19世紀のアメリカ(50)
第2章 明白なる天命…11
19世紀の最初の100数年間まで、合衆国の連邦政治のレヴェルに、奴隷制の問題が登場することはありませんでした。奴隷制度は南部に限定された制度として容認されていたのです。
その問題が大きく浮上するきっかけになったのは、奴隷制度の西方への拡大という新しい事態が広がったからです。1819年ミズーリの開拓地を州に昇格させ、連邦に加えるという問題が、連邦議会に上程されました。その年まで、奴隷州(州憲法上、奴隷制度を認めている州)と自由州(奴隷制度を認めない州)は、同数で推移してきました。この時点では、双方11州の22州でした。
奴隷制度が存在するミズーリを、そのまま州に昇格させた場合、奴隷州が12州となり、上院の票決では圧倒的に有利になります。この勢力配置を気にした議員の提案が、大きな波紋を呼んだのです。
ニューヨーク州選出の上院議員が、ミズーリへの奴隷の移住を禁止し、奴隷制を最終的に廃止する旨を州憲法に明記しない限り、ミズーリの州昇格を認めないという、提案をしたのです。
当然南部出身の上院議員は猛烈に反発しました。連邦議会がミズーリの奴隷制を阻止できるとするなら、今後自州の奴隷制度の維持すら危なくなる。彼らはこう考えました。
激しい議論を展開しながら、対立する双方は、1820年ミズーリ協定と呼ばれる妥協に到達しました。そこで、決まったことは、ミズーリが奴隷州として連邦に参加することを認める代わりに、マサチューセッツ州の一部をメイン州として独立させ、双方バランスを12:12として保つことが1点。
もう1点が、ミシシッピー川以西のミズーリを除くルイジアナ地域について、ミズーリ州の南の州境にあたる、北緯36度30分の線以北には、今後奴隷制を認めないという点でした。
連邦議会は、1808年に奴隷貿易を禁じる法を制定した以外には、奴隷制に触れることを慎重に避けてきたのですが、西部開拓の進展がそうした対応の限界を露呈させたのです。
ミズーリ協定の結果、確かにその後しばらくの間は、奴隷制度を巡る新たな問題の発生を防ぐことが出来ました。それは、良く出来た政治的妥協と言えました。
しかし、ミズーリ協定は、明確に北緯36度30分以北に出来る、新たな開拓地については、奴隷制の存在を認めないとしていました。これは、合衆国憲法成立以後、連邦議会が奴隷制度を禁止することが出来るとした、最初の法的規制でした。北部と妥協したとはいえ、南部各地は、以後奴隷制度の防衛に、大変神経質になっていった原因は、ここにありました。
続く
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