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2025.10.23
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カテゴリ: 模型(ジオラマ)
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ロケット遊びに興じた中学終わりから高校二年間 2025/10/18 開始

当時の記録ノートが残っているので見てみると、ロケット打ち上げ遊びは、 1967 年中学三年 10 月から始まって、実に 1970 年高校三年直前の三月まで続けていた。




なお、今は亡き我が最愛の兄は、国公立大医学部を目指して都合三浪ののち、 1971 年昭和 46 年の徳島大学医学部受験を以て医学部を断念、長く辛かった浪人生活に終止符を打っている。

私たち兄弟が共に沼津東高に進んだ頃は、親戚たちは、嫉妬・ねたみの塊であった。

兄が三浪した頃、その事実だけをとらえて、不甲斐ない学生と揶揄したことをのちに親戚本人の口から聞いている。おっと、またも恨み節になってしまった。

今さら書かずとも良いことだが、三浪してまで浪人生活に耐えた亡き兄の名誉のために記しておく。

兄は、浪人生活最後の 1971 年春、第一志望こそ叶わなかったものの、実に以下の大学学部に合格している。まず四年間かようこととなった静岡薬科大学、次に旧二期校と呼ばれた東京農工大学農芸化学科、立命館大学、同志社大学 ( いずれも理科系学部 ) 。更に決して有利ではない他県民として、岐阜薬科大学に合格。

総じて言うが、高校時代に、更に浪人時代に、本当に受験勉強に励むと、特に兄弟二人がかよった沼津東高は、今もその傾向が強いかも知れぬが、国公立大学を第一義に志向する傾向が強い。

もしも高校時代に英数いずれもまずまずの成績で、更に現代国語 ( 現代文 ) 、古文、漢文も安定していて、そして更に物理学、化学、生物学、地学のいずれかがまずまずの成績なら、大学選びにぜいたくになるのは当然である。








さて、ロケット遊びに戻る。当時ロケット遊びは全国的なものであったと思う。あるいは今でもその傾向はあるのかも知れないが、何しろ新聞に「ロケット遊びの中学生、暴発で指を飛ばす」なぞという記事が載ることも珍しくなかったので、己れだけは用心すべしと思いながらも、ロケット花火よりもリアリティを感じて、自作ロケットを作り続けた。作った以上は打ち上げ実験をやりたいのだが、そう簡単にことが運ばない。

また当時、学生服の襟首のところのカラーは可燃性のものばかりで、これがありがたく、のちに黒色火薬にかえるまで、このカラーをハサミで細かく切り刻んで、ロケットの燃料にした。のちに不燃性ばかりになったが、ライターなどで点火すると、確か緑色の炎と独特のにおいを発した。

しばらくして不燃性のカラーが取って代わるようになり、これは実際にそれと知らずに買って帰って点火してもほとんど燃えないことを確かめて、いよいよ黒色火薬生産に取り組むこととなるのだが、これがそうたやすくは手に入らない。

薬局に売っていることもあるとは聞いていたが、中高生が出入り勝手とはいかないのが常識。

混合する原料は木炭・硫黄・硝石 ( 硝酸カリウム ) で、いかにも近づきがたい。今では情報というだけなら、各成分の混合比率までウィキペディアなどに記されるから、機器の進歩を感ずるが、当時はたとえ入手できても試行錯誤、実際、中三秋ごろの日曜日、理科の準備室に忍び込んで薬品のビンを手に取ることが出来たが、とりあえず同量ずつを用意した入れ物に移すしかなかった。なお、どうして準備室に入れたかというと、化学部の部長をしている同級生がいたからだった。ただしこれもいつも自由にとはいかず、やがて花火の火薬を検討するようになったが、自家製の火薬はなかなか性能の良いものが出来なかった。






まだ市販の詰襟カラーは可燃性のものもあったので、親不孝ではあったが、まだそう古くはないものを襟からはがしてクシャクシャに折り曲げて母に「同級生とふざけてたら、こんなにしちゃった。ごめん、新しいのを買わなきゃ」と代金をせびったりしたが、既製品に頼るのは時間の問題と察していた。

結果は高校に入っても、自家製黒色火薬入手方法が見つからず、何んとか残っていた学生服のカラーで間に合わせることとした。

花火さえ買えば性能の良い火薬は本当にたやすく手に入るのだが、なぜかこの方法は最後まで選択しなかった。

のちに You Tube で元財務官僚でかつ正論を発信し続けている髙橋洋一氏は、スタートが東大の理系であり、私はさすがの私でも、何回生まれ変わっても東大には必ず受からないとわかるから、高橋氏の利発さのすごさがわかるが、その髙橋洋一氏が、学生時代に本物の火薬で模型ロケットを自作して飛ばしていたと語るのを聞いた。言うも今更だが世間には優秀な人がいるのを思い知った。

私のロケット遊びは、 1970 年昭和 45 年春を以て終了した。ちょうど兄が二浪目の受験から帰宅した夜のことだと覚えている。最後のロケット実験だったが、打ち上げは予想通り失敗だった。





全高約110mに及ぶサターン五型巨人ロケット


なお、サターンロケットは下手ながらも目下55cmの自作模型に挑んでいます。



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予期した通りかなりいびつな造型になっています。これから出来るだけ水平垂直の調整をしていこうと思います。





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最終更新日  2025.10.25 07:54:21
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