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●よく言われる、若者の「音楽ソロ飛ばし」問題に付いて「あり得ない」と捉えるのは間違い。音楽ファンの立場で音楽ファンに向けて物申す。☆TOPページARCHIVE☆『Wikiの写真で一言』-第9回-■2023年1月-2月■■■■もくじ■■■■イントロ■■2023年1月掲載■『wikiの写真でMarillionな一言』■2023年2月掲載■『wikiの写真でジャンプな一言』■ 「ソロ飛ばし」をする若者に「ガン飛ばし」をする音楽ファン■ 「あり得ない」という批判はあり得ない■ 速く観たくて倍速で会話が無ければ即飛ばし、鑑賞前にネタバレサイトで予習をし映画ドラマを観る人達■ 間が持たない昭和のテレビ・ラジオ■レコードの演奏を助長と感じていた昭和世代■『おふくろさん騒動』に見る顕著な温度差■山下達郎はタダじゃない▲目次へ▲■イントロ■こんにちはVoyager6434ですwこのイラストは9年前に『ヘタレ絵日記23』で使用したものですがこういう「土突きネタ」は近年『痛みを伴う笑い』への風当たりが強くなって来た事でどつき漫才が売りの「カミナリ」などがテレビから消えた様にかなり ギリギリ な所に来ている様な印象がありますウチの場合もこの様な風潮は当然考慮して記事を更新しているので特に映画や音楽の記事を書く時は毎回本を軽く3冊は読んで調べたり出来る限りの「ウラ」を取ってから更新はしておりますが「解釈」を論じる点に於いては「想像」の入る余地が多分にあるのでというか殆ど「妄想」で記事を書いている事が多々あるのがウチの特徴だったりもしますのでそれに関してはこれからも「自己責任」での観覧を推奨する当サイトの方針は変えないつもりでおります話がちょっとソレましたがw取り敢えず近年考慮が必要になってきた「過激ネタ」や「下ネタ」などの「ギリギリネタ」に関しては毎日のアクセスが数千規模で、発言に社会的影響力がある超人気サイトになった時にでも社会的にも「間違った行為」と捉えて止めようと思う他は現在その10分の1以下程度のアクセスで通常ブログの数千倍の文字数の出版クラス記事更新で社会に1ミリの影響も与えないGoogleのアルゴリズム次第で存在が消し飛ぶ程度の隠れ家的埋もれ不人気サイトでいる内は「消えつつある伝統芸」の一環として残して続けて行こうと考えておりこういう土突きネタを「間違い」として捉えるならともかく「あり得ない」という捉え方は表現者の端くれとしてはしてはならないと思う所でもあります今回はそんな話ですw■さて、今年は少しでも記事を更新しようと毎月TOPページで更新している「wikiの写真で一言」を「コレって記事にして更新すりゃ良いじゃね?」と考えましてこれで少なくとも年間で確実に12記事増える見込みとなったという様なそんな小さな成果をいちいち記事に書くそんな小さなひとときが嬉しい・・・もうすぐ3月となり春の足音も間近な2月をいかがお過ごしでしょうかというわけで今回も、使い回しのイラストを添えましてトップページを飾る「小ネタ」として2020年5月から2022年11月まで掲載した分は後日 改めて更新するとして・・・w今回は2023年1月~2月に掲載した「wikiの写真でMarillionな一言」と「2月な一言」を、ちょっとした散文に妄想を添えてまとめてみました。「Marillionって何?」という方はコチラのページプログレッシブ・ロックを聴いてみましょう!第22回【特別編】『Marillionなクリスマス』を御覧くださいという訳でまずはコチラの「小ネタ」を御覧ください・・・▲目次へ▲■2023年1月掲載■『wikiの写真でMarillionな一言』Brombachsee,Concertbüro Franken,Festival,Konzert,Lieder am See,Livekonzert,Livemusik,Marillion,Musik,Steve Hogarth(画像参照:wikimedia)S.H『ディンディンディンディンディンディディンディンディンッツ!!!今年は狐(きつね)年を祝ってきつねダンスだっつ!!!』観客『そんな年はねえっつ!!!』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、Marillionと、きつねダンスとは一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■さて、今年も当サイトがプッシュするイギリスのロックバンド「マリリオン」をイジるシリーズで新年の幕開けとなりましたこれに関しては今回もノープランで挑みましてw取り敢えずボーカルのスティーブ・ホーガスの画像をじ~っと眺めていた所たまたま手付きが「きつねダンス」の振り付けに見えた事で旬という事もありこんな感じでまとめてみたのがコレですw昨年流行語大賞にもノミネートされた「きつねダンス」は日本ハムファイターズのホームゲームでのイベント間で行われるファイターガールの応援パフォーマンスだったものがソフトバンク時代の松田宣浩がそのダンスを真似る姿が放送された事がきっかけとなり球団を超えて観客が一緒に踊る様になった事で人気が高まり全国に広まった事で社会現象になった事でも話題となりましたしかしこの社会現象にまでなった「きつねダンス」の仕掛け人尾暮沙織がダンスに選んだ楽曲「The Fox」はノルウェーの男性コメディアン兄弟によるデュオ「Ylvis(イルヴィス)」のキツネを題材にしたコミカルな曲でこの曲できつねダンスを踊る事を尾暮沙織に勧められたファイターガールのメンバー達はこれまでのパフォーマンスで使用して来たものとは毛色が違うコミカルな曲調に当初は難色を示したと言いますこの曲を尾暮沙織が見つけたのは2020年の事折しも日本ハムのメインマスコットがキタキツネをモチーフにした「フレップ」に変更し知名度を高め様としていた頃でもあり満を持して投入したと言いますが当初ファイターガールズが難色を示した通り初披露では観客に全くウケなかったそうで現在の人気を思えば考えられないアウェイな船出だったと言いますそれでも「これは絶対にいける」と感じてこの曲を投入した尾暮沙織の感覚は時流を読む程の感性があったのかもしれませんそういう私もマリリオンのファンが世界中に星の数程居る中でマリリオンのボーカルの画像を観て「これは絶対にいける」と感じてサイトの新年に投入しアウェイな年始を送ったブログ主の感覚もマリリオンファンの中でも随一の感性があったのかもしれません(多分)▲目次へ▲■2023年2月掲載■『wikiの写真でジャンプな一言』Ornamentglas B - Ansicht 1(画像参照:wikimedia)(変声した女性)『はい、息子の事なんです・・・あんなにバレない様にしてきたのにっつ息子は・・・もう知って しまったんですっつ!!!もう夫も私もどうして良いのか・・・あれから、もう・・・何度も何度も忘れようとしたんですでも息子のアノ言葉がどうしても忘れられなくてっつ!!!今でも耳に焼き付いて離れないんですっつ最後にピー(自主規制音)が出てくるなんて。。。知らなければ良かったのにっつ!!!』MM『・・・あのね~奥さんねぇ~最近の子はみんなそうなの 分かる?』(変声した女性)『なぜなんですかっつ!!?どうして知ろうとしてしまうんですかっつ!!?これまでの時間を返して欲しいですっつ!!!あんなに可愛かったのにっつ・・・ううっつ(すすり泣き)ベビーヨーダっつ!!!もうっつあのっつバカ息子がっつ!!!「マンダロリアン」の最終回っつ!!!ラストでピーが出てくるって言うんだもんっつ(泣声)もうベビーヨーダが可愛くて可愛くてっつうっつうっつ・・・(泣)毎回愉しみにして観てきたのにっつ!!!どーしてラストを喋っちゃうのっつ!!!音楽だってそうっつ!!!ヴァン・ヘイレンの・・・ああ冬になると掛かるやつ・・・あの・・・ああ あの曲っつ!ほらあっつ・・・何かあのっつルルルルルルルルルルルウルッツ!!!(巻舌)って速弾き ギターの後♪チャラララチャララ~w ってキーボードでソロやってっつ!!!スキーで飛ぶっつ!!!・・・! そうっつ「ジャンプ」っつ!!!全部飛ばすのよーーっつアノ子っつ!!!「ジャンプ」のソロをっつ!!!ジャンプしてっつ!!!どーーーするのっつ!!!アレが良いんでしょおおおおーーーっつ!!!もうっつ!!!あり得ないですーーーーーっつ!!!(号泣)』MM『奥さん、それが Z世代 分かる?』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、マンダロリアンと、ヴァン・・ヘイレンと、み○もんたとは一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■お昼と言えばこういう番組が定番でしたがそれがいつからかVTRをワイプの小窓で芸人が眺めるグルメ情報バラエティー番組だらけになってしまい伴侶の浮気癖に憔悴した相談者が変声した声で涙ながらに離婚の相談をする電話に対して公演台に手を置いたみ○もんた辺りが冷静になる様に相談者を叱咤するというお昼時のリアルドロドロ愛憎劇を愉しみに観て来た視聴者には何とも毒にも薬にもならないテレビの衰退ぶりを眺めるだけのあっても無くても良い一時となりましたw▲目次へ▲■「ソロ飛ばし」をする若者に「ガン飛ばし」をする音楽ファンJimi_Hendrix_1967(画像参照: wikimedia)さてw「あってもなくても良い」と言えば今どきの若者の「ソロ飛ばし」行為ですがZ世代と言えば「楽曲ソロ飛ばし」「映画倍速鑑賞」行為をしミステリーの様な作品を「内容を知ってから鑑賞」するものを作っている人々に対してのリスペクトの欠片も感じられない傍若無人にも程があるこれらの態度に付いてはこれまで映画、音楽を鑑賞するには一枚単位でDVD、CDを買う又は借りるしか無かった所をネット社会に入ってダウンロード全盛となり「サブスクリプション」配信サービスが始まりDVD、CD一枚の価格の半額程度の月額料金で好きな作品を好きなだけ大量に映画、音楽を鑑賞できる環境が整った事で映画、音楽 作品に対する価値観が大きく変化して行く中で充実したコンテツ数を誇る見放題配信サービスを受けるのが「サブスク契約期間内」に限られるというこれまでディスク単位レンタルで一度に何十枚も借りるヘビーユーザーでは無い一般ユーザーは往々にして期間内で余裕で鑑賞できていた作品鑑賞をする際にこれまで気にする事の無かった期間的制約 という新たな概念が生まれた事とそれによってこれまで「作品」と捉えてきた映画や音楽が「情報」の様にしか感じられなくなった感覚の変容とが混合して出来るだけ速く大量に作品を鑑賞したい「欲求」が生まれ「倍速鑑賞」「ソロ飛ばし」が常套化し無駄な作品に貴重な時間を裂きたくない「要求」が上回り「内容を結末まで知った後からの鑑賞」が通例となる「トレンド抑え」「時は金なり」の観点で行動する今も昔も居る一部の層がやっているに過ぎない様な事をネット社会になり可視化されて話題化したダケの正直どーーーでも良い事で既に答えが出て語り尽くされたこの『今どきの若者はけしからんシリーズ』の中でも最たる例として語られる『楽曲ソロ飛ばし』問題を今更当サイトが取り上げる訳はありませんwそこでシニアの音楽ファンが『若者はけしからん』とガンを飛ばし一方的に責めるのであればシニアの音楽ファンも『若者に責められる』べき点を上げなければ「公平」さを欠くというわけでw若者の『楽曲ソロ飛ばし』を問題視する中心的存在となる「昭和のシニアの音楽ファン」の若かりし頃、