2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全4件 (4件中 1-4件目)
1
仙台時代、本当にお世話になった方から、昨夜、奥様が病死された由、メールが届いた。30日夜に通夜、31日、告別式を行うという。急遽、仕事の都合をつけて、仙台に行くことにした。 この方は、本当に波乱万丈の人生を送っていて、これまでも苦難の中から意味を見出して、その都度、力強く前へ踏み出して来られた方だった。しかし、小学2年生を筆頭に3人のお嬢さんが後に遺され、うちひとりのお嬢さんは、重い心臓病とダウン症にかかっている。しかも奥様は、その方にとって最大の理解者だった。想像するだけで、心細くなって来る。 この方のお話を伺うと、人生の中で、様々な経験を積むことが最上の喜びなのだ・・という思いをいつも、新たにする。今回もきっと、これまで通り乗り越えて行かれるのだろう。しかし、乗り越えるたびに、何ともいえない疲れがその方に溜まっていく。どうして、こう次々と、苦難に見舞われなければならないのだろうか。何か、修正しなければならないものを、そのままにしているからか。しかし、その方は今までの経験を経て、はるかに洞察が深くなっている。しかし、それでもなお、まだ足りないのだろうか。 2月は自殺した友人の誕生月で、命日でもある。だから毎年、この辺りになると何となく心がしんと冷えてくるのだが、今回のことで更に、冷えが強まる気がする。考えても考えても結論が出ないことを承知で、考えざるを得ない。底なし沼にずぶずぶとはまっていくような感触が広がる。
2005年01月28日
コメント(0)
先程放映されたNHKテレビの番組で、赤ちゃんが母親の胎内にいるときから、顔の表情を動かし微笑んでいることが紹介されていた。産婦人科の医師は「周囲の大人から温かく世話してもらうための自己防衛能力として、生まれる前から笑顔になる方法を身に付ける」と解説していた。 番組の中で赤ちゃんに対し、母親が無表情で向き合うと、赤ちゃんは一生懸命笑顔を作って、母親の機嫌を取ろうとする。それがとてもいじらしかった。 電車の中や交差点で信号を待っている途中、赤ちゃんを抱いた女性と隣り合わせになることがある。目が合うと、可愛くて思わず微笑むのだが、最近、何の反応も示さない赤ちゃんが珍しくない。テレビの前に置かれていることが多いのだろうか・・と少し、気になっていた。今日の番組を見て、周囲の大人がちゃんと、微笑んでいないのかもしれないと思った。赤ちゃんがいくら表情を和らげても、周囲の大人の態度が変わらないとしたら、赤ちゃんは微笑むのを諦めてしまうだろう。 誰かに笑顔を向ける。1銭のお金もかからないのだから、気軽に出来そうなものだが、疲れていたり落ち込んだりすると、難しくなる。パートナーの協力を得られず、24時間、赤ちゃんの世話に追い立てられたら、肉体的にも精神的にもへとへとに疲れてしまうだろう。それでも赤ちゃんの身近にいる大人は、出来るだけ機会を作って、温かい表情を溢れるほど注ぎたいと思う。無表情の赤ちゃんが珍しくないといっても、5人にひとりぐらい、とても嬉しがってくれる赤ちゃんと出会えるのだ。そんなときは一日中、自分の心が温かくなる。 幼児虐待で凍えそうな時間を耐えている幼子がいる一方で、愛情を注ぎたいのに周囲に幼子がいないのを寂しく思う大人もたくさんいる。架け橋があったら、お互いにとても満たされるのに、なかなか実現しない。
2005年01月25日
コメント(0)
いつの間にか、こんなに日にちが経っていて驚く。時間軸、あるいは、時間の流れに対する感覚がずい分、ずれているかもしれない。 昨年末、風邪を引いて、いくつか仕事を延期してもらったので、年明けはばたばたと慌しかった。個人事業を営む友人の確定申告の準備、3,000字の論文の第一稿の作成、毎月恒例の出張。その中で、16~19日と香港旅行の予定を入れていたので、少し冷や冷やした。 香港旅行は、外資系に勤める年上の友人が、香港で海外研修を受けることになり、ホテルでツインの部屋を割り当てられたので誘ってくれたのだった。彼女はかれこれ6年の付き合いで、気配りの行き届いたとても信頼できるひとなのだが、この間の旅行は非常にぴりぴりとしていた。これまで自分を高く評価してくれていた直属の上司がリストラにあって退職し、ウマの合わない年下の男性がそのポストに移ってくることになり、自分もいつリストラされるのか・・と不安でたまらないという。彼女にはパートナーの男性がいるのだが、彼との関係もあまりうまくいっていないらしい。この3ヶ月間で彼女はストレスで10キロ太ってしまった。3日目の夜、彼女に「仕事を変えることを考えてみたら?」