ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2011.07.26
XML
カテゴリ: 日本史
黒船来航(41)

最後に残ったのが、西欧最大の植民地大国イギリスと、ナンバー2のフランスです。英仏両国は、インド並びに北米大陸で、植民地獲得競争を繰り広げ、やがて1900年前後には、アフリカ大陸の植民地化でも激しく争うことになる、まさに犬猿の仲の両雄でした。

そんな関係ですから、日本との関係においても、互いに先を越されてはならじと、激しいつばぜり合いを点火したのです。古い時代の日本史の教科書には、当時のフランス皇帝ナポレオン3世(1852年~70年のフランスは、第二帝政の時代でした)から贈られた乗馬服をまとって、これまた贈られた脚の長いアラブ産駒に跨った徳川幕府最後の将軍慶喜の、にこやかな写真が良く載っていました。御記憶のおありの方も多いと思います。

そうなんです。フランス公使ロッシュは、江戸の幕府と京都の朝廷を担ぐ薩長連合を天秤にかけ、幕府の勝利を予測して、幕府との関係強化を本国に具申していたのです。ナポレオン3世から慶喜への贈り物は、ロッシュの示唆によるものでした。ロッシュは幕末の動乱は、幕府が勝利すると身ていたのです。

これに対してイギリス公使パークスは、京都の朝廷と連携する薩長連合の勝利を予測し、薩長連合との関係の強化にかけていたのです。

結果は薩長連合の勝利による、明治新政府の登場に繋がったのですから、パークスの読みの方が当たっていたことになります。

ところで、幕末維新期のイギリスは、なお中国での利権の拡大に目を奪われており、日本への関心は、相対的に低かったのです。1850年代から60年代のはじめにかけて、中国各地は、太平天国の叛乱に悩まされていました。西欧列強は当初是々非々の態度を貫いていたのですが、アロー戦争の勝利によって、慎重から大幅な譲歩を取り付けると、態度を変えて清朝擁護に舵を切ったのです。その先端にいたイギリスは、しばらくは中国での利権の拡大に釘付けにされ、日本への進出はしばらく後回しとなったのです。イギリスからも、時間が確保できたのです。

フランスはどうでしょう。肩入れした徳川幕府は消滅しました。ロッシュは函館戦争に協力すべきと解きましたが、それは途中で頓挫しました。そして1870年、あの普仏戦争となったのです。ナポレオン3世のフランスは、ビスマルクの下で周到に対仏戦の準備を整えたプロイセンに完敗したのです。

その結果、1871年1月プロイセン中心のドイツ帝国が成立しました。そしてフランスは、祖の語しばらくは、敗戦の痛手を癒し、対独復讐の炎を燃やして、対外侵出よりも、強大化した隣国への対応に忙殺されることになったのです。



明治政府は、こうして与えられた時間を上手に生かし、短期間に日本の国力を充実させ、資本主義化を推進して、植民地化を防ぐことに成功した。こういうことになりましょうか。
                                  完





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011.07.26 21:31:29
コメント(6) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ザビ神父

ザビ神父

カレンダー

お気に入りブログ

岐阜県 世界遺産 … New! トンカツ1188さん

孫たちがインフルエ… New! naomin0203さん

『べらぼう』第45回… New! 5sayoriさん

音声入力な夜 New! kopanda06さん

渡米の目的 2つ?3… New! あみ3008さん

コメント新着

葉月 生 @ Re:ご無沙汰しました(08/15) 神父さま お帰りなさいませ。 1ヵ月に1回…
kopanda06 @ Re:石破辞任(09/09) お久しぶりです。 降雨の中、高見観音の…
吉祥天2260 @ Re:石破辞任(09/09) どの人見てもなんだかねぇ・・・ 国のこと…
わからんtin1951 @ Re:石破辞任(09/09) テレビを観ていると、総裁選のことばかり…
naomin0203 @ Re:石破辞任(09/09) 世論的には支持があった石破さん。 党内紛…

バックナンバー

・2025.11
・2025.10
2025.09
2025.08
・2025.07

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: