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買い込んで来ました。近くの百貨店に行くと、お豆腐に「あわゆき」の名。あ、弟がバイトしてたお豆腐やさん。話せば、店員さんは、そこのお嬢様。「弟がお世話になりまして」「お母様にはいつもたくさんご注文いただくんですよ・・・」お中元お歳暮にお豆腐を送ることにしています。「揚げ出し豆腐ですが、もって帰ってください」と袋に入れて持たせていただきました。サラダが食べたい!サラダボールに丸々入っていたのに、あっという間。生春巻きなんだから、ゆっくり味わって。なんていってられない勢い。頂いた揚げ出し豆腐も美味しく頂きました。お弁当に、ヨーグルト。すべて、半額もしくは割引シール付き。先日、ご飯だけの生活が続いたせいなんでしょうか?お昼も、夜もしっかり以上に食べてます。美味しい。食欲の秋満喫です。\\☆~\\☆~\\☆~\\☆~\\☆~\\☆~\\☆~\\☆そして、今日この日、愛した人の大切な日です。たくさんの人がアナタの良き日を祝ってくださってることでしょう。HAPPY BIRTHDAY FROM ロシアン・カフェ
2003.10.31
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ただの昼出勤です。朝は薬で気持ちよく眠っていたので、昼からの出勤にしてもらいました。昼のお日様は暖かくて気持ちよかった。こんな日にお布団干したいなあーなんて思って。暖かい日差しはこれから会社に向かう私に元気をくれました。
2003.10.30
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何とか出社。細々と仕事をこなしました。「どこが悪いの?」「風邪?」の質問攻め。あなた達と一緒にいる空間が嫌なの。テレビの話題に飽きたのよ。職員の見えないところで、「ひよこ」と大の大人に向かってあだ名をつけて平然と喋っている、それを聞くのがいたたまれないのよ。仕事との後は病院。先生には会社にいけないことがわかってもらえています。「着替えが出来ないんです。」思わず先生も噴出してしまいました。「あーそう、そんなに会社に行くのが嫌なんだ。」笑ってもらって、なんか落ち着いちゃって。一刻も早く転職しなきゃね、と話しは落ち着きました。点滴してこんなに楽になった~と思ったのも久々。神経も疲れていたんだねー帰りにはウインドーショッピング。気分はルンルン☆新しくミナミの繁華街にDISNEYのお店が登場。SUBWAYでサンドウィッチを食べて。これね、帰りにはゼッタイ寄って食べようと思って今日は一日過していたのでした。食べ物で釣る・・・単純。長い間硬い表情だった私の顔がふっと笑った。
2003.10.29
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着替えが出来ない。いろいろ出してみたけど、出しただけ。着替えに40分で終わらない。仕事は今日は出来ないな。と判断。昼からでも行こうと思ったけど、気分は良くならず。疲れちゃったかな~、久々のお仕事で。根性なしー☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆今(21時)夜景を見てきました。マンションの最上階のベランダから。すごくきれいで。きらきら輝いて見えて。幹線道路の黄色い光に、テールランプの赤い筋。少し生ぬるい風が吹いてました。
2003.10.28
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もう会社には行けないかと思ってました。こんなにも休んじゃって・・・。今朝はいつもよりも早く目が覚めて、お布団でぐずぐずしながらも、電車に飛び乗りました。定期は買い損ねましたがね。こんなこともあろうかと、昨晩から鞄等用意墨だったのです。歩道橋の上から芝生がいつの間にかススキ野原になっていたのを発見して嬉しかったです。ちょっと寒いでも、気持ちい朝でした。歩調もガンガンってわけにはいかないけど、悪くない感じで。こんな日には公園でランチしたら気持ちよかっただろうなあ。この4日ご飯だけの生活だったから、野菜を取らねばと、お昼はシーフードサラダ麺。普段ならこれにおにぎり食べちゃうけど、流石、病み上がり。いくら私だってサラダ麺だけでおなか一杯でした。会社で気付いたこと二つ。私の上司は電話の重要性をよくわかっていないことが判明。電話なんかに時間をとられたくない。まともに仰ってました。電話の怖さをご存知じゃないんでしょうね。一方で、一番若手の女子社員が電話のトークがよくなっている。まだまだと思うところもあるけど、言葉のキャッチボールが出来ている様子。敬語もずいぶんよくなっていたし、ゆっくり話そうと努力してました。はなまる◎私にとっても嬉しい。彼女が出来てきたこと、自分がそれに神経を使わなくてもよくなること。彼女、まだまだ伸びるよ。電話のプロは電話から遠く、自分の仕事を片付けておりました。
