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May 2, 2013
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 悟りについて語る前にはっきりさせておく必要があることがある。

 それは「何をもって悟りというか」ということである。

 言葉で悟りを語るためには、
語るものと聞くものの間で、
悟りの概念を一致させておく必要がある。

悟りの概念定義が必要となるのだ。

悟りを
あるものは、無我になることだと捉え、
あるものは、千里眼などの超能力を得ることだと捉え、

あるものは、全ての苦しみから離れることだと捉え、
あるものは、すべてと一体だと感じることだと捉え、
あるものは、無になることだと捉える。

 そのように悟りをまったく違うものに捉えていたとしたら、
とんちんかんなことになってしまうだろう。

 だが、前にも言ったように
その定義の違いが同じひとつの悟りを違う視点から語っているだけであれば、
それは結局は同じものであり、とんちかんにはならない。
一見違ったように見えても、論理的に矛盾なく説明することが可能となる。

 また、この概念定義は、悟りを開く前の人に伝えるのだから、
まだ悟っていない人がその違いを理解できることが必要だ。


悟りとは、無我になることだ、とか
悟りとは、真理を会得した状態、というのは、
無我が何かとか、真理が何かが分からないのであるから、
この場合の概念定義として適さないといえる。


 さて、悟りの概念定義をする前に、釈尊の悟りについて考えてみよう。


生老病死にあっても苦しまなくなるためであった。

 苦はサンスクリット語では、ドゥフカ、パーリ語ではドゥッカといい、
語源を調べると『思い通りにならないこと』という意味があるそうだ。

 今では、アンチエイジングの努力をしある程度の効果をあげてはいるが、
それでも老いから逃れることはできないし、いつか必ず死ぬものだ。

 つまり、老いも死も思い通りにならないのだ。
だから苦しみなのだ。

 そしてこの世は、思い通りにならないことだらけだ。
そんな苦しみだらけの世に生まれてくることも苦に思えるだろう。

「健康でいる努力をすることで病気を避けることができるはずだ、
病気は思い通りにならないことではない」
という者もいるかもしれない。

 釈尊が目指したのは、そのように苦しみを避けることではない。

 仮に病気になっても、苦しみを感じない境地を求めたのだ。


 さて、ここで悟りの概念定義をしよう。

悟りとは、
「苦しみを超えること」である。
けっして苦しみから離れるのではない。
苦しみの次元を超えること、
此岸(しがん)から彼岸(ひがん)へ渡ることなのだ。


                        さんた ひかる






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最終更新日  May 2, 2013 10:23:41 PM
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