ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.05.28
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カテゴリ: 外国史
19世紀のアメリカ(26)

第1章 米英戦争…1

建国直後のアメリカは、ワシントン時代の8年、アダムズ時代の4年の12年間のほとんどを通じて、外交努力のほぼ全精力を、フランス革命との対応に費やすこととなりました。

革命の初期には、自ら義勇兵を指揮して来援してくれたラ・ファイエットが革命派の中心に陣取っていたため、革命を支持する姿勢をとっていました。しかし、1792年4月のオーストリア・プロイセンとの開戦を経て、革命派の姿勢が次第に過激化し、93年1月に国王の処刑が実行されるに及んで、米政府の姿勢にも変化が訪れます。

イギリスもまた当初の静観の姿勢を捨て、スペインやオランダを誘って対仏大同盟を結成、反フランス革命の姿勢を明確にしました。そこにはイギリス独特の打算が働いており、大陸ヨーロッパという大事な市場を、フランスだけに独占させてなるかという、功利的な動機が隠されていたのですが…。

それでもアメリカは、用心深く中立の姿勢を崩しませんでした。大統領のワシントンも、国務長官のジェファソンも、いずれフランスの内紛も収まることを期待して、待ちに徹したのです。

そして、1800年の大統領選挙では、ジェファソンが大差で勝って、翌1801年に第3代の大統領に当選したのです。それは、フランス革命そ終結と、革命の成果の社会的定着を掲げたナポレオン支配の進行と、見事に重なったのでした。

ハイチを論じた中で触れたことですが、ジェファソン政権は、1803年ナポレオン政権との交渉によって、ミシシッピー川以西のフランス領ルイジアナ(その中心都市が、ジャズの発祥の地となるニューオーリンズ<新しいオルレアン>でした)を、僅か1500万ドルで購入することに成功します。

面積実に5億3千万エーカーと言いますから、これでアメリカ合衆国の国土面積は、一挙に2倍に膨れ上がりました。1エーカー当たり、僅かに3セントです。日本流に表記すると、1エーカーとは1200坪にあたります。100坪の邸宅が12軒も建つ土地が、3セントというのですから、これはほとんどただのようなものです。



これは、大変な僥倖でした。そのわけをこれから記したいと思います。
                                     続く





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最終更新日  2010.05.29 17:24:30
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