ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.01.18
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カテゴリ: 外国史
ハイチに贈る (4)

1493年5月、ローマ教皇の最初の裁定を得たスペイン両王とコロンブスは、ただちにインディアスにおける本格的な植民地建設に向けた準備に入りました。

植民地はスペイン両王に献上し、コロンブスが総督兼副王となるというのが、両者の取り決めでした。この第2回航海では、第1回航海の成功を受けて、志願者が殺到しています。ですからコロンブスや遠征の幹部達は、人選に相当な苦労をしています。

航海への参加者は、船員の外に兵士や植民者それに布教と伝道のための宣教師(僅か6名でしたが)を含めて総勢1200余名、17艘の大船団が編成されました。この船団が盛大な見送りを受けて、カディスの港から旅立ったのは、1493年9月下旬のことでした。下の絵は出港の模様を描いたものです。

第2回出港風景

船団は、6ヶ月分の食糧、植民に必要な種苗、家畜、道具類も積み込んでいました。船医も乗り込んだ本格的な遠征隊でした。一行は11月初旬には、今日で言う小アンティル諸島に到着し、島々にスペインの旗を立てながら、ヴァージン諸島、プエルト・リコ島を巡って、11月下旬にエスパニョーラ島に到着します。

1年前島に残った39名と感激の対面となったのでしょうか。浜辺の崖の上に築いた要塞はもぬけの殻でした。大砲を撃って到着を知らせても誰も現れませんでした。

そうなんです。コロンブス提督が旅立った後、居残ったスペイン人たちは、征服者の本能を丸出しにして、多量の貢物を島の部族に次々と要求したのです。こうしたスペイン人の横暴に怒った島中央部の部族がやってきたスペイン人を襲って皆殺しにし、さらに残っていたスペイン人達も皆殺しにしてしまっていたのでした。

エスパニョーラ島へのコロンブスの帰還前に、友好的な植民地建設の道は、既に閉ざされていたのです。島内にはなお、スペイン人に友好的な部族もありましたが、スペイン人への猜疑心の方が強くなっていたのです。

こうして本格的な植民は、島民との敵対のなかで始まるという、不幸な出発となったのです。






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最終更新日  2010.01.18 13:41:15
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