2003.10.27
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片付けていたらでてきてしまった、卒業写真。修士課程修了のときのみんなで写した数枚の写真。一年卒業を遅らしたので、後輩も一緒だ。悔し涙が零れ落ちる。そして、これまた、お蔵していた修了式グッズが出てきた。修了証書、研究紀要、修了祝いの数珠。修了式の当日から何一つ変わってない。一度も開いてこなかったのだ。「やあ、久しぶり!」とは声をかけられなかった。私にとってはかけがないもののはず。仕事しながら、病気を抱えながら、学業をつんだ努力の結晶なのだから。3年掛けて頂いた修了証書。まだ気持ちの整理が付かない。しばらくは、箱の中で眠っていて。卒業写真と一緒に。
2003.10.26
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GINに借りたCDを今日は流してみる。イスラエルのベスト盤だとか。CDのジャケットもヘブライ語。曲名もわからない。タイ・POPより柔らかい感じの音楽が流れている。わからない言葉をわかった振りして歌ってみたりする。楽しい☆日本語にない発音。Khって発音がバンバン出てくる。喉の奥で息だけ出す無声音。文字に表すって難しい。何でこの発音がわかるかというと、ロシア語にもおんなじようなのがあるんだよね~。一度は苦労する発音の一つ。言葉がわからないから、聞き流しには最高にいいアイテム!この曲はきっとこんな感じの事歌ってるはずなんて思いながらね。BON JOVIみたいにあんなハードロックで、切ない歌詞だったら大笑い!
2003.10.25
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1999年2月14日関空発台北行きTUYOSHIの留学が始まる1999年2月21日関空発成田経由モスクワ行きロシアンの留学が始まるこのとき二人の交わした誓約書にはお互いのサインがしてある。互いが交わした誓約書・・・留学中の自分への戒めであり、見知らぬ世界で生きるためのお守りであった。【TUYOSHI】彼とは大学1年からの親友である。一匹狼。同じサークルにも属していた。図書館では必ず彼に出会った。彼も、図書館で時間を過すことが多かった。英語の授業はexcellentクラスで厳しい授業を乗り越えた。そして、同じ時期に就職活動をし、励ましあってきた仲だ。お互いの長所も短所も知り合う仲。ロシアンが寂しがり屋だという事も十分知っている人間の一人。今日、「元気か?」という電話をもらった。お母さんが風邪を引いたから、「ロシアンは大丈夫だろうか?」という心配の電話である。案の定、私は今日も会社を休んでいる。TUYOSHIは言う「留学の時の宣誓書を思い出せよ。健康第一とお互い書いただろう。」そういえば、年始の心得にも書いた。留学中は台湾とロシアの間を手紙が往復し、お互いの安否を確かめ合ったものである。留学生活の楽しさも、異文化との遭遇の面白さも、時には愚痴も手紙が伝えてくれた。電話が自由になった日本での生活。相手との距離が近くなっても、互いの心配は忘れない。手紙がつないだその友情、これからも大事にしたい。来春、お母様が作っていらっしゃる無農薬野菜を送ってくれると言ってくれた。しっかり栄養を付けなさいということ。心配ばかりは掛けられない。しっかりしないと。*追伸*ご心配頂いている皆様、お気遣いありがとうございます。一度こじらした風邪はすんなり退散してくれず、往生しておりますが、何とかなっています。今日もゆっくり休んでいました。来週は元気に闊歩したいと思ってます。
2003.10.24
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風邪をとうとうこじらしました。昨日からやばいなあと感じてました。会社の空気が悪いんです。酸素不足で、くらくらしそうなほどでした。ビタミンとっても、スカーフ巻いても、喉が痛い。熱出てないし大丈夫だろ。と思いつつも、GINの店を早く出て、お風呂も早く入って、お部屋に閉じこもり。でも今朝は・・・動かない。身体起こしたつもりが、布団に突っ伏したまま。根性!と思っても、それは夢の世界。現に戻って、もう一度根性!って思って起きようとすると、発作。行くなってことね。と理解しました。会社に連絡したのもはっきり覚えていません。でもちゃんと発信履歴があるので、ちゃんとしたんでしょう。起きても起きても、違う世界。実家の昔の私の部屋にいた。実家のお母さんの部屋に寝ていた。ロシアの寮。携帯もって、愛した人の番号を押そうとしてもがいている。携帯がうまく動かない。本当に目を覚ました時、私はいつもの小さな部屋に寝ていて、携帯を握り締めていました。
