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旧正月のごあいさつを兼ねて韓国・春川のギョンス父さんのところに日本茶やお菓子などを詰めて送った。 こんなものも入れてみた。^^; ( ̄皿 ̄; ギョンス父さんは折り返し電話をくれてケータイのメールアドレスを教えてくれたのだが、なにせ酔っ払っているのでよく聞き取れない。翌日パソコンからメールを流したら、案の定UNKNOWNで返ってきた。^^聞き取りはどうもだめだ。 (アドレスは英語か( ̄‥ ̄) 韓国語を勉強してるのは我が家では私だけだが家族の言葉の中にびみょうに韓国語がはいってくるようになった。韓流の影響なのかな。アッキーは私の前を風呂上りの裸のままで 「ヨンウォニ~~~~♪」 ←いつまでもーと横切ったりする。パチンコ冬ソナの曲が耳についたのだろう。 だから モニじゃねーだろモニじゃ!!! お前その言葉の意味知ってんの?と聞くと 「知らね」 とか言ってるけどね。 チャリはやはりその言葉の意味も知らずに、「最近サムギョプサル喰ってないな」などとつぶやく。 ということでサムギョプサルにしてみた。油が飛び散るので新聞を引いてみた。ショボイ画だ。キムチはヤンパ作。だんだんホンモノに近づきつつある。オレンジのはアッキーが持ち帰ったウニ。ラッキー!^^ キムチはヤンニョムもたくさんあるので、アッキーがさらに持ち帰ったアンコウできのう韓国風の辛い鍋にしてみた。これは日本風の鍋よりも好評だった。韓国料理は我が家ではもうフツーのことになってしまった。 ヨンウォニ~~~~~♪ (#`_`)
January 28, 2009
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昨年の暮れにスタッフSちゃんの娘もえぞー(4歳)と、「ティンカーベル観に行こうねー」と約束していたのですが、会うたびに 「ジジ(私)とティンカーベル行かなかったね~」と言われるので、子どもとの約束は破っちゃいけないなと最終日に観に行ってきました。 さすがにジジ^^と孫のコンビは私たちだけでしたが、冬の日曜、朝1回のみの上映(9時20分)にもかかわらず、けっこうな親子連れでにぎわっていました。 私は小さい頃、父が買ってきたピーターパンの本(ディズニーのです)を、それはそれは大切にしていて、これでもかと言うくらい読み倒したおぼえがあります。もうボロボロでした。ディズニーの映画を映画館で観るという行為は、当時はもちろんハレの日でしたので、子ども心にも大切な思い出としていろいろ記憶に残っています。 いつの頃からなのか、、、、、ディズニーのアニメの主人公から白人が消えていきました。眠れる森の美女にもシンデレラにも、あんなにたくさんの白人が登場していたはずなのに、(きれいなお姉さんはすべて白人=アメリカ人だと思っていた当時のヤンパ)アラジンの頃からかなあ。登場人物はみな様々な国の人の顔に変化していきました。 アメリカという国の変化がアニメに如実に現われたのだと思います。もえぞーと観たティンカーベルの登場人物は、それはもう人種のルツボ。だいたい主人公のティンカーベル自体がうっすらと有色で、日本人なのか、中国人なのか、イタリア人なのかロシア人なのかよくわかりません。まわりの妖精たちにいたっては、アフリカあり、アラブあり、ヒスパニックあり、むかしのディズニーでは考えられないほどの移民の世界です。 先週アメリカの第44代大統領にオバマさんが就任しました。就任演説の際に「60年前にレストランで給仕を受けることさえできなかった男を父に持つ私がみなさんの前で宣誓することに......」というようなことを言っていました。うろ覚えですが。。。この60年の間にディズニーの妖精たちが白人一辺倒から人種混在に変化したことと、オバマさんの言葉がシンクロして、変化を期待するアメリカと変化することに躊躇する日本との差を感じた日曜でした。 もえぞーが将来楽しく自信をもって人生を謳歌できるような国に、日本もチェンジしていかなくてはならないなと思ったのです。
January 26, 2009
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前回の日記のついでに、もひとつ幼稚園の話し。アヤベーの勤務する幼稚園はむかしブドウ畑があったところに建っている。とても広々としているので開放感もたっぷりだ。(築2年)夏は窓を開け放してエアコンをなるべく使わずに子供たちと遊んでいた。なんの問題もなかったのだが、昨年9月ころだったか、、、ひとりの男の子が熱中症にかかってしまった。窓を開けた室内にいたのだが、おそらく水分をあまり取っていなかったのだろう。このときもひと悶着あった。その子のお母さんが大病院の先生だったのだ。お母さんは幼稚園にクレームをつけた。 「いまどきAEDも置いてないのですか!!?」さすがにどこの幼稚園もAEDを置いているとは思えないが、私のスタジオのあるマンションでも理事会でAEDを設置するかどうか議題にあがっているので、世の中の風潮としてはそういう方向なのだろう。AED(自動体外式除細動器)とは言うものの、実際に手にとって見たことのある人は少ないかもしれない。こんなもの 値段がとても高いのでいまはレンタルが主流なのかな?といってもメンテナンスが重要で、ただ置いておけばいいというシロモノではなさそうだ。アヤベーの幼稚園ではさっそくAEDを導入し、エアコンも大型のものに変えざるをえなかった。「何かが狂っている」三河の住人さんならそう言うかもしれない。^^;
