩れかかった大きな板の看板があって、確かに自分達の泊まっている旅館名が書いてある。そろそろ京子も先刻来の奇妙な出来事を思い出していた。すると運転手が、「ここは一本道で狭いから、ずっと先に行ってUターンして戻ってくるよ、もし違っていたらまた乗せてあげるよ。待っていてあげるから」と言って、京子を降ろすと、発進して上り坂を走って行った。彼女はまるで廃屋同然の旅館に入った。夏の日もようやく暮れて薄暗くなったのに、部屋の中は明かり一つついていなかった。暗い部屋の中でめぐみに声をかけたが返事がない。「めぐみ、どこなの ? 」と、問いかけた背中に、「お帰りなさいませ」という声がした。ぎょっとして振り向くと、女将が立っていた。めぐみは別の部屋で食事だと言う。案内されて、その部屋に入ると、膳が二つ用意してあり、その一つにめぐみがこちらに背を向けて坐っていた。京子がめぐみに遅くなったことを詫びたが、返事がない。いささか腹が立って来て、めぐみの肩に手を置いて、話しかけようとした時、めぐみは、前のめりに倒れこんだ。目を見開いたままピクリとも動かないめぐみの身体を抱き起したが、めぐみはぐったりしたままである。「めぐみっ!どうしたの ! ? 、しっかりして!」「女将さんめぐみの様子がおかしいの!ねぇ、女将さん ! ! 」女将は平然とした顔つきで、動かなくなっためぐみと京子をじっと見つめている。思わず戦慄を覚えて、女将を見ると、その顔がつーっと寄って来て、「今度は、あんたの番だよ!」。京子は「キャー!」と叫びながら女将の横をすり抜けて、玄関の方へ逃げ出した。「待ちなさいよ、待ちなさい!」と女将が追って来る。勝手場からはもう一人の婦人が出てきて、「待つんだよ~!」靴も履かず、玄関を飛び出すと、丁度タクシーが坂から降りてくるところだった。「おじさん、助けてー!」タクシーに向かって駆け寄ると、タクシーは慌ててスピードを上げて走り出した。「おじさん、待って!乗せてお願い、助けてー!」タクシーはドアを開けたものの、止まろうとせず、京子を待つようにかろうじて徐行している。彼女は必死で走って、どうにかタクシーへ飛び乗った。ドアをバタンと閉めて、タクシーは猛スピードで走り出した。運転手も血相を変えていた。「どうした?何があった?」京子は恐怖に青ざめて泣きじゃくりながらも、友達の異変を告げた。「連れの彼女が死んじゃった。警察に行かなきゃいけないかも知れない」「分かった!・・・さっきな、あんたの後ろからさ、大きな人魂が二つ追いかけてきたの、俺見えたんだよ!・・・だから車止められなかったんだ、ごめんな・・・」運転手は詫びながら言った。運転手の話では、確かに昔あそこで姉妹が旅館をやっていたが、10年くらい前に、強盗が入って、女将は部屋で、姉の方は台所で殴り殺されていたという。犯人は未だに捕まっておらず、それ以来、旅館は閉鎖されたままだった。座敷で死んでいためぐみは、駆けつけた警察官によって発見され、死因はショック死との結果となったが、京子の供述は当然ながら信用されなかった。・・・・・・・・・・稲川氏たちの寝台にくつろいだ2人は「稲川さん、京子はしばらく入院して、それ以来旅行はやめてしまったんです・・・だから流氷、本当は4人で来るはずだったんですよ・・・」と最後に言った。旅館にまつわる怪異談は数多くあるが、たいていは過去に変死事件のあった部屋に幽霊が現われる話である。稲川淳二氏が語ったのは、殺害された経営者姉妹が幽霊であるばかりでなく、朽ちかけた旅館の建物までが、知らずに訪れた客の目に、きちんとした旅館の姿に映るところが凄い。事実なら、まるで昔の怪談映画そのものである。客室数の多寡は必ずしも関係ないが、ひっそりたたずむような小ぶりの旅館の中には、この世の者ではない何者かが手ぐすね引いて、待ち構え、客を死へといざなうものがあるかも知れない(画像の建物は、本文とは関係ありません)。最終更新日 2013.05.20 03:07:29
2016.02.11
閲覧総数 5735
9