2003.10.23
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もともと朝起きの悪い私。目覚ましは一つでは足りない。母譲りの低血圧で、目が覚めても、布団の中で優に30分はかかってしまう。だから私の部屋にはレースカーテンしかかかっていない。朝日で起きようという魂胆なのだ。夏の日差しはきつく、否応無く早起きの私。でも、最近はめっきり日差しも弱くなって、寒い空気の中を起き出すのは至難の業だ。これから冬になっていくというのに・・・。RIKAさんからのモーニングコールがいよいよ必須アイテムになってる。モスクワでの留学を思い出す。冬は日の出が遅くて、10時半からの授業だというのに、まるで朝焼けの中で授業をしているかのようだった。帰りは3時にして真っ暗。お店は閉まっちゃうし。買い物は専ら土日の買出し日にどっさりしてきたように思う。ロシアの人たちは冬の夜長を楽しむ。文化をこんなにも繁栄させてきた所以だろう。明日も、飛び起きて坂道を走り抜けるのだろうか?
2003.10.22
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夢を見失って早10ヶ月。研究職だけを見続けて10年の日々を過してきた。自分の道はここにしかないと思い生きてきた。私のロシア文化研究・・・オリジナリティーのある面白い研究分野である。だから余計に知識を問われ、過酷な研究生活を求められる。仕事の合間に出来る業ではなかった。修士3年目の11月、人生の計画を練ってみた。ドクター(博士後期課程)行くだけの経済的余裕はあるだろうか?このまま厳しい環境下で身体・神経は維持できるだろうか?貰えるかどうか保証の無い奨学金。仕事をしながらの研究は有得ないと修士の時にひしひしと感じていた。チャレンジだけはしてみたいと資料請求だけはした。でも出さなかった。進学延期を決意せざるを得なかった。卒業して、社会に出て、日を追うごとに夢は色あせた。過去の功績だけが輝いて見えた。この半年は真っ暗の中で生きてきたように思う。最近、この楽天でいろんなものに目指す方に出会い、プロとして生きていく方の生き様を垣間見て、「この大きな壁を乗り越えてみようじゃないか」という気持ちになった。また再び夢追い人の道を歩む。ここで、親しい夢追い人を紹介大親友MAMIちゃんは3月にお母さんになるけれども、出産が終わったらまた役者の道を行くんだと話している。RIKAさんはスペイン語、英語を話すカウンセラーになりたいと今日電話で夢を語ってくれた。GINはイスラエルに帰ったら医者の道を志す。お父さんのように心臓病を患う人々を癒したい。寒空のした、彼女の目は真剣だった。みんな夢追い人だ。
2003.10.21
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終わりました~書き手が皆さん、作家志望だったりして気後れしてしまいました。読んでいる時は高みの見物・・・そんな気持ちでした。いざ自分の番が回ってきたら、手に汗、夜は眠れない。会社の休憩時間も今までの原稿を読み込むのに時間を費やしました。モスバーガーで、ペンが走る走る。頑張ったんだよね~。取りを努めさせていただいて本当に恐縮です。でも、楽しかったや~。
2003.10.20
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我が家には風呂が無い!もともと学生寮だったので、4畳の部屋と洗面台しかないのである。台所、トイレ、風呂は共同で利用する。台所と、トイレは各階南北に1つずつ。風呂は大浴場でみんなで利用する。この女子寮の大浴場が面白い。もともと、16歳以上35歳未満のこの女子寮。学生限定である。にもかかわらず、聞こえてくる話は仕事の話。去年あたりから閉鎖に伴って、社会人の入居というより、居座りも黙認状態だが、私が入居した4年前も変わらない話題だったように記憶する。みんな、学生ながらに働いてきた苦学生ばかりだった。外国人留学生も多く、時にはトラブルも生じた。風呂場で歯磨きをするか否かが玄関脇の掲示板(黒板)で論争されるのだ。言葉が通じないと決め込んで、文句をいうやつもいたなあ。シャワーの席取り禁止運動もよく目にした。今は人もグーンと減って大浴場も、賑わいを隠している。