ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.05.18
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カテゴリ: 外国史
19世紀のアメリカ(16) 

序章 独立戦争と合衆国の誕生…16

ワシントンは、数的にも物量的にも不利な状況を理解して、主力決戦を回避してゲリラ戦で、イギリス軍の弱みを突く戦術に徹しました。

兵力を温存して、地の利を生かし、イギリス軍の弱みを突く作戦に徹したのです。その成果の一つが、76年のクリスマスに、ニュージャージー植民地のトレントンで、お祭り気分のドイツ人傭兵部隊(イギリス軍は、海軍力に比べ陸軍力は格段に落ちるため、屈強なドイツ人傭兵部隊を、植民地の戦場に投入していました)を奇襲し、これを降伏させています。

参戦の機会を探っていたフランスなど、大陸ヨーロッパの国々は、北米植民地からの借款の申し出に快く応じながら、なお、慎重に形成の推移を見守りました。大陸諸国の参戦を引き出すには、もう一段の戦勝が必要でした。

その参戦を決定付けたのが、77年10月のサラトガの勝利でした。このときイギリス軍は、ニューイングランドを包囲、孤立させる作戦を描き、カナダのモントリオールに集結させた部隊を、南下させたのです。

情報をキャッチした大陸軍は、迎撃態勢を敷くと共に、地の利に明るいニューイングランドの民兵隊が、イギリス軍の行軍の過程にある長い森林地帯での一斉狙撃を行なって、大きな痛手を負わせました。

その後もゲリラ戦に悩まされて、心身ともに疲労困憊したイギリス軍は、遂にサラトガ附近で包囲されてしまい、降伏に追い込まれたのです。

この勝利の報を受けたフランスは、駐仏大使フランクリンを通じて、北米植民地をアメリカとして承認する旨を伝達し、78年2月には、仏米同盟条約と通商条約を結ぶに至ったのです。フランスに続いてスペインも参戦し、さらに80年に入ると、イギリスと険悪な関係にあるオランダも、アメリカを支援するようになったのです。



後はイギリスの決断の問題でした。
                               続く





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最終更新日  2010.05.18 11:50:13
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