Whisky Whisky

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2005/07/12
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カテゴリ: 格闘技!
7月11日、プロレスに命を懸けた男が一人、天国に旅立ちました。

彼との出会いはいつの頃だったか思い出せません。
当時は「闘魂三銃士」全盛であり、「レイジングスタッフ」や「誠心会館」もメインに登場していた時期でしょうか。

私が初めてプロレスと出会ったのは、初代タイガーマスクと小林邦昭のいた頃。金曜夜の時間帯から移動してから暫く観なくなり、中学・高校になってまた観始めたように思います。すると「闘魂三銃士」なる新たなるスターが既に居り、夫々がパワー・テクニック・スピードという個性的なパフォーマンスをもっていました。当時はルックス・スピード・技の華麗さ から武藤敬司がNo.1の人気を誇り、豪快なパワーと蹴りで倒しまくる橋本真也が人気No.2、その陰に隠れて渋いテクニックの蝶野正洋、という人気度だったと思います。

しかし実力では差は歴然としていました。圧倒的な破壊力を武器に、橋本は対峙する選手をバッタバッタと蹴り倒していきました。私がテレビを観ていた記憶では、彼がIWGPのベルトを腰にしていた時期が最も多かった気がします。「闘魂三銃士」の中で 実力が身体一つ抜きん出た橋本は、トニー・ホームとの異種格闘技戦を行う等、猪木イズムの継承者とさえ言われていました。新日本プロレスでは「武藤派」だった私にとって、橋本の強さは腹立たしいくらいでした。その当時 私が知りうるレスラーの中で、彼を倒せるレスラーは皆無でした。 敢えて言えば ホーガン を呼ぶしかない、・・・でも呼んでも 橋本勝っちゃうんじゃないか* とさえ思っていました。当時 彼はまさに新日本プロレスのエースであり、日本プロレス界最強の男でもありました。

その後、蝶野がG1を連覇し、n.W.o ~ TEAM 2000 とイメチェンに成功していく中で 橋本は小川との戦いに敗れ、ZERO-ONEという団体を設立します。しかし興行成績は残念ながら思わしくありませんでした。ジャイアント馬場の逝去に端を発した 全日本・新日本という両巨頭からの選手の大量離脱 並びに 新団体の乱立、K-1や総合格闘技の台頭という環境の変化は 私にも予想出来ませんでした。DSE(PRIDEの興行主)の主催するプロレス「ハッスル」シリーズにも参加し、外野からは「エンターテイメントだ」「ショープロレスだ」と何だかんだ言われようとも、彼は一人の「プロレスラー」として精力的な活動を続けていました。

私が彼の勇姿を最後に観たのは vs 川田利明 戦でした。川田のヒザを壊し、渕のタオル投入による橋本のTKO勝ち。 だが試合後の様子は 橋本の方が疲労度大。 因みにその試合でも、「全日派」であった私は川田を応援していました。

「ハッスルポーズ」然り、「3、2、1、ZERO-ONE」然り、小川への「顔面蹴り失神事件」然り、あなたのプロレスに対する腹立たしいくらいに激しい情熱 と あなたのその滑稽なくらいまでの不器用さ、そして 今まで気づかなかった、 あなたの 包まれたら溶けてしまいそうなくらいの 優しい微笑み 。


私の中の新日本プロレスでは、間違いなく あなたが最強でした。







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Last updated  2005/07/12 10:38:16 PM
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乗らない騎手@ ちょっとは木馬隠せw あのー、三 角 木 馬が家にあるってどん…
中野@ すげぇぇぇぇぇぇ!! ちょ!!なんか適当にやってたらマネーも…
KENT@ モートラック よく「肉っぽい」と言われているようです…

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