どの様な音楽鑑賞をして今どきの若者を責める事が出来る様な理想的な音楽鑑賞をしてきたのかどうか自身がシニア世代の音楽ファンで昭和の時代を知る正に「生き証人」と言える当サイトのブログ主が昭和の音楽事情を取り上げむしろ我々シニアの音楽ファンは『楽曲ソロ飛ばし』をする若者を養護しなければならない立場ですらある事を世間一般とは「異なるレイヤー」で語ってみたいと思います■ちなみにこの記事を更新した時いつもよりも全体のアクセスが上がっていたので何事かと思って調べてみたらGoogleで「ソロ飛ばし」で検索を掛けたら何の間違いかTOP10の8位でウチの記事がヒットしてましてW「み○ミュージック」の下に4つ離れたソバに付き「高○寛」より上というそれこそ「あり得ない」順位にかなりドキドキしておりますW(別の意味で)▲目次へ▲■「あり得ない」という批判はあり得ない上のイラストは色んな所で良く見る感じの絵ですがこれは「いらすとや」がフリーで提供しているイラスト素材で一度使ってみたかったので今回使ってみました~wさて、『楽曲ソロ飛ばし』とは知っての通り楽曲の1番、2番が終わり演奏のみとなる「間奏」のパートに入った時に主にギター、サックス、ピアノなどの楽器がアドリブ演奏をする「ソロ」演奏パートを聴かないで飛ばしたり本編のみを聴いたらイントロ、間奏、エンディングを聴かない今どきのZ世代の若者達のこの様な音楽の聴き方に加えて音楽ファンの中でも最右翼となるシニアの昭和世代が「あり得ない」と反応している一連の風潮を指した言葉ですこれに付いては語り尽くされていて「そんなのは昔から居た」「一部の層の行いを全体の行いかの様に語っている悪い慣例」「ギターソロを聴かないのならギターソロを配信するYouTuberをなぜ観る」で既に答えが出ている事なので今更これに付いてのウチの考えは書きませんがこの風潮の問題は実は若者にあるのでは無くむしろこの風潮を「あり得ない」と捉える我々昭和世代の音楽ファンの「思考」にある様な印象があります「思想」では無く「思考」としたのは楽曲のソロを飛ばすという「キャンセル行為」をする若者達の感覚に対して「音楽を聴く姿勢」としての理想を「思想」の観点から問題視しているのでは無くその「理想」を導き出した「思考」で「あり得ない」と反応し昭和世代が若者達の感覚を受け入れない多様性 での観点に於ける「思考」の捉え方の偏りに問題があると思われるからです簡単に言いますと「音楽を聴く姿勢として間違っている」と言うのであればそれは単に「理想」が「正解」だと思いこんでいる今どきの若者disり をする「シニア世代の苦言」という事で今も昔も変わらないよくある話で単にスルーすれば良いことだと言えますしかし「音楽を聴く姿勢としてあり得ない」と言う事になると話は別でそれは「理想」を生み出す「思考」で「正解」なるものを押し付け「否定」する多様性を「受け入れない」行為とも取れる姿勢の問題になるのでこれは「SDGs」を推進する世界的な取り組みが行われている現在に於いては特に社会的にも大いに「問題」がある言動だと言えますこれは何度も言っている事ですが「SDGs」で語られる「多様性」とは「受け入れるもの」ではあっても「理解までする必要は無いもの」でもあるので例えるならガチャポンがコンプリートするまで何回転でもやる とかシニアの大人になってもとんでも無いアニオタ とか好きなアーティストが居たら北は北海道南は九州沖縄まで追っかける とか楽器押しのフリをして平気で「けいおん」のフィギュアを買おうとし最近では「ぼっち・ざ・ろっく」のフィギュア化を狙っているシニアのキモオタ とかこの様な層を「理解する必要は無い」ですが「受け入れる」べきだと言う事と同じでこれに対して「あり得ない」と拒否するのは今の世の中、社会人の姿勢としては「問題あり」と言う事になる訳です実はこれは今回の話とは関係ないどーでも良い話で・・・w逆に音楽鑑賞に「正解」というものがあったとして我々昭和世代が若者に向かって本当に「正解」を問える立場なのか?というお話をしますw▲目次へ▲■速く観たくて倍速で会話が無ければ即飛ばし、鑑賞前にネタバレサイトで予習をし映画ドラマを観る人達この様な「音楽や映画を鑑賞する姿勢」を問題視する意見は映画、音楽ファンが 映画、音楽から受ける印象に付いて「鑑賞時間を含めて映画である」「演奏を含めて音楽である」という一つの「解釈」から導かれる「定理」と信じられた限りなく答に近い「指摘」によるものだと言えます従ってこの「指摘」の性質は、多くは「非難」であり加えて正しい捉え方を指南する「意見」によるものでもありますがその多くは若者文化の一つの現われというこの様な行為を「多様性」として認めない「否定」するものでもあると言えますしかし私はここに「疑問」を感じている訳ではありません以前 映画を違法に編集して十数分の動画にまとめた「ファスト映画」をUPしたユーザー達が逮捕され話題になりましたが映画ドラマの内容を早く知りたい 若者世代の要求がその様な「ファスト映画」を登場させたり動画を倍速で再生して鑑賞するというカルチャーが登場するだけで無く音楽まで倍速で聴くという行為や映画ドラマは結末まで内容を知ってから鑑賞するという行為までこれらの「核」となる「話題に付いていく為の確認」を目的とする若者達が行っているこれらの行為に付いては映画、音楽は鑑賞する「時間」を含めての「総合芸術」であると捉えている多くの映画、音楽ファンの保守的な姿勢に対してこれらの創作物の鑑賞を内容確認する目的だけの為に「時間短縮」して鑑賞する行為は限り有る「時間」を「芸術」という不確定な概念を持ち出して「無駄」にしない「合理的」な捉え方ではありますその一方で、「創作物」の鑑賞を通して感じる「印象」から受ける「認識」の観点から捉えるとこれらの時短行為が認識に於けるある種の妨げになるとして「情緒育成の弊害」となる可能性が浮上する事になります例えば なぜ楽曲にソロパートがあるのか という音楽の「様式」を語る時などに楽器演奏から受ける印象から様々なものを感じ取る中日常の中で感じられる何かの「時」が投影された演奏で表現される言葉の無い「間」があるとしてそれが鑑賞者が色々な事を感じたり想い起こす為に与えられた必要な「時間」だと言えるという様な一つの捉え方を推測すると言ったその様な「思考体験」に繋がる経験をしないまま社会に出てそれらの思考を司る為の情緒が幾重にも抜け落ちた状態で今後日本の社会を支える人材になって行く事を考えた時に何か新しいものを生み出したり大きな困難を乗り切る時に必要な思考を支える「想像力」を欠如する事にも繋がって行く事から「想像力」を生み出す「発想」を司る上でもそれらを司る「情緒」を育てる上でも非常に憂うべき問題としてその様な若者が居るという現実に対して来るべき未来と行末に「不安」を感じるものはありますと評論家ぶって力説をしてみましたが実はそれもどーでも良い事としてw実は先に書いた「ファスト映画」が違法行為として摘発された事で「ソロ飛ばし」や「倍速鑑賞」までが「悪い行い」をしている様なイメージが付いて若者に対して上記の様な懸念を持たせる事となったのが昭和のシニア世代に「あり得ない」と感じさせる大きな理由となったというそんな風潮がある所に「疑問」を感じているというのが本当の所な訳ですなので「ソロ飛ばしはあり得ない」と指摘する側の「我々」が過去、音楽を飛ばして聴き、自分に刺さるワードのみを追いかけてそれ以外は聴かない、「この演奏はいらない」と感じる事を一切経験した事が無くそうして成長して成人となり「音楽ファン」となったと言うのであればそれは「嘘」だと言う事をまず証明して当サイトはこれらの風潮に大きな「水」を差して行きたいと思いますなぜそれを言い切れるのかと言いますと私が生き証人・・・という事では足りないと思いますのでwその様に若者に物申す世代の中心となる私を含めた昭和世代が「TVラジオ世代」である事が「証拠」であるというお話をして行きましょう所でなぜウチが今そんな話をするのかと言いますとアクセスも少ない、記事を更新した所で数人しか観覧しないそんな隠れ家的不人気低アクセスサイトである事を逆手に取り普通だったら炎上する可能性のある問題発言をしたいだけするという「キャンセルカルチャー」が蔓延して「言論の自由」が危ぶまれる現在に一石を投じるという・・・そういう理由ですがもし万が一記事の問題を指摘されたらその時は当然「えっつ?そうですかああああwwwwwいやいやwwwど~もすいませんんんwww」と素直に認めて、もし削除しなければならない事にでもなれば「もうっつもうっつ!!!速攻で削除させていただきますのでっつなにとぞ平に、平にっつ!!!ご容赦くださいいいいwwww」と謝罪でも土下座でも何でもして徹底的に猛反省する所存でおりますWWWWW・・・という文章にいらすとやのイラストを使いたかったというのが本当の理由なのでした~W■さて・・・そもそも「ソロを飛ばす」行為は興味ないものを排除し不要なものを減らそうとする行為に過ぎません「映画ドラマは内容を知ってから観る」「ミステリー作品を犯人が誰かを知ってから本を読む行為」などに付いても作品の中に何か好まざる表現や描写があるかどうか確認し「安心」してから鑑賞したいという当たり前な確認行為 をしているだけに過ぎませんつまりそういう行為は今の若者に限った事では無くいつの時代にも居るそういうヒトというダケの事だと言えますその様に、奇異な行為に見える表面的な所だけを取り上げて若者のカルチャーに警鐘を込めて社会問題の様に語るのはフェアでは無いと思います翻って若者のカルチャーに警鐘を込めて社会問題の様に語るシニア世代の中でも中心となる「昭和世代の音楽ファン」はどの世代よりも長年に渡って音楽の知識を蓄積し音楽の造詣の深い世代だと言えるのであれば過去音楽鑑賞で「ソロ飛ばし」を容認せず音楽鑑賞に於いても「この曲長いな~」とか「なんかソロ飛ばしたい~なあ~」とか微塵も思わないまま音楽的成長を遂げたのかと言いますとそんな訳は無くむしろ、今どきの若者のこの様な「キャンセル行為」を1番理解しなければならない立場にある程過去、日常的に「キャンセル行為」のある中で音楽鑑賞をしそれに対して、何の疑問も感じなかったという中で「普通」に暮らしてすら居たと言えますこれは昭和の音楽ファンが「TV世代」で「アニメ」がまだ「テレビまんが」と呼ばれていた頃からテレビを観てラジオを聴いていた所にその「証拠」があるのでした▲目次へ▲■間が持たない昭和のテレビ・ラジオ「アニメ」がまだ「テレビまんが」と呼ばれ音楽は「J-Pop」という言葉は無く「ニューミュージック」という言葉が使われていた「歌謡曲」全盛だった昭和の時代の「音楽鑑賞」は「アナログレコード」で聴いていたというイメージがありますが実はそうではありません「サブスプリクション」の配信サービスが全盛となった現在では好きなアーティストの楽曲を好きなだけ聴ける様になりましたが「ダウンロード」ですら数年前まで曲単位かアルバム購入をしない限り好きな楽曲を聴けなかった事と同様でレコードアルバムが当時の価格で2500円2曲入りシングルでも500円もの高額のレコードを買わない限りレコードでの鑑賞は出来なかったですし日本では1980年にレンタルレコード店中古レコード店が出来るまでは一般家庭では頻繁にレコード鑑賞が出来る環境にありませんでしたつまりは70年代から80年代に子供時代を送った「第1次アニメ世代」に当る我々シニア世代にとっての「音楽鑑賞」はテレビ視聴とラジオ聴取が「同一線上」にあったと言う事になるのですネット以前、携帯電話も存在しなかった昭和の時代は動画配信も無ければ SNSで情報収集をする事も無い外出先で電話をするには要所要所に設置された公衆電話を利用し外出した誰かを呼び出す方法は呼び出し機能に特化した「ポケベル」が一般的になるのが90年代なのでほとんど無理というその様に情報が一方通行で配信されるTV ラジオ 雑誌などのメディアが全盛で音楽を聴くにもラジオやテレビの放送局のタイムテーブルに割り当てられた歌謡番組の中で流れるお目当ての歌手に割り当てられた時間内での放送が一般人がヒット曲などの楽曲を聴くデフォルトだったと言えますその場合も楽曲の全長版が流れる訳では無く放送の枠内に収まる様ラジオの場合は適当な箇所でフェードアウトされテレビの場合は多くが生演奏で行われる事から放送担当のアレンジャーによって短く編曲されたレコードの「カラオケ」とは異なるミュージシャンが演奏するアナザーヴァージョンとなりその様に楽曲をカットされた短縮されたものが放送されるのが当たり前でその様な地上波放送のテレビ・ラジオの番組を鑑賞し時にはカセットテープレコーダーにリアルタイムで録音してコレクションするのが昭和世代の「音楽鑑賞」だった訳ですそれはつまりそれが当時大ヒットしたゴダイゴの『銀河鉄道999』だろうとテレビ出演での演奏はおろか映画本編ですらミッキー吉野のオルガンソロはカットされ寺尾聰の『ルビーの指環』だろうと間奏のシカケがカットされ角川アニメの大ヒット作でイギリスのプログレッシヴ・ロックバンドの大家でロックキーボーディストのキース・エマーソンが音楽で参加した『幻魔大戦』の主題歌を唄ったローズマリー・バトラーが夜のヒットスタジオに出演した時の『光の天使』だろうと神々しい間奏パートがゴッソリカットされレコードサイズで放送される事はまず無くTVサイズにまとめられた「短縮版」を我々昭和の世代は楽曲のデフォルトとして鑑賞していたと言えますRosemary Butler - Children Of The Lightローズマリー・バトラー - 光の天使音楽:キース・エマーソン 角川アニメ『幻魔大戦』より「THE神曲。」ですがw原曲と聴き比べるとわかると思いますがこの動画の演奏はソロパートをチョットした演奏に差し替えて唄に入って行きますこれは時間の関係でキーボードソロをカットしたと言うよりは「歌番組でキーボードソロなど入れても間が持たない」と捉えた歌番組では「歌手が主役」で演奏は「脇役」という当時のテレビの歌番組の「空気」を感じさせる改変行為だと言えます■これは映画ドラマや放送局の番組放送の時間上の都合から行う編曲行為なのですがその様な放送業界が行う編集に対して当時の音楽業界はイントロ無しの1番のみ掛かってもリスナーの印象に残る様に放送局が編集カットしやすい90秒程度でまとめて当時のヒット曲は作られていたとの事で(確か・・・)それは現在ヒットを狙って制作される楽曲が早めに主題を聴きたいというZ世代の若者のニーズに応えてサビから始まる楽曲が多くなっているという話と本質は同じであり音楽に応えるニーズが「昭和の放送局」から「Z世代の若者」へとシフトしたというだけの楽曲を鑑賞する観点に於いては今も昔も全く変わっていない事が見て取れますつまりはその様な「ソロカット」を当時の音楽関係者と同様に「音楽番組のソロ演奏は観ていても間が持たないから要らない」と普通に感じていたのが昭和世代の音楽鑑賞での「感覚」でありその様に編集ソロカットされた音楽鑑賞を日常的に行いそれは当然の事として容認してきた訳です▲目次へ▲■レコードの演奏を助長と感じていた昭和世代Vinyl record close up■さて、では次にレコード鑑賞に付いてのお話をしますそんな昭和の時代に少年だったブログ主が気に入ったテレビまんがの主題歌の90秒のTVサイズに慣れた調感に飽き足らずフルサイズバージョンの「完全版」を鑑賞したくなりナケナシのお小遣いで貯めたお金でレコードを買った時の事での例をお話してみましょうwテレビまんが主題歌のレコードを購入する時は表のA面に主題歌、裏面のB面にエンディングテーマが収録された30cmLPアナログレコードよりもサイズが小さい17cmシングルEPアナログレコードを購入するのが通常で番組のBGMとなる「劇伴」が収録されたアルバムが発売される事は当時はありませんでした。さて、そんなEPレコードを購入し帰宅しますと家に置いてあるステレオの、なぜスピーカーが2つもあるのかその本来の意味も知らずにターンテーブルのスピンドルに38mm径のシングルアダプターをはめてEP版を設置して45回転のスピードで針を落として当該の楽曲を再生しますするとテレビの時の音よりもクリアな演奏に一時は「おっつ!!w」と驚きますがそれも束の間テレビ放送とは異なる演奏が加えられた前奏が始まりなかなか唄が始まらないなと気を揉む事数秒後やおら始まったいつもの唄声に興奮度が一気に上がりますしかし曲がサビの終わりまで行ってもいつものエンディングが始まりませんこれがレコードバージョンというやつかとチョット考えれば当たり前な事を思いながら音楽は2番に突入しますそれは同じメロディーというだけの今一つ入りきれない何とも微妙な印象の歌詞をいつもの歌唱で歌手は歌い上げて曲は全く想像もしていなかった「未知の領域」に入って行くのでしたそれは全くの想定外な預かり知らない演奏で始まった「間奏」でのソロパートで当時はロックが嫌いでビートルズすら聴かなかった学童の耳には余りにも「不良」を思わせるエレキギターの歪んだ音のアドリブが部屋中に鳴り響く事が不本意極まりなくご近所に誤解されまいかと思わずボリュームを下げるまさかのハプニングに遭遇し「これがロックかぁ・・・」と自分が購入したものが意に沿わないサウンドを自宅のスピーカーから発生させる事態に困惑しながらかつては友達として一緒に遊んだ仲で今はキャロルのファンとなり矢沢永吉のポスターを部屋の壁に貼るクラスメートの顔を思い出し彼はもう自分とは相容れない遠