それでも、顔見知りが出来ていて、「こんばんわ」「お休み」が交わされる。たまには世間話なんかもあるわけだ。23時の大浴場の閉館間際はみんなが押し寄せてくる。そして管理人のおばちゃんが来ると、電気を消される。「出なさい」という合図。最後の人は水を止めるのがお約束。いかにも大浴場って話。富士山こそ無いけど、人のつながりって物がこの大浴場にはあった。もうすぐこの女子寮は閉鎖される。2004年3月に。あるものは隣のマンションに。あるものは他の地へ。私は隣のマンションに移り、キッチンも、トイレも、お風呂も付いているワンルームに引っ越す。確かに快適になる。でも寂しくなるな~。こんな一言最近大浴場で良く耳にする言葉である。
2003.10.19
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ガタガタの自分。約束のLiveにも顔出さず。もう駄目だと思う瞬間の連続。薬まで数センチ彼の心まで数万キロ数えれば出てくる薬の束。悪夢再び。もうしないと決めたのに。もうしないと決めたから、眠れるだけの薬を手に取る。ちゃんと目が覚めるだけの薬を飲もう。***************************少し楽になった思いはいっぱいあるけど、叶わないと思うこともあるけど、今日はこれでいいと思う。風呂入っていろんなものを洗い流したそれでいいと思うまだ終わりには出来ないんだよ。まだ、彼の幸せ見てないから。まだ、お母さんが生きてるから。大事な人、悲しませたくないから。薬までの数センチ私は踏ん張った。
2003.10.18
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高校のときから使っているもの。家を出る時に辞書と一緒に持ってきた。普段は辞書と一緒においてある。最近は辞書が床の上にあったりするので、本棚に心寂しく残っている。久々に開く。高校生の時の赤線が面白い。大事なところ、テストに出るところを赤線してた。高校のときの文学史の先生は、私の小論対策を快く引き受けてくださったまだ若い先生だった。小説も読んで下さった。ふと、こんなに不親切な本だったかと思う。高校生の頃も、読書は半端じゃなかったが、大学以降~最近の読書の量は度を越している。其のせいだろうか。高校のときは百科事典のようにさえ思えたのに。それでも、時間を忘れるほどに面白い。綺麗な日本語が並ぶ。百人一首はかつて暗記をすることの宿題が出た。全部は覚えれなかった。今思うと、今の私でも和歌なんぞに触れるのは時期尚早のような気がする。人間がまだまだのような気がして。カラー本で、写真も楽しい。切地の模様も私の興味をひくところである。平城宮、平安宮の地図、中国の各時代の地図も改めて見入る。風邪を引き、気分も低調な今日のほんの数時間の楽しみだった。ほかにも枕元に本を重ねて、布団の中で読みふけった。
2003.10.17
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あっこさんのアジアンショップに再び。目的はGINのプレゼント・・・ベトナム・サンダル。そして、タイ・ミュージックのコーナーへ。とはいえ、箱に二つ分くらい。昨日一日行かないだけで売れてしまっている。それでも、大御所は残っており、手に持ちきれないほどにお勧めを手に取る。丁度、同業者の社長さんもいらしていて、かなり選んでいただいた。やっぱり、餅のことは餅屋に聞け。タイミュージックのことはヤイ社長に。カセット6本CD4枚。これを仕入れと言わんでなんという。レンタルより安い!原価より安い!しかも超レア物。レンタルやさんには無いし、ショップにも普通はおいてないでしょう。タイ語?そんなのわからない。雰囲気で楽しんでる。せっかくのチャンスだからタイ語も始めるか。しかし、どうやって?イタリア語とスペイン語はどうした?そして、覚えられないヘブライ語。ま、いいさ。当分はこのタイ・ミュージックが私の部屋で響き渡ることよ。
2003.10.16
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金曜日はGINの誕生日。彼女の家に招待されています。何をプレゼントしようかと悩みます。昨夜親友と話していました。彼女はプレゼントにペアリングをもらったのだそうです。「シアワセだね~」って言うと、「ペアリングは結婚の時にもらうものだと思っていた」の仰る。最近は恋人同士が大事に指にはめているよね。私は残念ながら指輪をもらったことが無い。彼女が言うには「私は相手が持っているものをもらいたかった。お金じゃなく、気持ちが欲しかった」と。なんでも高校生の時に、彼氏の時計をもらうと言うのが流行ったそうな。同世代なのに、そんなものが流行った記憶はさらさら無い!今つけている時計は大切な人からもらったもの。3度目にロシアに行った時にはその頃付き合ってた彼氏の時計を持っていました。彼にとっても大切な時計を持たせてもらったのです。大きすぎるその時計をリストバンドの上からつけて。今はもうその時計は彼のもとに戻りました。いろんな人からもらったプレゼントは今も大事にしています。海で拾った貝殻交換したキーホルダーテディーベア数々のぬいぐるみ(外国の方からよくもらう)花束彼氏のGパン母にもらった一万円札ここには書ききれない物、思い出、気持ちあげて喜んでいただけたもの手作りのプロミスリング香水(弟は大人になった気分を味わった。)茶碗(母が正月に下ろして今も使っている)手作りのカードの数々外国郵便プレゼント・・・ひとつひとつのプレゼントにそれぞれのストーリを持っているから、もらった思いを大事にしたいから、あげるものにも気を配りたい。アイデアをフル回転させてプレゼントを探している自分もとても楽しいのです。
2003.10.15
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週明けの仕事はきついかと思ったらそうでもなく終わりました。何がよかったって?一人で黙々と自分の仕事が片付いたからです。あ~協調性無いです。そして次長から「有給今月10日出てるからね。」おー8割出勤超えてましたか。もう半分諦めモードだったのに。元気でました!仕事上がりにあっこさんのアジアンショップへ。あっこさんが結婚するので、店は今月一杯。閉店セールやってます。ここで、100円のタイ語の音楽カセットをゲット☆3本購入。聞きながらこの日記書いてますが、いい雰囲気。で、その後GINの店へ。会うなり、GINの爆発トーク!昨日3人のカラス族(黒スーツの呼び込みの兄ちゃんたち)に万引きされたとか。ひとしきり、話を聞くと、スープを飲みに行こう!と目の前のミスタードー○ツに。GINがおごってくれて、自分でためたカードで、スリッパたてをプレゼントしてくれました。GINのことは別の日記でゆっくり書きます。たった2週間で、こんなにも仲良しになりました。そして、10月24日は彼女の誕生日。誕生日に招待されました☆何をプレゼントしようかな。こんなに一杯ツイテました。
2003.10.14
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ロシア人からの電話をこの3日ほど待っています。ロシア留学していた時に、現地で知り合った、コーリャという青年。今、姫路へサーカス団とともに来ています。日本語バリバリ。ロシア語は超早口で喋りたてます。立て板に水の如し。いわずと知れる彼の職業は通訳。先日電話をもらって週末には会おうねって約束したはずなのに、まだ連絡が来ません。もう週末終わっちゃうぞ!!!コーリャとはもう5年くらいの付き合いになるんだね。最後に会ったのは2年くらいまで、彼がビジネスで、大阪に来たときに会いました。ロシアに帰ったら、民間医療の本を買ってきてねと言ってたら、普通のロシア語版家庭医学書2巻本を持ってきてくれました。絶句しつつも、「バリショイ スバシーバ(めっちゃありがとう)」一晩中話をして、大好きなロシアチョコもらって・・・そんなことも、もう思い出の一部になっちゃいました。是非是非彼が会える距離にいる間に会いたい。今夜はこっちから電話してしまいます。そして、長いロシア語会話が待っています。なかなかロシア語を使うチャンスが無い私は時々言葉に詰まるのですが、思わず口走っているそのロシア語・・・ネイティブじゃんって後で思うロシアンでした。***************************今夜は諦め。コーリャは捕まりません。ロシア語で、メッセージ残してみました。週末だしな・・・ウォッカでベチェリンカ(飲み会)で潰れてんだろう***************************連絡来ました。夜中の12時過ぎ。あくびしながら電話してきてくれました。感謝!おねむになりかけた私の思考回路はロシア語への変換が非常にトロく、日本語混ぜ混ぜのの会話でした。再来週姫路へいければ・・・と言う話しに落ち着きました。ついでに、外食に飽きたロシア人一行にお食事を作るお約束を・・・ロシアでは腕を振るっていたんです。これでゆっくり休めます。
2003.10.13
