ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.06.16
XML
カテゴリ: 外国史

19世紀のアメリカ(44)

第2章 明白なる天命…5

しかし、1800年~1810年代にかけての西部開拓は、開拓地への交通手段が限られていたために、大変ゆっくりとしか進みませんでした。

西部開拓が本格化するには、道路や運河の建設が欠かせませんでした。鉄道がまだ発明されていない時代においては、荷馬車が走行可能な基幹道路(=有料国道)の整備が不可欠でした。アメリカの最初の国道、カンバーランド国道が、メリーランド州のカンバーランドから、オハイオ河畔のホイーリンクまで完成したのは、1818年のことでした。この国道は、その後も延長工事を続け、1840年代には、イリノイ州にまで延長されました。

馬車の通れる道が整備されたことで、人の移動は活発になりました。しかし、馬車で運べる荷物は限られます。大量の荷物を運ぶには、西洋と同じく舟運の整備が欠かせません。こうして、米国でも運河建設への期待が高まったのです。

1817年にニューヨーク州の北部で開始された、エリー運河の建設は、オルバニーとバッファローを結ぼうという野心的なものでした。この成功が、その後の運河建設ブームのきっかけとなったのです。

1825年に完成したエリー運河の効用は、圧倒的でした。ターンバイクと呼ばれた有料の国道を馬車で運ぶには、数10頭の馬を必要とした重い荷物も、運河の側道で船を引っ張る1頭の馬で、運ぶことが出来たからです(蒸気船以前は、人力だけでは難しかったのです)。

エリー運河の完成は、東においては、ハドソン川に漕ぎ出してニューヨーク港に通じ、西においては、バッファローからエリー湖に通じて、オハイオ、インディアナへと、運河と河川、そして湖の交通を組み合わせることで、米国北部地域を東西に横断する、交通幹線が出来上がったことを意味したのです。

この交通幹線の起点ニューヨークは、米国北部の交通動脈を握り、輸出入の窓口となることで、今日に至る大ニューヨークの基礎を築いたのです。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.06.16 16:26:50 コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ザビ神父

ザビ神父

カレンダー

お気に入りブログ

ソフトバンクがトヨ… New! 歩世亜さん

求められているのは … New! kopanda06さん

「地方紙」 New! でぶじゅぺ理さん

福井県大野市  武… New! トンカツ1188さん

映画「きっと、いつ… New! naomin0203さん

コメント新着

でぶじゅぺ理 @ Re:石破辞任(09/09) 明けましておめでとうございます。 本年…
葉月 生 @ Re:ご無沙汰しました(08/15) 神父さま お帰りなさいませ。 1ヵ月に1回…
kopanda06 @ Re:石破辞任(09/09) お久しぶりです。 降雨の中、高見観音の…
吉祥天2260 @ Re:石破辞任(09/09) どの人見てもなんだかねぇ・・・ 国のこと…
わからんtin1951 @ Re:石破辞任(09/09) テレビを観ていると、総裁選のことばかり…

バックナンバー

・2026.06
・2026.05
・2026.04
・2026.03
・2026.02

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: