書くことの意味
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先日、午後10時過ぎ、自宅の最寄りの駅で地下鉄から降りた。階段へ向かおうとホームで振り返ったら、ふと、懐かしさが込み上げた。あれっと思ってもう一度、ゆっくり回れ右をしたら、仙台時代の元上司がそこに歩いているのが見えた。5年前の春。札幌への転勤が決まって、全て荷物を送り出し、仙台最後の夜はもう、何もすることが無かった。そのひとは、朝まで、わたしに付き合ってお酒を飲んでくれたのだ。それ以来、一度も会わなかった。「やあ、ひさしぶり。元気そうだね。少し、飲んでいくか」相変わらず、やわらかい声をしている。仕事を持ち帰っていたが、反射的にうなずいてしまった。2年前、東京に転勤になったという。聴けば、わたしの自宅から徒歩圏内のところに住んでいた。この2年間、こんな近くにいたのか。そのひとは、5年半前に仙台に着任した。わたしたちが同じ職場にいたのは、たったの半年間だったけれど、深いものを分かち合ったという思いがある。それはきっと、相手も同じだろう。ちょうどその頃、わたしは「家族」をテーマに連載記事を書こうとしていた。そのひとは着任早々、この連載記事の面倒を見てくれることになった。「家族」という切り口は、あまりに色々な問題にかかわっていて、取材を重ねるうちに、何をどう書けば良いのか、皆目わからなくなっていた。今まで考えたことも無かったが、自分がいかに、両親に恵まれていたのか、初めて気付かされた。相手から話を聴くうちに、悲しみや苦しみといった感情がどんどん流れ込んでくる。真綿で首を絞められるように、精神が疲弊していった。そのひとはずっと黙って見守っていたが、ある時「サバイバーを取り上げてほしい」と言った。「サバイバーって何ですか?」「幼児虐待の被害から立ち直ったひとのことだよ。難しいと思うけれど、相手を探してみて」仙台の知り合いに片っ端から頼んで、わたしは「サバイバー」を探した。1ヵ月後、漸く探し当てたが、そこから相手を説得するのに、さらに2ヶ月、掛かった。やっとの思いで記事の原稿を書いてそのひとに提出した時、「やっと形らしくなって来たね」という言葉が返ってきた。そのひとと初めて会ったときから、心がざわついた。何て言うのだろう、小さな子供が泣きじゃくっている映像が浮かぶのだ。何故だろう・・。目の前で、幼い子供が泣いていたら、きっと、駆け寄って頭を撫でるだろう。油断していると、そのひとに対して同じようなことをしてしまうような気が、いつもしていた。連載が終わって、2週間ぐらい経ったとき、わたしはある読者から、記者としての姿勢を厳しく問われた。その読者の指摘はあまりにもまっすぐ、自分の内側に切り込んできて、あたかも窒息したような苦しさに襲われた。このままでは、自分はどうにかなってしまう。意を決して、そのひとの携帯電話に掛けた。「お話ししたいことがあるのですが」翌日の夜、初めて二人きりで、お酒を飲みに行った。そのひとに、いつも小さな子供が泣きじゃくっている映像が浮かんで困惑してしまう・・と打ち明けたら、「酒を飲ませて。酔わないと話を続けられない」と言われた。「こんな話をするのは、君が初めてなんだけどね」という前置きの後、そのひとは、自分が幼いときに受けた幼児虐待を具体的に話し出した。色々な疑問がするすると解けていく代わりに、何とも言えない悲しさが流れ込んできた。それから半年間、わたしはいつも、そのひとが本当にサバイブするのを願っていたように思う。しかしその後、仙台では大変な事件が起きて、しかも自分の友人がその事件に深くかかわっていることを知り、わたしは新聞社と友人関係の板ばさみになった。上司に、仙台からの異動願いを出して、札幌への転勤が叶った。その1年半後、そのひとも、仙台から札幌に転勤になったが、そのひとが札幌に着任する直前、わたしは札幌で転職し、半年後、東京に転勤となった。さらに1年後、そのひとも東京に転勤になり、わたしたちは偶然、とても近いところに住むようになった。二人とも、ひとの暮らしぶりがにじみ出ているような狭い路地が好きだという共通点があったけれど、こんなに偶然が続くのは、説明できないと思った。先日、一緒にお酒を飲んで、一番嬉しかったのは、そのひとが晴れ晴れとした顔つきをしていたことだ。この5年間、わたしと同様、そのひとにも色々なことがあったに違いない。考えてみれば、わたしの方が、そのひとを避け続けていたのだろう。もう、その必要は無いのだとわかって、ほっとした。「また、飲もうよ」と言われて、自然と微笑んでいた。5年前に断ち切った時間がまた、ゆっくり動き出すような気がする。
2006年02月09日
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