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昨夜は流石に帰ってこれず。友達の家ですきやきをし、お開きになったのが23時。友達、おばちゃん、友達の兄ちゃんとその彼女。兄ちゃんはその昔怖かったんだぁ。和んで和んでのお食事をし、お開きになったのが23時。そこから友達と二人で話しこんで、あら、終電はもう言ったわね・・・仕方なく、実家へ。実家に泊まるなんて何年ぶり?布団は片付けられちゃって、出すのが大変。お母さんと頭くっつけ寝ました。そして、こそこそ夜中にPCの電源入れようものなら、雷が落ちました。文句言われつつも、寝るとき誰かの物音してるっていいなあと思うロシアンです。私の部屋にはテレビがナイ!実家で、弟が出かけた隙に入り込み、2時間ドラマの再放送を立て続けに2本見ました。いいよな、帰ってきてテレビ見るのって。発作なんか起こしてたら、追い出されちゃってたかもね。でも、実家にお泊りで来たことはロシアンにとっても前進なんだ。
2003.10.12
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用事を済ませるために地元へ帰ります。今住んでいるところから電車を利用して、50分ほどのところです。大事な用事を済ませるのにどうしても重い腰が上がらず、夕方になってしまいました。実家にもほんのちょっと顔を見せます。引っ越しの判子をもらわないと。その後は地元に里帰りしている親友のところへ行って、一緒に夕ご飯を食べます。どこにいても、ずっと支えてくれる友達です。同じように夢を追いかけてきた親友です。「私達のような夢おい人はな・・・」と口癖のように話してました。結婚してしまえば、なかなか会えないから、今のうちに。今日も日記を書けました。まだ気分は低調ですが、生きています。夢を追って長い時間追い続けてきた。そして、見失った。今は生きることのために生きてます。やりたいことは一杯あるけど、一生掛けてみる夢をいつか見つけたい。
2003.10.11
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人生の刺繍は生きている間はその裏側だけしか見れない。時々表を見ることもあるが、この糸が何を表しているのか、どこにつながっているのか、裏側からはわからない。天国に召された時、表を見ることができる。ある方に頂いた本の中に書かれている言葉です。私の人生の刺繍はきっとほつれほつれでしょう。もしかすると強く引っ張りすぎて穴が見えてしまっているかもしれません。生きることを何度を諦め、そして、何度も立ち直ってここまで来ました。でも、私の未来に私は居ません。「今日と明日のことだけ考えて生きる」事を始めて数ヶ月。もう明日の自分さえ見えないのです。そろそろ人生の刺繍を見に行きたい。もっと早く、草したかったし、そうすべきだったようにも思います。薬を飲まずとも、思考が停止してしまうほどに疲れきってしまいました。明日、またここに日記を書けるだろうか?
2003.10.10
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出社しました。ボスは怒ってはいなかった。そして、明日から業務実態調査なるものが始まります。査定に引っかかるんだろうね・・・と気合を入れなおしてみたり。仕事の帰りにあっこさんのアジアンショップへ寄り、その後、GINの店に行きました。繁盛、繁盛。私の相手をしている暇はない。で、通りかかった中国から来た女の子と喋ってました。1982年生まれ。若い!!!同い年と間違われてちょっと嬉しいロシアンでした。中国の四川で生まれ、福建省に移った彼女の人生の片隅を教えてもらいました。GINの写真を勝手に持ち出し、二人で談笑。USJを見て、「二人で行こう」と言うことまで決めちゃいました。おーそうなれば、USJの遊び代を稼がねばです。GINと中国人の小艶とロシアンが話すと日本語と英語が交差します。面白い。下町で出来る外国人仲間が増えていくのが嬉しいです。そして、楽しい。
2003.10.09
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今日もお仕事には行かず。相変わらずお腹が痛い。原因わかってるだけにどうしようもない。プラスアルファの要素も満載。寒い&会社に元々行きたくない。ちゃんと起きたんだよな。服をいろいろ考えているうちに時間が過ぎて。お腹も痛いしきっと早退だろうなと思って、オヤスミコールをしました。(これに関しては追求レスはしないでね。自分が嫌っちゅうほどわかってるから。)電車で、15分の会社がとても遠いです。明日いけなかったら、と思うと恐怖感倍増です。でも、会社の近くに店開いてるGINが「明日は寄ってね」と言ってくれました。「何かあったら電話してね。」とも言ってくれました。明日はGINの店に行くために電車に乗ります。先日面接受けた会社からは不合格通知が来ました。ご縁がありませんでした。でも、お話聞けてロシアンはまた一つ大人になった気がしています。遠くていけない会社にとどまるのではなく、バイトでもいいからゆっくり自分を見つけるのも一つの手段だと親友は教えてくれます。そういう行き方もありかとも思います。3年で仕事に慣れ、7年で面白くなってくる、とyurichestさんは諭してくださいました。4年半やってた電話の仕事が今は自分にあってたようにさえ思います。きついけど、電話の向こうにいるお客様とどんな話ができるか。人生を語ってくださる方もいらっしゃいます。オペレーターの仕事に戻りたいな。さてさて、この心の距離どうして埋めていこうか。