ありがとうございました 2026/08/06 開始本当に心から参っていた。現状を簡単に書くと。買い物の足がない。唯一の足であるスクーターは自賠責切れのようで、もちろん任意保険も切れたはず。電話はケータイが壊れたきりで、バイク店との連絡は一方通行の不便がありそうで連絡の意欲が出ない。八方ふさがりというヤツか。困り果てていた。ところが先週木曜日同日に予期せぬ提案があり、叶うならばこんなありがたいことはない。私に課されたのは入浴しておくことだった。一週間後の同時刻に散髪してくれるとのこと。ゆえに入浴しておくべし。ぎりぎり前日夕刻六時ごろに入浴、ただしシャワーのみで、とりあえず全身、特に頭をしっかり洗った。一週間目の同時刻、本当に散髪していただいた。ご本人によると、たいした技術・手間でもないと言うが、そんなことはない。だが、見事にものの数分で終わり、あれだけひどい長さだった髪はウソのように短く整った。否、もう少し時間がかかったかも知れないが、話が楽しくてあっと言う間に終わったからだ。ブログとは言え、衆目にさらされるので、細かくは書けないが、ありがたい思いは久しぶりであり、感激さえしている。ありがとうございました。感謝し切れません。
2026.08.06
閲覧総数 89
10

実に二十年余りの時を経て、「続・恐怖の心霊写真集」にめぐり合えた。初版発行は私がまだ大学の時の昭和50年。驚いたことに、昭和55年に第19版を重ねている。つまり大変なベストセラーでありロングセラーに輝いた一冊だったことになる。恐らく私は初版発行と共に購入したと思われる。著者は当時心霊研究の第一人者とうたわれた故・中岡俊哉(なかおか・としや)氏である。早速不思議なことを少し書くが、この「続・恐怖の心霊写真集」は、古本で入手したいと思ってネットで検索した時には、どこにもみつからず、在庫はないと一旦はあきらめかかった。そして、第一弾の「恐怖の心霊写真集」の復刻文庫版はあっさり手に入ったものの、既に書いた通り、めざす心霊写真は掲載されていなかったので、ずいぶんがっかりした。ところが、それから日ならずして、再び期待せずに全く同じ方法で検索したとたん、いきなり続編の古本が見つかったのだ。このわずかな期間の間にネット販売の市場がまるで私に視線を向けてくれたとしか思えぬ不思議な偶然であった。それでも、届いた続編の包みを開ける間も、ひょっとしたらこれにも掲載されていないおそれもあるとの不安を抱いていた。予想はハズれて、うれしい結果が眼前に飛び込んで来た。又、「四谷怪談」写真集を掲載して以来、体調が余り芳しくない。更に、そうばんたびは使用せぬ二階の私の寝室の隣の便所の開き戸が、油切れのせいか、この時から妙な音を立てるようになった。開ける時は全く無音なのだが、戸を閉める時だけ、ちょうど女がすすり泣くような、うめき声を絞り出すような、やや薄気味悪い音を必ず立てる。「ううーっ・・・」という音だが、これは母にも聞かせて確認したから、単なるこじつけでなく、「音」というより、女の声に近く聞こえる。気持ちのいいものではないから、閉める時、すばやくサッと戸を動かすようにしている。たまにわざと恐怖を味わうためにゆっくり閉めると、「ううーっ・・・」と女が恨めしそうにうめく声そのものの音声を発するが、何度試してもぞっとする音である。既に正体が知れたからやや慣れたが、初めてこれを聞いた時は、ゾクッと背筋が寒くなり、思わず後ろを振り返った。さて、心霊写真と言われるものは、当然ながら「四谷怪談」画像のような視覚的インパクトはない。戦慄の画像を求めるのは考え違いである。むしろ余りにもはっきり霊体らしき形が見てとれるものほど、トリック写真のように思えて、怪しみたくなるものである。私は子供の頃からこのジャンルにも大変興味があったから、怪談ファンとしては経験が長く豊富なほうであろう。それだけに、この手のものを即座にうのみにはしない姿勢も知らずのうちに備わっている。多分心霊写真と称されるものを百枚や二百枚は見て来たはずだ。だから例え写真集の編著者が太鼓判を押しても、ほとんどを否定して見るようになった。