January 25, 2009
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妻アヤベーがオバチャン先生をやっている幼稚園にはリツクンという年長の男の子がいる。こやつがなかなかの曲者でときどきアヤベーとバトルを繰り返しているらしい。 アヤベーの後ろから近づき 「せんせいーーーー」 「な~にぃ~?」 「せんせいーーーー どーしてアタマ白いのぉ~~~~~?」 ?!("#-_-)「ええ~い!! いいの!!! 白くないのーーー!!!!!」 「白いのあるよーーーーー」 ココニモ ホラ ココニモ 「ないったらないの!!ほっといて!!!」 「せんせいーーーーーー せんせいって、おばぁーちゃん? なのぉーーー?」 オバオバオババババババババっ........「おばーちゃんじゃないのォーーーーーーーー!!!!!!」(`Д´)ムギョーーーーーーーーーーーー! リツクンはアヤベーの下腹をぐりぐり揉んで「ぶにょぶにょ~」もやるらしい。痛いところをつく息子だ。昨年の話しだが、あるとき遊戯室をちょっと離れて戻ってくると、アヤベーは何やら発見した。 ん? こ、これは..... ハッ?! ち..........血ぃいいい?! ちょっと待ってーーーーみんなーーーーーー ストーーーーーーーーーップ!!!! 動かないで! 誰?誰なの????花子せんせ~~~~い! たいへ~~~~~~ん!!! いい、みんな動かないで!!! ど、どーしたのリツクン? ボク、なにもしてないからね。 ボク、なななななにもしてないからねーーーーー。 って、 リツクン、あなた、 その頭!!!!!!!!!!!! うぎゃあ~~~~~~~~~~~~~~!!!! リツクンはピアノの下から飛び出してまわりの皆んなを驚かすことをやっていたらしい。 「オバケだじょーーーーーーー」みんながキャーキャー喜ぶものだから調子にのってそれを繰り返すうちに、すっごい勢いで飛び出してピアノの底に頭を思いっきりぶつけたのだった。 リツクンのお母さんは看護士さん。こういう人に限って「なぜそんな危険なあそびをやらせていたんですか?子どもから目を離さないでください!!!」 病院さわぎになったので。。。 と幼稚園側(アヤベー&花子先生)は厳重注意された。「お母さん、男の子はたいていそんなものです。目くじらたてないでおおらかに育てることも大切なものなのですよ」と言ったとしたら、連絡ノートに書かれ、ママ友の口コミで火が付き新聞に投書でアヤベーと花子先生の首が飛んだことだろう。 リツクンはなかなかの曲者なのだ。
January 24, 2009
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サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。その時、サキちゃんはまだ2歳。「あなた、サキのためにビデオを3本残します。 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。 じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ! ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。新しいママが来た日のサキちゃんにそしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。なつかしいママの顔が映し出された。「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。 …… サキちゃん。今日で本当にお別れです。 …… サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る) ママ、もっと生きたい…。 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。 あなたの成長を見つめていたい…。 じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。 それは、『ママを忘れる魔法』です。 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」そこでビデオは終わった。しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。パパと、新しいママにも効かなかった。ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。天国のママに見てもらうために一週間ぐらい前に2ちゃんねるのあるサイトで読んだものです。年齢的に2ちゃんねるは私などが行くところではありませんが、たまたまある方のブログで貼られていたので、飛んでみたらいい話しをコピペしたサイトでした。事情を知らないで読み始めたので、スタジオでひとりボロボロ泣いてしまいました。チャリは知っていたそうで、やはり泣いたと言ってました。アッキーもアヤベーもボロボロでした。ちょっと反則技ですが、その中のひとつを私もコピペしてみました。(読むには覚悟がいります、長いし…^^)
January 19, 2009
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人と人の出会いは不思議なものである。田舎のヤサグレ中年デザイナーと、韓国の大学の日本語教師との出会いなんて、オバマ大統領の就任式に小浜市民の勝手連が招待されるかもしれないほどの、あってはならないことだった。爆)もう何年も前のことだ。かざはなさんと私は楽天を通じて知り合った。ほしそら先生も同様である。ほしそら先生からお正月のプレゼントが届いた翌々日、私はひさしぶりにかざはなさんと再会した。ここはソウルかと思わせるような凍える北の町。こじゃれた日本料理を出す人気のお店へご案内したら、すでにかざはなさんもご存知の店だった。ホタルイカの沖漬け。かざはなさんが頼んだ品だ。「こーゆーのは韓国には絶対ないんですよー」^^違いのわかる女性である。久しぶりに食べた沖漬けは、ほんとうに渋く北の海の味がしてすきっ腹につるりと入る。椎名誠調になってしまった。笑)かざはなさんとは韓国の話し、日本語教師の話し、教育事情から経済まで、またまたいろいろ教えてもらった。ありがたいことである。私が話したことはパープリン兄弟(アッキー&チャリ)のことと、弁当作りのことだけ。^^;ブログの内容とさして変わらない話しに3時間ほどつきあっていただいた。家に着いてまたぞろ冷蔵庫から発泡酒など持ち出して、かざはなさんからいただいたお土産を前にアヤベーとだべっていると電話が鳴った。10時40分である。ふたりして一瞬顔を見合わせる。アヤベー 「はい、●●でございます。 ハッ えっ あ~~~~~~~~ えっ? えっ あははははははははは えぇええ ちょっとお待ちください」 ヤンパ 「だれ?」 アヤベー 「韓国」 ドッ シェーーーーーーー!!!!!!!春川のギョンス父さんが酔っ払って電話をかけてきた。(ニホンゴで答えていたアヤベーっていったい(; ̄□ ̄A) ギョンス 「ウィッ ヤンパっさぁ~~~~~ん! ぶひょひょひょひょ アニョハセヨ~~~~~~ ウィッ ぶひょ」かいつまんで言うとみんな元気か?こっちも元気だ。ばあちゃんの足はよくなった。ジェミンと話しをしていて思いついて電話した。などなどアンブ チョーナである。で、ジェウ(イケメン長男)はどうした?と聞くと プイン○×☆!/#$_ とか言っている。プイン=夫人??????イケメン長男は夫人になっちまったかーーーーーー!!!「ゆーよねー♪」のはるな愛になっちまったかー!!!!!!まさかね。プイム=赴任の年齢でもなさそうだし、プイン、、、、、、、、謎のままである。セヘボン~とご挨拶し、ことしは韓国に行きますねと電話を切った。夫人に会ってこなくっちゃ。
January 17, 2009
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韓国のイ・ミョンバク大統領と日本の麻生総理がソウルでにこやかに^^未来志向とやらの会談を行ってるときに、韓国EBSのテレビクルーたちが私の住んでいる県を訪れていた。世界テーマ紀行というシリーズで、これまであまり知られていない宝物のような地域を韓国に紹介するのだという。今回は和歌山、愛知、宮城と、我がイナカの“宝物”を探す旅ということだ。我が県では温泉、酒蔵、道祖神祭り、それと「おやき」を紹介するらしい。 おやきって こんなものです。^^ナス、キャベツ、野沢菜、切干大根、ニラ、タマネギ、あんこなど会社によっていろいろある。アヤベーが嫁いできた頃、悲鳴をあげていやいや食べていた。^^それほど初心者にはグロテスクな食べ物らしい。(昔は貧乏な農村地帯の保存食、ご飯替わりだったりした)韓国人の口にはきっと合わないでしょう。^^むしろ、、、我が県はむか~しとても貧乏だった。そして養蚕業が盛んだった。当然高カロリーのものはない時代なので、その「お蚕様」から栄養を取っていた。糸を取り出した後の蚕のサナギを煮付けて(炒めて?)、そのままポリポリ食べたり、ご飯と一緒に炊き込んだりして食べていたのだ。わたくしヤンパも小さい頃、おばあちゃんに料理してもらったそのお蚕様をいただいたことがある。それはキョーレツな匂いだった。いまでも食べろ!と言われれば食べられると思う。可能か不可能かで言えばだ。。。韓国ではさすがに多くの人々に愛用されているとは言いがたいものの、ポンテギという名で健在だ。酒のつまみなんかで出す店もあるらしい。いただいてきた証拠写真。 以下、実写覚悟を。 ソウルナビより どなたかの韓国ブログより日本のポンテギは高級品になってしまい、こんなパッケージで売られている。色がキツイなあ 日本の珍味食のブログよりきっと韓国クルーたちは知らなかったと思うけど、日韓ポンテギ食べ比べをやったら面白かったかも。
January 13, 2009
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ことしはじめての韓国映画はDVDでの鑑賞の「卑劣な街」。チョ・インソン主演のなんていうか、ヤクザ映画である。日本ならばVシネマ程度の内容を人気スター、チョ・インソンの力を借りて拡大版にした感じかな。韓国のヤクザ映画に興味のない私が、なんでそんな映画を借りたかというとイ・ボヨンが出ていたからだ。アヤベーが毎週見ている韓国ドラマ「ゲームの女王」にイ・ボヨンが出ていて、そのちょっとオバハン顔に惚れていたので映画はどうかなあと観てみたのだ。 このシーンはいかった「卑劣な街」も「ゲームの女王」も記録を見ると2006年のもの。だのに、、、イ・ボヨンの左目がびみょう~~~に違う!! ( ̄へ ̄|||)いじった!!!???あのアンバランスさが好きだったのに「卑劣な街」ではシンメトリーなフツーのきれいな顔になっていた。ざんねん。。。この映画の中で誰かをドスで殺すことを何度かサシミという言葉で表現していた。きっと刺身包丁(のようなもの)で殺れ!ということなのだと思うけれど、こんなところにも日本語が残ってる。^^;ところでチョ・インソン。一昨年だったかテレビの再放送で「韓流スターフェスティバル」みたいなものをボーっと見たことがある。(むかし書いたかな)西武球場は内外野席、はるか遠くまでぎ~っしり韓流おばさんで埋まっていた。それはそれは圧巻だった。出ていた俳優は、私の記憶が正しければチ・ジニお兄さんをはじめとしてコン・ユ、チャ・テヒョン、チャン・ヒョク、チョ・インソン、あと人気歌手なんかが出ていた。チャ・テヒョンが「僕はもう二度とこんなすごいステージで歌うことはないでしょう」つまり野球場をオバハンでみっちみちに埋めた会場で歌うのはカンベンだなあ、、、みたいな。そんなことを言っていたショーだった。その中で俳優たちの談笑シーンがあったんだけど、チョ・インソンに関しては一同口をそろえて、明るくて賑やかで兄貴肌のところがある、と言っていたことを覚えている。チョ・ウンスクさんの「韓国・下町人情紀行」(2007朝日新書)にはチョ・インソンが愛してやまないソウルの下町、千戸洞(チョノドン)が紹介されていて、名所旧跡に用のないヤンパが、一度ぶらぶらしてみたい街のひとつに記憶しているところなのだ。チョ・ウンスクさんは日本語をきれいに使える、ただしガッチガチの愛国者(たぶん386世代)だけれど、韓国の知らない街を叙情豊かに文にしてくれるので、私には頼もしい韓国の案内者なのだ。昨年はかなえられなかった韓国旅行が、ことしの私の目標のひとつでもあるのです。
January 11, 2009
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昨年ざおりんさんとこでクレーの絵本の話しが載っていて、クレーかあ懐かしい名前だなあ、そういえばどんな絵だったっけ。。。とネット検索してみるとオールポスターズというサイトに行き着いた。なかなかコンパクトに納まったサイトで検索もしやすい。職業柄このHPがすっかり気に入ってしまいクレーのポスターと、もう1枚ちょっとアンティーク調のポスターを注文してしまった。それが12月中旬。暮れ近くになって「きょう発送しました」のメールが届いて年内に着くね、大掃除の後に貼ろうかななんて、メールをスクロールすると、、、、ありゃま発送元はアメリカのカリフォルニア!!日本語できれいに作られたサイトだったのでてっきり日本人の運営かと思っていたら、シャチョーはマイクだよ!!!^^;)ということでスタジオ内も衣替え、ブログもちょっと衣替えしてみた。
January 9, 2009