2003.10.08
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一段と寒い。会社には行かず、ひたすら寝る一日。朝はRIKAさんのモーニングコールで起きた。毎日RIKAさんに起こしてもらう。と言うより、「おはよう」「いってらっしゃい」を言ってもらう。甘えているけど、RIKAさんの送り出しがないと会社には行けない。今日は起きたけど、動けない。腹痛が・・・。寝ている間は毛布のパンダさんが暖かくしてくれる。ロシアンは、パンダさんが大好き☆実家からわざわざ引っ越しの時にもって来た。でも、起き上がると、部屋は寒々している。ストーブを出すにはまだ早いだろう。頂いたお茶の封を切りゆっくり頂く。昨日、郵便で届けられたものだ。たっぷりのお湯で、大好きな萩の茶碗で頂く。お茶も美味しい。そして、畳の上におくと、白く湯気が立つのが見える。この白い湯気がとうとうと昇るのを見るとなぜだか落ち着いてくる。利休の言葉がふと浮かぶ。『茶は服のよきように点て』『炭は湯の沸くように置き』『冬は暖かに夏は涼しく』『花は野にあるように生け』『刻限は早めに』『降らずとも雨の用意』『相客に心せよ』♪マリリン♪さんの協力ありがとう(これは、高校の茶道部だった頃お稽古の前に唱えた。)こんな寒い日はお茶で暖を取る。
2003.10.07
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昨日今日と大学仲間から連絡をもらった。貿易関係の仕事をする二人の男性。二人とも言うことは同じなのだ。「最近はヒマだ」「飽きた」「資格だけ取ったらこの会社とはさよならだ」どうも企業と言うところは「人」を大切にしないように思われる。よく言われる「会社のコマ」でしかないのだ。海外のほかの国でも同じなのだろうか。パーソナリティーは無視され続けるのだろうか?先日面接していただいた会社で教えていただいた会社の理念:言葉を得ることは人を理解していくことであり、ひいてはそれが世界平和につながるのである。もっともだと共感を覚えた。私は人として、人を大切にしていきたいと思う。人を大切に出来る会社で働きたいと思う。人として忘れてはならないことなのだ。
2003.10.06
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結婚する友人から譲り受けた冷蔵庫が先ほど届きました。やっほー☆4畳の部屋では今ひとつ置き場に困っています。来月に引っ越しすれば、その部屋にはちゃんと冷蔵庫置き場があるんです。そうなれば、少しは食生活も豊かになるはず!!お料理は好きなんですよね。今では信じられない事実です。だって、今はご飯炊くくらいしか、何も出来ないもの。たまに、豆ご飯、山菜御飯、これからの季節は栗ごはん区t来しかバリエーションないんです。あとは、インスタント。普段は外食もしくはお弁当です。私のお部屋は書斎のようになっています。本がぎっしり詰まった本棚たち。そこに入りきれない本はダンボールに詰め込んでます。そのダンボールの山が重なっているわけですね。研究職にしか目が向いてなかった頃、これで十分だと思ってました。テレビもたまには欲しいと思ったけど、仕事と勉強で、テレビ見る余裕はなかったもの。それに、必要なものは学校の研究室で見てました。冷蔵庫も、電気代を考えるともう一歩踏み込めなかったんです。引っ越しを機会に生活改善です。とにもかくにも冷蔵庫ちゃんいらっしゃいの巻でした。
2003.10.05
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先週ドタキャンした会社の面接&試験受けてきました。びしーっスーツ着て行って参りました。履きなれないヒールは辛かったですね。13時から16時半まで。長かったです。パソコンの試験は情報系の勉強してたので、少しわかって嬉しかったです。でも、3分の2が限界でした。難しすぎ!!!面接官曰く「OJTが終わった時にはあのレベルまで上がってもらうという意味での試験です」やっぱり面接は楽しかったですよ~。会社の方針もちゃんと聞けて、面接官の経験から出る言葉は重みがあって、一緒に面接受けた人たちのいろんな考え方聞けて。最高にいい時間の過しかたしたなーって思っています。それにしても、海外勤務の勤務先を今日知らされたのですが、アイルランドだそうです。何でまた?と言う質問出てました。何より、ちゃんと行けた自分に満足してます。二次面接にいけたらまた嬉しいです。