無数の葉が覆う木立に、霊体が写っていると断定的に書かれるものなどは、例えそれらしき形が私自身の目に捕えられたとしても、あえて葉っぱや光線などが偶然作り出しただまし絵のようなものだと否定することにしている。そうして徹底して懐疑の目で我流峻別してふるいにかけ、容赦なく斬り捨てて行くと、実は私が「この写真だけはどうしても不思議な何かが写っている」と思えるものは、五本の指で足りるまでに激減している。私には光学知識や技術はないから、その方面の専門的な目で判断することは出来ない。いかなる写真も、巧みにトリックを施す技術を持った人の手にかかれば、必ず不思議な写真加工が可能であるというのならば、私は心霊写真に対する見かたを変えるか、いっそこの趣味を捨てるしかないかも知れぬ。あるいはいかなる不思議な写真に対しても、旺盛な光学知識を以てトリックのタネを見破れる人が全否定可能というのであるなら、同じく私はこの手の写真への興味を消し去るしかない。だが心霊写真という名の、一見したところ無気味に映る写真がはやった時期、トリックかどうかを特殊な機械で解析して一種の鑑定を行なって、真偽のほどを確かめる作業も同時に盛んに行なわれたのも事実である。結果、二重撮影でもなく、合成でもなく、光学的細工は一切施していない写真と判定されて、解析の厳しい目を首尾よく免れたものも少なからずあった。そして、人を納得させる説明こそ不可能ではあるが、私の目には確かに尋常の風景以外の「何か」が、一緒になって写っているとしか見えぬと断定し、感動にも似た名状しがたい恐怖を覚えて、長年捨てられずにいた写真が以下のものである。紛失して長い間に、当初の記憶はあいまいになっていたことも同時にわかったが、以前書いた「我が恋せし心霊少女」と題する日記文章の通り、だいたいに於いて、記憶を頼りに書いた風景と、ここに掲載した風景とは著しくズレてはいないこともわかる。前置きをやや長くしてしまったので、本書掲載の文章の要約をまじえて書いてみる。写真は大分県の当時中学二年の男子がごく自然に撮影したもので、見事に直線的な構図で線路と電柱の遠近感を捕えており、心霊写真としても上質のものである。本書は全六章で構成してあり、この写真は第二章「霊体はどこに?」のコーナーの一枚である。つまり、ちょっと見ただけではどこに霊体らしきものが写っているか発見できないかも知れないほど、見る人に識別眼を要求する写真である。なお、これは中津から出ている耶馬溪線(やばけいせん)を写したもので、場所は中津駅から八幡前の間の沖台平野を、線路上から中津駅の方向に向かって写している。以前の日記で私が枯れかけたススキの束と書いたのは、正確ではなかったかも知れないが、線路をはさんで両側にびっしり丈高い草が生い茂っているのを、おぼろげな記憶でこう書いたことがわかった。実は本書掲載の最初の写真がやや小さめなので、ここに掲載するにあたって、拡大したから、一枚目の全景写真だけで、私が表現した「心霊少女」を見つけられた人もいるかも知れないが、念のため、拡大して囲みをつけた本書中の部分写真も掲載した。これは著者の配慮によるものであろう。ロングヘアーとおぼしき、スタイルの良さそうな少女の輪郭がよくわかる構図となっている。その目で改めて全景写真に目を移すと、私が「ブレている」と書いた少女の立ち姿は、むしろ鮮明に写っているのも確認出来よう。これも私の記憶の誤りである。拡大写真ページに著者はこう書いている。「おそらくこの霊体は、この鉄道ではねられて死んだか、もしくは自殺したかだと思う。この少女の霊体をじっと見ていると、なんともいえない不気味なものを感じる」。もう一度書くが、全景写真の少女は一番手前の電柱のすぐ右にかなりはっきり写っている。そして、周囲の風景に溶け込んでほとんど違和感を持たせないから、例えば中二のこの少年が「線路を撮影したら、偶然散歩していた少女が写ったよ」とさりげなく友人にでも見せながら話しても、何ら疑われぬと思えるほど、これは単なる風景と人物を収めた写真にさえ見える。と、私はわざと書いた。