い場所へ行ってしまったのだとそんなほろ苦い想いをラウドなギターソロ音に重ねながら噛みしめる事数十秒苦行の様な時間をようやくやり過ごしそうして始まった3番のやはり受け入れられない歌詞の唄もようやく聴き慣れたエンディングに入ったと思いきやそのエンディングもテレビとは異なる演奏が加わった聴き慣れない箇所と聴き慣れた箇所が混在した楽器の演奏が2つのスピーカーを鳴り響きかせてそんな混沌のまま曲が終わって行くというこの様な鑑賞感に「正直1番とエンディング以外の演奏は要らない」と感じたのは私だけでは無いと確信しながら自分は決して一人ではないというネット以前の時代にはまだ無い何らかの「共有」の意識を感じつつそれが馬鹿な学童だった私がレコードで完全版を聴いた素朴な感想だったという訳でしたテレビまんがの主題歌の多くは主題が只でさえ短いものを1番2番と繰り返して60秒か長くて90秒位のサイズにして流しているのでレコードにして商品にする時はテレビ放送には無い3番、4番、5番、6番を加えて3分程度の長さに調整したものに更に間奏を加えて付加価値を与えたものを商品化するので聴いた感じでは、同じ主題が何度も重複されたものに輪をかける様にソロパートを加えている様な印象があるので正直、聴いていて飽きるものがあった事は否めませんこれは歌謡曲の場合も同じで多くのレコードバージョンはイントロがTV放送バージョンには無いパートが加わり放送とは違った印象に感じるものがほとんどでそれが良い方向に向く事が、知る限り少なくテレビ放送で流れるものに比べて往々にして「助長」に感じるものばかりだった様な印象がありましたこれはつまり昭和世代の音楽ファンはTVやラジオの音楽番組の放送で「放送では間が持たないから必要ない」という理由でソロや間奏パートを編集カットした音楽を「そういうもの」だと普通に受け入れて「自分も普通に要らないと思う」と同調し購入したレコードからは「要らないパート」の存在を常に感じながら音楽を鑑賞していたと言えますそれが奇しくも音楽番組のテレビマンがカットした箇所が潜在的に必要ないパートを摘出している事に繋がっているという言わば業界人がレコード毎に鑑賞の「正解」を示している様な環境で音楽鑑賞をしている事がある意味昭和の音楽事情でありその様な音楽的環境で音楽を聴き続けてきたリスナーは「キャンセル行為」を誘発させる為の「衝動」を公的に経験してきた世代だと言うひとつの「背景」が見えてくる話だと言えます(※あくまで個人の偏狭な意見の妄想です)つまり 現在Z世代が行っている「ソロ飛ばし」「イントロ飛ばし」とは「ソロパートは間が持たない」と感じてかつて昭和の放送局がやって来た「番組放送サイズ用編集行為」と本質は同じでかつては業界がやって来た事を現在は個人レベルに落とし込んでやっているだけという「流れ」も見えてきますこれに対して 「いや違う、殊更鑑賞者が望んでいる訳でもない状況で放送局の都合に付き合わされてきた中で刷り込まれた風潮的感覚に過ぎない」又は「百歩譲って当時の歌謡音楽の編曲が洋楽に比べて退屈なものがあったとしても80年代以降のバンドブームで各楽器のメンバーにスポットが浴びる様になってからそれらが徐々に解消されて譜面上では無く間奏やソロが有機的に楽曲の中に組み込まれるヘッドアレンジが主流のスタジオワーク全盛となるプロデュースに関心を持つ流れを生みその様な感覚は既に過去の価値観に過ぎないものとなっている」と反論するかもしれませんしかし結果、コンパクトな形で、短時間に、楽曲の概要を知る事が出来るこれらの「TVサイズバージョン」「ラジオエディットバージョン」は「TIK TOK」はおろか「ネット」も「携帯電話」すら存在しない当時に音楽ユーザーが流行を知る為にメディアが時短で提示する形で情報を取得する便利な手段として受け入れて来た歴史がありましたその考えが変わってきたのはCD登場以降の音楽市場の拡大によって音楽に対する意識が変化し80年代以降の経済の大躍進が日米貿易摩擦を引き起こし国内のみで経済を回す内需拡大路線へと切り替えた事が功を奏して日本人の誰もがこれまでに無い「裕福」になって行った事が一部音楽マニアのみがこだわってきた高音質の音楽鑑賞を一般レベルにまで落とし込む事へと繋がった事でもたらされたと言えますそれによって一般のリスナーから音楽に要求されるクオリティーが上がり高音質で音楽構成の優れた楽曲が好まれる様になった事でそれまで一般リスナーが気に留めていなかった音楽プロデューサーの存在が注目される様になりそれまで「歌手」と呼ばれてきたシンガーソングライターが「アーティスト」と呼ばれる様になり音楽鑑賞に関しても「アーティスト」に対してのある種の「特別感」が生まれてそれによって「音楽の在り方」「鑑賞の仕方」がリスナーの間でも問われる様になって来た事によって昭和世代の音楽鑑賞の在り方が大きく様変わりをして行ったと言えますその様な風潮の中でアーティストが生み出した楽曲は始めから最後まで全部通して聴く事が当たり前となり途中を飛ばしたり他者が手を加える事は「失礼」という感覚が根付いて「リスペクト」という概念が社会的に認識される様になって行くまでの「昭和歌謡時代」からのこれらの積み重ねが昭和世代のリスナーが「ソロ飛ばし」行為に過敏に反応する様になる背景があったと捉える事が出来ます同時にこの「リスペクト」とは「敬意」を表す言葉ではあってもこれまで日本人の心情としての「核」にあった「人情」がアップデートされ「昭和」の概念が切り離された所に生まれた「クレバー」さの現れでもありました▲目次へ▲■『おふくろさん騒動』に見る顕著な温度差それが良く分かる例としては森進一の大ヒット曲「おふくろさん」での作詞家 川内康範が訴えた著作権侵害問題で2006年の紅白歌合戦でのパフォーマンスでイントロ部分に原曲には無い「語り」を加えて歌唱した事に対しての作詞家に無許可で行った事として森進一が今後川内作品を唄う事が出来なくなるまでに発展した一連の騒動に対しての世間の反応です注目すべきは演歌番組ではおなじみの司会者がイントロ部分で短い言葉を語る通称「イントロ」行為がポピュラーなものになっている現在で本来楽曲の著作権の財産権的な部分のみの信託を受けているに過ぎない音楽著作権管理団体JASRACが川内康範の要請を受けて異例の改変版歌唱禁止令を出す様なこれが作詞家の同一性保持権[著作権法20条1項]を侵害する程の行為と言えるものだったのかどうかという「著作権侵害」の是非では無くこの騒動に対して川内を支持した音楽関係者の反応に対して騒動の内幕の全てを知った後も「何が悪いの?」