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性欲の低下がありますか?ときかれても率直には答えられない。いやそのまえに、公然と性欲とか持っていていいのだろうか。女の肌に触りたい欲求にかられることは結構な頻度であるにはある。でも女に触りたいと思ったとしても、当の女や、あるいは社会がそれを容易には受け付けてくれず、達成が阻まれることがよくある。女にムラムラとなること自体が、不道徳きわまりない精神であるとされることもある。女を犯すことと、女を口説いてから犯すこととは、結果は同じだけれども、どういうわけか口説くというプロセスを欠いたら犯罪になってしまう。技術がないとか魅力に欠けるとかいう理由で女を口説くことができない男の性欲は、金である程度解消できるかもしれない。金を払い、狭い部屋で女を待ち、愛想笑いを交わすと、服を脱ぐのを見守る。女は下着を脱ぐときもためらわない。我々は、うながされるまま服を脱ぎ、導かれるまま女の肌に触り、やがて射 精する。当座の欲求は満たされるかもしれない。「お金はらってそういうことしてるところにいけばいいじゃない」セックスをせがむ男にたいして女がいうのによくあるセリフで、言われた男は行き場を失ったような感じになってしまうけれども、こんなセリフをいってしまうような女にも品がない。言わせる男もダメなら、言ってしまう女もダメとくれば、底なしに救いのない言葉でもある。正直、お金をはらってそういうことをさせてもらっても、面白くもなんともない。気持ちいいことをしてもらっているわけだけれども、気持ちいいのと面白いのとは違う。どちらかというと、気持ちいいことよりも、面白くなければだめというのが先にたつ。お金を払ったり、たのみこんだりして無理矢理セックスしたとしても、それは面白味に欠ける。自分が持っているべき魅力とかそういうものを頼りにして女から一方的に惚れられて、カラダもココロも開いてもらったら、これほど男として面白いことはない。ところがたやすくそういうことにはならない。ならないことをどうにかしようというところにも面白味はあるかもしれないけれども、女を口説いても口説けなかったという経験を何度も持つと、ああこの女は口説けないんだろうな、とあきらめてしまい、その時点で性欲もしぼんでしまう連鎖が生じる。このことをもって性欲の低下というのなら、あるいはそうなのかもしれない。
2009.03.09
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男性更年期障害の話、続く。(1)性欲(セック スをしたいという気持ち)の低下がありますか?(2)元気がなくなってきましたか?(3)体力あるいは持続力の低下がありますか?(4)身長が低くなりましたか?(5)「日々の愉しみ」が少なくなったと感じていますか?(6)物悲しい気分/怒りっぽいですか?(7)勃 起力は弱くなりましたか?(8)最近、運動をする能力が低下したと感じていますか?(9)夕食後うたた寝をすることがありますか?(10)最近、仕事の能力が低下したと感じていますか?このアンケートに3つ以上「はい」がついたら男性更年期障害の疑いアリで、とりわけ私は(2)と(5)と(6)に当てはまるかもしれないが異論なきにしもあらず、ということで進行している。(1)と(7)についてどうかはおいておくとして、今はとりわけ「怒りっぽいですか?」への自己弁護つまり言い訳をしている最中である。そもそも男性更年期障害とは、ストレス起因による男性ホルモンの低下がまねく症状で、つまりは、男っぽくなくなり、オンナ男のようになってしまう症状だと認識している。怒りっぽいというのは、女性におけるヒステリー症状のようになることを想定して、それが男性ホルモンレベルの低下としているものだと思われる。一方では元気がなくなることが男性的ではないとする価値基準があり、もう一方ではよく怒るとこれまた男性的ではないといわれる。元気じゃなくなれば起こる気力も失われてしまうような気がするけれども、どうなんだろうか。すくなくとも私は、なにかに怒っているときには、興奮と冷静と理性と感情とがいっぺんに覚醒する。このようなときが最も自分自身、生きているということを感じる。男であれ女であれ、更年期を関係なくしても、我々はもっと怒ってもいいんじゃないかと思っている。怒るということは、前にも述べたように、怒りの感情を外に出して表現するということである。外に排泄されることなく溜め込まれたストレスが更年期障害の原因とするならば、ストレスを食った端から出せばいいだけのことだと思わなくもない。ただ、怒りを発散される側からしてみたらたまったものではないという理屈ももう一方には存在していて、たとえどんなに非があって怒られたとしても、怒って人を不愉快にさせているような人はきまって陰口をたたかれたり軽蔑されたり、性格異常者のようなレッテルを貼られたりする。それを嫌って怒らないようにするのが美徳という考え方の経典というか象徴が「マナー」である。「マナー」という単語の薄ら寒さや厚かましさを語ると3日あっても足りないので割愛するが、ようするにマナーも自我防衛装置のひとつであり、マナーがいいか悪いかという価値は社会に横溢していて、それに反する行為や言葉を悪とするための大義名分であるにすぎない。くそくらえ。若者の元気さは、マナーとかあるいはルール・規律のようなものへの反発、マナーやルールが象徴している「大人」やオトナ的な何かへの反発が原動力になっているはずだ。少なくとも私はそうだった。オトナ的な何かをどうにかしてやりたい方向に向かって怒っていたかもしれない私はいつのまにかオトナ側にまわってしまっていて、ときには若者の反発を受けるようなこともあるかもしれない。でもすくなくとも私は、マナーやルールを後ろ盾にしたりはしない。話がそれまくっている。気をとりなおしていよいよ来週は、(1)と(7)にあてはまるかどうか、自分を問いただしてみたいと思う。