ともちかけたら、それが逆鱗に触れてしまったらしく、ぷいとホテルの部屋を出て行ってしまった。翌日、早朝から彼女は研修に出かけてしまい、結局そのままゆっくり話す間もなく、わたしは帰国した。 もしかしたら、彼女を失うのだろうか。そう考えたら気持ちがどんどん沈んで、どん底にいる気分を味わった。今は、数人のひとたちと親密に交流する生活を送っていて、彼女は大切なその中のひとりだから、彼女を失うのはとても応える。改めて、自分の中の優先順位を確認したような気持ちだった。お金や仕事を失うとしたら、確かに不安になるだろう。しかし、大切なひとを失うことに比べたら、全然たいしたことではない。唯一の慰めは、夜空に月が煌々と浮かんでいたこと。香港でも彼女と二人で月を見上げたのを思い出し、彼女もきっと、同じ月を眺めているに違いないと思った。香港、東京と物理的に離れているけれど、月を通して、彼女とつながっているのが感じられた。 香港は、何だかとても活況に満ちていた。2年ぶりに訪れた友人は、物価が高くなったのに驚いていた。ショッピングをしても、高級品の品揃えが充実している。16日の夜は、街中のいくつもの広場で、何百人ものフィリッピン人のメイドたちが新聞紙を広げて座り込み、がやがやとおしゃべりしていた。週に一度の休みである日曜日、彼女たちはそうやって情報交換をするのを何よりの楽しみにしているという。その人数の多さに目をみはった。繁華街はどこも、人出で溢れており、レストランに入れば、テーブルを埋め尽くした客たちが、一生懸命おしゃべりしながら、一生懸命食べている。 香港人の中に果たして、うつ病やひきこもりのひとはいるのだろうか・・と思った。食事や遊び、仕事に対するエネルギーの投入の仕方が日本人の比ではない。何もかも一生懸命取り組んでいる。泊まったホテルのメイドにも、感心したことがあった。わたしたちが洗面台の上に置きっぱなしにしていた化粧品の壜を、棚にきれいにディスプレイしてくれたのだ。日本だったら、隅のほうにまとめて置くだけだろう。その遊び心と、より居心地の良い空間を作ろうという意気込みが嬉しかった。 あの狭い空間に、高層ビルや高層マンションがひしめいている様子を見ると、ここには自分の居場所は無いような気がしたが、あのエネルギーは羨ましかった。
2005年01月24日
コメント(0)
新年、明けましておめでとうございます。昨年、しばしば更新を怠ったにもかかわらず、定期的に訪れて下さった皆様、本当にありがとうございました。今年もどうぞ、宜しくお願い申し上げます。皆様にとって、この一年が、実り多いものとなりますように。 2005年のカウントダウンは、お台場のレストランで迎えた。31日午後10時から、レストランの厨房の棚卸立会いの仕事が入っていたのだ。近くにフジテレビがあって、カウントダウンのイベントが行われていたので、年が変った瞬間、観客の大声が聞こえて来て、すぐに分かった。お店のスタッフのひとたちと、一緒に握手しながら祝った。今年こそ、軸の乱れが少しでも、修復されますように。生きとし生けるもの全ての安寧を、静かに祈った。 午前1時に仕事が終了し、千葉の実家へそのまま直行した。電車が深夜運転されていたので助かった。両親の顔を見たら、安心してしまって、久し振りに熟睡した。12月は、体調不良でおよそ月の半分は臥せっていた。やはり、変な1ヶ月間だったと思う。良いタイミングで年が切り替わって、ほっとした。元旦は、離れて住む弟夫婦も合流して、5人でわいわいおしゃべりしながら、おせち料理を囲んだ。 数日前に日記に書いた、困った状況に置かれている友人と漸く、連絡がついた。本人は落ち着いていたけれど、詳しく話を聴くと、想像通りのことが進行していた。わたしにもかかわりがあることなので、ふたりで対応しうる方法を色々と、話し合った。因果応報という言葉をつくづく、思う。今の状況は、あるひとが(わたしたちから見れば)常軌を逸した行動を取ったことがきっかけとなっている。そのひとがそんな行動を取る前は想像だにしなかったことが、将来の行動のシミュレーションに入ってくる。そのひとが、あることを防ごうとして突発的に行動を起こしてしまったが故に、本人が望んでいるものとは全く違う方向へ物事が進みつつある。あらゆることは、自分が引き起こしたもの・・というのは、まさに、こういうことを指すのだろう。感情に突き動かされてそのまま行動に移してしまうと、思わぬ余波をひとに与えてしまい、結果として自分に跳ね返って来る。そして一層、苦しみが深くなってしまう。自分も気をつけようと深く肝に銘じた。
2005年01月02日
コメント(2)
全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()

![]()