なぜならば、やはりここに写った少女らしき立ち姿は、線路や電柱やその他の周囲の風景に溶け込んでいながらも、確認して見つめれば見つめるほど、生きた人間の姿にはどうしても見えないからである。ましてや散歩姿になどとうてい見えない。少女らしき姿の何物かを彼女とあえて呼んでみるならば、彼女には生きている感じがない。生命感・生活感のない女性の姿にしか見えないのである。そのうち私はこれとなるべく似た風景を地元のどこかに求めて、生きた生身の誰かを撮影するつもりである。よく似た女性を被写体に出来るかどうかはわからないが、その画像を掲載すれば、線路わきにたたずむ生きた人と、この世のものでない何かとの決定的な雰囲気の違いが比較出来るはずだと思う。ご覧になったかた、いかがお感じになったことだろう。そろそろこの文を書き終わろうとしている今も、私は背筋がゾクゾクして仕方ないのだが・・・。
2004.03.26
閲覧総数 649
11

小泉八雲と来れば怪談である。この人の正式な怪談は、例えばその一つに「怪談・奇談」という名で文庫本として出版されているものを買って長くとっておいたが、なぜか今は紛失している。手許にわずかにあるのは、中一の頃買った偕成社刊のジュニア向け「怪談」という一冊である。もとよりこの人と有名な著作を知る人は少なくないと察するが、私が心ひかれたのは「雪女」、「耳なし芳一のはなし」の類いではない。子供向けとしては珍しいと思った「和解」という一話である。なお、大人向けと思われる「怪談・奇談」には、「鈴の音」といったろうか、いかにも亡霊談らしき趣で語られるやや凄まじい内容のものがあるが、この「和解」も、子供心に、あとになってややゾッとし、何とも言えぬ余韻が消えなかった(訂正/「鈴の音」ではなく、「破約」または「破られた約束」です。検索で複数、ていねいなサイトが現われます)。前置きを長くするより、まずあらすじを書いたほうがよかろう。昔、京に住むある侍が遠国(おんごく)に仕官するにあたり、女房を離縁して去る。任地で新しい妻をめとり、やがて任を終えるが、その頃になって、新しい女房の情(じょう)のなさ・わがままなどに気づき、同時に別れた前の女の情の細やかさに今更ながら気づき、にわかにいとしくなって、この女を離別し再び京に帰ることに決める。もう、ほかの男に嫁いで幸せに暮らしているかも知れぬ、あるいは独り淋しくなどと、様々なことを思ううち、矢もたてもたまらなくなり、昔起き伏しを共にした己れのわび住まいを訪ねる。既に日はとっぷりと暮れて、中に人の気配も感ぜられぬが、それでもと思って、かつて女房が夜なべをよくしていた部屋のふすまに近寄ると、何と女は相変わらずあんどんの陰で縫い物をしている。女は以前と変わらぬ笑みをたたえながら、男を優しく迎える。男は女に詫びるが、女は恨みがましいこと一つ言わぬどころか、どうかもう自分を責めないよう頼みさえし、戻ってくれたことに喜び感謝するばかりである。その晩、二人は久しぶりに床を並べて、来し方行く末のあれこれを楽しく語らって、いつまでも話は尽きない。そのうち男はすやすやと眠り込んでしまう。目を覚ますと既に日が差し込んでいた。何気なくあたりを見回して驚いたのは、己れがまともな畳の部屋には寝ておらず、布団も何も敷いてないむき出しの床の上に横たわっていたことだ。夢でも見たのかと横にいる女房を見るとぐっすり眠り込んでいる。その寝姿をのぞき込んだ男はきゃっと叫んだ。女房と見えたものは、わずかに白骨とおどろな髪の毛だけが残っている女の死骸であり、そこには一枚の経かたびらをまとっているのみだった。男はしばし戦慄したが、それはやがて深い絶望感へと変わり、女房がたどった運命を知りたいと、よそ者のふうを装って、人に尋ねた。曰く。「あれは侍の女房がおった家だったが、その侍が都を去るとき離縁し、女房はそれを苦に病んで、とうとう病みついてのう。広い都に身寄りのあるはずもなし、世話をしてくれる者もないによって、とうとう去年(こぞ)の秋、早死んでしもうた」。以上の話は小泉八雲の著作「明暗」の中の一作であることをのちに知った。