19世紀のアメリカ(44)
第2章 明白なる天命…5
しかし、1800年~1810年代にかけての西部開拓は、開拓地への交通手段が限られていたために、大変ゆっくりとしか進みませんでした。
西部開拓が本格化するには、道路や運河の建設が欠かせませんでした。鉄道がまだ発明されていない時代においては、荷馬車が走行可能な基幹道路(=有料国道)の整備が不可欠でした。アメリカの最初の国道、カンバーランド国道が、メリーランド州のカンバーランドから、オハイオ河畔のホイーリンクまで完成したのは、1818年のことでした。この国道は、その後も延長工事を続け、1840年代には、イリノイ州にまで延長されました。
馬車の通れる道が整備されたことで、人の移動は活発になりました。しかし、馬車で運べる荷物は限られます。大量の荷物を運ぶには、西洋と同じく舟運の整備が欠かせません。こうして、米国でも運河建設への期待が高まったのです。
1817年にニューヨーク州の北部で開始された、エリー運河の建設は、オルバニーとバッファローを結ぼうという野心的なものでした。この成功が、その後の運河建設ブームのきっかけとなったのです。
1825年に完成したエリー運河の効用は、圧倒的でした。ターンバイクと呼ばれた有料の国道を馬車で運ぶには、数10頭の馬を必要とした重い荷物も、運河の側道で船を引っ張る1頭の馬で、運ぶことが出来たからです(蒸気船以前は、人力だけでは難しかったのです)。
エリー運河の完成は、東においては、ハドソン川に漕ぎ出してニューヨーク港に通じ、西においては、バッファローからエリー湖に通じて、オハイオ、インディアナへと、運河と河川、そして湖の交通を組み合わせることで、米国北部地域を東西に横断する、交通幹線が出来上がったことを意味したのです。
この交通幹線の起点ニューヨークは、米国北部の交通動脈を握り、輸出入の窓口となることで、今日に至る大ニューヨークの基礎を築いたのです。
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