2009.03.06
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男性更年期障害という、病気だか症状だかが最近よく取り沙汰されているらしい。チェックリストをやってみたところ、10問中3つ以上あてはまるとその疑いがあるとのところで、とりようによっては3つぐらはあてはまるかも、という結果が出たので、ひょっとするとその更年期障害に該当するのではないかしら?あはん。と思った。(1)性欲(セック スをしたいという気持ち)の低下がありますか?(2)元気がなくなってきましたか?(3)体力あるいは持続力の低下がありますか?(4)身長が低くなりましたか?(5)「日々の愉しみ」が少なくなったと感じていますか?(6)物悲しい気分/怒りっぽいですか?(7)勃 起力は弱くなりましたか?(8)最近、運動をする能力が低下したと感じていますか?(9)夕食後うたた寝をすることがありますか?(10)最近、仕事の能力が低下したと感じていますか?ちなみに(1)か(7)いずれかが「はい」だと、一発でその疑いアリとのことらしい。ともあれ、上記チェックリストの中で著しく私にあてはまるのは、(2)と(5)と(6)だと思う。ただ、見方によってはそうでもないともいえるかもしれない、とも思われる。(2)の、元気がなくなったかどうかについては、年齢を重ねるにつれて、そりゃ若者だったころのような無知や無自覚から生じる無駄な元気さがなくなったという点ではあてはまる。でも社会を遊泳していると、子どもっぽい元気さは疎ましがられるような傾向にある。そんな経験を積み重ねていると次第に、クールでスマートな人として振舞おうとして、やがてはしゃぐような気分がそぎ落とされていって、表面的に元気がないようになっていっているともいえなくもない。それはなにかの流れに自然にそっているようで、果たして悪いのかどうかは今の時点では判断はできない。(6)の物悲しい気分/怒りっぽい、ということに関しては、もともと私には鬱の気はあると自覚しているし、怒りっぽいというのも、まあそうかもしれないとは思わなくもない(歯切れ悪いけれども)。ただしこれも見方によっては、本当にそうだろうか、とも思わなくもない。「物悲しい気分」に関しては、これを表現したとしても何もいいことはないし、表現した相手を単に不快な気持ちにさせるだけのマイナスな要素しかない。心の中で物悲しい気持ちになるだけなら誰にも迷惑はかからないけれども、物悲しい気持ちになって、人知れずため息の一つでもついたところで、なんら問題の解決には繋がらないということも知っている。物悲しい気分になったらわたしは必ず「怒る」ようにしている、というか自然にそうなっているような気がする。ストレスの原因はたとえばいじめとか軽蔑されたとか理不尽な命令を受けたとか、あるいは思い通りに物事が運ばないとか、その他いろいろあるにせよ、なぜたとえばうまくゆかないかを考えるときに、けして自分自身が悪いのではなく、あくまでも非は相手にあるものとして考える。相手が無能であり、性格異常者であるからこそ、私にこんな仕打ちをしているにちがいない。彼は彼自身の欲望を満たすために怒鳴り散らし、机の上の灰皿の位置が気に入らないというだけでそれを正そうとする。無能者は想像力もなく、何ら独創せず、秩序や規律を守ることのみに執着している。卑しいだけの凡庸な小心者に過ぎないのだ。そんな者のためにどうして私が物悲しい気分の森の中に浴していなければならないか甚だけしからぬ、ということで怒るのである。自我の防衛装置はそういうところにスイッチがある。「怒る」という感情表現には攻撃機能も備わっている。これは怒りを表面に表して、表情や言葉やあるいはときには物理的な力を使って、怒りをその対象者かまたは何ら関係のない第三者に八つ当たりなどという形で行使する場合のことを指す。個人の脳内だけで怒っていたとしても、それは怒っているということにはならず、単にイライラしているだけである。イライラしているということにもならないかもしれない。「イライラする」という感情は、自分以外の誰かに伝えて初めてイライラしていることが成立する。だから「わたし昨日1人で怒っちゃってさー」というのは間違いで、単に精神が不安定になっていることの比喩として「怒った」ことにして、それを第三者に伝えて無理矢理成立させたということにすぎない。怒りは誰かに伝えてこそ成立し、解消するかもしくは解消に向けての方向性が定まるのだ。
2009.03.05
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