ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.12.11
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カテゴリ: 日本経済
クロニクル 三井三池争議始まる

1959(昭和34)年12月11日

1960(昭和35)年は、戦後日本での最大の反政府闘争だった安保闘争の年として、我々世代には記憶されています。そして安保闘争の影に隠れがちですが、この年はまた、総資本対総労働の対決として、共に財界と労働界が総力をあげて支援した三井三池争議の年でもありました。

三井三池炭坑は、「月が出た出た 月が出たヨイヨイ 三池炭坑の 上に出た…」と炭坑節にまでなった、日本を代表する炭坑の1つでしたし、三井三池労組も1953(昭和28)年の争議では、会社側の指名解雇提案を、無期限ストで葬り去るなど、各地の労組から一目置かれる労組となっていました。

しかし、石炭から石油への燃料革命の進展と共に、各地の炭坑経営は厳しさを増し、三井鉱山も抜本的な経営合理化による、会社再建を目指すことになり、三池労組との対決覚悟の再建案をまとめることになりました。

こうして、1959年8月末、4580人の人員削減を伴う再建案を発表、12月の2日と3日にかけて、1492人の労働者に退職を勧告し、これに従わない労働者1278任に対し、51年前のこの日指名解雇を通告したのです。

労働者側は、この措置を予測していたので、この日ただちに無期限ストライキの入り、会社への対決姿勢を鮮明にしました。しかし、経営難に苦しむ会社側の経営再建にかける意志は固く、三池鉱山のロックアウトと組合員の坑内立ち入り禁止措置をとってストライキにに対抗しました。

両者の激しい睨み合いの中で、年を越した争議は長期化し、総評からのカンパ以外に収入の道のなくなった組合員の生活は、次第に苦しさを増していきました。その結果は、お決まりの組合の分裂です。

強攻策一辺倒で出口に見えない執行部の方針に対し、ストライキの継続に疑問を感じた組合員(全組合員のおよそ半数)は、3月17日に第2組合を結成し、ストライキを離脱します。その後は、分裂した組合員間の内輪もめもおきるなど、争議は泥沼の様相を呈して、組合の敗北に終ります。



外部から闘争を支援するためにこの地にやってきた人たちの多くは、闘争の敗北が近付くに連れて、次々とこの地を去っていったのですが、谷川雁、森崎和枝夫妻のみは、深い傷を残した三池労組の組合員との連帯の意識から、長くこの地に留まって、やがてこの地を訪れたサルトルとボーヴォワール女史の2人に、日本訪問で最も感銘を受けた出合いであったと、語らしめています。

三井三池争議の敗北と、この時期に加速する高度経済成長のうねりの中で、日本の労働運動は、労使対決型の運動から労使協調型の運動に変わっていきます。そしてまた、この運動に対する反省の中から、左翼政党の中で構造改革論が登場し、次第に勢いを増していくことになりました。





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最終更新日  2010.12.11 12:59:01
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