先に私は「子供心に戦慄を覚えた」と書いたが、長じて実物の女を知った時、これを思い出した。女の情念とはあの小説に描かれたものだったかと思い知った気がしたのだ。子供にこのような感情を早くに与えるこの物語を編集した「偕成社」を見事だと思った。子供への妥協がない。おなじみ「東海道四谷怪談」のさわりを言えと問われたら、伊右衛門にはかられ毒薬を飲まされて面相一変し、凄い形相で髪すきを行なうあたりから、つぎつぎたたる場面をざっと語れば足りる。だがこの怪談は冒頭から何やら無気味な予感を与えて、子供には凄すぎる。では本当に恐いのはどちらかと言うと、答えはいずれもであり、いずれも甲乙なき戦慄を与えて秀逸である。ただし、小泉八雲すなわちラフカディオ・ハーンの「和解」は、おどろおどろしさはなく、恐らく愛らしく美しい妻が、自分を捨てた夫をにこやかに迎えて一晩たっぷりもてなし、翌日明るくなった時、不実な夫に、哀れな自分の最期を見せて、男に何かを伝える。記憶が確かでないが、上田秋成の「雨月物語」にも、これとよく似た話があった。私は映画で見たが、調べてみると、「浅茅(あさじ)が宿」というのがそっくりである。戦乱のさいちゅうに夫の帰りを待ちわびつつ他界した妻が、霊となって夫と会う物語だ。両者に関連がなく、全く別々に作ったとしたら、「げに恐ろしきは女の執念なり」という論理が出来上がると言っても過言ではあるまい。それにしても舞台設定以外そっくりの筋立てである。「和解」という題名はそれを見ただけではどんな物語なのか連想できない。読んでびっくりという話である。私には未だになぜ「和解」との題名なのか実はわからない。ただ、女は亡霊となって出てくるから恐いというだけではない。生きていてさえゾッとさせることがある。昨今は30,40になっても女を知らぬ、男を知らぬ者が増えているらしいが、経験としてもったいない話である。特に女の情念を知らずして生涯を終えるのは男として無念なはずである。ただし、経験するのは女の恐さだから、そんなのまっぴらだというのなら話は別だが、別に幽霊にたたられるわけではないから、これは一度や二度は知っておくべきである。私の経験でいうと、我が両親留守の時、待ち合わせを本当にうっかりすっぽかす失敗をしでかした。めったにないチャンスだったから無念の気持ちもあるが、もはや後の祭り。言い訳通らずと思っても、当然済まぬことをしたから、まず必ずその女だけが出ると決め事していた電話をかけたが通じず、次いで女の自宅に直行したが、これまた事情あって玄関の呼び鈴を押すわけに行かなかったから、在宅か留守かを確認する方法を決めてあって、その通りのことをした。だが留守とわかった。既に夜である。うさ晴らしに友人のところへでも行ったのかと思うしかなかった。力なく、己れの自宅へ引き返すと、玄関に置手紙があって、明らかに怒りの文面がつづってあった。合鍵で入って書置きしたのち出て行ったものらしかった。私の家に来るのは初めてだったから、さすがに遠慮したのだろうと察した。それでも読んでみると、わざと「待てどくらせど来ず、仕方なく帰りますが、再び会う気、ありやなしや」と、文語調で書いた表現は凄みがあった。両親が留守なので、真っ直ぐ自室へ向かい、開き戸を開けて、机に向かった。今ならパソコンのある机に向かうところだろうが、当時はパソコンどころかワープロさえなかった。その代わり部屋の机に向かって人心地つくのを待つのも習慣になっていた。恋は盲目という。そのせっかくの機会を逃して何をする気にもなれず、机を離れた。いつしか独り言で「後の後悔先に立たずか。あした改めてあやまろう・・・」と言いながら部屋を出て洗面所へ向かおうとしたその刹那、「待ったのよおー・・・!!」と、隣の日本間から出たその女が、私の背中に手を置いて声色(こわいろ)たっぷりに声をかけた時、恥ずかしいことながら私は「ひゃーっ!!」と悲鳴を上げて、廊下をダダダッと駆け出したはいいが、つまずいて転び、更に腰が抜けた。総身に粟を生ずる恐怖だった。