と騒動そのものを疑問視した一般リスナーとの温度差にありますこれは音楽関係者の中でも作詞作曲に関わる立場の人間が「音楽に手を加えられるのは生み出した人物のみの権利」という考えを持ち作品が無許可で他者の手が加えられるべきでは無いとして川内康範の個人的心情が反映された歌詞が他人に上書きされる「不快感」を当然の事として理解出来る事に対して一般リスナーの考えは全く異なり音楽を生み出し世に放つ「親」となる人物が居たとしてもその音楽が世の中に浸透するのは音楽を聴いて「育てる」リスナー一人ひとりであり大ヒットは育てられた音楽が社会に「寄与」された結果であると捉えてリスナーが好きになった音楽は「自分のもの」として生活の中の一部となって「消化」すらされるものであると考えている事から折しもネット社会が浸透しつつあった当時「共有」の意識が高まる中でこれが川内康範の作家としての「エゴ」だと言う事は納得できてもそれを具体的に歌い手に科す事は著しい時代錯誤として「違和感」を感じた所に業界と一般ユーザーとの間の顕著な温度差が生まれた理由があったと言えますこの捉え方の「差」とは「音楽」に抱く「意識の差」でもありますが「音楽」を中心とした観点から捉えると川内を支持する音楽業界には「音楽は生み出したアーティストのもの」という原理が「核」にある事からこの捉え方は「著作権」に纏わる音楽を生み出す側から眺めた「人間中心」な考え方であり一見 ビジネスとしてのシステム的見地から捉えた考え方の様に見えても実は仕事を通してしか社会を見た事がない業界にありがちな社会的にも「本質」が見えない弊害からの「音楽離れ」が出来ない現れで非常に「人間的に偏った昭和的捉え方」だと言えるものがあります対してそれまで一般人にとって「音楽」が才能を持った一部の者だけが扱える「特殊」なものでどの様に生み出されるのか計り知れないものだった所からそれらに関わる演奏者や作曲作詞家に対して日常とは相容れない「遠い存在」として敬い「先生」と呼んでいた昭和の時代とは異なり音楽を聴く環境が整い、音楽への関心が高まりネット社会によって情報の共有が日常化し昭和の時代には知る由もなかった情報が気軽に手に入る様になり人気ミュージシャンがヒット曲をどの様に作って行くのか情報として知識が得られる様になるに連れて一般人にもミュージシャンの仕事が具体的に計れる様になり「音楽」がどの様な能力と技術が必要でどれ位真似が出来ない程のものなのか理解出来る様になりそこから「リスペクト」する気持ちが生まれたという経緯があるので音楽制作は企業が製品を作って販売する図式と何ら変わらない「ヒット作」を生むための「仕事」に過ぎないという「道理」で理解する様になった感覚の差でもあると言えますし川内の死後、遺族によって森進一が再び川内作品を唄う事が解禁となった時に「歌はもうファンのもの 作詞家が歌うなとは言えない」という遺族側からの発言が全てを表していると言えます只、音楽が発表された時点で作者の手を離れパフォーマーの手すら離れて音楽ユーザーのものになって行く事は川内康範程の人物であれば、自身が一番理解していたはずでありその上で21世紀に入り世の中が様変わりして行く中で消え去りつつある「昭和の価値観」に基づく川内康範の「個人的心情」そのものが『おふくろさん』という唄である事が他ならぬ森進一に理解されていなかった事の失望から「時代錯誤」と世間に謗られる事を覚悟の上で自分が現役で居られる間に世の流れに抵抗し「時間制限」付きで世の中に「物言い」をしてみせたという事だったのかもしれませんそれを踏まえた上でもう一度「若者のソロ飛ばし問題」を捉えますと我々昭和世代のリスナーが「あり得ない」という捉え方をするのは音楽をどう聴くべきかという様な「音楽的志向」にあるとするならばそれは一部のごくマニアが「変人」と謗られながら真髄として抱えていた「こだわり」に過ぎなかった昭和の時代に子供時代に TVラジオが行うキャンセル行為を普通に当たり前な事として鑑賞してきた風潮の中で80年代の日本経済の躍進が高級志向へと向かわせ音楽も良い音質で聴く機運が高まって「フュージョンブーム」や「Hi-Fi志向」を経て演奏のみの音楽が一般リスナーにも浸透して音楽の聴き方に付いて語られる様になってから時代の変化と要求と共にようやく芽生え始めた「感覚」だと言えますそんな「音楽ファンが納得」という根拠に基づいた音楽鑑賞の「理想の聴き方」という手引に過ぎない様な「音楽的志向」をまるで社会の常識かのように適用して若者の21世紀スタイルを『あり得ない』と捉えて「認めない」のは音楽的様式に則ったリスニング的にとかアーティストへのリスペクト的にとかそれらの理由は恐らく「後付」であってそんな昭和世代のリスナーが子供時代から今に至る様々な音楽的な捉え方の変移を振り返ってどの時期もどれも懐かしく感じる中で自分がこれまで色んな想いで聴いてきたそんな思い出深き音楽の数々が今若い世代がおざなりにして荒らしている失望からクチにしたおふくろさん騒動での川内康範の「個人的心情」と同じものを感じる訳です▲目次へ▲■山下達郎はタダじゃない2月18日のニッポン放送のオールナイトニッポン55周年記念番組『山下達郎と上柳昌彦のオールナイトニッポン』の放送内で山下達郎がサブスクやらない宣言に付いての言及があり世間で取り沙汰されている様な「否定」をしているわけでは無くて現在のサブスクの契約ではアーティストが割に合わないから自分はやらないというスタンスを取っていると語っていましたがこの発言に付いて上柳昌彦が(サブスクによって)音楽はタダで聴けるものと思われている本当は物凄い労力で造られているのにと返しそういう考えが前世紀の遺物と思われていると山下達郎が答えて話を閉めるという一幕がありましたその後、誰が買うんだと謗られながらリリースした自身のアナログBOXが今や何万円もの値段で取引されている事に触れレコードが消えるどころか世界的にも売れている状況が理解できないという話へと移って行き山下達郎の音楽はやはりタダでは無かった事を納得する訳ですが・・・この会話から分かる事はサブスクのシステムがアーティストに対して現時点では不合理である事そしてサブスクによって若者に音楽がタダ同然で聴けるものに思われている事この2点です一見、ネット社会となった21世紀ならではの潮流かの様に思われるこの事象ですがかつて昭和の時代はそもそも音楽家がレコードを出してそれだけで食べていける環境には無く昼はレコーディングの仕事をこなして夜はクラブでアルバイトの様な演奏をして稼ぐ割に合わない不合理な状況で活動を強いられる中でミュージシャンは仕事をこなしていましたそして一般リスナーはそんな音楽をテレビ、ラジオでタダで聴けるものと思っていたという昭和と令和では音楽を取り巻く側の「状況」は変化しても音楽を消費する側の「実情」は何ら変わっていない事が分かります加えて21世紀に入り音楽を聴く仕様がCDから音楽ファイルへと形を変えダウンロードからサブスクサービスへと変化して来た流れの中で音楽を「データ」として捉える様になってから芽生えたのが「音楽はタダ」という感覚であるのならばアナログレコードの人気とは溝を針で引っ掻いて音を出すアナログレコードの物理的にそこにある圧倒的存在感に対してのサブスクでは感じられなかった音楽を「所有」したいと感じる「モノ」として捉える認識から芽生えた価値観だと言えます只、ここで問題にしているのは音楽的環境の推移と状況の変移ではなく「ソロ飛ばし行為」が「あり得ない」はあり得ない事を立証する事だったので昭和と令和でやっている事が本質的に同じ事だと言うのであればこの「ソロ飛ばし行為」とはあくまで「興味」の問題から「聴かない」というだけの「好み」から来る「判断」に過ぎない行為から来るもはや「性癖」の様なものだと捉えて「ソロ飛ばし行為」を若者特有の行為と捉えて「あり得ない」とするのはやはりあり得ない事が立証できる事が分かりますつまり一番はじめに語った通りその様な「性癖」は別に理解する必要は無くても多様性に於いては認めるべきであり「ソロ飛ばしはあり得ない」という捉え方は多様性を認める観点からもあり得ない事が分かります只それは逆に「多様性」に則るという事は同時に個人的心情に於いて「ソロ飛ばしはあり得ない」で構わないとも言える事になる訳ですつまりは やはりソロを飛ばそうと何だろうと一番はじめに書いた通り「どうでもよい事である」というのが正解だと言う訳ですw更に言いますと「多様性を認める事」とは結局「答を求める事を正解としない概念」である事がこれらの事から見えて来るのが分かりますついでに言いますと「持続可能な開発目標」をスローガンに誰も取り残さない社会づくりが世界的な取り組みとなっている現在その前身となる「MDGs」なるミレニアム開発目標が達成できなくて2015年に採択された「SDGs」が果たして達成できるのかという事を誰もが心の中で思ってクチにしない達成を目指す事が目的のこのスローガンには当初から「多様性」というワードを強調している所がありましたが上記の様な理由で我々を哲学的迷宮に陥らせなし崩し的に達成を次の機会へと引き伸ばす様に出来ているのが本質なのかも知れないと思った というか妄想したwそんなお話でした☆と言う訳で良い一日を☆■松本零士1938 - 2023■2月のMarillion■Marillion (画像参照: wikimedia)Marillion - This Is the 21st Century (2001)マリリオン -ジス・イズ・ザ・21st・センチュリー収録アルバム『ANORAKNOPHOBIA』■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■【CD】ANORAKNOPHOBIA [ MARILLION ]価格:2310円(税込、送料無料) (2023/2/1時点)【電子書籍】[ 稲田豊史 ] 映画を早送りで観る人たち〜ファスト映画 ネタバレ/コンテンツ消費の現在形〜価格:990円 (2023/2/1時点)【在庫あり】スター・ウォーズ ビークルモデルレイザー・クレスト(シルバーコーティングVer.)プラモデル マンダロリアン シャトル価格:5000円(税込、送料無料) (2023/2/1時点)ウルトラディテールフィギュア No.614 UDF GROGU(TM) with Ball[メディコム・トイ]《発売済・在庫品》価格:1254円(税込、送料別) (2023/2/1時点)S.H.フィギュアーツ ルーク・スカイウォーカー約140mm PVC&AB (STAR WARS:The Mandalorian)価格:14845円(税込、送料無料) 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2023年02月22日
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