2003.10.04
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夜な夜な電話をしていました。これから就職しようかと言うYUKOちゃん。最近は会社の話題が多い。私が今の会社の不平不満を言ってると、「あーそれ女子校のノリだよ。」と。彼女が言うには、女子校には独特のノリがあるらしい。クラスの中でも、ギャル系、お嬢様系、おとなしい系などなど。学校自体のノリもあるらしく、同じにおいのする人間はわかるらしいのだ。かく言うYUKOちゃんは中学・高校は女子校、大学は女子大。一方、私は公立で上り詰め、驚愕の大学・大学院。途中高校の時には特殊な学科(英語科・・・当時では公立で唯一の英語科だった)のクラスで、最後の一年を女子クラスで過しただけである。それも男勝りな女子クラスだった。YUKOちゃんが常々言うには「女子大は出会いがないから、ほかの大学のサークルに入って、彼氏捕まえておかなくちゃ結婚も出来ないんだよ。」凄い話しだ。会社の同僚たちもそういえば、学校の延長線上で生活しているように感じてはいた。女子校の学推もしくはコネと言うわが社が恐ろしくなってくる。男と同等に生きてやるといきまいて生きてきた私にはわからないはずの雰囲気である。
2003.10.03
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「なろうど」とはロシア語で「民衆」という意味です。関東中心に、というより、○橋大学を中心にフォークロア(昔話)の研究会があります。中村喜和先生の門下生たちが中心になっているグループです。とはいえ、先生もご高齢でいらっしゃって、門下生とはいえ、有名な先生になっていらっしゃいます。私はそのグループの年2回送られてくる機関紙だけを購読しています。流石に毎月東京に行くことは出来ませんから。今回は払い込み票同封されてない。支払わなくてよい?明日にでも問い合わせてみるか。今回号の私の注目は、レオニード・レオーノフ「ロシアの森」に関する考察の一説。読み進めると「ヤラレター」って思いが・・・。だって、同じようなことを私は何年も前に卒論で書き、修士論文でも書いたんだから。でも、お気に入りの一説を。森はロシア人を誕生のときから迎えて、あらゆる年齢段階を通じて、離れることなく伴ってきたのであります。幼児の揺りかご、最初の履物、胡桃、苺、独楽、風呂場の箒、バラライカ、娘の集まりを照らす木っ端、婚礼馬車につける極彩色の扼、自然に作られた蜜蜂の巣、漁師の艀、軍用船、茸、香、放浪者の杖、死人を納める丸木の棺、それから最後に、樅の枝を敷いた墓に立てられる十字架。これが原始からのロシア人の用具の目録であり、当時の文明の裏面なのであります(レオニード・レオーノフ著「ロシアの森」1955 米川正夫訳 岩波書店)ロシアの人々(なろうど)の暮らしを垣間見る一説でしょう。とても好きです。
2003.10.02
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今日は公休日!でも夕方は病院が・・・。ちょいと遠いところに位置する。7時の予約に3時からそわそわ。今日は何を話そうか。4時を回っても、5時を回っても、6時を回っても、準備は完了しない。嫌な予感見事に的中!発作、そして発作。気が付けば7時半。仕方なく電話。会話にならない。うまく話せない私の言葉を先生は拾ってくださる。先生「今日は頓服飲んで早く寝よう。量は間違えないように。2個だけね。」次の診察は・・・一生懸命時間を探してくださる。予約は見事にいっぱいだ。「金曜日には点滴だけでもしにきてね。心配だから顔みせて。そのとき診察日決めよう」こんな信頼関係を築けたのは、通院し始めて2年たった頃。「あなたのことがやっとわかり始めました。」そう言ってにこやかに笑ってくださった。それまで、私も先生を信頼しきれてなかったかも。「また会いましょうね」という先生は今までにいない。叱られることもあるし、一緒に悩んでも下さる。「完治はありえない」でもいつか、この長くて暗いトンネルを抜けてみたい。
2003.10.01
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