のぞき込むように近寄って来た女は「何よおーっ、まるでお化けでも見たみたいだったわよ!! 」と再び新たなる怒りを怒っていたが、しばし返す言葉なく、「お前、・・・まさか、いや、生きているよな・・・」と思わず返してしまった。事情を知った女は笑いながら、「そうよ。女は恐いのよ。恨みはらさでおくべきや」と、ふざけていたが、私の心臓はまだ早鐘のような鼓動が治まらなかった。この舞台設定、時間設定、タイミング、誠に見事だった。小泉八雲の話とは内容が違い、むしろ「四谷怪談」に近いが、なぜか「和解」を連想した。明らかにこの女の仕返しであるが、そのことはひとことも口にせず、当然のことをした口ぶりであるところが恐かった。車も目立たぬところへ置いてあったことをあとで聞かされた。ただし、男と女、しかも相手が女でなければ、これほどゾッとすることはない。もっとも、女になったことはないから、逆のシチュエーションならばどうかまでは想像しなかったが、私の考えで言うと、げに恐ろしきは女の執念なりということである。
2003.12.15
閲覧総数 896
12

インターネット界で更なるブーム !俺たちのあざす 2025/10/11 開始地上波テレビが急速にパワーダウンして既に久しいが、私はかつてテレビ番組に興じて楽しかった思い出があるから、余り悪しざまに言いたくはない。 ともあれ、私の場合はパソコンをほぼ毎日使っている。最も視聴するのは音楽関連だが、ドラマにも関心はあり、特に最近、姿の良い女優さん三人が登場する短編番組に、例によっていい年して心奪われている。 分けても驚いたのは、短い時間の中で、女優さんが姿とセリフを見せ聞かせて、こちら側の声だけの彼氏などとやり取りをする物語の妙である。そしてまず「ええッ ! ? 」っと驚いたのは、全員20代の妙齢のレディとばかり思っていたお三方すべてが、30代との事実で、しかも通称『ゆき』ちゃんを演じている女優さんが実年齢、と言いたいがあえて生年月日を記しておく。ゆきちゃんこと『水原(みなはら)ゆき』さんは、1987年12月14日生まれということ。三人ともウィキペディアに載るほどだから情報に間違いはない。 水原(みなはら)ゆきさん私は水原ゆきさんにまず魅せられ、「いくら世の中美しい人がいると言っても、こんなきれいな可愛い20代はそう滅多にはお目にかかれなかろう」と、彼女の若さと美しさと、何より見れば見るほど引き込まれそうな見事な演技にうっとりしていた。 そして三人すべてが20代でないことを知って、茫然たる心地に陥った。本ドラマ、ほぼ連日更新されているようだが、「またか」とガッカリすることはない。ほぼ男女の恋愛ネタなのに、見ているうちに気づくと、ニヤニヤしているというほど、女の人の魅力に惹かれていることに気づくほどで、改めて姿の良い女優さんが、演技で見せ聞かせてくれることを、納得させられる。伊藤優衣(いとう・ゆい)さん長谷川かすみ(はせがわ・かすみ)さん
2025.10.11
閲覧総数 71
13

(株)ビリケン製の七色仮面ソフビ人形。高さ30cm。タイトルは、本当は「プロとへたなアマチュアの激差」としたかったのです。へたはへたでも、ともかくもトップページに図々しく載せている七色仮面フィギュアは、わずかな針金の骨組みからスタートしました。今さら過去のジオラマのメイキングでもないのですが、「七色仮面を作ろう」と思い立った時、相似性見事な既製品が脳裏にチラついて困りました。こういう時妙なもので、意地でもへたでも既製品は使うまいと決めてしまうのです。今夜のメンテナンスは何時かしら・・。午前3時かな・・。ともかく更新。七色仮面が持つ鉄砲のミニチュア切り出し。長さ3cmほどだから自慢になど、なりません。これよりもっと精密なミニチュアをミリ単位で作る、恐るべき婦人がいるので、偉そうに書く資格はありませんが、不器用にしては、これでも困難な作業でした。これがトップページ用に撮影した七色仮面フィギュアのデジカメ・オリジナル版です。ついでに、トップページの画像も入れ替えました。
2007.03.25
閲覧総数 545