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先日佐渡に行ったときヒマだったので週刊文春を買って見ていた。椎名誠の連載「風まかせ赤テント」を読むとこんな本が紹介されていた。「サイエンス・インポッシブル」(ミチオ・カク 斎藤隆央訳=NHK出版)簡単に言うと現在、SF小説でしか可能でないことが将来不可能でなくなるとしたら、いったいどういうことが実現するかを3段階に別れて分析している本らしい。1、2、3と数字が上がるごとに実現度が厳しくなるということで、つまり1に挙げられることは科学的に不可能ではないことなのだと書いてあるらしい。その「1」に書いてあることのひとつ。テレポーテーション。瞬間移動だ。~赤テントにはこう書いてある。>瞬間移動の原始的な考え方は、人間を量子レベルにまで分解して、それを送れる機械(FAXをうんと複雑にしたようなものを考えればいいみたい)で移動したい場所に運び、そこで再構成する、というものだ。ケータイを江戸時代の人々に説明することは無理だったはずで、テレポーテーションも案外そんなものなのかも。出エジプトからホロコーストまで、生還して今日を生きるユダヤの人々はたったいまもガザのパレスチナ人を根絶やしにしようとしている。それが不可能であることを彼らが一番よく知っているはずなのに。瞬間移動が可能になるころはすでに世界から「国家」というしがらみがなくなっているかもしれないけれど、もしいま可能ならばガザの戦闘に巻き込まれて命を落とそうとしている小さな子供たちを何とかしてあげたいと、アルジャジーラのニュースを見てつくづく思った。テロリスト、テロリストってどっちがテロリストなのかアメリカ…….てかオバマ次期大統領はもう一度映画「ミュンヘン」でおさらいしてもらいたいと思う。
January 7, 2009
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長年夫婦をやっているとときどきお互いが考えていることがわかるときがあります。元旦の朝もそうでした。私が作ったお雑煮を母とアヤベーと3人で食べていたとき、ふとアヤベーを見るとなにやら思案化にお椀を持っています。その顔にはこう書いてありました。 ……あ~あ お母さん(佐渡でひとり暮らし)は今ごろお雑煮つくっているのかな。 いや、ひとりだからきっと何にも作ってないだろうな…… ヤ 「お前いま母ちゃんのこと考えてるだろ?」 ア「 へっ? あー… わかった?」翌二日、私はまだ暗い早朝、ネットで直江津航路が正月だけ1便航行していることを確認して9時半の便に乗るためにさっさとひとり出発しました。長女ワカが佐渡で生まれたのは20数年前の11月。そのとき勇んで佐渡へ行った私は冬の日本海の恐ろしさをジューブンすぎるほど知っているので、それ以来冬場のカーフェリーには近づきませんでした。正月の日本海ははじめてです。 けっこう決死の覚悟で撮ってる写真なんですが… やっぱ揺れてるよーーーーーーートイレに行くのも酔っ払ったカトちゃんのような足取り。 とっとっと津軽海峡冬景色では「♪北へ帰る人の群れは誰も無口で~」ですが、ワタクシの場合は「♪2等客室~冬景色~」の貸し切り状態。無口もなにも話す人さえいないのです。さすがに二日に佐渡へ行く人間は直江津航路では少なかったようです。佐渡ではお義母さんがひとり暮らし。正月は子供たちも来ていないのでおせちもなし。婿殿(ワタクシ)がテキトーに料理もどきを作ってふたりで食べました。おバカな正月番組を見てふたりで大笑い。いや笑いは大切です。正月だもの。(by みつを ( ̄皿 ̄)だあれもいない正月の海沿いの道を散歩してると、海辺のカフェの壁に注連縄風の飾りがポツンとありました。粋です。 でも、冬の海が好き、なんて言うのはきっとシンガーソングライターか夢見ごこちな女の子だけだろう。おっさんひとり旅には、「お前ことしどーすんのさ」という誰も答えを出してくれないむなしい疑問がこだまするだけ。お義母さんは「イカかナマコが流れ着いていたら拾って来いっちゃ」とありったけの優しい^^言葉をなげかけてくれましたが、カモメが寒風に吹かれて鼻水を垂れているだけでした。ということで正月婿殿任務完了。ほんとうはお義母さんを連れて帰りたかったのですが、昨年亡くなった父ちゃんの朝ご飯、夕ご飯をキッチリ仏壇にあげないと気が済まないという人格ゆえ、あたたかくなったら迎えに来るねと佐渡を後にしました。 きれいでした帰ってきたらアヤベーがなんで置いていったとスネておりましたが、事情でふたり家を空けることはできないのです。アヤベーはほぼ毎月里帰りしているので、今回は私ひとりでの小旅行でした。お土産はとび魚のすり身(バカうまです)と塩辛。どこまでも安上がりな我が家です。
January 5, 2009
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